『文章を書くコツ』

 <質問>
 ひとの作品を読んでいると、さも簡単で、私にも書けそうに思い、机に向かいました。
 でも、いざ原稿用紙を広げてペンを持ちますと、どこから、どうやって書き、どう進めたらよいのか分からなくなりました。しかも、書くことは胸のうちにたくさんあるのです。それなのに糸口が見つかりません。
 これは、どういうわけでしょうか? こんな私にも、小説や随筆が書けるのでしょうか?                                       (広島県のM・Yさん)


 文章はだれにでも書ける
 右のようなお便りをいただきました。書きはじめたばかりの人にとっては、この悩みは当然のことです。五里霧中で、西も東も分からない状態なのですからー。
 しかし、結論を先に述べますと、「文章はだれにでも書けます」という明確な返事になります。日本人が日本語で書くのですから、これは当然の結論です。「フランス語で書け」とか「ドイツ語で書け」という要求ですと、尻ごみするのも分かりますが、日本語は我々日本人にとっては母国語です。「オギャー」と産声を発して以来、耳にし口にしてきたことばです。
 私たちは、普段、いろんな人と会話を交わします。それも、たいていは気楽に! そこには何も作用していないようですが、脳の奥底では語句を選び、主語と述語をつないで発音しているのです。
 たとえば、こんな調子です。
「ああ、今夜のおかずは何にしようかしら」
「また、巨人が阪神に負けたんだってサ。テレビなんか見てられねぇよ」
「おなかすいたわ。何か食べるもの、ないかしら」
 こんな何の変哲もない「ひとりごと」でも、文字にすると文章になります。要は、「気楽に素直に書く」ということです。難しく考えると、書きにくくなります。逆に、のんでかかってください。
 
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二枚目
 自己暗示をかける
「おれは天才なんだ」とか「私は秀才なんだわ」と、自分に暗示をかけることも忘れてはなりません。これが自信というわけです。自信のない書き方をすると、原稿用紙に書いた文章も、メリハリのきかない要領の悪い、意味不明の文章になります。
 ですから、のんでかかって、自己暗示をかける必要があるのです。つまり、書き手の自分を優位に持っていくのです。
 ここまで自分をおだてて自信を抱くと、文章を書くのは、お茶の子サイサイということになります。「天才に不可能はなし」というわけです。でも、天狗(ぐ)になってはいけません。
 唯一の心配事は、正真正銘の天才と馬鹿は自己暗示にかからない、ということだけですが、天才は小説や随筆など馬鹿らしくて書く気にならないといいますし、生まれついての馬鹿は書こうとさえ思わないそうですので、ここでは取り越し苦労として無視することにします。     
 こうすれば書ける

 この辺で、冒頭のM・Yさんのお便りにあります悩みについて、お答えしようと思います。
 M・Yさんは、「書きたいことは、たくさんある」と、おっしゃっておられます。これは何より大事なことなのです。これがあれば、作品をものにすることは造作もないことです。あとは、たくさんある中から、一つを拾い上げればいいのです。
 おそらく、M・Yさんは欲ばりなのでしょう。言いたいこと、表現したいことを一度に文章にしてしまおうという意欲が強すぎるのではないか、と私は推測しているのですが、間違っているでしょうか?
 小説なり随筆なりを書く場合は、欲ばってはいけません。それは見方を変えると、「気前がいい」ということになります。いいえ、よすぎてダメなのです。
 そこで、こう考えてほしいのです。
「数ある書きたいものの中で、最も自分が書きたいのは、どの主題(テーマ)なのか」
 あるいは、
「どの素材を、私は処理したいのか」
 と、自問してみてください。
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三枚目
 自問の結果、いちばん身近で、最も心にかかわっている主題なり素材を一つだけ取り上げることができたら、もう、それは九分九厘、作品を書き上げたことになります。
 つまり、書く対象を手にいれることが大事業なわけです。家屋にたとえますと、基礎である地ならしが無事完了した、ということです。
 それは、あなたが体験した失恋でもいいですし、他人や身内の幸・不幸、旅の思い出、あるいは病気との闘い、自然の美しさー何でもいいわけです。

 主題や素材はケチること
 M・Yさんの悩みが欲ばりすぎている、と私はいま書きました。これは言い換えると、「ケチになれ」というアドバイスでもあります。
 作品は、作者が訴えたいものを文字に託すものですから、主題を幾つも持ち込んだり盛り込んだりしてはいけません。盛り込みすぎると、焦点の定まらない作品になるからです。たった一つーこれを言いたいのだ、というものを原稿用紙に書いていってください。
 書く場合は、その対象を前から見、後ろから眺め、斜めからと、多面的に観察してください。あるいは上から見下ろし、下から見上げてもいいでしょう。決して一面的に書かないことです。
こういう視点では、ケチらずに貪欲になってください。いってみると、ここら辺が「作者の腕のみせどころ」というわけです。つまり、ものを書く人の喜びでもあります。

 結論
 M・Yさんには、ケチになることをおすすめ致します。ケチることは、作品を数多く書ける、ということでもあります。しかし、その内容は貪欲にというのが、もの書きの理想の姿なのです。
 もう一つ付け加えますと、傑作を書こうというような、とんでもない野望はいだかないでほしいのです。やさしく、分かりやすい文章を、と心がけて原稿用紙に向かってください。すると、結果として傑作、名作が誕生するはずです。
 さあ、早速、読者のあなたも挑戦してみてください!