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 薫る五月(MAY)




















  
          



                   




 ゴールデンウィークも終わってしまえば残ったのは脱力感だけであった
サラリーマンでさえ五月病と称するダラケ病にかかるこの時期
入学して一ヶ月、高校生活にも慣れてきた拓真たちもそろそろ余裕の居眠りでもでそうな気配
陽気も申し分ない
休み返上で数日間は部活に登校していたおかげで大した休みボケもなく
今日もなんとか六時間目の授業をクリアできそうな状況だった


「あ〜弁当を食った後の時間割はちょっと考えてほしいよなぁ・・・」
授業残り時間あと5分を切ったところで
前の席の亮輔が椅子の背もたれに思いっきり寄りかかり、後ろの席の拓真の様子を伺う

漢文の授業は退屈だ・・・
異国、しかも遠くいにしえの話
そんなもの現代人に何の必要があるのか、といったん思えばその時代にどんなロマンがあろうと興味もわかない
孔子も老子も赤の他人、どうでも良い

そろって同じ高校に入学、6クラスあるうちで偶然にもクラスが一緒
さらには座席も前と後ろ
この腐れ縁はどこまでも続いている

拓真も亮輔とそう変わらず、先ほどから授業そっちのけで窓の外ばかり眺めていた
それもそのはず、校庭では上級生の体育の授業中
その様子がここから見渡せるのだ
現実逃避に窓際の席は何かとラッキー

気づけば教科書の端っこへ無意識のうちに走り書きをしていた拓真

“諸藤ひじゅ”・・・そう書いていた
しかも一つならず四つも五つも同じ文字を繰り返し、最後の並びにはなんと☆マークもつけている
黄色い声で騒ぐアイドル好きの女子学生のような今の拓真
拓真は亮輔に気づかれぬようにその落書きをそっと手で覆い隠した
見つかればまたひやかされる

「シーッ、先生に聞こえる あと少しだから我慢しろよ」
拓真は声をひそめて亮輔をシッシと追い払う
本当の理由は窓の外

あの人を見つめていたいから
うっとりと・・・授業の半分以上はそんな状態

高校受験合格発表の日、受験番号そっちのけで見とれてしまった陸上部の練習風景
ひときわ目立った綺麗なフォームで走る生徒

その人は事故で足を骨折してしまった
当然、体育の授業に参加することなく制服のまま木陰で見学をしていた
連休に入る一日前、やっとの再会を果たすことが出来たのに、何も知らない自分は彼に対し残酷なことを口走ってしまった

『貴方の走る姿に魅かれて・・・』

走ることを止められているあの人に向って
おまけに体当たりをして眼鏡を壊してしまうという二重失態

だから今日は謝るんだ・・・

チャンスは授業が終わり校庭から教室に戻るとき
二年生は拓真たちの一つ上階の教室、必ず通るこの階段で呼び止めるのだと意気込む


キーン コーン・・・
待ちに待った授業終了のベル
号令の合図とほぼ同時ぐらいに教科書ノートをパタパタと閉じ立ち上がり、一目散に廊下へでる
その速さといったらない
亮輔が目を見張る

「おい!拓真〜」

相棒の呼びかけなど、もはや耳に入らない
目指すは憧れの君、待ち伏せ作戦

体育の授業を終えた生徒たちが校庭から戻り、数人のかたまりをなしパラパラと階段を昇ってくる

「諸藤さん・・・」

一人一人の顔を目で追い、憧れの人を探す

どれも体操服の奴らばかり
ぞろぞろと過ぎていく人数の多い集団を何回か見送り続ける

「いない・・・ここにも・・・」

こういう時は気が競ってノロノロ階段を上がっていく連中がじれったい

「うぅ〜早く・・・」

いい加減痺れが切れ、そろそろ人数残り少ないというところで拓真の胸は高鳴った

「いた・・・!」

ドキドキドキ・・・
少し片足をかばうように
階段を一段、一段を昇ってくる

あの人だ
クラスメイトと話ながら体操着の集団の中に一人だけ制服姿の少年を見つけた

(呼び止めるんだ・・・)

「諸藤さん!!」

「・・?・・・君は・・・」

拓真に自分の名を呼ばれた少年は
驚いていたが、すぐに数日前に出逢った下級生と気がついたらしい
それほど印象深かったのだろう
足を止め拓真に笑顔を向ける

「ほ、北都です!俺、北都拓真っていいます!」
この前のような失礼が無いように、まずは自分の名前から告げる

一緒にいたクラスメイトは『先に行くぞ』 と日樹に目合図し
階段を昇っていった

「この前はすみませんでしたっ!」
長身の拓真は思いっきり頭を下げた
とにかくあの日から今日までそのことで頭がいっぱいだった
自分の印象はきっと最悪なものだったに違いないからまずはそれを修正しなければ・・・
そればかりをこの連休中に考えていた

「それで、あの〜眼鏡なんですけど・・・」
踏んづけてフレームを曲げてしまった眼鏡もその後どうなったか確認しておかなければ

顔をあげた瞬間、拓真の目に入ったのは・・・

「あ・・・」

彼を呼び止める
ただそのひとつのことに集中して気づかなかったのだ
端整な顔の少年に付属するもの、日樹が眼鏡をかけていることを今あらためて認識する


「・・眼鏡、直ったんですか・・・?」
「うん、大丈夫だよ」

この前とは全く違う澄んだやわらかい笑顔
うっかり場所をわきまえず見惚れてしまいそうになる

中性的な面差し
成長過程には個人差がある
たとえ日樹がまだその途中だったとしても、先々におそろしく変貌してしまうことは無いだろう
パーツそれぞれの作りが違うのだ
きっと大人になってもこの面影は消えない

「良かった・・・」
弁償だろうと腹を括っていたので少し救われた気がした
だが、まだ言わなければならないことがある
これが一番大事なこと

「それと俺、何も知らなかったから・・・足を怪我したって聞いて・・・すみませんでした」
拓真がそう詫びるとやはり敏感になっていることだったのだ、日樹の顔が曇る

「・・・気にしてな・・・」

きっとこの人なら許してくれるだろう
その言葉を今かと待っているときに突如、中断させるような割り込みが入った

「諸藤!」

と、呼ぶその声に許しを得る言葉を遮られた
どうやら階段を上階から降りてくる男が呼んだようだ

拓真と日樹は同時に声のする方へ向く
大柄な男は拓真など全く目に入らないのか、ズカズカと横を通り過ぎ日樹に近寄る
今まで話していた自分を無視して割り込んできたのだ
拓真より背丈も横幅もある体格のせいか、その男の態度がなんとも不愉快に感じられた


誰だ・・・
諸藤さんの知り合い?

日樹もその男の姿を見るや、まるで恋人に再会し恥らうような表情で見つめ返していた

馴れ馴れしい
随分諸藤さんと親しいじゃないか・・・
って・・あれ・・・俺、嫉妬してる?

前ボタンを胸が見えるぐらいまでオープンにしている
ネクタイをしていないので学年すらわからないが間違えなく上の学年だ
その上、チラリと見える胸元からその体が筋肉質の自分と同じスポーツマンだということが窺える
それも相当なアスリート・・・

「真っ直ぐ帰るんだろう?」
「ええ」
「じゃ、部活が終わったら資料を持って家に寄る」
「ありがとう・・・」

今にも抱擁を始めそうなぐらいに接近しての会話
それが絵になってるから少々悔しい
華奢な日樹がすっぽり包まれてしまいそうだ
しかも拓真を意識し、まるで日樹に誰も近づけまいとガードしてるようにも思える

「あの・・・」
自分の存在をすっかり忘れられているのがしゃくでアピールするが、一度目はまるっきり無視された

こっちが先に諸藤さんと話していたんだろうが!!

少しばかり腹立たしくなり嫌味っぽくこちらも割り込んでやる

「あのっ!」
今度ばかりは聞こえないとは言わせないような声を張り上げた

「なんだ」
男は振り返り様に拓真をギロリと鋭い眼光で睨み返す
相手を脅すすごみに、思わず一歩後ずさりしてしまった

な、なんだよ・・・諸藤さんの用心棒みたいに・・・
・・・用心棒?

ふと野球部のマネージャーが言っていた言葉を思い出した
『おっかない番犬がいつも目を光らせてるから〜』

こいつがもしかして番犬?

俺の諸藤に近寄るな!
黙ったまま威嚇する目が、そう拓真に向けられ
互いに向き合う視線から見えない火花がバチバチとショートしている
散歩途中のすれ違いざまに 『ううぅっ〜』 と唸り声を出す敵意丸出しの犬のようだ

一触即発状態

「拓真〜!」
背後からの聞き慣れた声で緊張感が解ける
助っ人亮輔の登場だった
事の成り行きを影から見守っていた亮輔が雲行き怪しい状況に出張ってきた
このまま放っておいたらどんなことになるか、亮輔には相棒の拓真が真っ直ぐ過ぎて危なっかしくてならないのだ


これで今日のところは引き分けだ
運良く命拾いしたな、フフフ・・・
内心そう強がったところで今、目の前にいる男に向って直に言えるわけがない
本当は威圧感に押され気味で、状況は随分と分が悪かったのだから命拾いをしたのは当の拓真自身なのだ

だが日樹とその男は再び二人の世界に戻り、拓真と亮輔の二人にはまったく目もくれず
視界の外に追いやっていた



二人の関係・・・
数日前、二人が肌を重ね合わせていたことなど
そしてその経緯など
拓真は知る由もない


「じゃ、後で」
「・・・はい」
男は用件を言い終えると去り際に、まるで頬にそっと口づけする仕草を・・・
そんなはずはないのだ
あくまでも拓真の妄想に過ぎない
だが、そう錯覚を起こさせるぐらい紳士的で情熱的な行為だった
おまけに、ご丁寧なことに拓真にも挨拶を忘れずひと睨みをして行った

男を見送る日樹の瞳が別れを惜しむ切ない色をしていたことも全部拓真の見間違えだったのかもしれない

「今の、陸上部の奴じゃん」
陸上部を毛嫌いする亮輔が、その数人のメンツだけは記憶していたようだ
日樹と接しているのだから彼も陸上部の人間であろうとは予想はされていた


呆気にとられた一瞬の出来事
これが拓真と男の初顔合わせ
この先もこの二人は好まざるとも、まだまだ顔をつき合わすことになる

そして
あの男に嫉妬していた自分に何よりも驚いた拓真・・・








『・・・挿れても・・・いい・か・・』
低音で優しく耳元に響く言葉

その答えはわかっている
拒否はない

だが・・・満たされることもない

いつか、いつか・・・
きっと溢れるほどに満たされるだろう

ずっと待っているさ
だから・・・
その日が来るまで今日も同じように訊ねるんだ











拓真は不機嫌だった
それもそのはず
憧れの日樹に近づこうとチャンスを窺うが、そういう時に限ってあの男が側に寄り添い
日樹を大事そうにガードしているのだ
まさに番犬のごとし

マネージャーの言った意味がようやくわかった

その上、部活中も最も気に入らない奴の顔が目に入る
野球部の真横で練習する陸上部、そこに筋肉質で逞しく均整のとれた体のあの男がいる


あいつ・・・

そのせいで拓真は球筋が乱れ不安定になる・・・

夏の大会に向けてチーム作りが始まり
拓真も控え投手として一年生さながらベンチ入りに候補としてあがっている

こんなことではいけない
そんな心境をいち早く察するのが、さすが長年バッテリーを組んでいる亮輔なのだ

「拓真少し休憩しようぜ」
「・・・あぁ・・」
亮輔にポンとボールを放る


これ以上投げ込んだところで心の乱れと球筋の乱れの修正はききそうにもない
自主的にインターバルをとった方が良いと判断し、グランドから離れ水飲み場へ向った

帽子を脱いで額の汗をぬぐう、頭を冷やすにはこれが一番だ
かまわず蛇口に頭を近づける

勢いよくひねられた蛇口
滝に打たれるのもこんな感じだろうか
しばらく髪から流れ落ちるいく重もの水の筋を見つめていた

俺・・・なにやってるんだろう・・・

十分濡れきったところで頭を上げ
思いっきり振って水気を一気に飛ばす

水飲場脇の木陰に野球部と陸上部の顧問の姿が見えた
別段、盗み聞きしようなんて気はなかった
その名前を耳にするまでは・・・


「今年はどうですか」
新入生を迎えて新しいチーム作りが始まり目指すは互いに夏の大会と目標が定まっている

「高原の調子はまずまずで、あとは一、二年生の調整ってところです」
「個人種目は別として、リレーとなると諸藤のいない穴は大きいですかね」

憧れの日樹が話題にあがっていたことで拓真の足が止まる

「その諸藤なんですが、休み前に退部届け出してきまして・・・」
「怪我の方は問題ないんですよね?」
「ええ、今年の夏は無理にしても復帰は十分できるはずですが・・・」

退部の理由が定かでない、と首を横に振り
陸上部の顧問はそれから口を閉ざしてしまった
日樹はそれだけ有望な選手なのだ

退部だって!?

拓真は思わず声を荒げてしまったのだ
その声は木立の葉のざわめきに共鳴し

そして

“盗み聞きか・・・”

そういわんばかりに
あの男が傍らに立っていた










同じ頃、日樹は自分の部屋のベッドに身を置いていた
膝を立てそれを両手で抱え小さくうずくまっていた

今までなら部活で費やしてきた放課後の時間をたった一人で持て余してしまうのだ
物悲しく感じる夕暮れ時がなおさら好きになれない

退部を決めたのは自分だ・・・

走ることを許可されていない今はいい、
制限されていることを自分に言い聞かせればいいのだから
だが怪我が完治した後、足が自由になったときはどう抑制すれば良い
果たして自分を抑えきれるだろうか

心惑わされるこの時間が過ぎれば、次にやってくるのは毎夜繰り返す暗闇
眠れ夜・・・

このベッドで高原と数回肌を重ねた
ギブアンドテイク
感情などいっさい介さない、必要ないはずだった
なのに、高見に向かうことができないのだ

あと少しで達する、というところで体が完全に拒否してしまい
高原を受け入れることができない
そのたびに自慰を余儀なくされる高原も決して強制したり、日樹を責めたりしない

“いいんだ・・・”と
高原は哀れむ瞳を日樹に向けるのだ

それが尚のこと日樹の心を苛む

以前は義兄が使っていたリビング隣のこの洋間が日樹の部屋になっている
南向きの日当たりの良い部屋
一人で過ごすには広すぎる空間
その隅には、かつて主人に何よりも愛されていたスパイクシューズ
そして真っ白なベンチコートは事故当日着用していたのだろう
時の流れとともに褐色に変色した血痕をところどころに残していた






高原
朋樹