〈小説〉
    差出人のない葉書(その一)
          高橋 勝

                                               
 藍と赤紫とが混じり合った紫陽花が、ある早朝、梅雨に濡れ、なお一層鮮やかさを際だたせている。わたしは、庭先の花々に眼を向けたまま、先日届いていた例の葉書を思いだしていた。
 同じ地域に住む、母校の大学卒業生への懇親会案内状だった。現役で働いていたときは一度も参加しようなどと思わなかったけれど、退職して人々との関わりがめっきり減ってしまった今は、考え方も変わってきているのが分かる。アルバイトや趣味などで過ごしているとはいっても、なんとなく来る日も来る日も気分的にやり場がなくなっていくように感じるのは、この梅雨時の雨降りみたいだなと、自嘲気味になっている。とにかく何も考えずに行ってみることだ、そうすれば知っている人に会えるかもしれないと、少しばかり弾んだ気持になっていった。
 出席者は十七、八名だった。二〇代の現役から八〇代の方まで混じっている。始めにひとりずつ自己紹介をする。ここで、各人の現在の状況や学生時代の思い出話などが披露される。現役のほうは、実業界で活躍していたり地方公務員であったりしてさまざまである。一方退職者のほうは、元教職に携わっていた人が目立つ。
 知っている人がいないか注意深く観ていたところ、高校生のとき、同じ学校で会っていて微かに見覚えのする男性が一人いる。
 全体の報告や挨拶が終わるとめいめいが座を離れ、酒を注ぎ合って歓談している。時間も大部経ち、酔いも廻って宴会の終わり近くになって、その彼がビール瓶を片手にわたしのところにやってきた。
「先生も同じ大学出だなんて驚いたよ。高校も同じだったよね。私の方が一年先輩だったため口を利いたこともなかったけど、高藤くんのことはよく覚えているよ」
 と、作り笑顔を浮かべ、嫌に甘ったるい調子でからみついてくる。 
 しかし、わたしは、猛禽類の鳥が今にも獲物に飛びかかろうとする目つきを彼のなかに見いだし、狙われた小兎みたくなってしまった。それでも気持ちを奮ってこう言った。
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二枚目 
「ワ、私も、驚きました。さっき、一目見たときから分かりました。あの当時、私は、バス通学でしたので、磯貝さんが同じバスに途中から乗ってこられたのでよく覚えています。つばの、真ん中で二つ折れに切れた学帽を深く被って、颯爽としておられたのを記憶しています」
 それから大学時代の話をした。磯貝さんがわたしと同じ日本文学科の出で、卒論担当も同じ石清水教授だったという。あまりの偶然に、運命の悪戯ではないかと訝しがった。
 他にそのとき聞いた話によると、磯貝さんは、学部卒業後研究科に入り、そこで知り合った学友の女性と恋に落ち、修士課程の終了を待って結婚式を挙げたのだという。このときの仲人がまたもこの石清水教授だった。その後、親の期待を裏切れず女房とともに実家に戻って家督を継ぐことになる。勤めのほうは、里帰りする前に、地元の県ではなく、実家により近いという理由で隣の県で採用試験を受け、Uターンしたその年の春から、そちらの高校で国語教師として働き始めた。それからこの三年前に定年退職するまで一途に勤めあげ、今は同県のある高校で再任用として週四日働いているという。
「あの石清水教授には何もかもお世話になってしまったなぁ、特に短歌のほうでは影響を受けてしまったよ。おかげで私が現役のときなんか、顧問を担当していた文芸部のやつらに短歌コンクールで全国大会まで出場させたこともあるんだ。個人的には私だって高校生のときから短歌に興味をもっていた。長塚節に惹かれたのがきっかけだった。それ以来大学で専門に研究したり、今でも創ったりしているんだけど、なかなか自己満足の域を出ないんだね、これが。だがね、それでも何かにつけ日記を付けたりメモ書きしたりする感覚で、しょっちゅう頭をひねっているよ。今日だって、こちらにくる途中に車のなかで創ってきたんだ。会場までの道案内プリントに書き付けておいたのだが、まあそれは後で披露したいと思う。
 それはともかくとして、あの石清水教授とはその後もいろいろと付きあっていたんだ。年賀状は毎年やり取りしていたし、ときどきだけどご自宅にお邪魔することもあったなぁ。教授は、都下の郊外の湖畔にご自宅を構えていてね、湖面の見える部屋から、自費出版した歌集の後に創ったという短歌を見せてもらったり、そうした短歌にまつまる創作話を伺っていたりしたんだ。そういえばあの学部生のとき買わされた歌集は今でも持っているよ。そうそう、教授が現役でいらっしゃったときは、田舎から東京まで出て行くと、用事を済ませた後にはきっと研究室までお邪魔していたなぁ。でもどのくらい前だったか、最後に行ったときなんか、大学の雰囲気も随分変わっていてね。文学部キャンパスはもともと女学生が多かったんだが、当時よりもっと増えて女子大みたいな雰囲気になっていた。まあそれはそれでいいんだけれど、昔のような緊張感はなくなっているみたいだった。

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三枚目
 でもあのバンカラな雰囲気は今でも微かに残っていると思うよ。ところで、その石清水教授だがね、ちょうど昨年暮れにお亡くなりになったんだ」
 黙って聞き役に廻っていたわたしは、一気に喋り始めた彼の話しぶりに、へえ、そうですか……、それはまた……、などとしか口にすることができなかった。そして話の途中に、教授が自費出版した歌集はその当時確かにわたしも購入した記憶があるし、今でもどこかにしまい込んであるはずだと、学生時代のある場面が一瞬思い浮かんだ。しかし何よりも意外な驚きをもたらしたのは、最後に、彼の口から石清水教授の死を耳にしたことだった。わたしは、苦みの利いたコーヒーを飲んだあとみたいな感覚が全身を浸しているのを感じた。それでも強いて、ひとり自分の内面を覗き込んだ。
 この石清水教授は、当時のわたしにとって良きにつけ悪しきにつけその後の生き方を自覚させてくれた人だったのだと、その後、現役で教師に携わりながら折に触れ意識に浮かぶことがあった。そのことが、この場で突然教授の死の報に接し、退職した今になって急に現実感を伴って身近に迫ってきたのが分かる。だが、もちろんこうした思いは、目の前の、見るからに格好だけ突っ張っているだけで、魂の抜け殻みたいなこの男に向かって口に出すようなことではなかった。
「何か考え事でもしているの?」
「え? ……、いえ、何でもないです」
「じゃ、いいけど、高藤くんも卒論でお世話になったって話なので、教授とはその後もお付き合いしていたんでしょう」
「いいえ、私のほうは卒業していらい連絡を取り合ったことも、お目にかかったこともありませんし、その後の消息もぜんぜん分かりませんでした。今お聞きして昔を思いだしたところなんです」
 そこへ、頭の薄くなった年配の幹事が割り込んできて、随分話が弾んでいるようだけど、何を話しているんだい、こっちの先生は、現役時代は組合の専従としてばりばりの活動家だったんだよと、磯貝さんのほうにいったん眼を向け、ついでわたしに目配せをした。
 わたしは愛想笑いをし、そうですか、それはと、幹事に頭を下げた。だがその瞬間、冷水を浴びせられたような感覚が背筋を流れた。 
そんなわたしの変化には少しも気づかないらしく、
「それほどでもないよ。それで高藤くんはそっちのほうはどうだったの?」
 と、磯貝さんは身を乗り出した。
「そっちのほうといっても、人に言えるほどのことはなにもやってきませんでしたけど」
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四枚目 
「雅史先生は組合に入っていたの?」
 と、赤ら顔の幹事が口を挟んだ。
「いいえ、私は現役時代を通じて組合に入ったためしは一度もないんです」
「へええぇ……、驚いた。うちの大学の卒業生で、教員をやっていて、しかも組合に入っていないということは、そりゃ、もぐりだよ、もぐり、なあ先生!」
 と、磯貝さんは幹事のほうに眼をやる。
「いやぁ、そんなこともないよ。あたしも入らなかったし、この会の会長も一度も入ったことないって言ってたよ」
「あたしは初めてだよ、高藤先生のような人を見るの。それに先生の勤めていたあの県は組合が強いってめっぽうの評判なんだぜ、どうやってここまでやってこられたのか興味あるなぁ……」
 と、磯貝さんは苦虫をかみつぶしたような顔をわたしに向ける。
 まもなく宴会もお開きになるということで、最後に参加者一同立ち上がり、肩組をして校歌を歌った。学生気分に戻ったのだろうか、大きな口を開いて真剣に歌っている年配の方がいた。わたしはちょっとみっともないような恥ずかしいような気がしていて、口をぱくぱくさせているだけだった。
 わたしは会場の割烹旅館まで自分の車で来ていた。そのため酒は一滴も口にしなかったので、バスの送迎車に乗り込んでいる人たちや宿泊する先輩たちを尻目に、そのままそこに一泊せず、車で一人帰ることにした。
 車のライトに照らし出されて浮かぶ道ばたの紫陽花が、赤の混じった紺色に浮かんでいる。よく観ると、それを包む葉の群に溶け合って異様な暗緑色を放っている。一人になってからのわたしも、得も言えぬ憤りに包まれていた。これが、かつてそう時間的に遠くないところにいた職場から蘇ってきたものであるのは明らかだった。陰に陽にひたすら闘い続けていたそれまでの自分……。
 そのまましばらく運転していると、もっと遠方の、はるか時間的に奥の方に息づいている、あの石清水教授とのやりとりが、一つまたひとつと形を取り始め、クローズアップされ、あの世界全体の陰影が、岸壁にぶち当たる高波みたく、一連の像となってわたしの内面に押し上げてきた。
 わたしは、自宅に帰り着くまでに、ここで経験した場面のいくつかを基に、もっと総体的に、かつ忠実に思いだして、今こそかつての学生時代の一時期について綴っておくべきだと思いついた。そこで翌日から、さっそく小説の形にするため机に向かい、執筆を始めたのである。(続く、1/6)