T 平成23年度第2回定例会報告(67日友愛記念病院 参加者36名)

1. 在宅酸素療法(HOT)を使った2ケース          福祉の森診療所 赤荻栄一                      
(1)  肺がん放射線治療を行うも肺炎を併発して死亡した肺気腫のケース
 84歳男性で、肺気腫による慢性呼吸不全に右肺癌が合併。主介護者は長男夫婦。本人は可能な限り在宅を希望。家族は本人の気持ちを大事にするが、癌を治してもらいたいという思いが強い。
 肺気腫外来治療中、半年毎の定期検査で胸部異常陰影が出現。肺癌と診断されたが、手術の対象にはならないと判断。根治療法である放射線治療を行うことになった。しかし、最後の1回を残すところで呼吸困難が強くなり、訪問。酸素飽和度が低下しており、放射線による肺炎が疑われたため、入院治療を依頼し、入院となった。すぐにステロイド治療が行われ、1週間で軽快退院。しかし、その4日後、再び呼吸困難が出現。再度入院し、治療を再開したが、その3日後、病状は軽快せず、死亡。
<このケースのまとめ>
・肺気腫患者には肺癌の併発が多いが、肺機能の低下のため、その治療は困難である。
・放射線治療の合併症である放射線肺臓炎は、いったん症状が軽快しても、すぐに再燃するこ  とが多く、その治療も困難である。
・結果的には、このケースでは肺癌に対して何も治療せずに様子を見ることが最善の方法だっ  たかもしれない。

(2)腎癌肺転移による胸水貯留に対しHOTと胸腔穿刺で在宅を継続したケース
 61歳男性で腎癌術後再発、肺転移、頸椎転移がある。要介護2。主介護者は妻。本人はこのまま死ぬまで在宅でと希望。妻は本人の気持ちに沿いたいという思い。
 7年前に腎臓癌の手術を受けたが、その後両側肺に転移。左には胸水貯留し、それにより、呼吸困難が出現し、酸素吸入を始めた。また頸椎にも転移を起こしており、それによる頸部と上肢、さらに胸部の痛みが強くなり、オピオイドを開始。デュロテップとオプソを処方されていた。頸椎転移への放射線治療が行われ、痛みが軽減したため、本人の強い希望もあり退院。訪問診療が当院へ依頼された。
 訪問当初、本人と家族には前医から「胸水が増えた時には入院してするしかない」と言われていたため、「もう入院はしたくない」という気持ちの強かった本人は、強い不安を抱いていた。実際、間もなくトイレに行くだけで息苦しくなり、胸水の増加が認められた。そのため、すぐに訪問して胸水を穿刺することとした。約500mlの胸水を排除すると、酸素飽和度が上昇し、本人の呼吸困難も軽減。そして、本人とっては、入院しなくても済むことが分かったことが、何よりも安心できたことだった。その後、胸水が増えるたびに排除をくり返し、自宅に戻ってから7週目にそのまま自宅で死亡した。
<このケースのまとめ>
・もう入院したくないという思いが強かったが、退院時に「胸水が増えた時には入院して排除  してもらうしかない」という前医の言葉が、本人を不安にさせた。
・しかし、実際に胸水が増えて呼吸困難が悪化した時に、自宅で胸水を排除してもらえたこと  で、不安が解消。そのまま在宅を続けることができた。


2.オピオイド等で症状緩和を図り、独居ながら自宅退院可能であった肺癌の症例                             友愛記念病院緩和ケア科 宮崎 亨
                        県西在宅クリニック   川又幸子

 64歳女性で肺癌の副腎と皮膚への転移があり、COPD・肺気腫を併発。喫煙を続けている。要介護1。主介護者:なし(猫と同居)。生活保護受給。本人の要望はできるだけ自宅で過ごしたい、家族には連絡しないでほしい、延命治療は望まない。
 200812月、静岡がんセンターで右肺癌と診断。その後、埼玉県立がんセンターに転院し、放射線治療を受ける。化学療法は希望せず、経過観察となった。
 
20094月、友愛記念病院紹介。201011月、頭部の皮膚転移。同時に背部痛、腹痛増強し、腹部CTで副腎転移と判明。痛みの増強のため、12月、それまで拒否していた入院を承諾。オピオイドを開始。モルヒネ630mgとデカドロン4mg内服で症状が落ち着く。すると、自宅での慮陽を希望したため、本年3月、訪問介護と訪問看護を受けることとして退院。
 しかし、
3月の大震災の後、不安が強くなり、それまで決して連絡をして欲しくないと言っていた市内在住の姉に連絡をする。同時に、本人の症状が悪化。姉は、入院させることを希望。本人は「入院はしたくないが、どうしたらいいか分からない」と。
 420日、痛みの増強とチアノーゼの出現により、このまま息を引き取るかもしれないとの不安から、姉が入院を強く希望したため、22日再入院。その後は、モルヒネの皮下注を継続、傾眠状態のまま、518日死亡。
<このケースのまとめ>
・独居であり、ペットの猫が家族同様。入院するには、その猫を処分するしかなかったため、  入院を躊躇。
・オピオイドの投与量が多くなり、副作用も出現して調節が困難だった。
・几帳面、気丈な性格だったので、オピオイドで眠気が強くなると、それを強く嫌がった。
・在宅を強く希望していたが、大震災により不安が強まって連絡を取らざるを得なくなった姉  が、最後に入院を希望したため、本人の意向にそむく形で再入院となった。
・本人は自分のことを多くは語らず、関わる側には、本人の本当の言葉を聞き洩らしていなか  ったのかとの思いが残った。

U 平成23年度第3回定例会報告(82日総和中央病院 参加者18名)
「病状の悪化に家族の気持ちが揺らぎながらも在宅で看取ることができた認知症を伴う肝硬変症の1ケース」
                   福祉の森診療所          赤荻栄一

                   白英荘居宅支援事業所       飯島 梢

                   訪問看護ステーション「サルビア」 遠藤育子
                      

 肝硬変、脳梗塞と老年性認知症の83歳男性。主介護者は妻と長女。ADLは全介助。本人は入院したくない。家族は、入院させたくないが、具合が悪くなった時にどうしたらいいか分からないので、不安。
 平成2210月、脳梗塞と高血圧の薬をもらいに行くだけだったところから当院へ紹介。それまでは白英荘で週3回のデイサービスを受けていた。デイでは、いつも楽しそうにしていた。しかし、徐々に腹部膨満が進んでいた。
 当院初診時、右半身の不全麻痺と廃用性下肢機能障害があり、歩行は困難。また、腹水貯留と下肢のむくみがあり、長時間の座位保持も困難な様子だった。この時には、白英荘のデイサービスは、腹部膨満のため送迎バス内で座っていることができなくなったとのことで、休止となっていた。
 平成233月下旬、右大転子部と右下腿外側部に褥瘡形成。これを機に訪問診療を開始。また、「サルビア」に訪問看護を依頼。訪問看護の契約時に、家族は夜間・休日の緊急対応はいらないとのことだった。
 初回訪問時、右下腿褥瘡は黒色壊死、右大転子部は発赤のみだったが、腹部膨満と全身浮腫はさらに増悪していた。これは、肝硬変症の悪化と食事量が少なくなっていたためと思われた。さらに、むせが見られ、誤嚥と喉頭部での喘鳴を認めた。
 4月下旬になると、一時右下腿の褥瘡は乾燥し軽快傾向だったが、右大転子部褥瘡は感染し、膿瘍形成。毎日の処置が必要になった、この時点で訪問看護緊急対応の契約に応じた。この頃から昼夜逆転状態となり、夜間譫妄が見られ始めた。精神薬のリスぺリドールをごく少量投与したところ、翌日の日中も眠気が残る様だとのことだったので、家族がどうしてもつらい時だけ服用させるようにした。
 今までの介護疲れにもよるのだろうが、妻の膝の状態が悪化して、介護に積極的に関われなくなってきた。そのように家族全体の介護疲れが目立ち始めたため、近くならば大丈夫ということで総和中央病院のデイケアを始めることにした。デイケアでは、可能な限り日中は起こしていることとしたが、食事は摂らなかったため、好きな果物を食べさせるようにした。
 しかし、食事摂取量はさらに減り、意識も混濁がちとなり、全身状態は極めて不良となった。それを見て、家族はこのまま見ていくことに強く不安を感じ始めた様子だったため、いつ急変してもおかしくないこと、しかしそうなったとしてももう治療法はないこと、つまり、もう最期を看取るだけの状態であることを家族に告げ、急変時にはいつでも主治医の携帯電話に連絡をしていいと伝えた。それを聞いた家族は、それならばこのまま家で見て行くとして、最期まで家で見ることを決めた。その1週後の610日朝、家族に見守られ、家で静かに息を引き取った。
<このケースのまとめ>
・全身状態の悪化や昼夜逆転が始まると、家族の不安が高まった。さらに妻の膝の悪化は、それ に追い打ちをかけた。
・したがって、病院に入院すれば全部見てもらえるという気持ちと入院を望まない本人の 思い を大事にしたいという気持ちの間で板ばさみ状態になって、家族の気持ちが揺らいだ。
・しかし、主治医からなにかあったらいつでも連絡していいと言われ、また訪問看護がいつでも 来てくれることを確認できたことで、最期まで家で見ていく気持ちが固まった。
・末期で家族の気持ちが揺らいでいる時こそ、関わりを持つすべてがその状況を共有すべきだが ケアカンファを開いているひまはない。したがって、主治医の訪問時に関係者が可能な限り同 席して、家族の気持ちを確認するのがいいと思われた。
・最期まで関わった訪問看護からは、「最期まで在宅で見た家族は、ほとんどが満足し落ちつい て死後のお清めにも関わる」という感想が述べられた。

V 市民フォーラム「胃瘻について考える」(115日福祉の森会館 参加者57名)
基調講演:「胃瘻・経管栄養とは」     友愛記念病院外科部長 加藤修志先生

 栄養を摂らなければ生きられない人間、現在胃瘻で延命できている人は国内で40万人。栄養療法の大原則は「腸が動いているなら腸を使う」。したがって、まず経腸栄養をめざす。経腸栄養法の利点は、腸管の粘膜を維持、免疫能の維持(正常腸内細菌叢の維持)、代謝反応亢進の抑制、胆汁うっ滞の回避、消化管機能の維持、長期管理が容易、廉価などがある。そして、静脈栄養に比べ感染症発生頻度が減少する。これに経管栄養と胃瘻・腸瘻がある。
 胃瘻は、現在、主に胃内視鏡を使って作られるので、PEGPercutaneus Endoscopic Gastrotomyペグ)と称される。ペグの適応は、予後が1か月以上、全身状態がペグ造設に耐えられる、経口摂取はできないが正常な消化機能を有する、4週間以上経腸栄養を行う、ペグが最も適した胃瘻の方法であるのすべてを満たした場合とされる(PEGドクターネットワーク)。また、患者本人がペグを望むのが最良だが、患者の意思が確認できない場合は、家族に代理を求めることになるが、この場合でも事前の本人の意思表示が確認できることが望ましい。したがって、だれもが、事前に家族や主治医、あるいは日本尊厳死協会などに、その意思を表明ないし登録をしておくことが望ましい。
 ペグは、内視鏡を用いて胃をふくらまし、体表から腹部を圧迫して適当な場所を確認して、そこに穴をあけて作成する。その穴に通される管は、胃の内部に収められるストッパーの形状によって大きくバンパー型とバルーン型に分けられる。バンパー型は固いストッパーで、バルーン型は風船状で軟らかい。造設時には、バンパー型を使い、胃瘻が固定した時にバルーン型に変更するのがいい。また、管の長さによって、ボタン型とチューブ型に分けられる。ボタン型は、体表までの長さの管で、短い。そこに別の管(カテーテル)を接続して、栄養剤を注入する。チューブ型は、胃内から長いチューブが体外につながり、そこから直接栄養剤を入れる。
 大事なのは、その交換時期。バンパー型では、長期に留置することが多く、少なくとも4カ月間、多くは6カ月間留置。これは、その間に胃壁と体壁が癒着して胃瘻の穴がしっかりするため。これで胃瘻がしっかりすれば、あとはバルーン型に変更する。これならば、胃瘻の交換は楽になる。こちらは1か月から数カ月毎に交換されることが多い。 胃瘻の管理では、外部ストッパーがきつくないかおよびよく回転するかを日頃観察する必要がある。また、カテーテルが傾いていないかどうかの確認も必要である。そして、胃瘻周囲のスキンケアが重要である。入浴は、胃瘻造設2週後から可能なので、入浴と清拭あるいは洗浄によって清潔を保つことが必要。消毒は不要である。

2.パネルディスカッション 「胃瘻の功罪」

(1)胃瘻をつけた親の介護の経験から

<古河市三杉町 長濱弘道氏>
 現在93歳になる母。10年前から認知症。5年前脳梗塞で入院後、食事が摂れなくなる。2カ月間、鼻から経管栄養を受けたが、主治医から胃瘻を勧められ、造設。7か月後、植物状態のまま在宅へ。その6か月後、かすかに反応が出るようになる。現在、体は動かせないが、首を動かして家族を追い、問いかけにうなづく。 在宅を選んだのは、紹介された転院先が遠かったこと、および入院では個室対応が必要となったときに医療費が高くなりすぎること、のため。
 胃瘻にしてよかったのは、食事の世話が楽になったこと、胃瘻栄養によって栄養状態がよく床ずれができないこと。胃瘻で困ったのは、交換後に1か月くらいで接続部から漏れ出したことがあったこと。これは、輪ゴムを使って接続部を密着させ解決。また、栄養剤を注入する時に、速度調節を間違えることあり。
 現在、自分は、胃瘻にしてよかったと思う。ただし、息子の世話にだけはなりたくないと言っていた母親は本当に今の状態に満足しているかどうかは分からない。ただ、人の命を残される家族が決めるわけにはいかないと思う。

<古河市中田 和田澄夫氏>
 現在88歳の母。11年前、心筋梗塞で入院。その後、認知症が進み、四肢が不自由になるとともに誤嚥を起こすようになる。その状態で退院し、自宅で家族が食事の補助をして食べさせていたが、脱水症を起こし再入院。そこで、胃瘻の話を聞く。通常の食事摂取が可能と知り、胃瘻造設。
 環境の変化に合わせた栄養剤の量と水分量の加減を行ない、また栄養剤の逆流によるむせに注意している。従来の食事介助とは異なる注意が必要だ 胃瘻チューブ(カテーテル)の違いによって、交換時の痛みが違う。現在はバルーン式の器具を使っているので、交換時も痛みを感じない。また、初めの頃は、接合部のはずれたことに気づかず、パジャマと寝具を汚してしまったことがあったが、現在はない。
 現在、寝たきりの母が、テレビ画面に見入っているようすや、穏やかな寝顔、声をかけた時に目を合わせた時のまなざしを見ると、改めて胃瘻に感謝。
 東日本大震災では、栄養剤の確保が困難になったというが、実際、母に栄養剤が届かなくなったら、薬がなくなること以上に、母にとってのダメージは大きいだろうと思う。

(2)医療ソーシャルワーカーとしての経験から 総和中央病院医療福祉相談室 黒澤秀彰氏  

 病院で目にした光景。口から食べることができなくなった高齢者が、点滴や経管栄養に
つながれている光景。当院では、食べられなくなった高齢者には、嚥下リハビリを専門スタッフが行っている。
 誤嚥防止の摂食介助から始まり、ステップアップしながら、リハビリを行う。誤嚥を防ぐ嚥下訓練のため、そして必要なカロリー摂取のため、病院では胃瘻を勧める。これは、患者に対して何らかの対策を取らなければならない病院による、患者管理のためと言える。
 そこで、家族は迷う。少しでも長く生きて欲しいという思い、あるいは本人の負担減らせるという思いから胃瘻をつけたほうがいいと思う反面、長生きされても困る、あるいは「胃に穴をあけるなんて!」という思い、あるいは、胃瘻をつけようという病院の言うことを聞かないと病院から見放されるのではという思いを抱く家族もある。これらの複雑な思いを抱く家族だが、最も大事なのは、患者本人がこれからどう生活していくのがいいかという視点だと思う。
 実際にPEGをつけたケースを紹介する。48歳の脳出血の女性。経鼻チューブでの経管栄養を行っていたが、嚥下リハ中に誤嚥をくり返すため、PEG設置。経口は楽しみ程度で続けた。その後、施設入所から在宅へ。現在、誤嚥なく経口摂取可能な状態になっている。
 一方で、90歳の女性。脱水で入院。点滴から、経鼻チューブによる経管栄養に変えたが、胃瘻はつくらず。しかし、その後、誤嚥による肺炎を起こして死亡。
 胃瘻をつくることを勧められた家族は迷う。しかし、迷って悩みぬき、出した結論は間
違いではないと思う。

(3)訪問看護の経験から       訪問看護ステーション「たんぽぽ」 坂本ゆかり氏

 胃瘻は、もともと食べられなくなった小児のために開発されたもの。しかし現在では、広く高齢者に適応され、40万人にも及ぶ。胃瘻により、栄養状態が改善し、ADLが向上して経口摂取が可能になるケースがある。また、栄養状態の改善により、寝たきりのまま何年も生き続けるということになることもある。さらには、カロリーの取り過ぎにより、体重が増えすぎてしまうこともある。 
 10月の「たんぽぽ」の利用者268名の中で、胃瘻をつけている方は34名。脳血管疾患10名、認知症が5名、神経難病が4名など。そのうち、脳内出血の70歳男性では、リハビリ中に管理を容易にするため経管栄養を胃瘻に変更。その後、嚥下リハにより経口が可能になった。一方、80歳のアルツハイマー認知症の女性では、逆流性食道炎があり、肺結核を併発。経口が進まないが、抗結核剤の摂取は絶対に必要。そのため、胃瘻設置。その結果、栄養状態が改善され、デイサービスの利用が増えたが、体重も増えたため、反対に介護量が増大してしまった。さらに脳梗塞と認知症の90歳女性では、水分摂取と経口摂取が少なかったため、点滴を継続。その後、胃瘻にするか皮下注射にするかの説明を受け、皮下注射を選択。それによって状態は改善した。
 経口摂取との併用が可能なPEGは有用。しかし、その適応の決定には、患者・家族による意思決定が必要。そのためには、十分な情報提供を!それでも、実際には、家族は悩む。だから、常日頃から、食べられなくなった時のために、胃瘻をつけるのか、あるいはなにもしないのかなどの意思表示をしておくことが重要と思う。
 食べることは楽しみのひとつ。多くの人は最後まで「口から食べる」ことを望む。味わう、噛むという行為が体にいい刺激を与える。これをどのように確保するか、PEGの利用で食べることの補助を考えればいいと思う。

 (4)訪問入浴の経験から       訪問入浴介護サービス「わかたけ」 小村平安子氏

 現在の利用者28名中7名が胃瘻造設。介護度は3〜5。 食の形態が低下していく理由は、竹内先生の特養での調査によれば、飲みこみが早くできないため時間がかかる、体調をくずし食欲低下食べ方も不良になっている、そして理由が分からないという三つに分けられるという。これらを見ると、すべて介護者の視点での判断ということが分かる。介護者のペースで食べさせるから、食べることがうまくできないのである。また、胃瘻に至る経過を見ると、疾病経過型というべきものがあるが、これは状態が改善すれば胃瘻の必要性はなくなるから、胃瘻を継続する必要はないもの。つぎに嚥下障害型。これは胃瘻が欠かせない。つぎが安全管理型。これは介助する側の理由であり、胃瘻の適応はまったくない。最後にターミナルケア型。これも本当に必要かどうかは難しい判断。
 実例を示す。最初は、脳出血による右片マヒの90歳の女性。嚥下障害と言語障害がありPEG設置。胃瘻のまま経口摂取し、さまざまな介護サービスも受けている。つぎが、脳梗塞の86歳男性。この人はPEG設置後、経口摂取なし。どうしてなのかを聞くと、「PEGをつけたら経口摂取は禁止」と言われたので、そのままずっとそれを守り続けてきたとのこと。最後に93歳の女性。骨粗鬆症と出血性胃潰瘍だが、昼間は娘が通いで介護、夜は息子が介護に当たり、今のところなんとか経管栄養をせずに済んでいる。
 食べることは重要。PEGをつけてもおやつ程度の経口摂取は必要だろう。PEGをつけたら終わりではない。そこからつぎが始まる。そして、うまく行けば、経口摂取が可能になることがある。
(5)討論
・会場からの質問:「医師から胃瘻をつけるときの説明中、胃瘻をつけないと家族が言うのは  患者を殺すことだと言われたと聞いたことがある。医師の説明はどうなっているのか?」
・加藤先生:胃瘻によって栄養が補給されるのだから、それが必要なのにそれをつけさせない  というのは殺すことにつながる。だから、その医師の言うことは間違いではない。ただし、  やはり、十分な説明が必要だろう。さらに、本人の意思確認が重要だ。今、LMDLet me      decide「 自分で決める自分の治療」)という方法がある。これを事前に決めておくことが  必要と思う。

・パネリストの長濱氏からの質問:「胃瘻は癒着させないといけないのか?」
・加藤先生:胃壁と体壁はきちんと癒着することで胃瘻ができ上がる。癒着しないままだと、  胃瘻カテーテルを抜いた途端に、穴のあいたままの胃が体壁から離れてしまい、大変なこと  になる。だから、胃瘻をつけた最初はとくに大事で、十分な時間が経ってから交換する必要  がある。

・加藤先生から小村氏への質問:「講演中に、初めは自分も胃瘻は悪と思っていたと言ったが  どんなケースだったのか?」
・小村氏:具体的に詳しくは覚えていないが、当時はヘルパーが栄養剤の交換などができてい  た時代で、ヘルパーに任せきりの家族を見て、情報も不十分だったが、こんな方法でいいの  かと思うことがあった。ただし、今では、胃瘻についての知識が増え、十分な判断ができる  ので、当時は胃瘻は悪いという思い込みがあったのかと振り返る。

(6)まとめ
 胃瘻は栄養状態を改善する有効な方法であることは疑いない。しかし、それが時に本人のためでではなく介護する側の都合で決められることがある。これが問題だ。つまり、胃瘻をつくることだけが目的となっていることがあるというのが問題と言える。胃瘻をつくるのは、それで終わりではなく、そこから始まるというのが肝心なところだろう。管理の側の論理では、胃瘻で終わり。黒澤氏が言ったように本人のこれからの生活の視点から見れば、胃瘻をつけたところから正に始まる。また、事前に意思表示をすることは重要。

在宅ケアネットワーク古河会報第11号
   (平成23年11月発行)

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