大切な女性との別れ
           石川のり子


 昨年の師走の十一日、一枚の喪中のはがきを受け取った。なぜか胸騒ぎがして、急いで文面を見ると、「妻千鶴が…」という文字が目に飛び込んできた。
「えっ、まさか、角さんが……?」
 驚きと同時に寂しさが胸にあふれ、はがきを持っている手が震えた。気を取り直して活字を目で追うと、十月二日に七十九歳で永眠されたと書いてある。淡いピンクの優しいハスの花の絵柄が、天国で安らかに暮らしていますから、どうぞご心配なく、というメッセージのように感じられ、涙がこみ上げてきた。
 角さんが体調を崩されたのは、五、六年前だっただろうか。それまで日本随筆家協会のホームページを作っておられ、やわらかな色彩と文字の配置など心憎いばかりのレイアウトだった。どなたが担当されているのかしらと、編集長にお尋ねすると、「角さん」とのこと、お父上が大手新聞社の論説主幹だったと伺っていたので、さもありなんと納得したのだった。
 ところがある日、角さんが私にホームページを引き継いでほしいと言われた。寝耳に水の申し出に、私にはとてもできませんと固辞すると、角さんは悲しそうなお顔で、
「今まで丈夫だったんですけれど、腎臓を悪くしましてね、薬の副作用もあって、頭痛やめまいがして、大好きなホームパージ作りが負担になってきましたの」
 と、おっしゃった。
 私はホームページの知識は何もなく、ほかの誰かにお願いしてくださいと、申し上げたのだが、
「編集長も石川さんならいいとおっしゃっていますから」
 と、押し切られてしまった。
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二枚目
 では、お元気になられるまで、という約束で、私のパソコンから公開することになった。編集長からは特別に依頼されたわけではなかったので、角さんのように上手には出来なかったが、メールで相談しながら、毎月の雑誌を気楽に更新していた。

 その後、神尾編集長が亡くなり、ホームページも「文学交流の広場」と名称が変わった。角さんにはそのまま継続してほしいと言われ、試行錯誤しながら、ときどきご相談しつつ、投稿してくださるみなさんの作品を載せていた。
 昨年の年賀状にも、〈ますますのご活躍を期待しております。お手伝いできずにごめんなさい。〉と、優しい気づかいが記されていた。今までは、困ったときには相談できるという安心感があったけれど、もう頼れないのが何とも心細い。角さんは私の大事な女性だった。
 一言のお礼も申し上げないまま、永遠のお別れになってしまった。せめて感謝の気持ちを伝えたいと、いちばん角さんに相応しい色合いで、今年作られたばかりというイエローカラーのシクラメンの鉢植えを、お送りした。
 暮れも押し詰まった二十九日、ご主人さまからお電話があって、奥さまの病名を伺うと、食道癌とのことで、気づいたときには手の施しようがなく、急に亡くなられたとのことだった。皇后さまと同学年で、ピアノもテニスもされた角さんは、控えめなすばらしい方だった。
 角さんは随筆集『夢を売る店』で、ご主人さまの転勤先、岩国での五年間の暮らしを書いていらっしゃる。本を開けば、そこには奥さまがいらっしゃるのだから、ご主人さまの孤独感も和らぐのではないだろうか。
 私はお電話で、「どうぞ、お力落としになりませんように、お健やかにお暮しくださいませ」と、申し上げた。
 
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三枚目
 角さんとは、浅からぬご縁があった。といっても、私個人ではなく、二十四年間同居していた伯母が助産婦だったため、角さんの出産のお手伝いをさせていただいたためだった。
 伯母は義父の姉で、結婚前のことは、私は何も知らなかったのだが、二十二年前、『白もくれん』を出版したときに、何篇か伯母との思い出を綴った。それを読んでくださった角さんが、お便りをくださった。
「助産婦の伯母上が石川はつ様なら、二人の息子の出産のときお世話になりました。大勢の赤ちゃんなので、不思議なことではないかもしれませんが、私には思いがけない巡り合わせで心臓がドキドキしています」
 というものだった。
 私も驚いて、夫に尋ねると、確かに伯母は、青山の橋本医院で助産婦をしていたらしい。
 角さんの『ゆうすげの詩』の一八四ページの「あるめぐり逢い」には、入院された橋本医院の出来事が書かれており、伯母が登場する。
 伯母は大正十一年に東大の産婆復習科に入学し、東大時代に一緒にお仕事をされた橋本先生のもとで働いていた。その晩年の伯母に、角さんがお会いになって、同じ日本随筆家協会員の私が、伯母の日常を書いた。その作品に角さんが目を止めてくださった。なんという奇遇であろうか。
 私も拙著『茶飲み話』に「予期せぬこと」と題して、角さんとの交流を載せた。本当に世間が狭いことを実感した出来事だった。
 
 角さん、どうか天国で安らかにお眠りください。そして、ときどき光や風になって、大空から見守っていてください。