平成25年度第3回定例会(12月3日古河赤十字病院)

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T 終末期を自宅で過ごしたいと望む本人と介護困難を訴える家族への支援                                        古河赤十字病院 荒井恵子

ケース:84歳男性 大腸癌末期(術後) 要介護3  主介護者:妻と長女(身障者手帳3級)本人の希望:自宅へ帰りたい 
長女の希望:母も要介護で自分も障害があり介護には限界がある。最後は病院で。

経過:201356日尿閉にて入院。尿道留置カテーテルにて症状は改善。バイタルサインや全身状態は変化なく、入院5日目にはリハビリが開始された。519日に尿道留置カテーテル閉塞により抜去。それ以降、自尿も見られ、入院時の症状は改善された。しかし、腫瘍マーカーの上昇が見られ、医師から長女に今後について厳しい内容の説明があった。本人は癌性疼痛の訴えもなく、食事摂取も良好で、早期リハビリの効果から車いすへの移乗も見守りで行えていたため、医師からは退院の許可が出ていた。524日に連携室が介入し、長女との面談を行った際には、訪問診療・訪問看護を希望し、同月31日は在宅医師を交えたカンファレンスが組まれた。サービスは、要望があればすぐに利用可能な状態だったが、カンファレンスの場で、長女から「入院前と同じように在宅でと一時は考えたが、やはり介護力の問題から自宅では困難」との返答があった。そのため入院継続となった。有料施設では金銭的な負担が大きく、自宅からも近いということから家族は入院継続を希望。本人も入院当初は自宅への退院を心待ちにしていたが、家庭の状況を家族から聞き理解したためか、帰りたいという言葉は次第に聞かれなくなった。病院での日課は車椅子での散歩、テレビ鑑賞が主であるため、看護師から気分転換を図るためにも、少しの時間でも自宅へ外出することはできないかと長女へ相談した。医師からも同様の話があり、週1回なら可能との返答で、7月からほぼ毎週金曜日に外出ができた。外泊も勧めたが、ベッドもなく介護も困難ということだった。11月に入る頃には身体機能の低下が見られ、自力での体位変換も困難となり、食事摂取量も低下した。そのような状態でも、本人からは外出の希望が出されていた。金曜日以外でも焦燥感にかられたような緊迫した表情で「家族へ電話して欲しい」と訴え、家に帰りたいと外出の希望を出していた。そのため長女へ、「全身状態が悪化しているため、今後外出が困難になるかもしれない」と伝えた。再度外泊を促すと、「本人が望むなら」と自宅の倉庫に会ったベッドを準備したとのこと。入院して初めて4日間外泊することができた。帰院後は食事摂取も困難になり、徐々に全身衰弱が進行して行った。外泊から12日目、約6か月にわたる入院生活の末、亡くなられた。
まとめ:本人は当初、癌性疼痛などの症状が顕著ではなかったため自宅退院できると信じ、リハビリを積極的に行っていた。スタッフも自宅からの入院であるため、在宅サービスが介入することでスムーズに退院できると考えていた。身体機能も現状維持できるよう対応していた。しかし家族の立場では、医師から厳しい内容の説明を受けており、急変時の対応など不安が大きかったのではないかと思う。そして、看護師の担当が入院後1か月で変更になり、家族との信頼関係を築くのに時間がかかってしまったことで、今後の話ができていなかった。看護師として家族ともっと早く積極的に関わりを持ち、自宅へ帰ることの不安などを聞き出すことができていれば問題点が見つかり、連携室を通して解決策が見いだせたと思う。今回の事例では最後に自宅で過ごすことができたが、患者の本心は自宅へ帰ることだったと思う。終末期を住み慣れた自宅で過ごしたいという患者の意志を尊重し、よりその人らしく最期を迎えられるよう配慮するにはどのような関わりがよかったのか課題が残る。

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在宅での最期を希望しながらも病院での最期を選んだ胃癌の1ケース(その1                                   古河福祉の森診療所 赤荻栄一

ケース:MU 女性 42歳 胃癌末期  要介護4 主介護者:夫 40代 夫と二人暮らし
本人の希望:家にいたい 夫の希望:家で見ていてやりたい。胃管を抜いてやりたい
経過: 20122月、腰痛出現。さらに便秘と胃部不快感が加わる。5月、近医で胃内視鏡検査を受け、胃癌の診断。直ちに自治医大消化器内科に紹介された。手術も検討されたが腹膜播種のためあきらめ、6月からTS−1/CDDP療法開始。10コース継続。
 20136月、CTにて癌性腹膜炎の増悪が確認されたため、治験薬を開始したが、7月には腸閉塞出現。治験薬は無効と判断し、緩和ケアの方針となる。オピオイドによる疼痛緩和と胃管による胃内容の排除を続けることとなった。
 在宅の方針となり、胃管の吸引とフェントステープの張替えを、介護休暇を取ったご主人が行うことになり、822日訪問開始。経口摂取は可能だが、摂取したものは胃管からほとんどが排泄されてしまうため、皮下注射による点滴を行うことになり、23日から訪問看護開始。皮下注射による点滴薬の準備と終了も、訪問看護のない時にはご主人に任せることとなった。
 訪問3週目、「胃管がのどに当たりつらい」と。ご主人も「胃管は抜いてあげたい」と思っていたため、胃管からの排泄量が少なくなったのを見て、「腸が動いているから胃管が抜けるのでは?」と、抜管をためすことを希望。抜管は困難と考えたが、本人とご主人の強い希望のため、一度抜いてみることにした。抜管後、経口摂取を控えさせたが、やはり、大量の嘔吐あり、胃管再挿入となった。
 本人もご主人も「このまま最期まで家で」との思いだったが、介護量が増え、ご主人の負担が多くなっていくのを、これ以上見ていられないと、本人はまだ体力の残っている今のうちに入院して最期を迎えることを決断。913日、介護タクシーで自治医大を受診。初診時から関わってもらっていた臨床心理士に面談して、入院の希望を伝え、再入院。そして、15日に死亡した。
 入院を決断した背景には、義母が作ってくる食事をご主人が摂る暇もなくなっていたのを義母自身が見て、「息子が可哀そう」という表情を見せたこともあったと推測された。
まとめ:
・胃管を抜いてもらいたいという気持ちが強くなっていたが、実際に抜いてみて、それが叶わぬと実感。
・その後、急に気持ちが落ち込んだ。
・そして、息子を可愛く思う義母の姿が揺れ動く気持ちを入院へと向かわせたのかもしれない。
・ご主人が、あまりにも一人で背負い過ぎたという面もあったかもしれない。
・嫁姑の関係も影響した?
・後に、ご主人は「本人が望んだことだから」と淡々と語ったが、本当にそれでよかったのか?

V 在宅での最期を希望しながらも病院での最期を選んだ胃癌の1ケース(その2
                        訪問看護ステーションたんぽぽ 市橋淳子看護の実践のまとめ
1 2013823日より訪問開始。
2 訪問開始直後は表情も暗くあまり話したがらない様子があり出来るだけ訪問スタッフを固定
  とし、
話しやすい関係つくりに努めた
3 家族で過ごす時間を大切にしたいという夫の希望から訪問時間、訪問回数を検討し、皮下注
  射の手
技を夫に指導した
4 訪問開始直後より自宅での入浴を希望されていたが、ADLの低下や倦怠感もあり入浴サービ
  スをケアマネと相談し導入したことで気分的に爽快感がえられ明るい表情へと変化した。
5 スタッフと徐々に色々な話をする中で本人の気持ちに変化がでてきた。本人より「病気にな
  ってなんで生きているのか分からなかったが、今は夫や息子のために一日でも長く生きたい
  」という言葉が聞かれた。

6 ご本人より夫をもっと自由に外出させたいと希望があり訪問時に外出して頂くように声掛け
  をして
外出して頂いた。夫の外出中には色々ご主人についての話(相談)があり話を傾聴し
  た

7 退院直後よりM-Tの抜去を希望され一か月ぶりに排ガス、排便があったことからDrM-T
  抜去。このことで嘔吐はあったものの夜間ゆっくり眠れた、一日だけでも自由になれて嬉し
  いと
笑顔で話された。この時本人より最後に石垣島に海を観に行きたいと希望がきかれ。旅
  行会社等から資料を集めご本人へ提案予定だった。

8 ご主人も持病を抱えながらの介護で食事がなかなか食べられない状況であった。その後主人
  を見ながら
Mさんは自分に何かできることはないかと思っていた。
9 913日(亡くなる2日前)本人より自治医大の先生に相談したいことがあるとご主人へ話が
  あり
介護タクシーで受診。ご本人より入院希望がありそのまま入院となる。Mさんが入院を
  決めたのは
夫に対して自分ができる最後の思いやりだったのではないかと思われる