橋 姫
柏木 亜希
随筆を書くのはじつに一年ぶりではなかろうか。文章を書かなくても実際、生きてはいける。だが、書いてみることで、自分が何者であるか、そんな影のような靄(もや)の存在に気づく。原稿用紙に文字を一つずつ埋めていく今この瞬間に、それを体の細胞の個々に感じる。細胞間に電気が走る。忘れていたエンジンに火が入る。何だかそんな感じがした。
久しぶりのことなので、今まで何となく気になっていた、返し忘れた本のような存在のテーマに触れてみようと思う。
私の住む町はいくつかの川に囲まれている。自然、どこへ行くにつけても橋のひとつやふたつを越えていかなくてはならない。仕方のないことだが、私にはこの近所の橋を渡るということが、実は日常の些細なストレスになっている。
彼岸と此岸、とあえて表現するが、向こう岸とこちらの足元との間にある川の水が嫌いなわけではない。きっとそんなことではない。目には感じられない結界のようなものがその橋にあるようで、渡るときにはどうしても心臓のあたりにストレスを感じて仕方ないのだ。いつからこんなことになったのか。実は科学的には説明のつかないことでもない。川というのは大量の水の流れである。当然大量の水は大気中の電気の流れにも大いに影響を与える。その電気の流れが、同じく体内の血液という液体の流れを司る心臓に何かの負荷をかけているのではなかろうか。電圧をかけて行う心臓マッサージのことを考えると、そんな突拍子もないアイデアだとも思えないのだが、……どうだろう。
もうひとつの原因として考えられるのは、夢の存在が大きい。生活の上でいつも渡るものなので、たまに家の近所の橋が夢に出てくる。
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二枚目
夢の中では、橋の架かっている川は現実の私の知っている川幅より数十倍もある。ひどいときには湾のように広い海のような 川になっているときもある。そうしたときは、橋は何分歩いても向こうにたどりつけない。橋と呼ぶより道といったほうが正しくなりそうだ。
なぜか、たいていその夢の川の中にはクジラ二、三頭おり、うららかな陽光の中、体を水面に浮かべて巨大船と同じく肩を並べて悠々と泳いでいる。そして昔のようにこの川には城のように大きな三本マストの帆船も入ってきている。私はあれはどこの外国航路かしらとのんびり眺めている。と、そんな感じだ。
現実の橋は二、三十秒で渡れる橋が夢の中ではそんなふうになってしまうのだ。川の中はいつも瀬戸内の水のように凪いで穏やかなのが救いだ。それでも毎日、実際の橋を見るとやはり、夢の中のあの茫洋たる川幅の広さを思い出してげんなりしてしまう私がいる。やれやれである。
果たして夢の中の水の結界は現実の世界にまで続いているのだろうか。
ところで、古典に出てくる『橋姫』などは、妬みに狂った鬼女だそうだが、私にはこの橋姫の名からはなぜか、おだやかで優しいイメージを投げかけてくる。このぼんやりとした感触をはっきりした絵にしようと、少し調べてみた。
鬼女の伝説を背負わされた橋姫にはいくつかの立体的側面が伺える。昔は水の流れは、人も家も押し流すおそろしいものであった。それゆえ治水工事の技術向上は人類の大きな課題であったことだろう。その技術の中には人柱もあったと思う。幼いころ、実は私はこの人柱の説話がどんなお化け話のなかでもいちばん恐ろしくて、自分が人柱にされたときのことを考えて
身を固くしていたものだった。もしかすると、そんな名も残されていないであろう大昔からの人柱の生け贄(にえ)となった人間たちの悲しい思いの反映の一部が、橋姫伝説の鬼女に加えられてはいないのだろうか。なぜって、人は覚えていなくても感じる生きものでもあるからだ。
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三枚目
そして橋姫のもうひとつの側面についてである。宇治の橋姫神社には瀬織津姫という神が祭られているそうだ。元々は水の流れで罪や悪縁を清めてもらう、という人々の願いが、この神を誕生させたのだろう。これを知って、私のイメージの橋姫はこれだ、と合点がいった。橋姫はきっと日の光のようにやわらかく優しい。きっとそうなのだと。すると、急に思いだしたことがあった。
やはり一年近く前のことだったろうか。私は平成二十一年八月に父を亡くし、種種のことの判断に苦しむことになった。私は例の近所の橋を渡りながら、ある事でどうにもできずに心の中で祈っていた。
「神さま、私にそれができるのでしょうか?」
見ると私の前、十メートル先ほどに四歳にも満たない少女がママと一緒に歩いていた。
そのあどけない背中の少女が、ふいに振り向いて見も知らぬ私にニコリと笑った。私はどきりとしながら、幼女の方へ歩きつづける。幼女の被っていた帽子が風にあおられて私の足元へ飛んだ。私がその帽子を拾い上げて、幼女の頭に「はい」と返してあげたときも、彼女のほおには先の微笑のなごりが熱のように消えずに残っていた。
私は少女のこの笑顔が神さまの答えなんだと思った。私はこの彼女に話しかけようとしてやめた。なにか畏れ多い時が、バランスを壊してしまうような予感がしたのだ。
橋姫はきっとあのとき、私の町にも出張してきてくださったのかもしれない。