私は、小さい頃心室中隔欠損症という心臓の病気で、手術をしたのですが、マスイ科のミスで障害を足にもってしまった。その後、脳には、脳梗塞そして足にも障害が残り、今は家でもはいはいして歩くほどです。

それでも私はいきています。ただ私か゛今一番気になってるのが、母のことなんです。そうでしょ、そんなわたしを産んだ母もかわいそうだし私も心の中で母に謝る日々がだんだん増えるのです。私も母も苦労苦労の毎日です。

でも、いまでは作業所へ行く事がたのしくてしかたがないのです。

作業所が、休みの時は朝から夜まで、パジャマで1日を過ごしています。

皆さんこんな私をよろしく。ぜんかい屋には、今私の楽しむ場所があるし、友達も何人かでき、うれしい。

白い雲

青空にプカプカ白い雲

その雲に目と口を描いた

何もなかった雲がわらった

明日にはきっと雨になるだろう

 

雨にぬれた町に僕が降り立つと

おひさまが微笑んでいた

何もなかった町はもこもこと沸きあがり

雨と闘った

 

夏色の空に白い雲プカプカ

町並みは夕焼けを楽しむ人の波

月が何故だか泣いている

星が何処だか笑ってる

2011.12.7  松村 美雄紀






るり渓探訪

2012.5.14 松村美雄紀

その日はお天気もよく私の心もいい天気

大阪と京都の間とは言え、大阪の蒸し暑さや人ごみは感じられなく、ただ緑と滝の音だけが、私たちの疲れをいやしてくれる。


最近の私(初めての経険)(618)

先日(612日と 13)済生会吹田病院で検査と手術を受けた。

検査は2日に渡って行われ、1日目は器具を入れられメチャメチャお腹が痛かったけど、13日は心電図 心エコ− 血液検査をした。 

そして手術の時3_の麻酔でたった3秒で寝てしまいました。


最近の私(盆休み偏)(2012820)

みなさんはこの夏どこかへいきましたか?

私は、岡山へ8泊9日の少し長いお盆休みでした。

私の田舎は岡山県加賀郡吉備中央町という所にあり、めちゃめちゃ山奥にあります。

その岡山にすごい古い家をリフォームした家が私の田舎です。

岡山の天気は朝晴れてても、午後は雷雨と言うように
天気がコロコロ変わる地域です。

三室戸寺:花の宴

昨日(627):瀧山和也さん:戸田さんの3人で三室戸寺にあじさいを見に行ってきました。

天気は、曇り、でも私のテンションは絶好調、さて写真撮影と思いカメラを構えてシャッターを押そうとした時カメラの電池がないことかわかり、電池をかってきてもらい、いざ写真撮影、大輪のあじさいたちが私たちを出迎えてくれた。その中に少し珍しいハートのあじさいがあったことが私はとても嬉かった。

私の母(20121030)

私の母は昭和6318日生まれの85

母は兄弟:姉妹が多かったので小さい頃は
大変苦労して、弟や妹の世話をした。

そして19歳で父親に連れられ、岡山から
大阪へ出て来た。

そして、美容の師匠に弟子入りしました。

それから何年かして美容の師匠と、お客さんで来てた材木屋さんが話をして材木屋の息子さんとお見合いをし、結婚したそうです。


そして私たちが生まれた。

しかし兄と私だけは心臓に病気を持って生まれて来た、でも兄は9ヶ月で病気がわかったため、手術が出来ず、9ヶ月で亡くなりました。


そして私が生まれ又心臓に穴が開いていた。

それから母の苦労の日々、(病院通い)病院が京都だったので、母は病院で泊まり父は仕事の帰りにタクシーで大阪から京都へ通っていたそうです。

私は1ヶ月ぐらい気がつかず(反応がなかったので)、主治医の先生が私の足の親指の爪をペンチで抜いたそうです。

私が病院に入院してる間、母が病院へ行く用意や仕度をしていると姉が、大粒の涙を流していました。

そんな母も34年前に台所で転び腰を圧迫骨折してしまいました。

でも美容院の仕事は今でも元気にしています。

津田 智子

秋の空

秋の空にポッカリ.ポッカリ白い雲

そよ風吹かれさやさやと

心にしみる詩もあり

月夜に光る星もあり

今日の想い輝いて

夕焼け空に月一つ



小さな花

遠い遠い街の片隅に

小さな小さな花が一輪

咲いてるよ!

きれいだね







                             松村美雄紀



いつかは・きっと
いつかは・きっと不安から抜けだしたい!
でも今は無理、今は不安で寂しいもん!
これを乗り切らなきゃ!!
みんな、もう少し待って!
                         2015年 秋

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お母さんのこと
今私か゛いちばん気にしていることは、お母さんのことです。
私の母は、今86歳で、現役の美容師です。
お店は、東淀川区小松という所にあります。
今は、常連さんも歳をとった人家族さんに送迎してもらう人も多くなりました。
でも、お話相手に1日5〜6人、少ないとき1〜2人は来て話をして帰ります。
私たちは、お母さんの「物忘れしない方法は、母が店をいつまでも元気で続ける事」と思っています。

                         2017年6月