戦巫女奇譚





 雲ひとつない青空の中、ほんの一瞬、金属質な反射光が閃いたと同時だった。それは、大気を振動させる爆音と共に、一直線に舞い降りてくる。

 狂ったような轟音と共に、民家の軒が砕け散り、白く乾いた砂利道が土煙を上げて弾け飛ぶ。そして、耳障りな風切り音と共に飛来する弾丸の雨の中を、必死に走り続ける少年の姿があった。

「少年、こっちに来なさい!」

 首尾よく、私の声が届いたのだろう。少年は見えない壁に跳ね返されるように急旋回をすると、私が手招きをする用水路の溝に向かって一目散に駆け寄ってきた。

「ここだ、早く」

 私は、少年の手を引くと、土管の中に潜り込む。それと同時に、すぐ目の前を凄まじい勢いで機銃掃射が走る。

「心配しなくてもいい、ここなら弾も届かない」

 何の変哲もないただの土管が、敵の13粍弾を防いでくれるとは思わないが、変に不安がらせたままにしておくよりはいい。その時、別の爆音が、暗い土管の中まで響くのが聞こえてくる。注意深く外の様子を伺い見ると、海軍機が2機、敵の戦闘機を追いかけるように飛んでいくのが見えた。

「今だ、味方がムスタングの相手をしているうちに、ここから離れよう」

 暗がりの中でも、それとわかるほど青ざめた表情の少年にそう告げると、私は彼の手を引いて土管から出ると、彼らとは逆の方向に向かって走り出した。




 まさか、もう戻ってくるとは思わないが、それでも念の為と言うこともあり、私は少年を家まで送ることにした。しかし、空襲の警報は聞こえていたはずなのだろうが、なぜ、この少年は避難することなく、敵機の飛来する往来にいたのだろうか。

「少年、大丈夫か?気分でも悪いのかね」

 少年の表情は、顔色こそどうにか血色を取り戻してはいるものの、それでも、何かに怯えるように、その幼い顔はこわばり続けている。そして、もうすぐ少年の家の近くである四辻まで来た時、私の疑問は氷解する事になった。

「健吾!」

 少年の名を呼ぶ声と共に、辻向こうから数名の少年達がバラバラと駆け寄ってくる。もちろん、少年を気遣って現れたことではないのは、彼の表情を見ればすぐわかる。

「お前、ムスタングの薬莢、取ってきたか!?」

 一団の中で、とりわけ体格のいい、おそらく大将格であろう少年の詰問じみた言葉に、私の隣を、無言のまま歩き続けてきた少年の表情が、再び青ざめることになった。

「どうせできなかったんだろ、非国民の弟は、やっぱり非国民だ。アメ公が落としただけの薬莢も拾いに行く度胸もねえんだろ!?」

 これはまた、随分と酷い事を言う。非国民であろうがそうでなかろうが、動くものは野良犬でさえ機銃掃射を浴びせかける、凶暴な敵戦闘機の飛び交う真下で、それらの落とす薬莢を拾い集めるため動き回る事がどれほど危険なことか、彼らはわかっていて言っているのだろうか。

「う・・・・・・・・・」

 少年は言葉に詰まるように、ガキ大将から逃げるように目をそらす。無理もない、あの時あともう少しの所で、彼は機銃掃射でバラバラの肉塊にされる所だった。そんな状況で、とてもではないが、どこに散らばっているかも判然としない薬莢など、拾い集める暇などあるわけもないだろう。

「この弱虫毛虫!やっぱりお前は非国民だ!」

 さきほどから非国民非国民と、子供の分際で、なかなかに言う事が容赦ない。それが、私を含め、大人達から刷り込まれた呪文であるとは言え、もはや今の日本国民が、たとえ銃後であれ、内輪揉めなどしていがみ合う余裕などないというのに。

「君達、もうその辺でやめたまえ。この子を非国民だと言うが、私がいなければ、この子はムスタングに殺されていたのだよ。なぜ敵機の空襲中に、この子が避難もせずにいたのか、理解に苦しんだが、なるほど、そう言う訳だったのかね」

 こんな役割は、柄ではないと知りつつも、私は、健吾と呼ばれた少年の助け舟を出すことにした。そして、悪童達は、私の言葉に、呆気にとられた表情を浮かべている。まあ、無理もない、彼らが非国民と罵る少年を、軍人である私がかばうのだから。

「よしんば健吾君が非国民であったとしても、あの無敵を誇った零戦ですら、油断は出来ないムスタングの飛び交う中、その薬莢を追って走っていた。これほどの勇気を持つものは、我が帝国軍人の中にもそうそういるものではない。・・・・・・ちなみに、健吾君がムスタングを追っている間、君達はどちらにいたのかね?」

 私がそう問いかけた瞬間、悪童達の表情が強張るように凍りついた。我ながら大人気ない物言いだが、これくらい言わないと、この意固地そうな少年達には通用しないだろう。いくら子供同士の度胸試しとは言え、度が過ぎる。

「よろしいかね?非国民かどうかは、我々帝国軍人が決めるものだよ。本来力を合わせて銃後を守るべき君達が、勝手に隣人や仲間を非国民呼ばわりすることは、あってはならないことだ。それに、君達少年は、この大日本帝国の宝なのだよ。同胞をいたずらに死に至らしむるような言動は、厳に慎みたまえ」

 ああ、もうたくさんだ。そもそも、私は軍人であって教師ではない。私は、散々偉そうな御託を並べた気まずさを誤魔化すように、健吾少年を促し、この場から立ち去った。




 それにしてもひどいものだ。空襲警報が解除され、防空壕から出てきた住民達が、各々空襲の後始末をしているが、彼らの心痛は察するに余りある。

 炎上する家屋にバケツリレーで水をかける者達。逃げ遅れ、機銃掃射で粉々にされた隣人を、仮面のように表情を押し殺して、麻袋の中に黙々と拾い集める者。撃墜され、猫に食い荒らされた魚のような、惨めな姿を晒す零式戦闘機の周囲で呆然とする子供達。

 それぞれが、それぞれの思いを持て余し、銀色の暴力が去った町で、それでも懸命に自分達の為すべき事に向き合い、黙々と手を動かし続けている。

「・・・・・・軍人さん」

 その時、私の傍らを歩いていた少年が、ややためらいがちに私に声をかけた。

「私は、国府間与志郎、国府間と呼んでくれてかまわないよ。健吾君・・・だったね、どうかしたのかね」

「は、はい・・・あ、あの・・・・・・」

「日本は負けるだろう、健吾君は、どう思うかね」

 やや性急に過ぎる私の言葉は、それでも、十分健吾少年の問いの正鵠を貫いたようだ。

「ぼ・・・ぼくは・・・・・・」

「いや、いい。私の方こそ、愚かな事を言って申し訳なかったね」

 私は、ふと振り返ると、遠くに見える、先ほど通り過ぎたあの零戦の残骸を見やる。

「かつては、真珠湾を始めとして、大陸、ビルマ、それら大東亜において、帝国の期待を一身に受けた零戦でさえ、あの有様なのだよ。むやみやたらな召集で、熟練工が枯渇する。部品精度の劣悪な欠陥機があふれ出し、本来の力を発揮できないまま撃ち落される。・・・・・・そして、同時に、優秀な飛行兵も失われていく。

 空に限ったことではない、陸も、海も、同様の事が起こり続けている。実際、私がこの目で見てきたことなのだよ。物も、人も、限りがあり底を尽き始めている。健吾君には辛いかもしれないが、これが、日本の限界、というものなのだよ」

「それじゃ・・・それじゃ、なんで軍人さんは・・・国府間さんは戦っているんですか・・・・・・?」

「君達を生かすためだよ。日本の負けは動かない、しかし、同じ負けるにしても、一人でも多くの臣民を守らなければいけない」

 私は、再び歩き出しながら、少年ながらに、苦悩に満ちた表情で塗りこめられている健吾少年に話しかけた。

「日本は、遅かれ早かれ連合軍に敗れるだろう。しかし、君達少年がこの先生き残り、傷付いた日本を支えるのだよ。そうすれば、いずれ日本は、世界に勝利する時が来る。健吾君、これだけは覚えていてくれたまえ。これからの日本を勝利に導くのが、君達だと言う事をね」

 まさか、軍人からこんな話を聞かされるとは、夢にも思ってはいなかったのだろう。健吾少年は呆気に取られた表情で私を見上げている。

「では、私は宿に戻るとするよ。気をつけて帰りたまえ」

「は、はい。・・・・・・こ、国府間さん、今日は、助けてくれて、本当にありがとうございました!」

「どういたしまして、それでは、御機嫌よう」

 健吾少年と別れた後、私は宿泊先である旅館に向かった。しかし、そこで私が目にしたものは、ある程度予想はしていたとは言え、あまりと言えばあんまりなものだった。

「これは・・・酷い・・・・・・」

 ガスか、それともボイラーに引火したのだろうか、私が逗留するはずだった旅館は、砕け散った材木の塊と化し、そこかしこからくすぶり続ける煙と共に、いまだ消えきらぬ火がちらちらと踊っていると言う有様だった。

「大きいと言うだけで、何も旅館まで吹っ飛ばすことはないだろうに・・・・・・」

 さて、これは困った。急いで雨風をしのげる場所を探さねばならない。これでは、何のために、わざわざ房総までやってきたのかわからない。

「国府間さん!」

 その時、私の背後で名を呼ぶ声に振り向くと、そこには、先ほど別れたばかりの健吾少年が、はにかむような表情で、私を見上げていた。




 結局、私は健吾少年の自宅に厄介になることとなった。この町で唯一の旅館は、昼先の空襲で、完膚なきまでに叩き潰されてしまったのは、私がこの目で見た通りだ。

「やむなき事とは言え、突然にお邪魔する事になり、大変申し訳ありません。御厚意に、心から感謝します」

 私は夕食の席上、椎名家の温情に、まず感謝の言葉を述べた。

「いえ、こちらこそ、弟の危ない所を助けていただいて、国府間さんには、どうお礼を言ったらよいか・・・・・・」

 私の言葉に、健吾君の姉上は恐れ入った様子で頭を下げられた。聞けば、健吾君は、この姉上と二人暮しということだ。

「本当に申し訳ありません、急なことで、こんな粗末なものしかご用意できなくて・・・」

 姉上は、皿に盛った蒸かし芋を私に勧めつつ、心底申し訳なさそうな表情と共に、再び、深々と頭を下げられた。

「とんでもない、こちらこそどうかお気を使わないでいただきたい。屋根の下で眠れると言うだけで、十分助かっているのですから」

 正直な所、私としては、そう言うしかなかった。ここ最近の、食料その他の配給状況は、お世辞にも、人並みの水準を満たしているとは言えない。軍において、そういった人々を尻目に、満ち足りた食事の恩恵を受けている者が、食うや食わずで必死に生きている人々の上前をはねるなど、とてもではないが出来たものではない。

「国府間さん、お姉ちゃんの蒸かしたお芋、とてもおいしいんだよ。ねえ、食べてみてよ!」

 ・・・・・・これは困った。情けない話だが、私はこういう話に、こと弱い。さて、健吾少年の心遣いを、いたずらに無碍にするのも心苦しい。

「では、お言葉に甘えて、ご相伴に預からせていただきます」

「ええ、是非お召し上がりください」

 姉弟の屈託のない笑顔に見守られながら、私は皿の上の芋をひとつ、手に取った。あまりに遠慮し続けても、かえって心証を害するかもしれない。そこまで考えていてはきりがないと言うのはわかっているが、さすがに、裏表のない善意は拒みづらい。

「・・・・・・ふむ、確かに・・・これは、美味い」

 固すぎず、柔らかすぎず。ほくほくと口の中で砕ける食感は、どこか老舗の和菓子を食しているような気分になる。なるほど、確かに、健吾少年が自信を持って薦めるだけのことはある。

「それはそうと・・・健吾、今日のことだけど、どうして空襲なのに、防空壕から出たりしたの」

「だ、だって、和男達が、俺や姉ちゃんのことを非国民だって・・・・・・」

「だからって、そんな危ないこと・・・・・・!」

 健吾少年の言葉に、姉上は、動揺と怒りとがないまぜとなる表情を浮かべている。だが、それは無理もなからぬことだ。

「だって・・・姉ちゃんのこと売国奴だって・・・・・・!戦争が始まってから、姉ちゃんは一回もケリー兄ちゃんと会ってないのに・・・!」

「健吾!!」

 健吾少年の言葉を、やや狼狽の色が混じった姉上の鋭い声が遮った。・・・なるほど、これで、一連の流れと言うものが理解できた。

「どうか、健吾君をお叱りにならないようお願いします。今の話、私がとやかく言う問題ではありません」

「こ・・・国府間さん・・・・・・」

「今度の戦争で引き離された方達は、それこそ星の数ほどおります。失礼ながら、今さら、そういった話を前にして騒ぎ立てるのも詮無いことです。・・・・・・大丈夫、私は、特高や憲兵の真似事をするつもりなどありません。先ほどのお話を聞き咎めるような事、誓っていたしません。どうかご安心を」

 確かに、戦争は国家同士の外交における、最終手段とも言えるものだ。そして、愚行の最たるものでもある。国益、イデオロギー、それら諸々の事象は、たいてい多くの国民、ましてや、日々つつましく生業と共に生きる人々には無縁のものだ。

 しかし、ひとたび国家同士が衝突し、争うことになれば、お互いの国民は否が応でも相手を憎み、そして、打ち倒し屈服させる事を学ばされる。そして、会った事も言葉を交わした事も無い人々を、互いに猿だ鬼畜だと罵りあい、どちらかが倒れ叩き潰すまで死闘を演じる。

 そこに、個人としての意思も、人としての理念もない。そして、大義の前に、ささやかな願いは押し潰され、封殺されていく。なんとも、容赦のない話があればあったものだと思う。

 健吾君の姉上にしても、その異国の青年にしても、枚挙にいとまない話の中の一頁とは言え、だ。

「会えると良いですね、その方に」

 湯飲みを手にしながら、私は偽らざる感想を漏らす。そして、私の差し向かいに座る姉弟は、それぞれの表情を浮かべながら、私を見ていた。




 その夜、私は、椎名家の方々に、『夜回り』と断り、夜の往来へと足を運んだ。そして、星明りにすかして懐中時計を見る。

「・・・・・・戦隊長」

 果たして、約束の時間きっかり。その正確さは、スイス製の時計ですら及ばない。と思えるくらい、待ち合わせの時間に現れた声に振り返る。

「加藤君か、待たせてしまったかな」

「いえ、時間通りです」

 夜気の中に、静かに澄み渡るような透き通る声と共に、夜とは言え、この真夏にマントを羽織り、軍帽を目深に被った人影が、雑木の陰から進み出てきた。五尺そこそこの背丈と、先ほどの声音から、それを女性と見当をつけることは、さして難しくはないだろう。

「どうだね、加藤君としては、この状況をどう見る」

「これ以上無い、いい帰り道です」

 軍帽の下から半分だけ覗く顔が、簡潔な答えを返して寄越す。が、それだけ見て取ってもらえれば、もう十分と言えるだろう。

 帝都への爆撃を終えた敵航空部隊が、東京湾を横切り、房総半島上空を通過していく。と言うルートは、もはや、敵の定時コースとなり、それを阻止するに足る航空戦力は、陸海軍双方とも、当の昔に使い果たしてしまっている。

 嫌がらせ程度では、お話にならない。かと言って、必要以上の打撃を与えれば、いたずらに空爆の標的を増やすだけ。自分達の通り道が、決して安全ではないことを認識させる。実に匙加減の難しい任務だが、それをなし得る者が、今、私の目の前に立っている。

「それから、地元の警察及び配置部隊から、かねてから報告のあった敵航空機ですが、それも確認しました」

「そうか」

「とても、正気の沙汰とは思えません。いえ、戦時に正気も何もないのでしょうが、動くものは、老人だろうと野良犬だろうと、遠慮会釈なしに機銃掃射を浴びせています。私が見た限り、今回の犠牲者の七割は、件の機体によるものと見ていいでしょう」

「・・・・・・『人喰い鮫』・・・かね?」

「はい、報告書にある特徴と、完全に一致していました」

「そうか、では、その戦闘機と列機達は、今回の処理対象にしておこう」

「了解しました」

「では、今日はこの辺にしておこう。別命あるまで、所定の場所で待機してくれたまえ」

「了解しました、では、失礼いたします」

 そう応えた言葉を聞いた時には、風が吹き流れたかのように、私の視界からかき消えていた。




『人喰い鮫』なるムスタングは、この町の住民達にも広く知る所らしい。だが、当然と言えば当然だろう。彼らの多くが、自分達の隣人や家族を、その、他ならぬ『人喰い鮫』によって殺されているのだ。

 そして、帝都から訪れた軍人が、その凶暴極まりない米軍戦闘機について調査をしている。といった噂は、瞬く間に近隣に広まったと見え、こちらから出向かずとも、様々な情報を携えた人々が、椎名家に詰め掛けてきていた。

「・・・・・・なるほど、聞けば聞くほど、捨て置けぬ相手のようだ」

 数多の証言を整理した帳面を閉じ、筆を置きながら、どうにも歯痒い思いにさいなまれる。本来、これらを駆逐すべきものは、陸海軍の航空隊であって然るべきだ。しかし、健吾少年にも語って聞かせたとおり、今の日本に、質、量共に勝るアメリカ航空隊に、まともに立ち向かえる飛行兵など、ほんの一握り、いや、一つまみも存在していない。しかも、海軍にいたっては、その熟練航空兵の殆どは松山へ招集され、新たな部隊として再編成されたと聞く。

 3月の空爆で、徹底的に破壊し尽くされたとは言え、いまだ帝都周辺の軍事関連施設に対する空爆は続いている。このような事を今さら言いたくもないが、陸海軍の足並みの不和が、帝都近隣の守りをさらに薄くしてしまっている。

 平たく言ってしまえば、重要拠点でもなんでもない、ひなびた田舎町を守るための戦力は、まったく存在していないと言う訳だ。しかし、昨夜の加藤との会話にも上がったように、この日本の上空を、安全に飛べるものと認識させる訳には行かない。

 だが、必要以上に刺激し、物量に勝る相手に、これ以上の大戦力を投入されれば、もはや日本は、国土と民草を、それこそ塵ひとつ残さず焼き尽くされてしまいかねない。

 まだ、日本という獣が、噛み付く牙を失っていないという事を、彼らに知らしめなければならない。

 我々には、まだひとつだけ切り札がある。その使い方一つで、この戦いに勝てないまでも、相手の言うままになどならず、こちらから和平交渉のテーブルに、相手を引きずり出す為の。

 しかし、それは、人間としてみる限り、最低最悪の切り札だろう。陸海軍の航空隊が、連日のように飛ばしている特攻隊など、これからみれば、まだ可愛いものかもしれない。

 だが、今の我々には、使える手段は全て使わなければならない。

『あの時こうしていれば、そうしていれば』

 などと、終わった後で、未練がましく考えを巡らせる事こそ、愚の骨頂と言うものだ。だから、我々は、やるしかない。もう、それしか道は残っていないのだから。

「国府間さん、お茶が入りました」

 私の仕事が一段落ついた頃合を見計らうように、健吾君の姉上、春子君が茶を淹れてきてくれた。どうも、あれ以来、椎名家の姉弟には世話になりっぱなしだ。大変申し訳なく思うと同時に、その心遣いは、感謝の念に絶えない。

「わざわざ申し訳ない、宿をお借りしているだけでも、十分有り難い事なのに、お茶まで頂いてしまうとは」

「いえ、お気になさらないでください。もともと、私と健吾では、この家は広過ぎますから・・・・・・」

「そうですか、いや、本当に有り難う。では、お言葉に甘えて、一服させて頂くとしましょう」

 話題を変えるためにも、春子君の淹れてくれた茶を頂くことにする。ご両親は、と愚問を問うまでもない。私が、今しがたしたため終えたばかりの簿冊には、当然、この姉弟のご両親と見られる男女の名前があったからだ。

「これは・・・・・・ほう、芋羊羹、ですか」

「ええ、お茶請けにお芋では、少しつりあわないかと思いましたので・・・・・・。その、つなぎが足りなかったので、ぱさついているんですけど・・・・・・」

「いえ、これは十分美味しいですよ。健吾君にも作ってあげれば、喜ぶでしょう」

「そうでしょうか、健吾は、お芋はもう飽きた。って、言うものですから・・・・・・。このご時世、お芋でも、食べられるものがあるだけ、幸せなのに・・・・・・」

「それは、健吾君もわかっていますよ。姉上だからこそ、甘えられこともある」

「だと・・・いいんですけれど」

 私の言葉に、春子君は苦笑交じりの微笑を浮かべて応える。健吾少年は、異国の思い人を持つ姉のため、我が身の危険も省みず、凶弾吹き荒れる中、その証明を求めた。お互いに支えあい、つつましく暮らす人々。そして、ささやかな喜びと幸せ。戦世の中では、望んでもままならないもの。

 相手の愚かな挑発に乗り、身の程も知らずに戦端を開いてしまった。もはや、そう長くはない戦とはいえ、最善とは言えずとも、いかにして最良の結果をもたらし得るか。それが、我々軍人の最後の責務と感じるのは、やはり、傲慢だろうか。

「あの・・・・・・国府間・・・さん」

「ええ、なんでしょう」

 最初の顔合わせで、私の事は、階級抜きで呼んでもらえるよう、この姉弟には依頼している。そもそも、民間人相手に階級を誇示するなど、肌に合わないし、ことさら吹聴するつもりもない。とはいえ、健吾少年の方はともかくとして、春子君に関して言えば、やはり、ある程度の抵抗があるようだ。

「その・・・・・・国府間さん、この前、うちの健吾が言ったことなんですが・・・・・・」

「健吾君が・・・・・・?ああ、もしかして、ケリー君のことですか?」

「はい・・・・・・」

「春子君、その件については、どうかお気になさらないで頂きたい。私に限って言えば、この事で騒ぎ立てる意思はありません」

 確かに、件の青年の事については、私の関与するところではない。と、伝え置いたはずだったが。・・・・・・だが、昨今の特高や憲兵達の暴虐ぶりは、同じ軍人から見ても目に余る。それこそ、文字通り『泣く子も黙る』と言うものだ。だが、春子君の目に浮かぶ憂いは、どうも、それだけではない気がする。

「ふむ・・・・・・しかし、健吾君の様子からも、家族ぐるみ、とお見受けしましたが」

「・・・・・・はい、あの人は、私の父が勤めていた航空会社で、技術指導で来日したテストパイロットでした。私達は、そこで知り合ったんです」

「なるほど・・・・・・しかし、何故その話を私に?先ほども申し上げたとおりだが、何も、尋問をしているわけではありません。無理に、話す必要はないのですよ」

「申し訳ありません・・・・・・、国府間さんのお気持ちは、大変感謝しています。ですからこそ、あやふやのままにしておきたくないんです」

「・・・・・・そうですか、では、私でよろしいのでしたら、お伺いしましょう」

 私個人としては、この件について関知する意思は毛頭無かった。何も、ありたきりなヒューマニズム、とやらを信奉している訳ではない。ただ単に、私の管轄ではないが故に、興味が無かった。たとえ、何かしらありき、としても、それは別の部署の仕事だ。

 言い方は極めて悪いが、率直な話、それに尽きる。しかし、民間人である彼女にして見れば、帝国軍人の制服を着ている以上、やはり、同列に並ばされたとしても、それは仕方の無い話だ。

 だが、健吾少年から知った限り、彼女も、想い人が米国人であったが故に、近隣からの疑念と敵意をそれとなく感じていただろう。そして、それら目に見えない針は、彼女の心身を消耗させるものであろうことは、容易に推察できた。

 話すことで、その痛みが少しでも和らぐのなら、それに越したことは無い。私のような凡庸なる者でも、そうすることで、少しでも役に立てると言うのなら、謹んでその任を受けよう。

「・・・・・・確かに、この御時世です。お二人の事を、快く思わない人間がいるのは、如何ともしがたいことではあります」

 彼女の話を聞き終えた私は、率直な感想を返す。互いの心を確かめ合い、将来を誓い合ったふたり。そして、開戦が無ければ、ささやかながらも、異国同士の架け橋とも言うべき道を、共に歩むはずだった。しかし、両国が共に向け合った矛の前に、その願いは引き裂かれてしまった。

 彼女の話に、私が為した事ではないとは言え、慙愧の念に駆られるのを抑えられない。ほんの僅かな舵取りの誤りが、重大な誤りとなるまで蓄積された。それは、何も関東軍を含めた陸軍だけの問題ではない。彼らと同じ世界に生きる私にも、それは同じように背負わなければならないものであることは、今さら弁明の余地は無い。

 健吾少年も兄と慕う、ケリーなる異国の青年。彼は今、どのような思いで、この世界を見ているのだろうか。

「お話していただいたこと、本当に有り難うございます。そして、重ねて申し上げるが、私は、この事については、一切関知するつもりはありません。むしろ、春子君とケリー殿が再会できることを、心より願うだけです」

「国府間さん・・・・・・申し訳ありません・・・本当に・・・本当にありがとうございます・・・・・・」

 やはり、ずっと気に病んでいたのだろうか。春子君は、安堵の表情を浮かべながら、目元に光るものを浮かべていた。そう、二人には何の落ち度も無い。むしろ、責められるべきは、我々の方なのだから。




「敵爆撃隊は、現在、墨田、品川を空爆。あと10分後には、東京湾へと離脱する模様とのことです」

「そうか、やはり、いつもの定期便、と言う事だな」

「はい」

 いよいよこの時が来た、などと意気込むほどのものでもない。いつも通りここを通る敵を待ち伏せ、名のある搭乗員を消す。多過ぎず、少な過ぎず。狙った目標のみを、確実に破壊する。そんな芸当を、間違いなくこなせるのは、彼女達しかいない。

 同盟国ドイツからもたらされた、『錬金術』なる西洋魔術。人間と、極限まで練成された霊銀、『ミスリル』を融合させ、人でもなく機械でもない、いわゆる『人外の者』を創り出す秘術。

 人ひとりを、丸ごと異形のものへと作り変える、禁忌の魔術。赤き血潮は、霊銀となりて全身を巡り、白き柔肌は、霊紋を刻み全身を覆う鎧となり、己が身を刃と変え、翼と変える。

 人でありながら、人ならぬ者となった、現代に現れた戦巫女。その者は、『霊装神兵』と呼ばれる戦闘人形となる。壊滅の瀬戸際に立たされた、我が帝国陸海軍が繰り出した起死回生の刃にして人外の力。

「では、当初の計画通り進めよう。それぞれ、所定の配置において待機。目標到達を確認次第、状況を開始する」

「了解しました」

「頼むぞ、加藤君」

「お任せください」

 もはや我々は、後には退けない所まで来てしまった。勝てないまでも、只では負けない。矢尽き刀折れて屈するのではない。あくまでも、相手に喰らいついた牙を、こちらから『放してやる』ものでなければならない。

 でなければ、日本という国は、半永久的な屈辱を受けるだろう。私は、連合国軍に何の慈悲も、ましてや温情も期待していない。残念ながら、今の人間というものは、それが出来るほど、まだ賢くは無い。

 少しでも『まし』な結果を望むのであれば、それは、自分自身の力において行動する他にない。そして、我々が、それを為す。後の世の人々に、悪鬼蛇蝎と罵られようと、それは望む所だ。

 もとより、『護国之鬼』とは、半端な覚悟では為し得ないのだ。




「春子さん、もうすぐ空襲があります。早く、避難の支度をしてください」

 加藤と別れた私は、各所に連絡事項を通達し終え、椎名家へと赴く。そして、戻って早々の私の言葉に、律儀に出迎えてくれた春子君は、戸惑うような表情を浮かべていた。

「消防団と警察へ報告に出向いたため、遅くなってしまい申し訳ない。別行動を取っている、私の部下から連絡がありました。敵は、現在東京湾を横断中です。ここへ到達するまで、もう時間もありません。どうか、急いでいただきたい」

「わ・・・わかりました、国府間さん」

「よろしい、健吾君は、まだ学校ですか?」

「はい、今日は、勤労奉仕に出ているので、まだ・・・・・・」

「そうですか、私は、これから避難行動の指揮に出ます。健吾君を見つけ次第、防空壕へ誘導しましょう」

「申し訳ありません、国府間さん。健吾を、よろしくお願いします」

「わかりました、春子君も、急ぐように」

 春子君に状況を伝え、再度往来に出た時には、地元の警察官や消防団員に誘導され、防空壕へと避難する住民達の姿が数を増しつつあった。

 しかし、これでも、明らかに後手を踏んでいる。敵の足は速い、もって、あと20分弱もあれば到達するだろう。香取や茂原の海軍飛行隊は、恐らく、来るべき本土決戦に備えた上層部の戦力温存策によって、飛行を制限されている公算が高い。

 現に、つい先日も、零戦が撃墜されてしまっている。只でさえ稼動機の少ない状況で、これ以上の、貴重な戦力の損耗を避けるため、それらは徹底されていると見たほうがいい。となれば、彼らを当てにすることは難しい。

 もっとも、それらは既に織り込み済みだ。こちらには、文字通り、一騎当千の『奥の手』が存在している。むしろ、戦闘よりも、懸念の材料は他にある。

 あの、銀色の『人喰い鮫』が、我々の前に、姿を現してくれるかどうか。だ。

「戦隊長」

 避難する住民達の流れに逆らって走る私に、涼風のような声がかけられる。

「加藤君か」

「戦隊長も、早く避難を」

「計画通り、避難誘導を兼ねて戦況経過を観察する。そう言っておいたはずだ」

「・・・・・・了解しました。作戦要員は全て、所定の配置にて待機しています」

「よろしい、状況開始及び戦況判断は、君に一任する」

「了解しました、それから、御友人は、御家族の下へ送り届けました」

 思わぬ言葉に、横を走る加藤を見ると、軍帽の下からわずかに覗いた、真紅の瞳が、微かに笑みを浮かべて寄越した。

「御苦労、これで後顧の憂いは無し。と、言う事だな」

「恐れ入ります」

 懸念がひとつ片付き、幾分軽くなった肩の感触と共に、遠雷のような音が、風に乗って流れてくることに気付く。

「来ました」

「そのようだ。では、加藤君、頼んだぞ」

「了解、状況を開始します」

 応答と同時に、加藤の小柄な体は更に加速を加え、避難に走る人々の間を、疾風のように駆け抜ける。その瞬間、身にまとっていた軍装が薄紙のように千切れ飛び、たおやかな肢体が露になったと同時に、その体に白銀の紋様が走り、瞬く間に全身を覆い尽くした。

 そして、くまなく覆う紋様は隆起を始め、たちまち立体化していくそれは、全身を覆う白銀の鎧と化す。同時に、突如吹き荒れた突風に、思わず息が詰まり、異変に気付いた周囲の住民達からも、次々と驚きの喧騒が上がる。

 だが、その頃には既に、加藤の姿は、自ら生み出した旋風に乗るように、白銀の翼を閃かせつつ、蒼空へと舞い上がっていった。そして、彼女に続くかのように、ここから離れた場所からも、白銀の鎧と翼に身を包んだ戦巫女達が、次々と上昇していく姿が見えた。

 彼女達は、上空で合流しつつ隊伍を組み、さらに上昇を始めると、雲海の中にその姿を消した。それから程なくして、入れ替わるように、ムスタングの機影が、その銀色の機体を閃かせながら、邪神の唸り声の如き忌々しいエンジン音と共に、その姿を現しつつあった。

『急げ!グラマンが来たぞ!急げ!!』

 けたたましく鳴り響き始めたサイレンと共に、警察官や消防団員達の逼迫した声が、怒号となって、急速に恐怖が伝播し始めた住民達を急き立てる。

『急げ!急げ急げ急げ!!』

 そして、ついに、魔弾の雨が民家の瓦や道路を打ち叩き、激しい炸裂音と共に破片を飛び散らせる。つい今しがたまで、懸命に住民の誘導を叫んでいた警察官が、ムスタングの一斉射に巻き込まれ、粉々に飛び散った。

 阿鼻叫喚、一気に臨界に達した恐怖で、住民達は悲鳴や怒号と共に、身を隠せる場所を求めて奔走を開始した。そして、その頭上を、ジュラルミンの機体を光らせるムスタングが、爆音と共に轟然と飛び去っていく。

『畜生!また奴らだ!!』

『味方は!?味方の飛行機はどこに行ったんだ!!』

 人々の怨嗟の声を背中に浴びながら、悠然と飛び去っていくムスタングは、上空へ駆け上りながら、次なる獲物を吟味するかのように、ゆるやかに旋回を始めていた。

『また来るぞ!隠れろ!!』

 再び舞い降りてくると同時に、翼の機銃から炎を閃かせ、逃げ惑う人々の頭上に銃弾を振り撒き始める。民家が砕け、地面が爆ぜ、悲鳴や怒号が交錯する。

 空からもたらされた狂乱は、地獄の釜を完全に開け放ち、ありとあらゆるものを、次々とその中へと飲み込んでいく。

 だが、しかし、まだだ、まだ加藤達が出てくることはない。『人喰い鮫』が、まだその姿を現していない。ここで彼らを殲滅するのはたやすいだろう。しかし、それでは、駄目なのだ。

 単なる邀撃では、その場限りの勝利と評価は得られるだろう。しかし、敵に対しての恐怖は与えられない。手当ての出来る切り傷では意味が無い、その体内深く、抜けない棘を打ち込み、苦痛を与え続けなければならない。そのためには、まず、『人喰い鮫』には、生贄になってもらわなければならない。

「照夫!急いで!!」

 声のした方を反射的に振り向くと、乳飲み子を背負い、まだ年端もいかない幼子の手を引いて、炎と煙の中を必死に走る、若い母親の姿があった。

「そこの方!こちらです!!」

 まだ小さいとは言え、子供二人を連れているため、避難もままならなかったのだろう。とにかく、このまま見過ごす訳にもいかない。

「ここの立ち木伝いに行けば、竹林があります。防空壕を探して走り回るより安全です、さあ、早く!」

「ありがとうございます・・・!静夫、照夫、もう少しだから、頑張るんだよ!」

「・・・・・・今だ、早く!」

 私達の頭上に立ち込める黒煙の隙間から、敵機が爆音と共に飛び去っていくのを確認したと同時に、私は、彼女が手を引いていた方の子供を抱え上げると、鬱蒼と生い茂っている竹林に向かって走り出した。

 敵機の爆音だけが轟く空を見上げる、が、まだ、あの『人喰い鮫』の機影は無い。何をしているのだ、早く出て来い。まさか、ここにくる途中で墜とされるほど、お粗末な腕と言うわけでもあるまい。

「ここなら、敵も銃撃の目標にはしないでしょう。では、私はこれで!」

「本当にありがとうございます、軍人さん、どうかご無事で・・・・・・!」

「お言葉いたみいります、では、失礼!」

 母親に一礼し、私は竹林を後にすると、燃え盛る町へと再び駆け出す。が、その時、私は、信じられないものを目の当たりにする事になった。

「健吾君!?」

 四方八方から吹き上げる、炎と黒煙の合間を走る少年は、紛れも無く、あの健吾少年だった。なぜこんな所に、などとは愚問の極みだ。彼は、この期に及んでなお、姉の受けた屈辱を雪ぐべく、ムスタングの薬莢を求めて、煉獄の中へと飛び出したのだ。

 なんと言うことを・・・・・・・!

「健吾!伏せろ!!」

 あまりのことに、駆け出しながら叫ぶ。しかし、私の声が届かなかったのか、それとも、敢えて黙殺したのか。健吾君は、なおも求めるものを探すように走る、そして、不意に立ち止まると、地面から拾い上げたそれを、高々と掲げ挙げた。

 笑顔と共に、私に向けて示した、その手に光る金色の小さな金属。それは、紛れもなく、ムスタングの13粍機銃弾の薬莢だった。

「健吾!危ない!!」

 私の背中を突き抜いて、少年に向かって飛んだ女性の悲鳴、それが、誰のものか理解するその瞬間、健吾君の姿は、赤い飛沫と共に視界から消滅した。

 彼を追ってきたのであろう春子君の、絹を裂くが如き悲鳴。そして、轟然と頭上を飛び去る、鮫口を機首に描いたムスタング。

「健吾!健吾!健吾!あああああああああああああああああああああああっっっ!!」

 もはや、元の姿を留めてはいない、健吾少年だった赤い欠片をその腕にかき集め、自らをもその血潮で真っ赤に染まりながら、身を張り裂かんばかりに慟哭する春子君の姿。

 戦場においては、至極当然の光景。私自身、大陸で、南方で、飽きるほど見てきた光景。しかし、この時ほど、私の胸中に潜む悪魔がざわめいたことはない。

 己、よくも。

 恐らく、加藤も見つけているだろう。そして、奴を屠るだろう。だが、気が変わった。奴は、私達ではなく、別のものに裁きを委ねなければならない。

 帯革に吊るした、もうひと揃えの拳銃サックから信号銃を抜き放ち、それを頭上に向かって発砲した。

 黒煙を貫いて、蒼空高く駆け上る、真紅の光。

 さあ、次の一手は、こちらから打たせてもらおう。我ら、大日本帝国陸軍第13特務飛行戦隊の力、篤と御覧あれ!

 私は、軍刀を鞘ごと帯革から外し、それを杖とするかのように両手を添え、黒煙と熱風の吹き荒れる中に、その両足を踏みしめる。

 もはや、逃げる必要もない。後は、一方的な屠殺が始まるだけなのだ。敵ではなく、我々の手によって。

 黒煙の切れ目から、上空を旋回しつつ、こちらへと目掛けて降下してくる敵機の姿。私を見つけたのだろう。この場において、軍人の姿は、彼らの言うところにおける、『シューティング・ゲーム』にあって、高得点の獲物であろう。

 いいだろう、私は逃げも隠れもしない。さあ、遠慮なく来るがいい。私は、ここから一歩も動かない。

 お互い連絡を取り合ったのか、今まで好き放題に飛び回っていたムスタング達が、示し合わせたように上空を旋回すると、次々と向かってくる。そして、その先鋒が、機銃の射線に私を捉えるように直進する。

 その時、上空から飛来した何かが閃き、ムスタングを直撃した瞬間、その風船のような風防は、内側から真紅に塗り潰される。

 搭乗員を失ったムスタングは、機体を引き起こすことなく、そのまま私の頭上を掠めるように飛び去ると、背後の落花生畑に、その鋭い鼻っ面から突っ込み、轟音と共に火柱を上げた。

 そのはるか上空に、まさに、その超人的な膂力によって放った、苦無手裏剣の正確無比な一撃で、ムスタングの搭乗員を文字通り粉砕せしめた加藤が、体勢を立て直しつつ天空を翔ける姿を見る。

「総員、突撃」

 さあ、全てのものよ、御照覧あれ。待ちに待ち望んだ、この瞬間。私の中の悪魔が、これ以上なく喜悦する。私は、口元の綻びを隠すことなく、空を見上げた。

 太陽を背に、真昼に現れた流星の如く、上空から一直線に突撃する光。それらは、まだ異変に気付かない敵機に被さる体勢で降下すると共に、二振りの小太刀を抜刀した、白銀の鎧をまとった姿を明らかにする。

 そして、両手に掲げた白刃を閃かせるや否や、一糸乱れぬ動きで襲撃を開始する。彼女達の手にする小太刀、八島一式短刀は、彼女達の肉体と同じく、霊銀をもって鍛え上げた業物。霊装神兵の力によって振るわれるその刃の前において、ジュラルミンの板など薄紙一枚にも値しない。

 霊装神兵達が、敵機の頭上から真ッ逆様にダイブし、激突も辞さぬ勢いで迫撃を仕掛けたと同時に、手にした小太刀を一閃し、ムスタングの機首を薙ぎ払った瞬間、喉笛を掻き切られ鮮血を噴き上げるかのように、エンジンから炎を噴き出し、プロペラが風車のように吹き飛んでいく。

 別の場所では、鰯の尾のような細い胴体尾部を切断されたムスタングが、一瞬、突風に煽られた紙飛行機のように機首を浮き上がらせた瞬間、木の葉が舞い落ちるように落下していく。そして、その横を、風防ごと搭乗員を両断されたムスタングが、全速のまま地上に突撃し、破片と炎を天高く吹き上げていた。

 第一波において、敵編隊に確実な痛撃を与えた霊装神兵達は、そのまま急降下を続け、地上から立ち昇る黒煙の合間にその身を滑り込ませると、巧みに敵の前から姿を消し去って行く。

 周囲を渦巻く黒煙と炎の壁、地上はそれらで覆いつくされる中、突如、黒煙を突き抜け現れた霊装神兵達の姿が、私の眼前を、疾風の如く次々と飛び抜け、まさに戦闘機と同等の速力を持って、木立や民家の隙間を正確無比に駆け抜けながら、次の標的を目指して疾駆する。 

 いかに霊装神兵と言えど、速力においては、ムスタングが遥かに優速だ。しかし、彼女達は、航空機などとは比べ物にならない、微細極まる旋回機動を発揮する機動力と、視認性の低さを最大限に活かし、常に敵機の先手先手を打つように回り込み、死角からの一撃離脱で対抗する。

 そして、まだ敵に捕捉された様子もない。身の丈5尺程度しかない霊装神兵は、空中においての視認性は著しく低いという事もあろうが、戦闘機の中は、自機のエンジンが発する轟音で、搭乗員の聴覚は完全に封じられる。

 そんな中で、編隊から脱け出した列機が撃墜されても、神経を尖らせている戦闘空域ならともかく、無抵抗の民間人を追い掛け回して遊んでいるような連中に、そうそう気づける道理は無い。

 やがて、次の標的に狙いをつけた彼女達は、跳ね上がるように急上昇を始め、完全な死角となる腹面を突き上げるように突撃するや、正確無比な機動で機体背面を撫でるようにすり抜けた瞬間、ムスタングは、はらわたを撒き散らす魚のように、炎の尾を吹き流しながら、あるものは空中で爆散し、あるものはそのまま大地へ激突していった。

 突然、4機もの列機が撃墜される。そろそろ、敵も異変に気付きだした様子が見える。しかし、敵機も対空火砲の姿もない、まさしく、目に見えない敵の存在に、敵編隊の動きに動揺が広がっている。もはや、地上を掃射して遊んでいる余裕は、彼らにはない。

 先ほどまでの傍若無人な飛行から一転、警戒するように三機編隊を組んだムスタングの一団が、慌てふためくように上昇を始め、上空で態勢を立て直そうとしている様子が、私からもはっきりと見えた。

 だが、上昇を始めた敵機の頭上から、上空で待ち構えていた霊装神兵の二番班が、待ち構えていたとばかりに強襲を仕掛ける。その時になってようやく、敵は自分達の列機を撃墜したものの存在に気付いたのだろう。

 真正面から抜刀しつつ迫る霊装神兵に、合わせて18丁の機銃が弾幕を浴びせかける中を、彼女らは、弾丸の雨の合間を滑り抜けるように突撃し、羽毛のような軽やかさで敵機の直近を流れると同時に、両の手に閃かせた白刃を振り抜き、大道芸の演目の如き軽妙さをもって、敵機の左翼を三機同時に斬り裂いた。

 突然片方の翼を奪われたムスタング達は、自らの強力なエンジンのトルクに振り回されて横転し、そのまま激しく錐揉みを始めると、落下傘を吐き出すこともなく、次々と畑や路上に激突し、炎と破片を撒き散らした。

 これで10機、敵編隊の損害は、全体から見れば多くはないが、少なくもない。しかし、今は敵を殲滅するのが目的ではない。そして、加藤は彼女達を良く『抑えて』くれている。

 『甲種』霊装神兵である加藤は、善も悪もない、純粋な破壊衝動にのみ突き動かされる、いわば完全な戦闘兵器でしかない『丙種』を率い、撃ち放たれた銃弾を操るが如き、見事な統率を見せてくれている。そして、初陣にもかかわらず、十分な戦果を上げてくれた。

 後は、あの人喰い鮫を捕らえるのみだ。人喰い鮫よ、人語を解するなら聞くがいい。貴様が喰らった少年、その代価が、如何に高くつくかを教えてやろう。

 そして、私の意志を汲み取ったかのように、蒼空を乱舞する流星の一つが、群れから外れ、敵編隊の先頭へと流れていくのが見える。そして、目標に取り付いた途端、ムスタングは、狂ったように暴れ出した。

 機体を激しくひねりながら、急旋回や急降下を繰り返すムスタングは、まるで、狼に喰らい付かれ、それを必死に振り落とそうともがく大鹿のようにも見えた。そして、突風と爆音を叩きつけつつ、私の頭上をかすめるように飛び去ったムスタングから、飛び降りる人影が見えたと同時に、主を失った機体は、力尽きたかのように民家に激突した。

「手間をかけさせたな、加藤君」

 蒼空を背に舞い降りてくる、白銀の鎧をまとった姿。そして、その腕に吊り下げられている米軍飛行兵。そして、その時には、引き際を悟ったのだろうか。霊装神兵達の刃を逃れた者達は、すでに粟粒ほどの点となって、空の彼方へと消えようとしていた。




「御苦労だった、加藤君」

『捕獲』した米飛行兵と共に、私の前に舞い降りてきた加藤君に、労いの言葉と共に、畳んだマントを広げ、彼女に差し出した。空に居る時ならばともかく、鎧を模しているとは言え、白昼の往来の中、まるで、舶来の下着か水着のような姿を晒させるは忍びない。

 術士達は、何を考えて、このような『なり』になるようにしたのか。それとも、ドイツ伝来の『錬金術』において、『やむなき』だったのか。ともあれ、そんな事を論ずるのは後でいい。

「・・・・・・加藤君、彼が・・・?」

「はい、『人喰い鮫』です」

 加藤が拘束している米軍飛行兵は、常識を超えた事態の前に、少なくない衝撃の色が浮かべている。しかし、この期にあって、なおも敵意に満ちた目を向ける彼を前に、私は、もう一度彼女に問う。

「間違いはないのだな?」

「はい、目標機から直接拘束しました、間違いありません」

「そうか、妙な事を訊ねて、すまなかった」

「いえ、問題ありません」

 願わくは、人違いであって欲しかった。なぜか、そう願わずには居られない、もうひとりの私がいる。椎名家の写真立ての中で微笑んでいた、異国の青年飛行士。だが、その彼は今、米陸軍航空隊の飛行服に身を包んでいる。

 祖国の為に力を尽くす事、即ち、『国家への忠誠』なるもの。

 それは正当な意志であり、何人たりとも、それを非難する事は許されない。しかし、それでは彼にとって、日本とは何だったのか、春子君とは何だったのか。そして、彼を『兄』と慕った、健吾少年とは何だったのか。

 だが、私の前に居るのは、紛れも無く、無抵抗の人々を数多喰らい続けた『人喰い鮫』であり、それ以上でそれ以下でもない。

「戦隊長、彼の処遇は?」

「本作戦において、捕虜の存在は想定しない。我が隊は、敵飛行部隊に対し、試験評価を兼ねた邀撃行動のみを行うものである」

「・・・・・・では?」

「彼の処遇については、地元住民に委譲する。我が隊は、彼について、一切関与しないものとする」

「・・・・・・よろしいのですか」

「かまわない」

 私の言葉に、加藤君の表情が微かに翳る。当然だろう、今、彼を地元住民に対し、『意図的』に委ねたとすれば、彼が、生きて故郷の地を踏める確率は、限りなく零になる。

 私のしようとしている事は、法と人倫への明白な叛逆。だが、それは、言う必要も無い。私がそれを自覚しているなら、それでいい。

『先ほど、君が戯れに殺した少年。彼は、君を兄と慕っていた。我々は、君を捕虜として扱わないが、拘束もしない。君を愛し、信じてくれた者達に対する君の行為。君の弁護は、君自身でしてみたまえ』

 私は、敢えて、彼の故郷の言葉でそう囁く。そして、今さらながらに青褪める彼から離れ、加藤に拘束を解除するよう伝えた。

 もう、これ以上彼と対面するは忍びない。私は、事後処理を任せ、その場を立ち去ろうと踵を返した時だった。

「こ・・・国府間・・・・・・さん」

「・・・・・・御覧に、なっていらしたか」

 まさに、一触即発。これ以上無く殺気に満ちた空気と共に、引き寄せられるように集まり始めた住民達。そして、私の前に、半ば放心しきった表情の春子君がいた。そして、その服は、鮮血と肉片で真っ赤に染め抜かれている。・・・・・・いや、服だけではない。彼女の腕も、その白い頬も、彼女の、たったひとりの弟だった赤に染まっていた。

「申し訳ございませんでした、非常に・・・残念に思います」

「彼が・・・あのひとが、健吾を・・・・・・?」

「お言葉もありません」

 私は、目の前の彼女に対し、加藤に向けたものと同じ言葉を向ける。帝国陸軍特務戦隊長としての私と、『国府間』としての私。だが、その軽重を量る天秤は、匙加減を誤魔化せるど、気の利いた造りでは、決して無い。

「彼の処遇は、あなた方に一任いたします。私共は、これから事後処理と救援要請のため、本部に報告をせねばなりません。では」

「国府間さん・・・・・・私は・・・私は、どうしたらいいんですか・・・・・・・・・」

「先ほども申し上げた通りです・・・・・・では、いずれ、また」

 春子君に一礼し、『米飛行兵』を住民達に引渡し終えた加藤君を伴い、私は、一切、後を省みることなく、その場を立ち去った。

 罵声と怒声、耳障りな殴打の音、そして、春子君の名を叫ぶ悲鳴に送られながら。

「戦隊長、ひとつ、質問させていただいても、よろしいでしょうか」

「なんだね」

「人喰い鮫・・・・・・始めから、こうするおつもりだったのですか」

 いつもと変わらぬ、穏やかな声。そして、首筋に吹きつける、濡れた剃刀のような視線の気配。

「そうだな」

 私は、懐の中で眠る、薬莢の硬い感触を確かめる。

「実に忌々しい事だよ」

 それきり、押し黙る加藤の気配を背中に感じながら、未だ燻り続ける町を歩き続ける。全て、私の不手際だ。人を知ることは、自らを縛るということ。その枷を断ち切れば、その破片は、人を傷付ける刃となる。

 それは、とうにわかりきった事だ。だが、今さらそれが一つ増えたとて、なにがあろう。世の怨嗟を背負う覚悟は、とうに済んでいる。

 目的は、確かに果たした。彼女達の力、それは、日本の最後の牙となる。それだけ確かめられれば、今の私には、何も言う事などない。そう、言う事は、ないのだ。

 軍人として、それさえわかれば、それでいい。