ラジオ体操
           石川のり子

 
 毎朝、十分間のテレビ体操を日課にしている。
 六時二十五分(以前は三十分)から、レオタード姿の若いアシスタントを見ながら体を動かしていると、自分が体操選手になったような華やいだ気分になる。一日のスタートには、こんな錯覚も必要だ。スタイルのよい若い娘を脳裏に描いて、半日は過ごせるからである。
 朝型の私は早起きが苦にならない。ことに夏は日の出が早いので、五時には起きて、静かに雨戸を開けて、朝日を室内に入れる。熱帯夜で寝不足の頭でも、顔を洗って、新聞に目を通したりしていると、徐々に目覚めてくる。
 しかし、いつも順調な朝ばかりではない。夜更かしをしたり、体調が悪かったりすると、頭が枕から離れない。時間を気にしながらうとうとしていると、深い眠りに引き込まれそうになる。
「若くはないのだから、無理は禁物、そのまま寝ていなさい」
 一方では、自制心も頭をもたげる。
「サボっちゃだめ。強い意志をもって、自分の健康管理をしなくちゃね。きっと、お姉さんならこんな弱音をはかないわ」
 故郷の怖い次姉の顔が浮かび、気力をふりしぼって布団を抜け出す。口をすすいで顔を洗って、力の入らない形だけのみんなの体操を始める。だが、頭は重いのに次のラジオ体操のころは、手足が勝手に動いてくる。子ども時代に覚えた体操は、ピアノ伴奏がリズミカルで心地よく、号令までかけている。
 私のこの毎朝のテレビ体操は、七、八年前から始めている。みんなの体操は縁がなかったが、ラジオ体操は小学校の高学年になって、朝礼の後など教師のお手本で覚えた。正確には中学校の体育の時間に教わった。
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二枚目
 中学、高校の運動会は、必ずラジオ体操で始まった。運動のウォーミングアップとしては適していたのだろうが、毎回では新鮮味がなく、だれることもあった。でも、自然に身体が動くので気持ちが良かったことも確かだ。ブランクはあっても私のラジオ体操との付き合いは半世紀以上にもなる。
 忘れられないのが、小学校の夏休み中のラジオ体操である。神社の境内で上級生の号令に合わせて「第一」だけをやった。上級生も「第二」は覚えていなかったようだ。まだ子どもが多く、私の地区だけでも男女合わせて五十人くらいはいたが、当時は、携帯のラジオも時計も持っている家はなかったし、親も関心が薄かったので、三、四人しか集まらない日もあった。出席表の丸印だけはもらって得をしたような気分で帰ったこともある。出席表は休み明けには担任の教師に提出するので、できるだけ休まずに通った。だから、「第一」は身体が覚えていて、順番どおりに出来る。
 もう四十年も昔になるが、巡回ラジオ体操に参加したことがある。夫の実家に住んでいたころで、世田谷区の羽根木公園で開催された。幼い長女を連れての参加だったが、記念品の鉛筆を頂いた。壇上の講師に合わせて、ラジオであっても全員が緊張しながら体操したのを覚えている。四、五百人は集まっていたのだろうか。

 私がラジオ体操をするようになったきっかけは、次姉に発破をかけられたからである。現在八十四歳の姉は几帳面な性格で、ラジオ体操で身体を動かさないと一日が始まらないと言っている。小柄な体型なのに、風邪ひとつひかないと、いつも妹たちに自慢している。
 この姉は、よほどのことがないかぎり、日曜日にはバスに乗って、小一時間ほどかけて柏崎市の中心部にあるカトリック教会に通っている。車は運転しないし、自転車にも乗らないので、週一回の陶芸にも三キロほどを歩いている。一人暮らしで、健康に注意しているせいか、私より元気である。そのころ私は夫の看病疲れなどもあって、体調がよくなかった。「元気な秘訣は何なの?」と尋ねると、
「それなりの努力ね。あんたもラジオ体操しなさい。朝のけじめをつけると、一日が快適よ」
 と、勧められた。十五歳も年上の姉に負けてはいられない気持ちになっていたので、助言を素直に受け入れることにした。
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三枚目
 しかし、ラジオの前で一人でやるのはいかにも味気ない。新聞のテレビ番組表を見ると、同じ時間帯に教育テレビで、十分間のテレビ体操を放映していた。最初に「みんなの体操」をやって、その後でラジオ体操の「第一」と「第二」を日替わりでやっている。
「みんなの体操」は、画面のアシスタントに合わせて動いていると、難なく出来た。今まで自己流でやっていたラジオ体操も、正確な動きで行うと、背筋が伸びて気分もさわやかだ。
 次姉はラジオ党だからテレビのことは知らないかもしれない。長年聞いてきたラジオだから、急にはテレビには替えないだろうとは思ったが、近況報告を兼ねて電話をした。予想どおり、次姉は、
「テレビでもいいけれど、続けることが大事ですからね」
 と、先輩風を吹かせた。その後テレビにしたかどうかは聞いていない。ともあれ、これで私も体調がよくなったら、次姉の好物の高級なチョコレートを送ってあげようと思っている。
 だが、続けることは存外むずかしい。冬は夏と違って、暗くて寒い。体操の時間だからと、温かな布団から抜け出すのは勇気がいる。年の離れた姉や兄のいる末っ子の私は、甘やかされたせいか、意志薄弱の性格は、古希が近くなっても直っていない。それを自覚して、易(やす)きに付かないように自分を戒めてはいる。

 ところで、一週間ほど前、熱帯夜で眠れなかった私は、上野に向かう常磐線の列車の中で眠ってしまった。気づくと下車駅の「北千住」に停車している。慌てて下車した。夏休みで人出が多く、押されるまま、階段を上りかけた。まだ頭は覚醒していないせいもあって、足が動かず、前のめりになった。思わず、「あっ!」と大声を上げた。両膝と両手をついて無様な格好で転ぶだろうと観念した。同年代で転んで、顔に擦り傷をつけた友人もいる。ところが、自分でも驚いたのだが、無意識に体勢を整えることができたのである。しかも手もつかずにー。
 何事もなかったように階段を上った。醜態をさらさなかったことが私の心を軽くしていた。
 やはり、これはラジオ体操の効用だろうか。