平成25年度第3回定例会
(8月6日総和中央記念病院)
1.ケース検討
1)母を在宅で介護する長男への退院支援
古河赤十字病院 福田ゆみ子
ケース名:K氏 87歳 女性 老年性認知症、腰椎多発圧迫骨折 主介護者:長男(56歳)
家族の希望:長男:介護の負担は増すばかりだが、少しでもいい方向へ進んでいけたらいい
家族の状況:夫(86歳)が慢性硬膜下血腫で要介護状態。嫁(49歳)と孫3人を含め7人家族。
現病歴と経過:
平成25年4月16日に自宅で転倒。転倒後数日間は動けていたようだが、20日頃から歩行困難となった。排泄時には家族が抱き上げて移動介助。腰痛悪化のため、26日当院整形外科を受診。腰椎多発圧迫骨折として入院となった。
入院時、認知症があり、また強い腰痛や環境変化によってせん妄状態となって精神的混乱に陥っており、質問に対し返答はあるが全く辻褄の合わないことや、神経症状の診察時に下肢拳上、足関節の底屈背屈の指示動作ができず、独語があり、多弁と興奮状態。入院後、腰椎多発骨折による両下肢マヒと尿閉が出現。それに伴い下肢全体がむくみ、腰痛も強く体位の自己変換ができないことから、エアマットを使用。下肢浮腫軽減のため弾性包帯を巻き、また褥瘡好発部位の観察を行い縟瘡予防に努めた。尿閉に関しては、尿道留置カテーテルを挿入して排泄介助。清潔保持のため、清拭とシャワー浴介助を施行。入院中は、キーパーソンの長男が毎日仕事を終えた後来院し、身の周りの世話。看護師からは早い段階で介護保険申請をするよう声かけ。
5月中旬、医師から長男に病状説明が行われ、手術しても歩けるようになる確率は低いことが話された。長男は手術をあきらめられない様子だったが、最終的には保存的治療を受け入れた。そのため、精神的にも安定したこともあり、退院を考える時期と判断。5月17日介護保険の調査に合わせて、連携室に介入を依頼。連携室ではすぐに長男と面談し、ケアマネジャーを紹介。しかし、自宅ではK氏の夫が昨年慢性硬膜下血腫を起こして要介護状態となっており、長男からは「二人の世話は大変」と不安の声。また、長男夫婦は共働きで日中は介護が難しい状況であることが分かった。受け持ちナースとして、平日は通所のデイケアやショートステイを取り入れて日中の介護負担を少なくできることをアドバイス。自宅退院か施設入所か迷ったようだが、5月29日に自宅退院と返事。そして退院するに当たり、連携室担当者、ケアマネジャー、病棟看護師、家族で、問題点や不安な点について話し合いを行った。病棟看護チームは、自宅での療養生活維持のため、家族にオムツ交換や陰部洗浄の方法と尿道留置カテーテルバッグ内の尿の処理法など細かく指導する必要があった。長男夫婦に一緒に来院してもらい、それらの手順を指導。また、その後毎日来る長男には数回オムツ交換を指導して、手技を習得してもらった。また、退院後の居宅サービスの内容とレンタルベッド搬入日を確認し、退院日を決定。退院直前には、縟瘡好発部位の観察、下肢浮腫予防のための弾性ソックスの必要性、通所サービスのない日は自宅で車椅子に乗車させ、寝たきりにしないよう指導、6月12日退院となった。
まとめ:
・要介護者が二人になり介護の負担が増えることで在宅での介護に不安が生じていたが、介護サービスを利用できるよう介護保険申請を早期に勧めたことや、排泄を始めとする自宅での介護の手順を指導したことにより、退院後の在宅介護の不安を軽減することができた。
・今後も、在宅介護サービスを利用して、在宅での療養生活が維持できるようニーズに対応し、調整していくことが課題と考える。今後とも、患者様やご家族の状況に応じた在宅支援に向けて取り組んで行きたい。
討論:
@夫の状態は?
一時寝たきりだったが、長男の介護により現在は自力で歩行が可能となっている。
A自宅への退院か施設入所か迷ったのは何故?
経済的理由。在宅が、やはり最も経済的ということになったようだ。
B長男にとって二人の世話が大変と思われたのに、それをやることになったのはどうして?
このケースでは、この点がポイント。経済的な理由もあったようだが、長男にとって、父親の介護で要介護状 態から自力歩行できる状態に回復させることができた実績があったので、母親もなんとかなるという気持ちになれたのではないか。もちろん、入院時から適切な指導があったので長男がこれならできると思ったのだろう。
2)誤嚥性肺炎を起こし病院で最期を迎えた多系統委縮症の1ケース(本ケースは平成23年度定例会に既出)
福祉の森診療所 赤荻栄一
ケース:S.K.67歳 女性 多系統萎縮症 主介護者:夫
家族の希望:夫:できるだけ家で見ていきたい 家族の状況:夫との二人暮らし
経過:
平成10年頃から、足元のふらつきが出現。さらに言葉のもつれも加わったため、頭部CT撮影。小脳と橋の委縮を認めたため、神経内科へ紹介。オリーブ橋小脳委縮症と診断され、外来での経過観察となった。
平成20年、通院困難になり、訪問診療を目的に当院へ逆紹介。4月から訪問開始。訪問開始時、つかまり歩き可能で、排泄は自力。8月に入ると立位保持も困難となり、夫の介護疲れも見え、療養棟へ入院を希望。3か月の入院でバルーンカテ留置となり退院。訪問を再開した。
寝たきりとなって、仙骨部に褥瘡出現。これは、エアーマットにして軽快。しかし、次第に四肢の筋硬縮が進み、関節も固縮傾向。そして、肩や手関節痛が増強した。
翌年、肺炎のため再入院。3か月後退院したが、入院の間に仙骨部褥瘡が拡大し、ポケット形成。これを、切開し、訪問看護により洗浄を続けてもらい、6か月でやっと軽快。その間、バルーンカテの自然抜去や閉塞、出血や緑変などのトラブルが多発。これらは、膀胱洗浄の回数を増やすことでなんとか解決した。
またその間、平成22年の夏頃から経口摂取が困難になり始め、誤嚥性肺炎発症。抗生剤の経口投与でなんとかしたが、経口摂取はかなり困難になっており、肺炎の再発が懸念されることから、24年1月胃瘻造設。(ここまで前回報告)
その後誤嚥は少なくなり、状態は安定していたが、ときどき血尿が見られていた。25年3月、多めの血尿が出現。膀胱洗浄と抗生剤で軽快したが再燃を繰り返し、5月21日には発熱と呼吸速迫が見られたため、肺炎として入院。24日には、一時心肺停止状態となる。その後、人工呼吸器を装着。気管切開を勧められたが、子どもたちが反対。夫はどうすべきか苦しんだが、結局、そのまま気管切開をしない方針とした。
6月18日、そのまま永眠した。
まとめ:
・平成20年8月から寝たきりとなり、夫が一人で介護に当たってきた。
・途中に、縟瘡形成、バルーンカテーテルトラブル、誤嚥などの問題が生じたが、なんとか切り
抜けてきた。
・しかし、ほとんど嚥下ができない状態になり、四肢も拘縮。その時点から誤嚥性肺炎をくりか
えした。
・結局、その誤嚥性肺炎が致命的となり、入院はしたものの心肺停止となり、人工呼吸器装着と
なった。
・人工呼吸器装着となったところで気管切開を勧められたが、すでに多系統委縮症の末期の状態
であり、人工呼吸器を付けたまま生きることは、ただの延命にしかならないと考え、子どもた
ちが気管切開に反対。
・夫が最後までこだわったが、結局、延命措置は行ってもらわないことになり、気管切開を置か
ず、そのまま永眠した。
・神経難病の末期では、この選択でいいと思うが、介護者の本当の気持ちはどうだったのだろうか?
討論:
@夫の気持ちについて
本人は、いつも夫の介護に感謝していた。夫も、本人の表情からどういう気持ちでいるかを理解できていた。と ころが、しだいに表情が乏しくなり、夫にも本人の気持ちの理解が難しくなっていた。
したがって、夫にもそろそろ本当に最期かもしれないという気持ちもあったかもしれない。
また、夫には食べられなくなったら最期という思いもあったようだ。ただ、それは胃瘻造設で乗り越えられた。
最期の時、呼吸が止まって人工呼吸器をつけたが、その後は意識はまったく戻らず、夫が声かけをしても反応
はまったくなくなった。その時点で、夫もあきらめたと思う。
2.ケア・カフェについての報告
つくば調剤薬局総和店 吉田 聡
・7月31日に試行的に行った。
・参加者は13名で、すべてよかったという回答だった。
・今後、開催場所をもう少し多くの参加者に対応できるような場所を選ぶ予定。
・また、次回の開催は9月を予定。テーマを考えて行く。
3.本年度市民フォーラムについて
・ポスターとチラシの配布についての依頼
・当日のセッティングと片付けについて協力を!