地上の星(後)



 いよいよ神判の当日、俺はまんじりとせず朝を迎え、明らかに寝不足なのに、それでも、頭だけはいやにはっきりとしている。まるで、濃すぎたコーヒーを飲みすぎたように、意識は起きているが、体が脳の指令にワンテンポ遅れる。そんな感じだ。

 なのに、こいつと来たら、いったいなんなんだよ。朝までぐっすり、朝食もバッチリ、まるで、俺がひとりで大騒ぎしているみたいだ。いや、少なくとも、大騒ぎしているのが、俺ひとりじゃないのはわかった。

整備班の連中はもちろんのこと、シフト休になっているはずのメディック達の班が、装備資器材を担いで現れた。それだけじゃない、万が一の時の搬送に備えるためか、ヘリボーンの連中までもが現れ、現場で待機している。

「・・・なんじゃい、まるで、うちがコケて大怪我するとでもいわんばかりじゃのぅ」

 まったくもってその通りだ。と、言いたくなる気持ちをぐっとこらえ、ブレストガードとヘルメットに身を包んだ、外見はこれ以上ないくらい勇壮なリオの姿をみやる。

 その、ちょっとした野戦基地のような周りの様子を見ながら、リオは憮然とした表情を浮かべていやがる。まったく、自分がどれだけ大事に思われてるか、ほんとにわかってるのか。ただ、なんだってこいつは、ヘルメットの上に無理矢理猫耳カチューシャをとっつけてんだ。

 ともかく、時間より少し早めに来たわけなんだが、その間に、リオの応援に駆けつけてきた連中が、気を利かせて作ってくれたミルクコーヒーをすすりながら、リオとアストラはMTBの最終チェックに余念が無い。

「あっ!きよったな!!」

「あっ、おい!」

 突然、リオが大声で叫んだかと思ったら、物凄い勢いで駆け出していく。その先には、見るからに使い込んだMBTに乗ってやってきた気圏戦闘機乗りがいた。なるほど、あいつがジークか・・・。噂は聞いていたが、本物を見るのは初めてだ。

 ・・・しかし、なんていうか、えらく小さい。気圏戦闘機乗りにチビが多いのは知っていたが、改めて見ると、さらにその小柄さに驚く。女と言うのを差っ引いても、比較対象のリオがいると、否が応でもそれが目立つ。

 いやはや、氏族人ってのは、戦闘要員を必要以上に大きくしたり小さくしたり。まあ、理にはかなってるんだろうが、中心領域で兵科にあわせて兵士の体格を遺伝子操作なんてしようもんなら、その瞬間からマッドサイエンティスト呼ばわり確定だ。

「シブコにもボンズマンにもなりきれない半端者が、よく逃げずに神判に挑む」

 おいおい・・・、凄い言いようだな。このジーク、アストラから聞いた話だと、その歯に衣着せぬ容赦ない物言いでことある度にトラブルを起こし、おまけに独断専行、スタンドプレーの常習で部隊行動を乱すこともしばしば。

 それで、もといた部隊を追い出されたって話だ。しかしまあ、うちの星団隊も含めて、この管区の部隊が実力的にはフロントライン級にも引けを取らないのに、セカンドライン級部隊の格付けをされてるってのも、まあ納得だ。

 どうしてこんな奴がセカンドラインに?と、思っても、伝え聞こえる噂話などをかいつまんでみると、たいがい原隊で問題児あるいは厄介者扱いされて、この部隊に飛ばされてくるって話が多い。

「やかましいわい!そんなすました顔も、今だけじゃい!」

「そうか、なら、私を驚かせて見せてくれると言うわけか」

「当然じゃい!」

「お前の死をもってか」

 こいつ、平然ととんでもない事を言ってくれる。

「その程度ではつまらん、それは予想していることだ」

 ・・・・・・何なんだこいつは、もしかして脳味噌の代わりに、シリコンチップが入ってるんじゃないだろうな。どうしてこうも、遠慮のない事を言えるんだ。

 それにしても、ジークひとりだけか?他の同僚達は、誰もこなかったのか。リオにあれだけ応援が押しかけてきたんだ、てっきり、ジークにもそれなりにサポートが来ると思っていたが・・・、さて?

 まあ、なんにせよ、独りでいるのもなんだろうし、茶でも持っていってみるとしようか・・・・・・。

「スターコマンダー・ジーク、まだ少し時間があります。コーヒーはいかがでしょうか?」

「必要ない。引っ込んでいろ、人っ腹生まれ」

「なんじゃと!もっぺんいってみい!!」

「やめろ!リオ!・・・申し訳ありません、非礼のほど、どうかご容赦を」

 別段、自分が言われたわけでもないのに、火をつけた火薬みたいにいきり立つリオを抑え、表情ひとつ変えないジークに頭を下げる。

「関係ない、だから引っ込んでいろと言っている」

「わかりました、出過ぎた真似をして、申し訳ありません」

「な、なんでクルツが謝るんじゃい!」

 こんな扱いは別に初めてじゃない、ここに来たばかりの頃は、それこそ毎日のように言われたことだ。けど、リオはどうにも納得が行かない様子で、俺に肩を押さえられながらも、隙あらば飛びかからんばかりの形相でジークを睨んでいる。

「・・・・・・いい気なものだ、雁首そろえてピクニック気取りか」

 ジークは、向こうに見えるメディックやヘリボーン達を一瞥し、心底不愉快そうな表情で吐き捨てるようにつぶやいている。どうにもまあ、なんとなくだが、誰も来なかった理由がわかったような気がするよ。引っ込んでいろ、か。やれやれ・・・・・・。

「時間の無駄だ、始めよう」

「望むところじゃい!」

 ディオーネの時とは明らかに違う、敵意むき出しの表情でジークを睨みつけるリオの目は、炎が揺らめいているかのように激しい光を放っている。

 まさに一触即発、ほんの些細なきっかけで炸裂寸前の空気の間をすり抜けるように、マスターがふたりの間に割って入ると、のんびりとした表情で声をかけた。

「まー、待つだぎゃ。こっちはまだ朝飯も食っとらんだで、時間までもーちっとあることだしが、そー、せくもんじゃねーだぎゃ」

「・・・・・・フン、勝手にするがいい」

 マスターの言葉に、ジークはあからさまに不服そうな表情でそっぽを向くと、MTBを押して一団から離れるように歩いていった。

 なるほど、孤独な一匹狼。ね・・・・・・。俺は、遠くの方で、ひとりでなにをするでもなく、ぽつんと座るジークの姿を見て小さく息をつく。

 どこにでも、ああいった奴はいるもんなんだな、俺も、コムガード時代、あんな感じの奴を何人か見たことはある。・・・まあ、そう言った連中は、みんな例外無しに土の下に行っちまったけどな。




 そうこうしているうちに、いよいよ時間になった。リオとジークは、例によってマスターから一通りのルールを聞き終わり、いよいよ神判に望むことになった。

 ・・・・・・ああ、やばい。なんか胃の辺りが痛くなってきた。・・・え?当たり前だろ、不安に決まってる。ディオーネの時は、マラソン勝負だった。だから、特になんの心配もしてなかった。だが、今度ばかりは事情が違う。

 ・・・くそ、わかっていると思っていたはずなのに、なんだって氏族人ってのは、こうまで当たり前に人の生き死にを扱えるんだ。

「クルツ」

「ア、アストラ・・・」

「戦士が戦いに赴こうという時に、そんな悲壮な顔を浮かべてどうする。リオに力を与えてやれるのは、お前だけだ。お前がそんな顔をしていてどうする、必ず帰ってくると信じろ。そして、お前の表情で送り出してやるんだ。

 お前が信じなければ、リオは何を信じたらいい?お前が信じてくれるからこそ、それはリオの力になる。さあ、戦士の門出だ。行って、言葉を」

「アストラ・・・、すまない、確かに言う通りだ。俺達がしてやれることは、みんなし尽くしたんだよな」

「その通りだ」

「あとは、リオを信じるだけなんだよな」

「その通りだ」

「わかった、行ってくる。それと、ありがとう、アストラ」

「お前と俺はトロスキンだ。その事実は、何があろうと動かない」

 俺はアストラの言葉に背中を押されるように、今まさにMTBにまたがって、走り出そうとするリオに駆け寄っていった。




 山の頂上に見える、リオとジークの姿が、それこそ豆粒のように見える。そして、今回も立会人を買って出たマスターが、ゆっくりとアーマーマグナムを頭上に掲げる動作が、いやにゆっくりと見えた。

 そして、号砲が轟いた。

 ほぼ同時にスタートダッシュを決めたふたりだが、リオは持ち前の脚力で、アストラがリオのために完全セッティングしたサイクロンの力をフルに引き出し、リオがリードを切る形でレースが始まった。

 しかし、問題はここからだ。いったんスピードに乗れば、それ以上加速することはコントロール不能を招き、足場の悪い斜面では転倒につながる。あとは、運動エネルギーに任せたまま、いかに最良のコース取りをするかにかかっているってわけだ。

 確かに、スピードは脚力に勝るスタートを切ったリオの方が若干勝っていた。しかし、ジークは、まったく無駄のないライン取りで、じわじわとリオに追いつき、そして、とうとう中腹付近で彼女を抜き去っていた。

 リオが、その並外れた運動神経を駆使して、必死にギャップを乗り越え、暴れかけるMTBを押さえつけながら疾走するのに対し、ジークは、その数メートル前から滑らかにラインを流し、少しでもギャップの抵抗が少ないコースを、正確にトレースするようにパスしていく。そのせいか、彼我の差はじわじわと放され、すでに3・4車身の差がつき始めていた。

 リオの駆るMTBは、彼女の制御に忠実に応えてくれているようで、激しくバウンドしつつも、車輪はしっかりと斜面を捉え続けている。もし、あれがノーマルのままだったとしたら、あの揺さぶられ方では、コースの半分も行かないうちにギャップに弾き飛ばされてしまっているだろう。

 その時、俺は、リオの走りにかすかな違和感を感じ始めた。周りの連中も、どうやら同じことに気付いたらしく、ざわめきの波が広がっていく。

 おかしい、リオの取るラインが、少しずつだが横に流れ始めている。ジークのラインを直線として表せば、リオのラインはそれから離れていくように、じわじわと膨らんでいく。

 ・・・・・・まさか、もうとっくの昔にコントロールできなくなっているのか!?

 そう思った瞬間、全身の血液が轟音を立てて足元へと落下した。俺は、反射的に振り向くと、斜面を見上げているマスターに駆け寄ろうとした。

「待て、クルツ」

「ア、アストラ!あのままじゃまずい!あのままじゃリオが・・・・・・!!」

「だから、神判を放棄するよう言うつもりか」

「それは・・・・・・!」

「クルツ、いつかはリオもメックを駆り、戦場に立つ日が来るだろう。それは、今日とは比較にならない過酷なものだ。いや、それよりも、今ここでリオを降ろしたとしよう。その時、あの子には何が残る。生き残ったと言う、安心感か」

「け、けどな・・・・・・!!」

「クルツ、いや、トマスン・クルツ、中心領域の戦士よ。たとえ今は虜囚の身でも、お前の中にある戦士の魂は、それが正しいと言うのか」

 わかってる。それは、わかってるつもりなんだ。けど、こんなのはないだろう!こんな終わり方なんてないだろう!!

 だが、どのみちもう間に合うことは無い。たとえここでマスターが神判の放棄を承認したところで、どうやってリオを助けに行く?ここには、そんな手段はひとつもそろっていない。もはや、リオの運命は誰にもわからない。

 アストラに肩をつかまれたまま、もう一度リオの姿を探した。そして、俺の目は、まなじりが張り裂けそうなくらい見開かれたのが、自分でも嫌になるくらいよくわかった。

 リオは、斜面から突き出た巨大な岩塊に向かって、少しもスピードを緩めず、むしろ加速さえしているようにさえ思える中、まっすぐに突っ込んでいく。

 粉々に、なる。

 俺は、声にならない叫びをあげていた。

 俺はもうどうなってもいい、だから、あの子だけは助けてくれ

 無我夢中のまま、俺はアストラの手を振り解いて、全力で駆け出していた。アストラの叫びが聞こえたが、それはどこか遠くで聞こえるラジオのように、今の自分にはまったくかかわりのない音としてしか聞こえなかった。

 そして、リオの駆るMTBは、一直線に岩塊に突き刺さり、その姿が消えた。

 その時だった、岩塊から、何かが羽ばたくように宙を駆け上がった。激突のショックで、岩陰にいた鳥が驚いて飛び出したのかと思った。けど、それは鳥ではなかった。

 全身の力で跳躍した、しなやかな黒豹を思わせる姿。そして、それは弾丸のように空中を飛翔すると、全ての障害を飛び越え、はるか先を疾走していたジークすらも置き去りにし、悠然と舞い降りてきた。

 それが、リオだと理解できたのは、MTBが自由落下に近い勢いで着地し、凄まじい衝撃音とともに、主を振り飛ばした瞬間だった。

 俺は、全身の筋肉に鞭を入れて、がむしゃらに加速をかけると、エレメンタルにでも投げ飛ばされたように、放物線を描いて吹っ飛んでいくリオを追い、地面に激突寸前のその小さな体に追いすがり、飛びかかるように突っ込んでその体を受け止めた。

 だが、不安定な姿勢で、その強烈な衝撃を受け流せるわけも無く、俺は加速のついたまま吹っ飛びながら転倒し、切削機にかけられた金属片のように地面に背中を削られていた。そして、後頭部に鈍い衝撃が伝わり、一瞬目の奥に光った火花と共に、視界がブラックアウトする。

 ・・・ツ!・・・ルツ・・・・・・クルツッッ!!

 石か何かに頭をぶつけたらしい、脳味噌の代わりに、綿を詰め込まれたような頭の中に、ぼんやりと声が聞こえる。けど、脳だけじゃない、目にも、耳にも、中身を綿に取り替えられたような、頼りない感覚しか感じない俺には、なにがどうなのかさえもはっきりしなかった。




「よー、大怪我名人。気分はどーかみゃあ」

「か、勘弁してください。せ、背中を叩くのはっ・・・・・・!!」

 病室に現れたディオーネは、入ってくるなり俺の背中をぺしぺしとはたいてくれる。いや、ほんとに冗談にならないから。痛ででっ!

「うへへ、そーかみゃあ?うちがせっかく皮膚をわけてやったってのに、それでもまだいてーかみゃあ?」

「あっ!あいてててっ!ほ、ほんとに許してくださいっっ!!」

 まるでスイカの良し悪しを吟味するかのように、お気楽に背中をはたくディオーネに、俺は必死で声を上げる。すると、こんどは、何を思ったかおもむろにアーミーパンツを脱ぎ始めた。

「ちょ、ちょっと!?」

「ほれほれ、ここん所な、こっから皮取って貼っつけたんだがや」

 パンツ丸出しをものともせず、ディオーネは両足の太ももの内側に貼られたパッドを、足を開いてしつこく俺に見せ付ける。言いたいことはわかるが、実際に見せられても困る。

「いや〜、おかげでな、歩くたんびに擦れてうっとしーだで、だぶついた奴をもらってきたでよ」

「ちょ、ちょっと!?そんなに近づけられても!!」

 ・・・よう、なんか病院での挨拶も毎度のことになっちまったな。悪いが、こんな格好で失礼するよ。

 背中の皮膚がなくなるくらい削り落としちまった俺は、ついでに地面に埋まっていた石に頭を直撃させ、そのまま人事不省になって病院に担ぎ込まれたそうだ。どうにも、神判に臨んだリオが無傷で、傍観者の俺が重傷ってのも、なんともわからないもんだ。

 え?ああ、神判の方か。・・・・・・あれは、その・・・ちと言いにくいんだが、リオの負けってことになっちまった。理由は、俺が対等の環に入っちまったから。そして、あまつさえ、リオを手助けするような事をしちまったから。ってのが、負けの理由だ。

 あれから一週間、今日、ようやく集中治療室から出て来れた。背中の皮膚移植手術の方はともかく、頭を強打したことで大事をとってのことらしかった。

 とりあえず、連絡はしておいたのだが、リオは姿を現していない。まあ、無理もないな。もしかしたら、あいつが大怪我をしたかもしれないが、同時に、あの強引なジャンプのパワーダイブで、逆転勝ちということになってかもしれないんだ。

 それを、俺がみんなぶち壊しにした。・・・まあ、無理ないな。怒るのも。いや、怒らせるだけですむかな。すまないだろうな、絶対。

「どーしただぎゃ、クルツ」

 不意に黙ってしまったから、ディオーネが少し声のトーンを落とすと、身をかがめて俺の顔を覗き込むように話しかけてきた。

「もしかして、怒ったかみゃあ」

 ・・・いや、あれで気を悪くしない奴は、滅多にないと思うが。・・・でも、そうじゃない。

「おみゃーは、にゃーんも悪くにゃーよ。おみゃーが背中ズル剥けになんのも、あのチビ介が着地失敗して地面に叩きつけられるのも、どっちも結果は同じだぎゃ。どっちに転んでも、リオの負けは動かねーだぎゃ」

「それは・・・、でも・・・・・・」

「あんまそーシケた面すんじゃねーだぎゃ。おみゃーやトラ坊はまだえーだぎゃ、うちみてーに、ケッタマシーンに詳しい訳でもねー。特に、手伝いができるわけでもねー。ただお祈りしか出来ねーってのは、どーにももどかしーもんだぎゃ。でも、とりあえず、お祈りも届いてくれたみてーだし。おみゃーが大怪我したのは予想外だけどもが、あのチビ介が無事でよかっただぎゃ」

「そ、それじゃ、姿が見えなかったのは・・・」

「ま、それがうちに出来ることだぎゃ。気にするこたぁねーでよ」

 ディオーネが、俺を慰めてくれようとしているのはわかる。でも、俺は、氏族人の誇りを土足で踏みにじった。それは、どうあっても消えない事実だ。

 その時、ことさらわざとらしい咳払いがあり、つかつかと足音を立てて、誰かが病室に入ってくる気配がした。

「クルツはいるか」

「お、ジーク。なんか、用かみゃあ」

「クルツ、貴様のしたことは間違っている」

「うちはシカトかい・・・」

 ジークか、何しに来たか知らないが、いきなりこれか・・・。

「貴様のしたことは、神聖な戦いを冒涜し、破壊した。私は、納得できない」

 ・・・だから、なんだってんだ。畜生。

「リオに伝えろ、私は、いつかもう一度、必ず神判で争うと。いかな理由であれ、完全な勝利でなければ意味がない」

「おみゃーも、たいがい難儀な奴だみゃあ」

 ディオーネのあきれ果てた言葉を無視して、ジークは、まっすぐ俺の目を見る。・・・なんて目だ。まるで猛禽類の目玉をはめ込んだみたいだ。

「リオが力をつけたその時、私は彼女に所有の神判を申し込む。所有を争われるのは、貴様だ。貴様は、リオともう一度勝負するためのアイソーラだ。その事実、しかと胸に刻め」

 ・・・俺をかけて?所有の神判?・・・訳のわからない奴とは思っていたが、ここまでくると、もはや別次元だ。俺なんかかけて、どうするつもりだ。

「リオに伝えろ、私は、奴が憎いと。私の持たざるもの全てを持つ、奴が憎いと。私は、奴のもつ全てを奪い取り、この手にする。必ず伝えろ、わかったな、人っ腹生まれ」

 言いたいだけ言うと、ジークは挨拶もなしに、さっさと病室を出て行った。・・・ったく、それにしても、なんて言い草だよ・・・。

 見ると、ディオーネは笑いをかみ殺すように肩を震わせている。

「まったく、あいつもどーしよーもねー意地っ張りだで。ほんとはリオ介がうらやましくて仕方ねーくせに、おみゃーにやつあたりなんぞしとるだぎゃ」

「・・・・・・え?」

「ふへっ、あいつな、友達をわんさか見せ付けられて、嫉妬しとるんだぎゃ。自分はリオより上のはず、それなのに、自分の周りには誰もいない。いくらプライドが高くたって、高けりゃたけーほど、あん時のこたぁ面白いわけねーだぎゃ」

 そう言うと、ディオーネは小さく肩を震わせて猫のように笑っている。むぅ・・・・・・、俺にはいまいちよくわからなかったが、女には女同士で、なにか見えるものがあるんだろうか?

「まー、このてーどならかわいーもんだで。だども、度を越すよーなら、遠慮なく潰させてもらうだけだぎゃ」

 なるほどねぇ、・・・しかしまた、潰すとはまた物騒な。

「ま、えらそーなこと抜かしとっても、ひこーきから降りたら、ただのチビ介だぎゃ。にゃーんも怖ぇーこたーねーだぎゃ」

 そう言うと、ディオーネはけらけらと無責任に笑っている。まったく、彼女にかかると、どんなことでも些細なことなんだろう。

「・・・・・・それはそーと、さっきから何が窓に当たっとるだぎゃ?虫かなんかでもいるんかいな」

 話が一段落つくと、ディオーネはうっとうしそうにつぶやきながら、病室の窓ガラスに近寄り、何の気なしに窓を開けた。

「ギィニャアァ―――――――――――ッッ!?」

 窓を開けたとたん、いきなり凄まじい悲鳴をあげたディオーネが、片目を押さえて床の上を転げまわっている。ま、まさか、蜂でもいたのか!?か、勘弁してくれ!こんな状態で襲われたら、ひとたまりも無いぞ!

「目が!目がああああああああっっ!!」

 ま、まずい!これは背中が痛いとか何とか言ってる場合じゃない!俺はその場から逃げ出そうと、痛みをこらえて死に物狂いでベッドから這い起きた。が、その時、窓の下に、大きな紙飛行機が落ちているのが見えた。

「このガキャア!そこ動くんじゃねーだぎゃああっっ!!」

 床の上を、無様に転げまわっていたディオーネが、いきなり弾かれたように跳ね起きると、怒りの形相も凄まじく窓の外を睨みつける。長い黒髪が深緑色に底光りし、ざわざわと生き物のように波打つ異様な光景に、俺は思わず自分の目を疑った。と同時に、ディオーネはその身を翻すと、いきなり窓から外へと飛び出していった。

 ・・・って、あっ!おい!ここ三階だぞ!?

『ね、姉ちゃ・・・げふぁ!!』

『わっ!わあっ!?か、堪忍じゃ!ディオーネ姉ちゃん!!』

 アストラとリオらしき悲鳴が立て続けに聞こえる。一体、下で何が起こってるんだ!?どうにか窓際までたどり着くと、ディオーネがアストラを殴り倒し、その隙に慌ててMTBにまたがったリオが、物凄い剣幕でわめき散らして追い駆けてくるディオーネから逃走を図り、弾丸のように病院の前庭を駆け抜けていく光景だった。

 ・・・そうか、この紙飛行機、リオが投げたものだったのか。俺は、その紙飛行機を拾い上げると、どうにも複雑な気分でそれをかざしてみる。それは、何度も窓にあたったらしく、先端はやや潰れていた。

 ディオーネのあの取り乱し方も気にはなったが、血らしきものはどこにも着いていなかったから、多分大丈夫だろう。そもそも、彼女の目玉が、たかだか紙飛行機程度でどうこうなるような、ヤワな代物とは思えない。

 それはそうと、この紙飛行機。なにやら、裏側に字らしきものが書き綴られている。わざわざ、こんな手の込んだ事をしてまで、何を書いて寄越したのか。正直、怖くもあったが、今、あの子が思っている気持ちを知りたい。という感情が不安を押し流し、俺は、かすかな緊張を感じながら、ゆっくりと紙飛行機をほぐしてみる。

 そこには、子供が書いたとは思えない、きっかりとした文字。ありがちの誤字脱字も一切無い、清廉とした文章。でも、文字の美しさに反して、その中身は子供らしい思いついたままに自分の言いたい事を書き連ねた物なのが微笑ましい。そう、あいつはあいつなりに、今回の事件の重さを真剣に考えたらしい。

『ありがとう、だが、友人の見舞いを済ませてからでいい』

 ・・・ん?この声は、アストラか?

「クルツ、久しぶりだな。大事なさそうでなによりだ」

「ああ、ありがとう。・・・それと、本当にすまなかった。俺が勝手な事をしたばっかりに、リオが・・・・・・」

「気にすることは無い、まさか、俺もリオがあんな思い切った事をするとは、思ってもみなかった。あの時クルツが飛び出さなければ、あの子は地面に叩きつけられておしまいになっていた。神判は、最後まで立っていることも勝利の条件だ。どのみち、あの時点でジークの勝利は動かない。リオにも、それはよく言い聞かせておいた」

「そうか・・・・・・」

 はは、姉弟そろって同じ言葉を聞かされるとはね。

「それはそうと、アストラ、ディオーネにやられたそれは、大丈夫なのか?」

 アストラの左頬には、スタンプで押したように、見事な鉄拳の跡が真っ赤に浮かんでいる。

「いつものことだ。今日はこの程度で済んで、俺は運がいい」

「そ、そうか・・・・・・」

「今回の一件、リオにとっていい経験になったはずだ。今の自分では、自らの行動に全ての責任を負う力が無い。それがわかっただけでも、今度のことは無駄ではなかったと思う」

「そう・・・か」

「とは言え、やはり学校に通わせることは、保留してはならない問題ということだ。大人に混じって生活していると、己の分や能力に錯誤が生じる。同じレベルの集団に身を置き、その中で自己研鑽を図るのが正しい道だと思う。その点については、ローク隊長やイオ司令も検討するそうだ」

「知ってたのか・・・」

「済まない、その点に関しては、俺も上官の判断任せにしていた。せめて、立場上多少でも権限のある俺が、ローク隊長なりに真剣に具申すべきだった。許すがいい」

「アストラが謝ることじゃないさ、やっぱり、なんでもかんでも問題を棚上げにするのはよくないな。必ず自分にツケが回ってくる。今回の一件でよくわかったよ」

 なんの責任も非もあるわけではないのに、真剣な表情で顔を伏せるアストラを見ていると、改めて自分のいい加減さが見にしみる。しかし、不意に、アストラは真剣な表情を浮かべると、俺の目をまっすぐに見据えてきた。

「クルツ、言っておきたいことがある」

「どうしたんだ、急に・・・・・・?」

「俺は、リオになんでも一人で抱え込むな。と言った。だが、それはクルツ、お前に対しても言いたいことではある」

 不意に、琥珀色の瞳に鋭い光を走らせると、アストラは、射抜くような視線をまっすぐに向けてくる。

「クルツ、俺にはどうしても、お前は、俺には及びもつかない何かを持っている気がしてならない。姉に視法の導きを取り戻してくれたことも、ルシエンで名誉を守るために共に戦ったことも、俺は決して忘れはしない。だが、俺とお前はトロスキンだろう。どんな些細なことでもいい、いつでも呼んでくれ。なんでも話してくれ。俺にも手伝わせてほしい」

 責めるようにも、懇願するようにも聞こえるアストラの言葉。今まで見せたことも無い、その真剣な表情に、おれは素直にうなずくしか他にできなかった。

「・・・そうだな、アストラ。ありがとう」

 そう答えると、アストラは、まるで少年のように満足そうな笑顔を見せて立ち上がった。

「時間を取らせてすまなかった。では、俺はもうひとりのトロスキンの救出に行ってくる。あの子の足なら多分逃げ切れたとは思うが、一応念のためだ」

「ああ、よろしく頼む」

「うむ、今度来るときは、ちゃんとリオも連れてくる。なにしろ、手紙で前置きをしてから、そのあと病室を訪ねようという作戦は失敗してしまったからな。やはり、戦士たるもの、まわりくどい真似はいかん。今度は、正々堂々と正面から来よう」

「わかった。楽しみに待ってるからと、リオに伝えてくれ」

「わかった、任せるといい」

 そう言うと、アストラは一礼して病室を立ち去っていった。・・・・・・お?なにやら待ち構えていたらしい看護婦に捕まったようだな。

 それにしても、俺もこんな世界でよく今までやってきたもんだ。もし、これがノヴァキャットでなかったら、とっくの昔に脱走してたかもしれない。

 ただ上ばかり見上げていちゃ、わからないものがたくさんある。リオにも、そして俺にも。自分の周りを見てみれば、こんなにも強く輝き、導きの光を投げかけている星があるじゃないか。

 そういや、考えてみれば、こうしてひとりで病室にいるってのも初めてだな。よし、誰も戻ってこないうちに、とっとと寝ちまおう。それがいい、うん。




地上の星(後)



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