家族の知らない私の時間
             石川のり子


 高校時代の旧友との旅行が、今年で二十回になった。年に一度だから二十年にもなる。旅行の案内は、前年に幹事が決められ、十月になると知らせが届く。
 七人の同級生は、万難を排してと言いたいところだが、仕事や家庭を優先しての参加である。三人のときも四人のときもあったが、平成四年から平成二十四年の現在まで、途切れることなく続いている。
 ちなみに平成四年の初回は、竹芝桟橋から船に乗って、七千五百円のランチを食した。このときの呼びかけ人は、練馬区(東京)在住のJ子さんで、六人が集まった。彼女はランチ前の挨拶で、「卒業して三十年になるので、ふるさと柏崎の海を思い出しながら、仲の良かったみんなと楽しいひと時を過ごしたいと思います」と、学生時代の律儀な面を見せた。彼女は美大に進み、友禅染の仕事をしていた。
 私はそのころ、長女が就職したばかり、次女が大学生で、私自身も仕事をしていたので、時間にゆとりのない生活だった。同級生に会ってふるさとの匂いをかいで、たまにはのんびりした心境になりたいと、参加を申し込んだ。
 集まった友は、立派な中年になっていた。目じりに皺を刻み、おしゃれをしていてもどこか野暮ったさが感じられた。都会人になりきっていないところに、私たちは共通点を見いだした。すっかり忘れてしまっていた新潟の方言もとびだし、心が和んだ。
 しかし、まだ五十歳前の子育ての最終段階にさしかかった時期で、愁眉を開いて語り合う心境になっていなかったようで、再会を喜んだものの次回の約束はなかった。
 案の定、一泊旅行の次回は、参加者が三人。幹事の喜多方市(福島)に住んでいるY子さん宅を訪れた。ご主人が単身赴任していたので、深夜まで気兼ねなく話した。受験生の末の息子さんに「近所にまで聞こえるよ」と注意され、声を潜めた。
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二枚目
 ご主人が浮気をしている可能性があると悩んで参加した友に、遠慮のない助言をしたのだが、話すことですっきりしたのか、いつの間にか旧(もと)の鞘(さや)に収まって解決していた。なにしろ一年に一回しか会わないので、何を話しても尾を引かないのである。
 三年目は私が幹事で、箱根を案内した。「風景はテレビでよく見るので、ぜひ行きたかった」と、仙台からも名古屋からも新幹線でやってきて、全員参加の七人だった。お天気に恵まれて紅葉した彫刻の森美術館を気持ちよく歩いた。
 翌年は日光、翌々年は寸又峡、伊東、修善寺、河口湖と続き、山中湖の大学寮を宿泊先に選んだこともあった。
 そして、だれの提案か十回参加したら、ささやかな記念品が頂けることになり、私は娘の結婚や孫の誕生、母の死などで不参加の年もあったが、スパリゾートハワイアンズ(福島県)の売店で買った、小さな写真立てを二つ頂戴した。私の部屋に母の写真と家族の写真を入れて並べて飾ってある。目にするたびに情景が浮かんでくるので、目的は十分果たしている。

 さて今年だが、幹事のC子さんが名古屋在住なので、犬山城と名古屋城と徳川美術館を案内したいと通知があった。
 私は、夫の父が名古屋に転勤していたこともあって、何度か訪れていたが、四十年も昔のことなので、楽しみにしていますと、メールを送った。旧友たちとの一泊旅行は、すでに年中行事になっているのだ。
 東京駅から新幹線の「ひかり」で、二時間ほどで名古屋駅に到着する。関東地方に住む私たち五人は、九時四十五分にホームで顔を合わせた。
 気心の知れた者同士、顔を見ればお互いの精神状態も健康状態もわかる。たとえ暗い顔をしていても、参加できたのだからと、深く問いかけたりはしない。ただ「元気にしていた?」と声をかけるだけで、すぐに昨日の続きのような会話になる。
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三枚目
「何時に家を出たの?」
 鉾田市(茨城県)や春日部市・熊谷市(埼玉県)に住む友が、六時半とか七時とか七時半とか口にするが、到着したのが一時間も前だったりするので、正確な所要時間は分からない。はやる気持ちが行動に現れているようで、可笑しい。私が、
「犬を預けに寄っていたから、八時よ、駅まで急いだけど」
 と応じると、練馬区に住んでいる友が、息を弾ませて、「私、起きたのが八時、ホント、間に合って良かったわ」と言う。
 よく電車の中で、白髪の交じった同級生らしき女性たちが、場違いなほど大きな声で話し、笑い声をたてている光景を目にするが、たぶん同じように見えるだろう。外見は高齢者でも気持ちは高校生に戻っているので、つい黄色い声になってしまうのである。
 車中では自由席が空いていたこともあって、三人がけの椅子を向かい合わせにして、とにかく、一年分の近況報告である。自然に声のトーンが上がってくるが、周囲を見回して、お互いに口に人差し指を当てて注意を促す。
 話題は子ども、孫、連れ合い、病気、親のことなど、途切れることはない。年に一度の自己申告だから、我勝ちにとしゃべる。
 たまたまカメラを持参していたのが私だけだったせいか、初回から写真の担当者になり、まずは車中でパチリ。
 しゃべり疲れて無口になったころ、名古屋駅に到着した。
 約束どおり、C子さんが北口で待っていてくれた。ご主人を亡くしたばかりで落ち込んでいるのかと案じていたら、明るい笑顔で迎えてくれた。Kさんがさっそく、
「お腹がぺこぺこ、美味しい味噌とんかつが食べたい」
 と、催促した。
 これから二十四時間、高校時代と現在を行き来しながら過ごすのである。