レストランにて             
          石川 のり子


 十月初旬、墓参の帰りに長女とレストランに寄った。店内は昼時を過ぎているのに思いのほか込んでいる。案内してもらった席に着いてまわりを見ると、中年の女性グループ六人ほどが声高に談笑している。孫と同年代の男の子も両親とテーブルを囲んでいる。
 我が家の二人の孫は、ママとは別行動で、板橋区(東京)のパパの実家へ行っている。小学生の孫からは出掛けに、
「次はボクたちも遊びに行くから、今日はママをよろしく」
 と、電話があった。長女に話すと、「けんかをしたんじゃないかと、おばあちゃんが心配するから電話しておくよ」と、大人びた口調で言っていたらしい。顔を見合わせて、思わず笑ってしまったが、だれに似たのか次男は気転がきく。
 私たちは海鮮たっぷりのスパゲッテイにサラダとスープのセットを注文した。二人で向かい合って食事をするのは久しぶりである。娘はテーブルの上に置かれた小さなカゴのスプーンとフォークを私の前にも並べ、ナプキンも添えてくれた。独身時代はすべて親任せで、自分から進んで手伝ったりするタイプではなかったので、育て方を反省したものだったが、主婦業が十数年にもなると、他者への心配りもできるようになる。
 私はつくづくと娘の顔を見つめた。一般的に長女は父親に似ると言われるけれど、面長で一重瞼(まぶた)の顔はまさに夫譲りである。つい、「似ているわね」とつぶやくと、眉をひそめた。この無意識にやる癖は私にもある。私の母にもあった。そして、誕生した孫が眉をひそめているのに気づいたとき、血のつながりを感じた。
 ついでながら足の爪の形もそっくりだった。
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 二枚目 
 私は眉間に手を触れ、刻まれてしまった二本の皺をさすった。そんな私を見ていた娘がためらいがちに言った。
「お母さんは年齢より若いと思うけど、今月の四日で六十八歳になったのね……。おめでとうございます。ささやかだけど、昼食は私がご馳走します」
 誕生日をすっかり忘れていた私は、娘と立場が逆転したようで面映ゆい。
「そうだったわ。年だけはみんな平等に取るのだから、抵抗はできないわね」
 娘は母親をいつも気にかけていると言い、「伯父さんと伯母さんをお手本にして、長生きしてくださいね」と付け加えた。
 たしかに私には一人の兄と四人の姉がいる。みんなそれなりに元気で、上の三人の姉はすでに八十代、それでも主婦業は何とかこなしている。兄とすぐ上の姉は、まだ現役である。六十代の私が弱音など吐いていては叱られる。
 長女も四十二歳になった。中学一年生と四年生の腕白坊主の母親である。家庭だけではなく、金融関係でパートの仕事もしているので、朝は次男を送り出すとすぐに出勤するらしい。働き盛りの年齢でも無理は禁物、顔にも疲れが表れて、笑顔が消えてくる。
 同じような立場だった私は、娘が里帰りすると、疲れているだろうからと、上げ膳据(す)え膳で、孫たちの世話も一手に引き受ける。公園に連れ出し、野球やサッカーの相手をする。ただ最近は、中学生の孫がサッカー部に入ったこともあって、「おばあちゃんに怪我をされるとボクが困るから」と仲間はずれにされる。仕方なく離れて球拾いをしている。 
 
 取留めもなく話していると、ようやくコンソメスープに続き、サラダが運ばれてきた。レタスとラディッシュがふんだんに盛り付けられたサラダをまず食べる。サラダを食べ終わったころ、ちょうど良いタイミングでスパゲッティも出された。私はコレステロールが高めなので外食は控えているが、娘たちと一緒のときは気にせずに食べる。 
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三枚目
 長女は子どものころ食べるのが遅く、次女が先に食べて「おいしいよ、お姉ちゃん」と言うのを待つほど、慎重だった。給食も残さず食べるのに苦労していたようだ。中学生になって何でも食べるようになってから、背丈が伸びた。二児の母になってからは食べるのも早くなっている。
 しかし、その性格はしっかり上の息子に譲っている。まだ孫が幼かったころは、私が用意した初物を弟が味見をしてから食べていた。見かねて私が「おいしいから早く食べなさい」と促すが、母親ものんびりしたもので、読書に夢中で私に任せっきりだった。弟は、それでも兄には一目置いているので、兄の分まで食べ過ぎるようなことはなかった。
 孫二人を見ていると、長女と次女の関係が再現されているようで、おかしくなる。五年前に、はやばやと天国へ行った夫は、長女の用心深い性格は私にそっくりだと笑っていた。反論できなかったのは、姉や兄に何でもやってもらっていたからだ。小学校時代の短所は依頼心が強いことだった。今でも他人を頼る性格は直っていない。
 では次女はどうかというと、お手本になる姉がいるので、何にでも要領がよく、叱られることも少なかった。明るく場を和ませてくれたが、頑固な一面もあった。子育て中は取越し苦労もしたが、過ぎてしまえば、すべてが楽しかった。いろいろ思い出していると、長女が思いがけないことを口にした。
「新潟のおばあちゃんがね、何でも順繰りだから、育ててもらったように大事に育てなさいって、はがきに書いてあったの」
 そういえば、母はひ孫が誕生したときは九十歳を過ぎていた。誕生の知らせに喜びの手紙が届いた。私は娘が忘れずにいてくれることが妙にうれしくて、「おばあちゃんらしいわね」と、弾んだ声をあげた。
 母は亡くなってもう七年になる。
「おばあちゃんを見習わなくちゃね」
 娘が笑顔で頷いた。