福谷美那子
 

 あるとき、ふと、思った。人間は誰しも折々の自分の顔を知らないのではないかと。顔と言うより表情と言った方が妥当かもしれない。顔を見ているのは常に「他」なのだから。

  あらためて考えていくと、私も鏡に映る自分の顔、写真に撮られた自分の表情のほかは、どんなとき、どんな顔つきをするのか知らない。
 子どもを叱ったとき、私の顔はどうであったのであろう。思いめぐらせていくと、そら恐ろしい気持ちになる。
「貴女、あの瞬間、悲しそうだったわね?」
 ずぼしを指されてたじろいたり、
「あの、福谷さんの腹立たしい顔!」
 そんなことばに戸惑ったりしたことがある。
「貴女は小さい子が好きねえ。子どもに囲まれているときが、いちばん幸せそうに見えるわ。優しい顔になるもの」
 などなど、隠れた自分、隠そうとしている自分、また楽しそうな自分も、他人によく見られていることに驚くのだ。
 先日、デパートへ出かけた。重い荷を手に下げるのが苦痛で、荷物を背負って歩いていた。何気なくショーウインドーに映った自分の姿の老いに唖然とした。
 ある日のこと、私はテレビに出演されてた、僧侶梶妙寿さんの美しさに立ちすくんだ。微笑みに慈愛が滲み出ている。その安らかな眼差しに私の心は洗われていった。

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二枚目

 現在は京都の慈受院の住職でおられるが、かつては、舞踏家で二児の母でもある裕福な社長夫人であった。夫の浮気、妻子ある人との恋、波乱続きの生活に終止符をうち、出家されて二十一年の歳月が流れる。
 小豆色の僧衣に身を包んで控えめに語られることばの一つ一つに、私は成就の手ごたえを感じていた。
 他者への執着を離れて一人の時間をしっかり持つこと、その大事さを思うようになりました。心の自立を目指す。そこから人を思いやり、愛する気持ちが生まれるのだと思います。相手のことを考える慈悲の心です。
 夫への感情と恋人への感情から引き裂かれながら、その二人の存在があったからこそ尼僧になれたと話される笑顔は、仏様に見えた。
 それから数日して、朝日新聞にこの方の記事を見つけた。寺の木々を背景に立っておられた。丹念に編んだ遠い昔の日々を偲んでおられる瞳が、小さく光って見えた。
 このように書きすすめると、ふいに開けた光景があった。
 何年も前になるのだが、オードリーヘップバーンの写真展に誘われた。
 引き出しを思い立ったように開けると、若かりしヘップバーンのブロマイドが三枚ほど白い封筒に入っていた。
 一枚は帽子を深々とかぶり、とりすましている。前髪を少し下げている一枚もある。また全部髪を上げてしまっているもの、どの写真を見ても、美しさを極めている。
 大きく見開かれた目、やや太い眉毛、薄い唇は愛を乞うようにもの言いたげである。きっと、そのときの写真展で求めたものであろう。
 銀座の会場に並べられた豪華な衣装や、夫と子どもに囲まれた豪邸での幸せな日々は、私たちを桁違いな別世界へ誘うような雰囲気があった。

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三枚目

 しかし、最後に忘れられない一枚に出会った。それは、老いて皺の多い彼女が、細い腕に難民を抱きかかえている光景である。
 かつてブロマイドで見たヘップバーンはそこにはいなかった。私はその写真の前にしばらくたたずんでいた。
 彼女は自分の生い立ちから、難民の子等にことのほか思いを馳せて、彼らに全身で尽くしたといわれている。
 その顔は優しさと子らへの労わりで、実にすがすがしいものであった。
 五、六歩離れたところに「オードリーヘップバーンが愛した言葉です」と、額が掲げられてあった。

  魅力的な唇のためには優しいことばを紡ぐこと
  愛らしい瞳のためには人々の素晴らしさを見つけること
  スリムな体のためには飢えた人々と食べ物を分かち合うこと
  豊かな髪のためには一日に一度、
  子どもの指で梳いてもらうこと
  年をとると人は自分に二つの手があることに気づきます。
  一つの手は自分自身を助けるため、
  もう一つの手は他者を助けるため

 私はそのことばを夢中で書き写した。
 人が泣いていると自分も悲しくなってしまうような優しい人になりたい。
 その人のもつ優しさとぬくもりに、他が悲しい気持ちをすっかり預けてしまいたくなるような、そんな女性になりたい。
 私は幼子のように願い続けている。