災害捜索活動
            中井和子


 東日本大震災(二〇一一年三月)から二年六ヵ月が経った。
 その節目になる九月十一日。この日、福島県内の海岸線全域で、県警、海上保安庁、県、市消防本部、自治体職員により、震災で行方不明になっている二〇八人の特別捜索が行われた。
 捜索については、現在でも毎日続けられ、月命日には一斉捜索が行われてきたのだそうである。
 そして、この十一日の捜査結果のニュースでは、さらに骨片が七点発見された。また、行方不明になっている子息の車両らしいと、父親が現場へ案内されて行った。伸びた草むらが、青い車をすっかり隠していた。
 さび付いた車の中からお気に入りであったという、眼鏡などの遺品が出てきて、父親という人はことばもなく、遺品を握り締(し)めていた。
 震災直後から、全国の警察や、自衛隊、地元の消防士、自治体のみなさんが、まだ放射線量の高かったときは、暑い夏の最中も宇宙服のような防護服を着て、ひとつ、ひとつ、瓦礫(がれき)を取り除きながら、黙々と懸命の探索活動をされていた。現地はそのような状況であったので、一般のボランティアの人たちの姿はなかった。
 全国から応援に来てくれた警察隊の人たちは、福島市内やその近郊に宿泊して、毎日、宿舎から現場までの数十キロの長い道を何台ものバスやトラックで通っていた。
 その沿道筋に住んでいるらしい小学生兄妹がいた。子どもであっても震災の異常事態を理解し、その捜索活動のために、毎日バスやトラックで通う制服の人たちに感謝の念を持ったのだろうか。
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二枚目
 毎日、夕方になるとダンボールの紙に、マジックペンで、しかも、しっかりした字で『ご苦労さまです。ありがとうございました』と書いた厚紙を頭の上まで掲(かか)げ、現場から帰っていく制服の人たちの車に向かい、大きな声で、
「ご苦労さまでした!」
 と、声をかけている姿がニュースとなり、流れた。 
 屈託のない少年少女の素直な笑顔は、隊員の皆さんの疲労を癒(いや)し、励ましになったのではないだろうか。
 それから間もなく、どこの県警隊なのか、数十人の隊員たちが車を止めて、その小さな兄妹と記念撮影をしている集合写真が地方紙に載(の)った。みんな若若しい、明るく和やかな表情で、見ている側の頬(ほお)も自然に緩(ゆる)んでくるのだった。
 そして、また、その捜索活動で発見された遺体は、損傷が激しく、痛ましい状態にあることが多いと聞いていた。
 日を追うにつれ、行方不明になっている家族を捜す遺族の人たちも、確認するのが難しい状態になり、歯科医師による歯型の調査が行われた。歯型から年齢、性別が判定できるそうで、それが身元確認への情報提供となった。
 歯科医でいらっしゃる友人のご子息も、調査に加われたそうである。
 時間が経(た)つにつれ、異臭も漂うようになる。その過酷な状況の中での調査は、ご子息の、ただひたすらに、ご遺族のため、仏様を早くご家族に帰してあげたい、という、ご奉仕のお心と、私は勝手に推察し、感動でいっぱいになった。
 そして、友人はしんみりと話をした。
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三枚目
「若くて、これからが青春という少年、少女たちの無残な遺体に接したときは、ただ、ただ不憫(びん)で、息子は、涙がこぼれてきた、と言っていましたね……。そして、その現場の傍(そば)に、不動の姿勢で立会いと警備をしている警察隊員の人たちもいっしょに涙を流していたのですって……。息子は、前回初めて被災地へ行って、その仕事から帰ってきたときは、お父さんの仏壇の前で泣いていました」
 友人のことばから、ご子息へのいたわりの気持ちが痛いほど私にも伝わってきて、私は胸を突かれたのであった。
 やはり、医師でいらっしゃったお父様がご健在であれば、ご子息の辛い仕事の話に耳を傾け、励ましてくださったことであろう。
 そして、震災から二年半が経った現在でも、行方不明になっているわが子の姿を求めて、砂浜を懸命に掘っている四十歳代の男性がテレビに映った。
 そして、その男性は、 
「私も、二人の子どものところへ行きたいと何度思ったかわかりません。これから、どのように生きていけばよいのか、いまだに目処(ど)がつかないのです」
 と、海の遠くに視線を投げて、子どもたちの影を求めているような姿に、私は暗然とした。
 家族を亡くし、そして、放射線の汚染で、生活の基盤を失ってしまった。もう、前のような平和な生活を営むことは難しいのだろうか。しかし、まだお若い。がんばってほしい、と、私は祈りにも似た気持ちで眺めた。
 その男性だけではない。いまも避難の生活をしている人たちの中から、体調不良を訴える人が増えている。そして、その多くは、精神不安定が原因の症状なのだそうである。
 あれからの二年半の時は、ただの二年半ではない。
 それにしても復興が遅すぎる!