おかげさまで
            角 千鶴


 秋の一日、中央アルプスを臨む長野県駒ケ根市に、疎開時代の恩師小川広司先生をお訪ねした。
 長い間ごぶさたしていた先生の消息を知らせてくれたのは、当時の級友智江(としえ)さんだった。近いうちにいっしょに駒ケ根に行きましょう、と約束しながら、二年をやり過ごしていた。
 あいにくの秋雨の中を、高速バスは新宿を九時半に出発した。途中、日野から乗り込んだ智江さんとの車中の三時間半は、旧交を温めるのに、またとない機会となった。
 二人が訪ねようとしている小川先生は、私たちが浜井場国民学校のころはまだ独身で、原先生と呼ばれておられた。先生の音楽に対する情熱はひとかたならず、敗戦後の混乱した時代に、子どもたちの心を徹底した音楽教育で培われたのだった。
 一人のとりこぼしもなくオルガンに親しめるようにと、先生が取り組まれた方法は、机上に広げた紙の鍵盤による指の練習だった。
 同行の智江さんは、飯田の高校を卒業すると、東京の国立音大へ進み、プロの音楽家の道を歩んだ。自分の音楽の原点は、原先生との出会いにあったと言う智江さんのことばに、先生に対する彼女のこよない尊敬と感謝の気持ちを私は感じていた。
 原先生は、ことし八十二歳になられる。数年前、脳梗塞(こうそく)を患われ、おみ足が不自由になっておられるものの、三年前に智江さんが会われたときは矍鑠(かくしゃく)としておられたそうだ。
     → 二枚目へ



二枚目
 伊那のインターチェンジから高速をおりたバスは、ほぼ定刻の一時半に、駒ケ根のバスターミナルへ到着した。晴天ならば、南アルプスも中央アルプスも見えるのにと、ほんの少しだけ残念に思った。
 仕事の合間をぬって、迎えにきてくださったご子息の車で、私たちは先生が昼間を過ごしておられるデイケアの施設に向かった。
 原先生とは、二年前に電話でお話している。しかし、お会いするのは、昭和二十一年にお別れして以来五十三年ぶりである。
 駒ケ根フラワーハイツと呼ばれる新しい三階建のデイケアセンターの入り口で、靴をスリッパに履きかえる。ロビーを通りぬけると、広いホールになっていた。係りの人に招じ入れられたホールには、車椅子にかけた十人ほどのお年寄りたちの姿があった。輪になって、タンバリンを鳴らしながら、
「秋の夕日に/照る山もみじ/濃いも薄いも……」
 と、静かな声で歌っておられる。
 ご子息が、一人の男の人の車椅子に小走りに駆け寄り、こちらへ向きを替えようとされたとき、「原先生!」と、智江さんが小さな声を上げた。私が、「先生、しばらくでございます」と、近づいてあいさつすると、明るい薄茶色のツィードのジャケットをお召しの先生は、足をかばいながら、椅子から立ち上がられた。頬がほんのりとよい色をして、お元気そうにお見受けした。「やあ、しばらくだね」ということばを予測していた私の耳に、いきなり入ってきた先生のことばは、
「面影がないなあ、外で会ったらわからんなあ」
 であった。目を大きく開いて、しばらくじっと私の顔を、それこそ穴があくほど見ておられたが、それが笑顔に変わると、「よくきたね」と、言われた。
     → 三枚目へ



三枚目
 原先生のなつかしい笑顔であった。髪も眉(まゆ)も白くなっておられたが、あのころと変わらない特徴のある太い眉毛に、往時のお姿が彷彿(ほうふつ)とした。
 ホールの片隅の椅子に腰をおろし、あふれでる思い出を交互に語る智江さんと私に、先生は背筋をのばした姿勢で耳を傾けておられた。ときおり私たちの記憶があやしくなると、助け船を出された。
 駒ケ根市は、福祉の行き届いた町だそうである。週三日、先生はリハビリをかねてセンターにこられる。入浴のサービスと昼食とおやつがでて、一日七百円だと言われた。
 私たちが、先生と二時間ほどお話している間、若い看護士やヘルパーさんが、入れ替わりで紙芝居をしたり、ゲームをしたりと世話をやいておられた。体調のわるい人は、ベッドに横になることもできる。うすいピンクの制服の若い人たちの爽やかな動きで、部屋には活気があった。
 ゆっくりと、ひとつひとつのことばを確かめるようにして、先生はこう言われた。
「ぼくはね、ここへ来るようにしたことをよかったと思っていますよ。みんな、ぼくより具合の悪い人たちです。けれども、お元気ですか、とだれかに声をかけられると、どの人もかならず、『おかげさまで』と、答えます。おかげさまでーーなんと、よい響きだろうね。ぼくは、この日本語が大好きだ。目に見えない、何かに対する感謝の気持ちがこめられているんだよね」
 二時間は、またたく間に過ぎた。今日こられなかったもう一人の級友琴恵さんと三人で、新緑のころまた伺うことをお約束し、握手して先生に別れを告げた。
 外へ出ると、雨はあがっていた。雨で洗われたドウダンとカエデが、たとえようもない鮮やかな真紅の姿を見せていた。
    (『夢を売る店』より)