〈小説〉
  差出人のない葉書(その三)
         高橋 勝 
                                            
                                         
 雅史は、その場では申し込もうともせず、教授が研究室にいったん引き上げていくのをある一定の距離を保ちながら追うようにしてついていった。部屋の中に入るのを見定めると、忍者みたいな足取りで入り口のドアに近づき、自分もとやおら身体を部屋の中に押し込め、先ほど話されていた歌集の件ですがぼくにも一部分けてくださいと、一人で息を弾ませた。
 教授は、雅史が後からついてきたのを知り一瞬驚いたようだった。
「そうかい、この歌集には学生時代から書きためておいたもののなかでも特に良いものだけが選りすぐってあるんだ。そう、もう少し早く出版しておけばこの分野でも有名になっていたかもしれないなぁ……。とにかくこれはあたしのこれまで五〇年余り生きてきた命だと思っているのでじっくり読んでほしい。できたら君には感想文を書いてもらいたいな」
 と、なぜ教場で注文せずにここまでついて来てそんなことを言うんだなどと嫌みな口を利くこともなく、講義も済んでいるせいか穏やかな雰囲気を漂わせた。
「分かりました。感想文のほうは歌集をいただきましたらできるだけ早く読んで、書き終わりしだいこちらにお持ちします。いらっしゃらない場合は、ドアの下の隙間から差し入れておきます」
 それから暫くして、ある夕べのことだった。キャンパスをひとりで歩いていると、左後方から、高藤くん、と声をかけられた。慌てて振り向くと、今日の演習、遅くなってしまったわね、とある女学生が頬を染めて雅史の脇に寄り添ってきた。
 彼女は、三年次のとき、漱石の主な小説を作品毎に班分けして共同発表するある演習の選択クラスで、雅史と同じ『坑夫』を選んだ一人だった。その当時、発表日までの三ヶ月余り、大学周辺の喫茶店で同じ班の学生たち五、六人で集まり、よく打ち合わせや議論をしていた。彼女は誰よりも資料などをこまめに準備してくれたり、議論の内容を書き取ってくれたりして、まとめ役をかってくれていた。雅史は、自分の役割の件で何かと彼女に相談を持ちかけることもあり、そうした成り行きから顔見知りになっていた。
 この近くにおいしい食事を出してくれる喫茶店があるんですけど、時間があれば一緒に食べていきませんか? と無理強いしたみたいに笑窪を頬にぽっこり浮き上がらせた。こんなふうに女学生に声をかけられるのも誘われるのも始めての機会だななどと言葉の思い浮かぶ間もなく、うんいいけど、と咄嗟に返事をし、雅史ははにかみながら彼女の後に付いていった。
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二枚目
 食事のあと、コーヒーを飲みながら教授達の話に移っていった。これは秘密なので黙っててね、と声のトーンを下げると、彼女は石清水教授にまつわるできごとを語りはじめた。雅史の卒論担当がこの教授だと聞いていたので、ぜひ耳に入れておきたい秘密があるのだという。
 実はね、教授には暗い話が伝わっているの、と顔を引き締める。
「高藤くんみたいにおっしゃることにいっさい逆らわず、おとなしく聞いてくれる学生にはとても熱心に指導してくださるのですが、教授の主張に一遍でも反抗的な意見を言い返すと、その学生には徹底的にいじめ抜くというのよ」
 と顔の表情をなくし、何年か前に、ある学生が起こしたという事件の話を始める。
「その学生も初めの頃は、教授を慕ってくり返し研究室にお邪魔しては卒論の研究テーマについて進め方の指導をしてもらったり、疑問な点を尋ねたりしていたそうなの。ところが微妙な話に入っていくと、教授の話す内容にどこか納得できないところが少しずつ出てきたらしいの。なにかある種の方向に自分を強いて向けさせようとしているのではないかとの疑問が生まれてきたんじゃないかって思うのよ。たとえそのときはそうじゃなくてもそれまでの経緯でそう受け取れるところがあったに違いないわ。それで、自由に議論できるところがうちの大学の校風なのだから、教授もたとえ教授自身の考え方とは異なった意見を話しても、大方は学生のいうことは聞いてくれるに違いないと思ったみたいなの。そう、そこでついに彼は教授の主張にたいして自分の思うところを正直にぶつけてしまい、そのため思いがけなく大変な議論の応酬になって、挙げ句の果てに、それまで抑えていた思いを吐き出し、痛烈な批判をしてしまったらしいのよ。すると教授は突然、あのでっぷりしたからだをまるごと、みるみる茹であがったタコみたく頭から湯気を出し、貴っ、貴様のような奴には、指っ、指導する意味がない、とっととここから出て行け、と怒鳴りつけたというのよ」
 と、彼女も教授に乗り移ってしまったかのような役者口調になった。
 どのような具体的な話からそうした展開になってしまったのだろう、と雅史は内心驚いたけれど、どこまでも努めて冷静を保っていた。興味がわいたのでさらに彼女の話に耳を傾けていると、その後の成り行きはおおよそ次のようになる。
 個別指導を受けに恐れながら研究室に伺ってもひとことも話してくれない。他の学生が後から入ってくると、その学生ばかり相手にして、彼の方には眼もくれない。この個別指導は義務だったので受けなければならなかった。しかし、自らの意に反してこうした態度をとられ続けてしまったため、ついには教授のいる研究室まで足を向けることができなくなっていった。
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三枚目
 一方で、地方出身のためか身内は誰も東京の近辺には居らず、悶々とアパートで日がな一日虚しく時間を費やし、この先卒業できなくなってしまう事態や、田舎で期待している両親のことまで考えつめてしまったらしく、ますます大学まで足を向けることができなくなっていった。やがて同級生が卒業する。だが依然として登校できないまま就職も決まらない。留年しようにも家の都合を考えるとそれも言い出せず、辞めるのがいちばんだと一人で決めつけてしまったらしく、結局翌年には両親に相談もせず退学届けを出してしまったのだという。
 高藤くんにはよけいなお話だったかもしれないけど、こういう事件があったらしいのでなにかと気をつけてほしいのよ、と彼女は黒目がちの瞳で雅史の目の奥まで真っ直ぐ見つめた。
 雅史は、その話を聞いているあいだじゅう、彼女と彼女の話す内容に引きずり込まれながらも、その一方ではなんで彼女はそんな話を知っているのだろうと、なかば他人事のようにも聞き流していた。またなかばは、そんな酷いことをあの教授が本当にわれわれ学生に向かって振る舞うのだろうか、と彼女の話を一概には信じられず意外な感じがするだけで、おれは大丈夫、おれならもっと上手く立ち回れるからなと、自分の身に切実に関係するとはどうしても思えなかった。
 その年の晩秋の午後遅くである。雅史はふたたび教授室を訪ねた。
 雅史はキャンパスには来ていても、この四年間、サークル活動に加入したり、学生運動に飛び込んだりしたためしが一度もない。それも、そうした活動にはどこかわざとらしい匂いのようなものが感じられ、自分にはそぐわない存在だという思いに取り憑かれていたせいなのかもしれない。あるいは単に異質な世界に飛び入るだけの、いわば自分を乗り越えるだけの勇気がなかったためなのかもしれない。だが本当のところは自分でもよく分からず、安楽な方向に逃げようとしているだけなのかもしれないと思うこともあった。いずれにしてもこうした優柔不断ともいえる性格のためなのか、学内に気の置けない友人は一人としておらず、安らげる場所も見つからず、ただ一定の距離を保ちながら物事のありようを批判的に眺めているだけで、ある目的をしっかり持ってなにがしかの行動を起こすようなこともなく、籍の置いてあるこの大学を中心に、その周辺を彷徨っているだけのように見えた。
 ところが今年度は、全く未知の、それも学生とは次元の違うこの大人の石清水教授に巡り会い、キャンパス内で唯一警戒心を解きほぐせる何か惹かれる、心おきなく話し合いのできる何かを教授のうちに見つけたような気分になっている。実際ここに来て教授と話をするようになってからは、その都度鬱屈した孤独感は紛らわされ、何某かの安堵感が持てるようになっていた。
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四枚目
 今回は、そういう普段の思い込みもあって、先日事務局に提出しておいた未完の卒論にかこつけて、教授の感想を聞きに来たのである。
 部屋に入ってから、何気なく改めて室内を眺め渡してみた。書棚には隙間なく並んだ書籍が両壁を天井まで被って見る者を威圧している。目の前のテーブルには書類が四、五枚、無造作に放ってある。蛇口つきの洗面台と茶道具の入った茶箪笥があるが、塵が積もっているようだ。外側の階段や通路や壁などに感じられたあの潔癖なまでの清潔感と対照をなしている。他には教授の座っている両袖付きのデスクとヘッドレスト付きの黒い革張り椅子、その背後には窓の両端に引き束ねられた白いカーテン。よく見ると黄色いシミがついていそうだ。またそのカーテンに接して静かに存在している曇り気味の透明なガラス窓、それに雅史の座っている応接用の折りたたみイス、他にはシャガールの絵の複製といったものも、備前焼のような花瓶のひとつも、梁の横たわる壁にも飾り窓にもどこを見渡しても見あたらない。
「卒論の件で伺いました。まだ規定の最低百枚までには達してないのですが、任意提出できるというので、ぼくも一度見ていただきたく、先日提出しておきました。読んでいただけたでしょうか」
「うん、ひととおり目を通しておいたよ。地方に伝わるさまざまな歌を蒐集してきたのはよかったな。あれには資料的な価値もあるだろう。君の論文はそれだけでほぼ評価できると思う。しかし、聞き取りに行くのはたいへんだったろう」
「いいえ、むしろ楽しかったです。このあいだの夏休みに旅行を兼ねて、山形から岩手、青森、秋田と一人で巡ってきました。始めに当地の役場に行き、そこで地元の歌を蒐集したり、研究したりしているお年寄りや専門家の方を紹介してもらい、地図を見ながらバスに乗り換え、道路をあちこち歩き続け、直接会って話を聞いてきました。そのときは資料を書き写したり、録音をしたり、コピーを取らせてもらったりもしました」
「そうかい、だが君の論文で触れているのは、それぞれの歌が生まれる状況やそのもとでの人間の心理過程を考察しているだけで、当初の計画にあったように、こうした歌が文芸の創作過程といかに関連するのかという点を追求してなかったのは惜しい気がするけどなぁ」
 と、教授は頭をヘッドレストにつけたまま、革張り椅子を窓辺の方に半回転させ、窓の外に目をやった。ガラス窓を通して直ぐ外側に聳える欅の大木の枝から、枯れ葉がキャンパスを歩く学生の頭上に、夕陽に映えて舞い落ちているのを眺めているようだ。
 ややあって、元の位置に戻り、デスク越しに雅史に真っ直ぐ向き合い、何かを探るかのような目つきで再び話し始めた。
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五枚目
「人間や人間関係だけを観ていたのでは考え方が閉鎖的になってしまうんだ。創作行為において絶対的に必要なのは、個々の人々の上位に存在する国家や社会のありようを批判できるだけの純粋な眼差しを持つことなんだ。つまり、社会状況と、それに対して個人がどのように向き合い、どのように行動しているかという点を把握することが肝心なんだ。例えばだね、日本は先の戦争に負け、財閥解体や農地解放などアメリカ主導のもとに民主化政策を施されてきたのは承知の通りだが、ここでは農地解放について両者の関係を考えてみよう。
 まず解放される以前の農家に注目してみると、そこには昔から延々と続く強力な地主制度が根づいていて、農民の大多数は搾取され抑圧され続けていた。つまり、封建的な社会体制のあり方によって生き方を固定され、翻弄されてきた名もない人々がたくさんいたということだ。大切なのは、そのような人たちの、地主や社会や国家に対する思いや在り方にじっくり眼を据えることだ。そして、今回の君の研究テーマに沿って考えれば、名もない民衆がそうした思いをいかに詞に託し、歌に歌い出してきたかということを認識することなんだ。もともと歌というものは、公には口に出せない内なる思いを歌という形式を借りて表現してしまうものだ。歌である以上、いくら当てこすったものでも誰にも咎められはしなかった。そうした視点をしっかり持って、生活臭のこびりついたわずかばかりの歌の詞のなかに、農民の真実の思いが隠されているのを探り、しっかり理解することが肝要なんだ。
 一方、地主階級にしても、この農地解放によって大部の田畑を取りあげられてしまった。それまで甘い汁を吸い続けてきたのに、GHQによって一気に解体されてしまったわけだ。その憤りはいかばかりかしれないよ。彼らにしたって小作農家の、地主階級に対する思いと同じで、占領して日本を根こそぎ解体してしまった米国など、連合国の不条理なやり方に対する怒りは何一つ変わることはないと思う。君にもここのところは分かるだろう。
 それで、文芸のほうに目を向けるとだね、確か誰だったのか、名前は忘れてしまったがある著名な詩人なんだがね、彼はあくまで農民の立場に立ってだね、御上と闘い抜き、発禁処分を受けるほどの作品を書き続けたんだ。ぼくはそのような文人を尊敬するなぁ」
 と教授はしだいに早口になり、頬を紅潮させていった。(続く、3/6)