晴れの日 ー長い一日ー
        石川のり子


 四時半にセットした目覚まし時計が鳴り響くのを待って、ベッドから起きた。晴天ならば日の出の時間で明るいのだが、東のガラス窓はまだ薄暗い。七月にしてはめずらしく肌寒い朝であった。
 階下のリビングの電気を灯し、テレビをつけた。ケージの中のモモ(トイプードル)が体をおもいきり伸ばし、真ん丸い目を向けたまま、大きなあくびをした。まるで、お付き合いで早起きさせられたという不満をあらわしているようだ。
「きょうはお出かけだから、お利口にしていてね」
 一日じゅう留守番をさせるのだからと、ペットボトルの水を入れ替え、餌の上に好物の魚の缶詰をたっぷりかけた。
 大事な茶会が十時に、東京美術倶楽部で開催されるのである。八時過ぎには全員が顔をそろえることになっているので、逆算すると、六時半には家を出る。最寄りの駅まで車を走らせて、七時には電車に乗らなければならない。ラッシュの時間帯だから、始発の電車で、腰かけていきたい。
 これからシャワーを浴びて、心身ともにすっきりしてからの着付けである。私はこの茶会のために絽の訪問着と夏の丸帯を新調していた。初めて袖を通すのだから、着付けには小一時間はみたほうがよさそうだ。軽い食事も摂ってなどと考えると、ゆっくり新聞を読んでいる時間などない。
 テレビの天気予報では、五月中旬なみの気温で午後から雨が降ると告げていた。
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二枚目
 このたびの「不審庵茶会」は、京都から家元をお迎えしての茶会である。薄茶席と濃茶席の二席だが、担当は薄茶席とのこと、研究会と普通稽古に通っている宗匠からは、二か月ほども前から参加を打診されていた。こんなチャンスはめったにないと思い、五十数名の末席に加えていただいた。
 東京美術倶楽部の三十六畳の広い茶席は、宗匠が吟味されたお道具が、用意されていた。床に掛けられた軸は、家元の筆による「水上清々翠」、花入は吊り舟で、季節のカワラナデシコ、キンシカラマツ、アシの葉が涼やかに生けられている。掛物と花入れが水をテーマに繋がっている心憎いばかりの趣向である。
 お点前の東(とう)と助手の半東のペアが十二組である。あいうえお順に決められているので、私はトップバッターになった。先輩の中年男性の助手をつとめる半東である。正客の前にお菓子を運び、東の点てた薄茶を運ぶ。床や障子や襖を背に正座している四十名のお客さまが見守る真ん中を歩くのは、さすがに身が引き締まる。
 お茶席では正客と次客の二服分を点て、水屋からの点て出しが主になる。滞りなく進行するようにと、水屋のお手伝いは三十名と多い。
 お道具は会記に書かれ、説明は座主がするので、半東は難しいことは何もないのだが、無事に役目が終わると、重荷を下したような心境になった。
 あとは水屋のお手伝いと、もう一席の濃茶席で、お茶をいただくだけである。
 それぞれ亭主の思い入れがあって、お道具の由来を聞いていると楽しい。
 昼食は用意してくださった笹寿司を、交代でいただいた。手薄になった水屋のお茶碗洗いなど裏方のお仕事も体験できる。何事もそうだが、五百名ものお客様をもてなすのだからチームワークが大切である。
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三枚目
 家元は二時ごろお見えになった。京都からは三名お越しになった。ざわめいていた水屋も静まり、手順どおりお菓子が運ばれ、お茶が点てられた。客席では正客に家元、次客、三客、続いて四十名ほどが同席されている。私もお運びをしたが、家元が気さくに宗匠と会話されていて、和やかな雰囲気であった。
 表千家の家元、而妙斎宗匠は利休から続いた十四代目、私のような長年末席を汚している不肖な弟子にとっては、雲の上のような存在である。近くで拝顔できただけで、望外のよろこびであったのに、集合写真では、中央の家元のすぐ後ろに納まった。出来上がりが待たれるが、顔の老醜が不安でもある。
 つつがなく茶会は終了し、お茶席で虎屋製の「墨田の花火」と抹茶をいただき、全員に宗匠よりのねぎらいのことばがあった。
 時計は四時を回っていた。この後、有志で慰労会が催されるとのことであったが、遠方を理由にお断りをして、帰り支度をした。
 予報どおり、雨は勢いを増し、用意していた雨コートを身につけた。方向の同じ友人三人と玄関から新橋の駅前までタクシーに乗った。

 帰宅は六時を過ぎていた。大喜びするモモに餌を与えてから、満足するまで遊んでやった。
 心身ともに疲れて十時過ぎに横になった。しかし、睡魔はなかなかおそってこない。緊張のせいか、抹茶を三杯もいただいたせいか、頭が冴えているのである。もんもんとして寝返りばかり打っていると、右足がこむら返りをおこした。痛くて寝ているどころではない。飛び起きて、硬くなっている脹脛(ふくらはぎ)をもみほぐした。五,六時間は正座をしていたのだから、両足ともていねいにマッサージしていたわった。
 睡魔がおそってきたのはラジオの深夜便が始まるころだった。