ザ・クレイジーズ



「・・・・・・・・・寒いな」

「そうっスね・・・・・・・・・」

 束の間の休憩時間、俺達テックは、野郎同士ぴったり肩を寄せ合い、小さな電気ヒーターを取り囲む。そして、普段なら『香りが飛ぶのでダメ・絶対』とされる、沸騰寸前に熱いコーヒーを満たしたマグカップを両手に包み持つ。しかし、それすらも、外気に熱を奪われ、すぐにぬるま湯に変わってしまう。

 なんでも、観測史上10何年か振りの大寒波、と言うことで、特に寒冷地帯ではないはずのうちの周辺でも、身を切るような風が吹き、体感温度はどん底。この寒さにかてて加えて、空気の異常乾燥も手伝い悪質な風邪が流行し始めている。

 すでに、うちのクラスターでも、居室療養を言い渡された奴が何人も出ている。そして信じられないことに、その中にはマスターの名前もあった。あの超人が、と、俺達整備班は少なからぬ動揺に襲われたが、やはりそこは生身の人間。毒性の強いウイルス相手では、やはり分が悪かったのかもしれない。

 そんな状況だから、司令から健康管理の徹底という訓示が出たが、そんなことはお構いなしに、次々とスコアを伸ばし続けている。待遇面では、これ以上無いくらいに優遇されているメック戦士ですらこの有様だから、列外階級の俺達ボンズマンの防寒対策など推して量るべしだ。

 それに、うちのリオも、可哀想なことに、おとついあたりから熱を出して寝込んでいる。どっちが先にうつってきたのか知らないが、俺自身もここ最近、本調子じゃないのがわかる。しかし、

『具合が悪いので、休ませてください』

 と言って、『はいそうですか』と休ませてもらえるほど、俺達は甘やかされていない。と、言うわけで、俺達は『自分の身は自分で守る』と言った基本ドクトリンの元、一致団結して自衛策を講じることになった。しかし、メックハンガーの中の冷え込みようは酷い。ただでさえ火気厳禁なもんだから、それこそまさに冷蔵庫の中だ。足元から這い上がってくるような静かで強烈な底冷えは、ちゃちな電気ヒーターやコーヒー程度じゃ防ぎようが無い。

「・・・・・・さて、そろそろ作業に戻るぞ」

「班長、大丈夫っスか?なんか、顔が赤いっスよ・・・・・・熱でもあるんじゃないっスか?」

「そりゃ、お前ら全員のことだろうが。大丈夫だ、まだなんともない」

「けど班長、ここんとこ毎日、ハンガーに詰めっ放しじゃないっスか。いくら、具合を悪くした連中の代わりまでとは言っても、こんな無理を続けてたら、本気で持たないっスよ」

「だからと言って、40度近く熱を出してる奴を、無理に引っ張り出すわけにもいかんだろ。もしものことがあったら、それこそ取り返しがつかないからな。とにかく、元気な奴で、カバーしてやれる所はしてやらんと」

 シゲ自身、あまり調子の良くなさそうな顔をしているのに、俺の体調を気遣っている。気持ちはありがたいが、俺達の班からは、もう5人もひっくり返っている。聞けば、他の班も似たり寄ったりの状況だそうだ。これ以上人が抜けたら、冗談抜きでバイナリーは元より、クラスター全体のメック稼働率に響きかねない。

「さて・・・行くぞ・・・・・・」

 目ん玉を外に押し出しちまいそうな頭痛をこらえながら、重い体を無理やり立ち上がらせると、体の節々が鈍い痛みを訴えてくる。それを無視して、持ち場に戻ろうとした時だった。

「クルツはいるか、司令本部から通達がある!」

 俺を呼ぶ声に振り返ると、アストラがハンガーに入ってくるのが見えた。

「どうしたんだ、アストラ。何か、問題でも」

「問題・・・というより、俺には、お前の方が問題に見える」

「・・・・・・そうか?」

 アストラは、俺の顔を見るなり、一瞬表情を曇らせるが、軽く咳払いをしながら、司令本部からの連絡とやらを話し始めた。

「ここ最近の気象状況の悪化と、流行性感冒の蔓延は知っての通りと思う。今回の状況を重く見たイオ司令が、幹部クラスを集めて行った会議の結果だが、職種、階級の如何にかかわらず、保健予防の見地から環境衛生の改善を決定した。

 ひいては、体調を崩した者は、申告の上、医療理事官の元へ出頭。しかるべき診察を受けた後、経過報告書を提出する。それから、これはそれまでの暫定的な処置ではあるが、防寒装備及び暖房資機材の支給が決定した。各部署の責任者は、見積りをまとめ、申請書を提出するようにとの事だ」

「なんだって・・・・・・それじゃ・・・・・・?」

「ああ、今まで力にもなれず、今さらこういうことを言うのも心苦しいが、もう、こんな劣悪な環境で、無理を通す必要はないと言うことだ。装備資機材の保守管理は、至上命題ではある。しかし、それを支える人員を無視していては本末転倒であると、司令が述べられた見解だ」

「・・・・・・そうか、司令が・・・・・・」

「ああ、で、さっそくだが、お前の班の状況を取りまとめた報告書と、装備資機材支給の申請書が欲しい。こういうことは、できるだけ早い方がいい」

「わかった、さっそく・・・・・・・・・」

 その瞬間、いきなり全身が鉛のように重くなり、視界が黄色く染まりだした。そして、宇宙空間を航行するジャンプシップの中にいるかのように、足元から重力の感覚が無くなっていく。周りで、次々に俺の名前を呼ぶ声が聞こえたが、耳元で旋盤を使われているような激しい耳鳴りが、それをかき消していった。




 結局、あの後、俺は担ぎ込まれた病院で肺炎と診断され、一週間ほど入院することになった。まあ、今までの打ち身擦り傷開放骨折に比べれば、ちょっとした休暇って所だが、またもや、入院王の名に恥じぬ記録の更新をやらかしてしまった。

 あの時のアストラの話を聞き、気が緩んだ弾みで一気にガタガタ崩れちまった・・・ってとこなんだろうが。それはともかく、一週間もハンガーを空けてしまったことと、まだ病気も治りきっていないリオを、ひとりにしてしまったことが気がかりだった。

 とりあえず、ハンガーはシゲやトリベ、ワシオ達三人組がいれば安心ではあるし、リオは、ハナヱさんやディオーネが面倒を見てくれていた。なんとも、人様に面倒のかけっ放しで心苦しい限りだが。

「あっ!おかえり、クルツ!!」

 退院して宿舎に帰ってくるなり、すっかり元気になっていたリオが、MTBでフローティング・ターンの練習をしていた。けれども、俺に気付くなり、MTBから飛び降りて駆け寄ってくる。

「ハハハ、ただいまだ、リオ。ほぅら、お土産だぞぉ?なんと、ケーキだ!」

「やった!おおきに!!」

「ああ、ミルヒさんの手作りだぞ」

「ミルヒさんって、あの太っちょの看護婦さんか?」

「いや、今はもうだいぶスリムになってたぞ」

「そうなんか?」

「ああ、それより悪かったな、長いこと家を空けちまって」

「大丈夫じゃけん、ハナヱ姉ちゃん達が来てくれとったから、すぐよくなったけぇね」

「そうか・・・・・・それじゃ、ハナヱさんの所にも、あとでお礼に行かないとな」

「うん!」

「それで、俺がいない間に、なにか変わったことはなかったか」

 宿舎に戻りながら、MTBを押しながら歩くリオに、何気なく聞いてみると、これまた予想外の答えが返ってきた。

「うん、イオ様が、熱出してお休みしとったけん」

「なに、司令が?」

「う、うん。でも、三日くらいで治ったみたいじゃけん」

「そ・・・そうか」

 こいつはまいった、イオ司令まで調子を悪くするとは。どうやら、今度のインフルエンザは、相当洒落にならない代物だったようだ。ともあれ、今が平時で本当に良かった。そうでなければ、それこそ笑い話で済むような騒ぎじゃない。

 ともあれ、居室に戻って荷物を置き、ケーキを頬張っているリオを見て癒されたりしながら一息ついたあと、上着を突っかけてハンガーを覗いてみることにした。なにせ、一週間も仕事を空けてしまったわけだし、ハンガーの様子が気にかかる。

「もう仕事にいくんか?大丈夫なんか、クルツ」

「まあ、様子見って奴だ、お前はゆっくりしてていいぞ」

「大丈夫じゃけん、じゃあ、うちは、アストラ兄ちゃんのとこ行って、クルツが帰って来たって言ってくるけん」

「そうか?なら、頼んだ」

「うん!」

 そう言うと、リオはフォークを置いて残りを丁寧に包み、居室を飛び出していくと、MTBにまたがり風のような速さで走り去っていく。・・・・・・さて、久しぶりの我が職場は、どうなっているのかしらね、楽しみだわ。

「よっ、おひさし!」

 毎度のこととは言え、たった一週間でも、まるでひと月は空けてしまったような感覚だが、さっそくシゲ達が出迎えてくれた。

「おつかれさました、班長!もう大丈夫なんッスか?」

「ああ、なんとかな。それと、ありがとうな、留守の方みてくれて。で、なにか変わったこととかなかったか?」

「変わったこと・・・と言っても、まあ、状況は相変わらず。風邪ははやり放題、司令の環境改善策と他部局の応援のおかげで、どうにかしのいでいるっスけどね。ただ、執行部の指揮で頑張り過ぎたんでしょうね、イオ司令が体調を崩してしまってるっスよ」

「ああ、リオから聞いた。もしかして、まだ治りきってないのか?」

「いや、そんなに重症でもないっスよ。ただ、大事をとって、強制的に休みを取らされたみたいっスね。なにしろ、時期が時期っスから。司令にまで倒れられたら、それこそクラスターの危機な訳ッスし」

「そうか・・・で、みんなは?」

「みんな・・・・・・?ああ、アストラさん達っスか」

「大変じゃクルツ!アストラ兄ちゃんが倒れたけーん!!」

『はあ!?』

 心底慌てふためいた様子で、転がるようにハンガーに駆け込んできたリオの言葉に、俺とシゲは、もう、絶句するしかなかった。




 リオの報せに、俺達整備班は手の空いている奴全員で急行し、アストラを医務室に運んだわけなんだが、これはどうにも重症そうだ。

「す・・・すまねーの、クルツ。手間かけさせたでよ・・・・・・」

 高熱でゆで上がり、真っ赤な顔で唸っているのみならず、普段の凛とした言葉遣いも忘れ、ノヴァキャ訛り丸出しで唸っているアストラを前に、俺達は状況の深刻さに、ただ言葉を失うしかなかった。

 アストラは、司令が療養休暇をとらされた後、その代役として、保健予防対策の陣頭指揮を執っていたマスターの補佐をしていたということだが、病み上がりで調子が上がらないマスターの分も、アストラが一手に引き受けて駆け回っていたらしい。

 だが、未だに沈静の兆しを見せないインフルエンザと、連日のオーバーワークは、鋼鉄の肉体を誇るアストラをも粉砕してしまった。

「だから、せめてメシだけはちゃんとしたモンを食えと、あれほどゆーたがね。忙しいのはわかるけどもが、三食Cレーションばっかしじゃ、具合悪くして当然だぎゃ」

「す・・・すまねーだで、姉ちゃん・・・・・・」

 食事をとる暇をも惜しみ、激務につぐ激務に明け暮れるアストラを気遣い、差し入れの弁当を持って様子見に訪れたディオーネは、床にぶちまけられた書類の海に沈むように倒れていた、文字通り虫の息の弟を発見したという。

 そんな彼女は、軍病院へ搬送するアンビュランスを待つ間、濡れタオルで汗を拭いてやりながら、かいがいしくアストラの介抱を続けている。改めてこうしてみると、『いいお姉ちゃん』だよな、本当に。

「とにかく、ひいちまったもんは仕方ねーだぎゃ、こうなったら、完全メンテしてもらうと思って、大人しくドクターに診てもらっとくだぎゃ。とりあえず、ジャックが後は引き継ぐ言ぅとっただで、うちも、できるだけのことはするだぎゃ」

「う・・・うん・・・・・・姉ちゃん、ほんとにすまねーだで・・・・・・」

「な〜に言ぅとるだぎゃ、さっきから詫びてばっかり。気にせんと、今はゆっくり休むだぎゃ、の?」

 今度は、ジャックとディオーネか・・・・・・?とは言え、これはもう、ギャラクシー本部に本格的な応援を要請するしか、他にないかもしれない。ぶっ倒れた人間の肩代わりをして、雪崩式にオーバーワークを重ね続けていたら、それこそ最悪の連鎖だ。

 こうなると、馴染みの面子は、あらかたやられちまったってことになる。とは言え、ハナヱさんは自己管理がしっかりできる人だから、そもそも風邪をひくこと自体考えられないし、ディオーネに関しちゃ、これはもう、風邪をひくとかひかないとか、そんな次元のお話じゃない。だいたい、あの無駄にエネルギーが有り余った人間が、風邪をひくこと自体、そもそもからしてありえない。

 ・・・・・・しかし、なんで今年に限って、こんな洒落にならない病気がはやるってんだ。




「これはもう、立派な非常事態ですよ」

 その夜、ハナヱさんの居室に集まった俺達は、彼女の一言に、返す言葉も見つからないまま、出された茶をすする音だけが流れる。

「被害は、この駐屯地だけの問題じゃなくなりました。スターコーネル・イオの努力にもかかわらず、被害は収まるどころか、悪化の一途をたどっています。そして、付近の民間人居住区においても、同様のインフルエンザの流行が広がり始める兆候を見せ始めています」

「そりゃ、わかっとるだぎゃ。でも、どーしろっちゅーだぎゃ」

 ハナヱさんの言葉に、ディオーネがつまらなさそうな顔で毒づく。けれども、ハナヱさんは特に気を悪くした様子もなく、空になったディオーネの湯飲みに、湯気の立つ緑茶を注ぎ直している。

「領事館においての会議で、今回の広域的なインフルエンザの流行は、防疫の観点から対処しない限り、沈静化は難しいとの結論に至りました。その決定に鑑みて、防疫部隊の派遣要請を決定しました。・・・・・・あ、これは、一応機密事項なんで、他の人達には内緒でお願いしますよ?」

「おみゃー・・・そんだけベラベラしゃべっといて、オチはそれかみゃあ」

「何言ってるんですか、皆さんだから、信頼してお話ししてるんじゃないですか」

「む・・・まあ、そりゃー・・・な」

「イオ司令とローク隊長は、高熱と脱水症状の影響で、まだ軽い消耗状態から回復していない。アストラさんは、現在も軍病院で入院中。他にも、発症して居室療養を命じられた隊員は、日を増すごとに増えています。

 クルツさんやリオちゃんは、一応持ち直したものの、いつまた再発してもおかしくないような状態です。はっきり言って、今のこの状況は非常に危険です」

「まー・・・・・・な」

「でも、階級にこだわらず、能力を優先して対策推進要員の人材を選抜したのは、さすが、イオ司令と言ったところですね。今回の人事、まさにディオーネさんは適任と言うべきでしょうから」

「ニヘヘ、そ、そーかみゃあ」

 何事にもすぐにストレートに表情に出るディオーネは、ハナヱさんの言葉に、子供のように表情をほころばせている。

「ええ、だって、『馬鹿は風邪をひかない』って、言うじゃないですか」

「まっぺん抜かしてみるだぎゃ!コンガキャア!!」

 よせばいいのに、余計な一言を滑らせたハナヱさんに、ディオーネは尻尾を踏んづけられた猫の如く激昂し、たちまち取っ組み合いが始まった。さて、とりあえず、お茶と茶請けをどけておいて、隅っこにでもいましょうかね。

 頃合を見計らって止めに入る算段を考えながら、うら若き乙女達の乱闘を眺めていると、サイレンの音で振り向いた窓越しに、アンビュランスが走り去っていくのが見えた。どうやら、また誰かが倒れたみたいだな。もう、この基地の中全部を消毒でもしちまわない限り、この騒ぎは収まらないのかもしれない。




『何度同じ事を言わせれば気が済むと言うか!?当方は必要としているからこそ、こうして要請している!!・・・・・・何、なんの権限があってだと?当方は、クラスター司令官、スターコーネル・イオ直々の下命を受けて動いている!

 ・・・・・・もういい、そちらがそういうつもりならば、当方も、そちらの流儀に従って対応させてもらうだけだ。当方とて、伊達に遷都戦役を生き延びたわけではない。神判によって結果を見出すことも、やぶさかではないということを示してやろう!!』

 差し入れを持って対策室へ出向いた俺は、ドアの向こうから響く怒声に、ノックしかけた手が止まった。声自体は良く知っているものだが、一歩も退かない口調と気迫は、フロントラインの戦士そのものだ。

 だが、子供のお使いじゃあるまいし、ここで恐れをなして回れ右、ってのは無しだ。と言うわけだからして、話が終わった頃合を見計らい、ダヴィオンのバトラーにもひけをとらない優雅なノックをしてみる。

「クルツです、入ってもいいですか」

『おー、クルツかみゃあ。ほれ、入るだぎゃ入るだぎゃ』

 ドアの向こうから聞こえてきたいつもの口調に、なぜかしっくり馴染むものを感じながら対策室に入ると、そこには書類の山に埋もれているディオーネの姿があった。

「お疲れ様です、差し入れを持ってきましたよ。どうです、一息入れてみませんか?」

「おー、ありがとさん。まったく、現場を知らねー連中は、暢気なもんだぎゃ」

「大変そうですね」

「まーな、これからまた、ちょっくら行って、本部の連中とナシつけてこねーとならねーだぎゃ。・・・・・・いやはや、ジャックの奴はいきなり病院送りになりよるし。まったく、いったいどーなっとるんかみゃあ」

 ディオーネは、差し入れのホットドッグをコーヒーで流し込みながら、ぶつくさとこぼしている。この間、ハナヱさんの部屋の窓越しに見送ったアンビュランスは、ジャックを運んでいったものだと、その翌日知った。

 結局、実質ひとりで主要事務をやりくりせざるを得なくなったディオーネは、さすがに若干疲労の色は浮かべてはいたが、それでも、いつもの彼女らしい精気に満ちた目は未だ健在だった。

 しかし、今回、イオ司令から対策委員会の全権を委任されている。と、言うことで、彼女の身なりは、普段滅多にお目にかかれないものだ。

 なにせ、夏は洗いざらしの擦り切れたミリパンにタンクトップ、冬はジャケットが追加という、平たく言えば、着たきり雀世界選手権ゴールドメダリストな彼女が、ノヴァキャット氏族戦士の正装である、グラスグリーンの詰襟をぴっちりと着込み、その胸元には、身分と兵科を表す真紅のキャメロン・スターが光っている。

 そして、スターコーネル・イオからの委任を示すリボンが、礼肩章から斜めに延びて袂で織り込まれ、氏族の様式に従い三つ編みに結い上げた長い黒髪の先端には、SLDFノヴァキャットの紋章を意匠した、銀細工の髪留めが光っている。

 まさしく、別人と見紛うばかりに隙無く整えられたその姿は、既に実証された実務能力の高さといい、文句なしの麗人戦士と言えるほどの壮麗さだ。

 仕事ができて、おまけに美人。もし氏族人でなければ、ディナーに誘いたい女性のトップランカーなのだろうが、いかんせん、口を開けば、例のノヴァキャット訛りが惜しげもなく転げ出してくる始末だ。本当に、黙ってりゃ美人なんだけどな・・・・・・。

「クルツ」

「あ、はい。なんでしょう」

「おみゃー・・・・・・今、ロクでもねーこと考えとっただぎゃ?」

「滅相もない」

「・・・・・・ま、えーけどよ」

「そう言えば、さっきの話、盗み聞きしたわけでもないですけど、協議って、まさか神判を申し込みに行くわけじゃないでしょうね?」

「たーけ、こんなクソ忙しー時に、そんなのやっとる暇なんてねーだぎゃ。心配せんでも、ちゃんと話し合いに行くだけだから、にゃーんも問題ねーだぎゃ」

「そうですか」

「おー・・・って、そろそろ時間かみゃあ。そいじゃ、うちはそろそろ出かけるだぎゃ。クルツ、ごちそーさん」

「あ、はい。頑張ってきてください」

「おー」

 そう言って、ディオーネは、てきぱきと書類や資料を鞄の中に詰め込み、打ち合わせに出かけていった。随分と慌ただしい話だが、俺が手伝えることはここでは何もない。

こうしていても仕方ないし、ハンガーに戻るとしよう。




「まったく、石炭ストーブ様々ですね」

「ああ、まったくだ」

 環境改善と保健予防の一環で、ドラコからの救援物資として、急遽支給された石炭ストーブ。その、ドラム缶並の図体を誇る、鋼鉄製のデカい本体の中には、石炭が赤々と燃えている。そして、ハナヱさんの助言で、ストーブの上には水を満載したヤカンが置かれ、そいつが盛大な蒸気を吐き出し、湿度の維持にも一役買っている。

 さすがに、火気厳禁のハンガー内にそれを置くわけには行かないから、休憩室兼当直室に設置することになった。年代物と言うだけあって、時々様子を見て石炭を補充しなければならず、換気にも気をつけなければならない。といった面倒はあるが、その余裕の火力は、寒さで張り詰めまくった班員達の疲労回復効果は絶大だ。

 今や、テック達の守護神と化している石炭ストーブ様。その勇姿は、眼帯親父のクリタアトラスよりも遥かに雄々しく、そして頼もしく見える。ともあれ、ストーブ様の獅子奮迅の活躍ぶりのおかげで、これまでの酷寒の辛さを過去のものにしてしまった状況に、班員達にも余裕の色が戻り始めてきた。

 これも、ドラコ側の温情に加えて、司令の尽力と、病に倒れた者達の尊い犠牲の上に成り立っているものだからして、決して粗末になどできっこない。

「・・・・・・それにしても、今日はディオーネさんも、遅いっすね」

「打ち合わせが長引いているのかな、電話越しで随分もめてたみたいだからな、面倒なことになってなけりゃいいけどな」

「そうなんっスか?」

「ああ」

 しかし、これは少し、本当に遅いかもしれないぞ。ハンガーゲートの外から見える景色は、群青色の闇に沈みかけている。出かけたのが昼過ぎ頃だから、かなり時間が経ったことになる。・・・・・・まさか、本当に神判沙汰になってなきゃいいんだけどな。

「しかし、ここから一歩外に出たら、ウイルス吹き荒れる地獄の荒野、って奴か」

「そりゃおおげさっスよ」

「ま、それくらい、油断できないってこった」

 苦笑するシゲに応えながら、どうにか今日の整備計画を完遂させた俺は、各員の整備記録をチェックするため、全員を集合させた。

「よし、全員合格だ。これだけ進められれば、今日はもう定時で上がっていいぞ」

「クルツ、うちは?」

「お前は、いつもどおりハナヱさんとこ行って、勉強習ってきな」

「わかったけん」

「よし、それじゃ、当番以外は解散。おつかれ!」

 俺の解散の挨拶で、整備班の面々は三々五々散っていき、その中に混じって、テキストを詰め込んだリュックを担いだリオも、いつものようにハナヱさんの宿舎へと歩き出して行った。・・・・・・さて、明日の交代まで、どうやって時間を潰しましょうかね。




「班長、いいっスか」

「おぅ、シゲか。どうした、忘れモンか?」

 その夜、詰所で時間を潰していると、シゲが顔を出しに来た。今日は当番じゃないはずだが、何かあったのか。

「いえいえ、ただ、班長が退屈してるんじゃないかって思ってですね。ちょっと差し入れに来たんっスよ」

「差し入れ・・・・・・?お前、何もわざわざ、こんなクソ寒い時に出てこなくても・・・・・・」

「いや、ライラにいる友人から、コーケンの新作が届いたんっスよ」

「そうか!よしよし、まあ座れよ、今コーヒーいれるから」

「あ、それくらい、自分でやるっスよ」

「いいからいいから、遠慮すんなって」

 詰所のロッカーの中に、厳重に隠してあったホロデッキを据え付けると、シゲに熱いコーヒーを渡して、さっそく大人の映画鑑賞会だ。そうかそうか、コーケンの新作か。いいぞいいぞ、こいつぁ最高の暇潰しだ。

「・・・・・・スゴいな」

「そうっスね・・・・・・」

 いい年こいた大人が、ホロデッキの立体映像相手に、マイベストポジションを探しつつ真剣に覗き込んでるってのも、傍からみれば痛々しい光景かもしれないが、やはり、大人の映画はコーケンに限る。これが、俺達のジャスティス。

『こんばんは、クルツさん』

 さて、話も盛り上がり、いよいよクライマックスってとこで、だしぬけに響いたノックの音に、俺とシゲは、それこそ飛び上がって驚いた。

(ヤバイヤバイ!早く止めろ!それとディスク隠せ!!)

(ちょ、ちょっと待ってください!班長!時間を稼いでください!!)

(お、おう!まかしとけ!!)

 なんてこった、なんてこった!魔女のバァさんの呪いか!?なんでこんな時間にハナヱさんが!?

「ちょっと待ってくださいね、今片付けてますから」

『え?あの、よろしければ、お手伝いましょうか・・・?』

「いえいえいえいえ!あともう少しですから、ええ」

 俺が、ハナヱさんをドアの向こうに待たせている間、シゲは慌てず騒がず、しかし迅速に資機材一式をまとめると、ロッカーに収納して鍵をかけ、俺に向かって無言でサムアップしている。

(OKっス!班長!!)

(よし!でかした!!)

「ハナヱさん、お待たせしました。今開けますから、ハハハ」

 いやはや、危ないところだった。整備計画書を広げて偽装工作を施すと、もう一度部屋の中を見渡し、抜かりがないことを確認してから、満を持してドアを開けた。

「こんばんは、あ・・・もしかして、お忙しかったですか・・・・・・?」

「ああ、いやいや。そうでもないですよ、まあ、入ってください」

「それじゃ、班長。俺は、これで」

「あ、シゲさん?お夜食作ってきたんですけど、もしよろしければ、ご一緒にいかがですか?」

 いい人だなぁ、ハナヱさん。

「あー、いえいえ、俺ももう引き上げるとこだったんで。それじゃ、班長、失礼し・・・・・・ぅおわあああぁぁっっ!?」

 シゲがドアを開けた瞬間、無言で立っていた人影に仰天して悲鳴を上げている。そこには、今帰ってきたらしいディオーネがいた。・・・・・・が、どこか様子がおかしい。

「・・・・・・なんだぎゃ、おみゃーは。人の顔見て大声上げよってからに」

 憮然とした表情でぼやくディオーネだが、こんな寒い日にもかかわらず、その顔は真っ赤に染まり、せっかくの黒髪もバラバラにほつれまくっている。おまけに、激しく充血している目は視線もどこか虚ろだ。確かに、不意打ちで見せられたら、大抵の奴はまず驚くだろうな・・・・・・って、あれ?

「ま・・・まさか・・・・・・ディオーネさん?そんなこと・・・そんなこと、ありませんよね・・・・・・?」

 お・・・・・・?なになに?なにがあったの?

 次第に異変の色を濃くしていくディオーネの様子に、ハナヱさんは、まるでこの世に在らざるモノを目の当たりにしたかのように震え始めた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふへっ」

 そして、そんなハナヱさんをゆっくり振り向いたディオーネは、とてつもなく邪悪な笑みを浮かべたかと思いきや、派手なモーションでぶっ倒れると、取り落とした鞄が床を滑り、壁にぶち当たって止まった。

「ちょ、ちょっと!?」

 おいおいおい!そんなことはありえないと思うが、もしかして・・・・・・!?

「たはは・・・・・・うちとしたことが、ザマァねーだぎゃ・・・・・・」

 とっさに抱き上げたが、力なくしなだれるその体はものすごく熱い。こりゃ、ハンパじゃない熱だ。これはもう間違いない・・・・・・って、あれ、ハナヱさん・・・・・・?

「・・・・・・そんな・・・そんな・・・・・・」

 あの?ハナヱさん・・・・・・?

 まさしく信じられないものを見たかのように、全身をわななかせながら、蒼白になった頬を引きつらせている。そんなハナヱさんに、ディオーネはほんの一瞬、勝ち誇った笑みを浮かべて見せた。

「いや〜〜、馬鹿は風邪ひかねーっちゅうことだけどもが、どーしたもんかみゃあ・・・・・・」

「うぐっ・・・・・・!」

 荒い息の下から放たれたディオーネの一言に、ハナヱさんは一瞬言葉を詰まらせている。なんと、結構気にしていたのか。

「クルツ・・・すまねーだぎゃ、司令に、よろしく言っといてくれみゃあ・・・・・・」

「嘘・・・嫌・・・・・・そんなことって・・・そんなことって・・・・・・!!」

「ケケケ・・・・・・お見舞い、来てくれみゃあ、ボカチン。おみゃーに会えねーと、うち、寂しくて泣いてまうだてね・・・・・・・・・」

 どこまでも減らない軽口を放っていたかと思いきや、ディオーネの顔色はいよいよ怪しいことになっていく。

「あ、ちょっと?しっかりしてください!?」

「ぁう・・・・・・・・・・・・・・・」

 あ、電池切れ・・・・・・・・・・・・。




 ディオーネの陥落をもって、我がクラスターはいよいよもって進退窮まることになった。が、彼女の最後の仕事は、クラスターにとって大きく貢献したのがせめてもの救いだ。医薬品から応援の人員、その他諸々によって、インフルエンザの大流行により、崩壊寸前だったクラスターは、どうにかもちこたえることが出来た。であるからして、俺達は、その功労者たるディオーネのお見舞いにはせ参じることになった。

「ケケケ、結局、おみゃーだけが風邪もひかんと、元気ハツラツウルトラCっちゅーわけだぎゃ・・・・・・?」

「ぬぅ・・・・・・!」

「・・・・・・ふへっ、風邪ひとつひかん、丈夫なおみゃーがうらやましーだぎゃ、の?バカチン」

「ぐあっ!だっ、誰がバカチンですかっっ!?」

「あ〜あ〜、うちも、いっそクソたーけなら、こんな事にならんかったはずだけどもがみゃあ〜〜。仕事もこれからっちゅうとこで、まったくトンだことになっただぎゃ〜〜。どーしたもんかみゃあ〜、の〜、バカチン」

「ぐぁっ・・・またっっ・・・・・・!」

「・・・・・・なに興奮しとるだぎゃ、ボカチン?」

「こ・・・・・・この!!」

「姉ちゃんたちっ、ケンカはダメじゃ!」

 まったく、子供にたしなめられてどうするね、このお嬢さん方は。

「ハナヱさん〜〜、気持ちはわかりますけど、落ち着いてくださいよ。相手は病人なんですから・・・・・・それと、ディオーネも、おとなしく休んでてくださいよ」

 ちょっと目を離すとすぐこれだ、俺は、部屋の隅でリンゴの皮を剥きながら、ささやかに二人を牽制してみたりしてみる。

「くうぅぅ・・・・・・」

 あの時の一言が、相当悔しかったのかなんなのか。真っ赤な顔で荒い息を吐く下から、ここぞとばかりに言葉攻めを繰り出すディオーネに、ハナヱさんは反論の言葉もなく、ただ金色の眉を吊り上げて唸っている。

「おまたせしました、蜂蜜入りすりおろしリンゴ、コムスター風ですよ」

「・・・・・・これの、どのへんがコムスターなんだぎゃ?」

「ほら、トッピングにヨーグルトソースが。豪華でしょ?」

「おみゃー・・・うちをリオと一緒にしとんのきゃ・・・・・・?」

「滅相もない」


 ふむ、ヨーグルトソースをウイズダム・ブライトに見立てたんだが、ちと受けが悪いな。リオには大好評だったのに。

「さあどうぞ、食べられそうですか?」

 すりおろされたリンゴを、もの珍しそうにまじまじと見ているディオーネに、さっそく食器とスプーンを手渡す。

「あ」

 だが、熱で力が入らないのか、スプーンもろとも、すりおろしリンゴは口元に届く前に、べちゃりと胸元にこぼれ落ちてしまった。

「やっぱり無理っぽいですね・・・すみませんでした、気が回らなくて」

 食器ごとひっくり返さなくて何よりだったが、これは思ったより具合が悪そうだ。こぼしたリンゴをふき取りながら、心なしかしょげた様子のディオーネに詫びておく。

「す・・・すまねーだぎゃ、せっかくこしらえてくれたモンを・・・・・・」

「いえいえ、気にしなくていいんですよ。それより、大丈夫ですか?」

「うんにゃ・・・・・・ちぃとも力が入らねーだぎゃ、食わしてくれみゃあ」

「ええ、いいですよ」

『え゛っっ!?』

 げっそりした表情のディオーネに、それももっともと思い、食器とスプーンを手にしたその時、ハナヱさんの驚く声に振り返る。

「・・・・・・どうかしましたか?」

「あ、いえいえ、なんでもないですよ?アハハ・・・・・・」

「はあ・・・・・・?」

「クルツー、はよ食わせてくれみゃあ〜・・・・・・」

「ああ、はいはい」

 病人相手にいつまでもおあずけは酷だ、ともあれ、はやく食べさせてあげるに限る。背後から聞こえてくる、何かが軋むようなギリギリという音が、気になると言えば気になったが、別にやましいことをしているわけではないので、看病に専念することにした。それはともかく、美味そうに食べてくれている。お気に召してくれたのなら、なによりだ。




 我がクラスターに吹き荒れる邪悪な風は、とうとうディオーネをも粉砕してしまった。もう、我々に残されたものは、静かな滅びの道しか残されていないのか・・・・・・って!!

「いけませんよ!ハナヱさん!!こんな時にそんな格好でロードワークなんて!自殺行為ですよ!!」

「たとえクルツさんでも、これだけは譲れません!」

「ハナヱ姉ちゃん!駄目じゃ!風邪ひいてまうけん!!」

 寒風吹きすさぶ中、ランニングパンツとタンクトップという、ほとんど水着みたいな薄着で、ロードワークに臨もうとするハナヱさんを見つけた、仕事帰りの俺とリオは、当然、彼女がやらかそうとしている蛮行を止めようとした。

「風邪を引かないのは、体調管理が万全だからですよ!言い回しがどうとか、そんなこと気にすることはないじゃないですか!!」

「でも・・・でも!!」

「バカチンだなんて、ディオーネのいつもの軽口じゃないですか!そんなこといちいち気にしてどうするんです!自分を見失ったら・・・・・・・・あ」

「バ・・・バカチン・・・・・・?」

 あ、しまった。

「う・・・ぅ・・・・・・うわあぁぁああああぁっっ!!」

「・・・・・・行ってもうたけん」

「こいつぁしまったな・・・・・・」

「クルツもうかつすぎるけん」

「返す言葉もないな」

 仕方ない、いったん居室に戻った後、準備を整えてから、もう一回止めに行こう。・・・・・・う〜、寒い寒い。

 で、結局、ハナヱさんは、俺とリオの説得に耳を貸してはくれなかった。そして、日が完全に落ちきるまで、駐屯地の中を走り続ける。と言った状況が、かれこれ一週間近くは続いただろうか。

「・・・・・・ハナヱ姉ちゃん、ホンマに大丈夫なんかのう」

「しかし・・・なにもわざわざ、自分から病気になりに行くってのもな・・・・・・。よっぽど悔しかったってのは、まあ、わからんでもないけどな。」

「それだけじゃないと思うけん」

「そうか?」

「うん」

 さて、姫もなかなかに異なことを申されるものよの。

「じゃけんど・・・・・・なんで、『馬鹿は風邪をひかない』って言うんじゃ?」

「別に風邪をひかないわけじゃない、バカだろうがなんだろうが、ひく時ゃひくもんだ。ただ、バカは風邪をひいたことに気付かないで動き回るから・・・・・・あ」

「・・・・・・それ、ハナヱ姉ちゃんも知っとるんかのう」

「・・・・・・多分」

 過ぎた話とは言え、自分で言い出したことを、自分自身が体現しているとなれば、誰しも気分のいいモノではないだろうし、あの時ディオーネの反撃が悔しかったのもわかる。だが、良くも悪くも、物事を深く考え過ぎるきらいのあるハナヱさんにしてみれば、いろんな意味でたまらない状況だろう。

 それは、わかっている。わかっているつもりなんだが、これをこのまま野放しにしておけば、風邪どころか、肺炎になってしまいかねない。それに、心身ともに鍛え抜かれたハナヱさんの身体能力の限界値は、フロントラインの氏族戦士どころか、エレメンタルにも後れをとらないほど高く、そして頑健だ。

 そんな彼女が倒れた時は、すでに手遅れということになりかねない。そんなことになる前に、彼女をなんとか思いとどまらせるしかないのだが、これがなかなか簡単なことではなく、時間だけが虚しく過ぎていく。・・・・・・さて、どうしたものやら。




「大変じゃ、大変じゃ!クルツ、早く来て!!」

 通常勤務明けの夜、居室でくつろいでいると、いつものようにハナヱさんの所に行ってたはずのリオが、物凄い勢いでドアを跳ね開けて、尋常ではない様相で転がり込んできた。

「どうしたんだ、おい、落ち着いて話せ」

「ハナヱ姉ちゃんが!ハナヱ姉ちゃんが・・・・・・!!」

「何・・・ハナヱさんが、また何かやらかしたのか?」

 俺は、嫌な予感を押し殺しながら、できる限り落ち着いて話しかけた。しかし、次に叫んだリオの言葉は、俺の想像の数段斜め上をイっていた。

「ハナヱ姉ちゃんが、外で水かぶっとるんじゃあぁぁっっ!!」

「はあ!?」

 こんな夜中に、水を!?・・・・・・なんてこったなんてこった!いくらなんでも、なんて早まった真似を!?

「リオ!どこだ、案内しろ!!」

「う、うん!!」

 俺は、ベッドの上の毛布を引っつかむと、一も二もなく部屋を飛び出した。そして、走るリオの後をついて、夜の駐屯地を駆けずり回ることしばし、外は、折からの寒波に加え、吹きすさぶ風が、耳や鼻を削ぎ落としそうなくらいに痺れさせる。

防寒着を着込んでも、身がすくむような寒さの中で、水を被るなんて正気の沙汰じゃない。いくら自分が口に出した言葉だとはいっても、ここまでする必要はないし、ましてや気に病む必要なんて、どこにもありはしない。

「あっちじゃ!」

 リオの声と共に、夜気に混じって水音が聞こえてくる。そして、行く先を照らすライトの光の中に、果たして、全身ずぶぬれになった白装束の女性が浮かび上がる。

「ハナヱさん!!」

 俺は、全力ダッシュでハナヱさんに駆け寄ると、彼女が手にしていたバケツを押さえつけた。

「何やってんですか一体!」

「く・・・クルツさんっ?ぶ、武士の情けです!放してください!!」

「そうはいきませんよ!どうしてこんな危険なことを!?風邪をひかないことは、誇ることであっても、恥じることじゃないでしょう!!」

「わ、私はそんなつもりじゃ・・・・・・!」

「ディオーネの言ったことを気にしているのなら、それはお門違いです。これは、絶対に渡しません!!」

 とにかく、こいつは普通じゃない。俺は、ハナヱさんの手から、どうにかバケツをもぎ取ることに成功した。

「クルツさん・・・・・・!でも・・・でも、私は・・・・・・!!」

「気持ちはわかりますが、こんなことで張り合っても仕方ないでしょう!子供じゃないんですから、いい加減目を覚ましてください!!」

「う・・・・・・で、でも・・・か、返してくださいっ!」

「ぅおわっっ!?」

 全身から湯気を立ち上らせたハナヱさんは、必死の形相で俺の持つバケツを奪い取ろうと突進してきた。その鬼気迫る彼女の形相に気圧された俺は、状況的な絵面も手伝って回避が一瞬遅れ、取っ組み合うようにバケツの奪い合いをする形になってしまった。

 だが、予想外の逆襲と言うか、ハナヱさんの膂力は、俺の想像の二段も三段も斜め上を突っ走っていた。こんな細い腕で、この出力はいくらなんでも反則だぞ!?

「ぎゃあああああっっ!!」

 その瞬間、激痛に似た感覚が全身を走ったと同時に、頭の中が真っ白になった。・・・・・・バ・・・バケツをひっくり返して、モロに水をかぶっちまった・・・・・・。

 冷たいなんてもんじゃない。こいつは、液体窒素同然だ。物凄い速さで悪寒が這い登り、全身が細かく震えだす。

「ク・・・クルツさん!?も・・・申し訳ありません!大丈夫ですか!?」

「ク、クルツ!も、毛布じゃ!」

 俺の意思とは関係なく、涙と鼻水が後から後からとめどもなくあふれ出してくる。そして、ガタガタ震える俺に、本当なら、ハナヱさんのために持ってきた毛布を、リオが心底慌てふためきながら俺にかぶせてくる。

「ご、御免なさい!御免なさい、クルツさん!!」

「クルツ!ハンガーに行こう!!あそこなら、ストーブがあるからあったかいけん!!」

 リ・・・・・・リオ、ナイスアイデアだ。部屋に戻るより近いしな・・・・・・。

「貴方達!こんな時間に何の騒ぎですか!?消灯時間はとっくに過ぎているのですよ!」

 おわっ・・・し、司令・・・・・・!?な・・・なんで、司令自ら夜回りに・・・・・・!?




「クルツ君、貴方は、今夜は非番のはずではないのですか?ましてや、今がどういう状況か知らないはずはないでしょう?当番員以外は、速やかに就寝するように、いいですね?」

 やっとの思いでたどり着いたハンガーで、俺達三人は、さっそく司令から説教を喰らう羽目になった。言葉の端々で咳き込む彼女は、お世辞にも本調子でないことをうかがわせ、そのせいか防寒装備も同伴の隊員より厳重だ。本当なら、出来るだけ安静にしていた方がいいはずだ。

 しかし、いくら人手が足りない状況だとは言っても、まさか、部隊司令官自らが、不調をおして夜回りに出るなんて、さすがに考えてもいなかった。だが、司令が出て来てくれたおかげで、ハナヱさんの蛮行を止めることができた。これについては、感謝の極みだ。

「それと、ボカチンスキー准尉。いついかなる時でも鍛錬を欠かさぬ姿勢は、戦士として賞賛に値します。ですが、他を巻き込んだ騒ぎを起こすことは、好ましからぬことです。直接的な指揮系統が異なるとは言え、我々の管理する敷地内に居住している以上、最低限の規則は遵守して頂きます。本来は指揮の及ぶ範囲ではありませんが、部隊責任者として厳命します。この場にいる全員、速やかに解散し居室に戻ること、よろしいですね」

「りょ・・・了解しました・・・・・・」

「よろしい、クルツ君にリオさん、貴方達も早く帰りなさい。そして、再発防止を怠らないこと。わかりましたね?」

『了解しました!』

「よろしい」

 俺とリオの復唱がハモる様子に、イオ司令は満足そうにうなずくと、同伴の隊員を従えて、再び歩き去っていった。

 ・・・・・・なんかこう、どっと疲れたよ。




 吹き荒ぶ風が良く似合う、ドラコの剣士と人の言うべきかなんなのか。あれだけのことがあったにもかかわらず、ハナヱさんの寒中ロードワークと水垢離は、一向に止むことを知らなかった。

 そんな状況に、俺はもう止める気力を失っていた。リオも、心配はしているようだが、止めても無駄、と言うことを悟ったらしく、直接的なタッチはしなくなった。

 冷たいようだが、無理に止めようとすれば、洒落にならない規模で、とばっちりが降りかかってくる。せっかく治ったばかりだと言うのに、超冷水を頭からブッかけられ、危うくぶり返しそうになったことが、無意識のブレーキになっていた。こんな言い方は好きじゃないが、もう、俺達にはどうしようもない。

 司令クラスの立場から、通達なり下命なりがあれば話は別なのだろうが、司令が咎めたのは消灯時刻以後の行動であって、ハナヱさんの行為自体には、まったく言及の気配はない。もっとも、ハナヱさんはDCMS所属の将兵であるから、うちのクラスターの指揮権が及ぶ存在じゃないわけで、当たり前といえば当たり前なわけだ。

「・・・・・・けどまあ、不思議なことに、あれから、ますます元気になってるようなんだよなァ・・・・・・」

「造りが違うってことなんスかね」

「さあな・・・・・・でも、こんな騒ぎも、連中が来てくれたから、もう終わりだろ。多分」

 ハンガーの外では、今日到着したばかりのDCMS防疫部隊が、さっそく基地施設の消毒を始め、別班が予防接種と抗生物質の配布を行っている。

 確かに、医療分野では氏族が数段リードしているが、防疫、特にウイルス対策では、かつて長きに渡り相次いだ戦乱で、NBCRなんでもござれ。それこそ、大量破壊兵器のぶつけ合いという泥試合を何度も経験した中心領域にしてみれば、これ以上ないくらい得意分野だろう。

「・・・・・・彼女、気の毒っスね」

「気の毒でもあり、肩の荷が降りたでもあり。ま、世の中なんて、おしなべてこんなもんだ」

 ハンガーの中から、俺とシゲが視線を向けた先には、駐屯地の隅から隅まで、片っ端から消毒作業を進めていく防疫部隊を見つめながら、いつまでも立ち尽くしているハナヱさんの小さな背中があった。




 DCMS防疫部隊の働きは、まさに効果覿面。彼らの防疫作業の完了宣言と同時に、あれだけ猛威を振るっていたインフルエンザは、ぴたりとやんでしまった。クソ寒いのは相変わらずだが、あれ以来、まるでスイッチを切ったかのように、インフルエンザで倒れる奴はいなくなった。

 そして、イオ司令の要請の元、今回の騒動の収拾に、多大な功労をなしてくれたDCMSの防疫部隊に対して、感謝の意を示すセレモニーが開かれることとなった。そして、主賓席には、防疫隊員の面々が控え、ひとりひとり壇上に上がり、イオ司令自らの特別叙勲を受けている。

 しかし、その主賓席の、そのまた特別枠で、どうにも居心地の悪そうな表情で座っている、白詰襟の礼装で身を固めたハナヱさんがいる。

「我々を辛苦の底に陥れた病魔は、我らが友邦の惜しみない尽力によって一掃された。我々は、この恩義を忘れず、これからも、よき隣人、よき朋友としてあり続けたいと希求するものである」

 防疫隊員全ての叙勲が終わった後、一呼吸おいて司令の訓示が始まった。その場にいた全員が、司令の一言一句を聞き逃すまいと静まり返っている。

「我々は忘れてはならない、跋扈する病魔に身を蝕まれ、その力を地に落とされたことを。しかし、これらを単なる過日の出来事として片付けてはならない。なぜならば、我々の心の中に存在していた慢心に対する警鐘として、深くその心に刻まねばならないからだ。

 我々は忘れてはならない。病魔に喘ぐ戦友を激励するため、敢えてその身を病魔と烈風の中に置き、身を挺して厄災の覆滅を祈願した戦士の存在を。

 我々は、その強靭な精神と肉体を讃え、規範とせねばならない。そして、驕り高ぶることなく、謙虚に、真摯に、身を慎み、そして研鑽せねばならない!」

 イオ司令の訓示が終わり、ハナヱさんは一瞬肩を震わせたが、段取りどおり起立して姿勢を正すと、壇上に上がりイオ司令の前に立つ。

「精強にして悍威に満ちしドラコの戦士よ、その精神と強さを讃え、今、ここに敬意と感謝の印を贈るものである」

 イオ司令自らが、ハナヱさんの白詰襟の胸元に勲章を添えた瞬間、不意に拍手が起こり、そして、それは押し寄せる波のようにセレモニー会場を包み込んだ。

『栄光あるサムライ・ウォーリアー!ハナヱ・ボカチンスキー、弥栄!ハナヱ・ボカチンスキー、弥栄!!』

 ハナヱさんを讃える声は、たちまち会場を呑み込み、割れんばかりの大合唱と化した。そりゃそうだろう、あんなクソ寒い中、薄着で走り回った挙句、水まで被っていたわけだ。その常軌を逸した行動は、クラスターのほとんど全員が目撃している。

 事の真相がどうあれ、司令が『そういうふうに』解釈したとなれば、もはや、純粋一直線な氏族戦士にしてみれば、それは、褒め讃える以外の何者でもないわけだ。

「・・・・・・・・・ハナヱ姉ちゃん、泣いとるけん」

「そうだな、俺だって、泣きたくなるだろうな」

 前後の事情を知るリオは、大合唱に包み込まれ、涙目で敬礼するハナヱさんに、微妙な表情を向けている。なにしろ、風邪をひくのひかないのでディオーネと張り合い、結局最後まで健康そのものだった彼女にしてみれば、『バカ』とスタンディングオベーションされているようなもんだろう。

『ハナヱ・ボカチンスキー、弥栄!ハナヱ・ボカチンスキー、弥栄!!』

 そして、途切れることない礼賛の合唱の中、苦笑を浮かべながらも、とりあえず周囲にあわせて拍手を送っているディオーネの姿が見える。

「・・・・・・なんか、かわいそうじゃ」

「そうだな」

「クルツ、なにひとごとみたいに言ぅとるんじゃ」

「ん?」

 リオは、若草色の目でじろりと俺を見上げると、なにやら大きなため息をついている。この間から、いったいなんなんだろうね、この子は。

 それはともかく、確かにあれではいい晒し者以外の何者でもない。まあ、事情の裏っ側を知るのは俺達しかいないとは言え、本人としちゃ、いろんな意味でたまらない状況だろう。そんな彼女の姿は、俺達ボンズマンに割り当てられた、最末席のここからでも、本当によく見えた。




ザ・クレイジーズ(終)



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