秋の山へ                                     

 
 十月一日(平成二十二年)、私は街中で、友人と昼食を楽しんでいた。

友人が突然言い出した。

「今日はお天気がいいから、これからどこかへ行きましょうよ」

私は、ちらと腕時計に目をやり、十二時半の時間を確認して同意した。

私の運転で福島市の西方、奥羽山脈につながる吾妻連峰へ向かう。

そして、街から一時間あまりで、標高1,500メートルの浄土平に到着する。

山の上も秋日和であった。

四方の山々に囲まれて湿地の平原になっている浄土平は、春はイワカガミなど、

高山植物の花で彩られるのだが、この時期は一面がススキの原になっていた。

その中の木道を歩く。風もないのに、ススキが静かな一筋の波になって遠くまで

揺れ動いていくのが見える。 風がゆるやかに渡っているらしい。

私の心身の神経もゆるゆるとなり、自然の中に埋もれるような感覚に浸った。

こんな穏やか日は、山のただずまいも親しげに見える。標高1,949メートルの一切経

山(いっさいきょうやま)は、黄色い噴火口から白い噴煙を噴き出していた。

石のごろつく荒々しい一切経山。その向側には昔噴火した火口のある吾妻小富士が、

静かに優しげな丘のように存在している。

十数人の人々が噴火口へ行き来しているのが見える。

山肌の紅葉樹が所どころで、黄や紅の色に染め抜いていた。

見ごろになると、スカイラインは車が渋滞し、山頂は人の波でごった返す。

それはもう、一週間後のことだろう。

私たちは木道の傍らに高山植物の白いつぼ型の花をみつけた。

シラタマノキだろうか。
 
ヤマハハコもあり、リンドウの清そな青さがそばたつ。

そして、ススキ原のあちこちに、ハイマツが地に這い、冬の厳しさを告げている。

スカイラインがなかったころの吾妻山連峰登山は容易ではなかった。

数十年前のことになるが、男女八名の福大生たちが濃霧で道を失い、

この浄土平の平原を堂々巡りをして遭難し、命を失ったのである。
 
すぐ目前に山小屋があったのに・・・・・。

天気のいい日は、こんな場所で? と考えられない事故であるが、

そこが、刻々と変化する山の天候の恐ろしさだ。

来年の夏は登山の準備をして、浄土平から数百メートル上方にある釜沼を周遊しよう

と、友人と約束し、秋の山を降りた。

また元気でいなければならない目標ができた。

あと一月も過ぎたら、吾妻連峰は雪を冠して、厳しくも美しい山山となる。