備えあれば憂いはあんまりない


『クルツ、おみゃーさんに客が来とるでよ』

「俺に?」

 さて、この忙しい時に誰だろう。正直、アポなしの来客ってのは、普通に面倒くさいんだよな。

『おー、なんか、共済組合がどうとか言ぅとったでよ』

「共済組合?なんだそりゃ」

『さあの』

「いや、まあ、なんにせよありがとう、ジャック」

『別にえーでよ、それよか、相手さんも待っとるだで、早よ行ってやるだぎゃ』

「そうだな、わかった」

 共済組合?いったい、何の組合なのやら。



 ハンガーのインターホンから、ジャックの呼び出しを受けた俺は、シゲに後を任せて、ゲート前正面庁舎の面会室へ向かう。さて、簡単に身づくろいをして面会室に入ると、これまたエラく地味なナリをした女性が座っていた。

 しかし、彼女の自己紹介を聞いた次の瞬間、被っていた作業帽が跳び上がるかと思うくらい驚いた。

「初めまして、私、WOB職員共済組合にて、社会保険担当をしています、アフラ・クーと申します」

 いやいやいや、ダブリューオービーって、お前、ずいぶんヤバそうなのがおいでなすったが、一体この俺に何の用なんだよ。ていうか、奴ら、共済組合なんて持ってたのかよ。そもそも、秘密結社のクセに職員共済ってなんなんだよ。こんなの絶対おかしいよ。

「これはどうも、トマスン・クルツです」

 とにかく、内心の動揺を悟られないよう、平常心を保ちながら、アフラ・クーと名乗ったWOB職員共済組合とやらの事務員さんに自己紹介を返す。いやだわ、この子ったら。いったい何の用なのかしら。

「本日は、お忙しいところお時間をいただきまして、本当にありがとうございます。本来なら、事前にご連絡をするべきだったのですが、こちらの不手際でそれが出来ず、大変申し訳ありませんでした」

「あ、いやいや、その辺は気にせんでください」

 したら逃げると思ったからだろ?わかってるんだから。

「それより、そちらも遠いところ大変だったでしょう」

「まことに恐れ入ります、クルツ様。遠隔地勤務とおうかがいしておりまして、色々大変だと思われますが、お仕事の方はいかがでしょうか?」

 遠隔地勤務?何それ怖い、知らん。

「まあ、ぼちぼちといったところですよ。今は、こうして中心領域に帰ってきたようなもんですし、こっちにももうすっかり馴染みましたからね」

 なんて、当たり障りの無い無駄話なんぞをしてみるが、WOBの社会保険担当のお姉さんとやらがどんな話を持ってきたのか、正味の話、おっかなくて仕方ない。そもそも、こうして白昼堂々、WOBの関係者が接触してきただけで十分に怖い。

 WOB、ひいてはワードオブブレイク。組織改変を始めたコムスターを見限り、よりコムスターの理念を忠実に体現するため、現コムスターを離反した有志一同が立ち上げた組織というか、秘密結社って奴だ。

 なんていうか、ものすごく怖いおじさんおばさんの集まりらしいので、よもや他ならぬ自分の前に現れると、やはり流石にビビる。

「それにしても、コムスターにまた僕の机があるなんて思いませんでしたよ。あれからもう10年以上たっているし、とっくの昔に除籍させられているのかと思ってましたから」

「はい、クルツ様の場合、書類上では現在、氏族軍の捕虜という形になっておりまして、職員としての身分は、コムスターの人事部によって停止中とされています」

「あ、やっぱり?」

「ええ、実は、今日はそのことで、ご相談もかねておうかがいいたしました」

「相談?」

 そらきた、一体何をふっかけるつもりだコンチクショウ。

「はい、現在、クルツ様はコムスターの職員共済に加入されていらっしゃいますが、先ほどおっしゃられたとおり、その身分は停止扱いになっております。

 ですが、私どもWOB職員共済組合では、クルツ様の身分の復活と、それにかかる保障を、過去にさかのぼって適用するご用意をさせていただいております」

 ・・・・・・へえ。

「過去にさかのぼって、ですか・・・・・・こりゃまた、未払いの保険料がものすごい額になってそうですね」

「はい、その件については、私どもの共済に加入していただけた場合、復職の手続きをとらせていただくことになりますが、それにともなって、停止されていた給与の総額支給が受けられることになります」

 停止されていた給料って・・・・・・あいつら、俺がダグダに連れてかれた後、マジで止めてやがったのか。HPGでガッツリ儲けてるクセしてセコイ奴らだな、チクショウ。

「クルツ様の未払い分の保険料については、その中から、保険料等を差し引かせていただくことになりますので、未払い金を改めて納付していただく必要はございません。そうなりますと、クルツ様が受け取ることができるのは、総支給額の8割になります。もちろん、年次ごとの昇給分を加算させていただいております」

 マジで?しかも、10年分の昇給加算って、どんだけって奴だよ。そんだけもらえりゃ、リオにいろいろ買ってやれる・・・・・・じゃなくてだな。

「8割・・・・・・そりゃいくらなんでも多過ぎるんじゃないんですか?長期給付や短期給付の額は、そんなに安いものじゃなかったと思うんですが?」

「はい、これらは、クルツ様の所得収入を基にして、扶養控除や年末調整等の金額を試算し、それらの控除額に基づいて保険料の減額計算をさせていただいております」

「扶養控除?」

 さて、俺はいつ嫁なんぞもらったっけか?

「はい、養子とされていらっしゃる女の子がいらっしゃられるということで、彼女の加入手続きをしていただいた場合に基づいて、賦課計算をさせていただいております」

 ああ、何かと思えば、リオのことか。別に、養子にしてるわけじゃないんだが。ていうか、そんなことまで調べたのか。おっかねえな、こいつら。

「こちらがその資料になります。どうぞ、ご確認ください」

 そう説明しながら、彼女が俺の前に並べた書類は、課税台帳控え、賦課明細書、源泉徴収票等、実に様々だ。

 で、それらの数字をベースにして、年間の保険料の金額に基づく計算年度ごとの年末調整で、俺名義で還付される金額の賦課計算がまとめてあった。なるほど、なかなかそつなくまとめてあって、いい仕事だ。

「しかし、そうなるとやっぱり、コムスターの共済は脱ける、と言う形になるわけですよね?」

「はい、その通りです。ですが、手続きはこちらでサポートさせていただく形になりますので、クルツ様のお手数は最大限、軽減できるよう処理させていただきます」

「なるほど、なるほど・・・・・・」

 これはあれか、コムスターからワードオブブレイクに、俺を引き抜こうって腹かね。にしてはまあ、ずいぶんと回りくどいやり方なもんだ。しかし、福利厚生方面で攻めると言うのは新しいね。

「そうですね・・・・・・とりあえずと言うか、一度、資料の方に全部目を通してから、改めてお話を進めさせてもらっても構いませんか?」

「はい、今回は、ご挨拶だけでもさせていただければとおうかがいいたしました。今日は、快くお時間をいただけまして、本当にありがとうございます」

「いえいえ、そんな」

「それと、こちら、粗品でございますが、どうぞお納めください」

「え?ああ、これはどうも」

 そう言って、アフラはさっきから気になっていたデカイ箱を、カートごと俺の前に差し出した。一体何が入ってるってんだよ、なんかごっさ怖いんですけど。



「保険?」

「ああ、なんか知らんけど、前の勤め先から勧誘が来た」

 まあ、正確には違うんだが、別段間違いと言うわけでもない。まあ、それはいいさな。

「ほー、あっちはまだ、お前さんを雇ってくれとったんか」

「いや、なんていうか、停職というか、身分の停止中だったみたいだけどな。今日来たのは、なんか新しい組合ができるから、そっちに入らないかって誘いだった」

「ほー・・・・・・っちゅうても、なんかよくわからん話だでな」

 缶ビール片手に、ジャックはいまいち合点のいかなさそうな表情を浮かべる。ビールを土産にしたジャックが居室に遊びに来てるわけなんだが、今まさに、居室には山のような生菓子がうなっているわけで、本当に丁度良かった。

「まあ、戦士階級には労働組合なんて概念はないし、仕方ないわな」

「そもそも、俺らは中心領域の連中みてーに給料とかもらっとらんだで、それでも今まで困ったとか思ったこたぁねーけどもが」

「だよな、まあ、必要なものはあらかた支給されてるからな」

「だでね、それに怪我や病気とかこいても、さっさと病院に担ぎ込まれて、治ったら治ったで普通に現場復帰だで、それが当たり前だと思っとったでな」

「それがな、中心領域じゃ、普通に金とられるんだよ」

「マジでか」

「マジでだ」

 ジャックが呆れるのも無理は無い、氏族世界じゃ、戦士階級がヒエラルキーの頂点に居る。だから、みんなの物は戦士の物、戦士の物は戦士の物という、ここはまさに世紀末と言うか、タフボーイな社会構造になっている。

 とはいえ、ノヴァキャット氏族の場合、知っての通りドラコ連合領内に遷都して久しい。だから、ノヴァキャットの自治区内はともかくとして、ドラコ連合領内で昔から商売をしている相手に対して、氏族社会のノリで徴発などやらかそうものなら、多分というより、まず確実にドラコ連合政府やDCMS憲兵隊が黙っちゃ居ないだろう。

 だから、氏族の商人階級が経営している店舗はともかくとして、ドラコ連合国民の商人に対しては、リュウ通貨とワーククレジット換算の為替取引や、後払い請求手続き等で対応している部隊もある。

 結局のところ、どうしているかは部隊責任者の判断なんだろうが、まあ、こんなつまらん話はともかくとして、基本的には、氏族社会の戦士階級は、衣食住に関しては、何も心配する必要が無い。

 今さっきジャックが言ったように、怪我や病気をすれば、病院で治療・入院の手続きが自動的に行われ、回復したら速やかに復帰。と、言うなれば、氏族社会というか、戦士階級の生活において、中心領域で言うところの保険や組合とかは、あまり縁がないものといっていい。

 そもそも、保険とか組合とかが必要なのは、いわば非戦士階級に対してなのだろうが、それでも、中心領域の概念と比べれば、結構意味合いは異なってくる。

 乱暴なたとえ方をすれば、氏族社会というのは、ある意味、全体主義とか社会主義のそれに近いものがある。戦士階級のように、特にものすごく優遇されている階級もあるが、基本的には、氏族社会の人間は、所属する氏族の名の下に忠誠を誓い、氏族の為に行動することを義務付けられている。

 氏族を構成する人間は、なべて一蓮托生というか、運命共同体というか。かつて、大昔のニッポンに、『進め一億火の玉だ』なるスローガンがあったそうだが、精神的にはそれに近いのかもしれない。

 とはいえ、中心領域の王政国家も、王家に忠誠を誓わなくてはならない、という点についちゃあ、なんというかまあ似たようなものだが、やはり、ある程度は地球帝国時代の一般的な常識や社会構造がベースとなってはいるわけで、氏族社会のようにオーバードライブしているわけじゃない。

 ドラコ連合とかの場合、封建的な体質は他の王家とは一線を画している感じだが、ドラコの人々、特に戦士階級のアグレッシブなまでの精神性は、古代ニッポンの『武士道』なる精神世界によって構築されたものを継承している。

 それらは、時と場合によっては、氏族戦士達を本気でドン引きさせたりするわけだが、それは、鋼の戒律と忠誠心がなせる業だから、やはり、氏族のものとは少し方向性が違うように思える。とまあ、そんなところ。

「中心領域じゃ、社会を動かしているのは金だからな。もちろん、戦士だってその例外じゃない。働きや階級に応じて給料をもらって、その中で自分のことをやりくりする必要があるんだよ。だから、自分の財布で手に負えない事態が起こった時に備えて、保険ってもんをかけるわけさね」

「金、金って、なんちゅうか、世知辛い話だでな」

「だから、戦争になるんだよ」

「なるほどの、ところで、リオ坊は寝ちまったみてーだの」

「ああ、食うだけ食ったらウトウトだ。まるで猫だな」

「なんちゅうか、地球産にはロクなもんがねえとか言うけどもが、このヒヨコの形しとる奴、なかなかイケとるでよ」

「だな」

 WOBのアフラが持ってきたダンボール箱だが、どうみたって粗品じゃねぇだろ、といった膨大な量の菓子折りが詰まっていた。

 ちなみに、箱の開封にあたっては、ジャックに協力してもらった。こんな私的にも程がある用事で、バトルアーマーを使わせてくれとスナック感覚でお願いできるのが、ジャックしかいなかったというのもあるが、このクラスターの中で、バトルアーマーを完全着装した状態で、ほくほくふわふわのホットケーキを作れる、繊細かつ熟達した技量を持っているのはジャックだけだ。

 そして真面目な話、これが一番の理由だが、ジャックは爆発物処理の技術もかなりのものだ。別に太鼓持ちをするつもりはないが、ジャックのおかげで不発に終わらされた爆発物は、それこそ倉庫が満杯になるほどある。

 ともあれ、幸いなことに、ジャックも二つ返事で快く引き受けてくれた。そのおかげで、箱の中身は菓子折りのダース単位詰め合わせということが判明したわけだが、それはそれで、さらに検毒がひと苦労だった。

 結局、ヤバいものが入っているわけでもなく、普通のお土産であるということが判明したわけで、とりあえず食っても大丈夫とわかり、今回一番の功労者であるジャックはいわずもがなとして、整備班員含め、みんなに振舞うことにしたわけだ。

 もちろん、司令にもおすそ分けしたし、直結当番に当たっているマスター、アストラ、ディオーネの分は、別にとっておいてある。それをうっかり忘れようものなら、まだ話の通る相手であるマスターやアストラはともかく、こういう呼び方は好きじゃないが、『すいーつ』とやらにありつきそこなった彼女達によって、『食い物の恨みは末代まで祟る』を、身を持って満喫する羽目になる。

 ただ、ハナヱさんは、最近出張が多く、駐屯地を空ける日が続いている。一応、彼女の分は、冷蔵庫にでもしまっておいてみようとは思うが。

「それにしても、ずいぶんとまあ、こんなに菓子をもってきたもんだの。なんちゅうか、わかっとるって感じだで」

「まあ、確かにリオは大喜びだったけどな」

 喜んでくれたのは大いに結構だが、歯磨きはどうするんだ、まったく。まあ、後で、タイミングを見計らって起こすとしよう。

「あれだぎゃ、将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、ちゅうやつだでな」

「このチビ介が馬?」

「まあ、狙いは間違っとらんだで」

「そうだな」

「つうか、チビ介っちゅうても、来た頃にくらべりゃ、だいぶ大きくなったでよ」

「そりゃ、育ち盛りだからな」

「けどもが、普通なら捕虜交換とかで、そう長くせんうちに取り返す相談とか持ちかけてくるもんだけどもが。なんで今頃になって声がかかったんだかの」

「ハッハッハ、よっぽど重要視されてなかったんだろうな。大方、今頃あちこちで俺みたいな奴に声をかけてまわってるんじゃないか」

「またまた、おみゃーさんはいつもそうだで」

「いやいや、俺程度のテックなら、あっちにゃゴロゴロいるよ」

「マジでか」

「マジでだ」



 さて、あれから何日かたったある日、また、仕事中にハンガーのインターホンが入った。なんだか最近、すっかり人気者だな。

『クルツよ、客が来とるでよ。今度は違う組合の人間だで』

 違う組合?

「わかった、ありがとう、ジャック」

『おー』

 ジャックに呼ばれて面会所にいくと、今度もまた、地味だが小奇麗な身なりをした事務員といった風体の女性が座っている。なんというか、雰囲気的には、こないだ来たアフラと似た感じだ。てぇことは、もしかして・・・・・・。

「どうも、お待たせしました。私がトマスン・クルツです」

「こんにちは、お忙しいところお時間を割いて頂いて恐縮です。私は、コムスター職員共済のアクサ・ディレクトと申します。本日は、よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 そら来た。予想通りというか、WOBの次は、本家コムスターか。しかし、そろいもそろって、今頃になって一体何なんだか。

「今回、ご連絡が遅れてしまったことをお詫びさせてください。こちらの不手際で、クルツ様の人事記録がMIAとなっておりまして、再調査の結果、POWと認定されました。人事記録の更新が遅れてしまいましたことを、ご報告させていただくこと共に、重ねてお詫び申し上げます」

 あー、なるほどね。っていうか、行方不明と捕虜じゃ、ずいぶん違うだろうに。何をどう再調査したかは知らないが、ホント、モノは言いようだな。

「クルツ様の保険についてですが、職員資格の停止処分を解除し、それに伴う給与の支給開始並びに共済保険を、過年度全てにさかのぼって適用させていただく準備が整いました。

 それから、該当事案があれば、是非申請していただきたいと思うのですが、過去に事故や怪我、ご病気などによって通院並びに、入院されたケースがあれば、それらも全ての保険金給付が可能になります」

 マジでか、ツカイードの時からの給料だけじゃなくて、ダグダに居た頃からの話を数えて申請したら、俺、焼け太りどころの騒ぎじゃ済まなくなるんだが。

「それから、今回クルツ様のように、長期の遠隔地勤務を余儀なくされた職員の皆様の状況を考慮した上で、特例措置として、停止中の共済保険は、保険料を全額免除とさせていただくことになりました」

「なるほど、ということは、コムスターの職員共済の更新手続きをしてほしい、と、そういうことになるわけですね」

「はい、おっしゃるとおりでございます」

「それは、今すぐ、ということですか?」

「できればそうしていただければと思っておりますが、なにぶん、急な話であることはこちらも承知しております。ですから、何かご不明な点がおありでしたら、なんなりとご質問していただければと思います。

 それから、こちらに先ほどのお話でご紹介させていただいた、クルツ様の保険記録についての資料もございますので、これと併せてご確認していただくことも出来ます。いずれにしましても、本日はご挨拶とお詫びにおうかがいさせていただいたわけですので、お返事につきましては、今すぐにということではございませんので、ご安心ください」

「はあ、なるほど」

 なるほど、なるほど。こりゃ多分、WOBの動きを掴んで慌てて動き出したってとこかね。でなけりゃ、ここ10年近く、全く音沙汰なかったのに、今さら急にこんな美味しい話を持ってくる理由が説明つかないわな。

 なんていうか、あっちはあっちで、存外面倒くさい話になっているみたいだな。まあ、自分らの本拠だった地球をワードオブブレイクに乗っ取られた時点で、派閥争いもへったくれもないんだが。こりゃ完全に組織を真っ二つに割ったって奴だな。

 とはいっても、こちとらツカイード戦役以降、先方から特に話らしい話もないまま、10年以上も放り投げられていたも同然な上に、直属の上司は、もうこの世の人ではなくなっている。

 おまけに、今のコムスターを取り仕切っているのが、どうにも性に合わないというか、生理的に受け付けない面子である。そんなコムスターに今さら戻ったところで、何をどうしろと?と言うのが正直なところだ。

 それはともかく、ここ最近のコムスターの動きは、組織の浄化・開放路線という改革プランはまだいいとして、それがあまりにも徹底し過ぎていて、もはやコムスターでもなんでもない、違う組織に変わりそうな勢いだ。

 あの眼帯親父と、その愛人崩れが何を考えているか知らないし、知りたいとも思わない。しかし、なんでも過去の反省を踏まえ、開かれた組織に生まれ変わることで、中心領域の平和と文化の守り手として、全ての人々に奉仕する。とかなんとか触れ回っているらしいが、そんなもの、はいそうですかと手放しで信用なんて出来るわけがない。

 大体、今まで自分らのしてきたことを棚に上げて、奴らが真顔でそんなことをもし本気で抜かしているなら、宇宙の大珍獣、ゴーストベアーでもけしかけてやりたくなる。

 とはいえ、蠍はみんな踏み潰され、仕えるべき人もいなくなった今、原理主義者の集まりとは言え、ある意味今まで通りともいえるワードオブブレイクに関しても、これもまたあまり興味がわかないということに関しては、どっちも大して変わり栄えしないと思っているわけだが、さてどうしたものか。

「そうですね、お話はわかりました。ただ、こちらも自分のことなんで、一応どういう内容になっているのか確認しておきたいと思うんですよ。その資料を頂いて、今一度内容に全て目を通してから、返事をさせてもらってもいいですかね」

「もちろんです、クルツ様。では、こちらとこちら、いずれもクルツ様に関する保険関係の記録と賦課状況の資料となっておりますので、ゆっくり御覧になっていただいてから、日を改めて再度ご挨拶におうかがいしたいと思います」

「すみませんね、せっかく来てもらったのに、お手数をおかけしてしまって」

「いえ、どうかお気になさらないでください。こちらも、急におうかがいしてしまい、大変失礼したしました」

「いえいえ」

 まあ、さっさと話をまとめたい。というのが、あちらさんの正直なところなんだろう。俺の方としても、お前らなんぞに興味はないから、おととい来やがれ。と言ってしまえれば、さぞかしすっきりするんだろうが、上の命令で動いている真面目な現場の人間に、短気な台詞を吐くのもいかがなものか、ってやつだ。

 それに、ワードオブブレイクとコムスター、この二つの組織が同時に動き出しているということが、逆に状況を面白くしている。今日のこのコムスターの動きに対して、ワードオブブレイクがどんなカウンターアクションを起こすのか。とりあえず、ちとばかし様子を見てみるのも面白いかもわからんね。



「やっぱりお前達んとこにも来たのか、あの姉さん方」

「ええ、なんていうか、唐突な話だったから、何事かと思ったッスよ」

「まったくだ、正直、俺もビビッたぞ」

「あ、それと、ひよこ饅頭、ありがとうございました」

「いやいや」

 あれから、しばらく時間をくれるとの言葉通り、来週以降の再訪問に備え、俺以外の対象者でもある整備班員達にも話を聞いてみることにした。というわけで、整備班員のまとめ役であるシゲを呼び、作業工程の打ち合わせがてら、そこいら辺のことを確認してみたわけなんだが。

「で?お前達はどうするんだ」

「どうするも何も、俺達は班長が更新した方で手続きするッスよ」

「そうか、しかしあれだな、あの話、存外洒落になってないみたいだな」

「ええ、こいつは間違いなく、潰し合いになるッスね。こりゃあ、思ったより面倒な話になりそうですよ」

「もうなってるだろ、何言ってんだ」

「あいや、そうじゃなくて、あの二人のことッスよ」

「なんだ、そっちのほうか」

 まあ、どっちにしたって、気をつけるに越したことはない。

「潰し合いで済めばいいんだけどな」

「そうッスね」

 そう言って、お互い、マグカップ片手に無言になる。作業冶具の作動音、工具やメックの装甲が鳴らす金属音、そして、整備班員達の声。それらの音がない交ぜになって響き渡る、聞き慣れたを通り越して、日常の、自分の一部になってしまった、ハンガーの音。

「で、班長。この話、リオちゃんには?」

「別に隠すような話でもないしな、それに、更新したからって、今すぐ帰るって話でもないからな」

「けど、遅かれ早かれ、そういう話になる可能性はあるんじゃないスか?」

「だろうな。ああもう、面倒くせぇ。いっそ、どっちも無かったことにならないかな、チクショウ」

「どうでしょうね。まあ、連中のすることッスから」

「そうだな」

 シゲの言うとおり、小難しく考えても仕方ないわな。なにせ、連中のすることだしな。



 最近、なんかジャックには面倒をかけっ放しなんで、PXの奴とは一味違う、ドラコ産のビールをダースで差し入れながら遊びにいってみた。しかも、ドラコ産ビールでも、レア中のレア、オライオンビールだ。これならジャックも満足してくれるだろう。

 と思いながら、鼻息荒く意気込んで訪問つかまつるはずだったんだが、なぜか宿舎に居ないから、どこに言ったのかと思いきや、やはりというか、内務班長付け宿直室に居た。

 別に泊り込みの日でもないのに、なんでまた。とも思ったが、どういうわけか最近、ジャックは自分の宿舎に帰らず、ちょくちょくこうしてここに寝泊りしている。なんでも、わりかし居心地がいいんだそうだ。まあ、わかる気もするが。

「けど、いいのか?実質、班長付けとはいっても、宿直室を独り占めして?」

「そー思っとるなら、ビールもって遊びに来てんじゃねーだで」

「それもそうだ」

『ワハハハハハ』

 挨拶もそこそこに上がりこみ、さっそく缶を開けて乾杯といく。本当ならアストラも呼びたいところだったが、今回は個人的なジャックへのお礼なんで、彼とはまた次の機会に飲むとする。

 なにしろ、アストラを呼んだら、もれなくお姉ちゃんもセットでついてくる。それはそれでいいんだが、酒がからむ席だと、往々にしてヒドいことになる事が多い。そうなると、お礼もへったくれもなくなるので、薄情なのは百も承知で、今回はジャックとサシで飲むことにしたわけだ。

「別に、そんなん気にせんでもえーでよ」

「じゃあ、今度は二人も呼ぶよ?」

「お・・・おー、えーでよ、別に?」

「でもまあ、内務班長をパシらせているみたいで、悪いなとは思ってるんだよ」

「なにたーけたこと言ぅとるがね、水臭ぇ」

 そういいながら、ジャックは備え付けの冷蔵庫から、つまみになりそうなものを色々と取り出し始めた。なんていうか、本格的にジャックの部屋になりつつあるな。でも、本当にこの部屋は落ち着く。

 いつも掃除は行き届いているし、必要最低限のものはそろっている。こざっぱりとしているというか、ビジネスホテルの客室みたいで、普段ガラクタに囲まれて寝起きしていると、余計そう感じる。まったく、うらやましいね。

「まあ、おみゃーさんの居室。ありゃー、ケッタマシーンやらその部品やらで、まるでケッタ屋みてーだしの」

「ああ、アストラが口添えしてくれなかったら、かなりアウト気味なんだけどな」

 誤解の無いように言っておくが、俺の部屋を狭苦しくしているのは、リオの自転車とその余剰部品だ。あと、アストラからの預かり物や、駐屯地内で少数配備されている司令部付き公用車の、点検・修理待ち分だ。つっても、ドラコ文化が誇る軽快車、平たく言えばママチャリだ。

 まあ、そのおかげで、ボンズマンのクセに大量に私物を抱えてとか難癖をつけられずに済んでいる。その代わり、俺自身の私物は、俺の部屋なのにほとんどないという、実におかしなことになっている。

「まあ、今じゃ駐屯地の公用車整備場だでな」

「俺がジジイになったら、自転車屋で食っていけるかもな」

 みたいなことを、延々と駄弁りながら、俺とジャックは、トライビットをBGM代わりにして缶ビールを傾けていたんだが、その内、ジャックが思い出したように話を変えた。

「なんちゅうか、最近客が多いの」

「そうだな、なんで今頃なんだろうな」

 まあ、何故?となれば大体見当はつく。前にも話した、コムスターとワードオブブレイク。この二つに関しては、もう、派閥争いだとかそんな生易しいものではない。

 ワードオブブレイク、そもそもの話として、コムスターなる秘密結社をこの世に送り出した人であるところの、ジェローム・ブレイクの名を冠する集団。旧来のコムスターのやり方に真っ向から対立し、実力行使でコムスター勢力を地球から叩き出し、自分達こそが、正統なブレイクの後継であると公言してはばからない、実に扱いに困る連中。

 なるほど『ブレイクの言霊』とは、ずいぶん大きく出たもんだと思うが、連中の性質と言うか本質は、この一言に表されていると言っていい。

 要するに、コムスターがこの世に形を成した時そのままの精神、教義、ドクトリンを堅持し、崇拝し、貫徹する。要するに、平たく言えば原理主義者だ。

 コムスターの持つ性質。秘密主義、神秘主義、まあ、言い方はいろいろあるが、連中がしてきたことは、遙か星間連盟の時代から生き残ってきた僅かな科学技術やその製造物、そいつらをむりくり神格化して、崇め奉るという奴だ。

 とはいえ、ブレイクが、何も最初からそんなコテコテの宗教色を盛り込んだ組織を作ろうとしていた。と解釈するには、ちとばかし再考の余地があるんじゃないかとは思し、実際、そんなつもりでコムスターを旗揚げしたわけでもないらしい。

 あくまで俺の個人的な認識だが、ジェローム・ブレイクその人自体は、技術畑一直線の朴訥かつ実直な人間。しかし、政治経済の才にも恵まれていたが故に、地球復興の表舞台に立つことになった。

 そして、自分の持ちうる知識と技術を、鬼畜王アマリスの引き起こした、中心領域のほぼ全てを巻き込んだ動乱によって荒廃しきった地球と、そこに生きる人々のために活かしたいと願い、それこそ身を削ることをいとわなかった男。と、いったところか。

 だが、どこまでも手前勝手な五大王家の圧力と、それらの行動に伴う浪費と消耗に、静かに、しかし確実に心身を消耗させつつあった彼が、最終的に到達した結論と言うのが、科学技術と知識の独占的ともいえる、徹底した保全と保護だったらしい。

 宗教的側面をもってして構成員の結束を強化し、それをより確実なものとするためROMが設立され、組織内外の動きに目を光らせた。それが、今日まで知られている、狂信的なまでの神秘主義をまとった、宗教結社としての始まりだったようだ。

 問題は、ジェローム・ブレイク本人よりも、その腹心のひとりだった、コンラッド・トヤマなる男だ。彼は、ブレイクの死の間際にただひとり立会い、そして、自身の正統な後継者として、後のコムスターの全権を任された。

 正直言って、他に誰も立会人がいないのにもかかわらず、自分が後継者に指名されましたなどと、胡散臭さフルスロットルもいいところだが、とにもかくにも、コムスター的には、そういうことになった。

 さて、めでたく首座司教就任と相成ったコンラッド・トヤマは、ジェローム・ブレイクの神秘性と精神性を神格化し、さらに神霊的な要素を加味して、いかに彼が預言者的精神を持ってコムスターを創生し、世界をより良き方向に導くため、その生涯を捧げたかを喧伝した。

 そして、件のトヤマの一連の行動で極めつけともいえるのが、ブレイクが書き遺していたという日記を、こともあろうに聖書として編集、出版して世に広めるという、超弩級の暴挙に打って出たことだ。

 自分の日記を本にされて世に出されるなどと、俺だったら、これってなんの罰ゲーム?と言いたくもなるところだが、そんな羞恥プレイじみた所業ですらも、なぜかブレイクの神聖的要素に拍車をかけ、その立ち位置を不動のものにしてしまったのみならず、以降数世紀にわたって、コムスターの行動理念を確立した。

 そのトヤマが自分の後継者に選んだという、レイモンド・A・カルポフ。この男もまた、どういうわけか、前任者と似たようなキャラクターをいかんなく発揮して見せた。ともあれ、このカルポフなる男が、トヤマの作り上げた宗教的基盤を、更にブーストアップさせていくことになった。

 もっとも、こんなこと、そう思っているなどと感づかれたり、疑われるような真似など間違ってでも出来ない。不用意な言動を漏らすなど、それがたとえ自分の家族や友人であっても、論外中の論外もいいところだ。

 それで、ほんの些細な事がアダとなって、少しでも怪しいと思われたが最後、まさかの時のスペイン宗教裁判じみた、有無を言わさぬ異端審問の吊るし上げを喰らった挙句に、着の身着のまま再教育キャンプに叩き込まれ、そこで哀れ朽ち果てていった奴らの話は、部署・階級の如何関わらず果たして枚挙に暇が無い。

 それなら、なんで今の今まで、あのROMの目さえ誤魔化して、こうやって無事で居られたのかって?教えてやってもいいが、こればっかりは元手がかかってるからなぁ・・・・・・ま、一言で言えば簡単な話だ。なにせ、俺はウソツキだからな。

 まあ、それはともかく、コンラッド・トヤマがコムスターの全権を握ったその瞬間から、コムスターの変容が始まり、万人がイメージしているコムスターが構築されたといっていいだろう。

 トヤマ曰く、この世に存在する科学技術と知識は、選ばれた者にのみ所有と管理を許されるのだと言う。そして、その選ばれた者とは、すなわち神の使徒であると。それは誇るべきことであり、ひいては、科学と技術、そして知識を守護し、司り、世界を、民衆を導く義務と権利を持つ。

 例えば、コムスターの最大の売りであり、目玉商品でもある、ハイパーパルス・ジェネレーター通信ネットワーク。世間的にはHPGで通っているが、そのスイッチひとつ押すにしても、賛美、崇敬、祈願、感謝、それらをよくもまあひとつに取りまとめたもんだと思える、長ったらしいにも程がある祝詞を詠唱し、然るべき儀式を執り行った後、めでたくスイッチ☆オンの運びとなる。

 ちなみに、これを完全義務化したのは、先ほど話したカルポフの仕事だ。そして、この詠唱の儀をすっ飛ばしたりだとか、半端なマネをして誤魔化そうとした連中は、全て例外なく、ROMや異端審問会のものすごく怖いお兄さんやお姉さん達によって、痛い目怖い目に会わされることになった。

 と、まあ、これらは、ほんの一例に過ぎないが、この原理主義者達が、コンラッド・トヤマというフィルターを通したジェローム・ブレイクの言葉を信奉し、科学技術を古の大いなる遺産と信じ、それらを排他的なまでに守り通し、それを侵すものや異を唱えるものには一切の容赦をしない。とまあ、ワードオブブレイクとは、そういった面倒くさい連中の集まりだと思って差し支えないだろう。

 しかし、ツカイード戦役以降、コムスターは今までのやり方に見切りをつけ、大胆な改革路線をとり始めたのは、いまや小学生でも知っている話だ。そして、その内容は、今しがた話した、秘密主義だの神秘主義だのからの脱却を示している。

 科学や技術、そしてそれらに付随する知識を、本来あるべき姿と立ち位置に戻そうという流れのもと、これでもかと言うくらいのカルトくささをきれいさっぱり片付け、暗部を駆逐し、全てに光を当て、広く開かれた組織に生まれ変わろうとしている。

 いうなれば、かつて、地球帝国すらも存在しなかった遙か昔、地球にあったニッポンと言う国に存在した、NTTとかいう企業に近いものになろうとしていると言った感じだ。

 それと決定的に違うのは、一国を相手にケンカをおっぱじめて、なおかつボテクリまわせる程度の軍事力と諜報力がある。ということなんだが、まあ、それはそれとして。

 そんな選民思想スレスレもいいところな秘密結社から、みんなに愛される、技術と信頼のコムスター・エンタープライゼスに生まれ変わろうということなんだろう。そして、それは、ジェローム・ブレイクが志したであろう、コムスターの理念に近いのかもしれない。

 いや、それはそれで大いに結構なことだと思う。なにしろ、ひと昔前のコムスターときたら、偉くなればなるほど、退職金が爆弾だとかレーザービームだったりする訳で、まともな定年退職が望めないことで定評のある組織だった。

 そもそも、一度就職したら、自分の都合で転職や退職など絶対許されない。ましてや組織の方針に意見するなど論外中の論外とかもう、その理不尽さたるや、そこらのケチなブラック企業など裸足で逃げ出すダークネス企業と言うか、それこそ万人がイメージする通りの、絵に描いたような秘密結社だった。

 通信企業というカテゴリーの常識を、アクセル全開でブッチするその実態は、そのつもりがあろうとなかろうと、目をつけられてしまったが最後、普通に命に係わる危険な集団だったから、通信・情報伝達や科学技術の研究や保全を主な業務内容とする、至極まっとうなグローバル企業として再生しようと言うのなら、素直に歓迎して然るべきものだ。

 だが、それを良しとしない連中が、一定の割合で混じっているのも事実だ。元々、コムスターの神秘性に魅了されたとか、今しがた話したように、選民思想一歩手前な教義にどっぷり心酔しきってしまい、まるでジュブナイルを読み過ぎた中学生かなんかのように、いい年こいて、自分をなにか特別な存在だと勘違いしているような奴もすこぶる多い。

 そんな連中が、今日から私達は普通の会社員ですよ。とかなんとか言われても、はいそうですかとすんなり納得するとは思えない。

 だから、コムスターとワードオブブレイク、この二つの組織の派生、いや分裂は、思った以上に根が深く、当事者間のみならず、後々に深刻な禍根を残すんじゃなかろうか。と、思ってみたり見なかったりとまあ、そんな塩梅だ。

 と、缶ビール片手にトライビットの映像を眺めながら、そんな益体もないことを考えていたんだが、やはり同じように缶ビールを傾けていたジャックが、顔はトライビットに向けたまま話しかけてきた。

「もしかして、おみゃーさんを取り返そうと考えとるんじゃねーんかの」

「俺を?今頃になって?」

「さあ、その辺は知らんけどもが。こうしてちょくちょく顔出してきとるわけだで、なんかあるんと違うか」

「とは言ってもなぁ・・・・・・」

 意外と鋭いジャックの言葉に、俺は缶ビールの底に残った一口を飲み干して答える。

「いくら先方が返してくれって言ってきたとしても、どうするかは司令の判断だからな。俺がどうこう考えることじゃないんじゃないか」

「そーじゃねぇだで、おみゃーさんは、どう思っとるんだぎゃ」

「俺?俺が今さら帰ったってどうしようもない所だしな。それに、もうすっかりここの暮らしが馴染んじまったし、そもそも、まだリオをほっぽりだす訳にもいかないからな。俺としちゃ、戻る気はないよ」

「そうかね、だといいんだけどもが」

「そうかい?」

「友達がいなくなるのは慣れっこだどもが、寂しくなるんはどうにもならねーだで」

 まるで、裏表の無い子供のように青臭い、しかし、率直なジャックの言葉に意表を突かれたと言うわけでもないが、年甲斐もなく鼻の奥がツンと痛む。

 たかが10年、されど10年。俺がノヴァキャットで過ごした10年間は、ただの10年じゃない。こんな俺でも、友達だと言ってくれる人間がいる。そして、大切なものも出来た。それを全部手放せ、捨てろ、と言われたら、正直、それは厳しい注文だ。

 それよりもなによりも、俺自身が、今のコムスターに思うところは、全くといっていいほど何も無い。もはや、あそこは俺にとって遠過ぎる存在になってしまった。それだけは、動かしようの無い事実だ。

「けどもが、帰る帰らんはともかくとして、ふたつの組合から勧誘が来とるんだぎゃ?どっちにしても、きちんと返事はせんといかんのと違うか?」

 その辺、大丈夫なんか?と、缶ビール片手に、目の前の心優しい氏族戦士はそう気遣ってくれる。だがしかし、俺はこの件について、まっとうな結果に終わるとは、これっぽっちも思っちゃいない。

 ワードオブブレイクとコムスター、ただでさえ険悪な両者の間で、恐らく、なんらかの理由で緊張が加速しているんだろう。でなければ、自陣に引き込もうという意図をもって接触を図ってきた理由が、他に思いつかない。だが、俺の仮定に近い形で事態が進んでいるのなら、片方を安堵させ、片方を落胆させるなんて安直な結果にはならないはずだ。

「まあ、そこいら辺は、ちゃんと返事をするよ。どっちみち、ここにいる分には、あってもなくても似たようなモンなんだけどな」

「ま、そうかね」



 さて、今日はもう一度アフラと会う約束の日だが、時間を過ぎても、一向に彼女は姿を見せない。どうしたものかねと思いながら、それでも普通どおり仕事をしていると、ハンガーのインターホンが鳴るのが聞こえた。

「班長ーっ、ジャックさんから有線入ってるっスよー」

「おう、サンキュー。今行く」

 そらきた、と思いながら作業を中断して、シゲからインターホンの受話器を受け取る。さてさて、どうなるかな。

「もしもし、ジャック?」

『おー、クルツ。さっき連絡があったんだけどもがよー、こないだの姉ちゃんな。なんぞ手違いがあって来れんよーなってしもーたらしーだで』

「手違い?」

『いや、消防の方からかかって来とるんだけどもがよー。どうしてもっちゅーことで、伝言頼まれたらしーんだわ。でもって、俺に言うだけ言ってガチャリだで』

 あれまあ。

「そうなのか、すまないな、ジャック」

『別に気にせんでえーよ、連中の気が利かねーのは、今日に始まったことじゃねーだでな』

「いや、ホントにありがとう。また、ビールでもおごらせてくれ」

『おー、楽しみにしとくでよ。ほいじゃー、確かに伝えたでな』

「ああ、ありがとう」

 手違いねぇ・・・・・・しかし、消防の方から連絡がきたってことは、なんかあったってことなんだろうけどな。多分、ニュースか何かで、関係のありそうな事件・事故は報道されるはずだ。とりあえず、今日の事はそういう事にしておこう。

『・・・・・・なお、出火の原因は現在調査中とのことで、本日未明に起こったイーストサイド・イン・ホテルの火事については、周辺区域は現在も地元消防と軍警察によって封鎖が続いています、なお・・・・・・』

 その日の勤務を終え、俺とジャックは、トライビットが流すニュースを呆れ半分苦笑半分で眺めながら、最近よく世話になりつつある宿直室で缶ビールを傾ける。トライビットのホロスクリーンには、駐屯地に一番近い市街地にあるビジネスホテルが大炎上している様子が映っているが、なんともまあ、いろんな意味でヒドイ話だ。

「これって、あの姉ちゃんが泊まっとったホテルだで?えれー災難だでな」

「ホントだな、しかしまあ、ボンボコよく燃えてるな、こいつぁひでぇや」

 どうにも、こりゃまるでキャンプファイヤーだ、それにしてもアフラの奴、良く無事だったな。あの後で、彼女が担ぎ込まれたという病院に連絡してみたが、煙にまかれて危うく燻製になりかけたそうだが、命には別状はないという話だった。

 だが、病院側からは、面会謝絶と言われ、見舞いに来ても無駄足になる、みたいなことを言われてしまった。命に別状ないのに面会謝絶って、どういうことなの・・・・・・。と思ったわけなんだが、このニュース映像を見る限り、生きちゃいるが、地味に厄介なことになっているのかもしれない。

 それにしても、これはちとばかし予想外な話になった。いや、多分何かやらかすだろうとは思っていたが、まさかこんなに話を大きくするとは思わなかった。とはいえ、事故に見せかけるには、常套手段といってもいいやり方なんだろうけどな。

 だがしかし、このままでは終わらんだろう。ワードオブブレイクとコムスター、部署と肩書きはどうあれ、双方の関係者が目と鼻の先とも言える距離に存在しているという事実。どう考えても、この程度の騒ぎで済むわけがない。



 さて、あれから数日、アクサともう一度会う約束の日だが、今度はどうだろう。と思っていたのだが、朝っぱらから爆弾テロが起こったと警報が入った。そのため、俺達のクラスターは非常警戒に当たることになり、朝飯を喰う暇もないほど忙しかった。

 さすがに、テロ事件ということだけあって、状況の詳細は俺達にもすぐに伝わってきた。しかし、怪我人はともかくとして、死人を出さないようにホテルのエントランスを吹っ飛ばしたのは、ずいぶんと遠慮したというか、いい腕前だ。

 そう言えば、この間のホテルの火事の時も、怪我人や具合を悪くした奴は大勢出たが、上手に焼けましたー、という目にあった奴はひとりも出なかった。

 ニュースでは、ホテルや消防の初動態勢の高さを評価していたが、燃え広がる速さと避難の時間的余裕を塩梅して、誰かが意図的に、しかも綿密に配置を考えて火でもつけない限り、こういった幸運はお目にかかれない。

 なんというか、いよいよ始まったな、といった感じだ。とは言え、本当にそうだとしたら、原因の大部分は俺にもあるわけで、無責任に笑ってなんぞいられない。

 アフラもアクサも、両方とも何処にでもいるような、愛想のいい事務員系のお姉ちゃんにしか見えなかったわけだが、往々にして、諜報員とか工作員というのは、そんな感じの人間ばっかりだ。もちろん、ROMエージェントもその例外じゃない。

 筋骨隆々のタフガイを絵に描いたような歪みねぇ大男だとか、ボンキュッボーンと音がしそうなくらいのわがままボディ美女なんてのがスパイだとかは、大体そんなのは映画か漫画の中くらいだ。

 いや、別に全くいないって訳でもないんだが、そんな印象に残りまくりというか、ひと目見たら忘れられそうにもないような、良くも悪くも特徴の塊みたいな人間に、言うなればダークサイド全開な仕事はほとんどまわってこないといっていい。

 本当にどこにでもいるような、特徴のないのが特徴みたいな人間が、街中や建物の中を普通にうろつきまわり、いつの間にかターゲットに接触して、誰にも気付かれることなく仕事を終わらせる。と、まあ、大体そんな感じ。

 別に、あの二人がROMだと言っているわけじゃない。だいたい、そんなもの疑ってみたところで、俺の腹が痛んだり財布が膨れたりするわけでもない。であるからして、この辺は、俺の夢冒険じみた戯言だと思ってくれ。空想してから寝てください、ってなもんだ。

『クルツ、来たでよ。コムスターの姉ちゃんの方だで』

 そうこうしているうちに、もはや心得たとばかりのジャックからの有線が来た。

「そうか、ありがとう、ジャック」

『おー、ほいじゃーの』

 まあ、アクサの方は予定通りか。なんていうか、あまり気はすすまないが、約束してある以上は仕方ない。行ってみるかね。

「おはようございます、クルツ様。今日は、約束のお時間に遅れしまい、大変申し訳ありませんでした」

「いえいえ、お気になさらず。なんか事故でもあったんですか?」

 大体見当はついているが、一応聞いてはみる。

「ええ、お恥ずかしい話なのですが、宿泊していたホテルがテロにあいまして・・・・・・」

「テロ?良くご無事でしたね、大丈夫でしたか」

「はい、エントランスが爆発しただけでしたので、客室には被害はなかったのですが、若干混乱した状況でしたので、お約束の時間に間に合いませんでした。それに、こちらでもお忙しそうなご様子なので、重ね重ね申し訳ありませんでした」

「いえいえ、うちはいつもこんな調子ですよ。あまり気にせんでください」

 さて、コムスターの保険勧誘員さんが今まさにこうしているわけだが、どう対応しようかしらね。ていうか、玄関を吹っ飛ばされたホテル、もしかしたらとは思っていたが、やっぱりアクサの泊まっていたホテルだったか。

「それでは、早速で恐縮ですが、先日ご説明させていただいた、更新手続きの件なのですが」

「ええ」

「こちらの方で、更新に必要な書類と添付資料を準備してまいりましたので、ご確認いただければと思います」

「そうでしたね、それじゃ、拝見させてもらっていいですか」

「はい、かしこまりました」

 なんだよ、なんか地味に面倒くさいことになったなチクショウ。そう何度も話を引き伸ばすのもカッコ悪いし、さてどうしたものやら。っていうか、全然見当違いの方向に話が進んでるじゃねぇか。あんだけカッコつけて予想してみせたってのに、あたしって、ほんとバカ。

「あれ・・・・・・?」

 書類鞄の中を探っていたアクサに、一瞬戸惑いと焦りが入り混じった表情が浮かぶ。なんだ、もしかして書類でも忘れてきたか?と、思ったその時、面会室にひょっこりジャックが現れた。

「ちょっとえーかね」

「よお、どうしたんだ、ジャック?」

「話中すまんの、クルツ。こないだの姉ちゃんが、どうしても急ぎの用だっちゅうことだで、少し時間分けてもらえんかの」

「いや、わざわざすまない、ジャック。アクサさん、申し訳ないですが、少し時間をもらえませんか?」

「え、あ、はい、私は大丈夫です」

 面談の中断を、アクサは快く承諾してくれたが、若干目が泳いでいる。なんか、この様子だと、マジで大事な書類を忘れるか何かしてきたみたいだな。

「すみません、クルツさん。お取り込み中、失礼いたします」

 そのとき、ジャックの後からついて現れた、包帯ぐるぐる巻きの女性が遠慮がちに現れた。予想外のそのナリに、一瞬『誰?』と思った。が、しかし、そのなんとなく見覚えのある背格好と声は、もしかして・・・・・・。

「え?・・・・・・アフラさん・・・・・・です?」

「はい、このようなお見苦しいところをお見せしてしまい、大変申し訳ありません。ご存知かもしれませんが、宿泊先で事故がありまして・・・・・・。このような状況では、きちんとご説明させていただくことが出来ませんので、いったん本社に戻り、後任者に引継ぎをしてまいります。今日は、ご挨拶とお詫びに参りました」

 なんてこった、ちょっとこりゃ結構重傷じゃないのか?こんな有様で、よくここまでひとりで動けたもんだ。

さて、予定になかったアフラの思いがけない訪問に、ちとばかし冷汗がにじんできた。今まさに勧誘合戦の最中なんだが、当事者同士が鉢合わせするというのは、流石に気まずい。さて、どういう展開になりますのやら。

「そうですか、大変な目にあわれたようで・・・・・・本当なら、お見舞いにうかがうべきだったんですが。どうか、お大事になさってください」

「ありがとうございます、こちらこそ、大変ご迷惑をおかけしてしまいました。重ねてお詫び申し上げます」

「いえ、もうその辺は気にしないでください。アフラさんも、怪我を治すことに専念して、ゆっくり養生なさってください」

 なんというか、俺も時たまこういう格好になって、そこいらをうろつくことがあるが、やはり、他人から見たら、なんていうかこう、ヒクもんがあるんだろうか。今さらだけど、ちと気になってきた。まあ、そんなことはこの際どうでもいいわな。

「ありがとうございます、クルツ様。それでは、失礼いたします」

 丁寧に頭を下げたアフラは、松葉杖で包帯だらけの体を支えながら、ジャックに付き添われて面会室を出ようとしたその時、俺の対面に座っていたアクサに気付いたように足を止めた。

「あの・・・・・・失礼ですが、もしかして、コムスター職員共済の方ですか?」

 うわーお、やっぱりそう来やがったか。なんかこう、嫌な予感がシ テ キ タ ヨ。

「はい、そうですが・・・・・・?」

「よかった、ここに来る途中で見つけたんですが、封筒にコムスター職員共済とあるものですから。もしかしたら、重要な書類なのではと思いましたので、然るべき所に早くお届けしなければと思っていたんですよ」

 そういって、アフラは、ショルダーバッグの中から、一本の厚みのある書類封筒を取り出した。なんていうか、土埃でずいぶん汚れているというか、ご丁寧に、車で轢かれたのであろうタイヤの跡までついている。

「どうぞ、こちらの方、お返しします」

 包帯の間から覗いた目に、営業スマイルもいいところな笑顔を浮かべながら、アフラは俺の個人情報満載であろう書類の詰まった封筒をアクサに手渡す。傍目には、ずいぶん親切な光景に見えなくもないが、競争先の企業の人間から、無くした書類を顧客の目の前で手渡されるなど、アクサにしてみれば、ありとあらゆる意味でたまったものじゃないだろう。

「お手数おかけして、大変申し訳ありません。ありがとうございました」

「いえいえ、困った時はお互い様ですから」

 営業スマイルを浮かべながら、ERラージレーザーのような強烈な視線がお互いを貫いている。傍で見ていて、もうなんともいえない光景に足元がムズムズするというか、今すぐ100m走記録に挑みたくなる気分だ。今なら、世界タイくらいは出せるかもしれない。

 有体に言って、かなり居心地が悪い。いやはや、なんというかもう、なかなかエンジョイ&エキサイティングなお嬢さん達だね。

 勘弁してくれ、まったく。



「で?結局、あの姉ちゃんも帰っちまったんかね」

「ああ、なんか、手違いがあると申し訳ないからと、もう一度書類を整理し直してから来るとかなんとか」

「そーかね」

 あの日、アフラが帰った後、アクサも俺に平謝りをしたあと、そそくさと帰ってしまった。まあ、さすがに、事件に巻き込まれた後とは言え、顧客の個人情報が満載の書類一式を落っことしてしまったなんて、企業としちゃ普通に大失態だ。

 まあ、なんというか、ホテルの経営者や従業員、宿泊客には迷惑極まりない話だったろうが、この程度の嫌がらせレベルで済んだのは意外だった。下手すりゃ、もっと洒落にならない事態になっていたかもしれないし、俺も、こんな呑気に友人とイエノミなんぞしてる場合じゃなかったかもしれないが、まあ、いまさらこんなこと言っても仕方ないわな。

「まー、多分吹っ飛んだ宿から逃げる時に、道端にでも落っことしたんだろーけどもが・・・・・・ま、どっちも災難だったでな」

「そうだな、ここ最近、この辺もエラく物騒になったもんだ。ホテルの火事やら爆発やら、ありゃ間違いなくテロだろ」

「司令もそー考えとるよーだで、俺ら内務班も基地警備の警戒レベルを引き上げることになったでよ」

「大変だな、それじゃ、これから休みも取りづらくなるだろ」

「まあ、仕方ねーだで。今までが、ちとのんびりし過ぎてたんだでよ。おみゃーの方こそ、これから忙しくなるんでねーんか?」

「ハハハ、もうなってるよ。部隊の軽量級メックの即応態勢に合わせた整備日程が組まれてるからな、他のクラスも突発事案に対応出来るように、装備資機材を準備しておかないとだしな」

 ここ最近の一連の事件に対し、イオ司令が下した判断は、テロに対する対応を強化するという指示が出た。そして、それに伴い、クラスターの警戒レベルを引き上げ、即応態勢に入ることになった。これからしばらく、忙しくなるだろうが、それはもう仕方ない。

「失礼します、班長、おつかれさまです」

「おー、トニー。どうかしただぎゃ?」

「はい、今、ニュースで緊急速報が流れているんですが」

「速報?」

「はい、なんでも、空港で銃撃戦があったようです」

『はあ?』

 おもわずジャックとハモっちまったが、急いでトライビットのチャンネルを変えてみると、はたして、そこには阿鼻叫喚の様相を呈した空港ターミナルが映し出されていた。

 何台ものアンビュランスのサイレンランプがめまぐるしく点滅する中、軍警の武装機動隊がロビーやエントランスに展開して、周辺警戒や未だ混乱冷めやらぬ市民の避難誘導をしている様子から、もう既にショータイムは終わったようだ。

「ほ、マルティンのやつだで。あいつ、まだ生きとったんか」

「なんだ、知り合いか?」

「おー、ポリスアカデミーの同期だで」

「へえ」

 俺とジャックは、完全に他人事モードだが、鉄火場は終わったとはいえ、粉々に砕け散ったウィンドウガラスやら、蜂の巣になったカウンターやら、担架に乗せられて運び出される負傷者だかホトケさんだかの、リポーターの説明と共に映し出されるその他諸々の衝撃映像が、銃撃戦の凄まじさを物語っている。

「こりゃまた、どえりゃー派手にやらかしたモンだでな、物騒なもんだで」

「そうだな、怖い怖い」

 心底呆れかえったようなジャックの言葉に、なぜかあの二人の顔を思い出しながら、俺はなんともいえない気分で相槌を打つ。

 にしてもまあ、ずいぶんと派手にやらかしたもんだ。どうにも、まったくもって本当に傍迷惑な連中だ。いくら自分で気をつけていても、こういうことがあるから、保険は必要になるんだよな。







備えあれば憂いはあんまりない

(終)