七福神めぐり


1月20日の日曜日は恒例のとね七福神めぐりである。7時に開催の花火があがった。風は冷たいが、快晴である。自宅から歩いて10分ほどの距離にある公民館に8時半集合。今回で21回目という七福神めぐりは、大勢の人でにぎわっていた。500人ほどはいるのだろうか。受付で氏名と住所を記入して、コースの案内図をいただいた。見回すと友人の顔がちらほら見える。フォークダンスの仲間のAさんは80歳だが、長身にダークグリーンのしゃれたジャンパーを着て臙脂(えんじ)の帽子、マスクをしておられる。傍に近寄り朝の挨拶をする。私はこの地に越してきた年から参加して8回目になるが、Aさんは毎年参加していると言われる。
出発のセレモニーが行われ、準備体操をすませて、9時に出発した。七福神の祭ってある神社仏閣めぐりの行程は、ほぼ13キロ。円形にまわるコースで、12時過ぎには、この公民館に戻ってくる。 5班に分かれての出発である。

   

岐路には、道案内のボーイスカウトのY君が立っていた。私が指導員をしていた学童保育に2年通って、転校して3年になる。この七福神めぐりでは毎年道路に立ってくれているので、気づくように大声で「ごくろうさま」と声をかける。彼は恥ずかしそうに右手をちょっと上げて応えてくれる。
最初に訪れたのは、毘沙門天がまつってある徳満寺。案内図には毘沙門天は「勇気と威光を司る守護神」と書かれてある。武器と財宝を手にもつ厳しい顔の毘沙門天であるが、1メートルほどと小柄なせいかどことなく愛らしい。
徳満寺は、400年ほど前に中興開山され、真言宗の豊山派で本尊には約2メートルの地蔵尊がある。国重要文化財になっている「金銅板両界曼荼羅」と町文化指定の「間引きの絵馬」が有名である。毎年11月に地蔵まつりが行われ地蔵尊も御開帳される。
スタンプラリーにもなっている案内図にお寺の形のスタンプを押した。

毘沙門天

2番目は女性の神様の弁才天である。技芸の神様として琵琶を抱いた色白の美女ということであるが、来見寺の境内にある弁才天は子どもを抱いているように見えてしまう。案内図には、音楽・知恵・財物の神様と記してある。
来見寺は1558年に開創。境内には徳川家康公ゆかりの梅の木、「松替の梅」が植えられている。来見寺を訪れた家康が立派な松の木をご覧になって御所望される。その代わりに与えられた梅の木であるという。
また「利根川図志」の著者で有名な赤松宗旦や豊嶋紀伊守一族の墓がある。

弁財天 

まだ境内には雪の残っている布川神社。ここには恵比寿天が安置されている。
七福神のなかでただ一人日本の神様らしい。いろいろな説があるが、案内図では漁業と商売繁盛の神様とされている。よく見るとこの恵比寿神は釣竿のつもりか竹の枝を手にしている。かつて利根川を往来していた高瀬舟の帆柱には、木の神が宿ると信じられ、神社には木の神「くぐつちのみこと」が祭られている。昔の祭礼には、「つくまい」が行われていたという。
スタンプは魚が飛び跳ねた縁起のいいものである。わが家はこの神社で初詣でをしている。ちなみに振舞われる甘酒が孫達には人気がある。

布川神社恵比寿天

4番目の寿老人のある應順寺までは田んぼの中の道をしばらく歩く。舗装されていない道を歩いたので、靴が泥んこになった。Aさんと私は一班の真ん中ほどを歩いていたが、それでもズボンの裾が汚れた。最後尾を歩いた人はぬかるんだ道で四苦八苦したのではなかろうか。
應順寺は、1588年の開山で浄土真宗大谷派の寺院とのこと。境内には小林一茶の友人だった古田月船の墓があり、寺宝として親鸞聖人御絵伝があり、毎年11月に催される親鸞聖人報恩義で開帳されている。寿老人が持っておられる杖には一軸の巻物が結びつけてあって、人間の寿命が記されているらしい。案内図では、富貴長寿を授ける神様とされている。
年配者が行列をつくって、頭を撫でながらお祈りをしていた。

寿老人

大黒天は5番目。こうもう神社は門の宮は式内社でミツチ神社といい、私にはよく分からないが、祭神は「みつはのめのみこと」であるという。一帯は、縄文後晩期の貝塚で、山の東端には、土神の「はにやまひめのみこと」を祭る奥の宮がある。古い由緒ある神社で、財宝を授ける福徳の神様大黒天は、打出の小槌を持って参拝者を待ち受けておられる。神社の入り口の端にある。スタンプはもちろん、打出の小槌である。

大黒天

6番目は円明寺の布袋尊。巨大な太鼓腹に上半身裸である。「円満・笑門来福の神様」と説明されているが、七福神中唯一の実在の人物とのこと。禅僧の布袋和尚として伝えられているとか。 正月はことに「笑う門には福来る」と好まれているようである。
円明寺は長根山地蔵院円明寺といい、1255年頃、千葉氏が延命地蔵菩薩を寄進し、良忠上人が開山した。地元ゆかりの立木三義人墓、特攻隊流星の碑があり、寺外には念仏院(泪塚)、切られ地蔵があるとのこと。
本堂は東日本大震災で被害を受けて、現在新築中である。
ここで、熱いむぎ茶とお漬物の接待を受けた。
持参の飴やチョコレートも食べて英気を養う。Aさんは私より健脚で笑顔でお茶を飲んでいるが、私は足が痛くなって泣き笑いのていたらくである。
さあ、もう少しだ。頑張ろう。

7番目の福禄寿は高台の早尾天神社の境内にある。
江戸時代から広範囲に信者をもち、学問の神様、菅原道真公が祭ってあるという。福禄寿は延寿福楽人徳の神様ということである。受験が間近ということもあって学問の神様にお賽銭をあげる方が多かった。


さあ、いよいよ帰路である。後ろを振り返ると行列は延々と続いている。14日の成人の日に降った雪がまだ残っていて、風は冷たく、舗装されていない道はぬかるんでいたが、無事スタート地点に帰り着いた。
足が棒のようになっていたけれど、鳴物入りのお出迎えとライオンズクラブで用意してくださったお赤飯と豚汁で空腹が満たされ、疲れも癒やされた。
今年も七福神の恩恵にあずかりますように!