お化け屋敷
海老原英子
ケリー(小型犬)と早朝の散歩を始めてから三年になる。
毎朝、薄暗くて周囲の景色がはっきり見えないころに家を出る。
歩きながら、私は両手を思いっきり伸ばして深呼吸をする。新鮮な空気が体の隅々まで行き渡り、細胞が活性化されて、それだけで一日が元気で過ごせるような気分になる。
私の楽しみは、東の空が茜(あかね)色に染まり始めると、まわりの木々が影絵のように浮かびあがり、太陽が昇るとともに各々の色に変化していくその景色の美しさを目の当たりにすることだ。
散歩コースは、東に向かってまっすぐに続く緑道から公園の野球グランドまでの二十分間だ。ケリーとジョギングでグランドを二周する。次はボール遊びをする。それから、最新建築の立ち並ぶ新興住宅街を通り抜け、地元の大きな古い屋敷が並ぶところを通って家に帰る。犬が相手なので道草が多く、所要時間は約一時間だ。
三か月ほど前、いつものコースを逆に歩くことにした。
ケリーは最初、戸惑った様子だったが、自分の匂いが残っているらしく、いつものように前に立って歩き出した。私は、今までとは反対から見る景色に新鮮な驚きを感じ、注意深く観察しながら歩いた。
途中にある一軒の古びた屋敷は、誰も住んでいないと決めつけていた。ケヤキやサクラなどの落葉樹の大木のほかに、スギやマツ、キンモクセイなどの常緑樹がうっそうと茂って、家を覆い隠していた。
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二枚目
屋敷の近くに来ると、何か不気味なものを感じた。足早に通り過ぎようとしたとき、戸が開いたような微かな音がした。
振り向くと薄暗がりに、白髪の小柄な老女が立っていた。それは、とてもこの世の人とは思えなかった。私は心臓が止まりそうになった。体じゅうの血の気が引いていくような気がした。私を守ってくれるはずのケリーは吠えないで、いつもと同じように木の根元に臭いづけをしている。急いでケリーを抱き上げた。暖かく柔らかな犬の感触が、私の心を落ち着かせてくれた。
立ちすくむ私に向かって、老女は近寄って来た。私は、「お化けやゆうれいがいるはずはない。怖がるな」と、自分に言い聞かせた。
老女は、門扉にぶらさがっている新聞受けから新聞をとって、私には気づかない様子で家の中に消えた。
家の近くの公園まで来ると、地域の情報に詳しい犬の散歩仲間がいたので、今あった出来事を一部始終話した。彼女は、
「お化け屋敷のこと? 実は私もなの」
と、笑った。彼女によると、ほかにも何人かが恐ろしい経験をしていて近寄らないのだという。そういわれてみると、あの屋敷の壊れぐあいからすると、同居人は考えられない。暗がりにひっそりとたたずむ老女が気の毒になってきた。
一年ほど前、近所の女性(六十歳)が孤独死した。死後、一週間たって、不審に思った隣家から交番に届けがあり、やっと発見された。彼女は、近所づきあいがなかったので、警察官の聞き込みにみんなが答えられなかった。朝晩の挨拶程度で、無口な彼女と進んで話をしようとはしなかった。事故死を知ったとき、私は無関心だったことを深く反省した。
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三枚目
それからは、独り住まいの高齢者のボランティアをしたいと考えていた。にもかかわらず、現実のこととなると、怯んでしまう自分がまったく情けなかった。
彼女と私は、
「明日の朝、あの家の通りへ行って、お婆さんに声をかけてみましょうよ」
と、約束した。
翌朝、新聞を取りにきた老女に私はさりげなく、
「おはようございます」
と、声をかけた。白い浴衣姿の老女は、静かに私たちを見ただけで何も答えず新聞を手に家に入っていった。その後ろ姿は、とても寂しそうだった。
私が老女を見たのは、それが最後だった。
次の日も、その次の日も行ってみたが、ついに会うことはなかった。
それから半月後、あの屋敷の大木が伐採された。家も取り壊され、整地された。長いあいだ陽の当たらなかった地面に、朝日が降り注いでいた。
もう知るすべはないが、あの老女はどうされたのだろうか。
数日後、「大和分譲地」の看板が立てられ、八つの宅地に区画されて売り出された。四月から消費税アップの影響もあってか、すぐに買い手がついたようだ。
新年に入って、三軒の住宅建築が急ピッチで進められている。
(『芽吹きのとき』より)