レディランサー チェリー編

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チェリー編 1 チェリー

 やった、脱出成功。
 うまくヒッチハイクできて、家から離れられた。親切なカップルのおかげ。これでしばらくは、お祖父さまに発見されずに遊べるはず。
 発見されて、連れ戻されることになったら、ごめんなさいと言えばいいのよ。
 だって、せっかくの植民記念祭、星中がお祭り騒ぎをしているのに、わたしだけ参加できないなんて、あんまりだもの。
 たとえ、後で熱を出して寝込んでもいいから、街の中を歩きたい。
 人波にもまれて歩くなんて、本当にわくわくする。
 ずっと家の中で育って、学校に行ったこともないし、同じ年頃の友達と遊んだこともないんだもの。
 本はたくさん読んだし、ニュースも映画も見ているから、学校がどんなものかは、大体掴めていると思うけど。
 それは全て病気のせいだから、仕方がない、あきらめなさいと、お祖父さまには言われている。
 でも、映画の中でこのお祭りのことを見て、どうしても、実際にその中に混じってみたくなったんだもの。
 後で、どんなに叱られてもいい。たとえ、病気が悪化して死んでも構わないくらいよ。
 もちろん、お祖父さまがちゃんと治療してくれるから、死ぬようなことはないと思うけど。

 わたしは大通りを練り歩く仮装行列を見つけ、沿道でしばらく見物した。山車の上に乗った人魚や深海の怪物、飾り立てた馬に乗った鎧兜の騎士、馬車から手を振るお姫さま、その周囲を飛び歩く妖精たち。
 その後には、太鼓を叩いて踊りながら進んでいく、法被姿の勇ましい若者たち。
 お次は、子供たちの仮装行列。お化けや王さま、武将に魔女。演奏しながら歩く楽隊は、とても大変そう。
 そのうち、全体をよく見るには、歩道橋の上がいいことがわかった。わたしはまだ背が伸びきっていないので、前に人がいると、隙間を探して覗くことになってしまうから。
 歩道橋の上に陣取ると、手摺りに掴まってパレードを楽しんだ。やがて疲れてきて、どこかで休憩しようと、階段を降りかけた時のこと。
 どこかから飛んできた風船が、風に流されて、わたしの顔を直撃した。予期していなかったので、横向きのまま足を滑らせてしまう。手を伸ばしても、つかまるものが何もない。このままでは、まともに落ちてしまう!!
 けれど、いったん宙に浮いたわたしは、はるか下の階段に叩きつけられる前に、しっかりと抱きとめられた。左腕に下げた、バスケットごと。
 優しくて力強い手が、わたしの胴体を支え、きちんと立たせてくれる。
「危なかったね。大丈夫? どこかぶつけてない?」
 ふんわりした金髪を左右に分けた、青い瞳の王子さまがそこにいた。
 繰り返し絵本で見た、王子さまそのもの。
 まぶしいほど白いシャツを着て、すらりと背が高く、引き締まった躰つき。優しい声もすてき。笑顔もすてき。

 ――運命の出会いだわ。

 間違いない。この人に会うために、わたしは家を抜け出してきたのよ。
 ああ、どうしよう。風で、髪が乱れていないかしら。唇は、ちゃんとつやつや輝いているかしら。
「ええ、ありがとう、無事みたい……」
 わたしは言いながら、急いで髪を撫でつけた。チューリップ模様のワンピースの裾が乱れていないかも、点検する。さっきのトイレで、もう一回、リップクリームを塗り直しておけばよかった。
 ところが、
「よかったね。それじゃ」
 王子さまは微笑んで、あっさり身を翻す。すたすたと、階段の残りを降りていく。
 だめ。それはいけないわ。
 わたしたち、せっかく運命の出会いをしたのだから、もっとお話しなくては。そして、次のデートの約束をしなければ。
 けれど、王子さまは身をかがめ、階段下に落ちた、二つのカップを拾い上げていた。中身の飲み物が、あたりにこぼれて池になっている。通る人は、その池を避けていく。
 ということは、持っていたカップを咄嗟に投げ捨てて、わたしを助けてくれたのね。
「あの、ごめんなさい、わたしのせいね」
 追いついて可愛く言うと、王子さまは振り向いて、にっこりした。
「大丈夫だよ。また買えばいいんだから。気にしないで」
 そして、寄ってきた掃除ロボットに空のカップを渡した。ロボットは、池を片付けるために洗浄アームを出している。王子さまはわたしを置いて、どんどん歩いていってしまう。
 困ったわ。
 わたしが買うから、と言いたいのに、わたしは支払い用の個人端末を持っていない。これまで、ずっと家の中だったから、身分証にもなる腕輪型の端末を必要としていなかった。それで何も、不自由はなかった。必要なものは、お祖父さまがみんな取り寄せてくれたから。
 お祖父さまは、自分が死んだら、財産は全てわたしのものだと言ってくれるけど、今のわたしには、何もない。
 今日、家から持ってきたのは、飲み物とサンドイッチを詰めたバスケットだけ。それも、二人で分け合うほどの量ではない。
「………」
 困りながら、それでもわたしは王子さまに付いていった。それから、やっと気がつく。王子さまには、連れがいるのだ。だから、カップが二つ。
 その人は誰?
 どこにいるの?
 まさか、陸に上がった人魚姫のように、王子さまには婚約者がいました、なんてことにはならないわよね?
 わたし、海の泡になって消えてしまうの、いや。
 もちろん、それはあくまでも童話の中のことだけど。
 王子さまは、通る人を避ける動作をした時、後ろにいるわたしに気がついた。そして、また微笑む。
「気にしなくていいのに。でも、それなら、ついでだから、きみの分も買おうか。何がいい?」
 わたしはいっぺんに、世界が晴れる気がした。
 なんて優しいの。
 やっぱり、わたしたちは結ばれる運命なのよ。
「それじゃあ、ええと……メロンソーダがいいわ」
「わかった、待ってて」
 明るい日差しの中、王子さまはまぶしいシャツの背中を見せて、公園の中の売店に向かう。短い行列に並んだ後、両手をうまく使って、カップを三つ持ってくる。
「はい、どうぞ」
 ひんやり冷たいメロンソーダを受け取ったわたしは、ここが勝負と見極め、花が開くように(自分ではそのつもり)、目一杯にっこりした。
「ありがとう。わたし、チェリーというの。お兄ちゃまは?」
 ところが、何がいけなかったのか、王子さまは急に慌てた様子になり、そわそわする。
「いや、あの、ええと、もしかして……何か誤解させたなら、悪かったけど。ぼくは別に、きみをナンパしようとしたわけじゃ……」
「ナンパ?」
 聞き慣れない言葉だった。流行の言葉かしら。
 お祖父さまが、わたしの見ていい映画と、そうでない映画を区別しているので、わたしにはまだ、知らないことがたくさんある……らしい。ニュース番組を見ていて、わからないことを尋ねても、
『子供はまだ、知らなくていい』
 とか、
『それは悪い言葉だから、忘れなさい』
 と言われてしまう。
 でも、王子さまが、『悪い言葉』を使うはずはないし。
「ナンパってなあに?」
 わたしが質問したら、王子さまは困った顔をする。
「あの……つまり……ええと……チェリー、きみは幾つ?」
「この間、十四歳になったわ」
 わたしは威張って言う。もう胸も大きいし、生理も順調だし、子供ではない。お祖父さまはまだ、大人とは認めてくれないけれど。
 昔なら、結婚だってできる年齢。だって、『ロミオとジュリエット』のジュリエットは、わたしと同じ歳くらいでしょ。
「そうか。それじゃ、言うけど、十四歳の女の子が、この人込みに一人でいるのはよくないよ」
 えっ?
「こういう時は、他星からの観光客も多いだろ。酔っ払いもいるし。誰か、お家の人と一緒の方がいいな。でなければ、友達とか」
 だめ。お祖父さまの元に連れ戻されるのは、まだ早すぎる。

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「いいの、今日は一人でいいの。ちゃんと許可をもらって出てきたんだから。お祭りを見るくらい、一人で平気」
 けれど、王子さまは困った顔のままでいる。
「でも、こういう時は、それこそ、ナンパ目当ての男が大勢出てるからなあ。本当に子供ならいいけど、こんな綺麗な女の子が一人では、危なくて……」
 あっ。
 いま、言ってくれたわよね。わたしのこと、綺麗って。
 そうよ、ちゃんと見て。わたし、本当に綺麗で可愛いんだから。映画に出てる女の子だって、わたしより綺麗とは限らないわ。
 それに、とにかく、お兄ちゃまがわたしを心配してくれる気持ちはわかった。それだけでもう、わたしは風船みたいに舞い上がってしまう。ああ、さっきの風船に感謝。
「それじゃ、お兄ちゃまが一緒にいて。それならいいでしょ」
「いや、あのね……」
 二つのカップを両手に持ったまま、お兄ちゃまは悩み顔をする。
「ぼくは安全だけど、そういう問題じゃないんだ。世間には、きみのような女の子に悪さをする男がいるんだよ。今みたいに、誰にでも近づいてにこにこしてたら、危険極まりない……」
「あら、誰にでも、なんてことはないわ。お兄ちゃまだからよ。わたしだって、いい人と悪い人の区別くらい、ちゃんとわかるもの」
「いや、だからね……ええと、今日は、パパとママはいないの?」
「いないの。最初から。うちは、お祖父さまだけだから」
「あ、そうなのか。ごめん」
 謝ることなんか、ないのに。わたしには最初からお祖父さましかいないから、それで別に困ったことはない。
「それじゃ、お祖父さんと一緒の方が」
「今日はお祖父さまは、同窓会に行ったの。昔のお友達と会うんですって。だから、わたしは一人でお祭りを見るのよ」
 お兄ちゃまは、肩を落としてため息をついた。わたし、何か迷惑をかけているのかしら?
 その時、苛立った声が降ってきた。
「エディ!! 何してるの!?」

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 お兄ちゃまはいったん驚いたけれど、すぐにほっとしたような顔になった。
「ああ、ジュン、待たせてごめん。はい、これ」
 お兄ちゃまはまず、カップの片方を差し出した。それを受け取ったのは、わたしより幾つか年上くらいのお姉さん。
 短い黒髪で、地味なオリーブ色のシャツに、軍隊みたいな厚地のパンツ。わざわざ作業服で出てきたの、という感じ。
 顔立ちはきつくて、眉も濃くて、男の子みたい。耳たぶの小さなイヤリングと、ささやかな胸のふくらみがなかったら、本当に男の子と間違えられるかも。おまけに、何か怒ったような顔をしていて、余計に怖い。
 悪いけど、わたしの方が美人だし、女らしいわ。
 わたしは大きな緑の瞳で、長い黒髪に優雅なカールをつけている。肌は白いし、唇は薔薇のよう。ピンクのチューリップ模様のワンピースも、よく似合っている。
 この人がライバルなら、わたしの勝ちだわ。
 まさか、もう婚約しているとか、結婚しているなんてこと、ないわよね。
「エディお兄ちゃまというのね。わかりました。お姉ちゃま、初めまして。わたし、チェリーです。いま、お兄ちゃまに命を助けられたところなの」
 わたしが短い黒髪の女性に挨拶すると、お兄ちゃまは慌てて言う。
「そんな大袈裟なことじゃないんだ。この子があそこの階段から落ちかけて、それを支えただけで。それで、ジュースをこぼしてしまったから、いま買い直していたんだ」
「ふうん」
 何か意地悪な目付きで、その人はお兄ちゃまのことを見る。
「モテるのは年上にだけかと思ったら、年下もいけるんだ。ここからは別行動にしようか?」
「ジュン!!」
 エディお兄ちゃまは悲痛に叫んだ。この人、ジュンというのね。
「とんでもない。きみを一人になんか、させられないよ。ただ、この子、チェリーも一人なんで、ちょっと、どうしようかと。そうだ。きみから説明してくれたら……」
 よくわからないけれど、エディお兄ちゃま、何か困っている。ここは、お兄ちゃまの援護をしなければ。
「あのね、いま、お兄ちゃまに、ナンパのことを教わっていたのよ。わたしみたいな綺麗な女の子は、一人でいたら危ないんですって。だからお兄ちゃまが……」
 ばしゃっと、透明な液体が散った。ジュンという人が、お兄ちゃまにカップの中身をぶちまけたのだ。
 いきなり、何なの。
 可哀想に、お兄ちゃまは頭から胸まで、びしょ濡れ。
 この人、何を怒ってるのかしら。
「好きなだけ、ナンパしてれば!! あんたも、すっかりあいつらに染まったね!! せいぜい、警察に逮捕されないように!!」
「ジュン、違うよ、違う!!」
 けれどジュンお姉ちゃまは、すたすた歩き去って、人込みに紛れてしまった。片手に、握り潰したカップを持ったまま。
 お兄ちゃまはジュースが目にしみたらしくて(たぶん、レモンスカッシュ)、片手で自分のカップを持ったまま、もう片方の手で必死に顔をこすっている。わたしはバスケットからハンカチを取り出し(香水を染み込ませておいて、よかった)、お兄ちゃまの顔や肩を拭いた。
「大丈夫? どこかで顔を洗う?」
「いや……大丈夫……ありがとう……そうだね……洗った方がいいみたいだ」
 とにかく、意地悪な人は退場したわ。あとは、わたしがお兄ちゃまと仲良くなればいいのよ。

2 ジュン

 馬鹿にしている。エディの奴。
 すぐにあたしを追いかけてくるかと思ったのに、なぜ来ないのさ。
 あたしはそれほど、早足で立ち去ったわけではない。エディにそのつもりがあれば、すぐ追いつけたはず。
 一人で歩いている可愛い女の子が、そんなに気になったわけ。
 いいよ、好きなだけ一緒にいれば。あたしには司法局の護衛がいるんだから、別に、あんたがいなくてもパレード見物に支障はないんだから。
 それにしても。
 街路樹の下に立ってパレードの音楽を聞きながら、あたしはため息をつく。
 これまでは、エディがよそのお姉さんに誘われても、それを祝福の心で見守っていたはずなのに。
 なんであんなに、かっとしたんだろう。
 相手が、明らかに、あたしより年下の女の子だったから?
 それに加えて、あの子が絵に描いたような〝可愛い子ちゃん〟だったからだろうか。色白で、ぱっちりした目をして、くるくるの巻き髪で、優雅なドレスで。
 あたしとは正反対。あたしには逆立ちしても、あんなドレスは着られない。
『お兄ちゃま』
 だなんて、甘ったるい声も出せない。
 でも、ああいうのが〝男受け〟するんだろうな。普通の男は、あんな子に寄ってこられたら、それこそ、メロメロになってしまうのだろう。
 エディだけは、他の男と違うと思っていた、その勝手な思い込みを覆されたのが、ショックだったのか。
 ところが、あたしを遠巻きにしている護衛の輪の中から、目立たない服姿の女性捜査官がやってきた。
「ミス・ヤザキ、ちょっと失礼します」
 警備上の都合で、このままエディと別行動になるのかどうか、確認されるのだと思った。ところが、彼女は違うことを言う。
「いまフレイザー氏と一緒にいる女の子、妙なんです。個人端末を所持していませんし、市民登録の記録がないんです」
「えっ? まさか」
 惑星連邦の全市民は、胎児の頃から市民番号を与えられ、管理されている。市民登録されていない人間が、植民惑星上を歩いているなんて、有り得ない。
「いま確認中ですが、何か事件かもしれません。一緒に来ていただけますか。あのお二人にも、司法局ビルへ来ていただきますから」

3 エディ

 ひどい目に遭った、と思った。ジュンにレモンスカッシュを浴びせられ、しばらく目が開かなかった時は。
 ジュンといる時に、ぼくが他の女の子をナンパするなんて、あるはずがないのに、いきなり怒るなんて。
 もう少し、ぼくを信用してくれてもいいのではないか。
 近くの雑居ビルのトイレで顔を洗い、べっとり濡れたシャツをざっと洗って乾かし、出てきたら、ロビーの椅子では、チェリーが心配顔で待っている。
「ジュンお姉ちゃま、どうしてあんなに怒ったのかしらね。短気な人ね」
 このお嬢さんにも、困ったものだ。肉体はもう花開くばかりに育っているのに、頭の中身はまるで子供というのでは、危なくて仕方ない。
 ジュンならば、たとえ十三、十四の頃でも、こんなにふわふわしていなかったはずだ。
 もちろん、特別な両親の元に生まれ、ひたすら強さを目指して修業していたジュンと、世間知らずの箱入り娘を比較するのが、そもそも間違っているかもしれないが。
 この子はどうやら、高齢のお祖父さんに囲い込まれて育てられたらしく、年齢よりも幼いのだ。低俗な(と、お祖父さんが判断した)映画や小説は全て禁止されていたらしく、恋愛関係といえば、王子さまとお姫さまが出てくる童話やアニメ程度しか知らないらしい。
 孫娘を守りたい気持ちはわかるが、逆に危険ではないか。むしろ、現実を教え、危険から身を守る術を教えてやらなくては。
 今日だって、ぼくとぶつかったからいいようなものの、不埒な男と出会っていたら、どうなっていたか。
 まさか強姦なんてことはないと思うが(管理の行き届いた植民惑星上では、滅多に凶悪犯罪は起こらない)、キスくらいは盗まれていたかもしれない。そんなことになったら、可哀想だ。女の子にとって、初めてのキスは大事な宝物だろう。たぶん、ジュンにとっても。
 瞬間、過去の厭な記憶が甦ったが、それは押し込める。今はこの子だ。
「あのね、チェリー。ぼくから、きみのお祖父さんに言いたいことがある。だから、今日、どこで同窓会をやっているのか、教えてくれないか。その会場まで、きみを連れていくから」
「まあ、お兄ちゃま」
 チェリーは驚いた様子だ。
「それって、早すぎるわ。もう、結婚を申し込んでくれるなんて。とっても嬉しいけど、もう何回かデートしてからの方が、いいんじゃないかしら?」
 がっくりきた。この子、ズレている。こんなに幼くて一人歩きなんて、とんでもない。
「あのね、そうじゃないんだ。きみの教育方針について、お祖父さんと話したいことがあって……」
 その時、ダークスーツの人影が幾つか、ぼくたちに近付いてきた。馴染みの司法局員たちだ。ジュンが《エオス》から降りた時には、常に遠巻きに警護してくれている。
「失礼、フレイザーさん。そのお嬢さんに、用がありましてね。ちょっと問題がありそうなので、一緒に、司法局ビルまで来ていただけますか?」
 チェリーはさっと後ずさった。怯えているように見える。
「わたし、家出なんかじゃありません。まだ、連れ戻さないで。ちゃんと、夕方には帰りますから。やっと、やっと家から出られたの。こんな遠くまで来たの、生まれて初めてなんだから!!」

 心底、驚いた。まさか、生まれてから今日まで、ずっと山奥の一軒家に閉じ込められていたとは。
 出生届も出されず、学校にも行けず、友達もいない生活では、常識も社会性も育たなくて当然だ。
 むしろ、こんなに明るい、素直な女の子に育った方が奇跡と言える。
 司法局の取り調べ室に入れられたチェリーの口から、驚くべき事実が明らかになってきた。
 同時に、チェリーの祖父と自称していた男には、逮捕状が出された。同窓会の会場になっていたホテルで、その男は簡単に逮捕されたという。
 凶悪犯としては間抜けな話だが、既に九十歳を越す高齢になっていて、知的能力が低下していた。チェリーが一人で家を出られる年齢になっていたことが、認識できていなかったらしい。
 言語道断の犯罪である。女の子を『飼う』なんて。
 チェリーは『自称・祖父』から、自分が『免疫不全』という病気であると告げられ、そのために家から出られないのだと教えられてきた。
 嘘八百である。司法局が行った検査では、チェリーはまったくの健康体だった。
 ぼくとジュンは、本来、チェリーの保護者でも何でもないのだが、行きがかり上、捜査班から話を聞くことになった。何しろ、ダークスーツの人々に取り巻かれてしまい、怯えきってしまったチェリーは、
「お兄ちゃま、どこへも行かないで」
 と、半泣きでぼくにしがみつくので。
「大丈夫、どこへも行かないよ。それに、怖いことなんてないんだよ。ちょっと役所の人たちが、色々調べるだけだからね」
 となだめておき、少しの間、チェリーを女性係官に任せて離れた。そして、ジュンと二人して、捜査で明らかになってきたことを教えてもらった。
「ルドルフ・シュタイナーは、以前は自分で医院を経営していました。美容処置専門の医院ですね。そこで、自分が片思いしていた女性の細胞を採取し、密かに保存していました。そして、七十歳を過ぎて医院を畳んだ後、クローン体を培養したのです」
 驚きだった。そんなことが、個人でできるとは。
「周りに誰か、怪しむ人はいなかったんですか」
「そのために、人との付き合いを断って、田舎に引っ込んだようですね。親戚や知人には、普通の引退生活と思われていました。ちょっと偏屈だったかもしれませんが、怪しまれなかったようです。元々、交友関係は広くなかったようですし」
 しかし、よく十数年も、チェリーの存在を隠しおおせてきたものだ。写真で見る限り、地下室や中庭、塔や温室やプールを備えた広壮な屋敷だが、それでも閉鎖空間には違いない。
 チェリーは何度も何度も、外へ出てみたいと訴えたが、外は病原菌だらけだからと、退けられたらしい。
「チェリーは幼児の状態で培養カプセルから取り出され、そこから普通に育てられたようです。シュタイナーはチェリーに読み書きや家事を教え、世話をしましたが、しかし、決して家から外には出しませんでした。おまえは病気だからと言い含めてね」
 ジュンは怒りのあまり、頬を紅潮させていた。
「何てひどい。一生そうして、飼い殺しにするつもりだったのか」
 ぼくも同感である。その男が目の前にいたら、殴ってしまいそうだ。いくら年寄りでも、許せない。
 だが、ある意味、わからないでもない。『女性の飼育』というのは、男の究極の夢かもしれないからだ。
 愛らしい女性が、世間を知らず、他人を知らず、自分だけを慕ってくれたら、それはどれほどの快感か。
 もちろん、その女性の人権を踏みにじる非道ではあるが。
「シュタイナーは最低限の用事の他は、滅多に外出しなかったようです。やはり、チェリーの脱走を恐れていたのでしょうね」
「しかし、高齢になったせいで、判断が甘くなっていた。一日くらい、大丈夫だろうと思ったのが運の尽きです」
 と捜査官たちは言う。
「それにしても、初めての外出、というか脱走で、親身な人に会えてよかったですよ。これで何事もなく家に戻っていたら、また何年も閉じ込められていたかも」
「いずれ、シュタイナーが老衰死するまでね」
 ぼくとジュンは顔を見合わせた。チェリーに出会ってよかったのだ。おかげで、一人の少女を牢獄から解放できた。本人は、祖父に守られてきた、と信じていたけれど。
「実はこれは、話していいものかどうか、微妙なところなのですが」
 女性の担当官が、声を低めて言った。
「会議の結果、お二人には特別に、話すことになりました。チェリーが頼れる存在が、今のところ、〝王子さま〟のあなただけなので」
 ジュンはちら、とぼくを見たが、何も言わなかった。チェリーを口説いてなんかいない、ということは、後できっちり説明しなくては。
「でないと、チェリーがシュタイナーに会いたいという時に、止められません。彼は急病で入院した、と話してあります。いずれ彼女が成人して、ちゃんとした判断力を持つまでは、真実は、少しずつしか話せません」
 どうやらシュタイナーの罪状は、違法クローンの培養、未成年者の長期監禁だけではないらしい。
「薬品尋問を行い、幾つかの事実が、明らかになりました。シュタイナーはここ数年、チェリーを薬品で眠らせ、性的な行為を行っていたようです。もちろん、チェリー本人はわかっていません」
 予期してはいたが、無残な真実だ。
 これは絶対、チェリー本人に教えない方がいい。夢見る年頃の少女にとって、残酷すぎる。
 いや、それとも、教えなければならないのか。
 確かに彼女には、真実を知る権利がある。
 だが、チェリーの思い出を無惨に壊してしまったら、その害の方が大きいかもしれない。自分を守り育ててくれた祖父、と信じたままの方が、ましなのでは。
 とにかく、ぼくらは、この話を絶対に口外しないと約束した。今後は、チェリーの友人、相談役として付き合うことにする。
「チェリーはまず、専門家のいる養育施設に行きます。そこでしばらく暮らしながら、学校へ通わせたり、養父母を探したりします」
 そうして、年月が過ぎればいい。その間に、『祖父と思っていた男』への思慕が薄れれば。

 ぼくとジュンはいったん司法局ビルを出て、買い物をした。チェリーの見舞いに持っていく品を選んだのだ。
 チェリーは検査入院という形で、しばらく当局に保護される。その間に、シュタイナーの刑が決まるだろう。もう高齢だし、おそらくは、残りの一生、隔離施設で暮らすことになるのではないか。
「エディお兄ちゃま、ジュンお姉ちゃま」
 ぼくらが当面の着替えや身の回り品、花やケーキを病室に持ち込むと、チェリーははしゃいで出迎えてくれた。首都の中央病院の特別棟で、たぶん一番いい部屋だと思うが、やはり心細かったものらしい。
「すごい、こんなにもらっていいの。ありがとう」
 と服や小物を広げている姿を見ると、こちらは涙がにじんでしまう。お祭りの雑踏の中、心細い顔をしてついてきた女の子を、突き放さなくてよかったと、心から思う。
「でもね、どうしても駄目なの、お祖父ちゃまのお見舞いって」
 チェリーはぼくらに訴える。
「面会謝絶って、そんなに具合が悪いの。わたしが付いててあげなくて、本当にいいの!? お祖父ちゃまは、気分が悪い時は、わたしが作ってあげたスープしか受け付けないのよ」
 ぼくは声が詰まってしまうが、ジュンは優しく説明した。
「お祖父ちゃまは、もうお年でしょ。病気のお薬を飲むと、眠気が強くなって、なかなか目が覚めないんだって。無理に起こしたら、その方が可哀想でしょ。そっちの病院の人たちがちゃんと面倒見てくれるから、大丈夫。それより、あなたは自分の治療を先にしないとね」
 チェリーには、司法局の担当官たちがこう説明している。
『きみの免疫不全には、いい治療薬ができているんだよ。お祖父さんは、それを知らなかったんだね。きみはしばらく入院して、治療を受けるんだ。そうすれば、外に出ても大丈夫な躰になれるからね』
 治療といっても、単なるビタミン剤か何かを飲ませるだけだ。真実をチェリーに知らせるのは、少しずつでいい。それは、専門のスタッフが様子を見ながら判断してくれる。
「すっかり元気になったら、学校へも行けるんだから」
 と、ぼくらはチェリーの気をそらせた。
 遠からず、チェリーは新しい世界に夢中になって、祖父との暮らしの記憶は薄れていくだろう。そして、市民権が取れるくらい成長したら、その頃には、真実に向き合う準備ができているはずだ。
 ぼくらはしばらく、ケーキを食べながら、おしゃべりをした。ぼくがチェリーの王子さまになれないことは、少しずつ、わかってもらうことにしよう。
 いや、たとえどれほど望んでも、ジュンの王子さまになれるとは限らないのだが。

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「ぼくたちは船乗りだから、じきにこの星を離れるけど、通話はいつでもできるからね」
「わたし、気がつかなかったの。お姉ちゃまが、あのジュン・ヤザキだってこと。ニュースでは見てたのに、どうしてかしらね。でも、会えて嬉しいわ」
 チェリーがジュンを『頼れるお姉さん』と思ってくれたのが、何よりだ。有名人であることは、重荷でもあるが、便利なこともある。
 また明日、と約束して、夕刻、病院を出た。
 風が気持ちいい。祭りの賑わいは、まだ続いている。あちこちに提灯が飾られ、着飾った人たちが夜の行事のために出歩いている。
 広場では楽団が演奏して、老若男女がダンスに興じていた。ぼくらはざわめきを楽しみながら、ホテルまで歩いて帰ることにする。
「そういえば、悪かったよ」
 とジュンが難しい顔のままで言う。
「え、何が」
「レモンスカッシュ」
「ああ」
 ぼくは笑った。そんなこと、チェリーの悲運に比べたら、本当に笑い事だ。
「通りすがりの女の子をナンパなんて、あんたがするはずないのに、つい、かっとして」
 わかってもらえたのなら、一安心。
 ジュンはもしかして、焼き餅を焼いてくれたのだろうか。だとしたら、嬉しい。そんなにはっきりした嫉妬でなくても、ジュンがぼくとの時間を大事に思ってくれたなら。
「ねえ、エディ、チェリーの支えになってあげてね」
 え。
「これから先、いい養子先が見つかっても、エディがあの子の王子さまであることには変わりないと思うからさ」
 いや、あの、だから。
「チェリーはきっと学校で、ボーイフレンドができるよ」
 可愛いし、いじらしいが、ぼくの恋愛対象にはなりようがない。ぼくの女神はここにいる。
「ま、あの子なら、すぐさま学校のアイドルになれるだろうね。男の子をかき分けないと、前に進めないよ」
 とジュンが笑って言う。それは、容易く想像できる。
「口説かれても、すぐなびいちゃ駄目だって、きみから教えてやってくれないかな?」
 女の子の教育は、やはり、同性の方がいいだろう。
 するとジュンは、とんでもないことを言う。
「チェリーと交際したかったら、エディと決闘して勝ってから、ということにしておこう。そうすれば、当面は安泰だ」
 いや、待ってほしい。いずれ、ゴリラみたいな挑戦者が現れないとも限らない。
「そうじゃなくて、チェリー自身が判断できるようにならないと……」
「判断はもう、できるよ。だって、あんたを王子さまだと決めたんだから、目が高い。あんた以下の男は、全部ハネられるでしょ」
 ううむ、おだてられているのか、からかわれているのか。
「チェリーはそのうち、ぼくのことなんか忘れるよ。毎日、楽しく学校へ行くようになれば」
「まあね。でも、エディは頼れる兄貴でいてやって。あたしも、何かの時には相談役になるようにするから」
 ジュンはさすがに心が広い。チェリーのことは、ぼく一人ではとても支えきれないが、ジュンと一緒なら。
 藍色の夕空に、星が見え始めた。ビルや街路樹が、暗いシルエットになっていく。あちこちに飾られた提灯が、明るく浮かび上がってくる。
 ホテルに着いたら、親父さんたちに合流して、この件を報告しなければ。
 そうして、残り数日、チェリーの相手をしながら、この星での滞在を楽しもう。ぼくらだって、いつまで生き残っていられるか、何の保証もないのだから。

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