洗 濯
               羽田竹美


 八月初めの、朝から暑い日だった。少し遠くに出かけるので早めに起きて洗濯機を回した。バスタオルや風呂マット、枕カバーなど毎日洗わないものまでほうりこんで朝食をとっていた。出かける日はいつも、時計とにらめっこである。何時になったら何をする、と決めて逆算して起きる時刻も設定するのだ。
 食事を終えて後片づけをしていて、何か静かだと気づいた。洗濯機の音がしていない。おかしいなと思って、洗濯機のところに行くと、止まっていて中には洗濯物が水に浸かったままである。
 この朝、目が覚めたときに何かいやな予感がしていたのである。今日一日何かが起こるのではないかと。この予感がみごとに当たってしまった。私は焦った。まだ洗えていない洗濯物をつかみ出し、手で洗い、しぼり、すすぎ、又しぼり、手が痛くなった。よりによって出かけるこの日になにも壊れなくてもよさそうなのに、と心の中でぶつぶつ不平を言いながらバスタオルをしぼった。しぼるということがこんなに大変なことだとは、今まで何不自由なく過ごしてきた生活の中で、思ってもみなかった。しぼってもしぼっても水がしたたり落ちる洗濯物が、恨めしかった。そして、洗濯機がなかった昔、母がどんなに大変だったかに、思いをはせた。
 私たち子どもが七人、それに祖父母、両親で計十一人の大家族の洗濯物を、母は毎日井戸端で洗っていた。太平洋戦争が終わり、まだ物資がない時代、井戸は生活すべての中心であったような気がする。明治のころ植えられた樫の大木のすぐ脇に井戸はあった。簡単なトタン屋根があり、雨の日でも濡れずにすんだ。樫の根に浄化されて、水は清くておいしかった。夏、ポンプで汲めば汲むほど冷たくなる。暑い日にはのどを潤し、絞ったタオルで汗をぬぐった。
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二枚目
 母は朝早くからたくさんの汚れた衣類を井戸端に運んで、タライの前にしゃがんで洗濯板でごしごし洗っていた。
 厳寒のまだ薄暗いうちからポンプをカシャカシャ動かして洗濯している母を思うと、さぞ寒かっただろう、冷たかっただろう、と胸が痛くなる。それでも母は、文句一つ言うでもなく、いつも優しく、微笑みを絶やさなかった。
「冬の井戸水は温かいのよ」
 そう言っていた母だったが、たくさんの洗濯物を洗い上げるのにかなりの労力を費やしただろう。あんな細い体のどこにそんな力があったのだろうと思う。
 干し場は井戸から五十メートルほど離れたところにあった。バケツに入れた重い洗濯物をそこまで運んでいったのだろう。物干しは竿が三段かかる、かなり大きなものだった。干す物を竿によって分ける。浴衣やシーツは二股というX字になった棒を使って最上段に干す。男物のシャツなどの下着は同じ竿に、タオルなどの小物と女物は最下段に干した。女物の下着類はここには干さず、家の西側の人目につかない庇(ひさし)の内側の竿に干したものだ。昔の人は恥じらいというものを重んじていたから人目に触れるところに下着を干すなどということは、厳しく禁じられていた。今、若い人がおおっぴらにカラフルなブラジャーやパンティを人の見えるところに干して下着泥棒にあうのは、干す方が悪いと思ってしまう。
 母が洗濯をしている間、祖父母が朝食の支度をしていた。
「朝ごはんの仕度をしてもらえるのが本当にありがたいのよ。何しろ、ごはん前に洗濯物が干せるのですから」
 と、母はいつも感謝をこめて言っていた。
「でも、冬にはあんまり早く干すと、凍ってしまうから、お日さまが出てくるまで待たなければだめなのよ」
 洗濯一つとっても考えながらやっていたのだと感心する。
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三枚目
 私たち七人の子どもたちが小学校に入ると、手伝いとして、玄関の掃除と父の靴磨き、廊下の拭き掃除、玄関から門までの掃き掃除、鶏の餌やりなどを分担してやらされていた。それでも母の仕事はまだまだたくさんあり、広い家の掃除を全部し終えると、お昼近くになってしまうのだった。
 私が高校の一年になったとき、股関節がはずれそうになり手術することになった。手術後、苦しい時期が一週間も続き、母にはずいぶん心配をかけてしまった。
 やっと元気になり、何か月か過ぎてからギプスがはずれた足を母がマッサージしてくれた。天花粉をつけてさすってくれるのだが、絆創膏を貼った指や、がさがさした手が痛い。
「痛いからもうやめて!」
 私は怒ったように言った。
「あらっ、ごめんなさい。お母さんの手ざらざらしてるからね」
 悲しそうに言った母に、私ははっとした。心ないことを言ってしまったと、後々まで心にしこりとして残っている。
 毎日、大家族の洗濯、炊事や掃除で水を使うことが多く、手が荒れていたのだろう。アカギレのできた手で洗濯物をしぼるのは、さぞ辛かったのではなかったろうか。
 洗濯機が壊れてから三日経って、新しい洗濯機が届いた。たった三日だったが、手洗いし洗濯物をしぼるのに腱鞘炎になるのではないかと、大騒ぎした自分がなんとも情けなかった。洗濯機の便利さをつくづく思い知らされたと同時に、文明の利器は、人間から気力と体力を奪い取っているようにも思える。
 この三日間の体験は、昔井戸端で冷たさと闘いながら洗濯していた母への感謝を、改めて心の中に深く刻み込むものとなった。
 昔の人は偉かった、と今しみじみ感じている。