感謝の輪
         羽田竹美


 フィリピンに住むエドガー君が、大学(カレッジ)を卒業した。フィリピンの貧しい生活の中で暮らしている、勉強をしたい子どもの教育支援がここに終わった。

     *   *   *

 教師であった夫が亡くなったとき、次男は中学の三年生であった。私は障害者で働ける体ではなかった。わずかばかりの遺族年金での暮らしは決して楽なものではなく、幸い車で動けた私は一円でも安いスーパーをまわって何とか生活していた。
 次男は都立高校に合格してくれた。出来るなら大学までの教育を受けさせてやりたいと思っていたが、どう工面してよいかと、途方にくれていた。
 中学の卒業式の少し前、受け持ちの先生から電話があり、校長先生がとても心配してくださっているという。世田谷区内にお住みの、ある篤志家が区内の高校生を対象に奨学金を出しているのでそれを受けたらどうか、というお話であった。まったく返さなくてもよい奨学金だが、学期が終わったら必ず手紙を出して、どんな高校生活を送っているかを報告するという約束である。ありがたかった。早速手続きをしていただき、卒業式のときに校長先生にお礼を申し上げた。
 都立高校は学費が安いし、交通費もほとんどかからなかったので、毎月いただく奨学金は貯金として蓄えられ、大学への準備金となった。
 次男は三年間、学期の終わりにきちんと手紙を書いていたようだし、卒業のときには大学は学校推薦でK大に入学できたことを報告していた。高校のときの手紙には陸上部に籍を置いて東京都大会で金メダルをもらえたことや、大学に行っても陸上をやりたいと綴っていたようだ。
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二枚目

 私も卒業後、この篤志家の方に心をこめて感謝のお手紙を書いた。
 大学でも奨学金をいただけるようになったが、交通費も昼食代もお小遣いももらえる余裕のない経済状態をよくわかっていた次男は家庭教師のアルバイトを幾つかしていた。競走部の練習のない早朝にはビルの清掃のアルバイトにもでかけていった。苦労して大学を卒業した次男は人間的にも大きく成長したようだった。
 奨学金というもののありがたさを身をもって体験した私は、いつか少し経済的に余裕ができたら恩返しをしよう、と心に誓っていた。
 ずっと書き続けていた随筆が認められ、平成十六年に「日本随筆家協会賞」をいただき随筆家という名前が与えられた。
 『母の日記帳』という随筆集を出版し、たくさんの方たちに読んでいただいた。横浜の青葉台にある東急セミナーBEの文章教室の講師を依頼されて、車で二四六号線を一時間かけて通っている。自分の年金も支給されるようになり、やっと贅沢しなければ生活はしていかれるようになった。
 二冊目の随筆集『人生の振り子』が出版されたとき、この売上を貧しい子どもたちへの支援にあてようと考えた。その旨を手紙にしたため、友人に本を送って協力をお願いすると、ほとんどの人たちが快く支援してくれた。
 私の勝手な願いを聞き入れてくれた友人たちはなんてやさしいんだろうとうれしかった。
 これを貧しい子どもたちに支援するところを探していたら、特定非営利活動法人の「チャイルド・ファンド・ジャパン」という支援団体をみつけた。電話でいろいろ話を聞いたり資料を送ってもらったりして、フィリピンの貧しい家庭に暮らすエドガー君の教育支援をしようと決めたのである。彼は両親と姉三人の末っ子であるが、姉の子どもたちも一緒の大家族で暮らしている。

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三枚目

 父親は漁師だと手紙に書いてあったが、貧しくてとても教育は受けさせられなかったようだ。私が三年間支援すればやりたい勉強ができるという。
 これを聞いて、私は夫の話を思い出した。夫は大学院まで進んでもっと学問をしたかったが、貧しくて断念したのであった。勉強をしたくても貧しくて出来ないのがどれほど悲しいかを夫から度々聞かされていた。 
 エドガー君は三年間かかさずクリスマスカードを送ってくれ、手紙もくれた。一生懸命勉強している様子であった。
 そして、今年の六月、チャイルド・ファンド・ジャパンからエドガー君が大学を優秀な成績で卒業したというお礼の手紙が届いた。同封の成長記録には、エドガー君の性格や体の特徴と共に成績が細かく記されている。卒業の日に撮った帽子とガウン姿の写真も貼られていた。何よりうれしかったのはエドガー君からの喜びに満ちた手紙であった。
 チャイルド・ファンド・ジャパンにおことわりして、全部ではないが手紙を掲載させていただく。

 『親愛なる羽田竹美様
 心よりの感謝をお便りいたします。あなたが私と私の家族にくださったご親切は言葉では言い表せません。
 私のことは殆んどご存知ないにも関わらず、私の勉強のために喜んで手を差し伸べてくださいました。あなたが私に機会を与えてくださったこと感謝します。その機会は私の成功への旅路を照らす光となります。
 スポンサーシップ・プログラムを通してあなたは何人も取り去ることができないものをくださいました。羽田さんあなたがくださったものすべてをお返しすることはできませんが、全てを見ていらっしゃる神様があなたとご家族に祝福をくださるでしょう。
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四枚目

 二〇一二年三月二十五日は卒業式でした。私は母親と抱き合って喜んだ日のことを忘れないでしょう。私たちはとても幸せで泣いてしまいました。私が大学を卒業できたのは、あなたとスポンサーシップ・プログラムがなければとても実現できることではありませんでした。幸せすぎて、笑うかわりに泣いてしまいました。
 私はとてもわくわくすると同時に不安を感じています。これから両親を助けることができると思うとわくわくしますが、同時に人生の岐路になると思う不安を感じます。
 私の夢を実現させるときがきたのです。私は仕事をしたいと望んでいます。学校の先生になるためLET(教員国家試験)に受からなければなりません。私は優秀な先生になりたいです。これから家族、両親、そして甥や姪を助けます。
 今までの全てのことは神様、羽田さん、そしてICDAI(チャイルド・ファンド・ジャパンのフィリピンのパートナー団体)なしには実現しなかったでしょう。
 神様のお恵みが豊かにありますように。
 ありがとうございました。
         愛をこめて エドガー』

 夫と同じ教師になりたいと書いてあった手紙を読んで、何か大きな力が働いているのではないかと感じた。
「おめでとう」を言いたくなって、はじめて手紙を書いた。翻訳して彼のところに届けてもらえるそうだ。

 『私の感謝してくれたその気持ちを周りの困っている誰かにお返ししてもらえたらうれしいです』

 感謝の輪が広がっていくのを夢見ている。(『命の万華鏡』より)