音楽の効用     早藤貞二

 私は音楽が好き、と言っても、楽器がならせるのでもなく、歌がうたえるのでもない。ただラジオのFMや、三十年前、ローンで買った古びたステレオに耳を傾けて、クラシックや叙情歌を聴くだけである。
 それでも、その間は仕事のことも、世の中のことも、何もかも忘れて音の中に没入していて、心が休まるのだから、こんないいものはない、と思っている。
 どういう曲がいいのか、初めは何もわからないまま、ただ音を聴いているのであったが、ある時本屋で『名曲ガイド一〇一』(志鳥栄八郎著、音楽之友社刊)というのを見付けて読んでみた。そして、新聞や雑誌のFM番組案内をしらべて時間を合わせ、一つひとつカセットデッキにつないでテープに録音していった。
 「名曲」とあるだけに、何年か経つと一〇一曲が殆ど全部とれ、箱に収まった。そして、それをくり返しくり返し聴くことに努めた。そうしているうちに、自分の好きな曲がどれなのかが、分かったような気になってくる。
 年月が経つにつれ、好みはまた変わっていくものだ、ということも分かってきた。 例えば、ベートーベンは別格として、初めはメンデルスゾーンであったものがマーラーに、ショスタコビッチに、そしてグリーグに、という具合である。また、交響曲から協奏曲に、そして三重奏やピアノソロという変化もある。年とともに、静かなのがいい、と思うようになった。
 私の文筆仲間のMさんは、大のチャイコフスキー好きで、自分のペンネームを茶井幸介(ちゃいこうすけ)と名付けている。この式で云えば、今の私はグリーグに首っ丈なので、何という筆名で呼べばよいか。
 私は組曲というジャンルが好きで、グリーグには「ペール・ギュント」があり、いつもCD板で聞いている。北欧ノルウェーの峡湾(フィヨルド)から流れてくるソルヴェイグの悲しい調べが胸に響いてくる。その外に、サンサーンスの「動物の謝肉祭」、シューマンの「子供の情景」、ビゼーの「アルルの女」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」、リムスキーコルサコフの「シェラザード」なども好んで聞く。
 交響詩というジャンルもいい。例えば、スメタナの「モルダウ」、ドビッシーの「海」、中でもボロディンの「中央アジアの高原にて」が好きだ。レクイエムは、何といってもモーツアルトである。死という厳粛さに打たれる。
 協奏曲では、ピアノはラフマニノフ、チェロがドヴォルザーク、ヴァヨリンはバガニーニか。交響曲では、ベートーベンの七番、ブラームスの四番、ベルリオーズの「幻想交響曲」。     
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二枚目
 いずれも、好きな曲から、ちょっと頭に浮かんだものを、作曲者が重ならないように挙げたので、あてにはならない。一〇一曲すべてがすばらしいし、この外にも沢山の曲を耳にして感動をもらっている。クラシックは、これからも生きていく上で、なくてはならない支えになってくれるだろう。
 私は昭和五年生まれなので、六十三年まで、ほぼ「昭和」という時代とともに生きてきた。「歌は世につれ」という言葉があるように、流行歌はその時代時代をよく写している。 昭和が終わった当時、その時代を振り返る番組が多く流され、私はその一つひとつを感慨こめて聴いた。そしてテープに収めた。ときどきそれを取り出して、今もたのしんでいる。
 流行歌とちょっと違う分野に叙情歌がある。童謡や小学生唱歌というのもここに入る。 一時期、これらが盛んになった時があり、NHKでも二時間ずつ、ダークダックスの喜早哲さんらの司会で、何年にもわたって放送された。私はこれもテープ(30巻ほど)にとって、今も気が向いたとき聴いている。
 私はクラシックでも何でも演奏会に出掛けることは殆んどない。もっぱら家で音を聴いて楽しんでいる程度だ。歌手では男性が伊藤久雄さん、女性では賠償千恵子さんが好きでレコードも何枚か持っている。短歌雑誌の対話で、歌人の永田和弘さん(高島生まれ)が、相手に聞かれて笑いながら「さようならはダンスの後で」の頃の倍賞さんが好き、と云っておられたので、わが意を得たり、と感じたことがある。
 カセットとCD両方に入っている「音楽健康療法」(七巻)なるものを手に入れてから、もう十五年ほどになるだろうか。一巻ずつテーマがあって、例えば「ストレス解消の音楽」とか、「やる気の出る音楽」、「創造力を高める音楽」などである。 小鳥や水の流れなどの自然の音も随所に挿入し、テーマに応じたクラシックの小品を仕組んだもので、時に応じてよく聴き入っている。なにか生きていくための力になっているように思えるから不思議だ。音楽による、速効性をもった栄養剤みたいなものだろうか。
 一時は美術館めぐりもよくしたが、それも今は家で手持ちの画集を開ける程度だ。洋画よりも近代の日本画の方に興味がある。現在机上にあるのは『速水御舟』である。部屋の額には、北斎の「赤富士」と、これは洋画だが須田国太郎の「八坂の塔」が掛っている。
 小さな部屋の隅にステレオ、書棚の下部に画集が並んでいる。その中で細々と毎日を過ごしている。