在宅ケアネットワーク古河会報(第12号)
           平成24年6月発行

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T 平成24年度総会及び第1回定例会(平成2665日 友愛記念病院にて)
 4月に古河福祉の森会館で予定されていた総会と定例会は悪天候のため延期となり、今月5日に友愛記念病院で開催されました。45名もの参加があり、盛会でした。第1回定例会の報告は次号で行います。
 最初に昨年度の事業報告と決算報告、ついで今年度の事業計画が報告されました。今年度も、昨年同様に定例会を開催して症例検討を行います。8月には、総和中央病院で定例会を開催します。また、昨年同様10月には福祉の森会館で市民フォーラムを開催する予定です。今年は、「食について考える」をテーマにしようと考えています。ついで、12月が古河赤十字病院、そして翌年2月が古河病院での定例会の開催になります。
 10月の市民フォーラムについて、ご意見があれば事務局までご連絡ください。

 総会に提出された、昨年の決算は以下の通りです。

<在宅ケアネットワーク平成23年度決算書>

(収入)                  (支出)
 個人会費     5,000円(1,000円×5)   郵便料            4,020
  施設会費    20,000円(5,000円×4)   消耗品              2,362
  賛助会費    50,000円(10,000円×5    謝金(フォーラム7名分) 70,000
  利子         75
  前年度繰越金  308,467                        次年度繰越金        307,160
  計       383,542                             計           383,542

  繰越金がかなり残っていますので、今年度も、それなりの事業ができると思います。


U 在宅ケアネットワーク古河定例会報告(平成2312月〜242月)

1 平成23年度第5回定例会「ケース検討」(平成23126日古河赤十字病院にて)

1)全介助の妻を介護する夫への退院支援            関山君子  古河赤十字病院
(ケース)65歳女性。くも膜下出血。主介護者夫(67)義母(88)と本人の3人暮らし。
(既往歴)平成7年 高血圧・糖尿病、 平成17年 脳梗塞。
(夫の思い)年齢も若いのでできるだけのことはしてあげたい。転院を繰り返し悔やむことはしたくない。在宅で看る。
(経過)平成221230日から平成23411日までくも膜下出血でS病院において治療(脳動脈瘤クリッピング・V-Pシャント)し、その後、近隣のリハビリ病院へ転院するが、その入院先で痙攣重責発作を起こし、意識レベル低下があり、再度S病院へ転院し治療を行い、平成23621日、療養目的で当院に紹介され入院となる。
 入院時、意識レベル(JCS1-3A、四肢ともに自発運動なし。一般状態は安定しており、栄養管理の為に719日に胃瘻造設となる。前院から多剤耐性緑膿菌保菌者であった。
 地域連携室を通じて当院転院となったが、転院前から夫は在宅療養の希望であったため、転院当日より連携室の担当者と面談を行っていった。当院転院後もADL全介助の状態で、在宅での介護者は夫のみとの事だった。そのため、介護力不足があると考え、在宅ケアに対して思いを確認していった結果、在宅療養への意向は変わらなかった。これを踏まえて地域連携室を通し、722日に受け持ち看護師と担当ケアマネージャーで面談を行い、在宅に向けて、情報交換・介護介入体制・介護内容の検討を行った。その結果、支援体制が整う816日を退院日に予定し、在宅療養の不安を軽減するために「介護ケア手順書」を、スタッフが統一して指導できるように、「ケア指導予定スケジュール表」を作成した。これを元に夫に退院へ向けてケアを覚えていただくよう、726日より指導が開始となる。しかし、自宅に高齢の義母がおり、面会時間が30分程度で、指導時間が確保できなかったり、面会に来られない時や面会に来られても指導できない時もあった。日々の受け持ち看護師が、変わることもあり、指導内容を確認しながら、継続してケアの内容が習得できるように援助を行って行った。夫より、「今は見てもらえているからいいが、家に帰って同じようにできるか心配だ」という声が聞かれることもあった。その反面、「わかりました、やってみます」と淡々と応えることもあり、本当に理解できているのか心配であると、指導した看護師から不安の声が聞かれることもあった。カンファレンスを繰り返し、夫が振り返りや確認ができるように自分の担当日には「介護ケア手順書」を一緒に見ながら再指導を行って対応していった。夫は、戸惑いながらも根気があり、覚えることが出来た。そして、812日、主治医・病棟看護師・地域連携室担当者・在宅ケア訪問医・ケアマネージャー・訪問看護師・ヘルパーと共同ミーティングを実施し、再度情報交換や退院後のケア介入調整を行う事で、在宅療養の準備が整い816日予定通り在宅退院となった。
(まとめ)今回の事例は、地域との連携を図りながら社会資源を活用して行う在宅支援の重要性を再認識し、在宅療養へつなげることができた。退院後は夫独りでの介護となる為、介護内容を自分で確認しながら継続できるように、日常生活上のケア手順をまとめた「在宅ケア手順書」を作成した。いつでもこの手順書を見ながらケアができることで、夫の在宅介護への不安が軽減できたと考える。
 今後も患者や家族のニーズに応じ、地位にあるネットワークを十分活用して、在宅介護・在宅療養に関わっていきたい。


2)デイサービスを利用しながら在宅生活が可能になったケース
                                               関根 朋子  古河赤十字病院
(ケース)85歳男性 うつ状態、高度貧血、脳梗塞。妻との2人暮らしで主介護者は市内に住む次男。要介護3 日常生活自立度:J2、認知症自立度:Ub 排泄と入浴が一部介助
(本人家族の希望・要望)本人「早く家に帰りたい」、家族「もう少し自立できてから退院してほしい」
(経過)長男の死と東日本大震災が重なったことで食欲不振となり、本年4月5日当病棟へ入院となった。入院時から食事を開始していたが、1〜2割程度しか摂取できておらず、点滴療法が開始された。また、入院時採血結果で、Hb4.4mg/dlと貧血があり、輸血を行った。その後も血液検査と照らし合わせながら、入院期間中、計3回輸血を実施し、最終的にはHb10mg/dlまで回復している。
 入院2日後の47日、左上下肢の麻痺がみられ、頭部CTを施行。脳梗塞と診断され、カタクロットの点滴も開始となった。点滴ならびに輸血を施行した結果、徐々に食事量も増え、貧血症状や左上下肢の麻痺も改善されてきた。
 麻痺出現約1ヶ月後の59日から、栄養状態や症状改善したことに伴い、ADL拡大に向け、リハビリが開始となった。リハビリは順調に経過し、平行棒を使用すれば歩行ができるようになった。さらに、見守りにて、ポータブルトイレへの移動や車いすへの移乗も行えるようになっていった。この頃から、入院生活においても積極性を認めるようになった。
 しかし、ADLの拡大に伴い、看護師を呼ばずに一人でベッドを離れるなど、危険な行動が頻繁にみられるようになった。転倒転落予防の観点から、本人ならびに家族と相談の結果、離床センサーや安全ベルトなどを使用したが、離床センサーのスイッチを切ってしまったり、安全ベルトをすり抜けてしまうなどして、その後も一人でベッドを離れたり、他病棟まで麻痺側を引きずるように歩行していってしまったこともあった。無口な方であり、自分の考えや思いを語ることは少なかったが、一見、危険と思える行動をとる理由を尋ねたところ、「家に帰りたい」という言葉が聞かれた。
 私たちは、本人の思いを尊重したいと考え、医師へ相談し、退院調整を行うことにした。介護調査も入り、ケアマネージャーも決まり、順調に進むと思っていたところ、家族から、退院後は老老介護であること、また、キーパーソンである次男は持病があることから、「本人がもう少し自分のことができるようになるまで退院は無理」といわれ、在宅受け入れに難色を示された。
 その後も危険と思える行動は続き、616日には、離床センサーや安全ベルトをすり抜け、病院駐車場まで自力で歩行しているところを発見された。私たちは、家族の在宅介護に対する不安な思いを尊重したい反面、活動範囲が拡大した現状では、不要な拘束を行うことは本人の尊厳を侵害することにつながる。何よりも、在宅の準備も進まないまま、タクシー等を利用して自己退院しかねないと考えた。そこで、本人を交え、家族とケアマネージャー、介護ヘルパー、医師、看護師長、担当看護師、社会福祉士でカンファレンスを開き、現状の問題と今後の方針を話し合った。カンファレンスでは、本人の口から「家に帰りたい」と言う思いが語られ、その思いを家族も受け入れ、在宅への退院に向け、関係各位から具体的な問題点や対応策が話し合われた。
 すべての準備が整い、調整からわずか2日後の618日、まずは試験外泊という形で自宅へ戻り、そのまま退院となった。
(まとめ)本人の口から自分の思いを伝えることができたこと、そして家族がその思いを受け入れたことが退院につながった。
 関係者が合同カンファレンスを開き、それぞれの立場からの問題点や対策を話し合えたこともよかった。

3)患者・家族の理解力に合わせた退院支援の実際
                                   岡山 久美、岡山ひとみ 古河赤十字病院
(ケース)83歳男性、心不全・軽度認知症。妻と2人の娘との4人暮らし。主介護者は長女。次女は軽度知的障害がある。要介護3 日常生活自立度:A1 認知症自立度:Ua ADLはすべて一部介助
(本人家族の希望・要望)本人「家族と離れたくない」、家族「在宅で介護をしたい」
(経過)F診療所に通院中であったが、呼吸困難が増強し当院を紹介。診察の結果、診断は心不全で胸水貯留を認入院の運びとなりました。心不全については酸素吸入、利尿剤、ハンプの投与によって治療が開始されましたが、改善が認められませんでした。入院数日後には全身の浮腫の増強や呼吸状態の悪化が見られ、家族へかなり厳しい説明がされました。しかし、BIPAPを開始し、カコージンを投与してから、利尿が得られ、病状は徐々に改善していきました。体重は入院時66.7kgから退院時51.2kgと減少し、CTR58%から58.1%と明らかな変化はないが葉間胸水が減少しました。その結果、呼吸状態の改善が進み看護師は退院へ向けた働きかけを開始しました。
 家族構成は、本人と妻、そしてキーパーソンの長女と身の回りの世話を担当する次女でした。患者は家族が帰宅するとすぐにベッド柵を外し、制止するのも聞かずベッドから降りようとする危険な行動が見られた為、家族の付添いを検討しました。妻や娘たちにとっては日中も夜間も心配なため、妻あるいは次女が終日付き添うことを希望してきました。
 ところが、飲水量の説明をしたり、食事制限について何度説明しても、もっとも身近にいて世話をする妻や次女に理解を得ることがとても困難であるといった問題が発生しました。例えば、飲水制限が800ml/日でした。目盛り付きのカップを用意して貰ったのですが、水分を食後藥や食間藥のために分割することが難しく、はじめのうち本人の欲するまま与えていた事がありました。また、付き添っていた次女は、本人へ飲水制限や食事制限を強いる事が辛いと、涙を流し感情的になる事もありました。これらの制限は治療として必要であることや制限が守られないことで症状の悪化を招く恐れがあることを繰り返し説明しましたが、理解を得られず結局、看護師が飲水量を計算し預かっている水の中から欲しがるたびに少しずつ渡すようにしました。病状が安定し、点滴での治療が終了してからはリハビリが開始され、夜間の付き添いも必要が無くなりましたが、時折ベッドの柵を外したり、見当識障害の状態になってしまう事がありました。
 入院によってもたらされたと考えられるこのような症状に、家族とくに妻は精神的ショックを受けた様子でした。更に、安静臥床が長期化し筋力低下、自発的な活動も低下し自力での体位変換も行わなくなってしまいました。この頃から、家族はM氏の整容や体位変換も看護師に依存的になってきました。退院の具体的な準備をするに当たり、キーパーソンの長女へ情報が伝わらない事態も発生しました。介護保険は申請しておらず、入院中に介入し申請して頂きました。ケアマネージャーが決定し、自宅訪問も済んで自宅へ退院すると決まっても、自宅の準備が整っていないという理由で退院の延期を希望しました。また、本人への励ましの言葉として看護師が言った言葉を受け取り方の違いから、苦情として訴えてくることがありましたが、こちらの意図を分かりやすく説明し納得して貰うことが出来ました。理解力や介護力に不安があるケースのため、本人と家族に疾患、食事、運動、水分についてパンフレットを作成しチームで共通の指導が出来るようにしました。また、ケアマネージャーが決定してからは、ケアマネジャーが長女と相談し、家の改修や在宅サービスについて計画を立て、在宅での介護は、長女の指導、監視のもと生活していく方向で勧め指導をしました。退院(9月中旬)後は、月1回の外来通院を継続中です。
(まとめ)家族の介護力、疾患の管理能力に不足があり、疾患の治療だけではなく家族への管理指導が必要でした。特に、主な介護者である妻と次女には、繰り返し説明しても理解が困難であった為、介護保険の申請方法から認定結果が出るまでの経過、介護サービスの利用に至るまでも一通り説明したにも関わらず、実際の申請が遅く退院準備が手間取ってしまいました。このケースのように理解力に差があり情報伝達に問題がある場合、どこまで踏み込んで指導すべきか十分な検討が必要でした。
 また、説明の言葉不足で誤解や不快感を与えてしまったこともあり、コミュニケーションの難しさを感じました。今後の課題として家族の調整も連携室や院外のケアマネ−ジャーとの連携を図り、さらに自宅への療法士による環境調査などが出来ると患者家族の個別性により一層適した在宅での生活が可能となると考えました。

4)娘が在宅介護に不安を感じながらも在宅での看取りができた肺がんの1ケース
                             赤荻栄一  福祉の森診療所
                                    塚田弘子  古河社協居宅介護支援事業所
                      坂本ゆかり 訪問看護ステーションたんぽぽ

(ケース)82歳女性。肺がん末期で全介助状態。夫と次男と同居。介護のために嫁ぎ先から長女が帰省。
(本人家族の希望・要望)本人「楽になりたい」、娘「できるだけ家で介護したい(ただし、最後まで見るのは無理と思う)」
(経過)本年1月、血痰があった。3月に近医受診し、左肺がんと診断される。骨と肝に転移あり。抗がん剤と鎮痛剤投与開始。しかし、がんは増大。オピオイド開始となり、退院。その後、外来で点滴を受けていたが、寝たきり状態になってしまい、通院が不可能になったため当院に相談に来た。この時、社協でのベッドレンタルを紹介。その申請時にケアマネを依頼。
 イレッサの服用を続けているが、これを続ければ肺がんが治ると信じているからとのこと。また、オピオイドを服用すると吐き気が強くなると言って服用をやめたところ、吐き気と痛みが楽になった、と。
 初回訪問時、左肺の呼吸音は聞こえず、肝臓は腫大していた。SpO2:93%。血圧:116/80、脈拍:90/分。このまま好きなものを食べさせて様子を見るように言い、翌週訪問すると、左肺の呼吸音が聴取できるようになっていた。これは、点滴を止めたため体内水分が減ったことによる。さらに、「ごはんがおいしかった」とも。この様子を長女が見て、このまま最期まで在宅で見ていくことを決断。これを確認して訪問看護を依頼。
 その翌週、臀部の痛みを訴え、昼夜逆転。また、再度左肺の呼吸音が聴取不能になり、肩呼吸状態となった。また、痛みを訴えるため、オピオイドの使用を開始。これによって、本人も家族も夜は眠れた。さらに、日中も痛がるため死期を早める可能性を話し、オピオイドを増量。痛みは軽減したが、その翌朝に死亡した。
(まとめ)
.本人家族の思いと介護力
・本人は、がんの苦しみから解放されたいという思い。
・嫁ぎ先から帰省して介護にあたっている長女は、できるだけ家で見ていてやりたいと思っているが、どこまで見ることができるか自信がない。
・同居の長男は、仕事があるので介護力にはならない。
・ただし、次女もときどき介護に来ることができる。
2.介護の経過
・「どこまでできるかは、やってみないとわからない。本人が苦しくてたまらないような状態になるか、家族が参ってしまいそうになるか、そのどちらかの時に入院をお願いすればいい。それまで頑張って行こう」と話し、できるところまで家で見て行くこととした。
・点滴を止めて、食べられるものだけを食べるようにしてから、かえって具合がよくなったのを見て、家族はこのまま家で見て行くほうがいいという気持ちなってきた。
・最後に、痛みが強くなったところでオピオイドを使い、痛みが取れて夜の介護も楽になり、さらに増量して最期を迎えることなった。家族は最後まで家で見たことに満足した。
(討論)
・このケースは、外来抗がん剤治療を続けて来たが、次第に状態が悪化して、在宅に移行することになった。しかし、がん治療を行ってきた主治医は、本人の病状把握ができておらず、家族も在宅医療の知識がなかったため、在宅につながるのが遅れた。こういうケースの場合、だれが在宅へのつなぎ役になればいいのか?
・このケースについては、多少遅れはしたが、在宅につながり、最期まで在宅を通すことができた。そして何よりも、それに本人も家族も満足した。したがって、結局はいい結果につながったといえる。ただし、問題は治療を行っている主治医が患者の病状をきちんと把握できていなかったこと。入院中であれば、患者の情報が把握できるが、外来だと患者との接点が極端に減り、治療医に情報が入らなくなる。したがってこういう場合、薬局などを含め患者との接点を持つあらゆる業種の人間が、患者情報を主治医につなぐ努力をする必要がある。また、病院の連携室はそういう情報を受け入れ易くする工夫が必要だと思う。ケアマネにつながれば、在宅医療にはつながり易いので、介護保険の申請を勧めることも有用と思われる。

2 第6回定例会「ケース検討」(平成2427日古河病院にて)
1)胃瘻造設を決めた多系統委縮症(オリーブ橋小脳委縮症)の1ケース
                                           赤荻栄一 古河福祉の森診療所
                小松依子、瀬下美智子 訪問看護ステーションたんぽぽ

(ケース)66歳の女性。寝たきりで、夫の全面的な介助を受けている。
(本人家族の希望)本人は言葉を発すことができない。夫は、可能な限り家で見てやりたいと思っている。
(経過)平成10年頃から、足元のふらつきが出現。さらに言葉のもつれも加わったため、頭部CT撮影。小脳と橋の委縮を認めたため、神経内科へ紹介。オリーブ橋小脳委縮症と診断され、外来での経過観察となった。
 平成20年、通院困難になり、訪問診療を目的に当院へ逆紹介。4月から訪問開始。訪問開始時、つかまり歩き可能で、排尿障害があったが、排泄は自力で行っていた。8月に入ると、歩行のみならず立位保持も困難となってきた。さらに、夫の介護疲れも見え、療養棟へ入院を希望。3か月の入院でバルーンカテ留置となり、退院。訪問再開。
 寝たきりとなって体動も少なく、仙骨部に褥瘡出現。これは、エアーマットにして軽快。しかし、次第に四肢の筋硬縮が進み、関節も固縮傾向。そして、肩や手関節痛が増強した。
 翌年、肺炎のため入院。3か月後退院したが、入院の間に仙骨部褥瘡が拡大し、ポケット形成。これを、切開し、訪問看護により洗浄を続けてもらい、6か月でやっと軽快。その間、バルーンカテの自然抜去や閉塞、出血や緑変などのトラブルが多発。これらは、膀胱洗浄の回数を増やすことでなんとか解決した。
 さらに昨年の夏頃から、経口摂取が困難になり始めた。そして昨年末から、誤嚥性肺炎発症。抗生剤の経口投与でなんとか軽快したが、経口摂取はかなり困難になっており、肺炎の再発が懸念されることから、胃瘻造設を行うこととなった。現在、胃瘻造設後、夫が胃瘻管理の訓練中。
(問題点)
・多系統委縮症の一つであるオリーブ橋小脳委縮症は、治療法のない進行性の難病である。
・したがって、生活支援と関節拘縮の予防、合併症の治療および対症療法が主体となる。
・排尿障害がこの疾患の一症状でもあるため、バルーンカテ留置となったが、そのトラブル対策が必要であった。
・しばしば入院により褥瘡が悪化したため、主介護者はできるだけ入院はさせたくないと考えるようになった。
・嚥下障害が進むにつれ、食事の時間がかかるようになると同時に誤嚥による肺炎を起こすようになった。この肺炎の併発を機に、胃瘻造設となった。これは、介護者の負担を軽減すると同時に肺炎発生の危険を減らすものである。

10月の「市民フォーラム」についてのご意見を募集します。

テーマに関するご意見を事務局までお申し出下さい。

参考にさせていただきます。


      <事務局より>
       4月から、福祉の森診療所事務長が渡辺誠一に変わりました。よろしくお願いいたします。
   在宅ケアネットワーク古河の年会費は、個人会員1000円、施設会員5000円、賛助会員10000円です。
             個人会員がまとめて送金する場合は、全員のお名前をお忘れなく!

        ゆうちょ口座記号番号 記号10690 番号 49397401 加入者名 在宅ケアネットワーク古河