君の願いは(後)



「起きたかみゃあ、大将」

 朝、のっけから奇妙な挨拶で目を覚ますと、そこには、ディオーネの姿があった。昨日の深酒で、目玉が不愉快に重い・・・・・・。

「・・・どうして、ここに?」

「どーしてもなにも、あのポンコツのレストアはどうするんだぎゃ?おみゃーが直さんかったら、ありゃいつまでもガラクタのまんまだぎゃ」

「わ・・・わかりました」

 そうだった、最近ようやく仕事が落ち着いてきたのを機会に、2年前からジャンクパーツ置き場の片隅で眠ったままになっていたローカストをレストアしてたんだ。

 数年前のように、SLDFと微妙なにらみ合いが続いていた時ならともかく、ドラコと同盟を果たした今では、当面の強敵は減ったことになる。まあ、もっとも、そのおかげで他の氏族連中から恨みを買う羽目になったんだけどな。

 いわゆる、『ノヴァキャットの放棄』と呼ばれたあの戦い。あれは、今思い出しても酷いものだった。

 侵攻派・守護派問わず、ほとんどの氏族が中心領域の星系へと向かう船団に、その容赦のない牙を向いてきた。だが、スノゥレイヴン・ダイヤモンドシャーク両氏族の助けで、半分以上の人命と財産を失いながらも、どうにか全滅を免れてイレースにたどり着く事が出来た。

 これが去年までの話で、それ以降は戦闘らしい戦闘はないものの、備えを固めておくに越したことはない。ということで、旧式メックのレストアと改修は、俺の所属しているクラスターのみならず、ノヴァキャット氏族全体の急務事項に認定されている。だから、ここ最近は戦闘がない代わりに、今までだましだまし使用されていたようなメックも、オーバーホールと強化改修の対象になったって訳だ。

 ・・・え?ああ、クラスターってのは、中心領域の軍事編成で言えば、大隊とかそのあたりになるもんさな。

 ともかく、スターコーネル・イオ閣下直々のお達しとあらば、頑張らない訳にはいかない。同じ命令されるにしたって、おっさんより美人上司に命令されれば、数倍力が入るってもんだ。

 ・・・え?おいおい、そう言うなよ、お前さんだって覚えがあるだろ?

 2年前、ルシエンで起きたテロに巻き込まれながらも、ディオーネの神がかり的活躍によって捕獲し、所有権を主張して持って帰ってきたローカストは、消し炭同然になったコクピット回りを何とか載せ換えたまではよかったが、うちの部隊はそれほど優遇されてる部隊じゃなかったんで、IICタイプに改造するだけの物資はまわってこなんだよ。

 まあ、お前さんも今まであれこれ見聞きしてきて、薄々感づいてるかもわからんけど、このクラスターは、どうも変わり者とかクセの強い連中をかき集めて置いてある部隊らしい。そして、何か事があれば公式非公式を問わず、真っ先に最前線に放り込まれる、まるで懲罰部隊みたいな任務をおおせつかることが多い。


 覚えてるか?結構前の話だが、ディオーネがスランプになった時、ドラコの連中とちょっとした小競り合いをしたことがあったろ?あれなんて、もしコムスター辺りに嗅ぎつけられたら、神判の契約を破ったとかで、あのいけ好かない、白装束の眼帯親父が何を言ってくるかわかったもんじゃない。まあ、そんなのはどうでもいいことだがね。

 とにかく、こき使われるわりにゃあ、物は回ってこないって変な所だ。だから、IICアップデートは無理にしても、出来るだけのことをするしかない。まあ、1V型とは言え、ローカスト自身は元々素性のいいメックだから、特に苦労はしないと思うけどな。

「せっかくふたりでとっ捕まえた奴だぎゃ、直して使えるんなら、直すに越したこたぁねーだぎゃ?」

「そうですね、わかりました」

 俺は、昨晩のやけ酒でドラムロールを響かせる頭をなだめすかしながら、ディオーネに促されるままにハンガーに向かった。




 昨日、あれだけみっともない姿を見せたって言うのに、誰もそれを気にした様子もなく、いつも通りに接してくれていた。みんながこれだけ気を使ってくれていることで、あの時の俺が、どれだけ大人気ない真似をしたのかを思い知らされちまう。

「だいぶこのポンコツもさまになってきただぎゃ?あとは、ハッチの代わりを見つけてくりゃ、完成したもどーぜんだぎゃ」

「そうですね、あとはソフトウェアもなるべく新しいものに更新して、各部ハードの認識をチェックするだけですか」

 あの時、ディオーネがおしゃかにしてしまったコクピットユニットの修理も終わり、この300年以上前の星間連盟華やかりし頃の遺物は、少しずつその力を取り戻して行く。いいね、こうやってひとつずつパーツを蘇らせていくってのは。

 それにしても、こいつを捕獲した本人であるディオーネが、自分の戦利品であるとして、頑として所有権を譲らず、所有の神判騒ぎにまで発展してしまったが、結局彼女が勝利し、自分の乗機を2機も持つと言う、なんとも贅沢な話になった。

 ノヴァキャットとローカスト、まるで、スポーツカーをしまった車庫の中に、さらにレーサーレプリカ・バイクまで並べているようなもんだ。いいのかね、そんな豪勢な話で。まあ、神判の結果は絶対だし、これはこれでいいんだろうな。

 それにしても、俺の知り合いってのは、本当にケンカの達者な連中ぞろいだよ。

「・・・まったく、おみゃーは機械をいじくりまわしとる時は、どえりゃー幸せそうだみゃあ?ほんとに、変わりもんだぎゃ」

 別に手伝ってくれるわけでもなく、作業の手を動かす俺の周りをうろうろしながら、ディオーネがあきれたようにぼやいている。確かに、俺は他の連中のように、戦士階級に抜擢されるための自主トレや特練なんて、一度も参加したことはない。まあ早い話、俺は別にこのままでいいと思ってる。戦士階級とかには、あまり興味がない。

 もっとも、そういった考えは、氏族人から見りゃ、確かに変としか言えないだろうな。けれどもが、いくらこの社会に馴染んだからと言ったって、俺自身の根本的なものが変わるわけじゃない。だから、俺はいつまでもボンズマンのままなんだがね。

「にしてもまー、もったいねーと言うか、おみゃーも少し本気をだしゃー、そこいらのキャ二スター生まれなんぞ相手にもならんっちゅーのに。一体何を遠慮してるんかみゃあ」

「まあ、逃げ足なら誰にも負けない自信はありますね」

「ほいじゃ、うちから逃げられるかどーか、試してみるかみゃあ?」

「それなら、気合を入れて走らないと駄目ですね」

「このたーけが、そー言う問題じゃねーだぎゃ」

 ディオーネは、ローカストの足に寄っかかりながら、面白くなさそうな表情を浮かべている。むう、なにがよくなかったのやら。

「ま、だからロークの奴も、おみゃーさんの好きにさせてるんだろーけどもが」

 さてさて、これはまた妙な雰囲気になってきた。いったい俺のことをどう見ているかは知らないが、俺はなんの変り映えもしない男だよ。




 昼飯を持ってきてやるから待ってろ。と言う、メックウォーリアー・ディオーネ様のもったいないお言葉に甘え、俺はコーヒーを沸かしながら、携帯型のトライビットでも見ようかと私物を入れた引き出しをあさる。

 そういえば、かすかに残る記憶で、確かあのチビ介に渡した荷物の中に、肝心のブツを押し込んだ覚えがある。・・・まあ、旅先でも情報は必要だろうし、あれは連中にとって手土産代わりにもなるだろう。それに、実はもうひとつ予備がある。まったく問題なしだ。

「さて、世界情勢は、と・・・」

 トライビットをテーブル代わりの作業台の上に置き、チャンネルを入力する。実は、こいつは中心領域製のものだから、氏族社会じゃコードに引っかかるような放送も、余裕で受信してくれる。だから、これで、ここじゃ規制コードに引っかかって見られないような情報配信だってお手の物だ。さて、ディオーネ姐さんが帰ってくるまで、ゆっくりトラビ鑑賞と行きましょうかね。

 ・・・・・・なんてこった

 俺は、トライビットの画面に映る、その予想外の映像に、マグカップを持つ手が凍りついた。

 フリーのジャーナリストと思しき連中が、みるからにヤバそうな戦士らしき集団に、家畜のように一所に追い立てられている。その、まさに盗賊のような荒んだなりをした連中は、彼らに対し、ひとかけらの慈悲も持ち合わせていない様子で、まるで、土嚢か何かのように、彼らを無造作に突き飛ばし、蹴りたてている。

 恐怖にひきつった悲鳴とともに、突然画面が傾き、激しくバウンドするように画像が揺れた。そして、つい数瞬前までそのカメラを持っていたであろう男が、命乞いの悲鳴とともに引きずられ、ゴミ袋か何かのように地面に放り投げられる光景を、まるでカメラが見送るように映し出されている。

 その男だけじゃない

 全員が、一様に蒼白な表情で、懸命に命乞いと慈悲を叫び続けている。しかし、連中の、彼らに対する答えは、その手に握られていたマシェットを、次々と彼らの頚椎に振り下ろすことだった。

 まるで、シャンパンのコルクのように無造作に頭が飛び、噴水のように鮮血が吹き上げる。次々と、次々と。連中は、一体何が気に入らなかったか知らないが、泣き叫ぶクルー達を、それこそ男も女も関係なく、無造作にその首を刎ねていく。

 一体なんなんだ、この連中は!?

 俺は、とり憑かれたように画面に視線を釘付けにされる。・・・そういえば、この連中、話し言葉に、かすかにだがダヴィオン訛りがある。そして、この虐殺者達の身に着けているジャンプスーツやジャケットに縫い付けられている紋章。

 大型猫科肉食獣の頭蓋骨をあしらったエンブレム。その白い頭蓋骨から生えた、ひときわ目立つアクセントの金色の牙。

 ・・・まさか、こいつら、『ダーク』か!?

 確か、この間もコムスター経由の配信を閲覧したとき、小さくではあるが扱われていたのを見た記憶がある。だが、その時は、単なる落ち武者として、暗礁宙域でひっそり逃亡生活をしている連中、といった印象しかなかった。

 だが、今ここに映っている連中は、一体何の真似だ!?・・・いや、別に不思議でもなんでもない。こいつらダーク、いやさスモークジャガーの連中だとしたら、ダヴィオンに対して並々ならぬ憎悪を持っているということぐらい、あの大拒絶の経緯を知っていれば簡単に見当がつく。

 だからといって、だからといって、こんな馬鹿な真似を!?

 別に、こんな光景を見るのは初めてじゃない。こんな世界で生きていれば、こういった場面の一つや二つ、お目にかかる機会はいくらでもある。けれども、俺は、あいつの顔が浮かび上がり、それを押しやる事ができなかった。

「くそったれ!なんてこった!」

 俺は、システムの検査用に使っている端末に飛びつくと、キーが悲鳴じみたタップ音を上げるのも構わず、とにかくキーボードを叩き続けた。早く!早く探し出せ!

 そして、航宙港湾局のデーターを引きずり出し、画面を走らせたその中に、1隻だけ、ジャンク輸送の名目でチャーターされている船があった。

 ・・・・・・まさか、この船にリオが?

「行ってやるだぎゃ」

 画面を凝視していた俺の肩に、そっと置かれた手の感触に振り向くと、そこにはディオーネがいた。

「ディ、ディオーネ・・・・・・?」

「行って、あのチビ介を連れ戻してくるだぎゃ。見ただぎゃ?あんな、たーけた所で、あの泣き虫がやってける道理はねーだぎゃ」

 普段の飄々とした笑みはなりを潜め、その瞳は、まっすぐに俺を射抜くように向けられている。

「あのローカスト、あれの足ならなんとかなるがや?少しでも後悔しとるなら、おみゃーが行くべきだぎゃ」

「い、いいのか・・・・・・?」

「たーけたこと言ぅとるんじゃねーだぎゃ、行くんか?行かねーんか?」

 ディオーネの目は、一層鋭さを増して俺を見据える。・・・・・・そうさ、答えはひとつしかないだろう。

「すまない、ディオーネ。一生恩に着る」

 俺は、立ち上がるとディオーネにまっすぐ向き合い、そして感謝の言葉を返した。途端、ディオーネは、まるで大輪の花が咲いたかのように、満面の笑顔を浮かべてうなずいた。

「それでこそクルツだぎゃ、さ、時間がねーだぎゃ、急ぐでよ!」

「わかった、すまない!」

 そうとなれば、後は時間との勝負だ。バッドニュース行きの船が出るまでに、宇宙港へたどり着かなければならない。

 ・・・・・・待ってろよ、リオ。お前が何を言おうと、必ず連れ戻すからな。お前が居るべき場所は、地獄なんかじゃ絶対無い。そんなこと、俺は絶対に許さない。

「それと、クルツ。一生恩に着るっちゅ〜言葉、絶対忘れねーからみゃあ〜〜」

 検索したデータをローカストに転送し終え、ラダーを駆け上がる俺の背中にまとわりついてきたディオーネの言葉に、一瞬、全身に鳥肌が浮き上がる。

 ・・・・・・しまった、そう言えば、そういう奴だった・・・・・・。

 ともあれ、ローカストのコクピットに収まり、ディオーネの言葉をなんとかすみっこに追いやると、イグニッションを作動させた。マグナ160が力強い鼓動を刻み、みなぎる力を抑えようとする駿馬のように、心地よい振動が伝わってくる。

 あとはもう行くだけだ。スロットルを全開にすると、ローカストはこの瞬間を待っていたかのように、凄まじい加速と共にハンガーを飛び出した。

 その後方警戒モニターに、ほんの一瞬だけだが、こちらを見送るようなディオーネの姿が見えた。俺は、もう一度心の中でディオーネに礼を言うと、スロットルとスティックの操作をしながら、テスト用に取り付けたキーボードを弾き、システムが警告を出す前に、ドライバーの修正を片付けていく。ハッチがないままだが、そんなもの気合でどうにでもしてやる。今は、そんなこと気にしてる場合じゃない。

 頼むぞ、ローカスト!今は、お前の足だけが頼りなんだ!




 場所は郊外にある民間請負輸送船専門の宇宙港、そこからバッドニュース行きの物資運搬のチャーター便が出港する事になっていた。時間はもうない、これを逃がしてしまったら、全てはジ・エンドだ。

 隊庭を駆け抜け、制止の声を振り切ってゲートを突っ切る。レストア中だったため、武器弾薬や胴体正面以外の装甲をすべて取っ払っていたローカストは、あっという間にトップスピードですっ飛んでいく。

 どうでもいいが風圧が物凄い、ツナギのポケットに差し込んでおいた、溶接用のゴーグルをすばやく顔に取り付ける。これでどうにかまともに視界が戻ってきた。ただでさえ20トンという、紙のように軽い機体なのに、さらに5トン近くダイエットしたローカストは、それこそ疾風のように幹線道路を駆け抜ける。

 幹線道路といっても、一部石畳が敷いてある程度で、実際は整地された幅の広い道路といった感じだ。車両もたまに軍用トラックや配給センターのカーゴとすれ違うくらいで、邪魔になる奴はない。こんな真似を中心領域でやろうものなら、1キロも行かないうちにいったい何台の車やバイク、そして歩行者を蹴散らすことになるんだろうな。

『そこのメック!左に寄せて止まれ!』

 畜生、面倒くさい連中が出てきやがった。後方監視モニターには、軍警の装甲車が追っかけてくるのが見えた。

『止まれ!』

 やかましい、誰が止まるか!

 俺はスロットルを全開に開けると、さらに機体を加速させる。すると、向こうもやっきになって追いすがってくる。面白い、タイヤつきのくせにこのローカストと勝負しようってのか。なら、足つきにしかできない走りってもんを見せてやる!

 うまい具合に下り坂になってきた、しかも、急勾配、そして入り組んだワインディング・ロードだ。さあ、ついてこられるもんなら、ついてきやがれ!

 ローカストは坂道を全速力で駆け抜けると、そのまま今にも離陸しそうな勢いで疾走する。どうでもいいが、さっきからキンコンキンコンやかましい。いったい誰だ!コンソールに車両用の速度計なんかとっつけた奴は!・・・って、俺か。まあいい、こんなやかましいもん、帰ったら速攻取っ払ってやる!

 蛇がのたくるようなコーナーで、一切合切スピードを落とさず、反射神経の限界に挑戦するようにスロットルとフットレバーを操作し、慣性移動の横滑りを使った旋回でコーナーをクリアしていく。一方、軍警の方も、相当腕に自信があるのか、タイヤの音がきしむ音がここまで聞こえるほど、巧みに車体を振り回しながらしつこく追いすがってくる。

 結構いい腕してるじゃないか。だが、ずいぶん一杯一杯みたいだな?よし、これからがショーの始まりだ。今日は特別にタダで見せてやるから、よく見とけ!

 ようやく待ち焦がれていたポイントが見えてきた。ほとんどヘアピンカーブのそれは、崖っ淵に続く一本道にしか見えない。しかも下り坂だ、ほんの少しでも下手を打てば、次の瞬間にはあの世行きのダイブ確定だ。さあ、どうする?軍警さんよ!

 相変わらずキンコンやかましいコンソールを無視して、スロットルを全開にすると物凄い勢いで迫ってくる急カーブに向かって、そのままローカストを突っ込ませる。

 その瞬間、強烈なGでシートベルトに体がめり込み、一瞬息が詰まる。そして、ポイントでフルブレーキングをかけると同時に、限界まで機体をしゃがませて重心を落とし、急激な振り戻しに機体を抵抗させた。

 急激に視界が下がり、生乾きの風景画を横様に布巾がけしたみたいに、周りの景色が道路を引っかき削る轟音とともに崩れ流れていく。そして、バッタのように身をかがめたローカストは、ヘアピンカーブに向かって物凄い勢いでドリフトしていく。

 そして、コーナーの出口が視界に入った瞬間、フットレバーを蹴り飛ばすように踏み込むと、ローカストは我ながら惚れ惚れする勢いでロケットスタートを成功させ、再び次のコーナーに向かって猛然と突撃を再開した。

 後は同じ要領の繰り返しだ。そして、案の定、3つ目のコーナーで、軍警の姿は後方モニターから消え去っていた。




 いくらこいつが10個もヒートシンクを積んでるとはいえ、さっきのバトルはかなりこいつに無理をさせちまったようだ。まだ完全レストアじゃなかったこともあり、未調整の関節は連続フル稼働のために、駆動系の過熱と消耗がそろそろ無視できないレベルになってきた。

 頼む、もう、すぐそこまで港が見えてきてるんだ。帰ったらフルチューニングしてやるから、お願いだから頑張ってくれ!

 心底慌てふためく警備員の制止を無視して、宇宙港のゲートを突っ切ると、そのままエプロンに向かって突っ走る。そして、エプロンが見えた瞬間、俺の血液は一気にマイナスまで冷え切った。そこには、今まさに離陸準備を始めているドロップシップの姿があった。機体の形式とナンバリングされた番号は、間違いなく検索して見つけたバッドニュース行きのドロップシップだった。

「そのドロップシップ!待て!」

 俺は、ローカストのモニターに映る、離陸寸前のドロップシップと併走するようにローカストを全力疾走させた。けれども、彼我の速度の差はどうしようもなく、ローカストはぐんぐんと引き離されていく。

「頼む!待て、待ってくれ!」

 限界を超えたローカストの脚部が、悲鳴じみた軋みを上げているのが、コクピットシート越しにはっきり伝わってくる。すまん!だけどもう少し、もう少しだけでいいから持ちこたえてくれ!

 滑走路の強化コンクリートを蹴立てながら、ローカストは俺の叫びに応えてくれているかのように、必死にジャンプシップに喰い下がる。しかし、とうとう限界に達した彼の足は、セーフティクラッチのかかる暇もなく、甲高い音と共にすべての関節がロックした瞬間、コンクリートの地面に激突するように転倒した。

 コクピットハッチもないのに、足を痛めた程度で済んだのは奇跡としか言いようがない。けれども、これでもう、俺の悪あがきのすべは全てなくなった。その瞬間、航空燃料の匂いを含んだ空気の塊が、嘲笑うように俺の顔面に叩きつけられた。

 俺は、芋虫のようにローカストから這い出ると、足を引きずりながら、空へと駆け昇っていくドロップシップの後を懸命に追った。

「頼む!待ってくれ!お願いだ!待ってくれ!戻ってきてくれ!お願いだ!お願いします!お願いだよ、お願いだよぉっ・・・!!」

 叩きつける突風で視界がぼやける。足の痛みなんてこれっぽっちも気にしてなかったが、俺の意思を無視して足は勝手に力を無くすと、俺はみっともなくコンクリートの上に這いつくばらされた。そして、俺の目の前で、ドロップシップは、お前の都合など知ったことではない。とでも言うように、轟然と空へと舞い上がって行く。

「お願いです!なんでもします!お願いです!戻ってきてください!お願いします、お願いします!お願いしますお願いしますお願いします!お願いしますっ・・・・・・!」

 こぼれ落ちた涙と同時に、ほんの一瞬だけ、視界が戻ってきた。けれども、その瞬間、ドロップシップは白煙の柱と共に一直線に天空へと駆け上がり、空に溶け込むように、俺の視界から消え去っていった。




 軍警に逮捕された俺は、身元引受人となってくれたマスターに連れられて、ボンズマン宿舎に帰った。その頃には、もう消灯時間になっていて、宿舎はひっそりと闇の中に沈んでいた。

「ほいじゃ、クルツよ。仕事の方は、俺から言ってしばらく休みにしとくでよ。明日のことは気にせんで、ゆっくり休んどくとええだぎゃ」

 マスターは、それだけ言うと、静かに部屋を出て行った。あれだけ迷惑をかけたというのに、何一つ言うことなく、黙って俺の弁護と始末書にサインをしてくれた。

 駆けつけてきてくれたアストラやディオーネも、軍警の連中に対して一歩も引かず、これ以上ガタガタ言うなら、不服の神判を発動させるとまで言い切って、警官達を真っ青にさせた。

 こんな、馬鹿でどうしようもないボンズマンのために。

 もう、何をするのもおっくうだ。リオは、これからどうなるだろう。アンタロスにいる仲間達は、あの子を暖かく迎えてくれるだろうか。

 あの時、力ずくでもいいから止めるべきだった。

 だが、今さらそんな事を言っても、もう時間は元には戻らない。あのドロップシップを積み込んだジャンプシップは、あの子を乗せて、バッドニュースへと飛び立っていってしまったのだから。

 強情で、意地っ張りで、泣き虫で、そして、誰よりも心優しかった少女。

 俺は、取り返しのつかないことをしてしまった。

 確かに、今までの人生の中で、俺が清廉に生きてきたなどというつもりはない。万人の恨みを買い、万人に悲しみを与え、万人に恐怖を与え、万人に絶望を与えてきた。軍人なんて商売をしていれば、そんなことは当たり前の話だ。今さら悔い改めて頭を垂れてみたところで、血の染みが消えるわけでもない。

 だけど、だけど。

 俺は、あの子に、昔の姿を重ねていたのかもしれない。泥の中で、暗闇の中で、冬の雨風の中でうずくまっていた、あの時の俺を。

 だから、俺はあの子をすくい上げようとしていたのかもしれない。けれど、結局俺がしたことは、あの子を今までよりも、さらに過酷な地獄へと送り込んでしまった。

 俺には、誰も救えない

 否定したくても、厳たる事実が俺の思考を侵食していく。もう嫌だ、何もかも。

 疲れた

 俺は無意識に立ち上がると、意味もなく居室をうろついた。何かを探そうとしている、なんとなくそういう気がする。ただ、何を探しているのかは、何故だかはっきりしない。

 何を探してるんだ?

 俺は、いい加減みみっちい自分に、もう笑うことしか出来なくなった。あきれたもんだ、こうなったら、人間おしまいさ。

 俺は、夜の闇に沈む窓の外に目を向けた。その、廃油を固めたような、真っ暗な窓に呼ばれているような気がした。ああ、結構さ。どうせ俺には、暗がりがお似合いだ。俺は、松葉杖を立てかけると、窓際に体重を預けるように寄りかかった。まったく、俺もよくよく飽きもせず足を折る男だ。

 すっかり灯も落ちた前庭は、使い古したオイルのようなねっとりとした暗黒に沈んでいる。何もかもを塗り潰すような漆黒の闇、いっそ、俺の心も全部塗り潰してしまえたら。

「・・・畜生、畜生、畜生ォ・・・・・・」

 馬鹿野郎、いつまでもメソメソしやがって。母さんが死んだ時、もう泣くことはないと思っていたのに。どこにこれだけ残っていやがったんだ、畜生。

 大の大人が、ベソベソみっともなく鼻を鳴らす音が、闇夜の中に響き渡る。その時、ほんのかすかに、闇の中から、息を呑むような音が聞こえた。

「・・・・・・誰だ?」

 嫌なもんだ、こんな時でも、軍人として訓練された感覚は鈍るって事を知らない。

「隠れてないで出て来い、いるのはわかってるんだ」

 いい加減、暗闇に向かって映画のキャラみたいな台詞を並べている。そんな自分が余計惨めで、グジグジと未練たらしく鼻をすすりあげた。

「もう勘弁してくれ、お願いだから」

 俺は、心の底からそう思った。そして、その時

「ぅ・・・・・・・・・」

 かすかな声とともに、藪がかさかさと囁くような音を立てた。そして、そこから、大荷物を背負った小さな人影が、ためらうように、迷うように、おずおずと立ち上がった。

 その時、俺は自分が何を考えているかなんてわからなかった。頭の中が痺れて、太陽をまともに見上げた時のように、目の奥が真っ白になった。そして、俺は思わず窓を飛び出していた。だが、ギブスで固められたとはいえ、骨にひびを入れた俺の右足は、そんな無謀さに抗議の声を上げた。

「ぉぐあっ!?」

 骨と筋が軋むような激痛に、一瞬意識がくらみ、無様に窓の下に転落した。そして、息を詰まらせたまま、嘔吐感を必死にこらえながら土の上でうずくまる。

「ク、クルツっ!?」

 体中の神経を引っつかまれたような激痛に、声も出せずに地べたに転がる俺を、慌てて駆け寄ってくる足音の主が、その小さな手で必死に支え起こそうとする。

 間違いない、他に誰がいるってんだ。俺はその小さな体を、反射的に力一杯抱きしめていた。今ここで捕まえなければ、もう二度と会えない気がしたから。

「く、クルツ・・・?く、苦しいけん・・・・・・」

 その声を聞いた瞬間、かじかんだ手を湯につけた時みたいに、心がじんわりと震えた。ああ、そうさ、キザなのはわかってるさ。

「リオ・・・お前・・・、あのドロップシップに・・・・・・」

「うち・・・うち・・・、荷物に入ってたトライビットを見て・・・それで・・・うち・・・。知らなかったんじゃ、あんなことするよーな連中じゃなんて、これっぽっちも知らんかったんじゃ」

 ・・・こいつ、アレを見ちまったのか。俺でさえ、いい加減薄ら寒くなったんだ。リオにとっては、衝撃以外の何ものでもなかっただろう。

「うち・・・うち・・・、ぶち怖ぁなって・・・気持ち悪ぅなって・・・。・・・うちは、デズグラじゃ。戦士の資格なんて、これっぽっちもない出来損ないなんじゃ・・・ふっ・・・ふぇぇ・・・・・・」

 リオは、俺の腕の中で小さく肩を震わせながら、絞り出すような声とともにすすり泣き始めた。そんなリオが、どうしようもなくいじましくて、その絹糸のような髪をさする。

「・・・リオに問う、戦士とはかくあるべきや」

「・・・せ、戦士とは、己と、民の名誉と誇りのために戦うものなり」

 唐突な俺の問いかけに戸惑いながらも、リオはまっすぐに俺の目を見据えてそう答えた。

「是(アフ)。無力なる民を徒に傷つけ、苦しめることは、戦士の為すべきことであるや?問否(クイネグ)」

「・・・ね、否(ネグ)!戦士とは、民の盾となり、剣となるために戦うものなり!」

「是(アフ)。・・・大丈夫、それがわかるお前なら、きっと立派な戦士になれる」

 俺は、腕の中で震えているリオの肩に、包むように手を置いた。

「さあ、いつまでも外にいると体壊すぞ。配給があったんだ、とりあえず飯にしよう」

 俺の言葉に、リオは鼻声と一緒に何度もうなずきながら、その細い腕に力を込めた。

 ・・・ははは、ガリガリのやせっぽちのくせして、たいした力だよ。

 おかえり、そして、ありがとう。




君の願いは(後)



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