ファンブル昆虫記
「おはよう!クルツ、今日もええ天気じゃのぅ!」 「そうだな、今日一日踏ん張れば、明日はシフト休だ。いやがおうにも気合が入るってモンよ」 「うん!」 お早う、今日もまた俺達ボンズマンコンビは、日々のお勤めに励む所存だ。お天道様も、それを応援してくれているかのように、清々しい光で・・・・・・・・・ 『ッギャ――――――――――――――――――ッスッッ!!』 ・・・・・・なんだよコンチキショウ、いったいどこのバカが、朝っぱらから怪獣みたいなシャウトきかせてやがる。さっそく、朝の爽やかタイムにケチがついたってか。 「クルツ・・・・・・なんじゃろ、今の?」 「大体見当はつくが、何かあればどうせ向こうの方から乗り込んでくるさ。そんなことより、朝飯に行くぞ」 「うん」 そうともさ、いちいちかまってられるか。馬鹿々々しい。 予想に反して、朝一番の素敵シャウトの主は、一向に姿を見せる様子がなかった。食堂にも姿を現さなかったから、何かあったことには間違いないんだろうが、これはこれで、ちと気になる。 「わわっっ!」 ハンガーの隅で、恒例の部品磨きに精を出していたリオが、突然素っ頓狂な声を上げて、必死に走り回っている。 「なんだ、どうした、リオ?」 「ハ、ハチじゃ!でっかいハチが飛んどるけんっ!!」 「なんだって」 見ると、確かにやたらとそのカラーリングとシルエットがはっきりした、オモチャみたいにデカいハチが飛び回っている。こいつぁ、『イエロージャケット』じゃねぇか、マジもんで危険な奴が入り込んでいる。 このイエロージャケットなる昆虫、平たく言えば、テラで言う所のスズメバチかなんかの一種だ。ただ、問題は、その極めて高い打撃力にある。 メインウェポンであるその毒針は、一発刺されただけでも普通にアナフィラキシーショックを引き起こす、かなり危険なシロモノだ。体力の低い奴やアレルギー体質の奴なんかは、特に注意しなければならない。 おまけに、こいつは根っからのアタッカーでありインターセプターでもある。こいつの半径3メートル以内に、受動的であれ能動的であれ存在してしまったが最後、攻撃目標として認識されてしまい、延々と追っかけまわされることになる。 見た目だけでも十分、『奥さんこれはヤバいですよ』的オーラを漂わせていると言うのに、以前、小鳥を毒針の一撃でノックダウンさせて、軽々と巣に持ち帰っていくと言う、驚異的なパワーウェイトレシオを誇る姿を実際に目の当たりにしてしまった以上、イエロージャケットに対するデフコンは、文句なしのレベル1だ。 それに、虫って奴の目は、構造上、赤外線だか紫外線だかに反応し易いらしい。となるとどうなるかと言えば、黒、もしくはそれに準ずる色を認識し易いと言うことだ。その流れでいくと、髪も肌も真っ黒なリオは、イエロージャケットの格好のターゲットと言うことになる。それはともかく、今は理科の授業じゃない。早いとこ何とかしてやらんとリオが刺される。 「リオ!伏せろ!」 俺の声に、リオが反射的に姿勢を低くした瞬間、手にしたペイントガンとライターの、即席火炎放射器が猛然と火を吹き、散々調子に乗ってリオを追っかけまわしてくれていたイエロージャケットに、盛大な炎をお見舞いした。 「フッハハハ!死ねよや!!」 俺はハチが大嫌いだ。昔、コムガードの教導隊時代、ジャングルにおけるレンジャー課程の訓練中、ハチの大群に集中攻撃を喰らったことが、俺の中で根深いトラウマと遺恨になっている。であるからして、これっぽっちも容赦するつもりなどない。 「クルツ!クルツ!もうええけん!驚いて逃げていったけん、もう十分じゃ!!」 「む・・・・・・・・・」 結構ノリノリで、即席火炎放射器の威力に酔いかけていたその時、リオに制止された。まったく、自分が危ない目に会わされたってのに・・・・・・まあ、いいか。こいつが、そう言うんならね。 「あ・・・あぶなかったのぅ・・・・・・」 「そうだな、しかし、ここ最近よく見るな。まさか、この近所に巣を作ってるんじゃないだろうな、冗談じゃないぞ」 「そうじゃのぅ・・・・・・」 戦意を失ったものは撃たず。甘いではあるが、人として間違っちゃいないリオの姿勢に、そこはかとなく感慨深いものを感じていたその時、美しい余韻は、突如轟いた怒声によって粉々にされた。 「くたばりゃあ!!」 『あ゛』 心底怒り狂った凶暴な咆哮に、思わず振り返ったそこには、手にした板切れでイエロージャケットを叩き落とし、墜落した相手に執拗なストンピングをかましている、我らがディオーネ姐さんの姿があった。 「デ・・・ディオーネ姉ちゃん!そんなことしたら、可哀想じゃけん!」 慌てて駆け寄るリオに、ディオーネは、滑稽なほど悔しさにまみれた表情で喚き散らしている。 「やかましいだぎゃ!うちのほうが、もっと可哀想だぎゃ!!」 「え・・・え・・・・・・?」 相変わらずの脊髄反射な言葉に、リオが目を白黒させている。さて、可哀想と本人は言うが、具体的にどう可哀想なのか、ちとばかし見当がつかない。 「あ、ディオーネ姉ちゃん。なんか、おっぱいの形が変じゃ。右と左で、大きさがちんばになっとるけん」 なるほど、確かに。片方の胸が大きく腫れ上がって、まるでハンチバックみたいなことになっている。いや、どうして気づかなかったんだろうな。 「うぅ〜〜・・・・・・それもこれも、みんなこの虫ケラのせいだぎゃ!」 ハハハ、ってことは、やっぱり朝のアレは、イエロージャケットに刺されたディオーネの悲鳴ってわけだ。 「なに笑っとるだぎゃ!こんクソたーけっっ!!」 「すっ、すみませっっ・・・・・・!!」 け・・・蹴られた・・・・・・。 不用意な笑いで、渾身のヤクザキックを喰らってしまった俺は、ダメージから回復するまで、かなりのお時間が必要になった。その間、ディオーネ姐さんと言えば、不機嫌全開の表情で俺を睨み続けている。 「アダダ・・・・・・さ、さっきは済みませんでした。で・・・いったい何があったんです・・・・・・?」 「何もカニも、朝っぱらからイエロージャケットに刺されちまったんだぎゃ!おかげで、医務室送りになって、朝飯食い損ねたんだぎゃ!!」 「朝飯・・・・・・・・・」 何をその程度のことで、と、思わなくもなかったが、そこはそれ、人それぞれであるだけに、そう言うもんかと納得してみる。 「今朝はハナヱの奴が、サンマ焼くっちゅーとったから楽しみにしとったのに、あの虫ケラのおかげで、全部パーにされたんだぎゃ!」 「は・・・はぁ・・・・・・」 食い物と女の恨みは末代まで祟ると言うが、ここ氏族世界でも例外ではないらしい。・・・・・・しかし、最近、あまり食堂で朝飯を食わなくなったと思っていたら、そうか、そう言うことだったのか。それはともかく、見れば右胸が痛々しく腫れている。湿布と包帯でぐるぐる巻きにされていることを差っ引いても、かなり強烈なダメージだったと言うことは、容易に推測できた。 「こいつ、いきなりうちに飛びかかってきたと思ったら、挨拶もなしにブスリとやりよったんだぎゃ。あん時ゃ、冗談抜きで乳が破裂したかと思ぅたでよ」 確かに、あれだけのサイズを誇りながら、少しも垂れていない。まさしく、風船のように張りのある胸だ。破裂とはまた、言い得て妙だな、ハハハ。 「このクソたーけ!ちっとも笑うトコじゃねーだぎゃ!!」 「ぐわっっ!?」 まったくもって迂闊なことに、思わず顔に出てしまったのかなんなのか、有り難い二発目のキックをいただくことになった。・・・・・・・・・マジ痛ぇ。 「・・・・・・ったく、学習しにゃー奴だぎゃ」 「す・・・すみません」 どうにも機嫌の悪いディオーネを気遣ってか、リオが急いでコーヒーを淹れて持ってくる。そして、それを満面の渋面ですするディオーネは、よりいっそう眉間に深い縦じわを刻んでいる。どうにも、よっぽど痛むのだろうか。 「しかし・・・・・・ここ最近、よくイエロージャケットが飛んでいるのを見ますね。もしかしたら、この近くに、巣でも作っているのかもしれませんね」 「たーけかおみゃーは、そんなん、わかりきっとることだがね。・・・・・・クルツ〜、おみゃー、なんとかしてくれみゃあ〜。これじゃ、恐ぎゃあて、おちおち寝てもいられにゃーだてよ〜〜」 確かに、寝起きを狙われて、見事に被弾したということだから、気持ちはわからなくもない。けれども、あんな危険な昆虫に喧嘩を売ったが最後、かなりの高確率で返り討ちに会う確率が高い。申し訳ないが、各々で気をつけるしかないんじゃなかろうか。 「おみゃー!んな薄情なこと抜かしてからに!うちが刺されたっちゅーんに、にゃーんもせんとひっこんどるつもりだがや!?」 「い、いや、まだなにも・・・・・・!」 この異常な勘の鋭さと言うのか、まるで人の頭の中を見透かしたようなディオーネの反応には、毎度ながら冷汗をかかされっぱなしだ。 「こんにちは〜〜」 「あ、ハナヱさん、いらっしゃ・・・・・・い・・・・・・・・・」 にこやかな笑顔で、右手に木刀。相当悪質な冗談とも思える前衛的なビジュアルに、俺は言葉が最後まで続かなくなる。 「お邪魔します、クルツさん」 「・・・あの、ハナヱさん。ディオーネがまた何をしたかは知りませんが、ここはひとつ穏便に、大人の対応で・・・」 「なんでうちの名前が出るんだぎゃ!」 「え・・・ですが・・・・・・?」 こいつはどう見たってカチコミ以外のなにモンでもない、俺は今のところ、ハナヱさんの怒りを買うようなマネをした覚えはない。となれば、この場にいるメンバーで、あの業物でボコられるべき人間は、ただ一人しかいない。 「いや、やっぱりここは素直に謝っておいた方が・・・・・・」 「おみゃー・・・・・・いったいうちのこと、どう思ぅとるんだぎゃ・・・・・・」 「いや・・・人間イザと言う時、日頃の実績がモノを言う訳でして・・・・・・」 「その言葉、絶対忘れんじゃねーだぎゃ」 「あの・・・皆さん、いったい何のお話ですか?それとディオーネさん、今朝はせっかくディオーネさんの好きなサンマを・・・・・・あれ?」 それからハナヱさんは、何かに気づいたようにディオーネをまじまじと見つめつつ、不思議そうに首を傾げている。そして、次の瞬間、ハナヱさんは、腹を抱えて大爆笑を開始していた。 「アハハハハハハッッ!なんですかディオーネさんその胸っっ!左右で全然大きさが違ってますよ!?いったいどうしたんですか!?アハハハハハハッッ!!」 「笑い過ぎだぎゃ!コンチキショ――――――ッッ!!」 ともあれ、ハナヱさんは、ただ仕事帰りにハンガーに遊びに来ただけで、誰かを叩きのめすとか、そういったつもりで木刀を携帯していたわけではない。と、いうことで、とりあえずは一安心してみる。 そして、いつもの面子で茶をしながら作業台を囲んでいるが、話題は、どうしても自然とイエロージャケットのことになる。 「ええ、なんかもう、大きなハチがあちこち飛び回っているものですから、危なくて危なくて・・・・・・。それに、あっちから向かってくるじゃないですか。だから、これは立派な正当防衛ですよ」 「なるほど」 「駐屯地内での帯刀と抜刀は、イオ司令に厳禁されていますからね・・・・・・まあ、仕方ないですけど、これでも十分効果はありますから」 「そういうもんですか」 飛び回っているハチを、木刀で叩き落とす・・・ねえ・・・・・・。まあ、ハナヱさんなら出来ても不思議じゃないが、普通、そんなこと考えもつかない。さすがは宇宙世紀のサムライ、やることと発想が、常人とは一味も二味も違う。 「あ、ディオーネさん、危ないですよ」 「のわっっ!?」 言ったそばから、ハナヱさんは突然木刀を振り抜いたかと思いきや、その切っ先は、唸りを上げながらディオーネの頭上すれすれを通り越し、その脳天に狙いを定めて急降下してきたイエロージャケットを、正確に弾き飛ばしていた。 「あ・・・危ねーだぎゃ!?」 「だって、そうしないとまた刺されますよ?大丈夫ですよ、この程度の的なら、外すなんて事ないですから」 「そー言う問題じゃねーだぎゃ!!」 うん、確かにそう言う問題じゃないわな。と言うか、いきなり目の前で木刀を振り回されたら、見ている方が怖い。しかも、リーチを稼ぐためなのか何なのか、柄尻を指二本で挟んだ状態で、タクトか何かのように軽々と振り回しているもんだから、別の意味でますます怖い。よくもまあ、すっぽ抜けたりしないもんだ。 「うわっ!このハチ、頭だけ吹っ飛ばされとるけん!!」 「ほら、大丈夫でしょう?」 撃墜されたイエロージャケットを覗き込んだリオが、心底驚きの声を上げているのをよそに、ハナヱさんは、やんわりと微笑みながらお茶をすすっている。 「リオちゃん、頭がなくなっても、尻尾はまだ毒針を刺そうとするからね。素手でさわっちゃ、ダメだよ?」 「う、うん。しっかし、すっごいのう。ほんまにでっかいけん、こんなんに刺されたら、うちなんてイチコロじゃのう・・・」 「なんでうちを見て言ぅとるんだぎゃ」 「別に、なんでもないけん」 ディオーネの言葉をかわしつつ、リオは、腰に提げたツールポーチの中からピンセットを取りだし、つまみ上げたそれをプラケースの中に大事そうにしまっている。 「どうすんだ、そんなモン」 「うん、こんだけ凄い虫、こんな近くで見るの初めてじゃけん。うちに持って帰って、標本にするんじゃ」 「そうか、でも、頭が吹っ飛んじまったのはもったいないな」 「そうじゃのぅ・・・・・・でも、パテで作ってみるけん、あとで、ちょびっと分けてくれんかのう、クルツ」 「ああ、いいぞ」 「まったく、物好きな奴だがね」 微妙な表情でこぼすディオーネだが、まあ、リオの気持ちもわからなくはない。害さえなければ、イエロージャケットは、かなり造形美に溢れている。子供の好奇心をくすぐるには、十分なシロモノだろうな。 「リオちゃん、頭なら、取れただけで壊してないから、どこかに落ちているはずだよ?もし大変じゃなかったら、探してみたら?」 「ホンマ!?」 「うん」 なんか、さりげなく凄いことを言っているハナヱさんの言葉に、リオはハンガーの床を這い回るように、イエロージャケットの頭を探し始めていた。 「・・・・・・にしてもまあ、こんだけあちこち飛び回られたら、恐ぎゃあて仕方ねーだぎゃ。クルツ〜、おみゃー、なんとかできねーかみゃあ?」 「とは言われても、一匹二匹ならともかく、巣を丸ごと相手にするのは、自信が無いですよ」 「ま〜たおみゃーは、変なトコで力の出し惜しみしよってからに〜〜。ったく、そんなんだから、いつまでたってもボンズマンのままなんだぎゃ〜〜?」 「そうは言われましても・・・・・・」 さて、ちょいとばっかり面倒なことになった。ディオーネの頭の中じゃ、俺が殺人昆虫の退治をするのは、なんだか確定事項くさくなっている。さてさてどうしたものやら、とりあえず、この場をどういい逃れようかと思案を巡らせてみる。 「ディオーネさんの言うとおりですよ、クルツ君」 「え?」 し・・・司令・・・・・・? 「メックウォーリアー・ディオーネほどの者なら、何の考えもなしに、ましてや、能力の無い者に依頼などしません。クルツ君、彼女は、貴方の力を見込んでこそ、こうして話しているのですよ?問是」 「ア・・・是」 しまった・・・・・・司令が出てきてしまった以上、もう、俺が害虫駆除業者の真似事をしなければならないのは、なんかガチっぽくなってきた。 「それに、この危険な状況は、部隊を預かる立場としても看過できないものであり、一日も早い事態の収束を望むものであります」 まあ、確かにそれはそうだろう。俺だって、整備に集中している所を、後ろからブスリとやられたんじゃ、正直たまったものじゃない。 「イオ様、お茶を持って来ました!あと、お席をどうぞ!」 ハチの頭探しを中断したリオが、頃合を見計らうように、司令の席を支度しながらコーヒー持ってきた。よく気がついて、よく動く、将来の副官候補だな。 「ありがとう、リオさん。それと、私はこのままで結構です。コーヒーだけ、いただきましょう」 「え・・・・・・?」 やんわりと着席を辞退した司令は、相変わらず立ったままだ。そして、リオからカップを受け取ると、優雅に口元に運んでいる。ともあれ、司令が立っていると言うのに、俺達が座ったままだと、なんとも具合が悪い。全員同じ考えのようで、その場にいた面子が席を立とうとすると、司令、それをやんわりと引き止める。 「皆さんは、そのままで結構。楽にして聞いてください」 「了解です・・・・・・ですが、司令が立ったままなのに・・・・・・」 「いいから、気になさらぬように」 「む〜〜、けどもがクルツの言うとーりだて、司令。このままじゃ、うちら、ちとばかし体裁が悪ぃでよ。それに、せっかくリオ介が、こーして椅子も準備したことだしが・・・・・・」 ディオーネの言葉に賛意を示すように、ハナヱさんも神妙な表情でうなずいている。それに、いくら司令自身がいいといっても、さすがにボンズマンの俺が、スターコーネルを差し置いて、のんびり座っているなどできるわけがない。 「仕方ありませんね・・・・・・」 イオ司令は、6つの視線の問いかけに、仕方なさそうな表情でため息をついた。 「・・・・・・司令、なんか、あったんかみゃあ?」 さっきから、かたくななまでに着席を拒否する司令だが、やはり、どうも様子がおかしい。それに、気付いたのだが、司令の格好は、いつものぴっちりしたグラスグリーンの詰襟ではなく、やぼったいシルエットの、だぶついたジャンプスーツだ。 セカンドラインクラスの部隊指揮官とはいえ、身なりには細かく気を配る彼女にしては、ずいぶん珍しい話だ。しかし、わからないことには変わりがない。さて・・・・・・? 「私自身、油断があったのは否定いたしません。今朝、制服に着替える時でした。その時、被服の中に、イエロージャケットが潜んでいることに、気が付けなかったのです」 すっかり諦めきった、というか、腹を括ったような表情で、とつとつと語りる司令の表情が曇っていく。 「そして、尻を刺されました。まったくもって、不覚だったとしか言いようがありません」 あまりのことに、その場にいた全員が絶句する。よもや、部隊の最高司令官自身が、率先して一発もらっているとは、正味の話、予想の斜め上だ。 「同じイレースに生きとし生けるものとして、全ては皆同胞と考えるべきなのかもしれません。しかし、生存競争という見地で考える限り、彼らとの折衝の余地は限りなく低いものと言わざるを得ません。彼らに、種の存続という大義名分があったとしても、我々も、彼らに屈し、この地を明け渡すわけにはいきません。クルツ君、スターコーネル・イオの名と権限において、貴方に、イエロージャケットの拠点制圧の任を与えます」 うえ!? 「貴方の持つ豊かな知識と経験、そして卓越した技術をもってして、必ず、これらを殲滅するように。くれぐれも、誤解無きよう言い添えておきますが、これは個人的な感情からくる報復ではありません。部隊の安全管理を鑑みた上での判断です、よろしいですね?」 いや、そうは言うが、司令自身、相当腹に据えかねているのだろう。さっきから、その柳眉が小刻みに揺れている。苛立っている時の彼女の癖だ、しかし、そこまでの事なら何故俺に?そもそも、そういったのは、ジャック達内務班の担当じゃないのか。 それにしても、ずいぶん買い被られているような気もするが、実際の所、胸を張れるのは機械いじりに関することであって、害虫駆除の経験など、せいぜい、ゴキブリに殺虫剤をひっかけた程度だ。しかし、彼女にそう言われてしまっては、やらないわけにはいかなくなった。 「期待していますよ、クルツ君」 「了解しました、司令」 「よろしい、それでこそクルツ君です」 もう、こんなパターンは、それこそ何度目か忘れてしまったが、ほとんど条件反射的に答えてしまった俺の返事に、イオ司令は満足そうにうなずいている。 「それと、ボカチンスキー准尉。今回の件について、貴女にも参加をお願いしたいのです。本来、指揮系統が異なる貴女ではありますが、その剣の腕を見込んで、是非、お願いしたいと考えています」 「わ・・・私が・・・・・・でありますか?」 「はい、貴女には、クルツ君が敵の拠点を制圧に出ている間、基地内を徘徊するイエロージャケットを掃討して頂きたいのですよ」 「わ、私ひとりで・・・で、ありますか?」 「そういうことになります、先ほどの見事な剣技、感服と敬意の極み。ですから、今回、特例として、真剣の敷地内携行及び抜刀を許可します。もちろん、使用判断は貴女に一任します。如何ですか?」 「えっ!本当ですか!?」 「ええ、もちろんです」 「あはぁ・・・・・・・・・」 さすがはスターコーネルともなると、人身掌握術にこれでもかというくらい長けていらっしゃる。見事なまでにハナヱさんのツボを的確に抑えたその一言で、彼女の表情がたちまちうっとりし始めた。 このおサムライさん、以前、基地施設内の風呂場で抜刀した挙句に、負傷者多数を出すほどの大立ち回りを演じて以来、敷地内での抜刀、帯刀禁止令を司令直々に申し渡されるという経緯がある。 ハナヱさん自身、知ってか知らずか、思っていた以上のフラストレーションがたまっていたご様子だ。とは言え、司令の決定は、なんだかそれこそ目の前で、パンドラの箱をパカっと開けられたような気分だ。 「お任せください、このハナヱ・ボカチンスキー、我が神刀巫王村雨に懸けて、全ての敵を殲滅して御覧にいれます」 「良い返事です、さすがは、友邦ドラコ連合の誇りしサムライ・ウォーリアーです。では、頼みましたよ」 「御意」 ・・・・・・やべえ、ハナヱさん、スイッチが入りかけちまってる。まだハイパーモードにはなっちゃいないが、若干目つきが怪しくなってきている。 「では、クルツ君、そしてボカチンスキー准尉。よろしく頼みましたよ」 イオ司令は、さっきまでの微妙な表情が跡形も無く消え去り、事を成し遂げたような表情を浮かべつつ、ハンガーを去っていった。しかし、ハナヱさんはともかくとして、俺の場合、どうにかして、あの忌々しい黄色い悪魔に対する攻略法を考えなければならない。どうにも、こいつは面倒なことになっちまった。 「クルツ」 「はい?」 ディオーネの声に振り向いた瞬間、今までとは比べ物にならない衝撃が炸裂し、椅子ごと床に吹っ飛ばされた。 「な・・・なにするんですか!いきなり!?」 「何もカニもにゃーよ!おみゃー!うちん時ゃさんざん渋っといて、司令ん時ゃ即答たぁ、どーいう了見だぎゃ!!」 「い・・・いや、しかし、それは・・・・・・!」 したたかに蹴倒され、床に転がったままの我ながら無様な格好で、普段なら助け舟を出してくれるはずのハナヱさんを見ると、彼女、すでに夢の世界を浪漫飛行の真っ最中だった。 「他の女の頼み事はヘラヘラ聞きよるくせに、いっつもいっつもおみゃーはうちだけ粗末にしよってからに!おみゃーがそのつもりなら、うちにだって考えがあるだてね!!」 「粗末にだなんて滅相も無い!そんなことありませんって!!」 「おみゃー!自分で日ごろの実績がモノを言うっちゅうただぎゃ!!」 「そ、そんな!」 なんだかよくわからないうちに、事態は変な方向に流れ出している。果たして、いよいよ進退窮まったその時、突然、リオが素っ頓狂な声を上げた。 「あっっ!?」 そして、奴さん、今しがたまで司令が立っていた場所に駆け寄ると、その場にしゃがみこんだかと思ったら、何やら豆粒のようなものをつまみ上げ、それを高々とかざしている。 「やったけん!イエロージャケットのドタマ、めっけたけーんっっ!!」 まったく、どこまでもマイペースな奴め。こいつも、どんどん誰かさんに似てきたぞ。それはともかく、今度こそうまく言いつくろわないと、イエロージャケットにやられる前に、目の前の猛獣にお陀仏にされちまう。なんでこう、いつもこんな目にあわにゃならんのよ・・・・・・。 勘弁してくれ、まったく。 「クルツ・・・それ、すっごいカッコじゃのぅ・・・・・・」 「そうか?これでも不安なくらいだぞ」 前には微笑む獅子、後ろには猛り狂う虎に挟まれ、覚悟を完了せざるを得なくなった俺は、現時点で考えうる限りの装備を揃え、いざや害虫駆除にあたることになった。果たして、テックの装備資機材がどの程度通用するかは、正味の話まったく見当もつかないが、とにかくやるしかない。 俺が今着ているものは、メックのエンジン、つまり、核融合炉を修理点検する際に着装する防護服だ。見かけの割りにかなり頑丈に出来ていて、そうそう簡単に破れると言うことはまずない。 そりゃそうだろう、ラボ以外の場所でメックのエンジンを触るなんて事態は、その本体自体も相当な損傷を受けていると言うことだ。そんな状態で作業している最中に、破損してささくれだった装甲や中枢機関のトンガリに引っ掛けて穴でも開こうものなら、漏れ出した強烈な放射物質で、中の人はそりゃもう切ないことになるのを覚悟しなけりゃならない。 だが、こいつはプロテクターじゃなくて、あくまでも防護『服』だ。絶対に完璧とは言い切れない。だが、それはそれで良しと言うことにしておく。だいたい、言い出したらキリが無い。そして、メインアームの方だが、これは、俺達がいつも使っているペイントガンだ。 カートリッジは、その辺にあった殺虫剤を適当に詰めただけだが、まあ、向こうも虫なら、効かないということはないだろう。それに、いざとなれば、さっき俺がやったみたいに、火炎放射器にもできる。まあ、問題ないはずだ。 そして、メンバーは、志願者の中から特に選抜し、少数精鋭主義を基本にしつつも、かなり生きる事に貪欲な装備・人員で臨ませてもらった。とりあえず、能書きはこのくらいにしとくとして、そろそろ出発することにしよう。あんまりもたもたしていると、またあのお姐さんに蹴られる。気持ちはわからなくも無いが、どうも、今回はかなり虫の居所が悪そうだ。 「よし、それじゃ、とりあえず奴らが巣を作ってそうな場所を回ってみるか。みんな、準備はいいか?」 「OKッス、班長」 「シフト休なのに付き合わせちまって悪いが、今日はひとつ頼むわ」 「水臭いことは言いっこなしッスよ、班長」 「悪いな、とにかく、気を引き締めていこう」 まあなんとも、こいつらにも、ずっとロクでもないことに巻き込みっぱなしで済まない限りだが、そう言ってくれるとありがたい。 「クルツ、装備を過信せず、くれぐれも慎重に事に当たれ。お前なら、必ずやり遂げると信じているがな」 「俺ら内務も手伝えればよかったんだけどもが、副官の奴に止められてもうたでよ、ったく。けどもが、こっちでも何かわかったことがあったら、すぐ連絡するだで、気ぃつけてな」 「すまない、ありがとう。アストラ、ジャック」 「ああ、それとな、これ、俺ら内務からだで。どーにものっぴきならなくなったとき、使ってくれみゃあ」 そう言うと、ジャックは周囲をはばかるように視線をめぐらせながら、中身の入ったマガジンポーチを俺に手渡し、アストラはなぜか、見てみぬふりをしている。 「ジャック、これは?」 「ま、お守りみてーなもんだと思ってくれりゃーえーだて。ともあれ、しっかりやるでよ」 「ああ、わかった」 「クルツ、気ぃつけて!いってらっしゃい!!」 アストラやジャック、そしてリオの声援に送られて、俺達即席害虫駆除班は、資材運搬や伝令に使ってるカートに乗り込んだ。なんか、これから戦場にでも行く気分だ。まあ、あながち間違いってわけでもないんだが。 化学防護服に身を包んだ我らがウルトラ整備隊御一行は、イエロージャケットの本拠地を探して、クラスター駐屯地を、それこそ西へ東へと走り回った。なぜに事前調査をしなかったのか、なんて野暮な突っ込みは無しで頼む。 そもそも、悠長にそんな真似をしても、首尾よく巣を見つけた時が、イエロージャケット共の集中攻撃を喰らう時だ。余計な被害を出して二度手間をするくらいなら、装備を整えた上で、サーチアンドデストロイの精神で事に当たった方が、よっぽど安全かつ妥当な方法だろう。 それにしても、ここ何時間もずっと防護服を着たまんまだから、暑っ苦しいわ重たいわで、これはこれで結構重労働だ。しかし、巡回している最中でも、単独で飛行するイエロージャケットをいくつも確認しているから、油断するわけには行かない。 一休みのつもりでマスクを外して、そのついでに一刺しされた日には、それこそ洒落にもならない。今頃は、ハナヱさんがこいつらの仲間を狩りまくっている所だろう。そんなわけで、とりあえず単独行動の奴はスルーしておく。 『おー、クルツー。聞こえとるかね』 と、ジャックから無線だ。 「こちらクルツ、何かあったのか?」 『いやいや、そうじゃねーんだけどもが。一応、俺らの方でも、いろいろ聞き込みとかしてみたんだけどもがな。どーも、話をまとめると、戦士階級居住区の辺りが、特に目撃情報が多いみてーなんだでよ。 言われてみりゃー、刺された奴も居住区でやられた奴が多いし、現に、司令やディオーネも、じぶん家で刺されちまっとるわけだで。クルツ、骨折りついでに、そっちも回ってみてくれんかね』 「ああ、わかった。今から行ってみる」 『おー、頼んだでよ。気ぃつけてな』 「ああ、ありがとう」 事の前後の状況を考えても、ジャックの情報は確かに信憑性が高そうだ。これは、優先的に調査する必要があるだろう。 「シゲ隊員、ジャックからの連絡だ。予定を変えて、戦士階級居住区の方に行ってみよう」 「了解ッス、班長。ところで、隊員って何スか?」 「景気付けだ、気にすんな」 さて、なんだか手ごたえ十分感と共に、物語のクライマックス感らしいモンが、じわじわと漂い始めてきた・・・・・・なんてな、まあ、当ても無く動き回るより、だいたいの見当がついている分、まだいいかって奴さね。 「班長・・・・・・なんか、ひとっこひとりいない。って感じッスね・・・・・・」 「まあ、この時間、だいたいの連中は当番勤務や訓練だからな。とは言え、非番やシフト休の連中も見えないってのは妙だな・・・・・・」 「班長、この区画のイエロージャケットの数が増えてきています。外出を控えているのは、おそらくそれが原因かと思われます」 ワシオが、周囲を注意深く観察しながら声をかけてくる。確かに、この辺りに来てから、飛び交うイエロージャケットの数が増えてきている。こいつぁ、もしかしたらビンゴかもしれない。 「シゲ隊員、なるべく奴らに近づかないようにしてくれ。無駄な騒ぎは起こしたくない」 「了解ッス」 慎重に進みながら、俺達は、この区画にあって、あまり人が立ち寄らない場所を点検していく。戦士階級居住区に限らず、警備面の観点から、敷地内やその周囲は、なるべく見通しを良くするために、藪や雑木の類は可能な限り排除されている。 気性は荒いが、同時に警戒心も強いイエロージャケットが、そういった場所以外に巣を作るとなれば、滅多に人が近づかない場所だろう。そうなると、条件はかなり限られてくる。そして、ポイントの一つである、旧水道管理施設に向かった時だ。 「は・・・班長・・・・・・!」 緊張の色を含んだシゲの声に、俺も、すぐさまその理由を悟る。一匹のイエロージャケットが、こっちを警戒するように近づいて来たからだ。 「待て、落ち着け。絶対に刺激するなよ」 「りょ・・・了解」 いざとなったら、いつでも殺虫剤をお見舞いできるよう構えながら、奴の出方を伺う。すると、このイエロージャケット、俺達の前でホバリングすると、そのデカい顎を動かしてカチカチと妙な音を立て始めた。 「こいつぁ・・・・・・?」 「班長、これはイエロージャケットの警告です。おそらく、こいつは警戒要員で、近くに巣があると思われます」 「なるほど、そうか・・・・・・」 ワシオのやや緊張した声に、いよいよ敵さんの本拠地直前までたどり着いたことを悟る。 「どうします?」 「どうしますもなにも、ここまで来て引き返せんだろ。こいつを排除して、もう少し接近する。おそらく、巣は旧水道管理施設だ。あそこは駐屯地造成の時、給水設備の臨時稼動のために作られて、本施設が完成した後、放棄同然になった場所だ」 「では、そこに・・・・・・?」 「ああ、条件はバッチリだ」 「了解です」 「よし、総員降車」 いよいよ戦闘開始だ、そして、全員カートから降り立ったその時、俺達の前に立ち塞がるようにホバリングしていたイエロージャケットが、突然身を翻したかと思った瞬間、一目散に旧水道管理施設に向かって飛び去っていった。 「班長、奴が逃げる!」 トリベがそう叫んだ時には、奴はもう、すでに建物の中に飛び込んでしまっていた。しまった、野郎、仲間を呼ぶ気だ! 「班長!」 「下手に動き回れば、余計被害を広げる。俺は、ここでやつらの注意を引く。お前達三人は迂回して、手薄になった巣を叩け」 「そんな、ひとりじゃ危険すぎるッスよ!?」 「なるたけ手早く頼む」 「・・・・・・それだけッスか?」 「ああ、他に何かあるか?」 「いえ、ないッス・・・・・・」 「よし、じゃあ頼んだ」 シゲ達三人組が走り去っていくのを見送りながら、スプレーガンのセーフティをオンにする。さあ、どっからでもかかって来やがれ、昆虫共。 「お・・・・・・」 しかし、俺はすぐさま前言撤回したくなるような光景を目の当たりにした。旧水道管理棟の中から、まるで、建物自体が爆発したような勢いで真っ黒い煙が吹き上がり、俺の方に向かって物凄い大群が押し寄せてくる。まさに、怒涛のようなイエロージャケットの襲撃の前に応戦する暇もなく、俺の全身はあっという間に、ハチ共にくるみ込まれてしまった。 「あっ!?くそっっ!!」 バイザー一面に群がりうごめくハチ共が唸りを上げる耳障りな羽音、そして防護服越しでもはっきりわかる、その牙や針を突き立てようとして全身を這いずり回る感触に、生理的な嫌悪感で全身が反射的に粟立つ。さすがに、防護服は貫通していないみたいだが、このままでは、いつまともに刺されるかわかったもんじゃない。こいつはマズイ、奴らを甘く見過ぎていた。 ハチ共に覆い尽くされていく視界の隙間から、シゲ達が殺虫剤を噴霧しながら建物の中に突入した瞬間、三人が突き飛ばされたように転げ出して来るのが見えた。そして、それと同時に、さっきとは比べ物にならないイエロージャケットの大群が溢れ出し、三人はまるで意思のある煙に袋叩きにあうように転げまわっている。 こっちも向こうも、もはや大群なんて生易しいものではない数のイエロージャケットに群がりよられている。まさに『大勢であるが故に』であるところのレギオンとさえ言うべき様相に、それこそ手も足も出ない。こいつは、チトばかしヤバいかもしれない。いや、少しどころの騒ぎじゃない。マジでヤバい。 「くそっ・・・・・・!」 バイザーにはハチ共が群がり、奴らの腹しか見えない。こんな状態だから、もうシゲ達の状況さえどうなっているのかわからない。ただ、インカム越しに彼らの悪態が時折聞こえてくるだけだ。スプレーガンのトリガーは引きっぱなし、手ごたえがなくなったら、ゴーグルのハチ共をかなぐり捨て、一瞬だけ確保した視界でカートリッジを取り替える。だが、それもすぐさま不愉快なことこの上ないハチの腹で埋め尽くされる。 状況は、あっという間に最悪の方向に転げ落ち、もはや取り返しの付かないほど、収拾のつかない事態になってしまった。 「畜生!人間をなめるなよ!!」 こうなったら奥の手しかない。いよいよ、ジャックから貰った『お守り』を使う時が来たようだ。 「お・・・・・・」 マガジンポーチの中から出てきたものを見て、俺は、自分でも良くわかるくらい邪悪な笑みを浮かべていた。恐らく、人類が始めて核兵器を手にした時も、こんな顔をしたんだろうか。 「フッ・・・フハハハハハハハ!!」 半径約30メートル以内の生体有機化合物を、粘着性可燃物の超高温燃焼煙で焼き尽くす、リーサルウェポンオブリーサルウェポン、その名も高きウィリー・ピート。愚かな昆虫共、人間様に楯突いたことをあの世で後悔するがいい、地上は人類のものだ! 「あ、駄目ですよ。クルツさん」 今まさに、この禁断の最終兵器の安全ピンを引き抜こうとしたその時、背後から優しく肩を叩く感触と共に聞こえた、日常極まりない声。 「は・・・ハナヱさんですか!?ここは危険です!早く逃げてください!!」 「いえいえ、ですから、こんな所でそんなの使っちゃったら、クルツさんも大火傷しちゃいますよ。大丈夫です、少しだけじっとしててくださいね」 彼女の言葉が終わるか終わらないかのうちに、バイザーに群がっていたイエロージャケットが、急にポロポロと落下していく。そして、再び開けてきたと思った視界は、真っ白な煙に埋め尽くされていた。そして、手を引かれるように歩いた所で、ようやくまっとうな視界が帰ってきた。 「ど、どうなってるんですか、ハナヱさ・・・ん・・・・・・・・・?」 おお 「あ、あの・・・・・・恥ずかしいから、あまり見ないでくださいね」 目の前に現れたハナヱさんは、DCMS制式パイロットスーツ一式と、陣羽織みたいなコンバットベストを羽織っている。なによりも、その銀と赤のツートンカラーのパイロットスーツは、ボディラインにこれ以上なく忠実にフィットしており、非常に嬉しい・・・・・・じゃなくてだね。 「動きやすいし、それにとても丈夫なんです。ハチの針くらいなら、へっちゃらなんですよ」 そう言いつつも、はにかみながらコンバットベストを引き寄せて胸元を隠している。むう、遺憾遺憾。つい顔に出してしまったか。しかし、どうしてもこう、魅惑の曲線に目が行ってしまう。 なに?いい年してみっともないだと?バカ言え、いい年だから嬉しいんだろうが。 「さて、これでよし。と」 引っ張ってきたリヤカーから、煙を上げている一斗缶を運び出したハナヱさんは、風向きを確認するように人差し指を立てたあと、なにやら粉末のようなものが詰まった袋を一斗缶の中に放り込んだ。その瞬間、さっきまでとは比べ物にならない勢いで白煙が噴き出し、瞬く間に周囲を飲み込んでいく。 「クルツさん、ここはしばらく下がりましょう。シゲさん達にも、これ以上殺虫剤は使わず、戻るよう伝えてくれますか?」 「え・・・で、ですが・・・・・・?」 「ハチ退治には、殺虫剤なんかより、煙で燻すのが一番なんですよ。10分もすれば、完全に動きが鈍って、ちっとも危なくなくなりますから」 なんと、ハナヱさん、意外な所で意外な技を・・・・・・。 「そんな大げさなものじゃありませんよ、言うなれば、おじいちゃんの知恵、ってところですね」 ややあって退避してきたシゲ達と合流した俺は、平然とした様子のハナヱさんに一時唖然となる。その間、ハナヱさんは、煙の中から飛び出してきたイエロージャケットを、手にした巫王村雨で、こともなげに斬り捨てている。 「思ったより早くお掃除が終わっちゃったんで、お手伝いに来てみたんです。あの・・・なんていうか、お気持ちはわかりますけど、あんな短気な事をしたら、取り返しのつかないことになっちゃいますよ?」 「は・・・はあ・・・・・・」 ハナヱさんの苦笑交じりの表情に、俺の中のささやかな狂気は、叱られた子犬のようにしぼんでしまう。そして、俺はもうもうと立ち込める煙の中、ウィリーピートを手にしたまま立ち尽くすしかなかった。あたり一面、まったく視界の利かない煙が充満し、まるで煙幕弾でも炸裂したような騒ぎだが、確かに効果覿面らしく、だいたいの連中は、地面に落ちて体を痙攣させ始めている。 「これだけたくさんいるんですから、今日はご馳走ですね」 「ご馳走?」 「はい、とっても美味しいんですよ。あとで、お料理にしてもってきますね」 さて、ご馳走とは何のことだろう。もう、今から打ち上げの段取りなんだろうか。 「それじゃ、後詰に行ってきますね」 「あ、はい、どうかお気をつけて・・・・・・」 「ありがとうございます、それでは、また後ほど」 ハナヱさんは、そう言って微笑むと、まだ盛大な白煙を噴き出している一斗缶を、再びリヤカーに積みなおし、キコキコと暢気な音をさせながら、旧水道弁管理棟へ向かって歩き出していった。 「班長、いったいどうするんッスかね・・・・・・」 「さあな、ドラコ人の考えることは、俺には理解不能だ」 「班長もドラコ系じゃないっすか」 「親父はな、俺は生まれも育ちもレイザルハーグだ」 「はあ、まあそうッスよね」 「ああ」 なんだかよくわからないが、今日のお仕事は終わったようだ。いまいち釈然としないが、仕方ない。 「なぜ、ここに呼ばれたか。理由は、わかりますね?」 ハナヱさんと共に、クラスター駐屯地内に巣食っていた、イエロージャケットの駆除完了の報告を済ました後、時間を置いて、再び司令執務室に出頭命令を受けた。なんのために、などと考えるのはそれこそ愚問だ。 「今回の件について、言っておかなければならないことがあります」 イオ司令の目は、少しも笑っていない。いや、その言い方は妥当じゃない。彼女は今、『スターコーネル・イオ・ドラムンド』としての表情になっている。 「やはりというべきでしょうか、私の予想していた結果となりました」 断罪するでもなく、非難するでもない。あくまでも、事実のままに語る声は、これ以上無く鋭利な刃となって耳に届く。 「前々から思っていました、トマスン・クルツ、貴方は、事象に対する気概の浮き沈みが激しい。全てを、自分の価値観において判断している。ですが、それが悪いとは言いません。むしろ、貴方は、それをして許される能力を備えている。だからこそ、私は、そのことについて黙認してきました」 あらゆる感情を排除し、ただ淡々と語るその声は、今まで聞いたどの声よりも、危険な空気を帯びている。 「たとえば、今回の下命。たとえボカチンスキー准尉が加わっていなくとも、貴方の力量で十分解決できるはずのものでした。ですが、実際に任務を完遂したのは、ボカチンスキー准尉だった」 イオ司令は、いったん言葉を切ると、貫くような目を向ける。 「貴方は、今回の下命に対して、『全力』で挑もうとはしなかった。また、『いつもの下らない面倒』を押し付けられた。そう思っていたはずです、違いますか?いえ、答えなくても結構。私は、今この場において、貴方を譴責する意思はありません」 問いかけられるばかりで、言葉が出ない。そして、俺の返事を、彼女はまったく求めてはいない。 「ただし、その姿勢に対し、忠告と警告、この二つを与えなければなりません。先ほども述べた、貴方の『価値観』。これについては、余人が口を出すことも、ましてや、矯正を強いる筋合いもありません。ですが、あまり我々『氏族』を、安く見積もらないで頂きたい。我々は、確かに中心領域人から見れば、朴訥であり愚直であるかもしれない。ですが、物事の本質を見極める目ぐらいは、持ち合わせているつもりです」 司令の言葉に、背中を伝う汗が、ますます冷たくなっていくのを感じる。彼女の言うことは、まさに正鵠を射ていたからだ。 「今回の一件で、再度確認させてもらいました。貴方は未だ『中心領域人』です。その姿勢は、私個人としては黙認できても、クラン・ノヴァキャットの総意として見られた上で、許容されるものと断言は出来ません。 私は、貴方と言う『人間』を高く買っています。ですが、私の力ではどうにもならなくなった時。それは、他の誰にも、対処の出来ない事態になることを意味する。それは、貴方の『力』を持ってしてもです」 司令は、いったん言葉を切り、静かに俺の目を覗き込む。 「それは、私にとって、大きな損失に他ならない。だからこそ、それは、是が非でも避けなければならない事態でもある。貴方には、それを認識しておいて頂きたいのです」 穏やかだが、厳しい言葉。俺は、司令に試されていた。そして、最悪の形で結果を出してしまった。むしろ、司令の掌上で踊らされていた事に、今さらながらに臍を噛む。司令は、全てを見通していたわけだ。 だが、次の瞬間、司令の表情は、突然元の柔和な笑みをたたえたそれに戻る。 「たかが虫けら退治で、ここまで言われるのは業腹でしょう。しかし、記憶の片隅に残しておきなさい。取るに足らない小石も、集まれば持ち上げること適わぬ目方になる。だからこそ心掛けなさい、トマスン・クルツ。どんな事象であろうと、せめて、託された『思い』には全力で応えなさい。それが、世界を救う戦いであろうと、使い走りであろうと」 戦い終わって日が暮れて、俺は、ささやかではあるが、シゲ達と慰労会を開くことにした。交代の班に迷惑をかけないよう、ハンガーの隅っこの、例の作業台が会場さな。なんともわびしいもんだ。 それと、ディオーネのご機嫌も、まだ斜めなまんまだ。俺には、ちっともそのつもりはなかったんだが、本人としては相当ないがしろにされたと思われたらしく。あれから、一度も姿を現していない。今にして思えば、悪いことをしたと思う。 なんとも、久々にみっともない結果に終わった今回の騒動だが、まあ、この程度でヘコむとかどうこうするつもりはない。いちいち失敗するたびに鬱になっていたら、とてもじゃないが、氏族世界じゃやっていけない。それに、ハチ退治に関しては、ハナヱさんが一枚上手だったと言うことだ。 「どうした、やはり随分落ち込んでいるようだな」 「アストラ・・・いや、そんなことはないぞ」 「フ、まあ、そう言うことにしておこう」 リオを連れて、ハンガーに顔を見せたアストラは、肩にかけていたフィールドバッグの中から、ビールやソフトドリンクのレギュラーパックと大きな包みを取り出す。 「姉さんが、お前達に持って行けと言付かってきた。」 「ディオーネが・・・・・・か?」 「ああ、今日の事、一応、ねぎらっておくと言っていた」 「そ・・・そうか」 「ああ、だが、顔は見せられないと言っていた」 「そうか・・・・・・・・・」 まあ、仕方ないよな。結局のところ、司令だけじゃなくて、ディオーネの期待にも応えることができなかったんだ。 「クルツ、姉さんが来なかったのは、失望しているわけではない、責めているわけでもない。気に病む必要はない、そうも伝えてくれと、姉さんに言われてある」 「そ・・・そうか・・・・・・」 「是、俺を寄越したのは、静養する必要があったからだ」 相変わらずの穏やかな口調でそう言いながら、アストラは、持っていた包みを作業台の上に置いた。 「アストラ、これ、まさかディオーネが厨房で・・・・・・?」 俺の問いに、アストラは返事の代わりに、穏やかな笑みを浮かべていた。 「まだ、刺された傷が痛むそうでな、動き回ると辛いらしい。なにしろあの大きさだ、歩いただけでも遠慮なく揺れるからな」 そう言いながら、アストラは、まるでイタズラ小僧のように笑っている。なんとも、彼にしては、実に珍しい表情だ。 「うわぁ・・・・・・クルツ、このウィロープディング、ぶちおいしそうじゃけん」 包みを開いたリオは、瑞々しく、そして、ほのかに甘い香りを漂わせているプディングに、瞳を輝かせながら感嘆の声を上げている。 「確かに、こいつは凄いな。なんか、今回は本当にディオーネには悪いことしたな」 「何度も言うが、気に病むな。姉さんは、ちゃんとわかっている」 「アストラ・・・・・・」 正直言って、今回の仕事は、大失敗もいい所だった。しかし、それでもディオーネは、こうして、ねぎらいを形にしてよこしてくれた。だからこそ、それが余計身にしみる。 「物事が全て、首尾よく行くとは限らない。そして、それをいちいち気にしていては始まらん。そうだろう」 「・・・・・・ああ、そうだな」 「そうだとも、何事も糧だ」 ようやく、一同の表情にやわらぎが戻ってきた時、また、来客の気配があった。 「よー、やっとるみゃあ、クルツ」 陽気な声と共に、風呂敷包みの重箱を持ったジャックがハンガーに現れた。 「よお、ジャック、ちょうどいいところにきたな。みんなで一杯やってるんだ、一緒にどうだい?」 「まあ、そのつもりできたでよ。それと、これな、ボカチンスキー准尉からお前に、っちゅうて預かってきただぎゃ」 「ハナヱさんが?」 風呂敷包みを作業台の上に置きながら、ジャックは、シゲから缶ビールを受け取ると、当然のように宴席の一角に陣取っている。 「おー、ずいぶんヘコんだ様子での。おみゃーが司令に大目玉喰らったのは、自分のせいだっちゅうとったがや」 「そりゃまた、いったいどこからそんな話を・・・・・・」 「さーな、ともかく、自分がでしゃばったからとかなんとかかんとか。にしてもまー、相変わらず可愛い娘っ子だでよ」 なんとも、どこで聞いてきたのかは知らないが、俺がイオ司令から苦言を呈されたことを、ハナヱさんは、自分が原因だと思ったらしい。なんとも、彼女が気に病まなきゃならないことは、なにひとつない訳なんだが・・・・・・。 「今度のこたぁ、どーにも会わす顔がねーからっちゅうて、俺んとこに頼みに来てたでよ。でもって、こいつぁ、准尉からのお詫びのしるし、ちゅうことだて」 「そうか・・・・・・ありがとう、ジャック」 「礼を言うなら、あとでちゃんと准尉に言ってやるだで。俺は、にゃーんもしとらんでよ」 苦笑を浮かべながら、缶ビールを傾け始めたジャックは、猫のように喉を鳴らしながら思い出し笑いをしている。 「まあ、これも班長の人徳ってやつッスよ。それに、慰労会が一気に豪華になったじゃないッスか。ここは、感謝して頂きましょうよ」 「そうだな、それじゃ、みんなでゴチになるか。アストラ、よければ一緒に食べていかないか?」 「いいのか?」 「ああ、こう言うのは、人が多いほどいいからな」 「わかった、相伴にあずかろう」 アストラとジャックも加わって、シゲの言葉にうなずきながら、俺は、ハナヱさんが持ってきてくれた重箱の蓋をあける。そして、たっぷり10秒くらい、俺の思考が止まった。 「・・・・・・な、なんだ・・・・・・これ・・・・・・・・・?」 重箱の中に入っていたのは、ドラコ式弁当の定番、『オニギリ』と、それはいいとして、問題は、いまだかつて見たこともない食材達だった。 「ああ、これはハチノコッスね」 「は・・・・・・ハチノコ・・・・・・・・・?」 気楽なシゲの言葉に、俺は返事を詰まらせる。どう見ても、イモムシにしか見えないそれに、俺は、全身から嫌な汗が吹き出るのを止められなかった。いや、それだけじゃない。他の重箱には、イエロージャケットが、丸のままフライにされて詰め込まれていた。まさか、あの時ハナヱさんの言っていた『ご馳走』って、このイモムシとその親のことだったのか? 「ドラコの郷土料理みたいなものッスよ、生で食べても良し、野菜と一緒に炒めても良し、って奴ッスね。結構美味いッスよ。この唐揚げも、スナックみたいなものッスね。ドラコじゃ、結構この手の料理は多いッスよ、イナゴの佃煮とか」 「そ・・・・・・そう・・・だな」 そりゃ、俺だって、情報を取り扱う会社に勤めていたわけだから、食文化の多様性くらい、当然承知はしている。しかし、耳で聞くのと、実際に現物を目の当たりにするというのとでは、その衝撃は、チャージャーの1A1型とハタモトシリーズくらい違う。 ハナヱさんの、あふれんばかりの家庭性を再確認することになったわけだが、今度ばかりは、諸手を上げて感心することはできなかった。これを食え、と? 「うわぁ・・・・・・ぶちうまそうじゃけん!クルツ、クルツ!これ、食ぅてもええかのぅ!?」 マジか。 「なるほど、ただ駆除するだけではなく、食用に耐えるものとしての知識を備えていたわけか。准尉は節制の精神に富んでいる、賞賛に値するな」 「だでね」 俺の隣で、身を乗り出すように重箱の中を覗き込んでいるリオが、そして、アストラが、ジャックが、どこか遠くの知らない存在に見えた。で、皆さん、さっそくお口に放り込んでいらっしゃる。 「ちょっと甘いし、プリプリしててぶちおいしいけん!こっちのフライも、ジャーキーみたいな味で、サクサクじゃ!!」 「うむ、これはサバイバル時における緊急糧食として、十分にいける」 「なるほど、なかなかうみゃーもんだて」 ぶっちゃけありえなーい・・・・・・。 こともあろうに、リオは、オニギリ片手にイモムシ入りのポテト炒めやあえ物、イエロージャケットのフライを口いっぱいに頬張り、アストラやジャック、そして、シゲ達も、同じように、それらを口にしながら缶ビールを傾け始めている。 イッキニトオクナルセカイ 「クルツ!食べないんか?はよせんと、なくなってまうけん!」 「あ・・・ああ、そうだな・・・・・・」 そうか・・・そうきたか・・・・・・。こいつらハチ共は、生きていようと死んでいようと関係なく、どこまでも俺に仇為す存在であり続けるらしい。 神よ、これが試練ならば、耐えましょう。もし、いたずらなら、呪います。 ファンブル昆虫記(終) |
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