小紋の着物
           石川 のり子


 半年ほど前のことである。着て出かけた江戸小紋を、吊るしておいた衣紋掛からはずし、たたみに広げた。埃(ほこり)を払うブラシを手に、裾(すそ)を裏返すと、擦り切れているのが目にとまった。ちょうど足袋(たび)の当たる二箇所で、幅が五センチほどだった。私は普段着が洋服なので、着物の裾が擦り切れるほど長く着たことに、ある種の感動を覚えた。
 この江戸小紋は、四十数年前、茶の湯の先輩のAさんに勧められて、私が初めて買った着物だった。茶色の濃淡のある生地に、小さな幾何学模様が黒の細い線で描かれている上品な柄(がら)で、母なら似合うだろうなと思った。
「反物で見るより、仕立てると見栄えがしますよ。年をとっても着られるし、私がほしかったんだけど、訪問着と天秤にかけて、あきらめたの。両方は無理だから」
 Aさんもほしかったと聞いて、私はその場で買うことに決めた。
 四十数年間にはいろいろな出来事があり、先生も先輩もすでに鬼籍に入られた。しかし、畳紙(たとうがみ)から着物をとり出すとき、当時の教室のにぎわいや会話までも思い出されて、心がはずんだ。
 たしかに、江戸小紋は若かった私には地味だったが、締める帯によって、ちょっとした食事会や隣組のお茶のもてなしに、着ていく洋服の心配をせずにすんだ。年配の方には「すてきな柄ですわね」と、ほめられることもあった。
 単純に考えて、一年に二、三回着たとしても、四十数年では百回以上は身につけたことになる。大股で歩いたり、走ったり、車を運転したり、茶室でも立ったり座ったり、足さばきも乱暴で、裾の裏地をいたわることなど思いも及ばなかった。今までよく耐えてくれたと、感謝したい気持ちになった。
 好きな小紋だから縫い直してでも着たい。同居していた伯母は一年じゅう着物で通した人だったが、よく縫い物をしていた。高齢になってからも、身につけるものは、肌襦袢(じゅばん)でも半襟(えり)の付け替えでも、何でも自分でしていた。
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二枚目
 伯母ならば裾を切って自分で直すだろうが、私には無理だ。高校時代の友人が着物を縫っていたので電話をかけると、もう目が悪くなって細かい仕事はできないという。呉服屋を紹介してもらって、お願いした。
 さほど日数を経ずに、金額もほどほどで、小紋は出来上がった。まるで新品のようでうれしかった。これからもこの江戸小紋を着るたびに友人知人を思い出すことであろう。新しい出会いもあるかもしれない。まだまだ大切に着たいものである。

 私にはもう一枚、大事にしている花柄の小紋がある。結婚したばかりのころ義母(はは)にプレゼントしてもらったものである。
「今はすこし地味だけれど、年をとってからも着られるから柄だからー」
 義母はそう言って義父の転勤で移り住んだ名古屋から仕立てた着物を持ってきてくれた。義母も真夏の暑いとき以外は和服を着ていたので、私のタンスに着物が少ないことを知って、出入りの呉服屋に注文してくれたのである。
 当時の私は、卒業式には振袖を着て華やかな雰囲気に酔ったが、それほど着物に関心がなかった。卒業しても新潟に帰らず、О学園に職を得て自活をしていたので、着物を買う余裕などなかった。母に縫ってほしいなどとも言い出せなかった。
 義母の作ってくれた小紋は、汚れが目立たない肌色の地に細かい茶色の点描がほどこされていた。柄は二センチほどの紅、紫、青、緑など色彩を抑えた花が山や川とともに描かれていた。どんな色の帯でも合わせられた。
 長女のお宮参りにはこの小紋のうえに、呉服屋で染めてもらった黒と赤の亀甲模様の道行を羽織った。帯の結べなかった私は、同居していた伯母の手を煩わせた。家でも外出するときでも洋服を着ることのなかった伯母は、着物のベテランだった。末っ子で依頼心の強い私は、伯母が八十九歳で亡くなるまで、着付けを手伝ってもらっていた。
 伯母はおたいこの形にこだわって、納得すると私の背中を鏡に向けて、「どうですかねえ?」と言い、「自分で結ぶのは易しいけれど、他人に結んであげるのは難しい」と、つぶやいていた。
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三枚目
 花柄の小紋も四十数年にはなるから、裾が切れているかもしれない。江戸小紋ほど頻繁には着ていないが、裾が気になって着物を出してみた。やはり、擦れて足袋に当たる部分の色が変わっていた。すぐではなくても直さなくてはいけない。
 衣紋掛に吊るしてしばらく眺めていると、四十年前の小紋には見えない。色も褪せていない。小学校の入学式に黒い絵羽織を着て、長女と手をつないで出席したことを思い出した。今、中学生と小学生の男子の母になっているのが信じられない。
 久しぶりに花柄の小紋を身につけて、お茶の稽古に伺った。先生は、
「綺麗なお召し物ですね」
 と、おっしゃった。モスグリーンの帯を締めていたので、場違いなほど目立つとは思わなかったが、いつも身につける和服とは違ったのだろう。
「若いころのもので、ちょっと派手なのですが、風を当てたいと思いまして、着てみました」
 と、私は率直にお答えした。
「小紋はいいですね、華やかですもの。最近は、年齢に関係なく、お好きなものを着ていらっしゃいますね。それでよろしいと思いますよ」
「義母には帯を結んでもらったりしてましたから、この着物にはたくさん思い出があります」
 男の子がふたりだった義母は、私を鏡の前に立たせて、
「他人に結んであげたことがないから、自信がないけど、あなたも自分で結べるようになるといいわね」
 などと言いながら、無知だった私に教えてくれた。そのころ私は、七年間ほどだったが、夫の実家で暮らして、いろいろ学んだ。
 
 暑くなって、単物(ひとえもの)の季節になった。花の小紋も江戸小紋と同じように呉服屋に仕立て直してもらおう。思い出の詰まった小紋だから、いずれ天国に旅立つときに、娘に頼んでもたせてもらおう。義母や伯母に「大切に着ましたよ」と、見せてあげたいから……。