菩薩のような人
              中井和子


 私が散歩する道すがら、数坪ほどに区切られた貸し農園がある。春から秋までの晴れた日などは、野菜作りに勤しむ園主たちでにぎわっている。
 その道沿いの一角に良子さんの畑がある。無心に作物と向き合っている良子さんの姿を見かけると、私は、つい、「ご精が出ますね」と、声をかけて通る。良子さんは、はにかむようにほお笑んで頭を下げる。ときには、畑の端に腰を下ろし、お知り合いの方が話されているのを、熱心に聴いてあげている良子さんを見かけることもある。
 私は、良子さんとは知り合って間もないので、お人柄までは存じ上げていなかった。
 ある日のこと、私は園芸の肥料を買いにホームセンターへ出かけた。そこで野菜の種を眺めている良子さんの姿をみつけて、声をかけた。
「何の種を蒔かれるのですか?」
 良子さんは驚いたように振り返り、私であることがわかると、頬を緩められた。
「どうしようかな、と迷いながら眺めていたところです。まず、野菜を作るかどうかを考えているのです。野菜を作っても、収穫期になると盗られていることが多いのですよ。楽しみにして畑に出かけて行っても、それが採られた後であったりすると、もう、がっかりしてしまってね、いっそのこと野菜作りはやめて、花でも植えようかしら、など考えたりしています」
 と、ため息をついた。私は驚いて言った。
「えっ? 人の丹精込めて作った作物を盗(と)る人がいるのですか? いったいだれが?」
「あの近くに住んでいるおばあさんなのですけれどね。近所の方が注意したら、良子さんに採っていいよって、言われたから、と澄ましているらしいの……。私はもちろん、そのようなことは言っていませんよ。それがですね、そのおばあさんと畑で、ばったり会ったことがあるのですよ。お互い口を利きませんでした。その人は悪いと思ったのか、すぐ畑から出ていきましたけれど」
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二枚目
「そのとき、ご本人に注意をなさらなかったのですか?」
「いいえ、しませんよ。言えば、お互いに気分が悪くなりますもの。でも盗られると面白くないですし、お互いに傷がつかない方法は、やはり、花を植えた方がよさそうですね。それに世の中よくしたもので、季節の野菜を時どき届けてくれる農家の人がおります。私はそれで十分なの。ただ土いじりが好きなだけなのです」
 良子さんの静かな笑顔を見て、良子さんのための私の義憤の感情は波が引くように消えていった。
 そして、帰り道にお誘いを受けて、ホームセンター近くの良子さん宅にお寄りした。そして、石組みと樹木の落ち着いた日本庭園を眺めながら、良子さんの話を伺った。
「私のところは公務員で、ずっと公舎住まいでしたから、周りの生活環境も大体似たようなものでした。この住宅地に家を建てて、私が八十歳になって一人暮らしになると、みなさんが気軽に遊びにきてくれるようになりました。そして、みなさんのお話を聞いて、初めて世の中のいろいろな人たちの生活が見えてきました。まるでドラマのような生き方をしてきた人もいるのですね……。この間は、知らない病院から電話がかかってきて、『入院していたU子さんが退院できるようになったのですが、支払いをしないと帰れないのです。だれか親戚とか知り合いはいないですか? と聞いたらあなたのお名前を言われたのでお電話しました』って。私は驚いて、お金を持って病院へ迎えに行きました。それから、タクシーでU子さんをアパートまで送って行きました。ある持病があって倒れたのだそうです」
「それはたいへんでした。お友だちなのですか?」
「いいえ。私が畑仕事をしているときに、話しかけてきましてね、私の家までついてきちゃった女性なのです。それから家に時時遊びにくるようになりましたの。身の上を聞きますと、離婚して、小さな二人の子たちを他県の親戚に預けて働いた、と言っていましたね。もう七十五歳になっているし、いまは国民年金と子どもたちからの仕送りがあって、アパートで一人暮らしをしているのですけれど、持病があるし、生活はたいへんなようです。私はお米ぐらいならあげてもいい、と思っているのですよ」
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三枚目
「そうですか。もう、良子さんを頼りになさっているのですね。でも、持病がおありでは、今後も心配なのではありませんか?」
 私は、そのU子さんの将来をも考えて、市の福祉課に相談した方がよいのでは、と提案したのであったが、良子さんは、
「でも、お金が入ると、五千円ぐらいずつでも持ってきて返してくれるのですよ、だから、私はそれでいい、と思っているの」
 と、私の提言は参考として、行政に任せるのは、もっと先でいい、と言われたような気がした。面倒なことでも、しっかり向き合って上げたい、という、良子さんの決意のようなものを感じたのであった。事務的に解決するのは簡単である。余計なことを言ってしまった、と短絡的な自分が恥ずかしくなった。
 そのとき、
「いたの?」
 と、声をかけながら、庭へ回ってきたお年寄りの女性と顔が合った。パンダのような目になっていて、私は驚いた。その女性は、
「あ、お客さんなのね、後でまた……」
 と、そそくさと帰って行った。
 良子さんは、
「家庭内暴力があってお気の毒なの。家庭内のことですから、私はお話を聞いてあげるだけなのですけど、ね」
 と、うつむかれた。
 そのほかにも、良子さんに、悩み事を抱えた人たちが、駆け込んでくる心情を、私は理解できたような気がした。私の脳裏に『菩薩』ということばが浮かんだ。大慈大悲の徳を備えて、人人の悩みを救う観世音菩薩であろうか。あるいは、道端に立って庶民の愚痴や願いを聞いてくれる地蔵菩薩であろうか。
 良子さんは、市井の菩薩のようなお人であると思った。