おじいちゃんの花
          羽田竹美


 私が物心ついて最初に体験した人の死は、祖父であった。生まれたとき、父は出征していて祖父が父親がわりとして私をかわいがってくれた。いつも長火鉢の前にいる祖父の胡坐(あぐら)の中に入っていたし、一緒に眠った。冷たい足を、祖父の両足の間につっこむと、
「おー、ひゃっこい」
 と、言いながら暖めてくれた。
 小学校四年生の一月三日に祖父は死んだ。喉頭ガンで何にも入らなかったがお酒だけは喉を通った。それだけお酒が好きだったのだ。少しでも長く生きて欲しくて、お酒を隠したり、買ってきたお酒をとりあげて怒らせたが、今思うとかわいそうなことをしたと哀れでならない。
 死ぬ一週間前まで私は祖父のとなりのふとんで眠っていた。しかし、いくら気丈な人でも死期が近づいたと感じたのだろう、母にとなりに寝て看護してほしいと頼んだらしい。あるいは母が私を別の部屋に寝かせたのかもしれない。
 いつまでも生きていてくれると思っていた私の盾であり、隠れ場所であった祖父が、あっけなく逝ってしまうと、私の心にぽっかりと穴があいた。守ってくれるものがなくなり丸裸になった。兄弟喧嘩をしても、逃げこむところがなくなった。父に叱られても、かばってくれる人がいなくなった。
 葬儀が終わり、小さなお骨になった祖父が置かれている祭壇の前に寝ていた私は、毎晩布団の中で声を殺して泣いた。
「おじいちゃん、なんで死んじゃったの」
 年寄りっ子は三文安いと言われているように、私はやはり甘やかされて我が儘な子どもであったようだ。それに気づくまでにはかなりの悲しみと、時間を費やしたようである。
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二枚目
 祖父は終戦後の食糧難の時代、畑に作物を作って子沢山の家族の胃袋を満たしてくれた。私はいつも畑に行く祖父について行った。畑仕事をしている祖父の傍らで、チョウチョを追いかけたり、バッタをつかまえたり、花を摘んだりして遊んでいた。野菜の花を教えてくれたのも祖父だった。ゴボウ、ゴマ、ソラ豆、ニラ、カボチャ、スイカ、ナス、キュウリ、トマト。
 祖父がかわいがっていた猫が行方不明になりあちこち探していたら、線路の土手下に死んでいた。電車にはねられたのだろう。祖父は涙を隠して畑のかたわらに埋めた。私も黙って手伝った。あのときの重苦しい沈黙が今も心の隅に残っている。
 終戦後の食べ物がないとき、土は何か食べ物を作るところであった。耕せるところにはどこでも作物を作った。庭もあちこち掘りかえされ畑になった。
 昭和も二十五年ぐらいになると、少しずつ日本は安定してきて庭の畑は母が好きな花を植えられる余裕が出てきていた。それでも祖父は、
「食えねぇ花なんて、くだらねぇ」
 と言うのだと、母は嘆いていた。
 その祖父がひとつだけ花を植えたのだ。物干しの日の当たる柱の下に、紫色の花が咲いている植物を植えているのを私は見ていた。
「なんていうお花?」
「シラー・・・」
「ふうん」
 祖父がどこかでいただいてきた花なのだろう。私は「おじいちゃんの花」として祖父といっしょにお水をやっていたようだ。「花なんてくだらねぇ」と言っていた祖父が植えた花を、母はどこからもらったか、などいっさい理由も聞かず、大切にしてくれていた。
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三枚目
 祖父は私の兄弟にとってはとてもこわい存在だった。めったに笑わなかったし、ガミガミとよく小言を言っていた。私にはあんなにやさしいおじいちゃんなのにどうして兄弟にはきびしいおじいちゃんなのかわからなかった。今でも兄弟たちで祖父の話になると、「こわかった」とみんなが言う。笑った顔を見たことがないなどと言っていたが、一度、何かのとき、祖父が笑ったことがあった。私が大声で、
「おじいちゃんが笑った!」
 と言ったら、それがおかしいと両親も兄弟たちも大笑いし、祖父はバツの悪そうな顔をしていたのを思い出す。
 そんな祖父だったが、お金のない人にはお金を融通してあげていたそうだし、困っている人にはなにかと手を差し伸べてあげていたらしい。私がそろばん塾に行くようになったのも、祖父が助けてあげたそろばん塾のおじさんが、
「せめて、お礼にお孫さんをよこしてください」
 と、言ったそうだ。それで、私は三年生から六年生まで祖父のためにそろばん塾に通わされていた。
 祖父が亡くなってからはじめてそろばん塾に行くと、おじさんとおばさんが、
「竹美ちゃん寂しくなっちゃったねぇ。あんなにかわいがっていなさったものねぇ」
 と、慰めてくれたのが辛くて、涙がこぼれないようにぎゅっと目をつぶった。
     ○
先日、園芸会社のカタログを見ていたら、「おじいちゃんの花」が載っていた。シラー・ペルビアナという花であった。
 紫色の小花がたくさん集まって咲いているこの花の前にしゃがみこんで、
「おじいちゃん」
 と、涙ぐんでいる小さな少女の姿が見えてきた。