平成26年度第2回定例会(6月3日友愛記念病院)

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1 自宅での生活を望む本人と自宅での介護に限界を表出された妻のケース
                          友愛記念病院相談支援センター 渡邉 希代光
<ケース>62歳男性 S状結腸癌術後再発、肝転移術後再発 ・要介護5(ADL:B2)・主介護者:妻
・本人の思い:自宅で過ごしたい 妻の思い:自宅で見るのは不安
<経過>
  200X年、S状結腸手術で切除(当院)。200X+410月、肝転移に対し拡大右葉切除術を実施。その後リンパ節再発に対しがん専門病院にて化学療法をうけていた。
 200X+77月ごろより背部痛(肩甲骨のあたり)があり、1022日ころよりふらつきが出現。徐々に歩行困難となり1026日整形外科受診し、悪化傾向のため入院となる。入院後両下肢ほぼ完全麻痺となり、115日かかりつけのがん専門病院に転院となった。がん専門病院では、手術は行わずに脊椎への放射線治療とステロイド治療を行っていた。
 がん専門病院のSWより当院緩和ケア病棟への転院依頼を受け、
1119日で放射線治療が終了するので、その後当院へ転院の方針となり、1121日にリハビリ・緩和ケア目的にて当院の消化器病棟へ転院となった。同日には奥さんといとこさんが来訪され、緩和ケア病棟への入院を希望されたので、緩和ケア病棟への転棟待機となった。
 その後ステロイド剤の点滴とリハビリにより、トランスファーボードを利用してベットからW/Cへの移乗の際両下肢下垂時の操作に介助を要する程度となる。その間本人は何度も「家に帰りたい。」と話をされ外出も繰り返された。122日妻より「お父さんが家に帰りたいと言っているので、自宅へ退院することにしたい」と表明される。ケアマネージャーを選定して早急にカンファレンスを実施して、@ヘルパーによる身体介助A訪問看護師による排便コントロールBデイケアの利用する手配を行った。
 12月中の退院をめざしていたが発熱があり延期となり、200X+8年1月20日に自宅へ退院となった。退院後はデイケアと訪問看護を週3回ずつ利用されていた。2月と3月の前半までは、訪問看護ではバルーンのトラブルが見られたが、デイケアを良好に利用されていた。しかし、3月中旬にケアマネより「血圧低下が見られデイケアの入浴もできなく、本人もデイケアは疲れると訴えている」との連絡を受ける。
 4月1日ケアマネより「1週間程前から全身痛と夜間せん妄が見られる。本人は自宅がいいと言っているが、奥さんは自宅での介護は限界との意向で、在宅で看取る気持ちまでには至っていない」と連絡を受ける。
 45日に奥さんと息子さんが主治医と面談 腹満著明で尿量も少なく、訪問診療での自宅の看取りも提案するが、奥さんは自信が無いということで、入院方向とすることが決定した。

 410日ケアマネより、「現在自宅に訪問中だが、本人は2、3日前から昼夜逆転の症状があったりして、本人は自宅がいいと訴えているが、奥さんは入院を希望している。本人・家族と話し合いをして入院に同意されたので調整をお願いしたい」と連絡を受け同日入院となる。本人は自宅へ退院したいと涙ながら訴えていたが、奥さんは「入院できてひと安心です」と安堵されていた。そうした中で417日に永眠された。
<まとめ>
 本人は在宅で過ごしたいと訴えていたが、妻は夫への介護で疲労困憊してしまい、最期を在宅で看取るまでの余裕はなかった。
 本人の意向と妻の介護の現状との間での支援のかかわりの難しさを実感した症例だった。
<討論>
・本人には「治したい」という気持ちがあったため、病院の主治医との関係を持ち続けたいと思っていたようだ。そのため、在宅医療の提案が遅れた。
・若い末期癌のケースでは、病院との関係を絶ちたくないと思うケースがしばしばある。
・ただし、どのような場合でも最後の状態が予想できた時点で、可能な限り早いうちに在宅医療の提案をしておくのがいいのではないか。


2 癌性腹膜炎による腹水貯留を腹腔穿刺で治療し在宅で看取った1ケース
                                   福祉の森診療所  赤荻栄一
                            訪問看護ステーションはなもも 中澤由君子
<ケース>65歳女性 膵臓癌末期(癌性腹膜炎) 要介護2 ・主介護者:夫
・本人家族の思い:このまま最期まで在宅で
<病状と経過>
 10年前から、近医で膵臓の嚢胞の経過観察を受けていた。ところが昨年6月、腹部膨満が出現し腫瘍マーカーの異常高値を認めたため腹腔穿刺。細胞診で腺癌の診断。本人(薬剤師)と家族には、癌であることが告げられ、TS-1の服用を始めたが、吐き気が強く中止。結局、一切の抗癌剤治療をやらないことにして、腹水貯留への対症療法のみで経過を見ることになった。
 ちょうどその時、黄疸が出現し始め、腫瘍の浸潤圧迫による胆管狭窄が原因と判明したため、胆管にステント挿入。これで黄疸は消失。腹水に対しては2週間に一度2日間の入院で、腹水濃縮還元療法を行うこととして、退院することになった。
 926日初回訪問。ご両親を在宅で看取った経験があることから、最初の言葉は「今度は私の番になっちゃいました」だった。痛みがあり、フェントステープ1rを貼付中。訪問は、週に1〜2回の頻度で様子を見ながら行うことにした。退院後、腹水濃縮還元は2回施行。しかし、すぐに腹水が貯まってしまうこと、およびそのたびに入院しなければならないことを理由に、腹腔穿刺だけで様子を見て行くことはできないかとの希望あり、1024日から週に2回穿刺を行って様子を見ることとした。これに合わせて点滴を開始し、訪問看護を導入。1回の穿刺で腹水11.2Lを排除。また、痛みが増強したため、フェントステープを増量。1.75rで痛みは軽減。
 比較的安定した状態が続いたが、その1か月後、腹部全体にゴツゴツとした腫瘤を触れるようになり、血圧が低下。123日が最後の穿刺で800mlの腹水排除。その後、腹水の代わりに腫瘤が増大。そのまま自宅で128日に永眠。
<訪問看護の経過>
 1022日より月曜から土曜までの連日の点滴管理と状態観察目的にて訪問看護開始となる。 初回訪問時は、夫付き添いで家中歩行可であり、テーブルで食事を家族とともに、小さい茶碗に1膳と水分1日500cc程度摂取。食事以外は、居間の中心にあるソファーに横になっており、家族との会話を楽しんでいた。独立している3人の子供たちは、本人の病状を聞きそれぞれ介護休暇をもらい帰省していた。
 保清は1か月入浴していないとのことでシャワー浴勧めたが、本人の不安強く、まずケリーパッドでの洗髪や足浴を家族の前で実施すると、家族が連日足浴するようになる。また、手足のマッサージも常に行っている姿あり。
徐々に腹満で息苦しさを訴えるようになり氷水やアイスしか食べられなくなる。安楽な体位保持ができるよう電動ベットを活用するようにした。また、疼痛よりも倦怠感が強く、身の置き所ないと昼夜問わずベッドから起きて、夫の手を借りてソファーに移動するようになると、家族から不眠の訴えが聞かれるようになる。安定剤や眠剤を調節して安眠を図るようにし、介護負担も軽減できていた。足の浮腫が足首から徐々にひざ上まで増強し歩行困難となり、車いすやポータブルトイレを利用するようになる。便秘も見られ、訪問ごとに浣腸や摘便にて介助する。
 11月下旬には一時状態安定し、本人と家族からシャワー浴の希望があり、看護師2人と家族総出でシャワー浴実施する。浴後、本人より「思ったより大丈夫」との声が聞かれた。
 12月になると傾眠状態となり、血圧90代。水や果物でむせるようになり、時折吸引実施。12月7日家族の見守る中、外出していた長男の到着を待って永眠した。
<まとめ>
・家で最期を迎えることを決めて在宅を始めたので、それをどう支えるかが訪問診療上の課題だった。
・腹水貯留への治療である腹水濃縮還元療法が、2日間という短期間であれ家を離れなければならない治療だったので、代わりに腹膜穿刺だけで見て欲しいという希望が出たため、すぐに実行。それによって、腹水が貯まり苦しくなった時に、いつでも排除できるようになった。
・結婚して家から出た子供たちが、いつでも孫を連れて家に戻り、母親との最期の時間を過ごせた。