レディランサー ユーレリア編

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ユーレリア編 1 ダグラス

   

 それに気づいた時は、愕然とした。
 ジュンがエディを私室に入れ、ドアをロックして、何時間も過ごしている。しかも、週に何回も。
 わたしは、目の前が暗くなった。
 どういうことだ。
 ここは、わたしの船だぞ。
 そんな破廉恥な真似を、許可した覚えはない。若い男女が一室で過ごす時は、扉を開放しておくものだ。
 だいたい、エディをこの《エオス》に乗せると決めた時、はっきり言い渡してあるはずだ。娘はまだ子供だから、節度ある交際をしてくれ、と。
 それを、よくも。
 わたしは我慢できなくなり、バシムに相談に行った。学生時代からの友人であるこの大男は、《エオス》の医務室を根城にしている。
「構わんだろう、避妊すれば」
 薬品棚の整理をしながらあっさり言われ、わたしはよろけて、後ろの棚にぶつかってしまった。
 何かの誤解だ、早まって怒るな、という説得を期待していたのに、やはり、解釈はそれしかないのか。
「あの子はまだ、十六になったばかりだぞ!!」
「義務教育課程は終了しているんだから、立派な成人だ。法に触れない限り、何をしても自由だ」
「そ、そ、それだからといって、そんな放埒な……」
「放埒?」
 バシムはにやりとした。自分には双子の息子しかいかいから、娘を持つ父親の気持ちがわからないのだ。
「エディは今時珍しいくらい、真面目な青年だと思うがね」
「そ、その真面目な青年が、たった半年かそこらで、人の娘を……」
「ジュンの合意があればこそだ。まさか、強姦じゃあるまい」
 わたしは耳を塞ぎたかった。よくもそんな、恐ろしい単語を。
「許せん。《エオス》から叩き出してやる。少なくとも、ぶん殴る権利くらいはあるはずだ」
「まあ、落ち着け。人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死ぬんだぞ」
 バシムはわたしを作業コーナーに座らせ、蜂蜜入りのハーブティを淹れてくれた。
「だいたい、おまえの時だって、惚れた相手と一緒になるために、家族と縁切りまでする大騒ぎだったじゃないか」
 と指摘され、わたしは苦りきった。
「それとこれは、別だ」
 死んだ妻のマリカは、違法組織に創られた戦闘用の実験体だったから、市民社会に受け入れられるまでが大変だった。いや、最後までとうとう、本当には受け入れられなかったかもしれない。ジュンには母親の最後を看取らせ、大変な苦労をさせてしまった。だからこそ、わたしはジュンを守り、どこの娘より幸せにしてやりたい。
「同じだよ。第三者から見れば、恋愛というのは一種の病気だ。誰でもかかる熱病なんだから、醒めるまで放っておくしかない」
 自分こそ、学生時代に恋人を妊娠させ、早々に結婚したくせに。
 だが、それを指摘しても、今のわたしの助けにはならない。
「エディだって、決闘までして、この船に乗り込んだんだから、半端な覚悟じゃない。ジュンさえその気になったんなら、もう、結婚させてやってもいいじゃないか」
 うう。
 そんな、急に言われても。
「ジュンはまだ若いし、そんなに急ぐ必要は……」
 もごもご言い訳したら、鋭い突っ込みをされた。
「エディより望ましい男が、これから現れると思ってるのか? どれだけの男だったら、納得してジュンを手放すつもりだ?」
 からかわれている。
 バシムは、わたしが欲張りすぎると思っているのだ。
 しかし、娘の生涯を託す相手となると、とことん慎重にならざるを得ない。それは、父親の本能のようなものだ。
「息子はいいなあ。息子だったら、気楽に男同士の話ができるだろ」
 ため息をつくと、バシムは笑った。
「息子なんか、ある年齢になったら、父親になど寄り付きもしないさ。女の子を追い回すのに忙しいからな。おまえは恵まれてるよ。あれだけ出来のいい娘は、滅多にいない。おまけに、ファザコンときてる」
「そうかな……」
 確かに、少し前まではそうだった。父一人、娘一人の緊密な家族。二人で艦隊戦のシミュレーションをしたり、話題の映画を見たり。
 しかし最近では、上陸休暇というと、エディと遊びにいってしまう。高級レストランでの食事で釣って、やっと夕食を共にできるくらいだ。それも、エディ同席で。
 彼は、ジュンの行く所、自分も行くのが当然という顔でやってくる。確かに、外敵に対する護衛という意味では、頼りになる青年だと思っているが。
「父親が心配で、同じ船に乗っていてくれるんだぞ。まだしばらくは、おまえの娘だ。どっしり構えておけ」
 大きな手で肩を叩かれ、少しは慰められたが、若い男など、明日にはよその美人によろめくかもしれない。そうしたら、ジュンがどれほど傷つくことか。
 あれこれ悩んでから、わたしは副長のジェイクに助けを求めた。さりげなく、探りを入れてくれるよう頼んだのだ。二人の仲が、どこまで進展しているのか。
「わかりました」
 ジェイクはそう言ってくれたが、その金茶色の目には、わたしを哀れむ光がなかっただろうか。いい加減、娘離れして、再婚でも考えればいいのに、というような。
 わたしはなけなしの威厳を集め、咳払いした。
「ジェイク、きみも娘を持ったらわかる」
「はあ」
 上背のある無精髭の男は、困ったように頭をかいた。いい男だが、もう三十代後半というのに、まだ結婚もしていないのだ。
「私生活に口出しする気はないが、きみもそろそろ、身を固めないのか。付き合っている女性は、いるんだろう」
「はあ」
 モテすぎて、相手が絞りきれないのが問題なのだろう。あるいは、まだ、ハンター時代の失恋から立ち直っていないのかもしれないが。
 ジェイクの相棒だった女性は、今どこで何をしているのか。辺境に消えてしまった者を、後から探し出すのは、不可能に近い。
「いや、余計なことだった。ジュンのことだけ頼む」
 わたしはその場を離れ、船長室に戻った。妻は失ったが、わたしはまだ幸福なのだ。こうして、娘のことで悩むことができるのだから。

2 エディ

「気持ちよかった。ありがと。あたし、このまま少し寝るから」
「うん、おやすみ。夕食の前に起こすから」
 ジュンの部屋を後にして、ぼくは安堵のため息をついた。
 今日も、無事で済んだ。
 平気なふりはしているが、毎回、拷問と変わらない。ジュンが下着姿になって、目の前に横たわるのでは。
 ぼくは、永遠にお預けをくらっている番犬である。我ながら、よく辛抱しているものだ。
 ところが、ぼくの居場所である厨房へ戻る手前で、ぐいと横に引かれた。
「おい、ちょっと来い」
 屈強な長身のジェイクが、普段と違った厳しい顔をして、ぼくを空き部屋の一つに押し込んだ。そこにはエイジとルークも揃っていて、不機嫌そうにぼくを取り囲む。
「あ、あの……?」
 何だろう。食料費の使い込みもしていないし、貨物や装備の点検に手を抜いた覚えもないのに。
「おまえ、責任を取るつもりはあるんだろうな」
 浅黒い肌のルークに詰め寄られ、細い目で睨みつけられた。
「責任て、何ですか?」
「とぼけるな。親父さん、泣いてるぞ。大事な娘を傷物にされて」
「ええっ!!」
 ぼくはのけぞった。傷物って、それはいったい。
「まさか、何もしてないとは言わないだろ。週に何度も、二人きりで部屋に籠って、ドアをロックして」
 あ、ああ、そうか。
 そういうことか。
 ジュンがぼくを〝便利な下僕〟としか思っていなくても、傍から見れば、そういう解釈になるのだ。
 しかし、ジュンならきっと、傷物という言葉に怒るぞ。それとも、呆れるだろうか。男の阿呆は度し難い、と。
「違います。何もしてません。親父さんが心配するようなことは、何一つ」
 と抗弁した。
 事実、ジュンとの間には、色っぽい空気は皆無なのだが、どう言えば、わかってもらえるのだろう。
「それじゃ、二人で、あやとりでもして遊んでるというのか」
 とエイジに追求された。彼はジュンの格闘技の師匠だから、弟子に対する責任感が強い。
 確かに、施錠はまずかったか。でも、ジュンが下着姿でいる場に、踏み込まれても困るし。
 ぼくの胸に残っている特殊細胞の検査をしている場面を見られるのも、まずい。惑星《タリス》で思わぬ事件に巻き込まれてからというもの、先輩たちに対して秘密が増えてしまって、困る。
「ただ、マッサージをしているだけです。ジュンが稽古の後、ぼくを呼ぶので」
 先輩たちは数秒、固まった。
 それから、不審そうに首を巡らせた。
 密室でのマッサージというものを、想像しているらしい。
「つまり……ジュンが、おまえに命じてやらせるのか? 自分の全身をマッサージしろと?」
 とルークが尋ねてくる。
「でなかったら、ぼくがジュンに触れるわけ、ないでしょう」
「そりゃ、そうだが。ロックするのは?」
「ジュンはその、シャワーの後で、下着姿ですから……ほら、でないと、打撲の青あざの位置とか、ぼくにわからないし」
 先輩たちは唸り、深いため息をついた。おのおの、天を仰いだり、首を振ったりしている。
「それだけか?」
 と真剣な顔のエイジ。
「他に、何ができるんです!?」
 ジュンとしたいことはたくさんあるが、ぼくが密かに空想していることを知ったら、ジュンはぼくを《エオス》から蹴り出すだろう。
 ジェイクは疲れたように肩のあたりをさすり、息を吐く。
「そうだよな……変だとは思ったんだ。親父さん、気を回しすぎだ」
 すっかり納得されてしまった。それはそれで、情けない。
「おまえ、それで何ともないのか」
 とルークが眉をひそめて言うのは、ぼくに同情してのことらしい。
「平気なふりをしてます……全力で」
 と答えたら、逆にけしかけられた。
「構わん、襲ってやれ!! おまえがおとなしく下僕をやってるから、なめられるんだ!! 男の前で、下着姿になる方が悪い!!」
 それはまた、極端すぎる。
「そんなこと、できませんよ!!」
「本当に強姦しろと言ってるわけじゃない、ちょっとくらい脅かしてやれ!!」
「そんなことしたら、嫌われるじゃないですか!! やっとここまで、信用してもらえるようになったのに!!」
 先輩たちは、揃って肩を落とした。それから、疲労を隠せずに言う。
「本当に、どうしようもない忠犬野郎だな……」
 何と言われても、構わない。ジュンは、ぼくを魂の地獄から救ってくれた。軍から逃げて放浪していた、どん底の時期に。
 これからの人生は、ひたすらジュンに尽くせばいいのである。もちろん、恋人になれたらという、密かな野心は隠し持っているけれど。

3 ジェイク

「信じられん。いったい、あの頑固娘のどこがよくて」
 帰りの車の中で、往生際の悪い父親は、ぶつぶつと後ろ向きの文句を繰り返していた。
「だいたい、三十男のくせに、十代の娘がいいなんて図々しい」
 同じ三十代の俺としては、相槌の打ちようがない。
 この植民惑星《レジェンドラ》の惑星首都で開かれた、市長主催の何とか記念パーティからの帰り道である。惑星議会の議員やら、実業界のお偉いさんやら、大学教授やら、芸能人やら、名士揃いの華やかな交流会だった。
 たまたま寄港した《エオス》から招かれたのは、やはり有名人である親父さん――翔・ダグラス・矢崎船長独りだけ。
 副長の俺は、護衛として同行した。船医のバシムも同行している。周辺には、さりげなく司法局の護衛車両が散っている。
 ルークとエイジはそれぞれ、上陸休暇に出掛けた。馴染みの女のところか、さもなければナンパだ。俺はもう、新しい女と付き合う気力がないので、前からの女だけで十分だが。
 ジュンとエディも今頃、遊園地かどこかで遊んでいるはず。
 娘に置き去りにされた親父さんとしては、お義理のパーティにでも参加する他なかったのだ。いい加減、娘離れして、再婚でも考えればいいだろうに。
「まあ、既に一人、物好きがいるんだ。もう一人くらい現れても、不思議はないだろう」
 バシムが面白がる態度で言うと、親父さんは苦りきって応じる。
「ええい、自分は息子だけだと思って。あの子はまだ十六だぞ。見合いなんて早すぎる」
 一人娘のジュンが、幾つになっても一向、女らしくならないと心配しているくせに、他所の男から望まれるのは気に入らないのだから、父親というのは救われない。
 ジュンを熱愛しているエディに対しても、感謝半分、反発半分だ。二人の間に何事もないとわかって、一安心したのはいいが、今度は新手の男が登場した。俺は運転しながら、慰めを言う。
「大丈夫ですよ。あのジュンが、見合いなんか承知するはずがない。鼻先でせせら笑って、おしまいですよ」
 しかも、相手はジュンの二倍の年齢の男。それでも世間的には若者の部類だが、ジュンから見れば年寄りだろう。
「さあ、どうかな」
 とバシムが要らぬことを言う。
「乙女心は複雑だぞ。案外、いそいそ出掛けていくかもしれん」
「まさか」
 と俺は反論した。
「エディの気持ちにすら気づかない鈍感さだぞ。恋愛音痴もいいとこだ」
 だが、バシムは悠然たる態度で面白がっている。
「いや、そうとは限らん。敏感だからこそ、あえて鈍感を装う場合もある」
 それこそ、まさか、だ。
 密室で下着姿になり、男に全身のマッサージをさせるとは、何という傲慢さ。男がどんな気分になるか、想像してみる親切心はないのだろうか。
 エディもさっさと告白して、白黒つけてしまえばいいのに、
『今はまだ、相棒でいいんです』
 などと言い、下僕に甘んじているから、こういうことになる。
 この見合いの件で、エディもちょっとは焦ればいいのだが。

 俺たちが宿泊しているホテルに戻ると、ジュンとエディはもう帰っていて、親父さんの取った続き部屋で、何かのゲームをしていた。夜遊びもしないし、酒も飲まないし、実に健全である。
「お帰りぃ」
「お帰りなさい」
「ああ、ただいま。あー、その、遊園地は楽しかったかね」
 と親父さんは婉曲に尋ねる。
 ジュンにエディを付けて送り出すのも心配なのだが、誘拐や狙撃の可能性があるので、単独の外出はもっと心配なのだ。『番犬付きの外出』というのは、親父さんの苦渋の選択である。まあ、司法局が遠巻きの警護はするから、大抵は何事もないのだが。
「うん、たっぷり遊んできた。そっちはパーティ、どうだったの」
 とジュンは屈託がない。
「ああ、まあ普通だった。ただその、わたしの大学時代の恩師に会って、一つ、頼まれ事をされてしまって……」
 ジュンもエディも、何か察した顔になった。
「断れないけど、厄介な話……なんですね」
 エディは同情的に言い、ジュンは冷然と言う。
「そんなの、すっぱり断ればいいのに」
 おまえなら、そうするだろうよ。
 しかし、大人には浮世の義理というものがある。親父さんは、毒を舐めたような顔だった。
「悪いが、ジュン、明日の予定を変更してくれんか。おまえに会いたいという人がいる」
「あたしなの? 親父じゃなくて?」
「つまり、その……」
 ええい、天下の英雄がじれったい。バシムも同じ気持ちだったらしく、横から大判の封筒を差し出した。
「おまえの見合い話だ。釣書を見ておけばいい。相手はニュースでおまえを見て以来、恋の病でやつれ果てているそうだ」
 てきめん、エディがぴしっと凍りついた。ジュンは唖然とした様子。
「……あたしが、お見合い?」
 その封筒は、パーティ会場で、親父さんが恩師から押し付けられたものだ。恩師が高齢だったため、親父さんは断れなかった。
 まあ、有名税のようなものだ。ジュンと親父さんは、おそらく、連邦中で一番有名な親子だろうから。
「悪くないぞ。資産家一族の御曹司だ。会うだけ会えばいい。断るのは自由なんだから」
 とバシムは気楽に言うが、エディは真っ青になっている。
 ジュンは難しい顔をしたまま、釣書と写真を確かめた。娘を手放したくない親父さんは、横からあれこれ言う。
「ジュン、無理に行かなくていいんだぞ。一応、娘に話すとは約束したが、それだけだ。見合いの場に行かせることまでは、約束していない。あくまでも、本人の意思次第ということにしておいたから。断るなら、わたしがすぐ連絡を入れて謝っておく」
 ジュンは相手の写真から顔を上げ、平然と言った。
「一緒に食事すればいいんでしょ。それなら、行くよ。別に、難しいことじゃないもの」
 なに、行く!?
 そんな話、絶対、鼻先で吹き飛ばすと思ったのに。
「どうせ、報道だけ見て、何か美しく誤解してるんでしょ。直に会えば、そんな誤解、すぐ消滅するから」
 ということは、断るつもりで行くんだな。一応は恩師の顔を立てる、ということか。少しは世間智がついたらしい。
「エディ、食事はお昼だから、三時過ぎには解放されるよ。それから予定通り、ドライブに行こ」
 ジュンがにっこりしたので、エディはやや生気を取り戻した。
「そ、そうだね。それじゃ、ぼくも護衛として同行するから」
 それにしても、ジュンに見合い話とは。
 俺にはまだ、ジュンが長い髪をリボンで縛っていた頃が、つい昨日のように思えるのに。
 あの頃は《エオス》が帰港する都度、おふくろさんと出迎えに来ていた。ちょっとはにかんで、おふくろさんの後ろに隠れるようにして。
 当時はおふくろさんの見立てで、リボンやレースのついた可愛いワンピースを着ていたものだが、《エオス》に乗ってからは、機械油の染みたような作業着ばかり。外出する時でも、ひらひらの服なんか見たことがない。
「色気も洒落っ気もないくせに、見合いだなんて十年早いだろ」
 廊下に出てから俺がつぶやくと、バシムが笑った。
「そうでもないぞ。女は子供のうちから、ちゃんと女だ」
 まさか。
 あいつの女らしい点といったら、エディを奴隷として追い使うことくらいのものだ。
 バシムは俺の反応を見て、予言者のように言う。
「ジュンもいずれ、毛虫が蝶になるように、がらっと変わるさ。いつまでも〝男の子のふり〟なんか、続けられないからな」
 ううむ。あの突っ張りは〝ふり〟なのか?
 突然変貌して、華麗な美女になったりするのか!?
 想像できん。
 というか、想像するのが怖い。
 いや、いずれはそうなるべきだが、そんな日は、まだしばらく来てほしくない。ジュンが大人になるということは、その分、こちらが老いていくということだから。
 俺はまだ、ルークやエイジと共に、気楽な青春の続きをやっていたいのだ。

4 エディ

 ――ジュンをさらって、辺境へ逃げよう。
 一晩、眠らずに悩み通した結論が、それだった。
 他の男に渡すくらいなら、ぼくが誘拐して監禁する。ジュンに泣かれてもなじられても、離すものか。他の誰より、ぼくが一番愛していることを、ジュンに納得してもらおう。
 相当に危ない結論だったが、追い詰められた頭では、それが精一杯だった。破談になればいいが、ジュンがもしも相手を気に入ってしまって、結婚するなどということになったら、その前にさらう。
 ぼくは怒ったジュンに殺されるかもしれないが、それでもいい。ジュンに必要とされないのなら、生きていたって仕方ないのだから。

 夜明けの空は、青く晴れていた。土砂降りだったら、ぼくの心境にぴったりなのに。
 護衛らしいダークスーツを着て、暗色のサングラスを胸ポケットに挿した。これで顔を隠さないと、内心の焦燥が丸見えだ。
 ああ、神さま。
 ジュンがもし、ぼく以外の男を好きになってしまったら。
 運命の出会いだと思ったことは、ぼくの独り相撲だったことになる。遡って考えると、《トリスタン》が吹き飛ばされたことまで、無意味になってしまいそうな気がする。
「おはようございます」
 朝食の時間を待って、親父さんとジュンがいる続き部屋を訪ねた。内心がどうあれ、普通に振る舞うよう努力しなければ、見合いに同行させてもらえない。
「ああ、おはよう」
 ジュンはまだ、奥の寝室らしい。スーツ姿の親父さんだけが、居間にいた。
「ああ、その、エディ……きみには悪かった。うまく断れなくて……」
「いえ、いいんです」
 これから先も、ジュンには次々と崇拝者が現れるはずだ。それで当然。ぼくは、高嶺の花に恋したのだから。
「親父さんこそ、浮かない顔ですよ」
「ああ。報道番組を見て熱を上げるなど、安直すぎる。単なるミーハーの馬鹿息子かもしれん。まあ、そんな奴なら、ジュンがすぐ見抜くだろうが」
 そう言いつつ、そわそわ、うろうろ、落ち着かない。
 ジュンが起きてくると、ぼくらはいつものように、ルームサービスで朝食を摂った。ジュンはぼくの格好を見て、くすくす笑う。
「それでサングラスかけたら、司法局の捜査官みたい」
 どうしてそんなに、晴れ晴れしているんだ。
 ジュンは滅多に出番のない式典用の、白いボウタイのブラウスと濃紺のスーツを着て、小振りのハンドバッグを用意している。飾り気はないが、若く健康な肌と、赤い唇が冴えて美しい。
「ああ、その格好で行くのかね」
 と、心配げな親父さん。
「悪い? ちゃんと正装だよ」
「いや、悪くはないが、普通、見合いといったらピンクのドレスとか……そのう、もっとそれらしく……」
 矛盾している。見合いが成功したら困るくせに、ジュンの着飾った姿も見たいのだろう。
「あたしにそんなもの、似合うわけないでしょ」
 ジュンはあっさり言い放つ。もし、相手の男が、この気の強さに惚れたのだとしたら……断られても、更に食い下がるかも。

 快適なドライブの後、見合いの場になるホテルに着いた。ぼくとジェイク、バシムが護衛役である。
 もちろん、司法局の護衛チームも周囲を固めている。ホテルの警備システムに介入し、敷地内外に散り、出入りする市民の監視をしているはずだ。
 違法組織の〝連合〟が親父さんに莫大な懸賞金をかけて以来、上陸中には必ず、父と娘に護衛が付く。
 ホテルは首都の外れにあるので、土地を広く取ってあり、見事な庭園に囲まれていた。ゆるい斜面を巡る遊歩道、薔薇の垣根、アネモネやチューリップやアイリスの花壇、橋をかけた池。
 エントランスから入っていくと、約束のレストランの手前で、その男が待っていた。栗色の髪に緑の目を下した、なかなかのハンサム。グレイのスーツを端正に着こなして、いかにも御曹司という感じだ。残念ながら、あまり馬鹿には見えない。
「ようこそ。ヤザキ船長でいらっしゃいますね。ローラン・ハルシュタットです。この度は、無理なお願いをしまして、申し訳ありません」
 言葉遣い、立ち居振る舞い、失点なし。何か少しでも欠点が見えたら、容赦しないのだが。
「いや、意外なお話で、こちらも驚きましたが、これも一つの経験だと思いまして」
 と親父さんも無難に応じる。
 ハルシュタットは、ジュンに対しては恭しく手を取って、手の甲に軽く口づけをする。
「初めまして、ミス・ヤザキ。お目にかかれて光栄です。実物はやはり、映像よりお美しいですね」
 この野郎、いきなりそれか。
 手にキスなんて、ぼくもしたことがないというのに。
 ぼくは煮え立つようにむかむかしたが、ジュンは何とも思わないようで、平然としている。
「よろしく、ハルシュタットさん」
 まあ、少なくとも、ジュンの側で一目惚れは起きていないようだ。彼はちらりとぼくたちを見て、ただの護衛と判断したらしく、
「御苦労さまです」
 という一言ですませた。司法局の護衛も遠巻きに配置していることだし、ジュン以外は、誰がどうでも構わないのだろう。
「どうぞ、こちらです」
 レストランの支配人に丁重に案内された席には、藤色のドレスを着た、上品な中年の婦人が待っていた。
「ようこそ、ヤザキ船長、お嬢さま。ローランの母でございます。本日は、お忙しいところ、息子が無理を申しまして、どうかお許し下さいませ」
 と満面の笑みである。
 なるほど、母親付きか。少し安堵した。マザコン息子なら、ジュンが相手にするものか。
「実は家族一同、とても喜んでおりますの。何しろ、これまで仕事一筋で、浮いた噂もない子だったものですから」
 む?
「それが、先頃から、どうしてもお宅さまのお嬢さまとお会いしたい、お付き合いしたいと、熱病のように申しまして。《エオス》がこちらに寄港するとわかりましたので、わたくし共も、伝手をたどってあちこちに紹介を頼み込んで、もう大変でしたのよ」
 どうやら向こうでは、この話を歓迎しているようだ。
『賞金首の娘と縁組みなんて、危ない』
 と思うより、女っ気のない息子が、ようやく女性に興味を持った安堵の方が強いらしい。残念だ。
「これでどうやら、孫の顔が拝めそうですわ。お嬢さん、どうか息子をよろしくお願いいたしますわね」
 と母上はすっかり、ジュンが結婚を承諾するものと決めてかかっている様子。うちの息子を断る娘などいない、と信じきっている。
 当のローランは、ジュンの椅子を引いて席に着かせ、そつのないホストぶりだった。
「本日は、ぼくの無理な願いを聞いて下さって、本当にありがとうございます。ここのシェフは、この星でも有数の名人ですので、どうぞ、ゆっくりお食事を楽しんで下さい」
 護衛のぼくらは店側の配慮で、少し離れた目立たない席を用意してもらった。料理は、主賓のテーブルと同じものが出てくるというが、どうせぼくには、味などわからない。ここから、奴を睨みつけていてやる。どんな些細な欠点でも、決して見逃すものか。
 ジュンは平静というか、よそ行き顔というか、至極落ち着いていた。まるで、他人の見合いのようだ。運ばれてくる料理を楽しみながら、ゆったり雑談に応じている。
 もしかして、本当に、一流レストランの料理だけが目当てだったとか。
「なかなか、まともそうな男じゃないか」
 ぼくと同じテーブルのバシムは、好意的だ。
「あの歳で、女っ気なしというのは怪しいな。それほど、引っ込み思案とも思えないし。隠れホモとか、隠れ変質者とか、そういうのじゃないか?」
 と懐疑的なのはジェイク。
「とりあえず、断られそうな相手に結婚を申し込んでおけば、カモフラージュになるからな」
 この現代、恋愛の自由は性別に関係なく認められているが、まだ同性愛に関しては、アレルギーを持つ人々もいる。
 どうか、そうであってくれ。
 そんな男なら、ジュンが見抜いて、相手にしない。
 同性愛なら、それを隠そうとせず、堂々と振る舞えばいい、と言うはずだ。
 まあ、ぼくとしては、自分が同性愛の男に口説かれたら、寒気がするのは隠せないが。

 食事が済むと、親父さんと母上を残して、ジュンとハルシュタットがテーブルを離れた。お約束の、
『あとは若い人同士で』
 という時間。庭園を散歩しに行くようだ。
「ぼくも行きます。離れて見守りますから」
 とバシムたちに断り、テラスを通って庭に降りた。
 午後の日差しが明るく、芝生の緑がまぶしい。咲き乱れる花の間の小道を、二人はそぞろ歩いていく。時折、ジュンの軽い笑い声。奴が何か、冗談を言っているらしい。
(よし、決闘だ)
 ぼくは心に決めていた。
 あの男があくまでジュンに食い下がるなら、決闘を申し込む。ぼくより強いようには見えない。骨の二、三本も折ってやれば、尻尾を巻いて逃げ出すだろう。
 命の覚悟がない奴が、ジュンと結婚なんてできるものか。
 ぼくなんか、一度、心臓を撃たれているんだからな。
 やがて、二人は植え込みの陰のベンチに座った。レストランからは見えない位置だ。他の散歩客も、若い男女がいるベンチは避けて通る。
 ぼくは迷わず、茂みに隠れて匍匐前進を開始した。
 遠巻きの護衛たちに呆れられても、構わない。どうしても、話が聞こえる位置まで近付きたい。
 もしもジュンによからぬ真似などしたら、ぶっ飛ばしてやる。いや、その時はたぶん、ジュン自身が彼をぶっ飛ばすだろうけれど。
 その時、ぼくが這い進んでいる茂みの向こうから、声が聞こえた。
「いけません、お嬢さま、みっともない」
 若い女性の声が、誰かをたしなめる様子。それよりもっと若い声が、茂みの下方から聞こえた。
「黙ってて、見付かっちゃうでしょ」
 ……?
 ぼくは茂みの根元に顔を近づけ、向こう側を見透かそうとした。小さな手が、白いスカートを引きずって、芝生の上を這っていく。子供がいるのだ。虫でも追っているのか?
 女の子と並行して前進していくと、ベンチの方から、ぼそぼそと声が聞こえてきた。
「……あなたには、迷惑な話だとわかっています。ですが、これから毎月、贈り物をさせてもらいますから……宝石でもドレスでも、欲しいものをおっしゃって下さい」
 くそ、金持ち息子め。
「花くらいはいいけど、高価な贈り物はやめて下さいね。父が気にするから」
 何だって。
 ジュン、花ならぼくが毎週、捧げているじゃないか!! きみの部屋にも食卓にも、いつも心を込めて飾っている!! ぼくの気持ちは、きみには少しも届いていないのか!?

5 ジュン

 あーあ、初めてのお見合いだったのになあ。
 もしかして、熱烈に賛美されたり、口説かれたりするんじゃないかと、少しは期待していたのに。
 どうせ、あたしの人生、こんなもんだよ。
 庭園の小道で二人きりになると、見合い相手はすぐさま、あたしに謝罪したのである。
「申し訳ありません、ミス・ヤザキ。実は、貴女に嘘をついています」
 え、何が嘘なの。経歴? 趣味?
「ぼくにはもう、将来を誓った女性がいるんです」
 ……あ、そう。
 なあんだ。
 何か事情があって、やむなく、こういうことになっているわけね。
 それならそれで、別にいいけどさ。あたしだって別に、結婚しようなんて考えていたわけじゃないから。
 ただちょっと、お見合いというものに、甘い期待を持っていただけ。
 男性にちやほやされて、いい気分になるというの、やってみたかったんだ。
 何しろ、うちの野郎どもには、いつも怒鳴られ、叱られ、こき使われているものだから。
 いや、エディにだけは甘やかされているけれど、それにはどうしても、『誰かの身代わり』という意識がつきまとう。いい気になってふわふわしていたら、後できっと痛い目を見るだろう。エディがリナ・クレール艦長を忘れることは、終生、きっとない。
「説明しますから、どうぞこちらへ」
 植え込みに隠れるベンチに座ると、彼は語りだした。
「ぼくと彼女は互いに愛し合っているのですが、ちょっとした障害があって、それを他人に知られるわけにはいかないんです」
「はあ」
 相手が人妻とか? はたまた、ライバル会社の重役とか? いや、辺境の違法組織の人間かも。
「しかし、三十を過ぎますと、周囲からは結婚を期待されます。ガールフレンドの一人もいないと、職場でも怪しまれます。困っていたところに、貴女の登場するニュースを見たんです」
「はあ」
 あたしが相手なら、一目惚れも納得されやすいし、見合いに持ち込んで振られても、しつこく思い続ける演技が、不自然でなくできる、というのだ。
 そういうものなのかなあ?
 これも有名税?
「無関係な貴女を盾にして、非常に申し訳ないのですが、どうか許して下さい。ラブレターに贈り物を添えて届けますから、ラブレターの方は捨てて下さって結構です。贈り物だけ、迷惑料としてお納め下さい。たぶん、数年間のことで済みますから」
 迷惑料ねえ。
 そんな品物、もらっても嬉しくない気がする。
 だいたい、エディが何かとあたしにプレゼントしたがるから、狭い部屋に荷物が増えて困っているのだ。
「あのねえ、ミスター・ハルシュタット。あたしは、演技が得意な方じゃないんです。そんな不自然なこと、すぐ周囲に怪しまれてしまいますよ。そもそも、好きな人のことを公表できない事情って、何ですか。そんな芝居をしている暇があったら、まず、好きな人のことを周囲に認めてもらったら」
 しかし、向こうは確信犯だ。
「話して理解されるものなら、こんな猿芝居はしませんよ」
 あっそう。
 猿芝居なんだ、あたしに求愛するのは。
 何か、むらむら反感が湧いてきた。
 こいつは、無関係のあたしを、都合よく利用しようとしているだけ。それもこれも、本命の相手のため。なんであたしが、そんな芝居に付き合わなきゃならないの。
「だからその、相手が人妻でも宇宙人でも、あなたが本気で愛しているなら……」
 その時である。
「おじさまの、嘘つきい!!」
 悲鳴のような幼い叫びが、あたりに響いた。
 何事かと思ったら、白いドレスの少女が茂みの陰から身を起こして、フレアースカートを翻し、こちらに突進してくるではないか。しかも、胸の前で合わせた両手に何かを構えて。
 まさか、違法組織に洗脳されて、刺客に仕立てられたなんて……ないよねえ。こんな華奢な女の子では。
 いや、逆に、油断を誘うための手なのかも。毒が塗ってあるものなら、小枝一本でも人は殺せる。
「危ない!」
 横から飛び出したエディが、少女をがしっと抱き留めて手首を捕え、怪我をさせないように配慮しながら、芝生に押し倒した。少女はもちろん、身動きできない。
「うわああん」
 と泣いて、足をバタバタさせるのが精一杯。
 長い金茶の巻き髪をした、フランス人形のような子だ。十歳かそこらだろう。
 あたしは急いで、少女が落とした凶器を、茂みの下へ蹴り込んだ。ただの木の枝に見えるが、鋭く折れた部分に毒が塗ってあるかもしれないので、司法局に分析してもらおう。
「ユーレリア!」
 叫んでエディを押しのけ、少女を抱え起こしたのは、ハルシュタットだ。
「何をするんだ、危ないじゃないか。近くには、怖いおじさんたちがいるんだぞ」
 ホテルのあちこちから、司法局の護衛たちが駆け寄ってくる。少女の接近は確認していても、子供が特攻をやらかすとは思っていなかったのだろう。
「大丈夫、誰も怪我はしていません」
 とあたしが言う間、
「申し訳ありません、ローランさま」
 少女に付いて来たらしい若い女性が、おろおろと弁解する。
「今日のお見合いのことを聞いて、どうしてもローランさまのお相手を見たいとおっしゃるので……」
 お嬢さまのお守り役か。にしても、頼りない。
「離してよ!!」
 少女はもがき、髪を振り乱しながら、ハルシュタットの胸に細い腕を突っ張った。
「おじさまの嘘つき!! 裏切り者!! わたしをお嫁さんにするって、約束したくせに!! おじさまを殺して、わたしも死ぬんだからあ!!」
 うひゃあ。
 あたしとエディは、思わず顔を見合わせていた。集まった司法局の護衛たちも、唖然としている。
 本物のロリコンだ。
 しかも、ここまで相手を本気にさせているとは。
 こいつ、この場で逮捕した方がいいんじゃないか。
 しかし、ハルシュタットは厳粛な顔になっていた。真剣な声で言う。
「ユーレリア、落ち着きなさい。裏切ってなんかいない。ぼくが愛しているのは、きみだけだ。きみが十八になったら、ちゃんと結婚する。この人には、それまでのカモフラージュを頼んでいただけなんだから」
 うわあ、宣言した。これだけの証人の目の前で。
 ということは、本当に本気!?
 少女はもがくのをやめ、涙に濡れた目で年上の恋人を見た。
「それ、ほんとう?」
「本当だとも。きみと幸せになるための作戦だよ」
「ああ」
 少女は熱い吐息を漏らすと、年上の男の首にすがりついた。周囲のあたしたちは、ただ茫然と見守るのみ。
「それなら、わたしに話してくれればよかったのに」
「ごめんよ。余計な心配をさせたくなかったから」
「そんなの、だめ。何でも話してくれなくちゃ。それが、伴侶ってことなんだから」
 ひええ。
 負けた。
 この子は、あたしなんかより、ずっと女だ。
 とにかく、まあ、事情はわかった。周囲に知られたら、そりゃあ白眼視されて、引き離されるわな。
 三十二歳と十歳では、年の差がありすぎる。これが四十歳と二十歳なら、また違うだろうけど。
「あんた、まさか、この子によからぬ真似はしてないよね?」
 あたしが、芝生の上で抱き合う恋人たちの頭上から尋ねると、二人は真顔で反論してきた。
「額にキスしか、していませんよ!」
「わたし、綺麗なままで、おじさまのお嫁さんになるんだから!」
 はいはい。それなら結構です。あたし個人はね。
 でも、この子の親は絶対、理解しないだろうなあ。
「とにかく、保護者に連絡を」
「事件として扱いますかね?」
「だがまあ、実質的な被害はなかったし」
 と司法局の面々が話し合う中、
「ねえ、お嬢さん」
 エディが同情的に話しかけた。
「きみ、この人を守りたいだろ。でも、このままだと、この人は犯罪者扱いされて、きみから引き離されてしまうかもしれない。それを防ぐために、きみが犠牲を払うことはできるかな?」
「犠牲?」
 ユーレリアは真剣な顔である。
「何をすればいいの?」
 珍しい。エディが人のことに、積極的に口を出すとは。
「お嬢さん、きみはいま、いくつ?」
「来月で十一よ」
「それじゃ、そうだな、こういうのはどう? 向こう三年間、この人に会うのを我慢するんだ」
 えっ。それで、どうなるわけ。
「手紙は書いていい。通話もしていい。ただし、直に会うことはしない。それで三年後、お互いの気持ちが変わらなければ、交際を再開する。それが約束できるなら、ぼくとこの人で、きみたちの家族を説得するよ。三年の間、遠隔の交際を見守って下さいって」
 こっちに責任がかかってくるわけ?
 まあ、エディがそう言うのなら、そのくらいの役目、引き受けてもいいかもしれないけど。
 自分がリナ・クレール艦長を失ったことで、他の恋人たちの不幸を見過ごせないのかもしれない。
 ユーレリアの顔が曇った。
「三年も会えないの?」
 大人なら、三年はすぐだ。でも、子供には永遠と言われたに等しい。あたしには……あたしにも、まだ、三年後の自分というものが、うまく想像できない。三年後でも、まだ下っ端のみそっかすだろうか? それとも、一人前のクルーと認められている?
 エディは穏やかに説得した。
「きみたちがそれだけの試練に耐えられるら、本物だよ。そうすれば、周りも理解してくれる。その時にまだ反対されるとしても、十四になったきみなら、そんな反対、乗り越えられると思うな」
 それはそうだ。十四歳になったら、もう幼い子供ではない。自分の意志は貫けるだろう。あたしだって、親父の船に乗ると決めて猛勉強を始めたのは、十二歳の時だった。
「わかりました。わたし、全寮制の学校に入ります。向こう三年、おじさまとは会いません。その条件で、周りを説得すること、お願いします」
 年齢よりずっと、賢い子だ。
 だからこそ、はるか年上の男と対等に付き合えたのだろう。
 しかし、ハルシュタットは唖然としていた。
「しかし、ユーレリア。三年も逢わないなんて……」
 こういう時は、女の方が強い。
「おじさま、わたし、三年のうちに、ちゃんとしたレディになります。だから、おじさまも、浮気しないでわたしを待っていて」
「しかし、三年……」
「その後は、一生、一緒にいられます。いま、おじさまが変態扱いされて、みんなに引き離されるより、ずっといいでしょう?」
 遊歩道の向こうから、護衛付きの親父と、ハルシュタット夫人が現れた。
「どうしたね? 何かあったのか?」
「そこにいるのは、ユーレリア? あなたも、このホテルに用があったの?」
 ハルシュタットは惨めな顔をした。息子自慢の母上を説得するのが、一番の難事業であるらしい。だが、もう、戻る道はないのだ。

 軌道上の《エオス》に戻ると、ルークとエイジは既に帰還していた。
「よう、大変だったな、偽装見合いは」
 あたしたちの見合いを狙っていたマスコミ関係者がホテル内外にいたので、事の顛末は大々的に報道されてしまい、年の差カップルのことは、知らない者がいなくなった。
 周り中に監視されていたら、約束の三年は無事に過ぎるだろう。
「金持ち息子と結婚できなくて、残念だったな」
「十歳の女の子に負けたんだから、完敗だよな」
 ふん。
 最初から、勝負なんかしてないよ。
「あたしはただ、社会勉強のつもりで会っただけだから」
 ちやほやして欲しかっただけなんて、絶対言うものか。
「まあ、酸っぱい葡萄ってやつだよな」
「次はどんな話が来るか、楽しみだな」
 にやにやしている二人を残して、エディと一緒に厨房に行き、チョコレート・パフェを作ってもらった。
 ホテルのレストランもいいけれど、やっぱりここが一番落ち着く。エディが相手だと、愚痴も言いやすいし。
「なんか、無駄に疲れた」
「そう?」
 あの二人のために色々骨折りさせられたのに、エディは機嫌がいい。
「あの二人は、幸せになるよ。ユーレリアが成人すれば、年齢差なんか関係なくなるし。あの子が十五歳になったら、きっと天下無敵だろうな」
「まあ、そうだろうね……」
 二十歳の年齢差……どうしても、そこがひっかかる。あたしとジェイクの差が、ちょうどそのくらいになるからだ。
 でも誰も、あたとしとジェイクの組み合わせなんか、考えもしない。決して、有り得ない組み合わせではないはずなのに……
 そりゃ、向こうは、こっちを女だなんて思ってないからね。こっちだって、意識して男らしく振る舞おうとしている。
 改めて、思い返した。ジェイクが初めて《エオス》に来たのは、あたしがユーレリアくらいだった頃か。
 軍を辞めてハンター稼業をしていた男だと、バシムから聞いた。〝リリス〟以外にも悪党狩りのハンターがいたのかと、びっくりしたものだ。
 ごく少数ではあるけれど、確かに、辺境でハンター稼業をする者はいるそうだ。ただ、大抵は数年で死ぬか、隠退するか。その中では、ジェイクと相棒のペアは、かなり成功していた部類らしい。
 それまでも、何人ものクルーが《エオス》に現れては去っていったけど、なぜかジェイクのことが気になったのは、彼がどこか寂しそうだったから……誰も見ていないと思っている時の背中が、なぜか、ひどくはかなげに見えた。
 それは、ハンターの仕事でペアを組んでいた女性に去られたからだと、後からわかった。ジェイクにとっては、その女性の存在が、仕事よりも大きかったのだろう。
 どんな人だったのか、今日まで、怖くて聞けていない。きっと、
『もう忘れた』
 か、
『子供には関係ない』
 か、どちらかだろうと思って。
 その頃のジェイクにとって、あたしはただの子供で、雇い主の娘にすぎなかったから、何度か軽く頭を撫でられただけ。
『大きくなったら、美人になるぞ』
 なんてお愛想言ったこと、ジェイクは忘れ去っているに違いない。そのくらいのことは、どこの子供にも言うだろうし。
 あたしが十五歳になり、《エオス》に乗ると言い張った時は、頭ごなしに叱りつけてくれた。親父さんの足手まといになるだけだ、わがまま言うな、おとなしく大学に行け。
 ふん。
 今回はずっこけたけど、世の中には、あたしに惚れ込む男だっているんだから。いつか、かっこいい姐御になったあたしを見て、自分の見る目のなさを悔やんだら、ざまあみろ、なんだから。

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