ダンスパーティ
              羽田竹美


 私が講師を務める「エッセイ教室」の生徒であるMさんがひょんなことから社交ダンスの教室に入るはめになってしまった。最初は戸惑っていたが、美しい先生にマンツーマンで教えてもらっているうちに楽しくなって、今ではダンスパーティで女性の足を踏まないように練習に励んでいるという。そんなエッセイを書いてきたのである。奥様を亡くされて寂しそうにしていたMさんがこのエッセイでは生き生きと文章も楽しそうに踊っていた。これを読んでいるうちに私の記憶の扉がどんどん開かれていった。
 高校は女子校で、校則の厳しいミッションスクールであった。卒業後、女の園には少しうんざりしていたので、早稲田大学を選んだ。それでも、入学したてのころ、マンモス大学の大きな教室で、大勢の男子学生の笑い声が、ザワザワザワと聞こえるのが、恐ろしかった。キャンパスでもなるたけ目立たない服装をして端の方を歩いていた。
 入学式が終わってからしばらくして、予備校の合格祝賀会に出席した。男性四人、女性三人のテーブルに座って、合格したことを喜び合い、それぞれが住所と電話番号を交換した。そこにいた立教大のKさんが一番早くに電話をくれた。大学のソーシャルダンス同好会に入部したとのことだった。
「僕がダンスをうまく踊れるようになったらパーティに行きましょう」
 と言ったけれど、私は踊れないからとおことわりした。その話はそれで終わったかと思っていたら、秋になって再び電話があり、
「品川プリンスホテルでダンスパーティがあるので一緒に行っていただけませんか」
 と言う。
「僕がお教えしますから大丈夫です」
 私はダンスなんか出来ないものだと勝手に決め込んで必死に辞退した。
「私は教えていただいても踊れないから・・」
 それでも彼の執拗なお誘いに、とうとう断りきれなくなってしまい、
「それでは・・」
 不安でいっぱいだったが、承知した。
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二枚目
 私の初体験のダンスパーティは何もかもが夢のようであった。長身の彼は私をやさしくエスコートしてくれた。高校生に少し毛が生えた垢抜けない私にダンスのステップを丁寧に教えてくれた。チビな私が相手ではさぞ踊りにくかっただろう。
 夢見心地のまま家に帰り着いてからも興奮がさめず、それから幾日もの間、思い出しては頬を染めたのだった。そのとき綴った古いノートが本箱の隅から出てきてちょっぴり甘い思い出に浸っている。
『あの澄んだ空のように青いカクテルドレスを着て初めてダンスパーティに行った日、秋も深まり、銀杏の落ち葉がかさこそ鳴っていた。
 お伽の国のお城の大広間にはシャンデリアがまばゆく光っていた。うっとりするような音楽・・・・。
 私はいつか人々の間を踊りまわっていた。それはまったく妖精の国にいるような錯覚を覚えさせ、自分自身を忘れさせてしまった。
 そこには踊りまわる妖精たちが金や銀や水晶の玉をコロコロコロコロころがしながら甘い楽しいメロディを奏でていた。
 妖精たちの羽はシャンデリアの光に照らされてまるでお日さまの光のように七色に輝いていた。
 鈴をふるような笑い声が白い大理石の床に反射してキラキラ光る星となり、やがて、ステンドグラスの窓から、遠い空に上っていった』
 なんて甘っちょろい夢見る夢子的な文章だろう、と笑ってしまったが、これはファンタジーの世界であって現実とはかき離れている。
 何を着て行ったらよいかわからない。かといって、母や姉に相談するのはてれくさい。白いブラウスに青いボックススカート、唯一のおしゃれは金色の貝の形を繋ぎ合わせたネックレスであった。靴もハイヒールなど持っていない。高校生のとき履いていた茶色のものであった。口紅だけ薄くぬって出かけたのだ。
 品川プリンスホテルの会場にどんな人が集まっていたのか覚えていない。ただ、Kさんの傍(そば)にぴったりとくっついていた。初めて男の人の手に触れ、コチコチになって教えられるままに動いた。何を話したのかも覚えていないが、その後に何度も手紙のやりとりをした。
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三枚目
 一年ほど経って、Kさんからの手紙で、
『あなたのようにおとなしくて優しい人が好きなのです』
 と、告白されて、頭の中が真っ白になった。
 どうしよう、私はおとなしくもないし、優しくもない。ただ猫をかぶっているだけ。いずれすべてがわかってしまうだろう。悩んだあげく、それきり手紙の返事は出さなかった。
 しかし、ダンスのステップをおぼえた私はその後、いろいろな大学のダンスパーティに行った。あのころ、学生サークルの資金を集めるため、パーティ券を売るのが流行っていた。ダンスの出来る男子学生からパーティに誘われる機会が多かった。慶応大のクリスマスパーティや、早大のたくさんのサークルのパーティに出かけてブルースやワルツ、ジルバ、マンボを踊った。私はダンスにすっかり魅せられて、勉強そっちのけで楽しんだ。
 母にねだってパーティドレスを新調してもらい、くるくる回してもらう度にスカートがふわっと広がるのが心地よかった。もちろんそのころにはハイヒールを履いていた。ジルバを踊るためにはハイヒールでないと素早く回れなかったからであった。
 今、股関節が壊れ何度も手術し、膝も足首も関節症で杖を頼りに歩いている。足の筋肉がすっかりなくなってバスや電車に乗るのにも苦労している。
 けれど、大学時代に楽しんだダンスパーティの思い出は胸の中の明るい灯である。ダンスが上手なボーイフレンドとワルツを踊って大きく、くるっくるっと回してもらった快感は、今も忘れられない。
 現在、熟年世代に社交ダンスが流行していると聞く。踊ることは体中のストレスを発散させられるし、全身運動によって脳も活性化でき、若さを保てるのではないだろうか。
 私も足が悪くなかったら・・・などと思うが、青春時代あんなに楽しんだのだから、これ以上贅沢は言わない。