走れ正直者



『びええぇぇ〜〜〜〜〜んっっ!!』

 よお、少し騒がしくしてるけど、まあ、大目に見てくれ。

『うちが悪かったけぇーんっっ!クルツー!!勘弁してつかぁさぁぁ〜〜〜いっっ!!』

 え?何があったのかって?ああ、まあちょっとな。

『うえぇぇ〜〜〜〜〜んっっ!!開けて〜っっ!開ーけーてぇーっっ!!ひぃ〜んっっ!お〜〜〜いおいおいおいっっ!!』

 なんだか可哀想だ?まあ、言うのは簡単だが、簡単に許しちゃ話にならない。お前さんも、子供の頃にゃ、ママから似たような目にあったこともあるだろ。

『ひ〜〜〜んっ!!クルツ!ク〜ル〜ツ〜〜〜ッッ!!』

 軸受けがぶっ壊れたモーターのように、わんわんと響き渡る大泣き声と、居室のドアをドンドンガリガリ叩いたり引っかいたり、まったくもって賑やかなことだ。まるで、家から閉め出された座敷猫だ。もっとも、似たようなもんかもしれないけどな。

『わぁ〜〜んっっ!もうしないけぇ〜んっ!!ごめんなさい!ごめんなさあぁ〜〜いっっ!!びえぇ〜〜〜〜〜んえんえんえんっっ!!』

 ・・・・・・むう、なんだか泣き方が魂の叫びっぽくなってきたな。

『うえっ!うえっ!うえぇ〜〜〜〜んっっ!!・・・・・・げほっ!げほっ!おえっ!!』

 どうやら、のどが枯れたようだな。そろそろ、頃合か。

「やかましいぞ、リオ。近所迷惑だから静かにしろ」

『あっ!?クッ、クルツ〜〜ッッ!!開けてっ、開けてつかぁさいぃ〜!!うちが悪かったけ〜〜んっっ!!』

「・・・・・・どうしてこう言うことになったか、わかってるか?」

『・・・・・・ひうっ、ひうっ、・・・う、うちが、うそついたから・・・・・・?』

 俺の質問に、ドア越しのリオの声が、嗚咽交じりに恐る恐る答える。

「そうだな、どうして隠そうとした」

『じゃ、じゃけん、おねしょしてしもうたから・・・・・・』

「それだけじゃないな」

『う・・・・・・・・・』

 リオ介の寝小便なんぞ毎度のことだ。いまじゃ、ハンガーの屋上にマットレスやシーツを干してても、もう誰も気になんてしやしない。

「それだけじゃないな、なにをした」

『・・・・・・う、うちが・・・夜中にこっそり、ジュース・・・飲んだから・・・・・・それと、パンツ、ベッドの下にかくしたから・・・・・・』

 観念したような声で、リオは自分の悪行を白状する。

「よし、認めたな」

『・・・・・・う、うう・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん』

 決定的な自白を取り付けた以上、もう騒音公害の元凶を放置しておく理由は無い。

「どうだ、反省したか」

 ドアを開けると、そこには土砂降りの中をさまよってきた捨て子猫よろしく、涙と鼻水で顔面をぐしゃぐしゃにして、小さく震えながら水気の多いメロンゼリーのような目で俺を見上げるリオがいた。




 いやいや、さっきは騒がしくして悪かったな。でもまあ、こればっかりは、子供の必修科目みたいなもんだから、すまんが大目にみてくれると助かる。

「あのな、リオ。お前が寝小便することくらい。昨日今日で治るもんじゃないってのは、よ〜くわかってるよ」

「う・・・うぅ・・・・・・」

 まださっきの余韻が残ってるのか、リオ介はしゃっくりのように肩を震わせながら、俺の話に頭を垂れている。

「寝小便くらい、子供なら誰だってやらかすし、大きくなってくうちに自然に治るもんだ。だから、俺はお前がシーツに世界地図を更新することなんか、少しも気にしちゃいない」

「ふ・・・ふえぇっ・・・・・・」

「俺が許せなかったのはな、世界地図でもジュースの盗み飲みでもない。それを隠して、ごまかし通そうとしたその根性が許せなかったんだ。正直、『てめえの馬鹿さ加減にゃ、父ちゃん情けなくって涙でてくらぁ!』って、一発張り倒してやりたい気分だったぞ」

「ひっ・・・・・・!!」

 俺の言葉に過敏に反応したリオ介は、ぎゅっと目を閉じると、小さな体をますます小さくして硬直した。

「安心しろ、殴りゃしない。もうお前は罰を受けたんだ、それで十分だ」

「ク、クルツ・・・・・・」

「リオ、こういう話がある。そう、昔・・・・・・と言っても、かなり昔過ぎるんだけどな。まだ、人間がテラにしか住めなかった、氏族も星間連盟も無かった頃の話だ。

 で、だ。そのテラには、メリケンという国があってな。その国に、ワシントンと言う貴族の子供がいた。で、だ。そのワシントンはな、新品まっさらのハチェットを見つけた訳なんだが、あまりにも綺麗だったんで、その切れ味を試してみたくなった。

 そしてだ、こともあろうにワシントンは、ふざけてるうちに、そのハチェットで、サクラっていう親父のお気に入りのメイドを斬っちまった。当然、親父は怒り狂う訳だが、ワシントンは、自分が殺ったと親父に正直に白状したんだ。

 でもって、そのワシントンの勇気に、親父もその心意気を汲んで。本当なら吊るす所を鞭打ち10回にして、命は助けてやった。そして、親父の寛大さに感動したワシントンは、それを励みに精進を重ね、メリケンの王となった。

 そういう話だ。とにかく、自分の非を認め、そして正直にあろうとする潔さと度量の大きさを持った奴は、将来大物になれる。っていう話だ」

 ・・・・・・だったよな?確か。

「まあ、たとえがまわりくどすぎたかもしれんが。・・・・・・そうだな、リオ、お前が将来戦士になって、部下を率いる立場になったとして、だ。運悪くお前の率いる部隊が不利な状況になったとしよう。

 その時、お前が自分のプライドを優先して、司令部に本当の事を報告せず、嘘の報告をして、自分の判断で状況をどうにかしようとしたらどうなると思う?司令部の方は、お前のいる戦区は問題無しとして、結果として支援行動が後回しにされる。となるとどうなるか、お前のついた嘘のために、お前だけならともかく、お前を信じて戦っている部下までもが巻き添えになって全滅する。ってこともありうる訳だ。

 嘘をついたら、それをごまかすためにさらに嘘をつく。そして、またごまかして、また嘘をついて。そうなると、しまいには自分では手に負えない状況になって、一気に嘘をついたツケが回ってくる。結局、俺が何を言いたいかって言えばだ。嘘を逃げの道具に平気で使うような根性を持ったら、氏族の戦士としてすでに終わってる。ってこった」

 俺が話している間、リオは神妙な表情をして、身じろぎひとつせず耳を傾けている。おうおう、それにしても赤くなったり青くなったり、まるで信号機だね。


 え?わかるのかって?そりゃお前、いくらこいつがプリンセス・オブ・地黒でも、共同生活もいい加減長いんだ。ま、慣れだ、慣れ。

「ご、ごめん!クルツ、うちが悪かったけん!も、もうウソ言わない!うち、これから正直もんになる!」

「そうか、わかってくれればそれでいい。とにかく、お前にはまだたくさん時間があるんだ。欠点を直す時間はいくらでもある、焦ることはないさ」

「う・・・うん!」

 やれやれ、子供のしつけってのも、楽じゃないね。




「クルツ、クルツー!」

「おう、リオか。どうした、こんな時間に」

「お茶もってきたけーん、一休みしたほうがええけーん!」

「ああ、そうだな」

 残業、と言っても、サービス残業みたいなもんなんだが、俺は、明後日、階級の神判に挑む予定になっているシブコのメックを調整する作業を依頼された。まあ、こいつが最後の1機。ってわけだ。

「おつかれさまじゃけん。ハナヱ姉ちゃんから緑茶をもろうたけん、クルツ、お茶好きじゃろ?さっそく淹れてきたんじゃ」

「お、そうなのか?そいつはありがとうな。で、准尉は?」

「うん、ディオーネ姉ちゃんとショーギをしとるけん。今まで取られたもの、今日こそ取り返すって頑張っとったけん」

「そうか、仲が良くてうらやましいな」

「なあなあ、クルツ。今日も遅くなるんか?」

「ああ、そうなるな。寝る前にちゃんと歯磨きして、トイレに行けよ。それと、夜更かしなんか絶対するなよ」

「うん、気をつけるけん」

 先週のお灸はかなりきつかったらしく、今の所、かなり素直に人の言う事を聞くようになっている。しかしまあ、普通、10歳にもなれば、『おうちに入れない』攻撃をくらっても、さしたる効果はなさそうなもんだが、こいつの場合、根っこが純粋にできている分、そういった精神攻撃にめっぽう弱い。

 この間の週末の夜なんぞ、あまり退屈そうにしていたので、面白半分で怪談話を一席ぶってやったら、それがリオ的にはかなりストライクだったようで、夜、トイレに行きたくても行けず、タオルケットから頭を出すことさえままならない。と言った状態に陥ったらしく、その次の朝は世界地図どころか、インナースフィア・ユニバーサルマップ状態と言う大惨事となり、あれからもう二度と怪談はやっていない。

「シャドウホークかぁ、大丈夫なんかのぅ・・・・・・」

 リオは、ハンガーに居並ぶメック達を見て、心配そうにつぶやいている。

「まあな、ちと心許ない気もするが、こいつはノヴァキャットが放棄の神判を喰らって、他の氏族連中から袋叩きにあった時も、激戦の中で立派に踏ん張った名機だぞ。まあ、使いこなせれば、ティンバーウルフの一機はなんとか仕留められるさ」

「そ、そうかのう・・・・・・」

「戦場じゃ、相手のクラスは選べないからな。そこを何とかするのも、メック戦士としての技量を問われるって訳さ。リオ、いつかはお前も階級の神判に挑戦する時が来るんだ、他人事みたいには言ってられないぞ?」

「うん、わかっとるけん。じゃけん、クルツはどうするんじゃ?クルツも、最後のコードを切ってもらえんと、神判を受けさせてもらえんのじゃろ?」

「そりゃそうだ。でも、仕事が忙しくてな。あてにされればされる分、そこいら辺はどうしてもお留守になる。でもまあ、お前が神判を受ける時は、俺が腕によりをかけて、スペシャルバージョンにカスタムしてやるからな」

「わかった、頑張る!」

 取らぬ狸のなんとやらじゃないが、俺とリオは、そんなたわいも無い話をしながら、もうすぐ主とともに階級の神判に挑む、3機のシャドウホークを眺める。

「・・・・・・それにしても、良く使い込んである。どれだけ必死に打ち込んできたか、こいつらを見てるとよくわかるよ」

「そ、そうなんか?」

「ああ、まあな。さて、俺はこいつらを仕上げてから帰るから、お前はもう帰ってていいぞ。ああ、それと、もしかしたら小包が届くかもしれないが、宛先は俺の名前でも、物はマスターのだからな。受け取ったあとも、絶対に粗末に扱うなよ」

「うん、わかったけん!」

 リオは、自分に任せろ。と言わんばかりに、その平ぺったい胸を張ってみせる。

「よし、じゃあ頼んだぞ」

「うん!」

 まあ、こいつも馬鹿じゃないし、小包のひとつくらい、ちゃんと預かれるだろ。




 やってもうた。

 リオは、その認めたくない現実を前に、全身の血液が凍りつき、下っ腹に氷の塊をねじ込まれたような感覚を嫌になるくらい感じていた。目の前には1個の小包。そして、その真ん中には、どこをどう見ても子供サイズの足型が、どうしようもないくらい完全に、箱の中心を完全プレスしていた。

「ど・・・どないしよう・・・・・・」

 完全に自分のミス。あの時、すぐにでもクルツの机の上において置けばよかった。寮直当番から荷物を受け取り、それを部屋に持っていったまでは良かった。しかし、それを部屋の隅に置いたまま、風呂へ行ってしまった事がそもそもの間違いだった。

 ひとっ風呂浴びて帰ってきた頃には、頭の中から箱の存在はすっかり抜け落ち、電灯をつけようと暗い部屋の中を歩き回った時、小包の箱にデス・フロム・アバヴをまともにきめた後だった。

 しかし、いまさらそれを後悔したところで、箱が元通りに回復するわけでもない。踏み潰した瞬間、足の裏越しに届いた、なにやら硬いものが砕けるボリボリという音と感触。

 それだけは、どんなに頭を振り回しても、何度も深呼吸しても、消え去ることなく足の裏と脳に刻み込まれてしまった。そして、リオの体温は、ぐんぐんと下降線を描き始めていた。

「あわ・・・、あわわわわ・・・・・・・・・」

 リオは、瀕死の重傷を負った兵士を抱え上げるメディックのような動作で、その真ん中が見事に潰れた箱を手に取った。そして、逃れようもないその現実を前に、奥歯が16ビートを奏で始める。

「ど・・・どないしよう、どないしようどないしようどないしようっっ!?」

 クルツの失望する顔、ロークの激怒する顔。そして、小さな少女の想像力は、どんどん殺伐としたイメージに膨れ上がっていく。

「あわわ・・・あわ・・・あわわわわ・・・・・・」

 膝小僧がガクガクと震えだし、その震えは瞬く間に全身を伝わると、小刻みに振動する手は握力を失い、手にしていた箱に止めを刺すかのように床に落としてしまった。

「あぎゃっっ!?」

 またもや聞こえた、『バリ』と言う破壊音に、リオは総毛立つ感覚と共に、全身から大量の汗が噴き出した。もはやまともな思考も出来ず、リオは、ただわたわたと自分でも意味不明の動作を繰り返しながら、もはや四角い原型を留めないほどへこみまくった箱の周りを、ジャイロが不調を起こしたメックのように歩き回るだけだった。




「・・・・・・すん・・・すん・・・ひっく・・・ひっく・・・・・・」

 正直に事情を説明し、謝らなければ。頭では、そうわかっているのに、いざ行動に移そうとなると、押し潰さんばかりの恐怖で全身がすくみあがってしまう。

 このままでは駄目だ。あの時、クルツと約束したではないか。そう何度も何度も自分に言い聞かせるが、一歩踏み出す勇気がどうしても出てこない。そして、気がつくと、ハンガーの屋上で膝を抱えていた。

 傍らには潰れた箱、そして、夕闇に浮かび上がる戦士階級の居住区に灯る明かり。歩いて10分もしない距離にあるそれが、今のリオには何万光年も離れた星の光に見えた。

「あうぅ・・・・・・・・・」

 視界がぼやけたと思った瞬間、頬の上を涙がこぼれ落ちるのがわかる。そして、せっかく晴れた視界も、再びぼやけ、そして涙をこぼすことの繰り返し。

「どうした、リオ?こんな所で」

「ひえっっ!?」

 不意に背後からかけられた声に、リオは思わず声を上ずらせて肩を震わせた。

「・・・・・・ア、アストラ兄ちゃん」

 そこには、アストラが、いつもと変わらぬ穏やかな表情を浮かべていた。

「どうした?また、クルツに叱られたか?」

「ネ・・・否、あの・・・その・・・・・・」

「無理をしなくてもいい。だが、なんでも相談に乗ろう、リオ」

「う、うん・・・・・・」

 リオは、顔中に散らばった涙を拭うと、ぽつぽつと言葉をつむぎ始めた。




 ・・・・・・まあなんとも、ある程度予想はしていたが、これはちょっとどうしたものやら。

 俺は、アストラに連れられてハンガーを訪れたリオを見て、さすがに思案に暮れた。その腕にしっかり抱きかかえられた小包の箱。それは、見ていて悲しくなってくるくらいに形を変えている。

 だからと言って、リオを責めるとか、どうこう言うつもりはない。この子は、俺の教えを守り、自分の失敗を正直に告白しに来たのだ。アストラに背中を後押しされたとは言え、この子の真っ赤にはれ上がった目を見れば、ここまで来る間にどれだけ苦しんだかわかる。

「・・・・・・ク、クルツ」

「ん、どうした」

 リオは、ひしゃげた箱を胸に抱えながら、俺をまっすぐ見上げて俺の名を呼んだ。

「う、うち、行ってローク様に謝ってくる!」

「・・・・・・そうか。けど、こうなったのも、俺にも責任がある。俺も一緒に行こう」

「じゃ、じゃけんど・・・・・・!」

「いいから。俺も一緒に行かせろ。怖かったろ?でも、ちゃんと正直に言えたよな。リオ、お前は、俺の誇りだよ」

 戸惑いながらも、いくつもの感情を浮かべているリオの前にかがみ、俺は、自然にリオの頭を撫でていた。こいつのすることなすこと、確かに振り回されっぱなしだが、それでも、まっすぐに生きている姿を見ると、どうにもいじましくなる。

「・・・・・・ふっ、ふえぇ・・・・・・っっ。ご、ごめん、クルツ・・・ッ!」

「すまなかったな、でも、なにもかもお前1人で抱え込むことはないんだ。俺も一緒に背負ってやる、な?」

「お、おおきにっ・・・クルツ・・・・・・っ!」

「いいさ、さあ、行こう。・・・・・・アストラ、すまない。この子の悩みを聞いてくれて、本当に感謝する」

「気にしなくていい、しっかりな」

 俺は、静かに微笑んでいるアストラに一礼すると、リオをつれてマスターの所へと向かった。




「・・・・・・こりゃまた、派手にぶっ潰したもんだぎゃ」

 謝罪の言葉とともに、自分の前に差し出された箱を見て、案の定、マスターは言葉を失って絶句していた。そして、手にした箱を振ってみたり逆さにしてみたりしながら、思案に暮れた表情を浮かべている。

「申し訳ありません、マスター。私がいたらぬばかりに、大切な品物を破損してしまったこと、いかような罰も受けます。ですから、この子には、どうか御寛大な処置を」

「は、箱を壊したのはうちじゃ!・・・・・・い、いえ、うちです!罰は、うちが受けます!」

「リオ、お前は気にしなくていい。大事なものと言っときながら、人任せにした俺が悪いんだ。マスター、全てに責任は私にあります。処分は私が受けます」

「なんでじゃ!クルツ、ひとりで抱え込むなゆうたじゃろ!?うちも一緒じゃ!!」

「リオ!」

 こいつ、人の気も知らんと。まったく、子供のクセに頑固な奴め・・・・・・!

「あ〜・・・その、なんだぎゃ。もう、その辺にしとくだぎゃ」

「は、はい、申し訳ありません、マスター」

「ご、ごめんなさい、ローク様・・・・・・」

 マスターの制止の声に、俺達は姿勢を正さない訳にはいかなかった。

「いや、まあ、その・・・なんだぎゃ。とりあえず、リオ坊。その箱、開けてみるだぎゃ」

「え・・・!?は、はい、わかりました・・・・・・」

 マスターの言葉に、リオは全身に緊張を走らせながらも、言う通り包装を解き始めた。しかし、震える指は、そのちょっとした作業でさえ苦労するに十分の様子だった。

「・・・・・・あ?」

 包みを解き、箱を開けた瞬間、リオの目が点になった。

「マ、マスター、これはいったい・・・?」

「あ〜、まーその、なんだぎゃ。リオ坊も、毎日クラスターのために頑張ってるでよ、俺からほーびでも出してやろー思ぅとったんだぎゃ。だどもまぁ、俺はおみゃーさんと違ぅて、銭もろうとるわけでもねーしが、どーにか工面してみただども、そんなどえりゃーもんは買えんかっただぎゃ」

 潰れた箱の中に入っていたのは、卸問屋から直接仕入れるような、カートン詰めのチョコレートバーだった。

「いや、まあ、菓子でゆぅたら、うちら氏族製のものよか、中心領域製の方が桁違いに美味いだで、あのミキにゆぅてドラコの菓子を取り寄せたんだぎゃ。

 いやはや、いきなりどっさり渡してびっくりさせよーかと思うとったんだども、こーなるとはちぃとばっかし予想外だっただぎゃ。ふたりとも、たいがいおっかねー思いをさせちまったみてーだどもが、俺がスケベ心出したばっかりにいらん心配させたよーだみゃあ。なんちゅーか、もの自体はリオ坊にくれてやろ思うとったもんだで、ヘマしたことは気にせんでもえーだぎゃ」

「マ、マスター・・・・・・」

 あまりにも予想外の展開に、リオも唖然とした表情で言葉を失っていた。

「でも、言い訳やごまかしをせなんだおみゃーたちの潔さには、俺もたいがい感動したでよ。クルツ、おみゃーの教育がええだで、リオ坊もこんなにまっすぐ育っとるだぎゃ。あん時、無理言っておみゃーを戦士候補のボンズマンにしたこと、やっぱし大正解だっただぎゃ。リオ坊も、チビッ子のくせに、戦士にふさわしいえー根性しとるだで、こりゃ、俺もたいがい期待できるっちゅーもんだぎゃ」

「ロ、ローク様・・・・・・!」

「なはは、リオ坊よ、たいがいびっくりさせといてすまねーけどもが、今はこいつで我慢しといてくれみゃあ。あとでもぉ一回、ちゃんとしたものを買ぅてやるでよ。の?」

「あ・・・ありがとう・・・ございます・・・・・・ふぇっ・・・ふえぇぇっっ!!」

「んーんー、怖い思いさせて勘弁だぎゃ。おみゃー、頑張るでよ。おみゃー達ほど、戦士にふさわしー性根をもっとる奴はねーだで、俺は期待しとるでよ。焦らずじっくり、力と心を磨くとえーだぎゃ」

 一気に気が緩んだのか、いままで我慢していた感情を、涙と共にあふれさせたリオの頭を撫でながら、マスターは満足そうな笑みと共に、何度もうなずいていた。




「・・・・・・なるほど、それは大変だったな」

「ああ、しかし、まさかあんなオチがつくとは思わなかった」

「なるほど・・・・・・。しかし、今回のこと、リオにとってはいい経験になったと思う。人を育てるのは、人生を左右するような事件ではない。地味でも堅実な日々の蓄積こそが、真に磨かれた精神を育てる。俺は、そう思う」

 俺とアストラは、PXの前のベンチで仕事のあとの一杯って奴を傾けながら、あれこれ雑談しているうちに、先日の事件が話題にのぼっていた。

「俺や姉も、似たような経験を両親から受け取ってきた。・・・・・・こう言ってはトゥルーボーン批判に聞こえるかもしれんが、こうした生きた道徳を学べるトゥルーボーンは皆無ではないかと思う。

 イオ司令やローク隊長は例外としても、人の痛みに無頓着なトゥルーボーンが多いことは事実だ。そういった意味では、リオがどのような戦士になるか、俺も見てみたい。だから、俺に出来ることは何でも力を貸したい」

「・・・・・・そうか、ありがとう、アストラ」

「礼には及ばない、俺もクルツには何度も助けられている」

 アストラは、少年のような笑顔を浮かべながら、手にしていた缶ビールの残りを飲み干した。と、その時、向こうの方から、やたらと賑やかな声が、ドップラー効果を存分に発揮して近づいてきている。

「待つだぎゃ!このたーけっっ!!」

「なっ、なんで怒るんじゃ!?うち、正直にあやまったけん!!」

「それとこれとは、話が別だぎゃあ!!」

「わっ、わあああっっ!?」

「つ、捕まえたぎゃ!ひぃ、ひぃ、ぜぇ、ぜぇ、・・・・・・こ、この!何度も上手く逃げおーせると思ぅただぎゃ!?」

 外では、スライディングタックルでリオを捕獲したディオーネが、せっかくの黒髪をバラバラに乱れさせながら、汗だくになって荒い息を吐きつつ、暴れまくるリオを取り押さえ、猫のケンカのように、取っ組み合いながらごろごろと芝生を転げまわっている。

「じゃ、じゃけん!名札もつけずにハンガーの冷蔵庫に入れといたら、誰のもんかわからんわい!」

「語るに落ちただぎゃ!だったら、名札ついとらんものをどーして食ぅただぎゃ!?」

「一週間もほったらかしにしとったから、駄目になる前に食ぅたんじゃ!」

「その一週間目に見たら、なくなっとったんだぎゃああっっ!!」

 ディオーネ、なにも泣かなくてもいいだろうに・・・。

「訓練のあと・・・教練が終わったあと・・・あれで『おいちい!』するんがうちの楽しみだったっちゅーのに!おみゃーはっ!おみゃーはっっ!!」

「しつこいんじゃ!そんなに食いたかったら、クルツに買ぅてもらえばええんじゃい!!」

「ぎゃっ!?あいででででっっ!!」

「姉ちゃんの弱点はわかっとるけん!いつまでもやられっぱなしじゃないけぇね!!」

 リオのクローアタックは、ディオーネの胸にがっちりヒットし、委細構わず渾身の力でぐりぐりひねり上げてる。・・・・・・むぅ、いいなぁ。・・・・・・って、ゲフン!ゲフン!

「い、痛ぇっ!痛ぇっっちゅーとるだぎゃあ!!」

 ほほう、タンクトップ一枚の薄い前面装甲が命取りになったか。胸部中枢にまともにヒットしてるようだな。ははは、しかし、男があれをやったら、まんま変質者だな。

 それにしても、リオもディオーネにだけは遠慮がないな。・・・・・・お、どうやら脱出成功か。ははは、逃げろ逃げろ。

「さて、では、こっちに飛び火しないうちに退散するか」

「でも、ふたりを放っておいていいのか?」

「大丈夫だ。姉さんも、あれで楽しんでやっている。姉妹喧嘩のようなものだ、気にすることはない」

「・・・・・・そ、そうか?まあ、アストラがそういうなら・・・・・・」

「もっとも、リオも正直なのは結構だが、人を見て出方を考えるくらいのことは、知っておいたほうがいいかも知れんな。まあ、まだ早いだろうが」

「そうだな、そのうち折をみて教えとこう」

「うむ、では行くか。そろそろこちらに矛先が向くころだ」

「ああ」




 戦士に必要なもの。それは卓越した技量とそれを支える強靭な力。だが、それだけでは補えないものもある。多くの氏族人は、戦士に余計なものは不要と言う。けれども、氏族人だろうと中心領域人だろうと、大切なものは普遍的ではないかと思う。

 まあ、俺が生粋の氏族人ではないから、そういうことを思うのかもしれない。でも、古の武人には、心技体そろった人格者も多かったと聞く。ドラコにおいて、今なお剣聖として語り継がれている、ムサシ・ミヤモト。そして、カペラ黎明期において、比類なき武勇を轟かせた、闘神マスター・エイジア。

 彼らのように、強く、そして大きな心を持つ戦士にリオがなる事が出来たなら、それはきっと、俺にとって一生の誇りになるだろう。

 頑張れ。そして、走れ、正直者。




走れ正直者



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