『欠かせない六要素』

〈質問〉
 儂(わし)は七十になる頑固(がんこ)親父である。自分では好々爺(や)と思っているのだが、子どもや孫どもはけむたがって、「頑固親父」「頑固爺さん」と陰口をきいておる。
 そこで質問じゃが、構成は「序・破・急」と運べばいいと耳にしたが、どうもピンとこない。虫のよい話で恐縮じゃが、老人の儂にも理解できるように構成のコツを教えてくれんかね。
 儂に納得のいくように説明できたら、ごほうびに貴殿の著書を買いあげることにするが、いかがかな?
        (東京都のS・М氏)

 序破急と起承転結
 勇ましいお便りでビビッています。きっと、退役軍人(?)といった風貌の持ち主の方に違いないと、ノミの心臓を自認する私は逃げ腰です。でも、残念ながら八十四キロのトド化した出っ腹では逃げおうせることはできないでしょうから、逆に居直ることにします。「窮鼠(きゅうそ)、猫を噛む」の心境でーー。
 しかしながら、内緒の話ですが、何ともいやらしい退役軍人ではありませんか? もの書きの弱みにつけこんで、「本を買ってやるから」と、首根っ子を押さえつけるなんて! おそらく、戦時中は部下をいじめて悦に入っていた人でしょう。もしかしたら、Sがかった人かもしれませんね。ならば、当方も意に添ってМといきましょう。でも、「いじめられるの大好き!」なんて、死んでも歓喜の声はあげませんぞ。
 そういえばこの人のイニシアルもS・Мですね。ああ、いやんなっちゃうな。
 もう、こうなったら「序・破・急」でも、「起・承・転・結」でも、どちらでもお好きな方をと、背を向けちゃいましょう。
 本音をもらしますと、本当にどちらでもいいのです。ストーリーを三つに分けるか、四つに分けるかの差にすぎないのですから。要は、そんなことではなく、「何を、どう盛り込むか」なのです。つまり、書くべきことが幾つかあるわけです。言い古された「序・破・急よ、さらば!」と、ここでは尻をまくることにします。
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二枚目
 不可欠な六要素
 作品を書く場合は、まず難しく考えないことです。
 この一件は何度も述べましたから賢明な諸兄姉は、もう耳にタコができているはずです。いや、「目にタコ」でしょうか。田中裕子嬢なら、身をくねらせてけだるく、「タコが言うのよねぇ」と、もだえれば中年男性の心を捉えることができるでしょうが、腹ボテ中年には、そんな恥ずかしいことはできませんので、繰り返し、繰り返し述べるわけです。
 作品を書く場合のコツを、今回もこの辺で明確にお教え致しましょう。
 まず、四の五のと屁(へ)理屈を言わずに、「忘れてはならない、不可欠な六要素」を披露しましょう。実に簡単なことです。
@ いつ
A どこで
B だれが
C 何を
D どうして
E どうなったか
 右の六要素を盛り込んであると、その作品の流れとしては完璧(ぺき)といえます。特に@とAは忘れやすいですから、注意が肝要です。
「俺は、そんなヘマはしないぞ、バカな!」
「そんなマヌケじゃ、ありませんことよ、オホホホホ……」
 そんな声が聞こえてきそうですが、@かAが抜け落ちている作品は意外と多いのです。時にはごていねいに、@とAの両方が脱落している場合もあります。書きあげたら、もう一度目を通して、右の六要素をすべて盛り込んであるか否かをチェックしてください。そうした努力を怠るようでは、とてもではありませんが人をうならせる感動的な作品は書けませんよ。念のために申し添えますと、Eの「どうなったか」は、その作品の内容によっては省くことがあります。つまり、結果を出さなくてもよい作品の場合は、当然のことながら書く必要はありません。そういうわけですので、その場合は「不可欠な五要素」ということになります。

 例題を解剖する
 では、少し具体的な話に入りましょう。そのために、私の手もとにある作品(随筆)の冒頭の部分を書き写してみます。もちろん、私の作品でもなければS・М氏の作品でもありません。
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三枚目 
 私のふるさとは、山と川のある美しい村です。
 春になれば花が咲き、夏になると川遊びをしました。
 秋は紅葉、冬は雪が降ります。
 そんな所で、私はのびのびと育ちました。
 ところが、東京は人と車とビルだけで、何のうるおいもありません。
 せっかくの意気込みも一月、二月と月日を送るうちに、しぼんでしまいました。

 このあと、四、五枚続くのですが後は省略させていただきます。
 いかがですか、お読みになってーー。
「冒頭の部分だけで分かるもんか、バカモン!」
「もう少し書いてもらえませんとねぇ」
 そんなセリフを吐かれた人はいませんか? もしそれに近いセリフであっても、そういう人は、まだ勉強不足ということになります。もう一度、読み返してみてください。
 ここで、私が言いたかったことは、@の「いつ」とAの「どこで」の二点なのです。これが書かれてありません。つまり、欠落しているのです。「私のふるさと」がどこなのか、地名もきちんと書くべきです。もう一つは「いつのことなのか」が、はっきりしません。そして、「いつ上京したのか」も脱落しています。もう一つ付け加えますと、この作者は何歳なのかも分かりません。
 しかしながら、この作者は初心者ですから、まだ許せます。ところが、十年近く書いている人でも、平気で「ふるさと」の地名を書き忘れます。こういう人は怠慢そのもので、許せません。これは、何が原因かと言いますと、「自分自身は、既に分かっているから」ということにほかなりません。「私のふるさと」と書くと、地名など書かなくとも、山や川が浮かんできて、その作者には、もう十分なのでしょう。描写も省かれています。これでは困ります。

 作者は読者でもある
 もう、ここまで記すとお分かりでしょう。作者は書き手であると同時に、優れた読者である必要があります。つまり、「下手な読み手は傑作をものにできない」という逆説も成立するわけです。「聞き上手は、話し上手」というのと同じ理屈です。
 作品は、未知の読者を納得させなければなりません。換言すれば、イメージを正しく鮮やかに伝えなくてはいけない、ということです。そうでなかったら、読者はすぐに本を閉じてしまうでしょう。
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四枚目
「何を書いちょるのか、さっぱり分かんねぇ」とーー
 そこで、もの書きは一読者になったつもりで、イメージが湧くように具体的に、分かりやすく書く訓練と努力を重ねる必要があるのです。そうです、私はここで作者のあなたと読者のあなたに、二重人格者(?)になられることを提言し、お勧めします。
 書き忘れましたが、「いつ」「どこで」というのは、なるべく作品の前の方――できれば出だしーーで、きちんと明記してください。
 だいたいにおいて、書籍や雑誌に目を通している人は文章も巧みだし、そうでない人はあたりまえのことですが読むにたえない文章を書くようです。もう一つ、ここで付け加えますと、本は借りて読んではいけません。借りて読んだ本からは、何も得ることはできません。痛みがなくて愛着が湧かないからです。昔から「本は買え、家は借りろ」と、いわれています。けだし名言です。
 作品を書く場合、特に素材やテーマについてケチになれ、と私は前述しました。覚えていらっしゃるでしょうか? もちろん、覚えていらっしゃいますよね。これは大事なことですからーー。
 でも、本や雑誌、その他の文献や資料、あるいは取材旅行などをケチってはいけません。借金してでも、本を買い求めてください。旅に出てください。きっと後々、役に立つはずです。それに、何といっても体験は身につき、血となり肉となります。太っているからと遠慮することはありません。逆にぜい肉がとれて、バランスのとれた体になるはずです。汗と恥は、どんどんかくべきです。

 結論――
「序・破・急」であれ、「起・承・転・結」であれ、盛り込まなくてはならないのは、「いつ」「どこで」「だれが」「何を」「どうして」「どうなったか」という事柄です。これを忘れないでください。
 S・М氏には、まず本をたくさん読まれることをおすすめします。「読んでやる」という姿勢ではなく、もっと謙虚に、勉強という気持ちで読んでほしいのです。昔から「文は人なり」といいます。心を磨かなくては、温かい眼は養われないでしょうし、いい作品を書けるはずがありません。
 したがって、拙著はお買い求めいただかなくて結構ですので、漱石や鴎外、あるいは龍之介という大家の名作を、まず手にしてほしいと、お答えいたします。
 果たして、実践に移していただけるかな?