ハクチョウに寄せて
                   中井和子


 平成二十二年十月下旬、秋の花壇の整理をしていると、頭上に重い気配を感じた。 見上げると、澄んだ青空に、三十羽ほどのハクチョウがV字型に編隊を組んで北方へ向かって飛んでいた。
「今年も来てくれたのね」
 私が感激して呟くと、それに答えるかのように一羽のハクチョウが一声大きく鳴いた。私は、その、ゆったりとした気品のある飛翔の姿が住宅の屋根の向こうに見えなくなるまで見送っていた。そして、ふと、あのハクチョウたちは福島市を流れる阿武隈川の川辺にある「親水公園」に飛来したのだろうか? あるいは、あのままもっと北方のどこかへ向かうのであろうか、という疑問が私の頭をよぎった。

「親水公園」には、平成二十年まで千羽ほどのハクチョウが飛来していた。堤防の下は広い川原になっていて、川べりへ降りると野鳥たちが寄ってくる。市民たちはパンや古米をまいてハクチョウや、数多くのカモたちと親しみ、羽音と鳴き声でにぎにぎしい鳥の世界に、しばし憩うのであった。
 市の観光課でも、ハクチョウの保護活動のために「白鳥友の会」を発足させ、その時期だけ「白鳥号」のバスを運行する、というサービスも行ってきた。
 しかし、平成二十年の秋、近県に鳥インフルエンザが発生して、市は、市民の安全を守るために、金網の仕切りを設置してハクチョウとの接触を禁止した。餌(えさ)を与えないように、との看板も立った。市民もハクチョウも困惑した。
 当時の地方紙に、八十八歳の男性の投書文が載ったのを覚えている。
「市の通達があってからハクチョウを心配していた。阿武隈川の堤防を自転車で走ってみた。対岸で二、三十羽のハクチョウが鳴きながら川原の雑草を食べていた。そんな場所で食べているのを見たことがない。あの草に栄養などあるのだろうか。いままではあんなに美味しい餌をもらえていたのに……。かわいそうなハクチョウを助ける方法はないものかと思った」
 多くの市民たちがみな同じ心境であったと思う。
 その時は私も心に掛かり、親水公園の近くを通過するときは川をのぞき込んだ。
 鳥たちは例年どおり多くの仲間たちとはるばる飛来してきたものの、いつもと違う環境に戸惑い、大半は見切りをつけてどこかの川や沼へ移動して行ったらしい。
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二枚目 
 二十羽ほどのハクチョウが、みな頭を羽の中に埋めて丸くなり、空腹に耐えているかのように見えた。この川に残っているのは、年老いたハクチョウたちなのだろうか。私も、こっそり餌を運んでやりたい気持ちでいっぱいであったが、ただ、私には秩序を乱すほどの勇気はない。

 そして二十二年十一月、私は小春日和に誘われて「親水公園」に出かけてみた。数十羽ほどのハクチョウが気持ちよさそうに泳いでいた。羽がグレー色のコハクチョウもいる。食べるものがあるのだろうか? 折しも、向こう岸の草の根を突っついているハクチョウの姿が見えた。
 群れの中を一羽の小さなカモが一羽のハクチョウにお尻を突っつかれながら追い立てられてけんめいに逃げ泳いでいるのが見えた。ハクチョウは、カモを群れの端まで追い立てると、「やーめた」と追うのを急にやめて仲間たちの群れにもどっていった。その遊びのようすが、私の頬を緩ませた。家の庭の上空を飛んだハクチョウもこの中にいるにちがいない、と思った。
 近年、各地で発生している鳥インフルエンザでは渡り鳥に限らず、養鶏場のニワトリも犠牲になっている。それらのニュースの映像は見るに忍びない。
 動物たちの災難には心が痛んだ。宮崎県の口蹄疫では二十九万頭の家畜たちが殺処分された。山では、ナラの木の病虫害によって木の実がならず、冬眠前の熊が空腹を満たすために民家に出没して追い払われたり、殺処分された。
 太平洋赤道域東部の海水温が上昇して起こるエルニーニョ現象で、平成二十二年の長い暑い夏は、日本は南国に変ったかと錯覚させられた。
 そして年が改まり、二十三年一月現在、こんどは海水温が低下するラニーニァ現象で、雪国は、いままでにない豪雪に見舞われて、町や村が白い悪魔に飲み込まれてしまった。
 なにかが変だ。気がつくと我が家の庭からスズメの姿が消えてしまっていた。ハトもこなくなった。私はうろたえて、
「スズメのお宿はどこへいったの?」
 と、庭を探し回ったがどこにもいない。ご近所にも……。
 近代の住宅建築事情が、そして、農地への消毒などがスズメの数を少なくしているらしい。
 でも、やはり、地球上なにかが変だ。