あなたの道を(後)



 今までの騒々しさも手伝ってか、がらんとしたハンガーは、とたんに精気を失った廃墟のように静まり返っている。そして、今の今まで無理やりテンションをフル回転させて作業にあたっていた俺達テックは、すること全てを終えてしまうと、抜け殻のような表情をぶら下げながら、もそもそと後片付けを始めている。

 まるで、叱り飛ばされた子供のような連中の中で、なんとなくいたたまれない気分になりながら、俺も現場に戻ろうとした時だった。

「婿殿」

「うぁっ!は、はいっっ!!」

「そない、驚かれた振りせんでもよろしおますえ。それより、婿殿、ハナヱの顔立てていただいて、ほんまおおきにどすぇ」

「え・・・いや、あれは・・・・・・」

 アヤメさんは、小じわひとつ無い、端整な目じりに笑みを浮かべて俺を見上げている。確かに、それもある。そして、ハナヱさんの切腹を回避するためでもある。それに、まだ駄目だと決まったわけではない。それまでは、不用意な動きをするわけにはいかないんだ。

「婿殿」

「は、はい・・・・・・」

「わいのこと、随分酷い親や思てはりまっしゃろ?」

「い、いえ、そんなことは・・・・・・」

 そんなこと、唐突に聞かれても『いや、まったくで』なんて言えるわけがない。いったい、何を言い出そうとしているのか、俺は彼女の言葉を待つ。

「2年前・・・・・・そうどすなぁ、2年前、クルツはんがルシエンにおいでやした時どす。あのすぐ後どすけどなぁ、ハナヱがイレースの駐在武官に志願したと聞いた時は、それはもう、頭に血が昇ったもんどすわ。

 メックにも気圏戦闘機にも乗り損ねて、どうにかゲンヨーシャに拾ぉてもろたんはええですねんけど、人様に自慢できはるのは剣だけ。ほんにまぁ、あんなミソッカスを、サードフリートはんもシティクリークはんも、よぉ癇癪起こさず面倒見てくれとるもんや思うと、おふたりはんのお屋敷に足向けて寝られやしまへんえ」

「いや・・・それは・・・・・・」

「ええんどす、あの子をかぼぅてくれはるんは有難いことどすけど、ホンマのことでっさかい、しょうもあらしまへんえ。

 ・・・・・・ま、そないなことはどうでもよろしゅおますことどすな。ただ、あの時は、半端モンのくせに、一丁前に色気づいて、殿方追っかけていくもんやとばかり思うとったどすえら、うちもあんじょうてっぺん来たもんやけど、それだけやなかったんどすわ」

「は、はあ・・・・・・」

 これまた、何をどう受け止めたらいいものやら。ちょいとこればっかりは、どうにもコメントのしようがない。

「あらまあ、わいとしたことが、こないしょもないお話してしもうて。堪忍どすわ」

「いえ・・・そんなことは・・・・・・」

「あの子な、実は勘当されとるんどすわ」

「え!?」

 アヤメさんから飛び出したのは、まったく予想外の言葉だった。

「まあ、勘当言ぅても、わいが一方的に叩き出したようなもんでおますけどなぁ」

「どうしてそんなことに・・・・・・あ、いえ、すみませんでした、立ち入ったことを・・・・・・」

「あの子には、物事の裏側を見る必要がありますんや」

「・・・・・・裏側?」

「あの子はな、婿殿のことも一切合財ひっくるめて、氏族はんの世界を見てみたい言わはったんどす。婿殿の住んどる世界、その世界に住んどる人達、全部まとめて知りたい、理解したいと大見得きりはったんどすわ。

 ・・・・・・初めてのことどした、あの子が、わいの目まっすぐ見て、まっすぐ自分の思やはったこと言ぅたんは。今まで子犬みたいに縮こまって小さくなって、わいが白言ぅたら黒も白。人の顔色うかがって、気を使うだけ使ぅて、自分も相手も、傷つかんですむのが一番。・・・・・・どへんして、わいみたいな女の腹から、あない優しい娘が出てきよったんか、ほんに、不思議でしゃああらしまへんどすぇ」

 アヤメさんは、淡い笑みを浮かべながら、遠くを見るように目を細めている。

「氏族を、婿殿に会うためのダシにしようとしたにせよ、本気で興味を持ちやはったにせよ。あの子が生まれて初めて、自分の言葉で自分の意思を、わいにしゃべりよった。ほんなら、わいもそれに対して、誠で応えなあきまへん。せやから、あの子を勘当して、わいと言う重しをどけてやったんどすわ」

「そんなことが・・・・・・」

「せやけど、うちらドラコとノヴァキャットはんとがこうしていられるのは、はっきり言ぅて、奇跡以外のなにものでもあらしまへん。

 氏族人も中心領域人も関係あらしまへん。どんだけの血が流れて、どんだけの命が消えて、どんだけの夢が潰されて、何千何万何億、お互い気の遠くなるようなお代払ぉてその上に成り立っとるもんどす。

 実際、氏族と命のやり取りをしはったわいも婿殿も、それはわかりきったことどす。けど、あの子は違う。

 ノヴァキャットはんは、言わば表の顔しか見せてはくれまへん。氏族はノヴァキャットはんだけやおまへん、もしも、他の氏族と相対しはった時、あの子はどないしよるか。

 手を取り合うんも、ド突き合うんも、同じ手。その時、相手に対して何を言えるか、何が出来るか」

 とつとつと語る、アヤメさんの声が不意に途切れる。それは、言葉にするのをためらうような、そんなふうにも思えた。

「それは、闇を見んとわからへんのどす。自分の目と、肌で」

「アヤメさん・・・・・・」

「名誉も誇りも、世界を知ることの大きさに比べたら、そりゃちっぽけなもんどす。けど、いざと言う時、何も出来へん、何もわからへん。ただオロオロするだけなんてみっともない真似だけは晒さへんために、今度のこと、ハナヱ自身で落とし前つけなあきまへんのや」

 そう語るアヤメさんの表情は厳しい、だが、その黒い瞳に映るものは、ただひたすらに深く、そして大きい。

「やっぱり、わいは鬼やなぁ。こないなこと、正気じゃ考えられやしまへんわ。ほんにまぁ、何でこないな鬼から、あないまっすぐな子が生まれたんやろ」

「・・・・・・そんなこと、ありませんよ」

「婿殿・・・・・・?」

「優しいだけが、親じゃないでしょう。それが、私達『人っ腹うまれ』の力なんですよ」

 そう、厳しさも優しさも。それを同時に与えられる。それは、己が血肉を、そして魂を継ぐものだから。

「婿殿」

「・・・・・・あ、はい、なんでしょう」

「ご迷惑かもしれまへんが、どうか、あの子のこと、これからもよろしゅうお願いしてええでっしゃろか?」

「・・・・・・今の私の立場では、多くを約束することは出来ません。ですが、私は友として、出来る限りのことで支えになりたいとは思っています」

「それだけ言ぅてもらえたら十分どすぇ、ほんに、おおきに」

 アヤメさんは、俺の言葉に納得してくれたのだろう。端正な美貌の上に浮かんだ、慈愛に満ちた笑みは、鬼などでは、決してなかった。




「己が力のみで勝負を決めると?なかなかに言う、中心領域人」

 リノは、凍結した翡翠のような目を鋭く細めると、刃を漆黒に塗り潰したナイフを静かに構える。

「よかろう、貴様の口車、敢えて乗ってやろう」

「結構、そうでなくてはつまらぬというもの」

 巫王村雨を八双に構えたハナヱは、真っ向からリノを見据える。そして、普段の穏やかさは微塵も消え失せ、これ以上ないほどに激しく燃え上がりながらも、深く静かにたゆたう光をたたえた蒼い瞳は、烈風呼び雷電放つ竜神の如く、眼前にある敵を捉え放さない。

「仕る!」

「来るがいい!」

 短く放った声と共に、ハナヱとリノの身体は、強弓から解き放たれた矢の如く地を蹴ると同時に、互いに繰り出した先制を期す一撃は、互いの刃を真っ向から激突させ、大輪の火花が決戦の号砲となって飛び散った。

 ハナヱの足は、油面を滑るかのように音も無くリノの死角へと滑り、眼前の敵を粉砕せんとの気合を込めた剛剣を振り下ろす。

 その、大気の渦を巻き起こさんばかりの斬撃から、羽毛が風にあおられ、舞い踊るかのように軽やかに体を旋回させたリノは、その刃からすり抜けるようにやり過ごす。しかし、ハナヱの手は、どんな精巧な機械ですら及ばない流れと共に、瞬時に柄を握る手の内を返し、太刀筋をそのままなぞるように振り返す、正確無比な軌跡を描く二の太刀が、軍長靴の踏み込みと共に、リノの顔面めがけて飛来する。

「チッ!!」

 あともう少し反応が遅れていたら、額を真一文字に切り裂かれていた。しかも、大気を振動させるほどの唸りを伴う力をもって放った斬撃を二度も打ち込みながら、僅かな呼吸の乱れひとつ無く、太刀筋の勢いが緩むことなく、紫電の如き一撃が次々と襲いかかる。

 しかし、数合の打ち合いの後、リノの表情から戸惑いが薄れていくと共に、その体は、太刀筋が最初から見えているかのように流れ出し、まるで刃そのものがリノを避けていくかのように通り過ぎていく。

「この猪が!!」

 剛剣をくぐり抜け、ハナヱの内懐に踏み込んだリノは、ハナヱの喉元に向かって疾風の一撃を繰り出す。常人なら、まず回避不可能な間合いから放たれた必殺の一撃。しかし、ハナヱの背中は、脊椎が消失したかのように反り返ると同時に、振り上げられた軍長靴がナイフを蹴り弾く。

 体操選手もかくやたる動作で軽やかに回転し、着地と同時に、ハナヱの体は爆発的な突進で迫撃を仕掛け、唸りを上げて白銀の旋風がリノに襲い掛かる。しかし、その斬撃を紙一重で回避したリノの直前で、その切っ先が、凍結するように停止した瞬間、速射砲さながらの速度で多段突きが打ち込まれる。

「つっっ!!」

 太刀筋など見えない。焼けた鉄球を押し付けられるような殺気を弾き返すように、腕の骨と筋肉が悲鳴を上げんばかりの速さで得物を振るったリノの両胸と喉の前で、ほぼ同時に火花が上がる。

 完全なまでに制御された力で振るわれる刃の壁の前に、リノは、弾かれるように後方に飛びながら、久しく使うことのなかった守りの型を取った自分自身に、驚愕の表情を浮かべる。だが、すぐさまそれは、歪んだ喜悦の表情に変わった。

「なるほど、ただ力一辺倒の剛刀使いではないらしい。ますます殺し甲斐のあることだ」

「・・・・・・そなたら、何をしてそこまでの憎しみを?戦士ウーフーもそうであった、憎しみと怒りは己が心を曇らせる。心の曇りは、即ち、刃の曇り。なにゆえに、そうまでして自分で自分を縛るや?」

「貴様ら中心領域人の口は、相変わらずよく動く。もっとたわ言を並べ易いよう、耳まで裂いてくれようか」

「できるものならやってみせるといい、だが、我が問いに答えてからの事だ」

「どこまでも白々しい。貴様ら中心領域人共が、貴様らの言う正義の元で、我らスモークジャガーの民に何をしてきたか知らぬと言うか」

 ハナヱの言葉に、まさしく黒い頭髪を逆立たせんばかりの勢いで、リノは斬撃と罵声を叩きつける。

「貴様の倒したウーフー、あれは元々戦士でもなんでもない、市民階級の学校で教鞭を取る教師だった。

ハントレス攻防戦の折、あれは、戦う術も持たぬ教え子を預かる身として、一縷の望みを託し、敢えて投降の道を選んだ。そのことについては、今さら我が何を言えるでもない!」

 リノ自身の憤怒を叩きつけるかのような一撃を弾き返しながら、ハナヱは、ウーフーの時とは比べ物にならない、剥き出しの憎悪に眉根を寄せる。

「だが、中心領域人の答えは、年端もいかぬ子供らを、嬲りものにすることだった。解るか?中心領域人。戯れで子供を撃ち、手指を折り、耳目を抉り、肉欲の捌け口にされるさまを?自身も薄汚い豚共に犯され続けながら、蹂躙される子供らを、なす術も無く見せ付けられた無念を?

 我がもう少し遅ければ、あれは今頃火をかけられた学び舎や教え子諸共、黒焦げた肉塊と化していたであろう!否、我がもう少し早くあれば、あのような烙印を身に刻むことは無かった!!誇りを!魂を!踏み躙られ穢される事など無かった!!」

 リノは、悪鬼の形相で猛然と吼えると、ハナヱの繰り出す剣林をかいくぐり、迅雷の速さで漆黒の刃を繰り出す。胴を抉り抜かんばかりの一撃を、ハナヱは構えた剣の柄尻を引き落として弾く。しかし、リノは舞踏のような踏み込みと共に、流れるように振りかぶった腕と共にハナヱの横をすり抜け様、その首筋に刃を走らせる。

 ハナヱも、首筋を凍らせるような気配に体を捌くが、次の瞬間、切り裂かれた白詰襟の肩に鮮血が浮かび上がった。

 しかし、ハナヱは瞬間的に筋肉を怒張させ、軋むような唸りを上げた筋肉同士の圧力で、すぐさま出血を停止させる。そして、振り向きざまに横一閃、さらに踏み込みつつ、掬い上げる縦一閃を放つ。

 やもすれば、流麗な舞踏にすら見えるその斬撃をかわし、再び殲撃の一刀を放とうと身構えた瞬間、リノのレザージャケットが十字に切れ上がり、引き締まった黒い肌を血の筋が這い落ちる。

「貴様、なにゆえに憎しみをと聞いたな?それは、貴様ら中心領域人の存在そのものだ。あれの目には、今でも家畜のように八つ裂きにされ、慰みものにされる教え子の姿が映ると言う!その耳には、今でも助けを求め、己が名を呼び泣き叫ぶ声が聞こえると言う!

 解るか?中心領域人。貴様らの存在自体が我らの憎しみなのだ。貴様らから与えられた憎しみが、凡百に過ぎない女を戦士に変えたのだ。なぜ憎むかだと?そうとも、貴様らへの憎しみこそが、我らを生かす血肉なのだ!!」

 眼球に向かって繰り出された刃を、鍔で受け止め、鋼が呻くような軋みを上げる中、互いに一歩も譲らず、相手の目を真っ向から見据え続ける。凄絶な敵意と共に向けられた、漆黒の刃にいささかも怯むことなく、ハナヱは野晒しの火薬が発火するような、静かな怒りを叩きつけた。

「ならば物申す!そなたらが行った、タートルベイの大虐殺、あれはなんとするつもりぞ?そなたらが衛星軌道上から放った艦砲射撃、あれによって、かの街に住まうもの全てが等しく死の洗礼を受けたのだ!

 戦士はもとより、静かに有終を待つ老人、そして、この世に生を受けた赤子。皆、そなたらの同胞らの手によって、一握りの灰に変えられたのだ!それこそ、覚えが無いとは言わさぬ!!」

 互いの怒り、互いの刃、伯仲する力の拮抗に埒が明かないと見て、互いが瞬間的に切り結んだ刃を解き放った刹那、一拍の間も置かず、再び刃風が吹き荒れ始めた。

 剛剣と妖刃が激突し、千々の火花を撒き散らす。漆黒の頭髪が、激しい憤怒で天を穿つように逆立ち、髪留めを失った黄金色の長髪が、流れるように虚空を舞う。

 さながら、漆黒の豹と黄金龍が、互いの死力を尽くして相手に爪牙を叩きつけるかのように、黒の戦士、金の剣士は、持ちうる全ての精神力と集中力を駆使し、一瞬の取り違えも許されない、白刃剣舞の如き剣戟を炸裂させ、舞い散る紅の火花が、死の舞踏を踊る彼女達を鮮やかに彩る。

「それがどうだと!?人の腹より生まれ出しおぞましきもの、傾注にも値しない!!」

「愚か者!!」

 大気そのものを吹き飛ばすような大喝と共に、ハナヱの手元で紫電が閃いた瞬間、巫王村雨の一閃が、リノの手からナイフを弾き飛ばしていた。

「故にそなたらは我らの前に敗れたのだ!なぜにそれがわからぬ!!」

「我らが愚かだと!?」

「愚かだとも!そなたらの力は、我らとて認めるものである。その未曾有の力と恐怖、我らの歴史の中で、同じくするものに再びまみえる事はないであろう。故に、我らは互いを打つ手を、互いを結ぶ手へと変えたのだ。

 我らとて木石ではない、理不尽な力に対して、座して終わりを待つほど愚鈍ではない。そなたらにはそなたらの意志があろう、だが、我らにも我らの意志があるのだ。だからこそ、何があろうと、そなたらの前に屈する訳にはゆかぬのだ!」

「きいた風な口を!そして貴様らは、名誉ある降伏すらも踏み躙ると!?」

「ならば問う、そなたらは中心領域に何を望むや?我ら全てを屠り、駆逐した上で、その後釜に成り代わろうと申すや!?」

「我らは、人類の叡智の結晶たる歴史を食い潰す、愚昧なる貴様らを、より強き力と統制をもって正そうとする者なり!!」

 リノの血を吐くような叫びに、ハナヱは無言のまま剣を鞘に収める。そして、床の上に突き刺さったままのナイフを指し示し、リノに呼びかけた。

「そなたの業物、拾うがいい」

「何のつもりだ?今さら詫びなど聞かぬ!」

「詫びるつもりなどない、悔やむつもりもない。我らには我らの、そなたらにはそなたらの、それぞれの意志、それぞれの正義がある。これ以上の問答は無用、答えは、我らの分身たる業物を持って導かん」

 ハナヱの言葉に、リノは敵意のこもった瞳で警戒を浮かべながらも、床の上に突き立ったナイフを引き抜く。そして、それを見届けたハナヱは、わずかに膝をたわめ、半身の構えを取りつつ、その白い手を巫王村雨の柄にのせた。

「確かに、そなたの申すとおり、我は愚かである。そなたらの痛み、そなたらの怒り、到底理解すること能わぬであろう。我は、剣でしか正道を見出すこと出来ぬ武辺者。だが、もののふの端くれとして、全ての迷い、全ての我執を断つため、剣を取り、そして研ぎ澄ますものである。

 戦士リノ、そなたももののふであるなら、そなたの業物に問うがいい。そして、そなたの正義を、言葉ではなく、その刃に乗せて我にぶつけるがいい。

 我らが、持ちうる全てを込めて放つ、乾坤一擲の刃。それこそが、今この場において、最良の答えとなろう」

「よかろう、私もこれ以上の問答は望むものではない」

 リノは、なおも煮えたぎる感情を隠しもせず、烈火の如き憤怒の表情でナイフを構える。

「もはや、貴様の御託を聞かされること耐えられん」

「やむなし、であるか」

 リノの最後通牒とも言える言葉に、ハナヱの目に哀しげな光が横切る。そして、彼女は、滅びた氏族の呪怨を一身にまとうかの如き戦士に対し、全身全霊の剣を持ってこれに応えるべく、静かに両の目を閉じた。

「・・・・・・どこまでも私を愚弄する気か!」

 敵を前にして、瞑想する高僧のように黙祷するハナヱに、極限まで怒りを炸裂させたリノは、漆黒の疾風となってハナヱに迫り、その首筋に凶刃を一閃させた。

 だが、伝わってくるはずの手応えはなく、徒に空を切る感覚に、リノは思わずハナヱの姿を省みる。しかし、自分のすぐ横に、確かに金色の髪をなびかせた剣士が、目を閉じたまま、臨戦の構えを取り続けている。

 次の瞬間、リノは自分の目を疑った。

 いつの間にか、自分の真正面に立ち、先ほどと寸分たがわぬ姿で構え続けているドラコの剣士。その瞬間、ハナヱの手が動き、軽やかに秋水が鞘走る。

 それは、ひどく緩慢に見えた。まるで、薫風にたなびく若草のように、幾重もの残像を残しながら、虚空に穏やかな軌跡を描いていく。

 そして、解き放たれた剣は、水鳥が湖面に舞い降りるかのように、静かに鞘に戻された。夢幻のようなその光景に、思わず目を奪われたリノは、ただそれを呆然と見送る。

 二拍、三拍、無音寂静の虚ろに再び音が戻った時、リノの胸に真紅の桜花が咲き乱れていた。痛みはない、しかし、薄れていく意識の中でリノは明確に理解した。

 自分が動いた時、すでに『斬られていた』と言うことに。




「・・・・・・これが、貴様の答えと言うわけか?中心領域人」

 再び、意識が混沌の底から浮かび上がり、冷たい床の上に横臥したまま、リノは全身を覆い潰す鉛のような疲労感を、僅かに残った力で抑えつけながら問いかける。

 傷口は、致命傷と言うには程遠いほど小さく、浅い。しかし、両方の鎖骨を完全に断ち切られていた。これでは、腕を持ち上げることすら叶わない。

「安い情けなど不要だ、そして、生き恥を晒す気などない。とどめをさせ、中心領域人」

「・・・・・・そうは、行かぬ」

「・・・・・・なんだと?」

「そなたが何故、我の剣の前に膝を折ることになったのか。そして、何故我がそなたの前に立っているのか、それすら理解しようとせぬ者を、これ以上斬る気は無い」

「貴様・・・・・・」

「そなたがすくたれ者と呼んだリオ、彼女は自らの力を知っている。そして、そなたの力も知っていた。されど、彼女は最後までそなたに屈することをしなかった」

 ハナヱは、ただ無言で横臥するままのリノに、静かに言葉を紡ぐ。

「力が無いから弱いのではない、牙を持たぬから弱いのではない。力は無限、強き者は無尽、それを追い求めていたら、時など幾らあっても足りぬ」

 ハナヱの言葉に、リノの柳眉が微かに歪む。

「力は心の鏡、鏡が曇れば、力も曇る。我はただ、剣を振るうしか能の無い武辺者。されど、こうして弐拾と余年、生きてここにいる。我がただ力を振るうままであれば、我はもう、すでにここに在ることは無い。

 事の善悪、己が我執、さような瑣末に囚われていては、何も成しえること能わぬ、己がままに力を振るえば、それ以上の力で打ち砕かれる。所詮、力とはその程度のもの。頼るには、あまりにも危うきものなり」

「・・・・・・貴様の言葉、理解できん」

「故に、そなたは敗れた。そして、私は立っている。・・・・・・戦士リノ、そなたは強い。市場での死合い、そなたの策が無かったとしても、あの時の我は、そなたには勝てなかったであろう」

「・・・・・・・・・なんだと?」

「我は、怒りで我であることあらざらぬ者となった。心の揺れは剣の揺れに、曇る心は刃の曇りと成る。・・・・・・我は未熟ゆえ、地を舐めなければ気付かぬこと真に多い。この言葉、我を一度は死の淵へと誘ったそなたなら、解るであろう?」

 ハナヱは、なおもまっすぐにリノの目を見据える。

「そなたは強い、そして、戦士ウーフーもまた然り。我ら中心領域と、ノヴァキャット氏族への復讐が、そなたらの支えと申すなら、我はそれに介する意思は無い。だが、我らとて、得たものより、失ったものの方が多い、多過ぎたのだ。

 ・・・・・・故に、我らにとって、そなたらは憎んでも憎みきれぬ忌むべき者。忘れろと言われて忘れられるほど、そなたらが我らに突き立てた刃は浅くはない。されど、それはそなたらも同じ、否、それ以上であろう」

 憎んでも、憎みきれぬ敵。ハナヱは、敢えて自分の本心を告げる。それはハナヱだけではない、彼女の故国ドラコ連合をはじめとする、中心領域の民全ての本心。

「されど、我のような武辺者。一々それらにかかずらっているわけには行かぬ。もののふの手は、己が業物しか握れぬ。余計なものを手にしたまま立ち回れるほど、巧者でなければ賢しくもない。我執では何も斬れぬ、己が魂の分身たる業物のみが、己が前に立ち塞がるものを斬ることが出来る。

 されど、我は此度、そなたらの我執を身に刻めり。次会う時は、そなたの魂で我を刻むがよい。その時は、誓って恨み言など申さぬ」

「貴様・・・・・・」

 表情を歪め、唸るように声を絞り出すリノに、ハナヱはもはや一顧だにせず、もうひとりのスモークジャガーの戦士に向き直った。

「我の申す事、承服できかねるやもしれぬ。されど、我は戦士リノを打ち倒した者なり。そにある少女、我に返し賜らんことを切に望むものなり」

「・・・・・・了解した。貴女は強い、その技、その魂、もはや異論の余地はない。彼女は、貴女達の元へ帰そう」

「かたじけない、感謝の極みを」

「だがひとつ、願いがある。聞き届けてはもらえないだろうか、龍の剣士よ」

「承知、なんなりと」

「どうか、彼女をよりよき道に導いてやって欲しい。それが、我らと幾億の英霊の願いである」

「承知、わが剣にかけて」

「感謝の極みを。・・・・・・さあ、リオ。お前はお前のあるべき場所に帰るがいい。お前の行く道に、光あらんことを」

 フォッグに背中を押され、リオはスモークジャガーの戦士を見上げる。そして、フォッグを見上げたのと同じ、微かな迷いに揺れる瞳でハナヱを見る。そんなリオに、ハナヱは小さくうなずきながら、穏やかな笑みを向ける。

「リオちゃん、お姉さんの話、聞いたよね」

 異なる正義、異なる道、それらを見たリオが、何を思い、何を感じたのか。僅かに揺らぐ碧の瞳を見たハナヱは、ひとつの覚悟を胸に収め、今、リオに伝えるべき言葉を送った。

「リオちゃんが、決めてもいいんだよ」

 ハナヱの言葉に、その場に居た人間の表情に、微かな驚きの色が走った。だが、リオは、さっきまでの迷いを全て拭い去るように顔を上げると、確かな意思をもって、自分の言葉を紡いだ。

「クルツが、待っとるけん。うちは、クルツのとこに帰るけん。きっと、待っててくれとるけん」

 そして、もう一度フォッグを振り仰ぎ、その静かな眼差しに応えるように、リオは力強くうなずくと、一歩一歩踏みしめるように、ハナヱの元へと歩き出した。

「・・・・・・リオ」

 リノの呼びかけに、リオは、その足を止めて彼女を振り返る。

「お前の信じた正義、お前の信じた道。我らがそうしたように、お前は、お前の道を征くがいい」

「・・・・・・わかった」

 リオの言葉に、リノは微かに口元を緩めると、かろうじて動く腕を懐に差し入れる。

「受け取れ、お前がこれをどう思おうと、お前にはこれを受け取る資格があり、義務がある」

 リノの放って寄越した、スモークジャガーの牙。銀のエングレービングが施されたそれは、リオの手の中で微かな光を放つ。

「行け。我らは、もうお前に用はない」

「リノ・・・・・・姉ちゃん、・・・・・・おおきに」

「フッ・・・・・・私を姉と呼ぶか。つくづく、おかしな奴だ」

 リノは、あきれ果てたように言葉を吐き出すと、既に、持ちうる気力を使い果たしていた彼女は、ゆっくりと眠りの淵へと落ちていった。しかし、その表情は、満ち足りた者のように、穏やかなものだった。




「婿殿、外は冷えまっしゃろ、部屋でお待ちになっとったらいかがどすか?」

「・・・・・・いえ、ここで大丈夫ですから」

 神判に臨む戦士達の駆るメックは、完璧に仕上げ、そして、神聖なる戦いの地へと送り出した。そう、俺は俺に課せられた役割を、持ちうる限りの知恵と技術でもって果たした。・・・・・・いや、果たしていない。まだ、一番大事なことが残ってるんだ。

「だから、大丈夫ですから」

 なにが大丈夫なのか、俺自身よくわかってはいない。けれども、様子を見に現れたアヤメさんに対して、俺はそうとしか答えようがなかった。

「帰ってきて、誰も待っていなかったら、寂しいじゃないですか」

「それで?あれから一日中、こうしてはったんどすか?」

「ええ」

「そんなら、せめて門衛はんの詰め所で待たせてもらえばええやおまへんか?」

「・・・・・・そういうわけには、いかないですよ」

 頭の中では『そうかもしれない』と思いながらも、言葉にすることでそれを否定する。たった一日、外にいたくらいどうだって言うんだ。リオや、ハナヱさんはもっと辛い思いを耐えているだろう時に。

「そうどすか・・・・・・、そやけど、あまり無理せんでおくれやす」

「・・・・・・はい」

 それだけを告げると、アヤメさんは静かにその場を立ち去って行った。そして、陽が沈み、周囲は群青色の闇に塗り替えられ始めていった。

「クルツ、アヤメさんから、おみゃーに渡しといてくれっちゅうことだぎゃ」

「あ、ああ、ありがとう、ジャック」

「おー、それじゃ、確かに渡したでよ」

 紙バッグを受け取り、彼に礼を言うとジャックは肩越しにひらひらと手を振りながら、門衛詰め所の中に戻っていった。

 紙バッグの中には、軍用ポンチョと、保温ポットが入っていた。心の中で礼を言いながら、ポンチョにくるまり、ポットの中の暖かい緑茶を飲むと、疲れきった体にじんわりとぬくもりが広がっていく。そのせいか、張り詰めていたものがぷつんと切れてしまったような感覚と共に、緩やかに目蓋が重くなってきた。

 眠っちゃだめだ、まだ、リオもハナヱさんも帰ってきていないんだ。眠ったら駄目だ、眠ったら駄目だ、眠ったら・・・駄目だ、眠った・・・ら・・・駄目・・・だ、眠った・・・・・・ら・・・・・・・・・・。




「・・・ん、・・・ツさん」

 ・・・・・・・・・ん?

「・・・ルツさん、起きて下さい、クルツさん。こんな所で寝ていたら、風邪を引いてしまいますよ?」

「・・・・・・んぁ・・・・・・・・・?」

 そっと肩をゆする感覚に、我ながら間抜けな声と共に目を覚ますと、薄ぼんやりと明るくなっていく視界の中に、朝日の光に包まれ、柔らかく光る金色の髪の女性、いやさ、ハナヱさんがいた。そして、その背中には、すうすうと寝息を立てているリオがおぶわれていた。それを見た瞬間、俺の意識は一気にクリアになった。

「もしかして、ずっとここで待っていてくれたていたんですか」

「ハナヱさん・・・よく無事で・・・・・・!」

「ごめんなさい、遅くなってしまいました。・・・・・・それに、本当に申し訳ありません。私が手間取ったばっかりに、リオちゃんに怪我をさせてしまって・・・・・・。本当に、申し訳ありません、クルツさん」

「何を言っているんですか、ハナヱさん。こうして、ふたりとも無事に帰ってきてくれただけで、もう十分過ぎるくらいですよ。俺のほうこそ、なにも出来ずにハナヱさんひとりに苦労をさせて、本当に済みませんでした・・・!」

 俺は、心の底から申し訳のない気持ちになりながら、ハナヱさんの背中で眠っているリオを抱えあげる。どこかで身繕いをしてきたのだろうが、顔色を感じ取らせない程度に薄化粧などで隠してはいるが、戦いの痕を刻み付けられた、ズタズタの白詰襟をみれば、辛くないわけがないとわからないほど、馬鹿なつもりはない。

 それに、元々の背中の傷もある。どうしてここまで動けるようになったかは知らないが、それでさえ自然なものであるはずがない。絶対どこかに無理が来ているはずだ。

 ともかく、ふたりを早く医者に見せなければならない。俺は、ジャックに連絡をつけてもらえるよう頼むため、門衛詰め所に向かおうとした時だった。

「・・・・・・あの、クルツさん」

「え、なんですか、ハナヱさん」

「・・・・・・わたし、頑張りましたよね」

「ええ、当たり前じゃないですか」

「・・・・・・よかった」

 ハナヱさんは、少女のように淡く笑った。が、突然体をくの字に曲げたかと思うと、血の塊を吐き出しながら地面に崩れ落ちた。

「ハナヱさんっっ!!」

 糸の切れた人形のように倒れ伏すハナヱさん、その白詰襟の背中が、あっという間に真っ赤に染まり、血溜まりがアスファルトの上にじわじわと広がっていく。

 詰め所の中で、アンビュランス・センターに怒鳴り声をあげているジャックの声を背中に聞きながら、いきなり崖下へ蹴り落とされたような薄ら寒い感覚と共に、ハナヱさんに駆け寄ろうとした時だった。

「アヤメ・・・・・・さん?」

 いつの間に現れたのか、アヤメさんは血溜まりの中に沈むハナヱさんの傍らに膝をつくと、その、どうみても安物では有り得ないキモノが、流れ落ちた血で染まるのを少しも意に介せず、虫の息となった娘を抱えあげていた。

「ホンマに・・・・・・この子は・・・・・・・・・」

「アヤメさん!このままだとハナヱさんが・・・!!」

 こんな時でも、少しも動じることなく落ち着き払ったアヤメさんに、自分でもみっともないくらい声を裏返らせた俺に対して、彼女はゆっくりと俺の顔を見上げた。

「婿殿」

「な、なんですか」

「どへんか、この子を褒めてやっておくれやす」

「ア、アヤメさん・・・・・・!」

「さ、婿殿は向こうを向いてておくれやす。いくら婿殿にも、こればっかりはお見せできるものやおまへんよって」

「う・・・は、はい・・・・・・」

 逆らいようもない、重く深い言霊の前に、俺は言われるがままに背を向けた。そして、万一、リオが目を覚ましても、それを見ることが無いよう、俺はしっかりと胸の中に抱いた。

 固く目を閉じた俺の耳に、朝風に乗って、アンビュランス・カーのサイレンが、かすかに流れて込んできていた。




 あの事件から、もう一週間が経った。あたかも当然の流れのように、所有の神判に勝利した。スターコーネル・イオが率いた戦士達は、2機のノヴァキャットと、十分な予備部品を携えて帰還した。

 これで、クラスターのスターコマンダー、スターキャプテン達の乗機は、すべてオムニメックに更新され、そして、予備部品の充足もあって、メックの稼働率も軒並み上昇した。結果的に、戦力はセカンドラインクラスとしては破格なまでに充実した。

 ハナヱさんは雪辱戦を果たし、リオは無事クラスターへ帰ってきた。全てが、何事もなかったかのように、予定調和の中で、またいつものように歯車は穏やかに回り始めた。

 しかし、ダークの人間がこのイレースにまで潜入していたと言う事実は、やはりと言うか、ノヴァキャット、ドラコ連合共々無視するわけにはいかなかったようだ。おかげで、リオは毎日のように事情聴取を受ける羽目になった。

 あの子は、今日も、イオ司令に伴われてギャラクシー本部に出頭している。いくらなんでも、一息つく暇もそこそこに、連日休み無く召喚させられ、査問官の前で、同じことを繰り返し尋問され、同じことを繰り返し答えさせられれば、大人でもいい加減堪えるというのに、子供にしてみれば相当な負担だろう。

 救いといえば、イオ司令が同伴していることだろう。司令なら、あの子のことを護り支えてくれるだろう。

 リオが、どこまで彼らのことを話しているかは知らない。彼らに対して話さないことを、俺に話すとは限らない。別に、今回の事を責任に感じて卑屈になるつもりはないが、あの子が話さないなら、こちらも問いただすつもりはない。

 ただ、リオが俺に見せてくれた、自分の『姉』と言う人物から譲り受けたと言う、銀の装飾が施された牙のペンダント。それだけで、もう全てを教えてもらったも同然だ。それ以上は、俺が詮索することではないし、あの子が、話してもいいと思った時まで、あの子の胸の中にしまわれているべきだ。

 あれは、リオにとって、初めての『たたかい』だったわけだ。結果的に、ハナヱさんの手によって救い出されたとはいえ、あの子にとって、ダークの人間と相対することは、今の自分に対する戦いであり、そして、もう一度、俺達の所に帰ってきた。と言うことが、彼女が何を選び、そして、望んだか。と言う事の答えになるんだろう。

 俺には、今のあの子が、一回り大きくなったように見える。あの事件から帰ってきたと言う、贔屓目半分だとしても、だ。

 それから、もうひとりの当事者であるハナヱさん。彼女からの聴取は、体調の回復を待ち次第。と言うことになっている。さすがに、DESTの秘術とは言え、本当なら絶対安静でなければならなかった人間が、それこそ120パーセントの力をフル回転させた代償は、決して安いものではなかったらしく、それまで、極限まで張り詰めていた精神力が、彼女の崩壊寸前の肉体をつなぎとめていたのだろう。

 ハナヱさんが病院に運ばれていった後、アヤメさんの姿は、いつの間にか見えなくなってしまっていた。まるで、全てを見届けたとでもいうかのように。

 何故、アヤメさんが突然イレースを訪れたか。その真意は結局わからずじまい、になってしまった。けれども、恐らく彼女は、娘がどのような道を歩んでいるか。それを見定めに来たのかもしれない。甘い感傷だと言うことはわかっている、けれども、そう思いたい。

 ともあれ、そんな益体も無いことをずらずらと考えながら、独りハンガーで眺めるともなしに図面を広げていた時、いきなり頭の上に、なにやら重いものが乗っかってきた。

 何の前触れもなしで、一瞬ぎくりとしたものの、その柔らかい感触と、顔の横をなでるように零れ落ちた黒髪で、その物体の正体と主はすぐに知れた。

「な〜にシケた面しとるんだぎゃ、クルツ」

 ディオーネは、あいかわらずな口調でのしかかるように、胸と体重を乗せてくる。

「ふへっ、今回は、まったくいいとこなしだったみゃあ」

「・・・・・・全く、自分で原因を作っておきながら、肝心な時に、何も出来ない自分が嫌になります」

「ほー?」

 一瞬、頭の上から、ディオーネの胸の重みが消えた。が、すぐに元通りにのしかかってくる。

「そんなら、ダークの連中が来たのも、ポストが赤けーのも、みーんなおみゃーのせいかみゃあ?」

「・・・・・・まさか、そこまでは・・・・・・」

「それとも、自分があん時一緒にいれば、リオ介はさらわれたりせんかった。自分も一緒にリオを取り返しに行ってりゃー、もっと上手く事が運んだ。とでもゆーんかみゃあ?」

 ディオーネの言葉に、俺は返す言葉が見つけられなかった。彼女の言葉が全て正鵠と言うわけではないが、確かに、そう思っていた自分がいたことも事実だ。

「とすりゃー、おみゃーはハナヱを侮辱しとるだぎゃ。そいつぁー、とてもじゃねーけど、命張ったハナヱに対して、許される言葉じゃねーだぎゃ」

 不意に、耳元でささやかれた言葉が、かすかな髪の香りと共に、俺の顔をカミソリのように撫で上げていく。

「ハナヱは、自分のするべきことをしただけだぎゃ。クルツ、おみゃーは、その間、ぐーすか寝こけとったんか?違うだぎゃ、おみゃーは、おみゃーのしなけりゃならねーことを、精一杯果たしとったんだぎゃ。

 その証拠に、ほれ、うちらは、こーして生きて帰ったでよ。それは、どーあっても動かせねー事実だぎゃ」

 そう言うと、ディオーネはさらに体を押し付けてくる。どこか、らしくない彼女の行動に、どう反応していいものか。しかし、そんなことには一向にお構いなしで、彼女は俺の肩に体重を預け続けている。

「おみゃーがいなかったら、あの中の誰かが帰ってこなかったかもしれねー。もしかしたら、それはうちだったかもしれねー。下手したら、誰も帰ってこなかったかもしれねーんだぎゃ。

 うちらが神判を争った連中、そー目立った奴らじゃねーけどもが、そこは一線級。しかも、うちらと同じ、遷都戦役を戦い抜いた連中だでよ。ぶっちゃけた話、あんな連中相手に勝てたのは、奇跡と言ってもいいくらいだぎゃ。

 天秤の目方がちと違っただけで、がらりとバランスが崩れるよーな・・・・・・ふへっ、何か柄にもねーこと言ぅとるけどもが、いくら欲しいものがあるからっちゅーても、司令も随分博打を打ってくれたもんだぎゃ。今頃になって、冷汗もんだでよ。

 ・・・・・・けどな、うちら全員、負けることなんて、これぽっちも思わんかっただぎゃ。リオも、ハナヱも、自分のするべきことをしている。でもって、クルツも自分のするべきことをしてくれた。うちらのメックを、うちらの体の一部になるくらいに仕上げてくれた。うちら全員、そう信じとったでよ。

 だから、うちらは今、うちらのするべきことを成し遂げる。勝つのは当然、勝って、おみゃーの成し遂げたことの証を、もう一個増やしてみせる。少なくとも、うちはそー思っていただぎゃ。

 ・・・・・・おみゃーの代わりは、誰にもなれねーんだぎゃ。おみゃーは、おみゃーのするべきことを。他の奴らはそいつがするべきことを。確実に片していくしかねーんだぎゃ。リオはリオの、ハナヱはハナヱの。でもって、おみゃーは、おみゃーのすることをするしかねーんだぎゃ」

 ディオーネは、俺の背中に体重を預けながら、いつもの調子で、しかし、水晶のように強固で、そして透き通った声で、俺の耳元にささやいた。

「でも、うちはなにがあろーと、おみゃーが魔王になろーと、おみゃーの味方してやるでよ。だから、自信持って、おみゃーの道を行けばえーだぎゃ」

「ディオーネ・・・・・・」

 振り返ると、そこには太陽のような笑顔があった。

「クルツ」

「な、なんですか?」

「生き急いでも、ロクなことになりゃしねーでよ」

「えっ・・・・・・?」

「結果なんてものぁ、歩いた後に、勝手についてくるもんだぎゃ。上手くいくことしか考えねーで突っ走ったら、その時点でもうアウトだぎゃ。これでおみゃーの仕事が終わったわけじゃなし、まだまだ先は長いでよ。

 慌てず焦らず確実に、ぼちぼちいこみゃあ。すべては、大いなる意思と未来の元に、だぎゃ」

 不意打ちじみた言葉に、声を詰まらせてしまった俺を振り返りながら、ディオーネは、穏やかに細めたその目に、深く、静かな笑みをたたえながらうなずいていた。

「さ、暇なら、ボカチンの見舞いにでもいこみゃあ。ん?」




あなたの道を(後)



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