オモイツグモノ(後)



 あれから三日後、不服の神判は、予定通りに執行される事になった。そして、今日の話を聞いた、クラスター中の戦士やテックが、次々に射爆場外周へと集まっていた。

「アストラ兄ちゃんとローク様、とうとう来なかったのぅ・・・・・・」

 心残りをこらえるように呟きながら、リオは、あるはずもない姿を探すように、人ごみを見つめ続けている。この三日間、アストラとマスターは、姿を見せることは無かった。だが、それは何も、彼らが薄情だなどと言うわけじゃない。

「仕方ないけんね・・・・・・兄ちゃん達、辺境警備の応援にいったんじゃけんね・・・・・・」

「ああ、そうだな」

 わかっているからこそ、やりきれない事もある。俺やマスター、アストラは、それこそ何度も見てきた事でも、リオにとっては、今日が始めて見る、ディオーネ自身の命を懸けた実戦同然の神判だ。

 だが、目を反らしてはならない、反らさせてはならない。これからも、戦士を目指そうとするのなら、見届けなければならない。俺は、約束した。どのような結果になろうとも、全てを見届けると。それが、彼女の願いだったから。

『そこの集まっとるの!指定されたラインまでとっとと下がるだぎゃあ!!』

 周辺警備をしていた内務班の隊員が、ハンドスピーカー越しに怒声を上げながら、忙しく走り回っている様子が見える。

『おみゃーらが流れ弾でくたばんのは勝手だどもが、神判の邪魔するよーな真似してんじゃねーだぎゃ!下がれ!下がれ!!』

 ・・・・・・お、あの声はジャックだな。内務班も、神判の警備進行の段取りで、営内にずっと缶詰だったからな。声を聞くのも、本当に久しぶりな気がする。・・・・・・そうだな、結局、それぞれがそれぞれのすべき事をしているんだ。そう言う風に出来ている、といってしまえばそれまでだが、それは事実以外の何者でもない。

 そして、俺にしても、もう出る幕はない。俺が出来ること、やるべき事は、全てし尽くした。ここではもう、俺は、目撃者のひとりでしかない。

「やれることは全てやったんだ、後は、見届けるしかない」

 無意識に呟いた言葉だったが、傍らのリオが、微かにうなずく気配を感じる。そして、今まさに神判に臨む二人の戦士を前に、イオ司令は、彼女達に対し、神判の発動と、それに伴う補足事項の宣告を始めていた。

「それでは、これより、スターコマンダー・ミケーネ及び、メックウォーリアー・ディオーネによる、不服の神判を執り行います。なお、人材保全と言うカーン様の意向により、コクピットへの意図的な攻撃は厳禁。ですが、事故等、不可抗力については、その限りではありません。

 規定に従い、メックウォーリアー・ディオーネは、元立ちとしてポイントに待機、スターコマンダー・ミケーネは、掛かり手として侵攻位置より進入。乗機が撃破、もしくは搭乗員が行動不能にされた時点で、勝者の主張が認められるものとする。なにか質問は?」

「無い、全て了解した」

「こっちも、無しだぎゃ」

 今回、立会人となったイオ司令の言葉に、ふたりは異存なしとの意向を伝える。

「よろしい、では、両名、搭乗準備を」

 そして、彼女の言葉を合図として、ふたりは、それぞれのメックに向かう。神判を受ける立場であるディオーネは、神判を挑んだミケーネのブラッドアスプを迎え撃つポジションを得る権利を認められた。

 そして、降着姿勢で駐機しているノヴァキャットに乗り込むディオーネは、ほんの一瞬、俺の方を見て、ヘルメットバイザーの向こうで笑ったように見えた。そして、その姿がコクピットの中に消え、ハッチが閉まると同時に、聞きなれた起動音と共に、ノヴァキャットが滑らかな動作で立ち上がり、射爆場の中央へ向かって悠然と歩き出していった。

「ディオーネ姉ちゃん、頑張って・・・・・・」

 祈るようにつぶやきながら、リオは真剣な表情でノヴァキャットの背中を見送っている。俺には、あのミケーネという戦士が、何を考えているのかなんてわからない。だが、もうそんな事は、これ以上は考えても無意味な状況になった。

 ノヴァキャットとブラッドアスプ、この二匹の鋼鉄の巨獣が激突する。そして、最後に立っていた者が真実になる。ただ、それだけの話だ。




 双眼鏡のレンズの向こうに見えるノヴァキャットは、こちらに背を向ける形で、もうすぐやってくるであろうブラッドアスプを待つように、静かに立ち続けている。

「・・・・・・来たけん!」

 緊張の色を含んだ、低く鋭いリオの声に、ノヴァキャットを中心にして、双眼鏡の視界を左右に揺らす。すると、リオの言葉どおり、豆粒のようなブラッドアスプの姿が、徐々に大きくなってくるのが見える。いよいよ・・・・・・か・・・・・・。

 あと600メートル・・・いや、500メートルか、あともう少しでお互いのバトルレンジになる。重量もさることながら、打撃力・殲滅力に優れたブラッドアスプは、近距離での破壊力は、オムニメックであってですら危険過ぎる代物だ。

 しかも、ミケーネのブラッドアスプだが、プライマリーを基本にしながら、ER−PPC一門を換装しているという、完全に打撃力重視の形態にしている。一方、ディオーネは装備を変更しなかった。どういった意図があるかわからない、しかし、今はもう、彼女の判断を信じるしかない。

「に・・・睨みあっとるけん・・・・・・」

 微かに震えるリオの言葉どおり、サンドラとブラッドアスプは、数百メートルの距離を置きつつ、互いの様子を探るように移動し合う。そして、耳鳴りのするような緊迫した空気の中、先制の一撃を放ったのはブラッドアスプだった。

 この距離からでも鼓膜を振動させるほどの、落雷並みの轟音と共に、両肩のガウスライフルが重合金の砲弾を射ち出す。そして、初弾はサンドラの足元に炸裂して土柱を吹き上げ、次弾は右肩の装甲を半分以上も消し飛ばした。

「あっっ!?」

 アウトレンジからの直撃に、サンドラがよろめくように体勢を崩し、悲鳴じみたリオの悲鳴が上がる。しかし、次の砲撃が着弾する頃には、すでに体勢を立て直していたサンドラは、挙動を撹乱させるように小刻みなフットワークで機体を振り回しながら、重量級とは思えない動きで走り出していた。

 サンドラは、次々と飛来する砲弾をかいくぐるように、周囲で炸裂する至近弾の爆煙の中を突進する。そして有効射程に達したと同時に、ブラッドアスプの動きを牽制するかのようにウルトラAC5が火を噴いた。

「は、弾かれたけんっ!」

 双眼鏡なしでなんて視力だ、なんて驚いている場合じゃない。ラピッドモードで発射された砲弾は、ブラッドアスプの装甲の上で火花を散らしながら弾け跳んでいく。それでもなお、サンドラはなおも砲弾を浴びせ続けている。

「や・・・やっぱ駄目じゃ!みんな弾かれとるけんっ・・・・・・!」

 心底悔しそうな声でうめきながら、拳を握っているリオの声を耳にしながら、不規則な軌道修正を加えつつ、ブラッドアスプの周囲を巡るように疾走するサンドラの動きを追い続ける。

 AC5クラスの口径では、決定的な有効打にはならないかもしれない。しかし、ブラッドアスプとて、全部が全部、分厚い装甲にくるみこまれているわけじゃない。それに、速射能力の高いウルトラAC5の絶え間ない弾幕は、ブラッドアスプのサイティング・モーションを確実に狂わせている。

 同時に、元々のノヴァキャットのポテンシャルなのか、それとも、ディオーネの技量か、サンドラは、まるで中量級メック並のフットワークで機体を支えながら、断続的なバースト射撃でブラッドアスプのリズムをかき乱している。

 だが、多少の被弾は無視するかのように、その重装甲にものを言わせて突進するブラッドアスプは、全身から火花をまき散らし、砲弾を弾き返しながら前進する。ついに自分の間合いに到達するや否や、SRMの弾幕を浴びせかけ、サンドラとその周囲に次々と火球が炸裂させる。

 ただ強力な火力でゴリ押しするだけじゃない、アサルト乗りにふさわしい思い切りのよさもある。わかりきっていたことだが、これは苦しい展開になりそうだ。

「な・・・なんか光っとるけん!」

「ウィル・オー・ウィスプだ・・・・・・来るぞ・・・・・・!」

 ブラッドアスプの周囲を、おびただしい数の光の粒子が舞い始める。そして、ここまで漂い流れてくる強烈なオゾン臭と共に、ブラッドアスプのPPCが激しい帯電を始めた。

「よけて!ディオーネ姉ちゃん!」

 しかし、サンドラは慎重な動きでブラッドアスプの様子をうかがいつつ、その攻撃を待ち構えるかのように、用心深く距離をとり続けている。

「今動いても直撃する、サンドラのメカノイズがプラズマを引き寄せるんだ」

「そんな・・・・・・!」

「よく見ておけ、リオ」

 その瞬間、魔竜の咆哮のような轟音と共に、荷電粒子の光弾がサンドラめがけて発射された。そして、時間にして一秒もないその瞬間、サンドラは上半身を急旋回させ、崩した重心の勢いで機体を翻らせた瞬間、その直近をプラズマ弾がかすめ飛び、装甲を擦過する超高温に炙られた塗料が瞬時に沸騰し、激しく泡立ちながら蒸発していく。

『野郎、間違いなく狙ってきやがった・・・・・・』

 神判を見守る人ごみの中から、唸るような声が聞こえてくる。ガウスライフルやER−PPCなんていうリーサルウェポンで、ためらいひとつ無く攻撃してきたミケーネ。奴は、相手を殺してしまうことに、間違いなく何の迷いも持ってはいない。だが、俺が知るディオーネと言う女は、その程度の事で怯んだりするような可愛い真似など、絶対にしない。

 ギリギリまで引きつけた上で、プラズマ弾の直撃を回避したサンドラは、些細な損傷にかまわず、小刻みに軸線を変えながら射線をすり抜けるように疾走し、ウルトラAC5で牽制するように弾幕を張る。

 そして、全身に浴びせかけられた砲弾で、ブラッドアスプの反応がわずかに硬直した瞬間、サンドラは半身に上体をひねり、突き付けるように構えた左腕の三連装パルスレーザーから、ストロボのような閃光が放たれた。そして、連続して撃ち出されたレーザーは、次々とブラッドアスプに突き刺さり、瞬く間に赤熱していく右肩のエクストラ・アーマーが金属崩壊のスパークを噴き上げ、液状化した金属となって弾けるように飛び散った。

「やった!やった!!」

 さっきの返礼と言うわけでもないだろうが、その鮮やかな反撃は、リオだけじゃなく、周囲の戦士達からも感嘆のどよめきを上げさせた。

 あのタイミングなら、どこでも好きな場所を狙えたはずだ。ディオーネの腕なら、それは何も難しい仕事じゃない。だが、その気になれば、いくらでも潰す事が出来る。今のは、ミケーネに対する、ディオーネの警告のようにも見えた。それこそ、殺すことも辞さない覚悟で向かってくる相手に対して、ディオーネは、殺し合いなどではない、あくまでも『神判』としての立ち位置で戦う意思を示した。

 そして、報復のように浴びせかけられるSRMやレーザーの弾幕を突破するように、全力で突進するサンドラは、駆け抜けざまにパルスレーザーを掃射する。

「やった!きいとるけん!!」

 装甲の表面が蒸発し、全身から白煙のような金属の蒸気を上げるブラッドアスプに、リオの歓声が上がる。だが、無理な姿勢での行進間射撃だ。命中したのはいいが、着弾が相当ばらけている。あれでは、ブラッドアスプに対して有効な打撃とは言い切れない。

 だが、反撃としての効果はそれなりにあったようだ。ブラッドアスプの動きが、今までよりも気持ち慎重になったように見える。なにしろ、大口径パルスレーザーだ。さっきの一撃のように、三連装の一斉射撃が集中して直撃すれば、いくらブラッドアスプとは言え、中枢を破壊するぐらいはしてのける。

 しかし、サンドラが、間断なく動き続けながら、射撃ポイントを確保しようとしている一方で、ブラッドアスプも、サンドラの火力を把握してきたのか、ただ火力を叩きつけるだけという大味さがなくなり、全身の兵装をローテーションさせるように、じわじわと追い詰めるように攻撃を加え、その距離を縮め始めている。

 そして、サンドラの反撃に対しても、致命的なものとそうでないものを割り切るかのように、直撃する砲弾を火花と共に弾き飛ばしながら、逆に、カウンターで殴り返すような勢いで、体中に配置された大型火器の多段砲撃をお見舞いしている。

 いくら火力に差があるとは言え、この状況は、ほとんどブラッドアスプが主導権を握ってしまったようなものだ。遮蔽物すらろくに見当たらない射爆場の中で、サンドラは、わずかな地形の起伏を縫い込むように、巧みに機体を走らせつつ、時折上半身だけを旋回させてオートキャノンやパルスレーザーを交互に浴びせかけていく。

 絶えず動き回り、その立ち位置を予測させないサンドラを追うように、ブラッドアスプは、まるで苛立つように両腕のガンポッドを振り回し、レーザーやPPCを乱射している。しかし、動きを押さえ込んだ時ならともかく、全力で疾走しつつも、機動予測を幻惑するかのような、不規則なリズムで機体を滑らせるサンドラを捉え切れないプラズマ弾は、罵声じみた轟音と共に地面に激突する。

『・・・・・・重量級の動きじゃねえぞ』

 どこかで、そんな声が聞こえる。だが、そんなのは当たり前だ。今のサンドラは、ディオーネの神経と繋がっていると言ったっていい。だが、ディオーネにしてみれば、少しでも気を抜けば、たちまち致命的な一撃を連続で頂戴することになる。それこそ、1ミリだってミスの許されない状況に置かれているはずだ。

 だが、その動きに少しも乱れは見えない。必要以上に大きく走り回らず、むしろ、ブラッドアスプの射線軸を誘い出しては、それを巧みにすり抜け、軸を外すような動きで照準を乱している。

 息つくまもなく続く、絶え間ない小刻みなステップ。地を踏み鳴らす足並みからつながるように、右へ左へ、流れるような上体の旋回。轟き叫ぶウルトラACの砲声は鳴り響くカスタネット、閃き輝くパルスレーザーは舞い散る薔薇の花。

 まるで、フラメンコを舞うかのような、激しくもしなやかな舞踏にも似たその姿。こんな時に何をと思わなくは無い、だが、そんなサンドラの動きを追うごとに、知らずのうちに目が釘付けになっていくのがわかる。

 だが、サンドラの機動と攻撃が、次第に挑発的になってきている気がする。ブラッドアスプの射程距離ギリギリを保ちつつ、的確な命中弾を間断的に加えては、時折攻撃を誘うように踏み込み、かと思えば、身を翻すように距離を開け始める。

 それがミケーネの怒りを誘っているのだろう。元々、弾薬庫が歩いているようなメックだが、その攻撃がますます激しくなっている。今の所、致命的な直撃はないが、かなり危険な状態を組み立てつつある。

 それに、このままでは現状を保つだけで、相手に有効な打撃は絶対に与えられない。却って、相手の怒りを誘い、装甲と火力に任せて突撃を仕掛けられたら、いくらノヴァキャットの装甲でも、絶対にただではすまない。

 だが、今のサンドラは、どう見てもそれを誘っているようにしか見えない。あれでは、逃げ回りながら攻撃をしかけている、デズグラじみた態度ととられかねない。ブラッドアスプの中に乗っている人間が、危険な感情を持っているだけになおさらだ。危険だ、このままじゃ危険すぎる。

 もはや、双眼鏡などいらないくらいの戦闘の激化は、こちらからでもはっきり見えるようになった。カラーマーカーで線を引いたようなレーザー、稲妻のように閃き、落雷のような轟音を上げるPPC、そして、蜘蛛の巣を放り投げたように、白い網を引くSRM。

 轟音と衝撃、爆風と閃光。吹き付ける風とともに、むせ返るような硝煙とオゾン臭が顔に叩きつけてくる。まるで、絵本の中に出てくるドラゴン、それが抜け出してきたような光景に、知らずの内に背筋が粟立っていく。

 そのとき、俺は、『嫌な予感』を感じている自分に気づき、愕然となる。よせ、やめろ、なにをこんな時に。トマスン・クルツ、お前のロクでもない予感は、嫌になるくらい良く当たるんだ。

「な・・・なんか、ブラッドアスプの様子が変じゃ!なにかする気じゃけん!!」

「なに・・・・・・!?」

 サンドラを追撃していたブラッドアスプは、その足を止めたと同時に姿勢を低く落とす。そして、鍵爪のようなランディングギアを、まるでアンカーのように地面に突き立てると、完全に機体を固定していた。

 ・・・・・・まさか・・・・・・あの野郎!本気でディオーネを殺す気だ!!

 その瞬間、ブラッドアスプの全身が爆発したように閃光を放った。そして、凄まじい勢いで巻き上がる閃光と鋼鉄の暴風が、サンドラの姿を、一瞬のうちに爆炎の中に包み込んでいった。




「・・・・・・っ痛ぅ・・・・・・あのストラバグめ、よくもやってくれたものだ・・・・・・」

 機体ごと巨人に放り投げられたような衝撃に、ディオーネは表情をしかめながら、機能を停止したヘルメットを脱ぎ捨てる。

「こんな様では、被らぬ方がマシかも知れんな」

 フロントガードが粉々に砕け、フレーム全体が歪み、頭部を不自然に圧迫するそれは、すでに頭部を保護する意味合いをなさなくなっていた。

「随分と、風通しがよくなったものだ」

 半壊したキャノピーから覗く景色に、ディオーネは苦笑交じりに呟きながら、散弾のように食い込んだ破片で蜂の巣になったヘルメットを眺める。

「ヘルメットがなければ、即死だったな」

 最後まで、我が身を守る大任を果たしてくれたヘルメットに敬意を示すかのように、ディオーネは、ひしゃげたそれを、恭しくシートの裏に納める。そして、額に巻かれていた鉢巻をいったん解き、それをしっかりと締め直した。

「・・・・・・さて、ここまでは首尾よく進んだが、後は、機体が持ってくれるかどうかだな」

 機体のチェックをしながら、ディオーネは自分の呟いた言葉に苦笑する。

「何を愚かなことを、クルツが仕上げてくれたこの機体、信じずして何を信じろと」

 そして、コンソールに示された機体のコンディションに視線を走らせ、ディオーネは満足そうに目を細める。

「さあ、サンドラよ。後もう少しだけ頑張ってくれ、もう少しだ、もう少しで終わる」

 口元から流れた血を舐め取り、鋭い笑みを浮かべながら、転倒したサンドラを立ち上げる。機体に積もった土砂がなだれ落ち、アルファ・ストライクのダメージで蓄積した熱を、ルーバーが一気に吐き出す。そして、レーザースキャナーの光を、闘志を宿す赤眼のようにキャノピーに浮かび上がらせながら、緩やかに、しかし力強い歩みで、爆煙の帳の中からその姿を現した。

「貴様・・・おとなしくしていれば、すぐ楽にしてやったものを・・・・・・」

「あいにくだが、そう言うわけにもいかん。さあ、来るがいい。私はまだ、牙も爪も失ってはいないぞ」

「いいだろう、今度こそ息の根を止めてくれる!」

 なおも抵抗を仕掛けてくるサンドラに向かって、ミケーネは、猛り狂った狼の如き形相で咆哮をあげながら、容赦のない砲撃と共にブラッドアスプを突撃させる。

「この苛立ち!この不快感!貴様が消えねば無くなりはしない!!」

「ならば、もう少し腰を据えて撃つがいい。当たらなければ、PPCやガウスライフルとて、どうということはないのだぞ」

「黙れ!もうすぐその減らず口もきけないようにしてくれる!!」

「できるものならな」

 アルファ・ストライクから生き残ったパルスレーザーが閃光を発し、ブラッドアスプの装甲を焼く。しかし、その数倍をもって返礼するかのような砲撃が、次々とサンドラに直撃し始める。

「口賢しい人っ腹生まれの女!貴様はここで死ね!!」

「だから、それをお前の力で成し得よと、先刻より何度も言っている」

 ブラッドアスプの全力砲撃による大ダメージで、不調を訴えだす機体を奮い起こしながらも、サンドラは、炸裂する弾幕の中で、懸命な反撃を返し続ける。しかし、足の鈍った機体を捉えた、ガウスライフルの砲弾が装甲を穿ち、PPCのプラズマ弾が次々と武装をもぎ取っていく。

「小賢しいことを!いまさら自分を取り繕い、戦士の姿を装おうとでも言うつもりか!?片腹痛いにも程がある、貴様の正体など、とうに見通している!!なぜ私がデズグラのそしりを受けねばならぬ!?なぜ私が貴様の後塵を浴びねばならぬ!?戦士の名に値しないのは、一片の誇りすら持ち合わせぬ貴様の方だ!この、忌々しい人っ腹生まれが!!」

 呪詛とも憎悪ともつかない怒声と共に、ブラッドアスプの放ったプラズマ弾は、おびただしい火花と放電を炸裂させながら、サンドラの肩を砕き、中枢を抉り取る。そして、損傷に耐えられなくなった左腕は、ほとばしる鮮血のようなオイルとマイアマー保護液を撒き散らしながら、その根元から抜け落ちるように脱落した。

 だが、サンドラは片腕を失いながらも、残った右腕に搭載されたウルトラAC5を振りかざし、なおも尽きぬ闘志をみなぎらせ徹底抗戦の構えをとる。その、屈服には程遠いその姿に、ミケーネの表情が苛立つように歪み、砕けんばかりに歯噛みしつつ握り締めた操縦桿が、悲鳴のような軋みをあげる。

「・・・・・・いつまで、そうやって貴様は仮面を被り続ける?自分を偽り、人を偽り、いつまでそうして、偽りの顔を作り続ける!?」

「答える義務は無い、答えたとて、それで得心するとでも」

「貴様・・・・・・・・・!」

 あくまでも落ち着いたままの言葉に、全身を巡る血液の温度が上昇する感覚が走る。凡庸な武装を携え、オムニメックでも屈指の火力をもつブラッドアスプに立ち向かってきたノヴァキャット。そして、状況は、当然の流れ通りになった。だが、それでもその闘志は挫ける事は無く、自分と、そして、このブラッドアスプに対して、あくまでも戦い抜こうとしている。

 ならなぜ、そうまでして戦う意思があるなら、本来のノヴァキャットの力をもって、この神判に臨まなかったのか。そして、こうも追い込まれた状況になって、かつてのような言葉をぶつけ、真っ向から向かい合うのか。意図あっての事なのか、何かを示すつもりなのか。

 その瞬間、ミケーネの中で記憶の泡が次々に浮かび上がり、そして、同じ速度で弾け、蘇り、その頭の中を埋め尽くしていく。

「・・・・・・もうたくさんだ・・・・・・貴様は・・・貴様という奴は!!」

 まなじりも裂けんばかりに目を見開き、炸裂する怒号と共に、もはや正常な稼動状態ですらないサンドラに、執拗なまでに容赦のない砲撃を炸裂させていく。

「今さら貴様は、戦士の仮面を被ろうとでも言うつもりか?安物の情に流されて!薄っぺらな感情を露わにして!戦士としてあるべき道を踏み外した貴様が!!

 そして、私から、名誉も誇りも、なにもかも全てを剥ぎ取った貴様が!どの面下げて戦士を名乗る!メックを駆る!面白いではないか、今貴様がこうしてここにいる、最高の茶番そのものではないか!問是!?」

 もはや標的機のように、なすすべもなくブラッドアスプの攻撃を浴び続けるサンドラに、さらに追い討ちをかけるように放たれたミサイルの一斉射が次々と降り注ぎ、激しい爆炎と衝撃に叩きのめされるその巨体が、暴風雨に晒された大樹のように激しく揺らぐ。

 だが、全身から火花と黒煙を吹き散らしながらも、一歩も退く事なく踏みとどまり、隻眼のようなレーザースキャナーの光を、ブラッドアスプとそのコクピットのミケーネに対し、真正面から見据えるように投げつける。

「否」

 たった一つの言葉と共に、全身の装甲が焼け爛れ、黒煙を漂い放ちながらも、サンドラは、確たる足取りでその巨体を前へと歩ませる。

「私の答は、否」

「・・・・・・なんだと」

「私の過去、私の現在、私の未来。私は絶対に、これを否定しない。私が歩いてきた今までの道、最善にはおよばなくても、最良の選択をしたと信じている」

「・・・・・・フッ・・・ククッ・・・・・・ハハハハハハハッッ!!・・・・・・言うではないか、人っ腹生まれ!そうやって、もっともらしく言い繕い、偽りの顔をし続けるがいい!!」

 ディオーネの言葉に対し、ブラッドアスプのコクピットで、ミケーネは爆発するように大笑する。そして、一際顔を歪めると、キャノピーに顔を張り付かせんばかりに身を乗り出した。

「そのうち、顔が歪むぞ」

 低く押し殺すように囁いた声と同時に、ファイアコントロールにリンクさせた操縦桿を手繰り、サンドラの顔面にターゲティングマーカーを重ね合わせる。

 ただの一回トリガーを引けば、PPCの荷電粒子弾が、ディオーネごとノヴァキャットの頭を吹き飛ばすだろう。待ち望んでいたはずのその瞬間を前にして、呼吸が荒ぶり、全身からおびただしい汗が噴き出し、肌を伝い落ちる。

 私の勝ちだ、正しいのは私だ、私は、目の前の呪いを焼き尽くし、自分の力を証明する。二年間、待ち望んでいた瞬間。そして、自分自身に打ち込み続けていた楔。何も迷う事はない、何もためらう事はない。自分は、今この瞬間のためだけに生き恥を晒し、そして、力を蓄え続けてきたのだ。

「・・・・・・顔が歪もうと、潰れようと、私は私の生き方を変える気はない」

「なんだと・・・・・・?」

 不意に返ってきた静かな言葉に、ミケーネは、電流に打たれるように全身を震わせた。

「そして、私は何があろうとお前には屈しない。『今の』お前には、絶対に」

「貴様・・・・・・・・・!」

「私に『見せる』のではないのか、ミケーネ!お前の『信念』とやらを!」

 搭載された火器は殆どが死に絶え、機体を覆う装甲はボロ布のようにめくれ上がり、機体中枢を剥き出しにしている。それでも、『動いている』のが不思議なくらいのサンドラは、ブラッドアスプの正面に立ち、なおも揺るがぬ闘志を噴き上がらせる。

「言ってくれる・・・・・・人っ腹生まれの分際で!!」

 震える言葉、引きつるような呼吸の後、ミケーネの中で、最後の『何か』が弾け飛び、操縦桿を握る手がFCSのセーフティを解除する。

「これで終わりだ!何もかもな!!」

 ミケーネの怒号と共に、再び全身の火器全てがその砲門を開き、ブラッドアスプの全身が火山のように炸裂し、全力射撃の炎が満身創痍のサンドラを包み込んだ。

 轟音と共に、渦巻きながら噴き上がる爆煙。だが、その数瞬早く、サンドラは、最後の力を振り絞るかのように、ジャンプジェットの全力噴射で天高く跳躍していた。

「なんだと・・・・・・!?」

 蒼空を背に舞い降りる、70トンの巨体。そして、二度にわたるアルファ・ストライクによるセーフティシステムの作動で、シャットダウンを引き起こしたブラッドアスプの眼前に、天を舞うサンドラは、大気を激震させる大音響と共に降着した。

「詰めが甘いのは、相変わらずだ」

 たった一つ、生き残った最後の武器。サンドラが、ウルトラAC5の砲門をブラッドアスプの膝に向けた瞬間、ディオーネは、ためらうことなくそのトリガーを引き絞った。

「貴様!?」

 フルオートモードの強烈なマズルブラストと共に、ゼロ距離射撃による劣化ウラン弾は、超高初速のまま次々とブラッドアスプの膝に突き刺さり、装甲を穿ち、駆動中枢を容赦なく喰い破っていく。

「至高を目指すお前の魂、敬服の極み。しかし、道はひとつでは無い。右にも、左にも、まして、目に見えぬ場所にも、どこにでも、いくらでも存在する。それが見えない、見ようとしないお前に、どうして戦士の栄光が見えようか!!」

 ディオーネの叫びと、ウルトラAC5の咆哮がシンクロしたその瞬間、ブラッドアスプの左膝は、限界を超えた悲鳴と共に、自らの自重による負荷によって圧壊し、粉々に砕け散る。そして、支えを失った、重厚にして凶暴なる鋼鉄の魔獣は、断末魔にも似た金属崩壊の軋みと共に、大地にその巨体を激突させ、舞い上がる土煙の中にその姿を埋めた。




「私の負けだ、これ以上生き恥を晒す気はない。この煙が晴れる前に、とどめを刺せ」

「否、私はそれを拒絶する」

「貴様・・・・・・なおも私を辱めるつもりか・・・・・・!」

「それも否、私のノヴァキャット。もはや、一発の砲弾すらも残っていない。ましてや、メックの脚をもってお前を蹴り砕くこと、『偉大にして神聖なる』ケレンスキーの御意志に叛くものである。問是」

「貴様・・・・・・それで私に、情けをかけようと言うか!?」

 怒りと屈辱に濁ったミケーネの叫びに、ディオーネは、沈黙と共にノヴァキャットのハッチを開け放つと、土埃の舞う風の中に、その姿を晒した。

「いいだろう、どのみち我らのメックはこれ以上の戦闘は不可能。メックから降りよ、スターコマンダー・ミケーネ。お前の望み、この拳で応えてくれよう」

 満身創痍となった二匹の鋼鉄の巨獣が、未だ鎮まりきらぬ怒りを吐き出し続けるかのように、ノヴァキャットとブラッドアスプ、双方のヒートシンクが全力稼動し、攪拌された大気が突風となってうねりを上げる。

 そして、凄まじい熱気すら孕むその風に、黒髪を戦旗のように翻らせながら、ディオーネはジャケットを脱ぎ捨てる。その鍛え上げられた鋼鉄の肉体を熱風に晒すその姿は、戦場を駆け巡るヴァルキュリアの如き凄絶さを放つ。

「頭に乗るな、貴様に言われずとも・・・・・・!」

「御託は無用、メックより降りよ。この期に及び、それ以外何がある」

「くっ・・・・・・!」

 戦風一陣、巻き起こる戦塵が全てを覆い尽くし、主達を督戦するかのように、巨獣達の咆哮の如き熱風が吹き起こる。そして、対峙する戦士は、自らの駆る鋼鉄の巨獣を離れ、今まさに、自らの肉体と力のみで、その決着をつけるべく対峙する。

「悦ばしい、また、お前と拳を交える事叶うとは」

「貴様・・・・・・・・・!」

「思い出すではないか、あの頃を。さあ、借り物ではないお前の力、見せてもらおう」

「わ・・・私とて、昔のままではない!貴様こそ、思い知らせてやる!」

「それでこそ」

 互いに拳をかざし、構えと同時に視線が交差した瞬間、機先を制するかのように、ミケーネのブーツは地を蹴り、弾丸のように疾走するや否や、拳を振りかざしつつ突進する。

「うわああああぁぁぁっっ!!」

 全身のバネを伝導させ繰り出される、剃刀のように鋭い連打がディオーネに浴びせかけられる。視界から迫る拳に紛れるように、死角の隅から急所めがけて打撃が飛ぶ。

「相変わらず、単調だ。だからこそか、実に受け易い」

 爪先立った構えのまま、繰り出される拳や蹴りをすり抜けるように足を運びながら、その爪先は数センチも動かない。そして、ミケーネの拳や脚が、そこに来る事がわかるかのように、ディオーネの体は、すでに違う位置に動き続けている。

「だが、虚実を使い分けられるようには、なったようだ」

 軽く半身にひねり、脇腹を狙った手刀をすり抜けながら、ディオーネは、雛の成長を慶ぶ親鳥の笑みを浮かべる。

「だが、5年かけてこの程度とは心許ない」

「くっ・・・・・・貴様!」

「拳はただ振り上げて殴ればいいものではない、蹴りはただ足を叩きつければいいものではない。ひとつの技の前に、いくつもの組み立てがある。技は千変万化、ただのひとつも同じものは無い」

 拳を払い、蹴りを受け流し、繰り出される打撃をすり抜け、打ち落としながら、息ひとつ切らさない声で、ディオーネはミケーネの連撃を防ぎ続ける。

「だが、応えよう。お前には、そうする価値がある」

 そう答えた瞬間、ディオーネの爪先が滑るように地を走り、瞬時に縮んだ間合いと同時に、ミケーネの顔面に正拳が繰り出される。それをかわし、カウンターを繰り出そうとしたミケーネは、力をためるように動いたディオーネの足に、反射的に防御の動きにシフトさせたその時、その顔面に、砲弾のような一撃が炸裂した。

「がっっ!?」

 頭蓋骨全体に伝播するような衝撃に、ミケーネの思考が一瞬止まる。そして、さらに追い討ちをかけるかのように、鳩尾に拳がめり込み、着弾点を中心にして、津波のような衝撃が全身の内臓と筋肉を振動させる。

「あぐぁっっ!!」

 完全に動きを止めたミケーネに、ディオーネの容赦ない蹴りが炸裂し、ミケーネの体は、丸太になぎ払われる人形のように吹き飛び、地面に叩きつけられるように激突する。辛うじて受身を取り、立ち上がろうとしたその時、全身の筋肉が、痙攣するかのように震え、主の意思に逆らうように悲鳴を上げ始める。

 ディオーネが放ったのは、彼女自身が誇る一撃必殺の蹴り。エレメンタルの大腿骨さえ粉砕するその直撃を受け、なおも立ち上がったミケーネに、ディオーネは驚きと賞賛の表情を向けた。

「鍛錬に偽りはないという事か、よく立ち上がった、感服する」

 互いの命を賭して闘う者としてではなく、拳の教えを説く者の目で、震える足で懸命に地面を踏みしめ続けるミケーネを見守る。

「やはり・・・やはり、貴様は・・・貴様は、私の・・・・・・・・・」

 ミケーネの瞳に、ほんの一瞬、憧憬とも嫉妬ともつかない、微かな光が横切る。

「何故だ・・・・・・何故、貴様は・・・・・・どうして・・・どうしてなのだ・・・・・・・・・」

 荒れる息の下から、口の中の血を吐き出しつつ、ミケーネは、なおも挫けぬ闘志を奮い、拳を握り、抗戦の構えを組み直す。

「それだけの力がありながら、貴様はなぜ逃げた!なぜ全てを捨てた!なぜ私の前から消えた!?この私がどれだけ足掻いても届かなかった力を持つ貴様が!なぜだ!答えろ!答えろ・・・ディオーネッッ!!」

 血反吐を吐き散らしながら、それでもミケーネは拳を振り上げ、ディオーネに突進する。しかし、彼女の拳が間合いの半分にも届かぬ内に、砲丸の如き衝撃を宿した鉄拳が顔面に炸裂し、それでも容赦を知らぬ鉄拳は、二撃・三撃と胴体にめり込み、衝撃に叩き出された汗と血が、霧のような飛沫となって飛び散る。

「ぐ・・・ぁあ・・・っはぁ・・・・・・っっ」

 血と吐瀉物が混じった液体を吐き散らしながら、ミケーネの体は糸の切れた人形のようによろめき、眼球が裏返り、白地を剥き出しにする。しかし、その拳は解かれる事はなく、その足は膝つく事なく地面を踏みしめ続ける。

「答えろ・・・・・・ディオーネ・・・答えろ・・・なぜ・・・なぜ、貴様は・・・・・・」

 限界を超えた精神力だけで立ち続けているミケーネに対する、ディオーネの返答は、ほんの一瞬の沈黙の後に紡ぎ出される。

「お前の道と私の道、それぞれが歩く道が違っていただけの事。たとえ志を同じくしようとも、お前が私ではなく、私がお前ではないように、同じ道を歩く事はできない。ただそれだけの事だ」

「ただ・・・・・・それだけの事・・・・・・だと・・・・・・!?」

 ディオーネの言葉に、ミケーネの表情が苦痛に耐えるように歪み、その目には、ありとあらゆる感情がない交ぜとなった炎が渦巻く。

「ふざけるな!何が!何が!『ただそれだけのこと』だ!!貴様は昔からそうだ!いつも私の前を行き、何もかもを見通したような顔をして!それで言うに事欠いた台詞がそれか!?」

 全身を震わせながら叫ぶミケーネの両拳の、握り締めた爪が掌を破り、指の隙間から血が滴り落ちる。それでもなお、彼女はディオーネに怒声を叩きつけ続ける。

「いつも奴らがどんな目で私を見ていたかわかるか!?『フリーバースにも及ばない出来損ない』と言われ続け、嘲弄され、挙句の果てには、私の誇りと命を懸けた戦いすら取り上げられ!あの時、私がどんな思いでドロップシップに戻ったかわかるか!?おかげで私は、奴らからデズグラ扱いだ!!

 全て・・・全て貴様のせいだ!あの時、貴様が来なければ、私はこの命と引き換えに、戦士としての誇りと名誉を失わずに済んだのだ!それを、貴様が・・・貴様が・・・・・・!!」

「だからお前は愚かなのだ!!」

 ディオーネの怒号と共に、一際強烈な打撃音が炸裂する。そして、ただの一片も容赦のない乾坤一擲の鉄拳は、ただひたすら地面を踏みしめ続けさせていた、ミケーネに残る気力を完全に粉砕し、その体を地面に叩きつけた。

「命と引き換えだと?知った風な口でよく吼える。お前ひとり勝手に死んだ所で、我がノヴァキャットに何が残る?お前の後に続く者に何が示せる?氏族の未来は、お前ひとりだけのものではないぞ」

 銀色の瞳に、憤怒の炎を燃え上がらせたディオーネは、阿修羅さながらの形相で、地に臥せるミケーネを睨み付ける。

「ノヴァキャットに名を連ねる戦士ならば、己の栄光よりも、氏族の未来を目指せ。我等ノヴァキャットが、この中心領域において何を成せるか、何を示せるか。我らが偉父祖が、何故我ら氏族を御創り給うたか、お前は一度でもその意味を考えた事はあるのか」

「な・・・・・・なん・・・だと・・・・・・?」

「偉父祖は、この中心領域を、そしてテラを失望し、捨てたのではない。いつか必ず、救いの手を差し伸べるため。ただそれだけを誓い、艱難辛苦の道を敢えて旅立たれたのだ。我ら氏族は、荒みきった中心領域に救いもたらせかしと、偉父祖の願いこめられた赤子なのだ。強くあれ、清廉であれと望まれたのも、敵を打ち破るためだけではない、己のみを磨き高めるためだけではない。

 より強く、より清くなければ救えないほど、世界は乱れ穢れきっている。ミケーネ、お前も見たはずだ、知ったはずだ。この中心領域は、悪意と欲望が渦巻いている。そして、その根は深く太い。もはや、自浄など叶わぬほどに病みきっている」

 静かに言葉を紡ぎ続けるディオーネを前に、ミケーネは挫けきった足を這わせながらも、両腕で懸命に体を支え、荒い息と共に、血と声を吐き出す。

「貴様・・・・・・それでは、我々のした事は間違いだったとでも言うつもりか・・・・・・!?」

「なら、なぜ我らは、中心領域より石もて迎えられた?戦士達のみならず、尽きぬ戦火に喘ぐ民草達にまでだ。我々が正しいのなら、なぜ、我々が異星人呼ばわりされる?なぜ、侵略者呼ばわりされる?それとも、我々氏族は、中心領域を征服し、かの地に住まう民草を隷属させるための存在なのか?」

「そんな訳があるはずない!我々が侵略者などと!!」

「では、なんと」

「我々は、この中心領域を正す者!ゆえに、誰よりも強くなければならないのだ!貴様などに説教されるいわれなどない!力無くして、何が守れる!何が示せる!戦士が至高を目指す事の何が悪い!?」

 ミケーネの慟哭めいた絶叫を前に、ディオーネは、静かに、ひとつだけ呼吸を整え、静かに、そして透き通る言葉を向ける。

「お前の目は、前しか見えないのか?時には立ち止まり、周りを見渡して見てみるといい。お前が思っているほど、この世界は狭くも小さくもない」

「世界・・・だと・・・・・・?」

「未来へ続く階(きざはし)、それを昇るのも、築き上げるのも、等しく我らに課せられた使命。力や名誉など、その後からついてくるものに過ぎない。目を開け、足を動かせ、導きの光を探し当てろ、そうすれば、おのずと自らの進むべき道も見えてくる」

「黙れ!!」

 ディオーネの言葉に、ミケーネは、文字通り血を吐く叫びを叩きつけた。

「御託はもうたくさんだ!貴様はいつもそうやって、見えないものを押し付ける!そして、私を愚か者と言う!何が導きの光だ!何が進むべき道だ!人に押し付けるだけ押し付けておきながら、自分ひとり、楽な道に逃げた貴様になど言われたくなどない!!」

 顔中にまとわりつく血をかなぐり捨てながら、こらえ続けてきた感情を炸裂させるように、ミケーネはなおも叫び続けた。

「私にどうしろと言うのだ!これ以上何をしろと言うのだ!もう、貴様の言葉に踊らされるのはたくさんだ!どうせ貴様は、何も出来ない私を見て嘲笑っていたのだろう!愚かなトゥルーバース、出来損ないのトゥルーバースとな!!」

 血反吐を吐き、赤い涙を流しながら、子供のように喚き叫ぶミケーネに、ディオーネは、静かにその前に膝をつく。

「私は戦士だ、僧侶でも教師でもない。理解し得る見込みすらないものに、わざわざ言葉を投げて寄越すほど、余分な慈善など持ち合わせてはいない」

「なん・・・だと・・・・・・!?」

「猫の子にリメンバランスを暗唱させようとする者が、この世に居ないのと同じだ。お前は猫の子ではなかろう、栄光ある、『ロス』の血盟を継ぐ者だろう」

「何を今さら・・・・・・貴様に言われずとも・・・・・・!」

「人っ腹生まれに理を説かれる事が、それほどまでに腹が立つか?立つであろうな、ならなぜ、私の説く理を踏み越え、更なる理を示さない?自分の力と言う殻に拘り続け、それがお前の目を塞ぎ、光を見失わせている事に、なぜ気づかない?

 今のお前が、これよりもより良き道を征けるとは到底思えぬ。導きの光を見ない、見ようともしないお前にはな。だが、私の命ひとつで、お前がさらなる道の先へと進めると言うのなら、その時は、この命、いつでもお前にくれてやる」

 ディオーネの言葉に、ミケーネの表情が苦しげに歪む。

「ならば・・・ならば・・・・・・貴様は、『光』を見つけたと言うのか・・・・・・?だから・・・だから、去ったと言うのか・・・・・・それが、貴様の道だとでも言うのか・・・・・・!?」

「そうだ」

 即答したディオーネの言葉に、ミケーネの表情が、一瞬失望に塗り潰されるように歪み、脹れあがった顔の奥にある目が揺れ動いた。

「お前を知る以前、まだ、戦士にもなっていない、その時から」

「貴様は・・・・・・」

「私はかつて、ある者から、己のみの力を求める事の愚かしさを教わった。思えば、あの日、私の道は決まったのだろう」

 久遠を映す鏡のように、ディオーネの銀色の瞳は、静かな光をたたえる。そして、もう一度、懸命に体を支え、自分を見上げる青い瞳を見る。

「やもすれば見落とすだろう、通り過ぎもするだろう。しかし、我らが征くべき道は、必ず存在する。同じ道とは限らない、しかし、目指す場所は同じのはず。それが、我々氏族の思いであり誓いのはず。

 私はお前と同じ道を歩く事は出来ない、しかし、目指す先が同じなら、心をひとつにできるはず。お前は強い、心も、体も。だからこそ、私はお前の目を開かせたかった。そして、自分の目で、光を見せてやりたかった」

 静かに染み渡るような言葉に、ミケーネは無意識に目を伏せ、唇をかみ締める。

「・・・・・・勝手な事を・・・言うな」

 ミケーネは、荒い息の下から、搾り出すような声を吐き出しながら、押し寄せる感情に耐えるかのように細かく肩を震わせる。

「・・・・・・そうやって、貴様は、どんな事でも当たり前にこなして見せた。ありとあらゆる、戦士において備うるべきもの、それら全てを身に付けた貴様を・・・・・・私は・・・私は・・・・・・戦士の理想であると思った・・・・・・美しいと思った・・・・・・」

「・・・・・・ミケーネ」

「あの時から私は、貴様を乗り越えたいと心から思った。貴様は、私が辿り着きたいものを全て持っていた。・・・・・・なのに、なのに、貴様と来たらどうだ!?突然たがが外れたように、奇矯な言動をし始めるようになったかと思えば、挙句の果てには部隊を飛び出していく始末だ!

 それにどれだけ失望したか貴様にわかるか?わかるはずもなかろうな?あのスモークジャガーの子供と戯れていた貴様、あれが、貴様の姿なのだろう。それで確信した、貴様は堕落した、いや、狂ったのだとな!そんな貴様に、荷物を背負い込まされるだけ背負い込まされた挙句、その始末を急き立てられる有様だ!!

 これが嫌がらせなら、最高の出来栄えだ!だから私も、貴様をフリーバースとして切り捨てる!貴様が私をトゥルーバースとして忌み嫌ったようにな!!」

 動かない体の苛立ちを吐き出すように、地面に拳を打ち下ろし続けながら、ミケーネは抑え込んでいた感情と言葉をディオーネに叩きつける。その剥き出しの激情を前にして、ディオーネは、ただ静かに、全ての言葉を受け止める。

「それは否、私は、一時たりとて、お前の事を忘れた日はない。そして、お前を疎んじた事などない」

「何を・・・・・・今さら、奇麗事など・・・・・・!」

「そう思うのは、お前の自由。だが、これだけは信じて欲しい。どのような形であれ、お前と再び相見えられた事。それは、喜びの極み。そして、お前の言葉と魂、確かに聞いた、確かに受け取った。私は、お前と拳を交えられた事、心から誇りに思う」

「・・・・・・誇り・・・・・・誇り・・・だと・・・・・・?」

 戸惑うように瞳を揺らがせるミケーネの前に、静かに膝を着いたディオーネは、血と埃にまみれたその手を取り、しっかりと握り締めた。

「戦士として恥じぬようありたい、それは、私も同じだ。だから、お前の挑戦を受けた。だが、お前なら、より高く、より大きく、『ミケーネ』の名を残せる場所と時は、他にいくらでもあるはず」

 傷ついた体を抱き起こしながら、風に流れる黒髪の向こうで、淡く微笑む銀色の瞳は、まっすぐに若い戦士を映し続けている。

「私は・・・・・・私は・・・・・・・・・・っ!」

 銀色の瞳から逃れようとするように、青い瞳は戸惑い悩むように揺れ、幾つもの粒がとめどなく零れ落ちていく。ミケーネを支えるように抱え起こし、ディオーネは、子守唄を歌う母のようにささやきかける。

「自分で自分の可能性を小さくする事はない、お前はブラッドネームを得る資格がある。偉大なる『ロス』の血銘、それがお前に道の彼方を見せてくれる。その先にあるものを見た時、お前は、戦士の中の戦士として、その名を響かせるだろう。私は、そう思い、そう信じている」

 死闘の終劇を告げるように、砂塵が風に吹き流れ、降り注ぐ光が巨獣達を照らし出す。片膝を粉砕され、トップヘビーの巨体を為す術もなく横たえるブラッドアスプの前に立つ、満身創痍のノヴァキャットは、稼動しているのが不思議なほどの損傷を受けながらも、己が氏族とそのトーテムの名を冠するに恥じない威容と共に、大地を踏みしめて屹立する。

 そこには、勝者としての驕りは微塵も無い。またひとつ、戦いに身を投じ、駆け抜けた者だけに許される風をまとう。

「痛みは癒せばいい、そして、前より強くなればいい。ミケーネ、鎖を断て。その時こそ、本当の歩みが始まるのだから」

 ディオーネの言葉が終わるのを待っていたかのように、駆けつけてきた消防車が、主を見守るようにたたずむ巨獣達の周囲に群がると、燻る煙と陽炎の立ち昇る機体に、一斉に放水を始めていた。




 クラスターを激震させた、と言うほどでもないが、スターコーネル・イオ以下、混乱と困惑の鍋の中でごった煮にしてくれた神判騒動は、無事、ディオーネの勝利という形で決着がついた。

 なお、事態の流れ上、戦闘続行が難しくなったメックを放棄し、白兵戦にまでもつれこんだ神判だったが、いずれにしても、ディオーネの勝利は動かせないものとして、万人の目に明らかな形で終わった。

 ノヴァキャット、ブラッドアスプ双方が大破するという事態になったが、重量差が拮抗している事はともかく、火力で勝る相手に対し、ここまでやって見せた事は、司令曰く、

『賞賛に値する』

ということだそうだ。

 一方、ディオーネに神判を吹っかけてきた、ミケーネなる戦士。彼女は、全身に渡る打撲と骨折で、緊急入院と相成った。しかし、重傷とは言え、怪我の具合が神経とか筋、関節等の損傷や複雑骨折といった、戦士生命に関わる負傷が一切なかったという事が、ディオーネの技量を立証する形となった。

 だが、クラスターでは、彼女を単なる敗者として送り返す事はせず、正々堂々と神判に臨み、技と力の限りを尽くし戦った、その敢闘精神を讃える。と言う司令直々の電報を送り、大破したブラッドアスプについても、敬意を表する証として、こちらで修理を取り持つという申し出を行った。

 神判というシステムの中において、敗れた側のフォローと言う、イオ司令の取った対応は、異例中の異例もいいところだが、おそらく、裏でディオーネが相当に頼み込んだのだろう。もしかしたら、マスターも巻き込まれているはずだ。まがりなりにも、クラスター最高司令官に対する発言力として、これ以上なく大きく、そして、『あて』になる後ろ盾はない。

 それはともかく、大変なのは事後処理だ。ブラッドアスプの方は、せいぜい、粉々になった左膝のユニットを交換し、各部の調整をやり直せばそれで終わりだったが、サンドラの方は、それこそもう、たいそう切ないことになっていた。

 各部ユニットの交換がたやすく、また、ダメージコントロールに優れた構造の中枢機関を持つオムニメックだからこそ、修理という選択肢もあったわけで、これでIICやISメックなら、まず間違いなく、直すより新しいものを買ったほうが早い。という話になっただろう。

 ちなみに、リオ姫様であらせられるが、姫君は、審判の結果に安心したことで、緊張の糸がブッツリ切れたらしく、三日間で蓄積された疲労が大炸裂されたご様子であり、今は居室で爆睡中でいらっしゃる。

 それにしても、と、俺は、ふと、あの女戦士を思い出していた。ミケーネは、ディオーネが最初の所属先にいた頃の、いわゆる後輩にあたるそうだ。そして、話を聞く分には、彼女のディオーネに対する感情は、どうにも憎しみや蔑視というよりも、対抗心というのか、いや、どちらかというと憧れに近い感情があったんじゃないかとも思えて仕方ない。

 ただし、いかんせん、なにしろその『憧れの君』御自身からお伺いしたお話だけに、どこまで信用できるかどうかはわからない。まあ、そんな失礼な物言いはともかくとして、実際問題、ミケーネの気持はわからなくもない。

 憧れていた先輩が、実は自分らトゥルーボーンが見下していたフリーボーンでした。と言うのは、密かに思いを寄せていた先輩が、実はハードゲイだったとかニューハーフだったとか、という衝撃に近いのかもしれないな。

「ぅおぁ痛てっっ!?」

 ・・・・・・い、いきなり殴られたぞ。

「おみゃー、なーに無礼なこと考えとるだぎゃ、お?」

 いつの間にか、俺の背後に忍び寄っていたディオーネは、呆れるような、睨みつけるような目で俺を見ている。

「い・・・いや、私はなにも・・・・・・」

「ふん、ったく、仕事増やしちまってすまにゃーと思ぅただて、こーして差し入れ持ってきてみたら、たいがい相変わらずだぎゃ、おみゃーは」

「す・・・すみません・・・・・・」

 なんというか、この勘の良さには毎度冷汗ものだ。まあ、でなければ、普段あれだけ的を得たヴィジョンを視れるわけないんだが。それでも、なんとかして欲しいというのが、正直なところだ。

「ブラッドアスプん方は、もう終わったんか?」

「ええ、左膝のユニット交換と、各部のセッティング調整で済みましたから。機体の方は、もう搬送の手配をしてありますよ」

「そっか、相変わらず、仕事の速えーやつだがね」

「損傷が少なかったですからね、たいしたものです」

「ま、それも狙っとったからの」

 ある意味、ティンバーウルフよりも凶暴なメック相手に、中量級メック並の武装で大立ち回りを演じたというのに、しれっと大変なことを言ってくれる。今にして思えば、交戦入札の精神にのっとったのだろうか。確かに、フル装備プラスアルファの相手に対し、一段譲る装備で勝利すれば、それは文句なしの金星だ。

「あいつの大事なおもちゃを、必要以上にブッ壊すこともにゃーよ。PPCなんぞで、中身ごとふっ飛ばしちまってみぃ、後味悪ぅて、メシも不味くなるだぎゃ」

「はあ」

 そこまで考えていたというべきか、よほどの自信があったというべきか。ここまでくると、何故にこのお嬢さんが、セカンドラインにいるのかわからなくなる。

「で?言っといたこと、やっといてくれたかみゃあ」

「ええ、各部の調整ですよね。本人がいないんで、細かい所まではなんとも言えないんですが、各部品の稼動状態から推測してチューニングしておきました」

「ニハハ、すまにゃーね。あいつ、怪我が治ってアレに乗ったら、たいがいたまげるだてね」

「でも、本当に良かったんですか?」

「なにが?仕事すんのはおみゃーだて。それに、うちがあいつに何かしてやれるんは、これで最後だぎゃ。あいつももう一人前だしが、これ以上うちがどうこうするんは、あいつんためにならにゃーよ」

「そうですか・・・・・・」

 作業台に陣取り、勝手にコーヒーを淹れてくつろぎだしたディオーネだったが、その瞳は優しく、そして厳しい。

「しかし・・・本当に、大変でしたね」

「おー、まーな。ニハハ、でも、やっぱあいつぁ、どえりゃー可愛い奴だぎゃ。これからが、ホントに楽しみだてね」

「そうですか・・・・・・」

 嬉しそうなディオーネをみながらも、彼女にはすまないが、どうにもあのミケーネという戦士を可愛いという評価は、やはりというか、素直にうなずけない。まあ、ディオーネには、ディオーネの価値基準があるんだろうけどな。

「おみゃーだって、いつもリオ介を自慢しとるがね」

「え?」

「フヘッ、『うちのリオは、かわいい、かわいい、かわいい。ウァ〜〜〜』っての」

「言ってませんよ、なんですかそりゃ、変質者じゃあるまいし」

「ニハハハハ、まー、いつもそー顔に書いてある、っちゅーことだて」

「はぁ・・・・・・」

「けどもが、もう、ミケーネは自分で自分の道を歩かなきゃならにゃーんだて。誰ももう、奴の手を引っ張ってやることはできにゃーし、やっちゃならにゃーことだぎゃ。今まで蓄えてきたもの全部使って、痛てー目みよーがなにしよーが、自分の力で歩いていくしかにゃーんだてね」

 そう語るディオーネの瞳は、どこまでも深く、そして温かい。そんな彼女だからこそ、あのミケーネも、無意識の内に、惹きつけられるものを感じたんだろう。

「だからかね、手助けできるうちは、どんどん力を貸してやりてーんだて。リオを見とると、ホントそー思うだぎゃ。クルツ、そいつぁ、おみゃーも一緒なんじゃにゃーの」

「そう・・・・・・ですね」

「まだまだうちも、えらそーに人に説教たれる身分でもにゃーけどもが。・・・・・・まあ、やんなきゃならにゃーて、そー思ったっちゅーことだてよ」

「はい」

 彼女は、あの頃と少しも変わっていない。そして、純粋な心のままに、より強く、より大きくなった彼女。彼女の言う導きの光。俺にも、いつかそれが見える日が来るんだろうか。

 ・・・・・・いや、光なら、もうとっくに見ている。あの、腐り切ったドブ川のようなレイザルハーグのスラムの中で。だから、俺はここにいる、ここに生きている。

「クルツ」

「はい?」

 かけられた言葉に我に返ると、マグカップ片手にくつろぐディオーネと目が合った。

「これからも、よろしく頼むだぎゃ」

 温かい光、深く美しき心。こんなイカれきった世界の中で、埋もれることなく、塗り潰されることなく、変わらぬ光を放ち続ける本当の強さ。

 アレクサンドル・ケレンスキーよ、御照覧あれ。貴方が未来を託した御子は、貴方の願い望んだ未来に向かい、少しずつ、そして、確かに道を歩み続けています。

「ええ、こちらこそ」

 一輪の花が咲くような笑顔に、俺は、まだこの世界も捨てたもんじゃないと信じることにした。目指す場所は遠い道かもしれない、だが、歩き出さなければ、決してたどり着けない道。そして、その想いを継ぎ、歩き続ける心が、確かに、ここにある。


オモイツグモノ(後) 終


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