コタロウとサクラ
              羽田竹美


 庭仕事が今日も出来なかった。
 朝の家事を終えて、今日こそは冬の間、寒さでだめになった鉢物の整理や植え替えをしようと、作業着に着かえて外に出たのだった。玄関を出て、私の部屋の前まで来ると、濡れ縁から猫が飛び下りてさっと縁の下にもぐりこんだ。昨日来た猫であった。
「あっ、ごめんね。今朝も来たのね」
 私は急いで家の中にもどった。猫の餌のドライフードをお皿に入れて、サッシの戸を開けて、
「サクラ、サクラ、おいで。大丈夫だよ、食べなさい」
 なんで「サクラ」なのだかわからないが、とっさにそんな名前がとび出た。濡れ縁に置いてそっと戸を閉めると、一分もたたないうちにガラス戸に猫の影がうつった。お腹がすいていたのだろう、夢中で食べている。
 この猫が来たからには庭への通路は通れない。私が庭を歩き回ったらサクラはゆっくり眠れないだろう。せっかくよいねぐらを見つけて静かに寝ているサクラが不憫で今日の庭仕事をあきらめた。
 昨日の午後であった。よく晴れて暖かになったので庭仕事をしようと外に出た。冬、何も出来なかったのでやりたいことは山ほどある。まず白いアジサイを鉢から抜いて地植えにした。足の不自由な私には穴を掘るのも一仕事である。やっと鉢から抜いて掘った穴に植えると、足が攣(つ)ってしまった。少し休もうと家に入ろうとしたとき、私の部屋の前の濡れ縁に置いてあるダンボール箱から猫が飛び出して縁の下に逃げこんだのだ。この箱は四年前の晩秋、一匹の猫が私の部屋の前の濡れ縁にうずくまっていた。お腹をすかしたノラ猫らしい。私が飼い猫のアリスの餌として買ってあるドライフードをお皿に入れてやると、猫はガツガツとむさぼるように食べた。
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二枚目
 それからたびたび濡れ縁にうずくまっているので、寒さを防ぐようにダンボール箱でねぐらを作ってやった。雨に濡れても堪えられるようにビニールで覆い、中に使い古したバスタオルを敷いてやった。
 この猫は飼われたことのないノラ猫らしく警戒心が強い。ねぐらにはすぐ入ってくれたが、近づくとファーと威嚇する。そこでこの猫をファア子と名づけ、庭にやってくると餌をやっていた。
 そのうちに可愛がっていた猫のアリスが死んだ。その後まもなく庭にやってきた白黒の雄猫のコタロウも常連さんになった。
 ある晩、庭で猫の壮絶な闘いが繰り広げられた。コタロウとファア子の闘いであった。雌猫だと思っていたファア子が雄だったとは驚きであった。長い闘いの末、コタロウが勝利し、ファア子は追い払われてしまった。翌朝の庭にはたくさんの毛が風に舞っていた。
 コタロウは自分の縄張りであるこの庭を見回りがてら現れて私の与える餌を食べて去っていく。私が名づけたコタロウという名前を気に入ったらしく、
「コタロー」
 と大声で呼ぶと、どこからともなくやってくる。お腹がすいて濡れ縁にきても声を出さないでひたすら私が気づくのを待っている。ニャーニャーと鳴いてくれればすぐに気づくのにと奥ゆかしいコタロウが歯がゆくなる。声が出ないのかとも思ったが、あの闘いのときにはすごい声を出していたからなんとも不思議であった。
 今年の元日の朝、少し遅くまで寝て目が覚めると、リビングのガラス戸に黒い影がうつっている。ガラス戸を開け、
「あらっ、コタロウおめでとう!」
 と、声をかけると、コタロウははっきりしたかわいい声で、
「ニャー」
 と応えた。
「あらっおまえ、声が出るんじゃないの」
 私は驚き、うれしくなった。元旦にきちんと挨拶してくれたのである。声はそのとき一回で未だに二回目は聞いていない。
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三枚目 
 コタロウは気まぐれで毎日現れないが、朝晩現れたり、一日一回というときもあるが、来るとリビングの濡れ縁で静かに待っている。
 ファア子を追い出したコタロウはファア子の匂いの残っているダンボールのねぐらには決して入らない。
 昨日午後三時ごろねぐらに入っていた三毛猫は、ドライフードも食べないでずっと眠っていた。はじめ、ファア子が帰ってきたのかと思ったが、よく見ると尻尾がまん丸でファア子のように段だら模様の長い尻尾ではなかった。ねぐらからこちらを見た顔は目がまん丸でかなりの美型である。女の子だとするとコタロウは追いとばしたりはしないだろう。まだコタロウはこの猫の存在に気づいていない。
 五時ごろに見るとドライフードは食べてあって三毛猫はいなかった。そして、六時近くになって、そろそろカーテンを閉めようとサッシ窓に近づいたとき、コタロウが濡れ縁に寝そべっているのが見えた。今日はずいぶん遅いお出ましだなぁと思いながらドライフードに猫缶を混ぜてやった。コタロウはこのごろ贅沢になってドライフードだけだと、「これじゃあいやだ。缶詰も入れてよ」と言いたげな顔をして私をじっと見るのだ。そのしぐさも今の私にはかわいくてたまらない。
 夕方遅かったので二匹は遭遇していない。コタロウに合った名前なら日本的な名前をと考えているうちに「サクラ」と自然に口から出たようだ。私の独りよがりでコタロウとサクラを一緒にしようなんて、まったく勝手な・・・と、ひとりで笑ってしまった。
 サクラはいつまで来てくれるかわからない。また、ぷいと来なくなるかもしれない。ノラ猫というものはそういう気ままなものなのだ。
 それでも、二匹の猫が庭に来てアリスを失った悲しみの穴を埋めてくれているのがうれしい。
       ○
 アリスのお墓の上にある白木蓮の梢には例年より一週間遅く白い花が咲きはじめている。