お前に食わせる飯はない
「アァチョォァ―――ッ!!」 俺が反射的に繰り出した跳び蹴りは、小さな敵の顔面にクリーンヒットした。そして、自分でも驚くくらい手ごたえのない軽い感触とともに、テント布をすっぽりかぶった小さな襲撃者は、見た目どおりぼろ雑巾のように吹っ飛ぶと、エプロンの強化コンクリートの上を盛大に転がっていく。 おう!わしじゃあ!ストレス番長、クルツじゃあ! ひさしぶりじゃのう!ちょっとまっとれや、このドチビに、ちぃとばっかり焼き入れたるけぇのう! ・・・久しぶりだな、少し疲れ気味なんで、軽い錯乱状態だって事はわかってる。まあ、あまり気にしないでくれ。 それにしても、なんなんだ、こいつは! 「ホァキ―――ン!」 俺は、コンバットナイフを握り直す小さな手を、委細かまわず蹴飛ばしてその手からナイフを吹っ飛ばした。まったく冗談じゃない、何が不満か知らないが、向こうがその気なら、こっちもそれなりの対応をするだけだ。 だいたい、こっちはこの一週間、トータルの睡眠時間12時間、休日なしの過重労働で、これ以上ないくらい気が立ってるんだ。今、俺に触れたら大怪我するぜ? もう誰にも俺を止められない!スモークジャガーだかなんだか知らないが、戦士と名乗った以上は死も覚悟と知れい! 「ホチョッ!ホチョッ!ホォォアタァァ―――!!」 がむしゃらに突っ込んできた所を、軽く足を引っ掛けて転倒させると、俺は炸裂する感情のまま、ぼろ布の塊にヤクザ・キックの嵐をお見舞いした。 ふはははは!泣かすぞ!コラ! ・・・なに?児童虐待?人間性の欠如?大人気ない?ほほう、そう言うか?お前さん、まだ氏族の特殊性ってのをわかってないみたいだな。こいつらは歩兵を『エレメンタル』とか言って、むやみやたらにデカごっつくするってのは知ってるよな。 その対極に、『フェノタイプ』とか言う、気圏戦闘機乗りとして特化した奴らがいるんだよ。こいつらは背丈が140センチそこそこ、もちろん立派な大人でも、だ。だから、氏族連中の場合、喧嘩を売られた時、身長とか外見だけで相手を判断したら、痛い目見るどころか墓の下に行きかねないんだぞ。 それはともかく、俺はもう少しで刺されるところだったんだ。搬入資材の整理作業の真っ最中に、コンテナの中に紛れ込んでいたこいつがいきなり飛び出してきてね、俺に向かって斬りかかってきたんだよ! ただでさえ寝不足でイライラしているところに、昨日特別配給されたばっかりの、新品のジャンプスーツをばっさり切られたんだぞ?俺は軽い切り傷ですんだけど、下に着ていたなけなしのシャツまでやられちまったんだ。 しかも、このチビ介は、俺に向かって 『我は、貴様らの裏切りによって滅ぼされた、スモークジャガー氏族の戦士、リオなり!我は、貴様達ノヴァキャット全ての者共に対し、破滅の神判を申し入れる!』 と、来たもんだ。 破滅の神判とはまた、ずいぶん大きく出たもんだ。こいつ、自分の言ってることが本当にわかっているのか?とりあえず、その時すぐに周囲を見渡してみたが、幸いなことにそのバッチャルを聞いた人間は、俺以外にはいなかった。 冗談じゃない、いくら逆上していたからといって、破滅の神判なんて、『やっぱり冗談です』では決して済まない。破滅の神判を申し入れると言うことは、その当事者だけの問題では終わらない。当事者の血族、生産物、とにかく、当事者がかかわったものありとあらゆる全てのものが、破壊・抹殺の対象になるんだ。 いくらノヴァキャットが、他の氏族に比べ、柔軟で、かつ寛容な一族であっても、決して許されない一言がある。別に取り繕うわけじゃないが、これを言われたのが俺で、本当に幸いだったとしかいいようがない。 ・・・って、ずいぶん大人しくなったな。・・・うわ、やべえ。こいつ、息してないぞ。 俺がノシちまったのは、フェノタイプでもなんでもなく、正真正銘の小僧だった。そして、その場ですぐさま行った、人工呼吸と御加護のお祈りをした甲斐あって、いったんは人事不省になっていた小僧は、息を吹き返すとなにやらうわごとのようにぶつぶつとうなりだした。運んでくる最中、枯れ木のように軽かったその体から、今ままで、ほとんどろくなものを食ってこなかっただろうと言うのが、ようやく見当がついた。 ・・・だってお前、あんなマントみたいにボロ布を頭からかぶってたら・・・・・・。まあ、言い訳はみっともないから止めとくわ。 「まったく、おみゃーさんも、たいがいよーしゃのねー奴だがね。幾らなんでも、ガキンチョ相手に半殺しの目にあわせるかみゃあ?」 マスターは、いい加減あきれた表情でぼやきながら、俺のベッドの上でうなされている、垢と埃にまみれた小僧を見て嘆息している。 それはいい、それはいいんだ。申し開きのしようもないことだから。・・・でも、でも、仕事明けで俺がぐっすり眠れるはずだった、洗濯したばかりのシーツが、枕カバーが、毛布が、怪しい染みにまみれて雑巾同然になっていくよ・・・。 「まあ、おみゃーが嘘でたらめゆーとは思わんだぎゃ。このジャリが、スモークジャガーの生き残りっちゅーんは、たいがいたまげたけどもが。まあ、まだこーんなチビ介だし、戦士にもなっとらん半端もんだがや。 なんちゅーか、不服の神判をもーしこまれたっちゅーことだけどもが、はてさて、いったいどーするかみゃあ・・・・・・」 さすがに、マスターも困った様子で小僧を見下ろしている。と、その時、賑やかな足音とともに、ディオーネ・アストラ姉弟が俺の居室に現れた。 「じゃまするだぎゃ、・・・お?隊長も一緒かみゃあ」 「クルツ、災難だったと聞いたが、怪我はないか?」 「ああ、それは大丈夫だ。どっちかというと、相手がヤバい」 俺の言葉に、姉弟はベッドの上を覗き込む。すると、ディオーネが得たりといった表情で笑いを浮かべた。 「ほ、こりゃまた。うちの見たヴィジョンのとーりだぎゃ」 「え?」 「ドラコの格言にこんなのがあるだぎゃ、『買った兜の緒を締めよ』。スモークジャガーの連中とのドンパチは終わったけどもが、油断大敵だぎゃ。ヴィジョンを探って、備えを万全にしよーと、ちっとばっかしひと頑張りしてきただぎゃ」 なるほど、どうりで最近姿を見ないと思った。それと、『買った』じゃなくて、『勝って』じゃなかったっけか? 「ほお、おみゃーさん、ずいぶん詳しいみゃあ?ボカチンにでもおせーてもらったかみゃあ、ん?」 なんでそこでボカチンスキー軍曹の名前が出て来るんだか。結局、彼女とはルシエン入り以来、まったく会っていないってのに。 ともかく、ディオーネはそう言うと、人の部屋の戸棚から断りもなくレーションをつかみ出すと、早速がつがつ食い始めた。 「・・・クルツ、すまない。姉は3日間何も口にしていない。姉が食べた分は、俺の配給から返しておく」 「ああ、まあ、気にしないでくれ。それより、ヴィジョンが見えたと言うのは?」 「『猛り狂いし黒豹の子は、白き短剣に立ち向かう。なれど、短剣はその光によって、黒豹を鎮め、包み込む。そして、迷えるかの者に、進むべき道を照らし示す』だぎゃ。我らの神に、敬意と信仰の極みを。だぎゃ」 ディオーネは、ドライケーキのカスを散らしながら、神託の内容をもっくらもっくらしゃべると、ベッドの上の小僧をみやった。 「まー、ディオーネがそーゆーんなら、それに従ってまず間違いはねーはずだぎゃ。ってことは、クルツ」 「はい、なんでしょう、マスター」 ディオーネの言葉に耳を傾けていたマスターが、いよいよ結論を出したように俺のほうを向いた。・・・ヤバいぞ、なんか嫌な予感がする。 「スターキャプテン・ロークの名において、我のもつ権限の元に命ずる。我がボンズマン、トマスン・クルツは、スモークジャガーの民より受けし不服の神判に勝利し、これを退けた。よって、この者の処遇は、トマスン・クルツに一切を委任するものとする。・・・だぎゃ。ま、しっかり面倒みてやるだぎゃ」 ちょっと待て!?俺が?こいつの面倒を見る!? 「こいつも見たところ、戦士階級とは言ってもしょせんは自称だぎゃ。つまり、まっとーな戦士じゃねーっちゅーことになるから、市民階級とほとんど変わらねーだぎゃ。おみゃーさんは、ボンズマンとは言え、コード2本もちょんぎれとる。もーちっとで戦士の仲間入りができる奴だぎゃ。ま、資格は問題なしだぎゃ」 おいおいおいおいおい、いいのか?そんな適当で! 「話は決まったよーだみゃあ、そいじゃ、うちはこれでおいとまするだぎゃ。いい加減腹も減ったし、なんちゅーか、鼻が曲がりそーだぎゃ。あとで、風呂でも入れてやるだぎゃ」 人の貯め置きを全部食っといて、そういうこと言うか。 「クルツ、俺もいったん戻る。困ったことがあったら報せてくれ」 「あ、ああ、わかった」 「よし、話は決まっただぎゃ。それじゃ、クルツ、後は任せたでよ」 結局、面倒事はみんな俺かよ・・・。 「殺さんかい」 「死ぬ度胸があるなら、まず風呂に入れ。だいたい、臭ぇんだよ、お前は」 「おんどれに偉そうな口きかれる筋合いはないわい、臭い情けなんぞかけんと、とっとと殺さんかい」 「臭いのはお前だ、だいたい、偉そうな口きかれる筋合いはないだ?さんざんボコられといて、口だけは一人前だな、おい」 「うぐっ!・・・だ、だいたい、ありゃあおんどれが・・・!」 「言っとくけどな、俺は不意打ちもしてないし罠も仕掛けちゃいないぞ。お前ときたら何だ?光りモン片手に切りかかってきた挙句に、勝手に吹っ飛んでボコられただけだろうが。 それともなにか?スモークジャガーってのは、子供相手なら優しいハンデ付きとかいう、リーズナブルな連中ぞろいだったのか?はっ、それなら滅んで当然だ。半端モンのくせに、負けた言い訳なんぞ叩くな」 どこまで行っても可愛くない口のきき方をする小僧に、俺は蓄積しまくった疲労とストレス、そして睡眠不足の勢いで物言いがきつくなる。そして、ずいぶん静かになったと思ったら、こともあろうに、小僧はシーツを握り締めながらぼろぼろと大粒の涙をこぼしているじゃないか。 ・・・・・・ちょっと待てよおい、そりゃ反則技だろうが。 「・・・ひぅっ・・・や、やかましいわいっ!・・・ふぇっ・・・ス、スモークジャガーは・・・ふぐっ・・・そ、そんなんと・・・えぐっ・・・ち、違うわいっ!」 アイスグリーンの瞳を、水の分量を間違えたゼリーのようにふやかしながら、その両目からは元栓の壊れた蛇口のように、後から後から水滴がこぼれ落ちている。 「ああ、わかったわかった。俺が悪かったよ、お前はまだまだこれからだけど、スモークジャガーが弱いんじゃないのは、ちゃんとわかってるよ。悪かったな、謝るよ」 「・・・わ、わかれば、ふえっ・・・え、ええわいっ!・・・ぐしゅっ・・・」 ・・・どうでもいいけど、汚ねぇなぁ。 普通、涙ってモンは綺麗なものの代名詞みたいなもんだろ?それが何で、その落下地点が、泥水でも跳ねたように茶色い染みになるんだよ。こいつ、いったいいつから風呂入ってないんだ? ・・・まさか、ハントレス陥落の時からとか言うなよ?あれから、たいがいどれくらい経ってると思ってるんだ。下手打ちゃ、冗談抜きで病気になるぞ。 「戦士リオに問う、戦士の身なりが、乞食同然でもよしとするや?問否(クイネグ)」 「・・・ネ、否(ネグ)!せ、戦士とは自ら他の者の見本となるよう、ほ、誇り高く、せ、清廉であるべきである!」 わざわざ氏族人口調で問い掛けた言葉に、小僧もまんまと乗ってきた。大人連中でさえ、いい加減単純でわかりやすいのに、子供とくればなおさらだ。 「是(アフ)、その通り。垢と埃にまみれた姿は、戦士として恥ずべきものである。問是(クイアーフ)」 「・・・ア、是」 「よし、その言葉、確かに聞いたぞ?来い、これから風呂に入るぞ。今回は大サービスだ、このクルツ兄さんが直々に背中も流してやるし、シャンプーもしてやる」 「・・・うっ」 お?なんかぐらついてきたぞ。 「あったかいぞお?お湯は使い放題、シャンプーも石鹸も上等。おまけに、湯船はプール並みにでっかくて、ゆったりのんびり。これを断る奴ぁ、ほんまもんのストラバグだな」 ほらほら、何だかんだ言ったって、やっぱり子供だ。あったかいお湯たっぷりの風呂と聞いて、もうそわそわしだしてやがる。ふへっ、この単細胞。 「だ、誰も入らんとは言っとらんじゃろうが!じゃったら、さっさと案内せんかい!」 ほおほお、まだそんな強がりがきけるってかい。まあ、いいさ。どのみち、この垢と泥の塊みたいな小僧を風呂に入れんことには、俺の部屋がバイオハザードだ。 「中止」 冗談じゃない、こんな、マンガみたいなオチがあってたまるか! 「ま、待たんかい!わりゃ!は、話が違うじゃろうが!」 「冗談も休み休み言え!こっちこそ話が違うぞ!」 俺の言葉に、明らかに動揺した表情で食い下がってくるリオに、俺も負けじと言い返す。 ・・・なに?何があったかって?いや、別に何があったって訳じゃないんだが、脱衣所でこの小僧がポンポンと服を脱ぎ散らかしている拍子に、この小僧が、実はオートキャノン装備型じゃないってのを発見しちまったんだ。 「わ、われが聞かんかったから、言わんかっただけじゃけん!だ、だいたい、そがーなもん、関係ないじゃろうが!」 性別の差異を、氏族人の感覚で言われても困る。親族とかならともかく、赤の他人とくれば、俺はその瞬間からロリだのペドだの言われかねない。 「やかましい!今別の人間呼んで来るから、そいつと入れ!」 「あ、アホ言いよんなら!信用できるかい!」 「いいから前隠せ!みっともない!」 「なんじゃと!なんでみっともないんじゃい!」 最近、ドラコ式の浴場に改修したばかりの脱衣所で、俺と小僧、いや、もう小僧と呼ぶのは妥当じゃない。とにかく、俺とリオは、お互い予想外であろう展開にうろたえながら、激しく舌戦を展開した。 「とにかく!今からディオーネを呼んで来るから!絶対ここを動くなよ!?」 「デ、ディオーネ!?あ、あの下品なねーちゃんを!?あ、アホ言いよんなら!よ、余計信用できるかい!」 「うるさい!ボンズマンのボンズマン・・・いや、ボンズウーマンのくせに、選り好みできる身分か!」 「ボ、ボンズマンならなおさらじゃろうが!ボンズマンが戦士に頼みごとなんぞ、聞いたこともないわい!」 なるほど、なかなか鋭いご指摘ありがとう。でもな、今見たら、風呂は今、ボンズマン連中が入る時間帯だから、早い話、中心領域出身の奴らが多いんだよ。そんな中に、こいつと一緒に入って、あまつさえかいがいしく洗ってやったりなんかしてみろ。そうなったら、俺は間違いなく、ペド野郎確定だ! 俺は、リオに、とにかくこの場で待っているよう厳命し、服を着なおして脱衣所を出ようとした。 「・・・ふっ・・・ふっ・・・ひぐっ・・・ふぇっ・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 だからさ、こいつは何回この反則技を使やぁ気が済むんだよ。 恨めしそうな目つきで俺をにらみながら、両手の拳を固く握り締めて肩を震わせているリオに、俺は頭のてっぺんに穴が開いて、そこからガスか何かが抜けるような、脱力感の極みに陥った。これじゃ、完全に俺が悪者じゃないか。 勘弁してくれ、ほんとに。 「絶対タオルはどけるなよ、さもないと、すぐ風呂からつまみだすからな」 「わ、わかっとるわいっ」 苦肉の策、ってわけでもないが、俺は、リオの腰に巻かせたタオルを絶対外さないよう厳命する。こいつの場合、こうしてさえおけば、どっちが裏か表かもわからないくらいガリガリに痩せているおかげで、見た目的には小僧にしか見えない。 ・・・うわぁ、こいつの歩いた後に、泥足みたいな足跡がついてるよ・・・。 「さて、じゃあまずは頭から行こうかね」 「お、おう・・・」 頭からシャワーをかけてやると、全身を伝わり落ちるお湯は、たちどころに泥水と化していく。おいおい、排水溝が詰まったりやしないだろうな。 「こりゃ、シャンプーより洗剤が必要かな」 実際、リオの汚れっぷりは半端じゃなく、シャンプーをすり込んだはずの髪の毛に指を通そうとしても、針金の束のように引っかかり絡み付いてどうにもならない。それでも、辛抱強くじっくりと揉み解すように洗っていくと、真っ白い泡がカプチーノの泡のように真っ茶色になった。 それでも、どうにか泡が白くなるまで洗い続け、どうにかあのバターとカブト虫を練り混ぜたような匂いを消すことに成功した。さて、それじゃ、次は背中でも流してやろうかね・・・って、また、何泣いてんだよ、お前は! 「どうした、泡が目に入ったか?」 話しかけても、リオはただ頭を横に振るだけで、何も答えやしない。・・・まったく、この意地っ張りの泣き虫め。 「ほれ、シャワーかけるから、目ぇ閉じてろ」 「どうだ、少しは落ち着いたかよ」 俺は、ゆったりと湯船につかりながら、隣のリオ介に声をかける。 「・・・贅沢な風呂じゃのう」 「ドラコの風呂はみんなこんなだよ、ディオーネやうちのマスターがこういった様式をえらく気に入ってな、ほとんど無理やり作らせたようなもんさな。使った湯は、このあと雑用水に転用されるし、逆に、温水装置は発電施設の余剰エネルギーを使ってる。 コストはシャワーとそう変わらんし、快適さはシャワーの倍以上だ。なんて言うか、ドラコの風呂好きもたいしたもんだ。ま、当のドラコの技術提供もあったんだけどな」 「ノヴァキャットひとりだけ、中心領域に寝返ってぬくぬくしとるってわけかい」 「まあ、否定はしないけどな。でも、それだって一時的なもんだ。ノヴァキャットは足元の砂金じゃなくて、はるか向こうの金山を見ている。つまり、今じゃなくて、未来を見てる連中なんだよ。確かにそういった意味じゃ、他の氏族からすりゃ理解に苦しむだろうな」 「・・・さっぱり訳わからんわい」 「まあ、いいじゃないか。ある時は楽しめ、ない時は我慢しろ。それが氏族人ってもんだろ?」 「おのれに言われんでもわかっとるわい」 「ならいいさ、とにかく、そう言うこった」 「・・・ふん、偉そうに」 可愛くない態度と憎まれ口は相変わらずだったが、それでも、錆びた鉄のようなザラついた敵意は、それなりに消えたように見えた。と、思う。はぁ、やれやれ。 ガキのお守りも楽じゃない。 今、俺の部屋で我が物顔にのさばっているリオ介は、見かけだけならほとんど別人になった。今、目の前で人の机の上や棚の上を珍しそうに物色しているチビ介は、褐色の肌とおろしたての絹糸のようにキラキラ光る髪が、利発な印象を与える姿に様変わりした。 なんて言うか、真っ黒く汚れて見えたのは、何も汚れのせいだけじゃなくて、リオの肌色が元から濃い褐色だったからみたいだ。 確かに、晴れ渡った夜空のように真っ黒な髪と、濃い褐色の肌のなかに、ひときわ鮮やかに輝いている、エメラルドみたいな瞳と言う、これまた珍しい組み合わせは、黒豹をイメージさせると言えば言えなくもない。ただ、これほどまでに泣き虫の黒豹なんて、聞いたこともないが。 まったく、泣き虫と言えば、俺が頭を洗ってやっている最中、リオがいきなり泣き出したのには本当にまいった。おかげで俺は、風呂に入れることにかこつけて、いたいけな女の子にいかがわしいことでもしたのかという、周囲の冷たい視線の集中砲火を浴びた。 え?ああ、そうだよ。こいつ、人が泥だらけの髪と格闘するのに夢中になった隙に、いつのまにかタオルを取っ払って、それでかゆいところを自分でゴシゴシやってやがったんだ。おかげで、このチビ介が女だってことが、周りの連中にもろばれさ。 ああ、これで俺も、明日から立派なペド野郎の称号がもらえるんだ。畜生。 「クルツ、腹が減ったけん、なんぞ食わしてくれんかのぅ?」 部屋に戻るなり、妙にでかい態度でくつろぎだしたリオが、気楽な声をかけてきた。なんだこいつ、いきなり馴れ馴れしくなりやがって。 「お前に食わせる飯はない、もちろん、俺が食う飯もない」 事実は事実だ、俺は、今の状況を率直に伝えた。 「なっ!?なんでじゃいっ!!」 「さっき、ディオーネがみんな食っちまったんだよ!明日まで我慢しろ!」 「なっ、なんでそうなるんじゃい!」 「文句なら、直接ディオーネに言え!・・・言っとくけどな、あの女は、白兵戦でローカストを撃破したこともあるんだ。そこらへんをよく考えてから、文句は言いに行けよ」 「で、出来るかい!そがーなこと!」 いい加減色黒だから、顔色の変化はよくわからないにしても、だいぶ動揺しているのはわかった。わかったんなら、もうこれ以上グダグダ言わんでくれ。空きっ腹に響く。 「やかましい!とっとと寝ろ!」 リオをシーツなしのベッドに放り込むと、俺はボックスから野戦用寝袋を引っ張り出してその中にくるまり、ぎゅうぎゅう鳴る空きっ腹を押さえつけながら体を丸めると、今日はもうリオの面倒事に関わるのを一切やめた。畜生、まったく、最悪の非番明けだよ。 勘弁してくれ、ほんとに。 お前に食わせる飯はない |
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