早藤貞二


 仕事を終わって、建物の二階にある事務所を出た。階段を下りようとしたら、小猫が一匹、一段一段と上がってくるのが目に入った。夜も遅いので、すぐに電気が消え、ビルの出口も閉じられてしまうだろう。猫が二階へ上がっても、冷え冷えとしたコンクリートの床の上を一晩じゅう、うろついていなければならない。
 私は、とっさに足先で小猫を追い、一段一段階下へおろし、庭へ出してやった。
 玄関のドアを閉めて外へ出ると、どこから来たのか、大きな猫が道路を横切り、暗い木立の間へ入っていくのが見えた。と同時に、小猫の鳴く声が聞こえた。 
 私は、小猫をおろしてやってよかった、と思った。小猫がビルの中に閉じ込められたら、母猫は一晩じゅう小猫を探しまわっていたことだろう。

 私は、学生時代に、大津の町で下宿をしていたことがあった。下宿の家では、猫が二匹飼われていた。母子の猫であった。
 私は犬は好きだったから、里でも飼っていたことがあったが、猫はあまり好きではなかった。
 ところが、冬の夜など、私は机に向かって読書をしていると、障子の破れめから小猫がちん入してきて、私の膝に上がってきた。
 熊やライオンでも、赤ちゃんのときはとってもかわいい。小猫が毎晩のように私の膝にのってきて、うとうと眠ってしまうのを見ると、なんだかいじらしい気持ちになった。
     → 二枚目へ



二枚目
 家主さんには幼稚園に通っている女の子がいたが、彼女も毎夜私の部屋へやってきて、絵本を読んでほしいとせがむのであった。
 就寝の時間になって母親が呼ぶと、彼女は、絵本をいっぱい散らかしたまま、母屋の方へ行ってしまうのであった。
 小猫の方は、障子の向こうの暗い土間で母猫が鳴くと、どんなに眠りこんでいても頭をもたげ、目を開き、耳をそばだてる。
 それから、素早く私の膝をけって畳へとび下りると、障子の破れめから土間の方へ駆け抜けていくのであった。
 ある晩のこと、私の寝ている布団の中へ小猫が入り込んできて、いっしょに眠っていたことがあった。
 夜中に、障子の外で、母猫の鳴く声が聞こえた。小猫はすぐに目を開け、床を抜け出し、暗やみの中を土間の方へ走った。
 私は電気をつけて、そっと障子を開けてみた。うす暗い土間に魚の骨が散らばり、小猫がいっしょうけんめいそれを食べていた。
 母猫はかたわらに立って、じっとそれを見守っているのである。彼女は私の方をチラッと見上げると、やにわにすさまじいうなり声をたて始めた。
 大きな虎斑(とらふ)の猫だったので、私はびっくりした。すぐ障子を閉めると、布団にもぐりこんだ。
 母猫はどこからか取ってきた魚の骨を、自分は食べないで、子どもに食べさせていたのである。私という外敵から子どもを守るために、身を張って私を威嚇したのである。
 私は猫の母性愛をまのあたりにして、非常に心を動かされた。
 しかし、その母猫があんまり大きくなり過ぎたので、家主が嫌になったらしい。
     → 三枚目へ



三枚目
 ある日、上の男の子が母猫をみかん箱に入れ、風呂敷に包んだ。そして、電車に乗って幾駅も離れた場所に捨ててきた。
 ところが数日たってから、その母猫の姿を庭に見いだしたのである。そのときには、みんな息をのんで驚いた。
 猫は飼い主を慕ったというよりも、残した小猫のことを気遣い、何日間もかかって見知らぬ遠い道を戻ってきたに違いない。そう思うと、私の心は痛んだ。
 宮沢賢治の名作『セロ弾きのゴーシュ』に三毛猫が登場する。
 音楽会を控えて夜通し練習をしていたゴーシュに三毛猫がトマトを持って慰めにやってきた。疲れきってどなりつけるゴーシュに、シューマンのトロイメライを弾いてほしいとたのむ。
 猫の外に、かっこう、たぬき、野ねずみなどが出てきて、いろんな曲を弾かせた。おかげでゴーシュのセロはすばらしい上達をみせ、音楽会は大成功をおさめたのである。
 動物も植物も、そして人間も、生きとし生けるものすべてが仲間であるという生き方をめざした、賢治らしい作品である。
 自分の赤ん坊をコインロッカーに捨てたり、金めあてに子どもを誘拐して殺したり、毎日のように暗いニュースが新聞に報道されている。
 また、空や水を汚し、山林を山はだかにしているのはだれか。
 私たちは、猫から教えられることが多いのではなかろうか。