地上の星(前)



「ク、クルツ、お、お願いがあるんじゃ」

「なんだよ、改まって?」

「そ、・・・その、あの・・・」

 いつものようになんの代わり映えもない一日が終わり、居室でのんびりとしていた俺に、なにやら思いつめたような表情で、リオがおずおずと話しかけてきた。

 まあ、大体の見当はつく。もうすぐ俺の給料日だからな、きっと何か欲しいものがあるんで、これをチャンスと見込んでのことだろう。

「とりあえず、言ってみ」

「う、うん・・・・・・。あの、実は、自転車を買うてほしいんじゃ」

「自転車?おまえ、自分でモペットを直して乗り回してるじゃないか。やっぱりぶっ壊れたのか?あのポンコツは」

「ち、ちゃうわい!・・・・・・あ、その、ど、どうしても必要なんじゃ」

「なんで?」

「う・・・そ、それは、その・・・・・・」

 さて、これまたこのお姫様は、ずいぶん奇妙な事を言い出したもんだ。この間、ジャンクパーツ置き場に打ち捨てられていたモペットを拾ってきて、何をするのかと思っていたら、やはりジャンクパーツをあちこちからかき集めてきて、すっかりレストアして乗り回している。

 エンジンつきの自家用車があるってのに、どうしてまた、わざわざ自転車なんか・・・?

「まあいいさ、で、どんな奴だ?」

「う、うん、あの、多段ギアとサスペンションダンパーのついとる、ごっついやつなんじゃけど・・・」

「MTBのことか?どうすんだ、そんなの?エンデューロでも始めるのか」

「そ、それは、その・・・・・・」

 俺の質問に、リオは観念した表情で、とんでもない事を打ち明けてくれた。

「また神判か!?お前はどうしてこうも血の気が多いんだ!」

「じゃ、じゃけん!あんなこと言われて、黙ってられんわい!」

「このストラバグ!もう少し腹の中で考えてから行動したって遅くないと、いつも言ってるだろ!大体お前、その調子でこないだシブコのガキ共相手に、不服の神判とかいって乱闘おっぱじめて!おかげで、俺は病院送りにされたガキ共の教官に、今でも睨まれてんだぞ!その辺りの事をもう少し考えて動いてくれ!」

「じゃ、じゃけん!」

「じゃけんもなにもあるか!よりによって今度は気圏戦闘機乗りにだと!?毎度毎度地雷原を全力疾走するような真似ばかりして!今度こそ死ぬぞ!」

「せ、戦士が死ぬのを怖がってどうするんじゃい!」

「お前にもしものことがあったら、俺がクラスターの連中にぶっ殺されるんだよ!」

「う・・・・・・!」

「・・・まあいい。今のは言い過ぎた。とにかく、事情を話してくれ。それがわからんことには、どうにも手の打ちようがない」

 とりあえず、ここはいったん、お互い頭を冷やしてからにしたほうがよさそうだ。部屋の隅に置いた小型冷蔵庫から冷やしたジュースを取って、リオと俺の前に置いた。

「まあ、飲めよ。・・・で?同じこと聞くけどもが、なんでまたこんなことに?」

「う、うん・・・」

 少しは落ち着いてきたのか、リオは神妙な顔をして居住まいを正すと、今日あった事をぽつぽつと話し始めた。

 どうやらこのおチビさん、気圏戦闘機乗りとひと悶着おこしてきたようだ。その気圏戦闘機乗り、ジークと言う奴らしいが、俺も噂程度は小耳に挟んだことがある。冷静沈着を通り越して、冷血無感情。人と言うより、まるで気圏戦闘機のアビオニクスの一部のようなパイロットだと聞いている。

 なんでまた、そんな奴と、ある意味正反対の性格をしているリオが接点を持ったか知らないが、ともかく、そのジークの言うことには、地面を這いずり回るだけの、鈍重な人形風情呼ばわりされた。というのが大まかな内容だった。

 まあ、確かに音速を超えた世界で戦う連中にしてみれば、メックなんてその程度かもしれないが、なにも子供相手にそこまで言うか。ってのも正直なところだ。しかし、リオ自身のメック戦士に対する思いとその努力は、そこいら辺のシブコのガキ共に勝るとも劣らないものを積み重ねている。

 いったいどんな経緯でそういうことになったかは、リオの説明だけでは細かい所まで知ることは出来ない。それでも、一番大切にしているものをいたく傷つけられたと言うことは、十分理解できた。

「・・・・・・なるほどなぁ。でもな、悔しいのもわからんこたぁないが、メック戦士にはメック戦士の、気圏戦闘機乗りには気圏戦闘機乗りの本分ってもんがあるんだ。どっちが優れてるとかどっちが劣ってるとか、そういった問題じゃないだろ。そんなことでいちいち腹立てていたら、そのうち全兵科同士で神判のバトルロイヤルだぞ」

「そ、それはそうじゃけど・・・・・・」

 不承不承ながらもうなずくリオに、俺は諦めにも似た気持ちで小さくため息をつく。しかし、どうにも腑に落ちない。

 いくらこのチビ介が、ダイレクト極まりない性格をしているからと言って、この程度で戦士階級の人間にケンカを売るものだろうか。兵科が違うとは言えど、気圏戦闘機乗りも、立派な戦士に違いは無い。

 どうにもその辺りがひっかかる、これだけの話じゃ済まないような気がする。少し気は引けたが、少し探りを入れた方がよさそうだ。大体、干渉が怖くて保護者などやってられない。




 ・・・・・・なんてこった。

 10数分後、俺は、グズグズと鼻を鳴らしてうつむいているリオを前に、改めて途方にくれてしまった。やはり、メックやメック戦士をどうこう言われただけの話じゃなかった。

シブコにも加われず、学校にも行けず、子供としてするべきこともせず、貧民層の子供のように働くしかできない。そして、それを放って何もしない、無能な連中。ってのが、俺やクラスターの皆のことだ。そう、言われたらしい。

 原因は、俺だ。

 リオは、今の所、形の上ではボンズマンと言う扱いになっている。しかし、知っての通り、リオはまだ10かそこらの子供だ。と言うことは、本来ならば、この年の子供と言うのは、学校に相当する機関に通っていなければおかしい。

 当然、リオはノヴァキャットのシブコ達と混じって、その教育隊に入ることなど実質上不可能だ。しかし、市民階級の子弟達が通う学校に通わせるとしても、それはそれで微妙な問題が付きまとう。

 なにしろ、この子は、ノヴァキャットの中で潜在的な禁忌とされている、スモークジャガーの生き残りだ。そして、リオ自身も、それを隠したりごまかしたりなどと言う真似は、一切しないしする気も持ち合わせてはいない。

 となると、どこへ行こうと、厄介な問題や軋轢を生み出すことは、もはや火を見るよりも明らかだ。

 結局、俺みたいな一介のボンズマンが考えることではない。と、マスターやスターコーネル・イオのような直属の上官に一切を丸投げしてしまい、そのままずるずると保留し続けてしまったのが、そもそもの原因になってしまったって訳だ。

 せめて、その穴埋めにと、仕事が終わった後、リオのレベルにあった内容の勉強を見てやっていたが、それで済む問題でもないのは、少し考えればすぐわかることだ。もしかしたら、あの時のシブコ達との悶着も、その辺りが原因だったのだろう。

「・・・・・・すまない、リオ。俺がいい加減だったばっかりに、悔しい思いをさせちまったな。本当に、悪かった」

「・・・・・・ヒック、く、クルツが悪いんじゃないわいっ・・・ヒック、あ、あいつには関係ないことなのに、・・・ヒック、く、クルツやクラスターのみんなをコケにしたから、絶対に許せなかったんじゃい!」

 天におわすスモークジャガーの英霊達に畏みもうまおす。貴方達が命がけで守ろうとした誇り高き精神は、なおも滅ぶことなくこの小さな少女に宿りしけり。願わくば、この誇り高き小さな戦士に、御加護を賜らんことを。

「・・・・・・とにかく、ほら、そろそろ機嫌を直せ。ほら、今日は特別だ、チョコバー、食ってもいいから」

「・・・ほんまに?・・・でも、夜に甘いもん食うなって・・・・・・」

「いいんだよ。言ったろ、今日は、特別だ」

「う、うん、おおきに・・・・・・」

 リオは、グシグシと顔を拭うと、冷蔵庫の中からチョコバーのパックを取りに、おずおずと立ち上がった。そして、俺は、容易ならざる事態に頭を抱える。

 さてさて、これは本当に弱ったぞ・・・・・・。

 別に、自転車一台買ってやる事はたやすい。そんなものは、ミキに連絡を一本入れれば済むことだ。そうすれば、良心的な値段で高品質のブツが選り取り見取りで手に入る。

「とは言えなぁ・・・、さて、どうしたものか・・・・・・」

 しかし、そうしてしまったあとに起こる必然的な結果と、それに伴う災厄を考えたら、どうしても次の言葉が出てこない。

 ・・・え?なに言ってんだよ。俺のことはどうでもいいさ、いざとなったら、どうとでも切り抜ける自身はある。それよりも、リオのことだ。

 彼女が神判として望むことになったのは、『ダウンヒル』と呼ばれる、自転車競技の一種だ。どんなものかと言えば、早い話、山の上まで登っていって、そこからガタゴト道を全速力で駆け下りると言う、どうにも危険極まりないものだ。

 なぜにダウンヒルかといえば、気圏戦闘機乗りたちの間で、陸上トレーニングのひとつとして、ちょっとした流行になっているからだ。山肌を高速で駆け下りることで、とっさの判断力と動体視力を養うには、もってこいだと言う話を聞いたことがある。

 もちろん、まったく人の手を加えられていない山の斜面を駆け降りるわけだから、一歩間違えば大事故に直結し、最悪、首の骨を折ってはいそれまでよ、と言う洒落にならない事態も珍しくない。実際、先だって、それで使いものにならなくなった気圏戦闘機乗りの話を聞いたばかりだ。

 当然、リオはダウンヒルなんて一回もしたことはないし、自転車らしい自転車も乗ったことなどない。最近モペットを乗り回しちゃいるが、あんなのはモーターボートとカヌーほどの差がある。

 それに、形式上はスポーツ競技とは言え、命に係わる要素を多分に含んでいるだけ、ある意味、本格的な神判だといえなくも無い。当然、リオはそう言った類の経験など、一度も無い。

 今まであいつがやらかした神判は、市民階級の連中が、もめごとの調停に持ち出すものと、ある意味同レベルだ。いまさら、付け焼刃でどうこうなるだろうか・・・・・・ならないだろうな、さて、本当に弱ったぞ・・・・・・。

「クルツ、入るぞ」

 その時、手に包みを抱えたアストラが、俺の居室を訪れてきた。

「どうした、2人とも。ずいぶん深刻そうな顔をしているな、俺でよければ力になりたい」

「アストラ・・・、すまないな、せっかく来てくれたのに。つまんないとこ見せて」

「気にするな、俺とお前はトロスキンだろう、そんな遠慮は無用のものだ」

 アストラは、鷹揚にうなずきながらも、腰を下ろして話の輪に加わる。

「そういえば、今日の昼ごろ、リオがジークとなにかもめていたようだが・・・・・・。もしかして、その時のことか」

「ああ、そんなとこだ」

「そうか・・・・・・」

 俺は、リオから聞いた話をかいつまんでアストラに説明し、アストラもまた、終始真剣な表情でそれに耳を傾けていた。

「そうか・・・、なるほど、大体の事情は飲み込めた。しかし、クルツよ。一度神判の契約を交わしてしまった以上、それを放棄することは許されない。無慈悲な事を言うかもしれんが、これはこの世界において動かせない戒律のようなものだ」

「ああ、それはわかってる。やっぱり、そうするしかないんだろうな」

「うむ。それと、リオにも言っておかねばならんことがある。リオは少し思慮にかけるきらいがある。勇敢な精神は大いに結構だが、使いどころを誤れば、それは敢闘精神ではなく、ただの無分別だ。リオも、その加減を考えて行動したほうがいい。俺は、そう思う。

 ・・・・・・だが、譲れないものを守ろうとした心意気は、賞賛の極みだ。しかし、ひとりで抱え込む前に、クルツや俺達に一言話して欲しい。そのためのトロスキンではないか」

 さすがに、現役戦士からの諫言は、さすがのリオにも堪えたらしい。後ろの尻尾と一緒に、しゅんとうなだれている。

「まあいい、終わってしまった事をどうこう言っても始まらない。大事なのは、これからどうするかを考えることだ。同じ悩むなら、最善の対策を練る方向に使った方が、よほど有意義と言えるものだ。それより、姉から菓子を預かってきた。新しい趣向を試してみたので、ぜひ試食してくれとの事だ」

 沈みかけていた空気を追い払うかのように、巧みに話題を変えたアストラは、傍らに置いた包みから、皿の上に丁寧に盛り付けたウィロー・プディングを広げた。

 それにしても、いつ見ても見事なできばえだ。その瑞々しさといい、ほんのり香る甘い香りといい、その柔らかな弾力を感じさせるプディングは、ドラコの和菓子職人が本気で悔しがりそうなできばえだ。

 それに、盛り付けのセンスもいい。無意味な事を嫌う氏族人だが、プディングの上に、爽やかな香りを漂わせる小さなハーブの葉が、洒落たアクセントとして添えられている。

 ともかく、超破壊的な行動パターンをデフォルトプログラムされたような女性が、これを作ったと言うこと自体、世の中は本当に驚きに満ちている。まあ、人はうわべだけじゃわからん。と、言うことだろうな。

「ともかく、自転車を入手する必要があるだろう。俺の持っている余剰パーツを提供したい所だが、どれもリオのサイズには大き過ぎるのが痛い。自転車は、体格に対して大き過ぎても小さ過ぎても事故につながる」

「そうだな、それは俺も考えていたよ。・・・けどまあ、ディオーネも、また一段と腕を上げたもんだな。なんだか、こんなむさくるしい部屋で食うのが、もったいないと言うか申し訳ないというか・・・・・・。

そうだ、こんど部屋をタタミ・カーペットに変えてみるかな。そうすりゃ、今度またおすそ分けがあったとき、いい感じで食べられそうだ」

「うむ、いいかもしれん。ローク隊長や姉もそうしているからな。すぐに許可は下りるだろう」

「え、そうなのか」

「ああ、ローク隊長は気楽にくつろげると言っているし、姉は瞑想を組むにはもってこいだと言っている。あの2人、ずいぶんドラコの文化が気に入ったようだ」

 ・・・・・・へえ、なるほどねぇ。

「そうだ、忘れないうちにこれを返しておこう。この間借りた、対人交渉術シミュレーションソフトだが、なかなか面白かった。噂には聞いていたが、中心領域の人間は、気持ちひとつ伝えるにも、実にじっくり時間をかけるものなのだな。

しかし、ドラコ連合とも接触が増えた今のご時世だ。こういったもので中心領域人の心理を勉強するのも、悪くない」

「なるほど。で、一番のお気に入りは?」

「サキ・ニシノだ、あのひたむきさがいい。彼女の為なら、喜んで死地にも臨めよう」

 なるほど、さすがアストラらしい答えだな。まあ、予想はしてたけど。

「ただ、シオリ・フジサカは、どうも昔の姉を思い出すから、若干抵抗があったが」

 ・・・え?ディオーネが?・・・・・・嘘だろ。ありゃ、典型的な優等生キャラだぞ・・・?

「それより、このゲー・・・あいや、シミュレーションは、続編もあるんだが、借りていくか?」

「それは本当か!?ならば感謝の極み!!」

「ははは、そう大げさなもんでもないさ。・・・確か、こっちのラックにしまっておいたはず・・・だけどな。お、あったあった」

「重ね重ねすまない。しかし、ドラコと言うのは恐ろしい所だ。これだけの心理分析シミュレーションを、一般流通で市販しているのだからな。これはやはり、日常生活においても、有事に備えた態勢作りを怠らない。ということだろう。なるほど、ルシエン会戦でのあの強さも、それなら納得できる」

「まあ、そうかもしれないな」

 ・・・・・・そりゃ考えすぎだろう。単なるサブカルチャーとドラコの強さは、あまり関係ないと思うぞ。まあ、いらんこと言う必要もないけどな。アストラが楽しんでいるなら、それはそれでなによりさね。

「のう、さっきから2人でなに話とるんじゃ?」

 ・・・まったく、泣いてたカラスがなんとやら。チョコバーやディオーネ謹製のプディングという、夜のケーキタイムにすっかり機嫌を良くしている。まあ、それはそれで一安心だが・・・・・・。

 ともかく、俺達のやり取りを不思議そうに眺めていたリオは、もっくらもっくらと、口の中にものを詰め込んだまま話しかけてくる。氏族人とは言え、女の子がなんとも風情のないことだ。今度、『ケレンスキー様がみてる』でも読ませてみようか。女性シブコ達の実態を、深く鋭くえぐった名作もとい迷作だぞ。

『戦士たるもの、身だしなみはいつもきちんとね。ケレンスキー様が見てらっしゃるわよ』

ってなもんだ。




 あれから数日後、『必ず間に合わせてみせる、金剛鮫の名にかけて!』という、意味はよくわからないが、妙に頼もしいミキの言葉どおり、当日の3日前に宅配の荷物が到着した。俺達はさっそく、リオにあわせたセッティングをアストラに依頼することになった。

「・・・なるほど、タチバナ・レーシングコーポレーションのマルチプルモデル『サイクロン』か・・・。せっかくだったから、俺も注文すればよかったな」

「・・・でも、どうせならオートシフトチェンジつきの『バトルホッパー』が良かったんじゃないか?素人には、ハードの助けがあってもいいんじゃないかと思ったんだが・・・」

「いや、駄目だ。最初からそれでは、ライディングに悪い癖がつく。そして、それは半永久的に直らん。バトルホッパーのようなタイプは、ある程度MTBに通じた者が、コンマ秒でタイムと戦うためのものだ。オールラウンドに、しかも基礎をしっかり身に着けるなら、基礎設計は古くとも、マニュアルタイプの方がいい」

「そうか・・・。まあ、アストラがそう言うなら、その通りなんだろうな」

「うむ、信頼してくれていい」

 ・・・むむぅ、凄い自信だな。まあ、それも無理はないだろう。自転車を走らせたら、アストラの右に出るものは、このイレースにはいない。技術的なもの云々それ以前に、愛用のMTBでジープを追い抜く様を目の当たりにしたら、余計な口を挟む気はなくなる。

「リオ、あと一周、走ってみてくれ」

「う、うん!」

 リオをMTBに乗せ、俺達はリオが自転車をこぐ様子を事細かに観察する。特に、アストラは、リオにもっとも最適なセッティングを思索中らしく、その目は真剣そのものだ。

「・・・どうだ、アストラ」

「ああ、もう大体わかった。セッティングの方針も、これで決まった」

「そうか、なら、さっそく作業にかかるか」

「そうだな。クルツ、いつもメックでは世話になっている分、ここで恩を返そう。あのサイクロン、最高のマシンにしてみせる」

「ああ、頼りにしてる。・・・リオ!戻ってきな!一服したあと、セッティングをするから!」

「わ、わかったけーん!」

 ははは、尻尾をなびかせながらやってくるよ。どうにも、あの格好を見てると、状況が深刻な事を忘れちまう。でもまあ、アストラの言うとおり、過ぎたことをくどくど後悔するより、最善の対策を考えるために動いていたほうが、確かにマシってもんさね。




 あれから丸一日かけて、俺達はリオのMTBのセッティングに費やした。アストラは、リオの走りを見て、そのクセを全て頭に入れてしまったらしい。

 そして、その走りのクセの短所を補い、長所をより引き伸ばすため、俺みたいな素人にはよくわからなかったが、タイヤの種類やギア比、サスペンションオイルの粘度からダンパースプリングの硬度。はては、チェーンや可動部のベアリングに至るまで、フレーム以外、元の部品がほとんどなくなるほどの、まさに大改造と言ってもいいくらいの作業だった。

 そして、アストラが持てる知識と技術を総動員し、セッティングとチューンを施したサイクロンをリオに引き渡すと、今日はいよいよ慣熟走行をかねて遠出をすることになった。

 それにしても、2人とも凄いペースだな。俺はスクーターで追っかけてるが、それでも置いていかれそうになる。アストラはともかくとして、リオは一体どういうことだ?

 まったく、初めてのことでも、少しコツをつかめばいっぱしにこなしちまう。さすがにトゥルーボーンって言ったところかね。まるでDESTの隊員みたいなオールラウンドぶりだよ。

 そんな事を考えながら、軽快そのものの走りを見せる2人の後ろを走っていると、不意に、先頭を走っていたアストラが、何かを見つけたように停止した。

「どうした、アストラ」

「ああ、いい斜面がある。リオ、ちょうどいい機会だ。ダウンヒルというものがどういったものか、少し手本を見せよう」

「え?う、うん」

「よし、では行ってくる。ここで見ていてくれ」

「わ、わかったけん」

 そういい残すと、アストラは再びMTBを駆ると、まるで山猫のような俊敏さでMTBを駆り、あっという間に斜面の頂上まで駆け上った。

「ぶ、ぶち凄いのう、アストラ兄ちゃん」

「そうだな。お、始まるぞ」

 山の頂上で、豆粒ほどの大きさに見えるアストラが、地面を蹴ると同時に、斜面に向かって駆け出した。そして、スタートダッシュで最加速に乗ったと同時に、どう見ても安定性には程遠い斜面の岩肌を、まるで滑走するように駆け下りてくる。

 下半身のバネを利用し、巧みに重心の調整を繰り返しながら、今にも振り落とされそうな激しい衝撃をうまく逃がしている。そして、コースの二手三手先を読むように、自然な流れで段差や障害物をすり抜けるように疾走する。

 その走りは、熟達した者だけが持つ、一種の芸術的な気迫さえ感じさせる。ふと見ると、隣にいるリオも、アストラのその姿に、瞬きを忘れて見入っている。

「あっっ!?」

 その時、リオが突然大声を上げた。その理由はすぐにわかった。アストラの進行方向に、メックの頭部ほどもある岩が行く手をさえぎっていた。

「あ、危ないっっ!!」

 心底うろたえた叫びを上げながら、リオが思わず身を浮かせた瞬間、アストラはとっさに前輪を跳ね上げて、ウイリー走行の要領で岩を捕らえると、スピードをまったく殺すことなく、重心移動とサスペンションの弾力を使い、岩をジャンプ台に見立てて高々と宙を舞った。

 そして、数メートルほど滑空したあと、アストラはMTBに覆いかぶさるように重心を均等に散らすと、不安定な地面をしっかり前後のタイヤに食いつかせ、そのまま何事もなかったかのように猛スピードで滑走を再開していた。

 リオは、その一部始終を見て、呆然としている。確かに、アストラの技術的なものも凄かったが、ダウンヒルの、その想像以上の激しさに少なくない驚きを感じたようだ。

「・・・あ、あんなん、うちにできるんじゃろうか・・・・・・」

 やっとのことで口をついた言葉は、リオには似つかわしくもない、弱気なものだった。・・・・・・意地の悪い言い方かもしれないが、アストラの実演で、自分がこれから挑もうとしているものが、どれだけ高度な技術が必要なものであり、かつ危険なものかと言うことを、ようやく悟ったようだ。

 多分、アストラもそれに気付かせるつもりだったんだろう。こればかりは、知らなくても何とかなるとかいう問題じゃない。一瞬の不注意が、即、大事故につながり、最悪の場合、それはそいつの人生に幕を引きかねないものだ。

 それに、最後のジャンプはともかくとして、石くれや軟弱な土で作られた斜面を、オートバイ並みのスピードで、しかも完璧に走破するなんて、昨日今日ダウンヒルに挑戦する人間が出来る芸当じゃない。

 完全に言葉を失っているリオに、なにか声をかけてやりたくても、かける言葉が見つからない。俺みたいな素人が、何を言ったって気休めにもならない。そうこうしているうちに、何事も無かったかのように戻ってきたアストラが、すっかり放心しきった表情のリオに話しかけた。

「どうだったろう、やや雑ではあったが、だいたいああいった感じだ。ダウンヒルは、ただ茫洋と斜面を降りてくれば良いというものではない。全身をつかっての重心移動と、二手三手先を読むコース取りが重要になる。リオの場合、スピードや素早い状況判断は、この際考えなくてもいい。

 とにかく、重心の使い方を覚えて、確実に走破できるようにすることが先決だ。・・・こう言ってしまっては、戦士としての誇りを傷つけることになるかもしれん。だが、今回の神判、勝つことよりも無事に生きて帰ることを考えろ。

 鍛錬を積んだもので、勝ちを狙わないのは間違ったことだが、まったくなんの経験もないことで敗れても、それは恥ではない。もしそれで二度と使い物にならなくなってしまったら、それこそ完全な敗北と了解してくれ。

 勝つことが全てではないし、負けることが必ずしも恥な訳ではない。次のステップに進むための敗北もある。俺は今言った事を強制するつもりはない。だが、リオはまだ幼いが、大切なことが何かもわからないほど愚かとは思わない。それだけだ」

 アストラの言葉に、真剣に聞き入っていたリオだったが、そのエメラルド色の瞳には、固い決意をみなぎらせてアストラを見上げた。

「うん、わかった。・・・じゃけん、うちはどんな時でも全力を尽くす。あの時、ああしときゃよかったなんて、後悔すんのは絶対嫌じゃ」

「・・・そうか。しかし、それでいい。最善を尽くせ、リオ」

「うん!ありがとう!アストラ兄ちゃん!」

 ・・・確かに、アストラの言うことも、リオの言うことも否定する根拠はどこにもない。俺が出来ることは、すべてやりつくした。

 トーテム・ノヴァキャット、セント・サンドラ、セント・ジェローム。そして、天にありしスモークジャガーの英霊達。どうか、この少女に御加護を賜らんことを。




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