夏からのプレゼント
竹田朋子
この夏( 二〇一〇年)は、少し体調を崩してしまった。体中がだるく、胃が重苦しくて何だか頼りない。猛暑のせいばかりではなさそうだ。
五月初孫の誕生に始まり、里帰り出産の娘の帰省、家業のカフェヘの体験学習の生徒の受け入れー。心身共に嬉しい慌しさが続いたせいかもしれない。
だが、いちばんは、「そろそろ自分の体を大切にしなさい」との神様からの警告のような気がする。
体調を崩してから不思議なことに、とんでもないもの(?)が食べたくなった。餡(あん)このものだ。
別にとんでもないことはないが、私にしてみると、こう表現したいほど意外であった。
いままでは、おまんじゅうやあんパンは、買ってまで食べたいとは思わなかったが、なぜか無性に恋しい。体が要求しているのだろうか。
タイミングよく、息子夫婦が酒まんじゅうを手土産に初孫を連れてやってきた。何て間がいいのだろう。早速二つをペロリ。体が喜んでいる。
餡こ願望はその後も続き、お隣のコンビニに出向き、あんパンの棚にまっしぐらに進む。本当は大手のパンより、店内製造の手づくりパンが食べたいのだが、そんな贅沢はいっていられない。
なるべくシンプルなあんパンを選ぶ。手にしたのは、何やら外皮にこだわりがあるものと、四こ入りのミニあんパンだ。
早速、頬張る。こだわり系は予想どおりに、あんこが少し酸味のあるような複雑な味で、体が受けつけない。よくよく胃が疲れているのだろう。
ミニあんパンは、シンプルなあんこで、これならと、以後何度も購入した。
昼間のテーブルの上に、あんパンが鎮座しているのを目にした娘は、
「お母さんが、あんパンとはねぇ……」
と、大きなお腹に手をやり、腑におちないような声でいう。
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二枚目
私はパンが大好きで、外出するとパン屋さんの前を素通りできない。シンプルな食パン、バターロール、クロワッサンに手が伸びる。
あんパンは敬遠気味の私が、毎日恋こがれているのだから、娘の怪訝なようすも無理はない。
彼女はさらに、「ほんとうに疲れたときは、私も餡このものが欲しくなるわ」と言う。
あずきは確かに体によいらしい。
湯本貞一著『吉兆味ばなし』に、おいしいあずきの煮かたが丁寧に記されている。
恥ずかしいことに私はいままで一度もあずきを煮たことがない。
あんこ作りは母の領域で、お彼岸やお盆にはいつもおはぎを作ってくれる。ほどよい甘さは自家製にかぎる。
それをよいことに母に甘んじていたが、今回は無性に自分で作りたくなった。
先ずあずきを購入して、本の説明に従ってゆっくり煮ること約三時間。ざらめを使用したすばらしい(?)煮あずきが完成した。
本によると、おつゆがたっぷりでおつゆを吸いながらあずきを食べるのが、ぜんざい。おつゆがなくて、こってりしたものが亀山というらしい。
私が作ったのは、少しおつゆのあるぜんざい風、といったところだろうか。母も娘も「おいしい」を連発してくれた。
今回、あずきを煮たくなったもうひとつの理由は「まちがっても、塩は入れません」と本に記されていたからでもある。理屈抜きに、この一言に惹かれた。甘いものに少しの塩を入れることに、私は抵抗があるのだ。
あんこのものには、やはり日本茶が合う。以前は見向きもしなかったこの取り合わせを美味しいと思えるのは、体調のせいばかりではないだろう。加齢ということだろうかー。
九月に入り、ようやく体調が回復した。
あずきの美味しさに目覚めたのは、夏から私の体への、いたわりのプレゼントだったのかもしれない。