レディランサー アグライア編1

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1 ユージン

 朝、目を覚ますと、それが管理システムによって秘書室に伝えられ、控え室にいたバイオロイド侍女たちがやってくる。わたしの身支度の手伝い、部屋の片付け、食事の世話。
 そんなものは自分でできる……と思っても、彼女たちの存在理由を奪うわけにはいかない。
 だから、人数だけを減らした。余分な人員は組織の他部署に回し、事務的な仕事をさせているので、今、わたしの私室に出入りする侍女は二人しかいない。
 違法組織のボスとしては、きわめて質素な私生活だ。
「おはようございます、ユージンさま」
「ああ、おはよう」
 秘書室を通ってオフィスに入ると、秘書たちが、夜間のうちに入った連絡事項を告げてくれる。
 それらを片付けた頃、通話があった。デスクの正面の通話画面に《キュクロプス》の一つ目巨人マークが現れたので、姿勢を正して待つ。ほどなく、向こうの秘書が現れた。
「ユージンさま、ただいま、お時間をいただいてよろしいでしょうか」
「ああ、大丈夫だ」
 〝連合〟の最高幹部の呼び出しならば、最優先である。どちらも標準時で活動しているので、生活時間が一致している。朝一番の用件は、きっと重大なことだ。
 すぐに、白いドレスの美女が画面に現れた。
「おはよう、ユージン」
 綿菓子のようなふわふわのプラチナブロンド、ぬめるような白い肌、眠たげな灰色の瞳。
 桜色の耳たぶには、きらきら輝くイヤリング。
 マシュマロのようなぽってりグラマーで、ひらひらのドレスと赤い口紅を好み、見る者に砂糖菓子のような甘い印象を与えるが、内実は剛胆かつ周到な切れ者だった。実年齢は、おそらく二百歳を超えている。
「おはようございます、メリュジーヌさま」
 その名前にしてからが、地球時代の伝説の妖女だ。無法の辺境に君臨する、最高権力者の一人である。
「今日は、あなたに頼みがあって」
 にこやかに言われたが、それは事実上、命令である。
「先日の幹部会で、あなたを派遣しようということになったの。いま、急ぎの用事は抱えていないでしょ」
「もちろん、どこへでも行きますよ」
 わたしの組織は弱小だ。それが他組織に潰されずにいるのは、こうして最高幹部会じきじきの命令を受ける立場だから。
 その任務を無事に果たし続けている限り、数々の特権を保証される。
 世間では、わたしのような者を〝最高幹部会の代理人〟と呼ぶ。いわば、辺境の全権大使だ。
 いや、〝何でも屋〟の方が正確かもしれない。スパイ行為や破壊工作、誘拐、暗殺、要求されたことは何でもする。楽しい任務はあまりないが、断る自由はない。わたしには、わたしの部下たちを守る責任がある。
「では、ジュン・ヤザキを、わたしの元へ連れてきてちょうだい。あなたに、出迎えと世話役を頼みます」
 予期していなかった名前なので、驚いた。
「あの、ジュン・ヤザキですか……」
 辺境航路の英雄として知られる、ショウ・ダグラス・ヤザキ船長の一人娘。
 母親は、違法組織から脱出した実験体だ。
 むろん、母親の卵子から生まれたわけではなく、普通人に提供された卵子と、父親の精子からできた子供である。市民社会は、辺境から亡命してきた実験体や強化体の〝繁殖〟を認めない。
 そのジュン・ヤザキは、惑星連邦で最も若い船乗りとして、一部では前から知られていたが、最近、誘拐された父親を違法組織から奪回したことで話題になり、新しいスターになった。本人が船の同僚と共に誘拐され、辺境から生還したこともある。
 強運だけではなく、本人の度胸と行動力もあるのだろう、と思っていた。
 確か、やっと十七か十八の小娘だ。ニュース映像では、既に見慣れている。短い黒髪で黒い目の、気の強そうな少女だ。ファンクラブも盛況らしい。
「それは、彼女が〝リスト入り〟したからですか? 暗殺する代わりに、拉致せよと?」
 辺境を支配する違法組織の〝連合〟が、市民社会の要人たち数十名を抹殺対象と決め、懸賞金リストに載せてから、もう何十年経つだろうか。
 グリフィンと呼ばれる謎の人物が統括する組織が、懸賞金制度を運営している。
 それが男か女か、つまり特定の人物なのか、それとも役職名に過ぎないのか、わたしも知らない。
 グリフィンもまた、最高幹部会の代理人と言えるだろう。わたしなどより、はるかに強大な権力を持つ代理人だが。
 一番安い賞金額とはいえ、十代の子供がリスト入りするだけで、前例のない事件だった。
 ジュン・ヤザキ本人は、十五歳の時に義務教育課程を修了して市民権を取得しているというから、もう大人だと言い張るだろうが。
 政治家であれ財界人であれ、学者であれ軍人であれ、市民社会の中核の一人と認められた人物しか、このリストには載せられないはずだった。
 いったん選ばれれば、それ以降、賞金目当ての暗殺者に付け狙われることになるのだから、当人には迷惑きまわりないが、それは同時に、大きな名誉でもある。
 〝悪の帝国〟に真正面から敵視されるということは、その人物の偉大さの証明だからだ。
 だからこそ、若いジュン・ヤザキがリスト入りしたことは、世間を驚かせた。父親が懸賞金リストに載る英雄であることとは無関係に……いや、そのせいで数々の事件に巻き込まれたわけだが……とにかく彼女自身が、新たな大物と認定されたのだ。
「彼女を害するつもりではないの。その逆よ。〝連合〟に招待するという意味だから」
 と画面のメリュジーヌは微笑んで言う。この場合、招待とは誘拐だ。
「それは、父親に対する人質という意味ですか?」
 何人もの馬鹿者が、懸賞金につられてヤザキ船長を殺そうと試み、ことごとく失敗している。
「いいえ、違うわ。わたしたちが欲しいのは、過去の英雄ではなく、これからの英雄なの」
「それでは……」
 急な思いつきなどではないのだ。何年も前から、最高幹部会ではジュン・ヤザキの成長を見守り、将来スカウトするために、陰から身の安全を計ってきたのではないか!?
 それならば、少女が繰り返し危地から逃れたことの説明がつく……七割か八割は本人の実力でも、あとの数割は……
「ええ、ジュン・ヤザキをうちに入れるわ。幹部待遇でね。他でも欲しがったのだけれど、今回はわたしが優先交渉権を得たの。そのつもりで迎えてちょうだい」
 それにしても、十年後ならともかく、今、まだ子供から抜けきっていない娘に対して、そこまでするとは。
「ずいぶん、大胆な抜擢ですね。正義感の強い娘だと聞いていますが、脅して働かせるわけですか?」
 女の恐ろしさは、男と違う発想をするところにある。六大組織から二名ずつ、合計十二名の最高幹部会メンバーのうち、女はこのメリュジーヌともう一人、リュクスしかいないが、彼女たちは他の十名からも畏怖されているらしい。
「いいえ、脅しではなく、納得ずくで働いてもらうの。あなたには今後、長いこと、ジュン・ヤザキの側近を務めてもらうかもしれない……」
 これはどうやら、本腰を入れてかかる仕事のようだ。
「わかりました。接触の方法は、わたしに一任ですか?」
「いいえ、計画を用意してあります。それと、ジュンに関する詳しい資料を送るわ。世間に知られていないことも、幾つかあるのでね」
 報道された活躍以外に、彼らがジュンを認めた〝何か〟があったらしい。もしかして、殺しを気にしない性格だとか? あるいは、権力欲が強いとか?
 辺境に新たな魔女が増えるだけなら、うすら寒い思いがする。
「力ずくの拉致でないのなら……こちらから、ジュン・ヤザキに提示できる条件は?」
「彼女が〝連合〟の一員になってくれるなら、父親を懸賞金リストから外します。ジュン本人には、わが《キュクロプス》の幹部待遇と、最新の不老処置を約束します」
 なるほど。
 父親が命を狙われなくなるなら、ファザコン娘としては、考えるかもしれない。
 父親の命を守るために武道や射撃を習い、見習いとして輸送船《エオス》に乗り込んだという孝行娘だ。
 実験体の母親を早くに亡くした後、彼女には、もう父しかいない。父親の親族とは、戦闘用実験体との結婚を反対されて以来、絶縁状態だという。
「まあ、彼女がうちの幹部になれば、それだけで、父親の命を狙う愚か者は、いなくなるでしょうけどね」
「しかし、彼女は、正義の側の〝新星〟になるものと思っていました」
 元々、最高幹部会は、ヤザキ船長や〝リリス〟その他の有名人たちが憎くて、懸賞金リストに載せているのではない。
 一種の『スター・システム』なのだ。
 市民社会の大物たちをグリフィンの暗殺リストに載せることによって、辺境を支配する〝連合〟が、彼らの偉大さを認め、畏怖しているという証拠になる。
 ハンターの〝リリス〟しかり。
 クローデル司法局長しかり。
 尊敬を集める硬派の軍人たちや、理想主義の学者たちもそうだ。
 リスト入りすれば、懸賞金目当てのチンピラのために、余計な危険を招くことは確かだが、市民たちの尊敬は増す。警護も手厚くなる。世間に対する発言力も強くなる。
 彼らを中核として、市民社会がまとまることが肝要なのだ。
 健全な市民社会が存続してこそ、新しい人材が生まれ育つ。
 そして、その中でも最優秀の人材を勧誘し、違法組織に取り込める。
 辺境の人間たちは、不老処置で長生きするのが普通だが、だからこそ、繰り返し清新な人材を入れていかなければ、組織が硬直化する。あるいは弛緩する。それが、最高幹部会の考え方だ。
 悪党狩りのハンター〝リリス〟が長く戦い続けていられるのも、グリフィンの側が、密かに手加減したり、庇護したりしているためかもしれない。それはわたしも、メリュジーヌに尋ねて確かめたことはないが。
 わたしは彼女の配下の一人に過ぎない。不要になれば、いつでも切り捨てられる存在だ。
「ええ、新星には違いないわ。ただ、わたしたちの新星として売り出すの。そうしたら彼女の元に、まともな人材を集めやすくなるでしょう。既存の組織を信用しない者たちでも、ヤザキ船長の娘なら注目するわ」
「なるほど、人寄せパンダというわけですね」
 だが、本当にそれだけことなのか?
 ただそれだけのために、大組織の幹部の座を用意して、小娘を出迎える?
 悪くはないが、どれだけ本気で売り出すつもりなのか……そこにどれだけ、わたしの裁量が発揮できるのだ? それともわたしは、いずれ、彼女の抹殺まで背負わされるのか?

 メリュジーヌとの通話を終えると、送られてきた資料に目を通した。ジュン本人は軍や司法局に警護されている身だから、誘拐の手段を講じなくてはならない。その方策が、既に出来上がっているようだ。
 それでは、彼女を拉致してメリュジーヌの元へ送る途中で、説得を試みることになる。市民社会を捨て、残りの人生を、辺境の違法組織で過ごせと。
 人間がバイオロイドを培養して奴隷にし、人間同士で殺し合っている世界。
 人体改造や人為的進化の研究が続けられ、生体実験が繰り返され、様々な怪物が生み出されている世界。
 まだ若い娘を、こんな世界へ引き込むのは、確かに残酷だ。しかし、それは彼女の能力が招いた運命。
 いったん引き込まれてしまえば、慣れてしまう。わたしのように。
 リゼル。マリシア。
 妻と娘から引き離され、もう十五年。
 条件は単純だった。わたしが最高幹部会に尽くしていれば、妻と娘は無事でいられる。
 四歳だったマリシアは、もう一人前の娘になってしまった。わたしの顔など、写真でしか知らないだろう。
 女手一人で娘を育てたリゼルも、数年前から、恋人を持つようになっている。
 わたしは単に、行方不明になった、元夫。
 もう、わたしに帰る場所はない。
 わたし自身が既に、辺境に染まってしまっている。できることは、精々、自分の組織内のバイオロイドたちを守ってやることくらいだ。
 ジュン・ヤザキはどうだろう。彼女がこの世界で地位を得たら、弱い者たちを守ってくれるだろうか。そのために、他組織と戦ってくれるだろうか。
 だが、やりすぎると最高幹部会に睨まれる。
 〝連合〟を存続させつつ、辺境の邪悪を減らすことなど、できるのか。
 甘い期待はするまい。父親の七光に守られてきた娘だ。権力を与えられたら有頂天になって、変質してしまうかもしれない。
 司法局員だったわたしでさえ、もはや、殺人や誘拐にためらいは持たないのだから。

2 カティ

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「ふええん」
 どこかで、子供の泣き声がした。わたしはつい、あたりを見回してしまう。誰か、助けを求めている子供がいるの。
「お兄ちゃんのばかあ」
「何だよ、泣くなよ。返すよ、ほら」
 噴水の横で、幼い兄妹が喧嘩していた。どうやら兄が、幼い妹のぬいぐるみを取り上げたらしい。それでも妹は、戻されたぬいぐるみを抱えたまま、じたばた転がって泣いている。いったん泣きだしたら、勢いがつくのだろう。
「あらあら、ちゃんと見ててって言ったでしょう」
 若い母親が用事から戻ってきて、娘を抱き上げる。
「さ、帰るわよ。いつまでも泣かないの」
「だって、お兄ちゃんがねえ」
「謝っただろ。いじめてないよ」
 微笑ましく言い合いしながら遠ざかる親子を、わたしは、うすら寒い思いで見送っていた。
 幸せな光景を見ると、自分の神経がささくれ、ひきつるのがわかる。きっと、夜叉の顔になっている。
 妬ましい。
 彼らに不幸が降ってきますように、と願ってしまう。
 そんなことを願ったら、自分がますます惨めになるだけなのに。

 ――わたしだって、いい母親になるわ。妊娠させてくれる人がいたら。
 ずっと、そう思い続けてきた。
 でも、いない。
 世界の半分は男性なのに、わたしが愛せる人はいない。
 今度の誕生日で、三十五歳。
 もう、若い女とはいえない。すぐに四十になってしまう。その先は更年期。砂時計の砂が、みるまに落ちていく。
 このまま一人で老いていくなんて、何の罰なの!?
 祖父母も両親も兄夫婦も、わたしが心の病気だと思っている。だから、腫れ物に触るように扱い、昔のことは口にしない。アンヌ・マリーの持ち物は、みんなどこかに片付けてしまった。
 わたしもまた、滅多に郷里には帰らない。家族や親戚に優しく気を遣われていると、感謝するより先に、苛々してしまう。
 招待されて、友達の家を訪ねるのも辛い。
 みんな、当たり前に結婚して、家庭を築いているのに、わたしだけ、何をしているの!?
 努力はした。お見合いもしたし、パーティにも出た。紹介された人とは、必ずデートした。
 でも、だめ。
 他の男性に触られると、我慢できない。震えが走ってしまう。
 わたしは、アレンでないと。
 忘れろと言われても、少女時代を丸々、なかったことにはできない。双子の妹の存在は、鏡を見る度に蘇る。
 アンヌ・マリー。
 一卵性の双子でありながら、性格はわたしと正反対。
 わたしは静かに読書や手芸をしているのが好きだったのに、あの子はいつも活発で積極的で、トラブルの元だった。
 少女時代を通して、ことごとく張り合われ、意地悪をされ、わたしは疲れ果てた。大学に入って、別の学部に通うようになると、やっと妹と距離を取ることができて、ほっとした。
 でも、まさか、あの子がアレンをさらっていくなんて。
 ああ、わかっている。それは、アレンの選択。わたしの魅力が足りなかった。ただ、それだけのこと。
 わたしより、あの子の方が、アレンには大切な存在になってしまったのよ。

 灰色の夕暮れ時、歩き疲れて、公園のベンチに座った。風が吹くと、ブーツの足下に、赤や黄色の落ち葉が吹き寄せられる。
 することのない休日は長い。買い物も虚しい。これ以上、服や宝石を買ったところで、誰に見せるの?
 仕事の方がましだわ。少なくとも、仕事の時は、他人に笑顔を見せられる。
 そのまま、あたりが暗くなるまで座っていた。コートを着ていても、晩秋の風は冷たい。葉を落とした梢の向こうに、明かりを灯したビル群が浮かぶ。
 あそこでは、家族連れや恋人たちが、笑いさざめいている。わたしはこのまま、一人で老いていくだけ。
 アレンのことを忘れない限り、先へ進めない。いつまでもぐるぐる、同じ場所を回り続ける。
 ――だったらもう、いっそ、市民社会を捨ててもいいじゃないの。それで、アレンの赤ちゃんが手に入るなら。
 アレンだって、わたしにそのくらいの哀れみをかけてくれても、いいはずだわ。
 あなたが郷里の病院に残した冷凍精子、いくらわたしが願っても、使わせてもらえないのよ。くだらない法律の壁のせいで。妻や婚約者ではないから、アレン自身の許可がないからって。
 辺境に出ていって行方不明の人から、どうやって許可を取り付けろというの?

 一週間前、初めて密かな接触があった時は、驚いた。
 辺境の違法組織はどうやって、不幸な者を探し当てるのだろう。
 彼らはわたしに、アレンの精子をくれると約束した。わたしが、ジュン・ヤザキを誘拐することに手を貸せば。
 反射的に拒絶したのは恐怖のためで、それからずっと、ぐずぐず迷い続けている。司法局に相談することもせず。
 アンヌ・マリーなら、迷わない。
 欲しいものは、どんな手を使ってでも奪い取る。
 わたしはいい子ぶってばかりで、自分を汚すことができなくて、だから、こういうことになっている。
 あの時、たとえ狂言自殺をしてでも、アレンを引き止めればよかったのに。

3 アレン

 その通話が来た時、ぼくはオフィスで書類仕事をしていた。小組織とはいえ、人員が百名を超すと、それなりに雑務が溜まる。
「やあ、失礼……きみがアレン・ジェンセンか」
 それまで風景映像を映していた通話画面に、何の前触れもなく、見知らぬ人物が現れた。
 それは、二つの点で驚くべき出来事だった。この人物は、ぼくの本名を突き止めている。そして、警備室や秘書室を通さない直接通話をしてきた。よほどの組織力、技術力がなければできないことだ。
「どなたです?」
 と尋ねたが、内心では、いよいよ来たか、と思っていた。
 〝連合〟への勧誘に違いない。
 その時はおとなしく受諾しようと、アンヌ・マリーと話していた。多額の上納金を課せられるとしても、辺境ではやむを得ない必要経費だ。他組織との提携もしやすくなる。
 市民社会での税金のようなものだ。税金と違って、課税基準も使途も公開されないだけである。ごねたり、抵抗したりすれば、組織は取り上げられ、ぼくとアンヌ・マリーは洗脳されるか、処刑されるか。
「初めてお目にかかる。わたしはユージンという。《クーガ》という組織の代表者だ」
 褐色のサングラスをかけた、痩せた男だ。褐色の髪に、色艶の悪い肌。物憂げな、というよりは、陰鬱なたたずまい。
 その組織名は知らないが、ユージンという名前は、何か記憶にひっかかる。
「で、ご用は何です、ミスター・ユージン」
 たぶん、丁重に対応しなければならない相手。
「そちらの組織の代表者は、アンヌ・マリーという赤毛の女性だと聞いている。そこは、彼女のオフィスではないのか?」
 彼女も辺境では別の名を名乗っているのに、ちゃんと本名を知っているのだ。
 とぼけても無駄、という警告だろう。いざとなれば、故郷の家族や学生時代の友人を人質に取ることもできるのだと。
 ぼくたちは確かに市民社会を捨てたが、それでも、家族や友人を殺されたいとは思わない。
「彼女は水泳中です。日課なので。ご用は、片腕のぼくが伺いましょう」
 すると向こうは、薄い唇にわずかな笑みを浮かべた。
「では、きみに話そう。わたしは今、最高幹部会の命令で動いている」
 あっと思った。あのユージンか。
 最高幹部会の代理人。
 辺境全体でも数十名しかいない、トップエリートの一人だ。何かの事件にからんで、噂を聞いたことがある。
 そう思って見直せば、いかにも油断のなさそうな人物に見えた。しかし、こんな小組織に何の用で。
「きみに相談したいのは、カトリーヌ・ソレルスのことだ」
 いきなり、心臓を鷲掴みにされた。
 カティ。
 なぜ、彼女の名前が、こんな男の口から出る。
「どういうことです」
 平静なふりをしようとしたが、おそらく、顔色が変わっていたことだろう。ぼくの心は半分、カティのものなのだ。別れて十五年経っていても。
「なるほど。まだ未練があるか。では、彼女を保護するつもりはあるな?」
 脅迫されているのだと思った。向こうは、カティを人質にとっているのだと。
「要求は、何です」
 声が震えた。どんな無理難題を押し付けられるのか。
 だが、ユージンは穏やかに言う。
「早とちりはやめたまえ。彼女とは、これから合流する予定なのでね。きみたちも、合流してこないかという提案だ」
 合流? 何を言っている?
 カティは市民社会にいて、ちゃんと普通に暮らしている。航行管制局の仕事を、ずっと続けて。
「わかりやすく話そう。彼女はきみに捨てられた後も、ずっと、きみ一人を思い続けてきた。しかし、今はもう、つのる寂しさに耐えられない」
 何だって。
 何だって。
「そこで、我々の誘いに乗って、辺境に出てくることにした。わたしは彼女に約束したのだ。一つ仕事を果たしてくれれば、アレン・ジェンセンの精子を提供すると。きみには、そのために、我々と合流してほしいのだよ」

「アンヌ・マリー!」
 ぼくが岸に立って呼ぶと、彼女はゆったりと泳いできた。
 熱帯や亜熱帯の植物を茂らせた温室区域にある、エメラルド色の広いプールである。裸で泳ぐのが、彼女のお気に入りだ。波紋が広がる水面の下に、すんなり伸びた白い手足が見える。
「なあに? あなたもいらっしゃいよ」
 アンヌ・マリーはぼくの方に水をはねかけ、笑って誘う。しかし、今日はそれどころではない。
「すぐに上がってくれ。出航するんだ。《アグライア》に行く。カティがそこに来るんだよ!!」
「え、何ですって!?」
 整えた赤茶色の眉が、険悪に跳ね上がる。今もまだ、双子の姉の名前は、彼女の神経を張り詰めさせるのだ。
「説明は途中でする。さあ」
 ぼくはアンヌ・マリーの手を引いて水から引き上げ、バスローブでくるんだ。そして、三十分後には小惑星基地を離れていた。
 急いだので、用意できたのはほんの五隻の小艦隊だが、道中の安全はユージンが保証してくれた。自分と合流するまで、他組織がきみたちに手出しをすることはないと。
「馬鹿馬鹿しい。あなたの精子だなんて。まったく迷惑な女だわ」
 白い肌を引き立てる深緑のドレスを着たアンヌ・マリーは、近づいただけで火傷しそうなくらい、不機嫌だった。ソバージュにしたボブの髪に湿り気を残したまま、ソファで脚を組み、熱いココアを飲んでいる。
「子供なんか、他の男の精子で作ればいいじゃないの。男なんか、そこらをいくらでも歩いてるんだから」
 しかし、元々、ぼくとカティは恋人同士だったのだ。アンヌ・マリーに割り込まれるまでは。いや、あれは、引き裂かれたと言ってもいい。カティの傷もまだ、癒えていなかったのだ。
「まあ、いいでしょう。この際だから、捕まえて冷凍保存にしてやるわ。これ以上、迷惑かけられたくないもの」
 さすがにぼくも、迷惑をかけたのはどちらだ、と言いたくなる。
「アンヌ・マリー」
 ぼくが咎める口調で言うと、鼻と頬に薄いそばかすを散らした華やかな赤毛の美女は、つんとしてそっぽを向いた。
「わかったわよ。どうせあなたは、やっぱりカティを選ぶんでしょ。邪魔なのは、わたしの方なのね」
 それが途中で涙声になるから、ぼくは勝てない。アンヌ・マリーの肩を抱き、髪にキスして慰めた。
「こうして、きみと一緒に暮らしているじゃないか」
 これ以上、何ができる。
 市民社会を捨て、辺境に出てきたのも、アンヌ・マリーが望んだからだ。ぼく一人なら、そんな真似は絶対にできかった。
 ぼくは凡人だ。カティと付き合っていた学生の頃は、普通に卒業して、普通に働き、普通に家庭を作ることしか考えていなかった。
 だが、アンヌ・マリーと出会った時に、全てが変わった。正確に言うと、アンヌ・マリーがぼくを欲した時に。
 それはアンヌ・マリーが、双子の姉妹のカティに、強烈なこだわりを持っているからだ。
 嫉妬なのか、反発なのか、それとも、ひねくれた愛情なのか。
 とにかく、縫いぐるみや子犬から、恋人まで、カティの持ち物は、全て横取りしたいという歪んだ熱情が、アンヌ・マリーにはあった。あらゆる尺度で、姉と張り合いたいのだ。
「だけど、こんなに大慌てで、カティを迎えに行くんだもの。子供を産ませてやるつもりでしょ?」
 ついさっきまで、ぼくは知らなかった。カティがそれほど、思い詰めているなんて。結婚していないのは知っていたが、きっと、仕事で充実しているのだろうと……そう思って、深くは追求しないできた。
 だが、ぼくがアンヌ・マリーと暮らしてきた歳月、ずっと一人で肩を抱き、涙をこらえていたのなら。
 足元に火がついたかのように、じりじり、そわそわする。
 もちろん、この動揺がアンヌ・マリーを怒らせるのは、よくわかっているのだが。
「それでカティが満足できるなら、そうしてやりたい。きみにはぼくがいるんだから、そのくらい、いいだろう?」
 あらかじめ精子を採取しておき、冷凍カプセルに入れて渡すだけの、事務的な接触にとどめればいい。しかし、アンヌ・マリーは頑固に言う。
「絶対だめ。あの女、子供を盾にして、あなたを搦めとるつもりよ」
「そんなことにはならない」
 カティの性格からして、そういう真似はできないだろう。彼女は善良な優等生だった。今でもきっと……そうに違いない。たまたま運悪く、違法組織に目をつけられてしまっただけで。
 そして、それがぼくのせいだとしたら……何とか、カティを市民社会に戻してやらなくては。
「冷凍精子を渡したら、説得して、中央に送り返すつもりだ。彼女は、辺境では生きられない。こんな所では、子育てだってできないよ」
 辺境で生きているのは、欲張りな悪党たちと、彼らに仕える、惨めなバイオロイドだけなのだから。
「送り返したところで、隔離施設行きよ。誘拐犯なんだから」
「それでも、辺境よりましだ。自首して出れば、刑は軽い。中央の隔離施設なんて、リゾートホテルのようなものだ」
 そこで、侍女のマーサとエルザが昼食を運んできた。ぼくらはいったん、議論を止める。喧嘩と思われては困るからだ。彼女たちはアンヌ・マリーを慕っているから、いそいそと給仕をしてくれる。
「こちらのフライには、このトマトソースをかけて下さいね」
「ワインは、このロゼでいかがでしょう」
「ああ、ありがとう。後はやるから、下がっていいよ」
「はい、それではごゆっくり」
 二人は一礼して、控え室に消えていく。用がない時は、中央製の名作映画を見たり、ジムで運動したり、課題にしてある問題集を解いたりして過ごすはずだ。
 ぼくたちの組織《アル・ラート》では、バイオロイドの部下たちを、子供のように教育している。そして、教育の仕上がり具合によって、相応しい部署に配置していく。
 五年で殺したりはしない。
 そんなことには、とても耐えられない。
 ぼくたちは、彼女たちの親のようなものだと思っている。
 辺境で生き残るための違法組織とはいえ、あまり非道なことはしたくない――そう考えた結果が、女だけの組織にすることだった。
 現在、《アル・ラート》にいる男は、ぼく一人。あとは全員、人間の女とバイオロイドの女たちである。
 生きた男を雇うと、彼らの娯楽のために、生きた女が必要になるからだ。
 どこの組織でも、男の職員や兵士に奉仕させるために、バイオロイドの奴隷女を使っている。そして、新鮮さが薄れたと思ったら、売り払うか、殺すかしてしまう。
 だが、そこまで悪辣なことをすると、ぼく自身が参ってしまうとわかっていた。自分が病んでしまい、人格が変質してしまったら、どこに生きている意味があるのか。
 第一、ぼくには、バイオロイド美女のハレムは必要なかった。アンヌ・マリーだけで手一杯だ。彼女を満足させるだけで、ぼくはほとんど全てのエネルギーを使い尽くしてしまう。
 いや、こうしてカティの心配をすることが、既に裏切りだと、アンヌ・マリーは思うのかもしれないが。

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 アンヌ・マリーは、心の病気なのか?
 もしかしたら、専門家の手に委ね、治療を受けさせるべきだったのか?
 それは学生時代から、何十回も考えてきたことだ。
 確かに彼女は、普通ではない。発想も行動力も。だが、天才が普通の枠から外れているのと、同じことかもしれない。凡人の浅薄な考えで、天才を測ることはできない。
 一人殺せば犯罪者だが、百万人殺せば英雄、という考え方もある。
 歴史上、戦争時には、平和時と違う判断基準が適用された。アンヌ・マリーの場合、市民社会の道徳とは適合しないが、辺境のルールには馴染んだということだ。
 誰かを心の病気と判定するのは、その人物が、うまく社会生活を送れないからだろう。だが、アンヌ・マリーは一応、犯罪など犯さずに市民社会にいた……最後に、周到な計画を立てて、勤め先である惑星開発局の船を乗っ取るまでは。
 周りの女の子から、ボーイフレンドを横取りするという趣味は……誉められたことではないが、犯罪とも言えないだろう。
 それは、自分の魅力を試すという挑戦だったのだ。その趣味も、ぼくを手に入れてからは、ほとんど忘れてしまったようだし。
 アンヌ・マリーは、挑戦が好きなのだ。困難なことほど、情熱を持って取り組む。
 たとえば……難しい論文を仕上げるとか。双子の姉から、恋人を奪うとか。辺境に出て、自分の組織を築くとか。
 アンヌ・マリーは、自分が全力で生きられる場を、ずっと探し求めていたのかもしれない。ぬるま湯のような市民社会には、とても収まりきれなかったのだ。
 事実、辺境に出てきてからの方が、アンヌ・マリーは安定している。市民社会にいた時の苛々した様子が消え、毎日が楽しそうだ。他組織と戦ったり、自分の組織を強化したりして、忙しく過ごすのが合っているのだろう。
 ぼくはといえば……後悔しなかったわけではない。
(あのまま市民社会にいたら)
(カティと結婚していたら)
 と何百回も考えた。だが、アンヌ・マリーに呼ばれ、あれこれと相談されたり、胸にすがられたりすると、
(必要とされている)
 という嬉しさが湧き上がる。
 結局、惚れているのだ。
 つい、可愛いと思ってしまう。放っておけないとも思う。
 ぼくでなければ、他の誰が、アンヌ・マリーを理解してやれるのか。
 それは、ぼくの自惚れであるかもしれない。あるいは、共依存なのかもしれない。学生の頃も開発局の頃も、友人たちに何度も忠告された。
『アレン、きみは利用されているんだよ』
『いずれ、ぼろぼろにされて捨てられるよ』
『あの女には、良心も良識もないんだから』
『悪いことは言わない、カティの方に戻れよ』
 だが、十五年経った今でも、アンヌ・マリーはぼくを頼る。ぼくに甘える。
 やはり、愛されているのだ、と思う。ぼくがいれば、アンヌ・マリーは他の男を必要としない。
 もしも、そう思うことが間違いなら、いずれ、ぼくの命で自惚れの対価を支払うことになるだろう。
 それはもう、仕方ない。自分で選んだ運命だ。
 だが、カティは違う。
 彼女は市民社会で、まともな人生を送るべきだ。ぼくらに近づいてはいけない。
 まさか、違法組織に利用されるほど、思い詰めていたなんて……
 ぼくの忠告など、聞いてくれるかどうか、わからない。だが、説得はしなければ。カティが遠くで幸せに暮らしていてくれると思えばこそ、辺境での暮らしに専心することができたのだから。

4 ジュン 

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 たかが小旅行に、軍艦での送り迎えなんて。
 あたしは恥ずかしくて、いたたまれなかったが、《エオス》のみんなは、そのくらい当然だという。
「きみは賞金首なんだよ!! 全力で護衛してもらわなきゃ!!」
 とエディは力んで言う。
 まあ、仕方ない。
 これまでは『賞金首の娘』だったけれど、今度からは、あたし自身が〝連合〟に賞金をかけられる身になったのだ。
 つい最近、辺境の大立者、グリフィンが世界に告知したのである。ジュン・ヤザキを懸賞金リストに加えると。もちろん、リストのうんと下の方だけれど。
 軍や司法局にしてみれば、あたしを警護することは、新たな重要任務ということになる。
(あたしが重要人物ねえ……)
 たかが十七歳の小娘に懸賞金をかけるなんて、悪の帝国もまめというか、暇というか。
 もっと他に、ちゃんとした政治家とか、軍人とかを選んで、懸賞金リストに加えればいいのに。
 まあ、別にいいけど。
 『辺境航路の英雄』と呼ばれる男の娘として、命を狙われたり、誘拐されたりすることには、もう慣れている。それにちょっと、余計な危険が加わるだけのこと。
 あたしは今回、母港である小惑星都市《キュテーラ》から三日の距離にある植民惑星《ファルーネ》を目指していた。そこで、商業船の船長に必要な、パイロットのA級ライセンスの試験を受けるのだ。
 B級試験に合格してから二年が過ぎ、ようやくA級の受験に必要な、実務経験の資格を満たしたわけ。
 もちろん《エオス》は仕事で別方面に飛ぶから、あたしと付き添いのエディ、ジェイクは休暇をもらい、試験会場まで軍艦に護送されるという段取り。
「子供じゃないのに、二人も付き添いなんて」
 とぼやいたら、パトロール艦《フレイア》の榊艦長に言われてしまった。
「お嬢さん、あなたが誘拐されてから大追跡するより、最初からきっちり守る方が楽なんですよ」
 穏やかな苦笑である。どんな任務であれ、完璧に務めるという覚悟の表れ。
「はあ、そうですね。お世話をかけます」
 と神妙に答えるしかない。
 まあ、あたしも軍艦で旅行なんて初めてだから(親父を奪回するため軍艦と共に辺境に出た時は、旅行というより作戦行動だった)、いい経験にはなる。
 ジェイクもエディも元軍人だから、軍艦に感激はないらしいけれど、あたしは艦内見学や、女性軍人とのパジャマパーティで、結構盛り上がった。
 勤務時間内には、それぞれ颯爽としたお姉さんたちだけど、素顔はまた違う。彼女たちの武勇伝や失敗談、軍内部の噂話なんかを聞くのが面白い。
「それがね、将軍閣下とは知らないで、気安く肩を叩いて馬鹿話してしまって、後から冷や汗よ」
「そんなこんなで目が覚めたら、式典の五分前よ。もう、あれほど急いだことは、生涯なかったわ」
「まさか、別れた男が、新しい部下になるなんてねえ。気疲れするったら」
 逆にあたしは、《エオス》での日常生活や、親父のこと、他のクルーのことを尋ねられた。
「ねえ、お父さまは再婚なさらないの?」
「エディさんて、あなたの彼なんでしょ?」
「ジェイクさんて、決まった人いる?」
 さあて、どう答えよう。
 親父本人は、隔離施設にいるドナ・カイテルに未練があるみたい。自分の部屋から、まめに通話しているらしいから。
 あたしには隠しているつもりだろうけれど、かまをかければ、すぐぼろが出る。
 自分を誘拐した女でも、恋愛感情があってのことだと、悪く思えないのだろう。誘拐されている間は、記憶を操作されていて、彼女を妻だと思っていたわけだし。
 いずれ、ドナ・カイテルが刑期を終えたら……どうなるか、あまり考えたくない。あたしは絶対、彼女と仲良くなれないと思う。親父を口説くにしても、もっとましな方法があるでしょう?
 エディからは、
『ぼくは当面、女性と付き合うつもりはないから。人に尋ねられたら、きみと付き合っていることにしてくれないかな』
 と頼まれている。
 《トリスタン》の爆破事件からだいぶ経つのに、まだ、自分が幸せになってはいけないと感じているみたい。本当はエディも、あちこちのお姉さんと付き合って、人間の幅を広げた方がいいのだろうに。
 まあ、チェリーとは連絡を取り合っているので、『いいお兄さん』役は、きちんと果たしているようだ。チェリーがナイジェルと仲良くなったことについては(あたしがそう計らったからだ)、許しがたく感じているようだけど。
 エディの幼な馴染みのナイジェルは、悪い男ではない。報われない恋のせいで、ちょっと傷ついているだけ。誰が彼を傷つけているのか、エディは一生、理解しないだろう……ナイジェルが、腹をくくってエディに告白しない限り。
 ジェイクについては、元から『港々に女あり』という状態なので、答えは決まっている。
「父は当面、再婚するつもりはないようです。エディは一応……あたしのボーイフレンドなので……ちょっと脇へのけておいてもらって……ジェイクはフリーですから、好きにアタックしてくれて大丈夫ですよ」
 と説明しておいた。
 将来、親父がドナ・カイテルとどうなるかは、親父の勝手だ。もしもエディに良さそうな相手が現れたら、寂しいことは確かだけれど、いつでも祝福して引き渡すし。
 あたしの側にいて、また死にかけるようなことになってはいけない。エディが生きて幸せなら、遠く離れても、あたしは我慢できる……はずだ。
「きゃあ、嬉しい、ジェイクさんを口説いちゃお」
「わたしは断然、ヤザキ船長が理想だわ」
 身近にいるあたしは、もう麻痺しているけれど、客観的に見た場合、《エオス》の男どもは、かなり高水準らしい。お姉さま方の一致した感想としては、
「ジュンちゃん、あなたはいいわねえ。いい男に囲まれて」
 ということだった。
 他人から見れば、『辺境航路の英雄』を父に持つあたしは、恵まれた立場なのだろう。実質は、ジェイクたち鬼軍曹に叱られてばかりの、下っ端の雑用係なのだけれど。

 充実した旅の後、パトロール艦《フレイア》は、植民惑星《ファルーネ》の軌道ステーションの一つに到着した。
 あたしは軍人たちの警護付きで、ステーション内にある航行管制局支局の試験会場に入り、指定されたブースで筆記試験を受ける。他のブースでは、他の受験生たちが試験を受けている。
 これは楽勝だった。これまでさんざん、勉強してきた成果である。わからない所は、エディやルークに教えてもらったし。
 問題は、実技試験だった。
 ここから航行管制局の試験船に乗り、決められたルートを一周して戻ってくる。途中、何らかのトラブルが発生するように仕組まれていて、それを解決して帰還できたら合格というわけ。
 でも、どんなトラブルなのか、受験者にはその時までわからない。機械的な故障なのか、突発的な事故なのか、意外な事件なのか。
 あたしの場合は、試験船の後ろを《フレイア》が付いてくることになっていた。試験船にも、エディと軍人二名が乗り込む予定。
 他の受験者の手前、特別扱いのようで気がひけるけれど、
「試験の手伝いはしませんから、安心して下さい」
 と榊艦長は笑う。
 これで不合格だったら、世界的な笑い者だ。世間があたしに期待しているのは、華麗な一発合格だもの。ああ、緊張する。
 軌道ステーションの気密桟橋に接続された、たくさんの試験船の一隻に乗り込むと、そこには既に、紺の制服を着た女性試験官が待っていた。
「よろしく、ミス・ヤザキ。カトリーヌ・ソレルス試験官です」
 艶やかな赤毛をふんわりとショートカットにした、白い肌の美女だった。緑の瞳と、薄いそばかすがチャームポイント。すらりと背が高くて、めりはりの効いたボディライン。
 いいなあ。あたしも、これくらいの背丈が欲しかった。せめて百七十センチないと、戦闘では不利すぎる。
 ソレルス試験官は、あたしの護衛たちとも挨拶を交わし、
「試験航行中は、わたしの指示に従って下さい。緊急事態でない限り、ミス・ヤザキとは口を利かないこと。わたしもこれ以後、あなたたちはいないものとして振る舞います」
 と念押ししていた。
 それは、とても大事なこと。エディがうっかり、あたしの助けになるようなことを言ってしまったら、あたしが不合格になってしまう。
「了解しました」
 エディと軍人たちが厳粛に言い、空き船室に引っ込もうとした時、ソレルス試験官はあたしを振り向き、にっこりしながら懐から何かを抜いた。
 え、銃?
 次の瞬間、顔にぴしゃりと水飛沫をくらっていた。
「う……!!」
 冷たい雫がぽたぽた垂れて、服と床を濡らす。振り向いたエディたちも、驚いて立ち尽くした。
 玩具の水鉄砲とは……やられた。
 あたしが乗船した瞬間から、もう試験なのだ。
 離れた場所で、エディが心配そうな顔をしたけれど、もちろん何も口をはさめない。ソレルス試験官は、楽しげに言う。
「はい、この船はハイジャックされました。あなたはテロリストに麻酔弾を撃たれて、意識不明です。わたしがいいと言うまで、操船室のシートに座っていてもらいましょう」

 『翌日まで、麻酔で眠ったまま』という設定であっても、とにかくソレルス試験官は、食事とトイレと睡眠は認めてくれた。
 それはそうだよね。本物のハイジャックではないんだもの。
 試験船はソレルス試験官の操船でステーションを離れ、予定されたコースを飛んでいる。
 あたしの課題は、帰還までの四日間のうちに、テロリストを倒して、船を取り戻すことだ。でも、麻酔から醒めるという設定時刻までは、何もできない。ああ、苛々する!!
 エディと軍人二人は、あたしの邪魔にならないよう、ひっそり過ごしていた。大部分の時間、船室にいて、あたしとは顔を合わせないよう気を遣っている。たまに厨房のあたりで出会っても、お互い見ないふりで通り過ぎる。
 ああ、いつもみたいにエディに甘えたい!! 愚痴を言いたい!! 近くにいるのに、会話もできないなんて!!
 このA級試験というのは、落ちてもまた挑戦すればいいのだけれど、そんなに何度も、軍に迷惑をかけたくない。あたしが落ちたら、マスコミも面白おかしく報道するだろうし。
 ああもう、どうやって、テロリスト役の試験官を捕まえればいいんだろう!!
 いや、正確には、正規の試験官が、テロリストの仲間になっていたという設定。
 その設定、ずいぶん卑怯な気がするんですけど!! それともまさか、あたしだけ特別、難しい設定にされているんじゃないでしょうね!!
 これが実戦なら、いっそ気楽なのだ。相手を殴ったって、殺したっていいのだから。
 でも、まさか試験官に大怪我させたりできない。
 こっちも麻酔を使えばいいのかな? 船内の医務室には何か、使える薬品があるはずだ。当然、薬品棚はロックされていると思うけど。それはぶち壊すか何かするとして。
 でも、本当にそれで、試験官を眠らせていいのだろうか? それとも、鼻先に香水のスプレーか何か突き出して(最近は、下着にオレンジやライムの香りをつけて、ひっそり楽しむようになっている)、これであなたを眠らせたことにしますよ、と言えばいいだけなのか? いや、麻酔に類する薬品を手に入れるところまでは、実際にしないと、認めてくれないのでは?
 過去の試験問題は一通り勉強してきたけれど、実技試験に関しては、公開されている情報が少なすぎる!!
 いったい、どこまでなら許されるのだろう? 女性の試験官を殴り倒して気絶させるなんて、それはやっぱり失格だよね?
 すると、何かの罠にひっかける? 椅子の上に接着剤を塗っておくとか? トイレに閉じ込めるとか? でも、帰港時まで、こちらが自由を奪われたままという設定だったら?
 いやいや、さすがにそれでは、船を奪回する機会が皆無ではないか。それでは試験にならない。きっとどこかで、あたしが反撃するための隙を見せてくれるはずだ。
 それとも、そんなことを考えて、ただ待っていたら、甘いのか?
 その晩は、あれこれ悩みながら、指定された船室で眠った。
 明日の朝はまた操船室に行って、座席に縛りつけられている、という設定に従わないといけないのだ!!

 無駄な悩みは翌朝、蒸発した。
 早起きして室内で軽い運動を済ませ、厨房で適当な食料を探そうとしたら、カウンター前の床に何か伸びている。
 付き添いの男性軍人たちの足だった。二人とも、なんで、こんな所で寝ているの?
「あの、もしもし?」
 さすがにこれは、見過ごすには異様すぎる。しゃがみ込んで、揺すってみた。呼吸や体温は問題ない。気絶しているというより、深く眠っているだけの様子。
 もしかしたら、エディもどこかに倒れている?
 まさか、試験の邪魔になるから試験官が一服盛った、なんてことはないよね?
「ソレルス試験官!! 厨房に来て下さい!!」
 あたしは船内の通話システムに向かって叫んだが、反応がない。そうだった。あたしはテロリストの捕虜という設定なので、船の管理システムが、あたしの指示を受け付けないようになっているのだ。
 あたしは走って彼女の船室に行き、扉を開けた。いない。では、もう操船室に入っているのか。
 いや、待て。ベッドに、寝た形跡がない。いくらテロリスト役でも、徹夜の必要はないはず。
 再び走って、エディがいるはずの船室に行ってみた。エディは大の字になって、床に倒れている。昨日の服装のままで。
 ということは、昨夜のうちに眠らされたのか。
 軍人たちの場合は、日に何度も母艦に対する定時連絡の義務があるから、ぎりぎりの時刻までは、自由に動き回らせておいたのかも。
 揺すっても、頬を叩いても、エディは目覚めなかった。食べ物に何か盛られたのか。それとも、麻痺ガスでも流されたのか。
「おはよう。早起きなのね。あと二時間くらいは、寝ていてくれるかと思ったわ」
 ソレルス試験官が、通路から現れていた。振り向いたあたしは、まじまじ、赤毛の美女を見る。
 確信犯の顔だ。脅迫されて、とか、洗脳されて、という感じではない。
「これは、どういうことです!?」
 返答によっては、ただではおかない。
「もう、わかったでしょう? わたし、違法組織と取引したの」
 あ。
 それじゃ。
「あなたを誘拐する手伝いをすれば、わたしの欲しいものをくれるんですって」
 よくも、公務員のくせに。航路の安全を守るどころか、小悪党の手先になり、あたしの試験を台無しにしてくれて。
 かっとして、彼女に飛びかかろうとした。けれど鋭く言われて、動きを止めた。
「わたしを殴っても殺しても、もう手遅れよ!!」
 そうだ。あたしが脅威にならないから、こうして放置してあるのだ。本当なら、昨夜のうちに、麻痺ガスを吸わされていておかしくない。
「この船には武器らしい武器はないし、転移能力も低いから、出迎えの違法艦隊から逃れるのは無理よ。彼らはあなたのために、一か月も前から、通り道の無人星系に潜んでいたの」
 何だって。
 これは、そんなに手間暇をかけた誘拐作戦なのか。
 甘く見ていた……かもしれない。自分が賞金首になったことを。
「《フレイア》には、たった今、通告したわ。あなたたちを人質に取ったから、無駄な抵抗をしないように。もしも余計な真似をしたら、眠っている軍人たちを、一人ずつ、生身で宇宙空間に放り出すと断っておいたわ」
 そうか。あたしたちは、既に罠にはまっている。
「いい子にしていてちょうだい。すぐに、迎えの艦隊と合流するわ。わたしが向こうに連れていくのは、あなただけだから。あなたがおとなしくしていてくれれば、この人たちを死なせることにはならないわ」
 彼女の後ろには、船の備品であるアンドロイド兵が数体、控えていた。彼らは銃を構え、あたしに狙いをつけている。本来なら、正規の命令なしには人間を殺傷することができないよう、厳重な制限をかけられているけれど、それは解除してあるらしい。
「単なる麻酔弾だけど、撃たれるのは不愉快でしょう? 目覚めたままでいたかったら、静かにエアロックまで移動してちょうだい」

 三時間後、あたしは違法艦隊の船内にいた。
 試験船の予定コース横の無人星系から、一ダースもの戦闘艦の群れが現れたのだ。
 《フレイア》一隻では、何もできなかった。無駄な抵抗をすれば、容易く吹き飛ばされていただろう。黙って誘拐犯の逃亡を見送るだけしか、選択肢がなかった。
 違法艦隊は順調に転移を続け、文明社会から離脱していく。一応は軍の艦隊が追ってくるだろうが、途中であきらめて引き返すはずだ。《キュテーラ》も《ファルーネ》も、中央星域の外れに近い位置にある。無法の辺境までは、たいした距離ではない。そこはもう、違法組織の天下。
 ソレルス試験官は――いや、もうカトリーヌ・ソレルスと呼ぼう――試験船に眠り続ける三人を残し、あたしだけを連れて、違法艦船の一隻に乗り移った。
 とりあえず、エディは誘拐されずに済んだわけだ。それだけは、よかった。
 もう二度と、エディを巻き添えにしたくない。植民惑星《タリス》では、あたしのために心臓を撃たれ、死にかけたのだから。
 あの時、エディの命を救ったアイリスの特殊細胞が、今もエディの体内で生き続けている。それを違法組織に知られたら、エディは生体実験の材料にされてしまう。そんなことは、絶対にあってはならない。
 だから、精神的にはだいぶ楽だった。誘拐の被害者が自分だけなら、自分のことだけ心配すればいい。
「ようこそ、ミス・ヤザキ」
 違法戦闘艦の1G居住区であたしを出迎えたのは、顔色の悪い、痩せ型の男だった。
 身長は百八十センチに届かない。褐色の髪、褐色のサングラス、細い鼻筋、薄い唇。地味なダークスーツを着た姿は、まるで貧相な死神みたい。
「わたしはユージン。最高幹部会の代理人だ」
 さすがに驚いた。
 いきなり、最高幹部会の名が出るなんて。
 その直属代理人なら、辺境の超エリートだ。それが、あたしなんかのために、無人星系に隠れて一か月も待っていた?
「誘拐などして悪かったが、死者も怪我人も出さなかったから、まあ勘弁してくれないか。我々は、きみを招待したつもりなのだ」
 へええ。ずいぶん低姿勢ではないか。
「それはどうも、ご招待、ありがとう」
 おかげで、あたしも気が引き締まった。粗暴なチンピラならさして怖くないけれど、冷静なインテリは怖い。腹の底に何を隠しているか、わかったものじゃない。
 ユージンという男は、あたしとカトリーヌ・ソレルスを快適なラウンジのソファに座らせ、すらすらと説明した。
「ミス・ヤザキ、わたしはきみを違法都市《アグライア》に案内し、《キュクロプス》のメリュジーヌに引き合わせる。それが今回の、わたしの任務だ」
 違法都市《アグライア》?
 それに、メリュジーヌ?
「詳しい話は、おいおいしよう。きみは賓客だから、この船内では、自由に過ごしてくれていい」
 賓客?
「ただし、危険な真似だけはしないでほしい。わたしを殺そうとするとか、小型艇で脱出しようとするとかだ。一度でもそういうことがあったら、きみを一室に監禁することになる。理解してもらえたかな?」
 ふん、人を子供扱いして。
 どうせ、あたしの背後には常にアンドロイド兵がへばり付いているんだから、何もできるわけがない。
「わかった」
 と仏頂面で答えた。にこやかに対話する気分ではない。ただ、確認はしておかなくては。
「メリュジーヌって、本当に、あのメリュジーヌ?」
 六大組織の一つ《キュクロプス》の代表者であり、辺境を支配する最高幹部会の十二名の一人。たぶん、百歳を大きく越えている。
 映画では、しばしば最終的な悪役として登場している。大抵は、妖艶な魔女というイメージだ。
 もちろん、本物は全然違うのかもしれない。
 当然ながら、彼女の素顔が公開されたことはない。だいたい、最高幹部会のメンバーたちが、この世に実在するのかどうかも疑わしい。
 本当は、ただ一人の最高権力者がいて、そいつが、複数の〝生きた人形たち〟を操っているだけだ、という説もあるのだ。
 その最高権力者についても、まだ人間なのか、それとも〝超越体〟という不死の怪物になっているのか、あるいは特異な強化体や改造体なのか、諸説ある。辺境の真実なんて、誰にもわかりはしない。
「そう、そのメリュジーヌだ。楽しみにしていたまえ。きみとは、話が合うかもしれない」
「辺境の魔女と?」
 褒められた気はしない。だいたい、そんな大物が、あたしなんかに何の用がある。洗脳したいのか、脅迫したいのか知らないけれど、絶対、ろくでもない用件に決まっているのだ。
 するとユージンは、口許に薄い笑みを浮かべた。
「きみだって、懸賞金リストに載せられた女戦士だろう。ちょうど、好敵手なんじゃないか?」
 馬鹿にしているな。
 確かにあたしは、射撃も格闘技も稽古してきたけれど、そんなもの、強化体の男や、アンドロイド兵士に対しては、何の役にも立たないのだから。まして幾重にも監視され、すぐに麻酔針や捕獲ネットが飛んでくる状況では、試しに暴れてみることも無意味。
 あたしはソファにもたれて行儀悪く足を組み、ユージンに言った。
「賓客なら、とりあえず、何か食べさせて。朝ご飯を食べ損ねて、もうお腹ぺこぺこなんだから」
 あたしは空腹になると、頭が働かなくなる。食べ物のことしか、考えられなくなるのだ。
「こっちの希望は、パンケーキのメープルシロップ添えと、厚切りベーコン、スクランブルエッグ、コーンスープ、それから温野菜のサラダ。コーヒーと果物も付けてねっ!」
 さもしいようだが、あたしはまだ成長期だし、人生であと何回食事ができるかわからないから、毎回、美味しいものをたっぷり食べたいのだ。
 すると、カトリーヌ・ソレルスとユージンは、黙って顔を見合わせた。何なの、その態度。この船では、客に食事を出さないというの。
「やはり、辺境向き……だな」
「そのようね」
 何を納得しているのだ。
 あたしはこれでも、根深く怒っている。
 せっかく受けた実技試験、中途で放り出すことになってしまったではないか。
 もしも無事に生還できたら、また試験の段取りをつけなくてはならない。試験前のあの緊張、また繰り返すなんて、本当にいやなんだから!!

5 エディ

 馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ。
 一千回繰り返しても足りないくらい、馬鹿だ。
 薬入りの食事なんかで眠らされて、ジュンを奪われて、気がついた時は軍艦の医療室とは。
 何のための護衛だ。この、役立たず。
 ジュンはもう、はるか彼方に連れ去られている。
 軍の追跡は、間に合わなかった。当たり前だ。向こうは試験船の航路も軍の配置も、全て計算した上でのこと。もっと中央寄りの場所で試験を受けさせるのだったと後悔しても、後の祭り。
「まさか、試験官が買収されているとは」
 と皆が嘆いているが、違法組織は、軍人でも科学者でも政治家でも財界人でも、役に立つ者なら、どんな手を使ってでも仲間に引き入れる。
 ぼくが一緒にいたのだから、そこまで疑うべきだった。軍艦が後ろに付いていたって、人質を取られてしまったら、何もできない。
「申し訳ありません。役立たずで」
 再会してから、ぼくは親父さんに幾度も頭を下げた。
 もちろん、親父さんはぼくのことも、《フレイア》で待機していたジェイクのことも、責めはしない。
「仕方ない。完璧に用心するなんてことは、誰にもできない。ジュンに人質としての価値がある限り、殺されはすまい」
 と静かに言う。
 ジュンの命だけが狙いなら、既に殺されているかもしれない。だが、賞金額は、ジュンより親父さんの方がはるかに高額なのだ。
 犯人たちは、ジュンを生かしておいて親父さんをおびき寄せ、まとめてグリフィンに差し出すだろう……さもなければ、グリフィン自身あるいは最高幹部会がジュンを確保してから、自ら親父さんを呼び寄せるだろう。
 親父さんは事件発生以来、ろくに眠っていないような顔だった。ジェイクも顔つきが変わっている。目つきが悪くなり、口数が少なくなって、冗談も言わなくなった。声をかけるのが怖いほどだ。
 おまけに《エオス》は、軍と司法局から出航差し止めをくらった。母港である《キュテーラ》の桟橋に、厳重に繋ぎ止められてしまったのだ。
 いったん出航させてしまったら、ジュンを追って辺境へ出ていくかもしれない、と疑われているのだろう。
 その心配は、正しい。
「ヤザキ船長、我々は、あなたまで違法組織に奪われるわけにはいきません。《エオス》の引き受けた輸送依頼は、他の船に代行してもらいますので、皆さんには一箇所にいてもらいます」
 と軍人たちに宣告され、クルーは全員、植民惑星《ルシタニア》の軍基地に軟禁されることになった。中央の懐深い位置だから、《ルシタニア》から逃亡して辺境へ出るのは、ほぼ不可能だろう。
 地上基地の片隅にある、使用されていない研修用の建物が一つ、ぼくらのために準備されたという。これはつまり、長期の待機生活を予測しているということだ。
「今回の誘拐事件が一段落するまで、そこにいていただきます」
 ということだが、半年経とうが一年経とうが、事件が円満解決なんか、するはずないだろう。
 親父さん自身は、辺境から呼び寄せられたら、出向くつもりだ。自分が捕まっても、ジュンが自由の身になるのならと。
 むろん、向こうは、二人とも手に入れるだけのこと。軍も司法局もそれがわかっているから、親父さんを軟禁する策に出たのだ。
 せめて、ぼく一人でも動けたら。ジュンを助けることはできなくても、一緒に捕まることができたら。
 いや、それでは何の役にも立たないか。
 でも、どうすれば。
 もし、ジュンが公開処刑などということになったら。ぼくだって、生きてなんかいられない。
 アイリスにも、ジュンを守ると誓ったのに。
 そのアイリスに、何とか救いを求められないものかと思う。しかし、相手が中小組織ならともかく、辺境全体を支配する大組織の連合体では。
 悶々と考えていると、バシムの大きな手で肩を叩かれた。
「思い詰めていたって、いい考えは浮かばない。お茶でも飲め」
 そして、蜂蜜入りのハーブティを勧められた。《ルシタニア》まで軍に護送される最中なので、ぼくらは軍艦の居住区にあるラウンジいにる。
 有り難く、温かいお茶を飲んでいたら、飲み終わる頃に言われた。
「おまえもダグもジェイクも、何日も眠っていない顔だ。それを飲んだら、半日はぐっすり眠れる。ゆっくり休め。おまえたちが憔悴したって、何の役にも立たないからな」
 そんな。
 またしても、薬入りの飲み物とは。
 急速な眠気に襲われ、よろめきながら、船室に入るのがやっとだった。靴を脱ぎ捨ててベッドに倒れ込んだら、すぐさま意識が遠くなる。
 ぼくは深い眠りに落ちた。もう二度と絶対、他人に勧められるものは飲み食いしないぞ、と心に誓いながら。

6 ジュン

 違法艦隊での航行は、快適だった。豪華な船室には、あたしに必要なものが全て揃っていたし、三度の食事も美味しい。スポーツジムも使える。中央のニュースや映画も見られる。
 自分の誘拐事件をニュースで見るのは、おかしな感じがするけれど。
 だいたい、悲劇のヒロイン扱いされると、たらふく食べて、のうのうと過ごしていることが、申し訳ないみたいだし。
 記録映像で見る普段の自分は、やはり大幅に地味である。髪は短くてぼさぼさだし、着ているものは機械油の染みた作業着か、着古した普段着の類だし。
 貨物の受け渡しの時の映像なんて、ひどいものだ。通信講座のレポートや何かで疲れている時だったから、いつもより更に無愛想。
(うひゃあ。なんで、こんなとこ映すかな)
 と思ってしまう。
 せめて、学校時代の式典の時とか、B級ライセンスを取って取材されている時とか、もう少し、格好つけている時の記録映像を使ってくれればいいのに。
 肌が沈んだ小麦色で、胸も小さいから、ぱっと見た時、華やかさや女らしさが全然ない。
 やっぱりエディの言うように、Tシャツだけでも、もう少し綺麗な色を着た方がいいのかなあ。でも、つい、紺とかモスグリーンとか褐色の方が、落ち着くものだから。
 それでも近頃、下着だけは、優雅なものを選ぶようになっていた。それは人に見えないから、いくら甘い色でも、華やかなレース遣いでも、恥ずかしくない。
 いや、エディにだけは見せていたけれど、それは何しろ、エディだから。
 空手の稽古の後、エディに全身マッサージをしてもらうのが、あたしの大きな楽しみになっていた。
 最初はそんなつもりではなく(普通はマッサージなど、医療用アンドロイドにさせるものだ)、ただ、《タリス》の事件で背中にできた傷の手当をこっそりしてもらうために、エディを部屋に入れていたのである。
 でも、傷が治る頃には、エディに裸の背中を見せるのに、抵抗がなくなっていた。
 それなら、下着姿も似たようなもの。
 自室のベッドに横たわり、エディの優しくて確実な手でマッサージしてもらうのは、最高の贅沢だった。心身が気持ちよくゆるんできて、そのまま眠ってしまう。目覚めた時には、エディが美味しい食事を用意していてくれる。
 何が恋しいって、あのマッサージだ。あれを二度と受けられないのかと思うと、悲しくて悔しい。エディが安全圏にいることだけは、嬉しいことなのだけれど。
 中央の報道では、航行管制局の職員、カトリーヌ・ソレルスが違法組織に買収され、誘拐に協力したと言われていた。
 ただし、ユージンの名前は浮上していない。当然、《キュクロプス》のことも。
 そりゃあまあ、メリュジーヌなんて大物が、本当にあたしを待っているのか、あたしだってまだ、信じ切れていないのだし。
 ただ、一つ、面白いことがわかった。
 報道各社の発掘した事実だが、カトリーヌの双子の妹アンヌ・マリーが、もう十年も前に、辺境へ脱出しているそうだ。
 妹は惑星開発局の職員で、調査船を盗んで姿を消したという。
 いや、調査船には職員が八名乗っていたので、そのうちの誰がハイジャック犯で、誰が巻き添えの被害者なのか、今日まで不明だった。けれど、今回の誘拐事件によって、アンヌ・マリーの名が、疑惑と共に浮上したらしい。
 ジュン・ヤザキを誘拐したカトリーヌ・ソレルスの行動は、その妹と連絡を取り合っていた結果ではないか、という推測が流れている。
 ただし、報道関係者たちが、彼女たちの友人・知人にインタビューした結果では、
『カティがアンヌ・マリーと協力するなんて、ありえない』
『あの二人は、大学に入ってから、ほとんど口もきいていませんよ』
 ということだった。
 友達にはカトリーヌではなく、カティと呼ばれていたわけね。まあ、その方が呼びやすい。
 とにかく彼女たちは、一卵性の双子なのに、とことん仲が悪かったらしいのだ。
 何でも大学生の頃、アレン・ジェンセンという年上の男子学生を、姉妹で取り合っていたとか。
 そのアレンは、やはり開発局に就職し、アンヌ・マリーと同じ船に乗って、姿を消している。
 こうなると、その失踪事件はアンヌ・マリーとアレンの共謀だったのではないか、今度は姉妹で共謀して誘拐を企んだのではないか、という推測が力を持ってくる。
 でも、カトリーヌ・ソレルスもユージンも、アンヌ・マリーなんて名前は、一言も口にしていない。
(あの人も、色々あるんだな、まあ、どうでもいいけど)
 あたしは居心地のいい船室で、クッキーと紅茶を楽しみながら、報道番組を眺めていた。
 もちろん、軍はもう、あたしの追跡をあきらめている。市民向けにあれこれ言い訳はしているけれど(試験官が誘拐に加担するとは予測外、軍の警備体制に不備はなかった……)、要するに、違法組織に拉致された者は、奪回不可能ということだ。
 親父は憔悴しているだろうけれど、《エオス》で勝手に飛び出したりしないよう、軍と司法局が見張っているようだ。
 それでいい。
 親父までが捕まったりしたら、救いがない。
 せめて、あたしが無事だと知らせることができればいいけれど、ユージンは、あたしをメリュジーヌに会わせるまで、外部との接触はさせないと言うし。

 報道番組に飽きると、船の中をうろついた。
 厨房で好きなケーキやアイスクリームを探して食べたり、操船室や武器庫や小型艇を見学したり(後ろにアンドロイド兵士が張り付いているから、何もできない)、ラウンジでユージンとしゃべったり。
 違法組織《クーガ》の統率者であり、最高幹部会の代理人の一人であり、この小艦隊の指揮官でもあるユージンという男は、物静かで皮肉屋のインテリという感じだった。
 たぶん、相当に優秀な男なのだろう。年齢はたぶん、五十歳から百歳までのどこか。
 他に用事があるわけでもないらしく、あたしが尋ねれば、大抵のことは辛抱強く説明してくれた。
 何でも最高幹部会は、あたしを取り込みたがっているとか。
 あたしのような小娘を、大組織の幹部に迎えてくれるなんて、とても素直には信用できないけれど。
「客寄せパンダになるの? あたしが?」
 少しばかり名前が知られたからといって、このあたしが、市民たちを辺境におびき寄せる誘蛾灯になるだろうか。
「詳しい計画は、きみが直接メリュジーヌに尋ねるといい。きみにとっては、悪くない取引になるはずだ。まだ若いから、不老処置の価値は、よくわからないだろうがね」
 何を考えているんだろう、最高幹部会って。
 あたしが仲間になれば、親父を懸賞金リストから外すという。それが本当なら、少しは考える余地がある……かな?
 これまで幾度、親父を狙った暗殺未遂があったことか。
 それが一切なくなるなら、遠く離れていても、あたしは少し安心できる。
 その分、親父の方は、あたしについての心配が増すだろうから、トータルの心配量は減らないとしても。
 寂しいのは、エディと遠く引き離されてしまったことだ。この二年間、あたしの最大の味方であり、励まし役だった。
『ジュン、お茶を淹れるよ。美味しいケーキがあるから』
『通信講座のレポート、わからない所があったら聞いて』
『今度の上陸休暇、このライブハウスに行ってみないかい』
 エディを知らなかった頃、自分がどうやって生きていたのか、不思議になるくらい。
 でも、一緒に誘拐されるよりましだと、自分を慰めた。
 何が起ころうと、自分の身一つの危険なら、耐えられる。最悪、自分一人が死ねばいいだけだ。
 エディが撃たれて死んだと思った時の後悔と絶望に比べたら、何でもない。
 バシムは親父を慰め、励ましてくれるだろうし、ジェイクたちも、親父を支えてくれる。彼らが無事なら、あたしは気楽なものだ。
 メリュジーヌという天下の魔女にも、会ってみたい気はすることだし。

 有り難いことに、ユージンは紳士的だった。
 惑星《タリス》であたしを捕虜にしたシドと違って、あたしを妙な目で見たり、キスしたがったり、べたべた触ってきたりすることはない。単に、痩せっぽちのガキは趣味ではない、というだけであっても、船内で安心して過ごせることは、大きなプラス要因だ。
「この件に、グリフィンは関わってないの?」
 と尋ねたら、
「わたしはそもそも、その人物に会ったこともないし、実在する人物かどうかも知らない」
 という答え。辺境の権力機構は、不透明なものらしい。ユージンは、メリュジーヌ以外の大幹部のことも、よく知らないままだと言う。ただ、彼女からの下命は何度も受けているので、彼女の態度を通して、推測できることが色々あるそうだ。
「おそらく最高幹部会は、きみを〝リリス〟に匹敵する、辺境のスターにしたいのだろう」
 ラウンジのソファ席で、ユージンが大真面目に言った時、あたしは危うく、苺のジュースを吹き出すところだった。
「何それ!!」
 悪党狩りのハンター〝リリス〟は、あたしの憧れだ。というより、連邦中の子供、若者の憧れだ。憧れが嵩じて軍や司法局に入った人も、たくさんいる。
 もう半世紀以上、最前線で違法組織と戦い続けている女戦士。
 〝リリス〟を主人公にした映画や小説のシリーズも、たくさんある。ファンクラブも数多い。

イラスト

 素顔はもちろん公開されていないけれど、出会った人たちの証言によれば、〝長身の精悍な美女〟と〝小柄で理知的な美女〟のペアだとか。それに、美青年のお供が付いている場合もあるらしい。
 あたしが特に憧れているのは、その長身の方。
 コード名はリリー。
 任務によって、色々な偽装を使い分ける。
 何でも、えらく豪快でかっこいい姐御らしい。戦闘用強化体だというし、不老処置を受けているらしいから、今もきっと、若くて美しいまま。
 このあたしが、その〝リリス〟に対抗するって?
 しかも、悪の側で?
「ありえない!! 絶対無理!!」
 と、じたばたしてしまう。
「そうか? 考えてみたらどうだ?」
 ユージンはどうも、表情を隠すサングラスの下で、面白がっている気配がある。
「その若さで、きみはなかなか度胸が据わっている。この調子で成長したら、辺境でも、かなりいい線を行くのではないかな」
 変な誉め方をされた気がする。
 あたしには市民社会より、無法の辺境の方が向いている、と言いたいのか。
「悪党の仲間になって、楽しくやれっていうの? それで、〝リリス〟を殺す策略を巡らすわけ? やだよ、そんなの!!」
 いつかどこかでもし会えたら、サインをもらって、握手してもらって、と夢見ていたのだから。『よく頑張っているね』とでも、温かい言葉をかけてもらえたら、一生それを宝物にできる。
「いいや、〝リリス〟を殺す必要はないんだ……彼女たちはこれからも、市民社会の英雄でいてくれればいい」
 ん、何か妙なことを聞いた気が。
「ただ、辺境にも、〝リリス〟に匹敵するスターがいた方が面白いだろう」
「面白いって問題なの、それ?」
 最高幹部会が、恐怖の象徴であるグリフィンの他に、新たなスターを求めるのなら、それはわかる。でも、あたしをその役に据えるなんて、まさかまさか。
「バランスの問題だ。中央から、ある程度、辺境に人が流れた方がいい。今は、市民社会と辺境の断絶が大きすぎる」
「それは、わかるけど」
 人口では、市民社会の方が圧倒的に大きい。
 といっても、辺境に何人暮らしているのか、本当のところは、誰にもわかっていないと思う。最高幹部会だって、きちんと把握しているのは、大組織と、その系列組織の人員だけだろう。
 市民社会から辺境へ出ていく者は、毎年、何十万人か。事故死を偽装する者もいるから、実際にはもっと多いかもしれない。それでも割合からすれば、ごく小さな数だ。不老処置を求めて、あるいは自由な研究がしたくて、無法の世界を目指す。でも、そこで生き残れる確率は、決して高くないと言われている。
「辺境には、辺境の役割があるんだ。中央では認められない先鋭的な実験を、誰かがしなくてはならない」
「生物兵器とか、超空間兵器とか?」
「兵器には限らないが。人間を進化させる実験は、あった方がいい。人類の進化が、ここで止まっていいはずがない。きみの母親のように、人間を超えた超人が誕生することもある」
 あたしはしばらく、返す言葉がまとまらなかった。
 早くに死んでしまった母の、最後の日々を思い返すと、今でもまだ苦しくなる。
 もっと何か、してあげられることはなかったのか。本当に、あんな死に方しかなかったのか。
 母の姉妹編とも言える生物兵器のアイリスに出会ったことで、少し癒された部分はあるけれど。
 もしかしたら、母の治療法を求めて、辺境に出るという選択肢もあったのかもしれない。あたしたち親子三人で。
 そうしたら今頃、あたしたちはどうなっていただろう? どこかの違法都市で、ひっそり暮らしていた? それとも、自分たちで違法組織を立ち上げていた?
「でも、ママは、普通の市民になりたがっていた……ママが欲しがったのは、普通の、平凡な生活だった」
 そのために、自分を創った組織に逆らい、はるばる逃亡してきて、親父と出会った。
 そして、自分を普通人に近づける手術を受け、愛する男性と結婚して家庭を作った。その無理な手術のために、短い人生を終えたのだ。自分は幸せだったと言い残して。
 本当に、そうだったのだろうか。
 あまりにも、短い幸福だった。
 でも、アイリスは言った。あたしが子供を作れば、ママの夢を受け継ぐことになると。
 それは、中央と辺境との融和。
 そんなこと、ほとんど不可能に思えるけれど。
 いや、もしかしたら……あたしはまさに今、そういう機会を差し出されているのだろうか?
 それとも、そんな風に思ったら、悪の帝国の思う壺なのか?
「それは、辺境に居場所がなかったからだろう。もし、無理な逆改造をせず、きみらが親子三人で穏やかに暮らせる場所が辺境にあったら、どうだった?」
 そう、ママは本当なら、何百年でも生きられたはず。市民社会がもっと寛容だったら、法律の制限がゆるかったら……辺境で治療を受けて、市民社会に戻るという方策もあっただろう。
「でも、実際には、辺境に、まともな人間が安心して暮らせる場所なんかない……」
「そうだ。だから現状では、自信過剰の馬鹿か、平気で人を殺せる悪党しか、辺境に出てこない。だが、もしも誰かが、まともな市民を受け入れる場所を、辺境に創ったら? そして、その場所を聖域として、守り通したら?」
 ユージンは、何を言いたいのか。
「そんな都合のいい〝誰か〟なんて、どこにいるの……ありえないよ」
 超人的な闘士である〝リリス〟でさえ、小悪党を退治して回るのが精々で、辺境の支配体制は変えられないというのに。
 あたしなら……もしも、あたしに何らかの力があれば……それを試せるかもしれないけれど。
 あたしは天才科学者でもないし、戦闘用強化体でもない。資産家でもないし、政治的センスがあるわけでもない。
 どうやって、そんな力を……権力を得られるというのだ。
「最高幹部会は、少なくともメリュジーヌは、きみがその〝誰か〟だと考えている。きみを起用することが、新たな実験なんだ」
 驚いた。
 危うく、ソファから転がり落ちるところだ。
 あたしが変革者になる。最高幹部会の後ろ盾を得て。
 この上ない提案に聞こえる。でも、うまくおだてられて、利用されるだけかもしれない。あたしなんて、ただの生意気な小娘にすぎないではないか。
「あたしが辺境で聖域を作って、まともな市民を集めるわけ!?」
 あえて不信の声で言ったのは、内心で湧き上がる思いを隠したかったからだ。ユージンは平然として言う。
「そう、きみがだ。きみが辺境を改革して、ましな世界にすればいい。そうすれば、辺境に出てくる人間が増える。市民社会との断絶が解消される」
 そうだ。機会さえ与えられれば、あたしには、色々な挑戦をする意欲がある。試みたことの全ては成功しなくても、何割かはうまくいくだろう。
 あたしは、自分自身のことなら信用できる。真面目だし、誠実だし、努力家だ。努力で可能になることなら、してみせる。
 でも、違法組織は信用できない。あたしを騙して使い捨てにするのが、関の山だ。
「そんなこと言って、集めた市民を、何かに利用するつもりでしょ。洗脳して手下にするとか、生体実験に使うとか」
「それなら、現在でもできている。わざわざ、きみを広告塔にするまでもない」
 ユージンは、教え諭すように言う。
「彼らがそんな目に遭わないで済むように、きみが彼らを守るんだ。そうすれば、辺境と中央の行き来が盛んになる。交流が増えれば、どちらの世界にとっても利益になる。不老処置を受けたい市民は、たくさんいるはずだ。それが法律で認められるようになれば、軍が市民の行き来を止める必要もない。違法都市は、ただの観光地になる。市民たちは自由に遊んで、好きな不老処置を受けて、また故郷に戻ればいい」
 あたしは、まじまじとユージンを見た。
 この男は、どこまで本気なのだろう?
 というか、黒幕のメリュジーヌは、ユージンにもこの話を信じさせているのだろうか?
 あたしは自分が、そこらの平凡な大人よりは、優秀だと知っている。それは、能力の差ではない。覚悟の差だ。ものを考えざるを得ない環境で育ったからだ。
 あたしよりもっと優秀な人間がたくさんいることは、わきまえている。中央にも、辺境にも。
 だから、油断したら、痛い目に遭うということもわかる。甘い考えを持ってはいけない。
「サングラスを外さない奴の言うことなんか、信用できないな」
 するとユージンは、子供のわがままを聞いた大人のように苦笑する。
「なるほど。それはそうだな」
 じゃあ、褐色のサングラスを取って顔を見せてくれるのかと思ったら、すいと立ち上がる。
「きみに信用されることは、わたしの任務に入っていないのでね。わたしはただの代理人で、メリュジーヌの提案を説明しているだけだ。失礼するよ」
 くそう。
 実は情けない垂れ目だから、見せたくない、とかじゃないだろうな。
 辺境では整形や脳移植は当たり前だから、みんな美男美女になっていて、逆に不細工やファニーフェイスが希少だとも言うけれど。男だったら、岩のようにいかつい顔の方が、印象が強くていいかもしれない。
 それにしても。
 本当に〝連合〟が、もしくはメリュジーヌが、あたしにそんな機会をくれるのだろうか?
 やってみたい。
 できるものなら。
 でも、そんな都合のいい話、あるわけがない。
 ああ、ジェイクたちがいたら、冷静な意見を聞かせてくれて、あたしの甘い考えを叱りつけてくれるだろうに。 

 航行中、カトリーヌ・ソレルスは、ほとんど自分の船室に引っ込んでいた。
 たまに通路やラウンジで出会っても、黙ってすれ違うだけ。向こうから、あたしに言葉をかけてくることはない。
 誘拐の報酬を受け取ったら、もうあたしには何の興味もないというわけ?
「ずいぶん身勝手だね」
 あたしはある時、通路ですれ違おうとした彼女に話しかけた。
「〝連合〟から、どんなご褒美をもらったのか知らないけど、人の運命を変えておいて、ごめんの一言もなければ、日常の挨拶もしないなんて、ずいぶんじゃない?」
 すると赤毛の美女は、冷たい視線であたしを見た。
「おはよう。こんにちは。お休みなさい。これでいいかしら?」
 かっとした。馬鹿にしている。あたしが子供だから!?
「あんた、あたしに喧嘩を売ってるの!! だったら買うよ!! 素手で喧嘩する分には、ユージンもすぐには止めないだろうからねっ!!」
 あたし自身のことは、まだいい。でも、親父やエディたち、みんなを心配させていることは困る。
 すると向こうは、冷然としたまま、あたしを見下ろして言う。
「ずいぶん強気ね。さすが、最高幹部会に見込まれる人は違うわ。たとえ、あなたがここでわたしを殺しても、ユージンは平気よ。止めやしないわ。わたしなんか、あなたの百万分の一も値打ちがないんだから。《アグライア》に着いた途端、誰かに売り飛ばされるかもしれない」
 え、えっ?
 なに、その言い方。
 まるで、傷ついて、すねているような。
 確かに、違法組織が約束の報酬を払うかどうか、疑いを持つのは当然だけれど。
「あたしがあなたを殺すって……しないよ、いくら何でも。あたしが殺すのは、正当防衛の時だけだから」
 すると、向こうは首をきっぱり横に振る。
「あなたはもうじき、〝連合〟の大組織の幹部になるのよ。気に入らない人間を殺すくらい、当たり前になるわ」
 冗談じゃない。
「あたしがそんな、そんな風になるわけないでしょ。あなたこそ、大金目当てに人を誘拐するなんて、公務員のくせに……そんなこと、公務員でなくたって犯罪だけど……」
「お金じゃないわ」
 え?
「じゃあ、不老処置……」
 けれど、彼女は強く首を振る。
「そんなことじゃない」
「じゃあ、何のためなのさ。説明してよ」
 やはり、妹の事件と関係があるのだろうか。
「言っても無駄よ。あなたなんかには、わからないわ。そんなに若くて可愛くて、愛してくれる男性がいて、どこでもちやほやされて。おまけに今度は、〝連合〟に抜擢されて」
 へっ!?
 何か、妙な評価をされている。美人度やグラマー度から言えば、明らかに、この人の方が上なのに。
 それに、愛してくれる男性って、誰のこと。
 そりゃ、親父には愛されてるけど、親子だから当然でしょ。この人にも、心配してくれる両親や祖父母はいるはず。
「あたしは、ちやほやなんか……」
「どこでも特別扱いされて、ファンクラブまであるじゃないの」
「それは、懸賞金リストに載ったからだよ。確かに、警備はされるけど……」
 各星の大学生を中心としたファンクラブがあるのは、本当だ。規模も数も、〝リリス〟のファンクラブには遠く及ばないけれど。
 ファンクラブとして公認してくれという申し込みが、何十件もあった。不公平にならないよう、全て断っている。その方がいいと、親父に言われたから。
 その通りだ。あたしがいい気になって、のこのこ『ファンの集い』なんかに出かけたら、警備してくれる人にも、罪のない大学生にも、迷惑をかけることになりかねない。
 それなのに、赤毛の美女は顔を歪めて言う。
「あなたなんかに、負け犬の気持ちはわからないわ。何もできないまま、歳だけとっていく女の気持ちなんて」
 何、それ。
 この人、三十過ぎの大人の女性じゃなかったの。
「あなたの人生なんだから、何でも、あなたの好きなようにすればいいだけじゃない。誘拐に手を貸したのも、あなたの選択でしょ。何がうまくいかなかったのか知らないけど、あたしに八つ当たりしないでくれる?」
 すると、緑の目に涙が盛り上がってきた。嘘でしょ。まるで、あたしが意地悪して泣かせたみたい。
「あなたも同じだわ。アンヌ・マリーと。強くて優秀だから、踏まれる者の痛みがわからないのよ」
 何だ、それは。
「つかぬことを伺いますけど、誘拐された被害者は、あたしじゃないんですかぁ?」
 それにしても、この人の口から初めて聞いたな。双子の妹の名前を。
 じゃあもしかして、妹に恋人を取られたという話、本当なのか。だからって、犯罪に走っていいことにはならないと思うけど。
「あたしだって、親父やエディが今頃、げっそりやつれているんじゃないか、これでも心を痛めてるよ!」
 それでも食欲はあるし、運動して、夜はぐっすり寝てるけど。
「いずれ連絡できるわ。あなたの地位が確定したら、何でもできるでしょう。あなたは辺境でも勝ち抜いていける、エリートよ。わたしは違うわ。ただの凡人。自分の子供が欲しいだけ。普通の幸せが欲しかっただけなのよ」
 子供?
 普通の幸せ?
 予期していなかったので、たじろいだ。まるで……あたしのママみたいなことを言う。
 でも、ママは無法の辺境で戦闘兵器として創られたから、普通の暮らしを得ようとしたら、中央の市民社会を目指すしかなかった。最初から中央にいて、家族にも友達にも囲まれている人が、なぜ、普通の幸せを求めて辺境に出るというの。
 とにかく、カトリーヌ・ソレルスは、逃げるように行ってしまった。
 何だろう、あれ。
 あんな泣き虫のひがみ虫で、よく誘拐なんてしたものだ。
 子供が欲しかったって? そんなもの、適当な男ににっこりすれば、簡単に手に入るだろうに。
(あっ、そうか)
 遅まきながら、気がついた。
 彼女はまだ、妹に奪われた男に未練があるのかも。
 すると、辺境に出ることにしたのは、その男に会うため? それとも、妹からその男を奪い返すつもり? でも、あの様子じゃ、妹には勝てそうにないな。
 あたしはユージンの船室に出向いて、彼に尋ねた。
「ねえねえ、カトリーヌ・ソレルスが要求した報酬って、何なの? あなたは知ってるんでしょ?」
 すると彼はしばし考え、逆に尋ねてきた。
「彼女の事情を知ったら、それで、きみの行動が変わるのか?」
「えっ?」
「単に好奇心で知りたいだけなのか、それとも、彼女に何か救いの手を差し伸べてやるつもりなのか?」
 救いの手? 被害者のあたしが?
「あたしが救う必要ないでしょ? 彼女は立派な大人なんだし、〝連合〟から報酬をもらって、好きな所に行けばいいんだから」
「そう思っているなら、詮索するな。きみには関係のないことだ」
 へえ、そうですか。
 親切かと思うと、突き放す奴だな。まあ、違法組織のボスに親切を求める方がおかしいんだけど。
 それにしても、あたしが彼女を守ってやるって? 情緒不安定の誘拐犯を?
 まさか、だ。
 あたしは自分と、自分の身内の心配だけで手一杯なのに。

イラスト

 艦隊は無事、違法都市《アグライア》に到着した。小惑星の内部に構築された、人口五十万の二級都市だ。
 もっとも、人間とバイオロイドの合計の十倍はアンドロイドがいるから、動く人影は五百万超あることになる。
 余裕のある設計だから、居住空間はほとんどが緑地だった。鹿や狼が棲む森林、野兎がいる草地、貝や魚が豊かな湖と、それらをつなぐ川。人工雲が漂う空には、鳥や蝶や蜻蛉が飛ぶ。
 多くの艦船が発着しているし、周辺には、必要な物資を生産する小惑星工場や小惑星農場が配置されている。強力な防衛艦隊も巡回している。
「ポテンシャルとしては、人口が十倍に増えても問題はない」
 とユージンが言う。
「なら、あたしがここに人を集めることも可能ってわけだ」
 あたしがそう言ったのは、あくまで皮肉である。この時点ではまだ、そんな未来が実現するとは思っていない。
 あたしは護衛車を伴った武装トレーラーで、1G居住区にある市街へ運ばれた。
 緑の丘陵地帯が広がる中に、幾つかの繁華街が、白亜の島のように浮かんでいる。孤立した要塞のような建物も、緑の中に点在している。それらをつなぐ道路が、細いリボンのように緑地を縫う。
 大きな組織ほど、繁華街から離れた、孤立型の拠点を持つことが多いとか。
「実際には、そういう建物の中に、どれだけの人員がいるのか、外からはわからない。市民社会と違って、市民登録や上陸手続きなんてものはないからな。だから、都市全体の人口というのも、推定値にすぎない」
 とユージンが言う。
 あたしはよく知らなかったけれど、辺境の人口の大半は、大組織の所有星系にある大型拠点で暮らしているという。
「地球型惑星の場合もあれば、小惑星都市の場合もある」
 部外者は立ち入ることができないから、そういう拠点に何千万人もいるのか、それとも数千人しかいないのか、誰にもわからない。
「辺境の全貌を把握している者がいるとすれば、最高幹部会のメンバーくらいのものだろう」
 とにかく、こういう違法都市の人口は、辺境全体の人口の、ごく一部にすぎないそうだ。
「それでも、金は落ちる。人間の出入りが多いからな。組織間の交易や交流の場として、必要なんだ。流行も、こういう都市から始まることが多い」
 まず、都市の顔であるセンタービルに案内された。一番大きな繁華街の中央にある、岩山のように巨大なビルだ。
 都市の管理・運営の拠点であり、警備部隊の基地でもある。このビル一つで、まとまった都市機能を持っているという。
 車列は一般人の入れないVIP専用の駐車場に入り、灰色の皮膚をしたアンドロイド警備兵の部隊に出迎えられた。ちゃんと《キュクロプス》の一つ目巨人の紋章が付いた制服だ。
「本物の六大組織なんだ」
 と感心したら、ユージンに呆れられた。
「わたしがわざわざ、嘘の説明をしたとでも思っていたのか」
「だって、違法組織の言うことなんか、何も信用できないもん」
 すると彼は、呆れたように肩をすくめる。
「どこまで信用してどこから疑うか、自分で判断できるようになりたまえ」
 そんなの、すぐにできるわけないでしょ。あたしは《エオス》にいれば、まだ、ジェイクやルークに頭をぐりぐりやられる子供なんだから。
 とはいえ、子供だからといって、手加減してくれる敵ではない。しっかり頭を働かせておかないと。
 出迎えの兵たちに囲まれ、特別階へ通じる専用エレベーターに案内されたけれど、ふと気がついて振り向いたら、カトリーヌ・ソレルスは、ここまで乗ってきたトレーラー内に取り残されていた。
 車の扉が開いたままなので、ぽつねんとシートに座って、こちらを見送っている姿が見える。
 《クーガ》の制服を着た護衛のアンドロイド兵が付いているけれど、何だか、監視されている囚人のようにも思えた。彼女は相変わらず、暗い顔のままでいるし。
 大体、美人なのに、服が地味だよ。
 もう管制局の制服を着る必要はないんだから、赤でも白でも着ればいいのに、いつも紺とかベージュとか深緑じゃない。赤毛の人に、赤やピンクの服は、難しいのかもしれないけど。
「彼女はどうするの?」
 あたしがエレベーターの前で尋ねると、ユージンは冷淡に言う。
「きみが心配する必要はない。彼女は報酬を受け取ったら、勝手にどこかへ消える」
 勝手に、ってねえ。
 あの様子では、ユージンの保護下から放り出されたら、すぐさま禿鷹の餌食になりそう。
 迷ったのは一瞬で、あたしは動いた。大抵、まず動いてしまうのだ。そして、後から後悔する。でも、その後悔は、行動しなかった時より小さいのではないか。
「ちょっと待ってて」
 あたしはすたすた歩いて車に戻り(出迎えの兵たちはあたしを止めず、あたしの動きに合わせて配置をずらしただけ)、車内の女に声をかけた。
「カティさん、あなた、報酬を受け取った後、行くあてはあるの?」
 すると彼女は驚いたようで、しばらく呆然としてから、力なく首を横に振る。頼りないこと、おびただしい。
「じゃあ、あたしと一緒に来ればいい」
 そんなこと、つい一分前まで、考えていなかったけど。
「わたしが、どうして……」
 カティさんは狼狽を見せた。あまりにも無防備だ。あたしの目の届く範囲内に置いておかないと、どうなるか、はなはだ心もとない。一緒にいたって、守ってあげられるとは限らないけれど。
 まあ、毒を食らわば皿まで、というところ。
「あなたを、秘書として雇うことにする」
 と一方的に宣言した。
「ユージンの話を聞く限り、あたしはどうやら、ここで歓迎されるらしいから、秘書くらい自分で選んでも、許されるでしょ」
「秘書?」
 カトリーヌ・ソレルスは、宝石のような緑の目をしばたいて言う。
「わたしが、あなたの秘書に?」
 試験船で最初にあたしを出迎えた時は、きりっとした大人の女性に見えたのに、半月あまりの航行のうち、どんどん元気がなくなって、今では半病人のよう。
 誘拐に手を貸したことを後悔しているのか、ようやく辺境の恐ろしさがわかってきたのか、どちらにしても、保護者が必要だ。
「あなたがこれから辺境で出会う、どこの誰より、あたしの方がましだと思うけどな。違う? あたしと来れば、少なくとも、あたしが相談相手になるよ。あたしが〝連合〟に殺されることになったら、その時は仕方ないから、自分で何とかしてもらうしかないけど」
 カトリーヌ・ソレルスは、信じられない事象に出くわした顔で、よろりと座席から立つ。
「わたし、あなたと一緒に行っていいの?」
 それで、彼女がどれほど心細い思いをしていたか、苦しんでいたか、わかってしまった。したたかな悪女なら放っておけたのに、『つい心が弱って』悪の組織の誘いに負けてしまった人なら、仕方ない。
「うん、おいで」
 あたしが手を差し出すと、赤毛の女性は再びためらい、泣きそうな顔になった。
「あなた、わたしを恨んでいるでしょう? こんな辺境まで連れてこられて」
 別に恨みはないな、と自分でわかった。
 だって、それほどの相手じゃないもの。
 言ってしまえば、敵に利用された道具。
 あたしが怒る相手がいるとしたら、最高幹部会だろう。ユージンですら、彼らの駒にすぎない。
「あなたがユージンの誘いに乗らなければ、他の誰かが手先にされていただけだよ。あなたのことは、別に怒っても恨んでもいないから、あたしと来た方がいい。あたしのできる範囲でだけど、守ってあげる」
 すると赤毛の美女は、顔をそむけながら泣き笑いになった。しばらくしゃくりあげてから、ようやく振り向き、涙をぬぐって言う。
「ありがとう。ごめんなさい……迷惑をかけて」
「どういたしまして」
 まあ、戦いに慣れていない一般人は、こんなものだろう。
 そうすると、この人の妹のアンヌ・マリーというのは、珍しい豪傑だったのかな。今は、どこでどうしているのだろう。
「それなら、喜んで、秘書役を務めさせてもらいます」
「じゃあ、あたしのことはジュンて呼んで」
「わたしは、カティと」
 改めて双方から手を差し出し、握手した。うん、これはきっといい判断だぞ。
 そうしてカティさんを連れ、エレベーター前で待っていたユージンの元へ戻ると、彼はわかっていたような態度で、階上を指した。
「メリュジーヌに会ったら、自分で言え。最初の部下を決めたとな」

イラスト

 かなり上層でエレーベーターを降りた時、一瞬、センタービルの屋上庭園かと思ってしまった。小鳥の声がして、そよ風が背の高い竹林を揺らす、緑の空間だったから。
 でもすぐに、数階分の高さを持つ屋内庭園だとわかった。周囲は、太い柱と透明な窓で囲まれている。窓の一部から、風を入れているようだ。繁華街の他の建物が、かなり下に見下ろせた。違法都市では、センタービルより背の高い建物はない。権力のありかを、わかりやすく示しているわけだ。
「お待ちしておりました、ジュンさま、ユージンさま」
 黒髪を結った秘書風の美女が待っていて、きちんと一礼した。
 黄色系の皮膚に、切れ長の黒い目をして、真珠のイヤリングに紺のスーツという、堅い格好。どちらかというと寂しげな顔立ちだけど、長い前髪をカールさせて顔の脇に垂らしているから、上品な美女という印象に仕上がっている。
「わたくし、メリッサと申します。ジュンさまのお世話に付きますので、どうぞよろしく」
 つまり、監視役か。
「そう、よろしく、メリッサ。こちらは、あたしの秘書のカトリーヌ・ソレルス。仲良く頼むね」
 と答えたら、彼女はなぜか、ひどく驚いたような顔をする。なぜ。
「あたしが何かした?」
「いえ……とんでもない。どうぞ、こちらへ」
 彼女はあたしたちを、白い玉砂利の小道の奥にある、和風の四阿に案内した。周囲には、赤やピンクや白の牡丹の花が咲きこぼれている。
 紺の制服に白いエプロンを重ねたアンドロイド侍女が、お茶の支度をして待っていた。一人分ずつ、大きな陶器のお椀で、抹茶を立ててくれる。
 あたしも抹茶は好きだけれど(エディがよく、抹茶ミルクを作ってくれる。抹茶アイスも大好き)、お茶だけでは満ち足りない。幸いなことに、美味しそうな和菓子が、塗りの盆にたくさん盛ってある。
「これ、食べていい?」
 とメリッサに尋ねたら、
「はあ。もちろんですけど」
 と奇妙な顔をされた。
「食べさせるつもりでないなら、飾ってあるだけなの? それとも、毒入り?」
「いえ、そんなことは……」
 黒髪の美女は困ったように、ユージンに救いを求める視線を投げた。ユージンはいつものサングラスの下で、かすかに笑ったようである。
「このお嬢さんは、誘拐されたくらいで、食欲が落ちたりしないんだ」
 だって、いつ何時、事態が急変するかわからないんだから、食べられる時に食べておくのは、当然でしょ。まさか、この場で毒殺もないだろうし。
「はい、わかりました」
 メリッサは納得したように苦笑し、あたしの取り皿に、お菓子をたくさん取ってくれた。
「どうぞ、ジュンさま」
 年上の人から〝さま〟付きで呼ばれると落ち着かないが、仕方ない。
「カティさんも食べなよ。下手したら、人生最後のお菓子かもしれないよ」
 と言ったら、緊張していたカティさんも、少し笑顔になった。
「それじゃ、わたしも一つ」
 そうそう、その調子。
 あたしが美しいお菓子を二つ三つ食べ終えた頃、アンドロイド兵を連れた美女がやってきた。
 とにかく、白い。
 マーメイドラインの白いドレス、白い肌、薔薇色の唇、ふわふわのプラチナブロンド。耳には、シャンデリアのようなプラチナ細工のイヤリング。
 まるで、砂糖菓子のような美女だ。中身は毒入りだとしても。
「メリュジーヌさま、ミス・ヤザキをお連れしました」
 とユージンが席から立って、神妙に頭を下げる。あたしもつられて、席を立ってしまった。というか、テーブル周りの全員が立ったのだけれど。
「ご苦労さま、ユージン。ようこそ、ミス・ヤザキ。わたしがメリュジーヌです」
 潤んだような灰色の眼をして、しっとりした甘い声で話す。あたしのがさつな発声とは、天と地の差だ。
「最高幹部会の中で話し合いがあって、わたしが、あなたに対する優先交渉権を得たのよ。ぜひ、うちの組織の力になってほしいわ」
 美女はにこやかに言い、あたしに白い手を差し出した。爪と唇が、同じ系統の薔薇色に塗られている。きっと足の爪まで、完璧に手入れされているのだろう。身支度専門の侍女が、何人もいるに違いない。
「よろしく、と言うべきかどうか、わからないな」
 あたしは警戒を隠さず言った。握手に応じるつもりもない。だって、こいつらは長年、親父の首に懸賞金をかけてきた敵ではないか。
「ユージン、ちゃんと説明したんでしょうね」
 美女は差し出した手を下ろし、サングラス男に問う。
「もちろんです。《キュクロプス》の幹部待遇で迎えるから、この《アグライア》を拠点に、辺境の改革に乗り出せばいい、とね。ですが、なかなか信用してもらえなくて」
 当たり前だ。
 こいつらが本気で、そんなことを望んでいるとは思えない。だって、それなら、自分たちで改革すればいいのだから。
 メリュジーヌは、あたしに向き直った。風が動いて、甘い香水の香りを運んでくる。思わず、くらりとするような香り。たぶん、男なら幻惑されるのだろうな。あたしは百年生きても、こんな風にはなれないだろう。
「信じなくていいから、聞いてちょうだい。辺境は、このままでは行き詰まるわ。新しい人材が足りないからよ」
 ほう?
「不老不死目当てで辺境に出てくる者たちは、志が低いことが多いの。自分の欲得しか頭にないのでは、大きなことはできないわ。だから、わたしたちは、あなたを選んだのよ。若くて清新で、理想的な人材だわ。あなたに、この都市の改革をしてもらいたいの」
「この《アグライア》の?」
「そうよ。あなたなら、できるわ。英雄の娘として、既に名前が知られていて、あなた個人の信用も築かれている。あなた自身、戦う意志も、改革する意志も持っているでしょう? この都市で改革が成功すれば、それは他都市へも波及するはずよ。姉妹都市を建設することも、いずれはできるでしょう」
 意欲は、否定できない。大組織の幹部の座というのにも、正直、惹かれている。
 権力が全てではないが、権力は大事だ。それがあれば、何をするにも格段に楽だろう。
 ただ、おだてに乗るのは怖い。どんな落とし穴が待ち構えているか、あたしの単純な頭では、想像がつかない。
 メリュジーヌは、カティさんの方を向いた。
「ミス・ソレルス、あなたはどう思って?」
 すると、カティさんは真剣に答えた。
「ジュンならきっと、この世界でやっていけるでしょう。わたしもできる限り、協力します」
 そんな、ちょっとの間に、ずいぶん前向きになってしまって。暗く思い詰めているより、ずっといいけど。
 メリュジーヌはにっこりした。
「あなたもめでたく、彼女の保護下に入ったようだしね」
 そして、あたしに向き直る。もしかして、カティさんをどう扱うかも、あたしを判断する材料になっていたのかな。
「これからそうやって、部下を増やしていけばいいのよ。あなたが《キュクロプス》に入ってくれたら、ヤザキ船長を懸賞金リストから外すわ。その条件で、何か不服?」
 うう。
 よくも、人の弱みを。
「不服は、ない」
 もう、やけくそである。どのみち、退路はない。
 メリュジーヌは微笑んだ。
「よかったわ。実はもう、公式発表の準備は整っているの」
「え。何、それ」
「あなたが自分の顔をさらして、世界に宣言するのよ。こういう条件で、最高幹部会に勧誘されたと。そうすれば、世界が証人よ。もし、その約束を違えたら、こちらのマイナスになるわ」
 驚きだ。違法組織は、秘密主義ではなかったのか。
「そんなこと、宣言していいの?」
「隠しておく必要はないし、そうすれば、あなたにも覚悟ができるでしょ。一時間後に、全世界に流すわ」
 もう、そこまで。
 市民社会のビジネスなんかより、ずっと迅速だ。あたしも、うかうかしていられない。
「着替えとメイクの手配はしてあるから、メリッサが案内するわ。スピーチ原稿もできているけど、手を加えたいならご自由に。後でわたしがチェックします。あなたが、この都市の総督に就任する挨拶よ。威厳を持って、簡潔にね」
 え、いま何て。
「あたしが、何に就任するって?」
 メリュジーヌは、悪戯を企むように唇を突き出した。
「そ・う・と・く。ジュン・ヤザキが、この《アグライア》の総督になることを、世界に知らせるのよ」
 そういう役職、歴史の時間では習ったけれど、今の市民社会にはない。各星系に、惑星議会と行政府があるだけ。植民惑星を代表するのは、惑星首都の市長や議長だ。その上に、連邦最高議会がある。
「総督って、つまり……」
「この都市の最高責任者よ。これからはあなたが、この都市の経営に全責任を負うの」
 ちょっと川に足を入れたら、どかんと洪水が来て、一気に海まで押し流されたみたい。
「前例に囚われず、好きに運営するといいわ。この都市が人を集めて繁栄している限り、最高幹部会は、繁栄の中身に文句を言いません。あなたの好きな法律を作っていいのよ。というより、あなた自身が法律ね。その法律が気に入らない者は、この都市から出ていけばいいのだから」

7 エディ

「おい、大変だ!! 起きろ!!」
 エイジに叩き起こされた時は、まだ明け方だった。彼は既に起きて稽古していたらしく、いつものトレーニングウェアを着ている。
「えっ、何か、ジュンのことで」
 ぼくの問いかけに返事もせず、エイジはすぐさま、ルークやジェイクたちを起こしに行ってしまった。いつも冷静なエイジが、あれほど慌てているとは。
 顔だけ洗って服を着て、みんなが談話室として使っている部屋に向かった。やはり叩き起こされた先輩たちが、ぞろぞろ集まってくる。
「何だよ、自分が早起きだからって」
「説明くらいしてもいいだろ」
 植民惑星《ルシタニア》。
 惑星連邦軍の広大な地上基地の一隅にある、古い建物である。将校用の研修施設だったらしいが、親父さん以下、《エオス》のクルーは全員、この建物に軟禁されていた。
 欲しいものは何でも注文できるし、あたりをジョギングすることも、将校クラブを利用することも、行き交う軍人たちとしゃべることもできるが、この基地の敷地から出ることは許されない。ぼくらがジュンを追って、辺境に出ていくことを防ぐためだ。
 そんなこと、ぼくらの勝手だろうに。
 親父さんはともかく、ぼくなんか、たとえ辺境で死ぬことになっても、市民社会の損失とはいえないだろう。
「何かわかったのか」
 と部屋着姿の親父さんが、エイジに尋ねる。
「今、ニュースで流れました。再生しますから、見て下さい。俺が口で説明するより、その方がいい」
 辺境の超空間ネットワークで大々的に流されたニュースを、中央の放送局や専門家がキャッチして、軍や司法局に止められる前にと、急いで流したものらしい。
 辺境を支配する六大組織の一つ《キュクロプス》のマークが出て、組織としての公式発表だと説明された後、画面にジュンが現れた。
 なぜか、肩を広く開けた真っ赤なドレススーツ姿で、背後には、盛大に白い百合が飾られている。まるで、女優か政治家の記者会見のように。
(生きてる!! 本物だ!!)
 まずは、どっと安堵が押し寄せた。誘拐されて以来、半月ぶりにジュンを見たことになる。
 いささか緊張しているようだが、ジュンは元気そうだ。それにしても、耳には金とルビーのイヤリング、首には豪華な金のネックレスをきらめかせているのは、なぜだ。
 とても似合うし、素敵だけれど、ジュンが自分から希望して、こんな格好をするとは思えない。これまでは、見合いの時だって、白いブラウスに紺のスーツだったのだから。
「全世界のみなさんに発表します。わたし、ジュン・ヤザキは、この度、《キュクロプス》と契約しました。この組織の新しい幹部として、違法都市《アグライア》の総督を務めます」
 ええ!?
 契約!?
 総督って何だ!?
 つまり、違法都市の経営責任者か!?
「わたしは誘拐されてここまで来ましたが、《キュクロプス》は、わたしに都市の経営権を認めると約束しました。ですから、本日ただいまから、わたしの意志で、この都市を経営することにします」
 ジュンの意志だって!?
「これから、この《アグライア》を辺境で一番安全な都市にしますから、連邦市民の皆さんも、どうぞ遊びに来て下さい。要望があれば、中央の外れまで迎えの船を差し向けます。そして、気に入ったら、ここで暮らして下さい。これまでの違法都市とは違う、安全で暮らしやすい都市にすることを約束します」
 安全な違法都市だって!?
 それって、自己矛盾してないか!?
 おまけに、一般市民を迎えるなんて。惑星連邦の存在意義に、真っ向から挑戦するようなものだ。軍も司法局も最高議会も、ハチの巣をつついた騒ぎになるだろう。
 だが、ジュンだって、そんなことは、よくわきまえているはずだ。誘拐された結果とはいえ、もう、そこまで覚悟を決めてしまったということなのか。
 用意された原稿を、ただ棒読みしているのとは違う。ちゃんと、ジュン自身の言葉になっている。どこまでが台本で、どこから逸脱なのか、判然としないくらいに。
「ここではもう、バイオロイドを使い捨てにすることは認めません。保護を必要とする人は、わたしが守ります。いかがわしい店も、取り締まります。女性が安心して暮らせる街にします」
 それではもう、違法都市ではない。普通の都市ではないか。
 ほとんど、政治家の演説のようでもある。これが放送されたということは、中身について、最高幹部会は承認しているのだ。
「それから……」
 ジュンはこほんと咳払いし、口調を変えて言った。
「ここから先は個人的な話ですが、せっかくの機会なので、《エオス》のみんなに伝えます」
 ぼくらは身を乗り出した。ジュンは少し、照れたような様子になる。
「心配かけて、ごめんなさい。こういうことになりました。もう市民社会には帰れそうにないけれど、あたしのことは心配しないで下さい。ここで、やれるだけのことをやってみます」
 隠せない不安は浮かんでいるが、逃げるつもりがないのもわかる。
 ジュンは本気だ。
 本気で言っている。
「最高幹部会は、あたしが〝連合〟に加われば、ヤザキ船長の名前を懸賞金リストから外すと約束しました」
 あ。
 それで。
「あたしが総督として、改革を試みることも認めると約束しました。だから、誘拐されてここまで来たことは確かだけれど、せっかく与えられた貴重な機会、生かさなくてはと思うことにしました」
 最高幹部会は、ジュンの最大の弱点を突いたのだ。父親を愛しているという弱点を。
 親父さんの安全が約束されるなら、ジュンは取引を承知するだろう。自分の身がどうなろうとも。
「この辺境を少しでも変えられるかどうか、自分にできる限りのことをするつもりです。市民社会でお世話になった皆さん、今日まで、ありがとう。これからも、父をよろしく。以上です」
 しばらく、何も言えなかった。
 そんな、永遠の別れみたいなことを。
 その発表の後に、中央の放送局からの補足説明が流れた。違法組織に囚われたジュン・ヤザキは、父親の安全保障と引き替えに、違法組織の一員となることを承諾した様子だと。
 それに加えて、学者や評論家が呼ばれ、あれこれ考えを述べている。軍や司法局は、まだ事実関係の確認中だとして、正式のコメントを発表していない。最高議会では、司法委員会が臨時招集をかける模様だとか。
「冗談じゃない!!」
 ようやく、声が出た。
「ジュンがこのまま辺境に埋もれるなんて、あるわけない!! 絶対、取り戻しますよ!! そうでしょう!? 居場所はわかったんだから、取り返せます!!」
 しかし、先輩たちは、それぞれに考え込んでいる。誰からもまだ、冗談は出ない。
「もしかしたら、我々が考えていたより、最高幹部会は進んでいるのかもしれない」
 と言ったのはバシムだ。
「進んでいる?」
「ジュンに目を付け、新しいスターとして抜擢したんだ。たいした見識だ」
 抜擢だって。誘拐して、脅迫することが!?
「感心してる場合じゃないですよ!! 奴らが本気で改革なんて、させるわけがない!! 何か企みがあるのに決まってる!!」
 しかし、ルークも言う。
「そもそも、ジュンを懸賞金リストに載せたこと自体、このための伏線だったんだな。もしかすると、彼らは何年も前から、ずっとジュンに注目していたのかもしれない」
 いずれ、自分たちの側に引き込むために?
 エイジも同意する顔で言う。
「これまでの事件の数々、ジュンは見事に乗り切ってきたからな。最初は、親父さんの娘だからと注目された面もあるが、軍でも司法局でも、わかる者にはわかっていた。あいつが大物だってことは」
 じんわりと、恐怖が染みてきた。このままではジュンが、手の届かない彼方に去ってしまう。
「それじゃ、最高幹部会は、本気でジュンを〝連合〟に引き入れたっていうんですか。何かの罠とか、作戦じゃなくて?」
 すると、バシムが重々しく言う。
「こうやって全世界に声明を流したんだから、この取引は、おそらく本物だろう。世界が注目しているんだから、最高幹部会だって、そう簡単には、ジュンを切り捨てられない」
 それは、ジュンの安全だけ考えたら、いいことなのかもしれないが。
「つまり、翔・ダグラス・矢崎は、もはやどうでもいい、ということだ。彼らはジュンが、違法組織の側の看板になることを狙っている。ちょうど、〝リリス〟が司法局の看板になっているようなものだ」
 ぼくは立っていられず、近くの椅子に崩れ落ちてしまう。今まで身近にいたジュンが、手の届かない、遠い星になってしまったようなものだ。
 いや、だが、最初から、わかっていたことではないか。ジュンが将来、市民社会の柱になる大物だということは。
 それを、悪の帝国までが認めたということだ。そして、素早く自分たちの側に取り込んだ。
 彼らは正しい。ジュンなら、やってのけるだろう。違法都市の総督だろうと、違法組織の幹部だろうと。そして、その中で、自分の理想を実現しようとする。
 だが、それなら、ぼくは。
 他に選択肢などない。ぼくも、ジュンの元へ行くのだ。そして、ジュンの手助けをする。ぼくが生きる意味は、他にないではないか。
「親父さん……」
 ぼくが黒髪のダンディを振り向くと、苦い顔で言われた。
「だめだ」
 そんな、まだ、何も言ってないのに。
「ジュンを追って《アグライア》に行くと言うんだろうが、それはさせられん。二度と帰ってこられなくなる。きみには、家族も故郷もあるのだから」
 違う。そんなしがらみは、もうない。
 リナ・クレール艦長と同僚たち、パトロール艦《トリスタン》が吹き飛んだ時、ぼくもいったん死んだ。灰色の、黄泉の世界をさまよった。そして、ジュンに出会ったことで、生まれ変わった。
 魂の地獄を歩いたからこそ、生きる覚悟が定まったのだ。今はただ、この出会いを無駄にしないことを考えている。
「ジュンのいる所が、ぼくの居場所です。どこへ帰る必要もありません。何とかして《アグライア》に行きます」
 冷静に横槍を入れたのは、バシムだ。
「別に止めないが、それを連邦政府が認めてくれるかどうかだ。我々は当面、ここに軟禁されたままだろうし」
 ルークとエイジは、ぼそぼそ相談し合っている。
「司法局に様子を聞いてみよう。お偉いさんたち、今頃、緊急会議を招集してるぞ」
「同級生に当たってみるよ。一般市民がどう思ってるか、声を集めてみる」
 ぼくは気がついた。ジェイクがずっと、片隅で黙りこくったままだ。腕を組んで、顔を曇らせて。《エオス》の副長として、何か冷静な意見を言いそうなものなのに。

8 ジュン

イラスト

 あたしはセンタービル内の、特別階の客室にいた。部外者は立ち入りできない、警備厳重な上層階の一角である。
 書斎と居間と食堂と寝室が揃った、豪華な続き部屋だ。あちこちに新鮮な花が飾られ、制服を着たアンドロイド侍女が何体も控えていた。その食堂の大テーブルに料理を並べて、夕食にかかっているところ。
 ユージンとカティさんも同席していた。あたしの第二秘書になった黒髪の美女、メリッサもいる。本当は第一秘書の予定だったのだけれど、あたしが先に、カティさんを秘書に採用してしまったから、
『わたくしは、第二で結構です』
 ということになったわけ。
 もちろん、カティさんは違法組織の内部事情なんか何も知らないから、実質、メリュジーヌにあたしの補佐を命じられたメリッサが、首席秘書ということになる。
 つまり、あたしの監視役。もしかしたら、あたしを抹殺する役も務めるかもしれない。
 ユージンは自分の組織を運営する傍ら、あたしの相談役を務めてくれるそうだ。
 まったく、あれよあれよという間に、大変なことになってしまって。
 あたしは撮影用の真っ赤なドレススーツを脱ぎ、慣れない宝石類を外し、もっと落ち着く、白シャツとオリーブ色のスパッツに着替えていた。
 これからは、人前に出る時はばっちり着飾れと、メリュジーヌに言われている。あたしは都市の広告塔になるのだから、
『ほら、ジュン・ヤザキだぜ』
 と、すぐにわかる格好でいなければならないというのだ。
『素材がいいから、飾り甲斐があります』
 とメリッサは喜んでいる。
 メリュジーヌ自身、いつも華麗なドレス姿でいるのは、『職務の一つ』なのだそうだ。
『女の場合、見た目の華麗さで相手を圧倒するのも、勝負のうちなのよ』
 と言われた。あたしの場合、下手に着飾ると、ピエロになってしまう気がするんですけど。
 というより、それ以前に、中身が問題でしょう。
 人に畏怖されるような中身を持っていなければ、ただのお飾りで終わってしまう。
「明日から早速、勉強しなきゃ。都市経営って、何をすればいいのか、わからないもん」
 生ハムとハーブとラディッシュのサラダを食べながら、思いつくままにしゃべった。輸送船の業務なら、一通りわかるんだけど。
「まずは、現場の視察かな。メリッサ、手配してよね。ここに拠点を置いてる組織のことも、調べなきゃ。何かリストがあるんでしょ?」
 するとユージンは、第三者の冷淡さで言う。
「焦る必要はない。誰が総督になろうと、各部署は、いつも通りの日常業務を続けている。きみが焦ってあれこれ命じると、現場が混乱するだけだ。まずは三か月、勉強期間のつもりでいればいい」
 うーん、そんな悠長な態度でいいのかな。
 だって、こうしている今も、繁華街のビルでは、バイオロイドの女たちが娼婦として働かされているはず。
 もし、総督の権限でそういう商売をやめさせられるなら、一日でも早い方がいい。
 けれどユージンは、あたしを暴走させないために、傍にいるらしい。ビーフステーキの皿を前に、パンをちぎりながら、淡々と言う。
「辺境はもう何百年も、何でもありの無法地帯として続いてきたんだ。きみが青臭い理想主義で何とかしようとしても、巨大な慣性を持つ流れは、すぐには変えられない。焦ると、きみが潮流に流されて、消滅してしまうぞ。まずはどっしり構えて、岩になれ」
 そんなこと言われても。人の上に立つなんて、どうしていいかわからなくて、落ち着かない。
 ああもう、《エオス》が恋しい。
 あそこではジェイクやルークやエイジが、あたしを子供扱いしてくれた。何をするべきか、何をしたらいけないか、指図してくれた。まずいことをしたら、頭をごつんとやって叱ってくれた。
 それって、何て有り難いことだったんだろう。
 それにまた、親父やバシムが背景で、どっしり構えていてくれたから、あたしは好きに跳ね回ったり、文句をつけたり、愚痴を言ったりすることができた。
 まだまだ、そうして甘えていられると思っていたのに。まさか、いきなり、こんな地位に据えられてしまうなんて。
(エディ、助けて)
(ジェイク、傍に来て)
(バシム、どうしたらいいの)
 と、つい思ってしまう自分を、自分で叱りつける。
(とんでもないよ。みんなを、違法都市に呼ぼうなんて)
 みんなは親父の側にいて、《エオス》を飛ばすのが仕事。親父が賞金首でなくなっても、辺境航路では何が起こるか。
 悩みながらも、出された料理は平らげた。一流のシェフがいるのだろう、前菜からデザートまで、たっぷり堪能できた。いずれは、エディの手料理が恋しくなるだろうけれど。
 デミタスのコーヒーを味わいながら、メリッサの説明に耳を傾ける。
「毎朝、わたくしがお迎えに上がります。ジュンさまは朝食の間に、一日の予定を確認なさって下さい。わからないことは何でも、わたくしにお尋ねを」
 カティさんも、メリッサからあれこれ学べるだろう。
「明日は、デザイナーとスタイリストを呼んであります。午前中、衣装のお仕立てをなさって下さい。基本的な衣類は揃えてありますが、人前に出る時のドレスやスーツ類については、ジュンさまも、ご自分のお好みをおっしゃって下さいな。午後の予定は、昼食時に決めて下さればよいでしょう」
 とりあえず、今夜のところは、ぐっすり眠るとするか。心配はまた明日、起きてからにしよう。

イラスト

 ところが、みんなと別れて寝室で横になっても、なかなか眠れなかった。
 あたしはたくましい性格だと、自分で思っていたけれど、さすがに、神経が張り詰めているらしい。
 だって、五十万が住む都市の最高責任者。
 おまけに、あたしが決めたことが、そのまま法になる。それが適切な法でなければ、みんな、この都市を見捨てて出ていく。改革どころではない。あたしは総督失格になり、最高幹部会に処分されてしまう。
 あたしの人生、あとどのくらい残っているの? 半年? 一年?
 暗い寝室に一人でいると、どんどん考えが暗くなっていく。
 もう二度と、親父にも、みんなにも会えないんだ。親父があたしを取り戻したくても、何もできない。軍と司法局が親父を囲い込んで、しばらくは、どこへも出さないはずだ。エディもジェイクも、ルークもエイジも、あたしを助けてはくれない。
 あたし一人で、何ができるの。ユージンだって、メリッサだって、上に命じられてやむなく、あたしに付き添っているだけだ。カティさんは、あたし以上に頼りない身の上だし。
 だめだ。眠れない。
 あたしはベッドから起き出し、薄手の部屋着の上に、丈の長いカーディガンをひっかけた。居間や書斎にいてもつまらないので、通路に出てみる。
 外にはアンドロイド兵士が二体、門番のように立っていて、あたしに敬礼した。あたしを部屋に押し戻そうとはしない。
「ちょっと、散歩するよ」
 と言ってみた。すると、
「どうぞ。お供します」
 という返事。特別階の中なら、一人で歩いても危険はないと、メリッサに言われているんだけど。兵たちは、黙って後ろから付いてくる。まあ、気にしなければいいのだろう。
 高い天井を持つ通路は、古城のように荘厳で、しんとしていた。あちこちに手頃なラウンジがあり、花や彫刻が飾ってある。
 カティさんの部屋も、ユージンの部屋も近くにあった。護衛兵が、そう教えてくれたのだ。その他にも、無人の部屋が幾つもある。
 噴水と女神像のあるエレベーターホールに出て、ビル全体の案内図を見てみた。地階は駐車場や倉庫。下層階には誰でも利用できるカフェテラス、レストラン、会議場。警備兵の詰所や事務エリアなどもある。
 モニターで見てみたら、夜中近い時刻でも、ビル内にはかなりの利用客がいた。駐車場から上がってくる人。食事に向かう人。会合を終えた人。制服を着たアンドロイドの警備兵が、ゆったりと巡回している。従業員用の出入り口では、帰宅する者、出勤する者がすれ違う。
 あたしは大抵、連邦標準時で暮らしているけれど、そうでない人たちもいるということだ。あらゆる施設は、無休で稼働している様子。
 中層には、センタービルを運営するスタッフのオフィス区画と、外来者のためのホテル区画。ホテルには会議室やパーティ会場やスポーツジムなどもある。警備部隊の本部もここだ。この中層階の施設を利用できるのは、〝連合〟の加盟組織の中でも、中規模以上の組織のメンバーのみと聞いた。
 そして、この上層階については、何の表示もない。きっと、市民社会のどこよりも安全だ。おかしな気分。違法都市の中にいて、最も厳重に守られているなんて。
「総督閣下」
 慣れない称号で呼ばれて、振り向いた。制服を着たアンドロイド侍女が、灰色の顔であたしを見ている。
「メリュジーヌさまが、よろしければどうぞと、おしゃっています」
 彼女も、このビルにいるのか。
 他にすることもないので、侍女に付いていったら、すぐ上の階にある豪華な客室に案内された。それでも、あたしの部屋と同ランクだ。あたしって、すごい待遇を受けている。まともに考えたら、足が震えてくるくらい。
 あたしに付いてきた護衛兵たちは、部屋の外で待つ態勢になった。あたしだけ、侍女に付いて室内に入る。白い壁、白い家具、大理石のような灰白色の床。飾られている花だけ、赤い。
「眠れないらしいわね」
 白いソファにもたれているメリュジーヌは、化粧こそ落としていたけれど、ふわふわの襟がついた銀白色の部屋着を着ていた。素足で、華奢なサンダルをひっかけている。やはり、足の爪まで完璧だ。画家が見たら、さっそく下絵を描き始めるに違いない。
「ここに泊まっていたとは、知らなかった。普段は、どこか他所にいるんでしょ」
 誰も知らない安全な場所に。
「あなたが落ち着くまで、二日、三日は、近くにいてあげようと思ってね」
 へえ。
「光栄です。お忙しい大幹部に、そんな気遣いをしていただくなんて」
 あたしは皮肉で言ったのに、向こうはまともに答える。
「世界が注目している、大抜擢ですからね。あなたには、成功してもらわないと」
 ふうん。あたしが失敗したら、メリュジーヌの失点になるらしい。そうしたら、他の大幹部が喜ぶのか。
「おかけなさい。何か飲むといいわ」
「じゃあ、ホットミルクもらっていい? お砂糖とバニラエッセンス入りで」
 メリュジーヌは灰色の瞳で、珍しい実験動物でも見るように、あたしを見た。
「お酒を注文するとは思わなかったけれど、そこまでわかりやすく、お子様だなんてね」
 ミルクが悪いとは、少しも思わなかったけどな。
「どうせ子供だし。お酒は十八になるまで飲まないって、親父と約束してるから」
 その約束が効力を失うまで、あと一年。それまでは、親父の元で守られているはずだった。ううん、あたしが親父を守るつもりで、《エオス》に乗ったんだけど。
 やっぱり、あたしは寂しかったんだ。どんな理屈をつけてでも、親父と一緒にいたかった。それが子供ということなら、まだしばらく、子供のままでよかったのに。
 十四か十五の頃は、早く十八歳になりたかった。そうしたら、世間でも大人として扱ってもらえると思って。でも、その年齢が迫ってきたら、自分にはまだ、そんな覚悟ができていないのだとわかる。
 大人になるってことは……自由になれて嬉しいなんてことじゃなく、責任の重さに震え上がるってことだ。
 白い肌の美女は、ふっと笑った。
「じゃあ、お酒はわたしだけね」
 向かい合ってソファに座ると、アンドロイド侍女があたしにホットミルクを、メリュジーヌには綺麗な色のカクテルを運んできた。
「乾杯しましょう」
 と言われたので、一応、湯気のたつマグカップを掲げてみせる。
「何に乾杯?」
「わたしは、この抜擢の成功を願うわ。あなたは、好きなものに乾杯なさい」
「じゃあ、カティさんが、望みのものを手に入れられるように願う」
 まだじっくり聞く暇がなかったけれど、どうやら彼女の望みは、妹と共に消えた男――アレン・ジェンセンに再会することらしい。妹から奪い返すつもりなのかどうかは、まだわからない。
 あの弱気な態度からすると、それは望みが薄いように思える。同級生の証言によれば、アンヌ・マリーはしたたかな女で、おとなしい優等生の姉から、強引に恋人を奪い取ったらしいから。
 まあ、そのくらいでなければ、辺境で生き延びることはできないよね。むしろ、カティさんが辺境に出てきた方が驚きだ。
「なぜ、彼女を秘書にしたの?」
 とメリュジーヌに尋ねられた。カクテルグラスを持ってソファにもたれる姿、地球時代の古典絵画のようだ。写真に撮っておかないと、勿体ないくらい。
「頼りなくて、放っておけないから。せめて、あたしの視野にいてもらおうと思って」
「ずいぶんお人好しね」
「そうでもない。これから辺境で会う人間よりも、カティさんの方がまともだろうと思うだけ」
 総督の仕事にしろ、改革にしろ、一人ではできない。あたしには、仲間が必要だ。
「まあ、好きにすればいいわ。誰を部下にしようと、あなたの裁量ですからね。あなたがこの都市を繁栄させている限り、文句はないわ」
「その繁栄の意味は、人口が増えるという意味なの? それとも、金儲けすること?」
「それは、あなたが考えることよ。自分の判断でおやりなさい。どんな手腕を見せてくれるか、楽しみにしているわ」
 カクテルグラスの向こうから、からかう態度で言われ、猛然と反発心が湧いた。
 絶対、成功してやる。
 この女を驚かせるくらい。
 どんな成功かは、まだよくわからないけど。
「ああ、そうそう。中央から、人材を呼び寄せてもいいのよ。たとえば、《エオス》のお仲間とか」
 ぎくりとした。それは、あたしが自分で封印したつもりの願いだ。
「呼ばないよ」
 とだけ無愛想に答えた。あたしが呼べば、たぶんエディは来てくれる。だからこそ。
「そう? 別にいいけど。でも、あなたの本命って誰なの?」
「本命?」
 質問の意味がわからなかった。わからなかったことが、メリュジーヌに何かをわからせたかもしれない。
 白い妖女は、重ねて尋ねてくる。
「一番好きな男は誰なのか、ということよ」
 唖然としたのが先だ。なぜ、そんなことを訊く。あたしの弱みを握りたいのか。
 それにしたって、的外れだ。恋愛なんて――あたしの人生では、常に後回しになってきた。戦って親父を守る、あるいは自分が生き残ることが先決だ。ふわふわしているゆとりなんか、ない。
「そんなに暇な生活じゃなかった」
 それで通るはずだ。しかし、メリュジーヌは目を細め、何かを探ろうとしている。
「あら、そう。世間では、金髪の坊やと結婚するように思われているじゃない? それは誤解なの? 誤解なら、なぜ訂正しないの?」
 なぜ、そんなことを確かめたいのだ。暇な人とも思えないのに。
「そういうことにしておけば、あたしもエディも助かるんだ。余計な雑音が減るし、エディがあたしを護衛しやすくなる」
「それじゃ、彼の愛情を都合よく利用しているのね」
 それがそもそも、誤解だ!!
 でも、あたしが反論しようとしているうち、メリュジーヌは続けて言う。
「じゃあ、ティエンはどうなのかしら? 彼はあなたのために、父親を裏切ったのよね。甘やかされてきた箱入り息子なのに、無一文になって、一から出直したのは、たいしたものだわ」
 驚いた。あたしに関わることは、全て把握しているらしい。まさか、アイリスのことは知られていないだろうな。
「ティエンは無事でいるの? あたしが彼と連絡を取ること、できる?」
「もちろん。今は苦労して、自分の組織を育てているわ。彼をここに呼んだっていいのよ」
 それなら、よかった。明日にでも組織名を調べ、通話してみよう。乱戦の中で別れてそれっきりだったから。気になってはいたんだけど、自分のことで手一杯で。
 しかしメリュジーヌは、勝手に何か納得している。
「そうなの。彼でもないのね。じゃあ、誰かしら」
 不安がふくらんできた。
「そんなこと、都市経営に関係ないでしょう」
「そうでもないわ。あなたの私生活も、必ず世間に注目されるもの。あとは……それらしい男性というと……友達のリエラのお兄さん……空手道場の先輩……でも、彼らとはもう長いこと接触がない……」
 子供時代の軽い憧れまで、既に発掘されているのだ。メリュジーヌは、あたしが忘れていることまで、知っているのかもしれない。
「あたし、誰にも恋愛感情なんて持ってないから」
「それなら、これから持つかもしれないわね……肉体だけの関係もありうるでしょう?」
「まさか!!」
「あら、一生、処女でいるつもり?」
 つい、屈辱で顔が熱くなる。あたし、痛烈に馬鹿にされているんじゃないだろうか。いや、退屈しのぎに、からかわれている?
「あたしが総督の役目を果たせる限り、個人的事情はどうでもいいでしょう」
 平静に言い返したつもりだけれど、向こうはそもそも、あたしの言うことなんか気にしていない。
「ナイジェルという男は? いい男じゃない? そそられなかった?」
 これには、苦笑してしまう。調査が行き届いているんだか、間違った情報で納得されているんだか。
「彼はずっと、エディに片思いしているからね。あたしはただ、ナイジェルにエディと触れ合う機会を作ってあげただけ」
 しかし、ナイジェルの側の事情は、メリュジーヌにはどうでもいいらしい。
「だからって、あなたが片思いする邪魔にはならないわ」
 何なんだ。
 そんなに、あたしに恋愛させたいのか。
「あのね、あなたは恋多き女なのかもしれないけど、世の中には、恋愛体質じゃない人間もいるんだよ」
「つまらない人生ね。戦うことしか考えないなんて」
 驚くというより、呆れた。
 これが、違法組織の大幹部の台詞か。
「自分こそ、戦い抜いて、今に至ってるんじゃないの?」
「いいえ。戦いに気を取られて、人との関わりを避けていたら、それこそ生き残れないわ。生きるためには、友情も愛情も必要なのよ」
 ずいぶん、意外なことを言うではないか。
「あなたには、友達や恋人がいるっていうの?」
 白い妖女は、甘い唇に笑みを浮かべる。
「いないと思うの? わたしが毎日、孤独な私生活を送っているとでも?」
 ええい、苛々してきたな。
 なんで、夜中にこんな話になっているんだ。
 あたしだって、考えたことはある。もしもエディと、本当の恋人同士になったらと。
 それはそれで、きっと楽しいことだろう。
 ナイジェルも言っていた。等分に愛し返せなくていい。きみはただ、エディに愛させてやればいいんだ、と。
 でも、もしエディを死なせることになったら、その時の後悔は、
(熱烈に愛しているわけじゃないのに、楽だからと甘えてしまった結果……)
 ということになる。
 そんなことになるくらいなら、エディが遠くであたしと無関係に、幸せに生きてくれている方が、ずっといい。
 ところが、メリュジーヌはさらりと言う。
「わかったわ。恋愛からは、逃げてきたのね。あるいは、感受性が未発達なのね。いつまでも、パパの懐でぬくぬくしていたかったんだわ」
 おい。
 喧嘩を売りたいのか。
「あたしだって……」
 言いかけて、言葉を飲み込んだ。これまで黙って我慢してきたことを、こんな場面でぶちまけたくはない。
 それに、あたしはささやかな片思いを、それほど苦労せず封印してきた。それはつまり、封印してしまえる程度の、淡い気持ちに過ぎなかったということだ。いつでも、他の心配事の方が大きかった。母の見舞い。勉強。修業。仕事。幾つもの事件。
 それにまた、エディが《エオス》に来てからは、毎日、気が紛れていた。エディに気にかけてもらうことは、とても嬉しいことだったから。あのまま《エオス》にいられたら、それで充分幸せだったろう……
「あたしだって、これから大恋愛するかもしれない」
 と言い直したら、メリュジーヌはもう、この話題には興味を失ったように言う。  「まあいいわ。世間の話題になることなら、大恋愛でも大喧嘩でも、何でもいいのよ。なるだけ、注目を集めることだわ」
 え。
 なんか、思いっきり肩透かしをくらった感じ。
 ただの話題作り、という意味だったのか。
「あなたは〝連合〟の新しい広告塔なんだから、間違っても、寝ぼけ眼のぼさぼさ髪で、人前に出たりしないようにね。そんな姿を撮影されたら、あなたが一生、恥ずかしい思いをすることになるのよ」
 妙な感じだ。何だか、親戚の伯母さんから、人生の知恵を授けられているみたい。
「あなたはお母さんを早くに亡くしているから、女の知恵を、十分に伝授されていないのよね。まあ、マリカも辺境生まれだから、市民社会の常識を学ぶには、苦労したでしょうけど」
 むっときた。
 ママを実験材料にしていたのは、誰だ。ママは好きで、戦闘用兵器に生まれたわけじゃない。
 あたしの反発を見てとり、メリュジーヌは面白そうに微笑んだ。
「あなたが辺境で地位を固めれば、可哀想な実験体や、バイオロイドたちを助けてやることも、できるかもしれないでしょう。まあ、頑張ってみることね」
 頑張りますとも!! やるからには、とことんやってやる!!
 その結果が、こいつらの意図に反していたとしても。
 いや、反していなければ、あたしの失敗なんだけど。
 メリュジーヌは、カクテルのお替わりを注文してから言った。
「ジュン、あなた、自分が初めて人を殺した時のこと、覚えてる?」
 何だろう、その話題の選び方。
「覚えてるよ。別に、思い出したくないけど」

 あれは確か、十一歳の時。
 友達のキャサリンの祖父母が、あたしを誘拐しようとした。学校帰り、うちに遊びにいらっしゃいと誘って、あたしをキャサリンと一緒に車に乗せたのだ。
 もちろん、当時のあたしにも護衛は付いていた。彼らは、すぐ後ろから車で付いてきた。それで十分だと判断して。
 ところが、その祖父母の乗った車内には、あたしとキャサリンそっくりの有機体アンドロイドが隠してあった。あたしとキャサリンは麻酔を打たれ、服をはがされ、下着姿で、車内の隠し場所に押し込められたのだ。
 キャサリンの家に着くと、彼女の祖父母は、偽物の少女二人を連れて家に入った。護衛たちも、そちらに同行した。本物でないことが悟られるまで、数時間は稼げる。運が良ければ、お泊まりということにして、翌朝まで大丈夫だという計算。
 その間に、あたしたちを積んだ車は共犯者に回収され、キャサリンは別にされて(祖父母は、可愛い孫娘に危害を加えるつもりはなかった。ことが発覚する前に、自分たち二人だけ、別ルートでうまく脱出するつもりでいたらしい)、あたしだけ、貨物コンテナに積み替えられ、《キュテーラ》から出航する船に乗せられた。
 あたしを救ったのは、犯人たちの予定より少しだけ早く、目を覚ましたことだ。
 真っ暗な中で目覚めて、緩衝シートに巻かれていることに気付いた時は、パニックを起こしそうになった。
 狭い、暗い、出られない!!
 でも、すぐに事態を理解して、覚悟を決めた。母から教わっていたことが、役に立った。
『ジュン、もしも誘拐されたら、おとなしくして、犯人たちの隙を探すのよ。隙がなければ、助けが来るまで、じっと我慢するの。きっと誰かが、助けに行きますからね』
 あたしは静かに耐えた。助けが来ることは、あまり期待していなかった。こういう時のために、空手の稽古を積んできたのではないか。
 ――いまに見てろ。ふざけやがって。
 怒りがあれば、恐怖は後回しになる。あたしはひたすら、犯人を倒すことを想像し続けた。大人でも、倒せるはずだ。隙さえ掴めれば。
 緩衝シートの中で、可能な限りもぞもぞと身動きして、肉体の回復を図った。そして、コンテナから出された時は、ぐったりと意識がないふりをして、耳を澄ませていた。話し声、足音、空間の広さ。
 ここにいるのは、大人二人だけらしい。
 あたしは船室に運ばれ、緩衝シートを外され、ベッドに寝かされた。
 あたしを運んできた男が、あたしに毛布をかぶせ、背中を向けて立ち去ろうとした時。
 素早く起き上がって、毛布をそいつの頭にかぶせた。そいつが視界を取り戻そうとした隙に、急所に蹴りを入れた。そいつがバランスを崩して倒れたところで、顔面に打撃を加えた。全力で。
 子供のあたしがどうして、大人に対する手加減など、考える必要がある!?
 船の警備システムが警報を発して、もう一人が駆けてきた。でも、その時にはあたしは、倒した男の銃を奪っていた。そして、その銃は特にロックされていなかった。

 この事件は内密に処理されたから、関係者以外、誰も知らない。いたいけな少女が、大の男を二人も殺したなんてことは。
 あたしの行為は正当防衛とみなされ、咎められなかったが、軍も司法局も最高議会の司法委員会も、さすがに、この件を公表することは避けた。あたしの将来に、悪影響を及ぼさないようにと。
 あたし個人としては、事実を公表したところで、何も問題ないと思っていたのだが。
 いや、油断のならない子供だと知られたら、やはり問題だったな。子供のうちは、子供とみなされることが命を救う。
 学校でキャサリンと再会した時、彼女は曇り顔であたしに何か言おうとしたが、あたしは身振りで遮った。
 何も言わなくていい、という気持ちを込めて。
 キャサリンが悪いのではない。彼女は何も知らず、巻き込まれただけ。あたしたちは、友達のままでいい。
 彼女の祖父母は、実行に関与した違法組織を通じて、グリフィンから援助を得ていたと思うけれど。
 彼らは別の船で、辺境のどこかへ逃亡しおおせたらしいが、あたしの誘拐には失敗したのだから、何の利益も得られず、あまり愉快な目には遭わなかっただろうと思う。
 それから間もなく、キャサリンの一家は遠くへ引っ越していった。今後、一切のお気遣いは無用と、キャサリンの両親が、うちの両親に挨拶をしていった。以来、交流は途絶えたまま。
 それで、あたしはじきに、その事件を忘れた。他のことも全て、後回しになった。母の容体が、どんどん悪化していったからだ。

 メリュジーヌは、その件も知っていた。そして、よくやった、と誉めてくれたのだ。
「あなたは母親から、戦う精神を受け継いでいるのよね。市民社会より、辺境で暮らす方が向いているわ」
 その評価を、素直に喜ぶべきかどうかは、わからない。とにかく、それ以来、最高幹部会は、あたしに期待していたそうだ。市民社会の枠を超えそうな人材として。
「グリフィンが、犯人たちの行動を追尾していたわ。あなたが二人を殺した後で、そのまま拉致することは可能だったのよ。船の制御は、グリフィンの手にあったのだから」
 いま思うと、そういうことだったのだろうな。
「でも彼は、あなたを解放して、もっと大きくなるまで、成長を見守るべきだと考えたの。だから、あなたが救援発信するのを止めなかった」
 では、グリフィンというのは男なのか。それとも、たまたま男が、その役職にいたということなのか。
「それじゃあ、グリフィンにお礼を言うべきなのかな。あたしが誘拐されることを知っていて、見守るだけにしてくれて」
 と皮肉で言った。
「もちろん、あなたの生命に危険が及ばないと、判断した上でのことよ」
 幼いあたしが感じた恐怖は、問題ではないんだろう、もちろん。
「それからグリフィンは、あなた個人に監視チームを付けたわ。ヤザキ船長の専従チームとは別にね」
「それじゃあ、まるであたしが重要人物みたい」
 笑いそうになって、笑えないと気づいた。
 少なくともあたしは、周到に準備された上で大きな役を与えられ、舞台に上げられたのだ。
 この役を、命がけで演じるしかないということが、ひとひしと感じられるようになってきた。
 期待イコール重圧だ。
「あなたの成長ぶりは、定期的に、最高幹部会で報告されていたのよ。単位を取りまくって、人より早く学校を卒業したとか。見習いとして乗った《エオス》で、どんな風に過ごしているとか。そうそう、お見合い騒動もあったわね。だから、あなたを迎えた時は、初めましてよりも、お帰りなさい、という感じだったわね」
 冗談みたいだ。辺境の大物たちが、あたしが空手の試合に出たとか、パイロットライセンスの試験を受けたとか、話題にしていたなんて。
 それではまるで……普通の人間の集まりのようではないか。
 辺境で暮らす何十億もの人間たちの頂点に立つからには、人間らしい情緒は、最小限まで切り捨てているのだろうと思っていた。都合の悪い人間は、洗脳したり、人工脳に取り替えて人形化したりする、と聞いている。
 でも、その中の一人が、こうしてのんびり、差し向かいであたしと話をしている。あたかも、普通の女性であるかのように。
 それとも、これは超越体の操る端末で、本体は、同時に無数の人形を操っているのだろうか。
 人間であるあたしを油断させるために、人間のふりをしてみせているだけ?
「そういうわけで、あなたが《タリス》でどんな経験をしたかも、おおよそわかっているわ」
 メリュジーヌの言葉に、ぎょっとして身を引いてしまった。
 まさか。
 エディとの間でだけしか、口に出さなかった秘密さえも!?
「中小組織の動向は、だいたい正確に、上の組織に掴まれているものよ。そのための〝系列〟だもの。シドはアイリスに乗っ取られ、彼の組織は、以来、密かに勢力を拡大している」
 うわ。
 本当に知っているんだ。どうしよう。
 ていうか、もう、慌てても意味がない。
「アイリスに取り込まれた者たちには、それぞれ追跡が付いているわ。今はまだ数万人規模だから、追跡できる。必要があれば、抹殺もできる。あなたの相棒のエディにアイリスの細胞が入っていることも、知っているわ。いまのところ、大きな異変はないようだけれど」
 あたしは言葉を失っていた。
 最高幹部会、侮れない。
 さすが、数百年の間、辺境の宇宙を牛耳ってきただけのことはある。
「ドナ・カイテルの時も、ティエンの時も、アイリスが助けてくれたんでしょう?」
「知ってて、見ていたわけ……?」
「グリフィンが、あなたの成長を望んでいたのでね。いずれ、あなたが彼に会うこともあるでしょう」
 とりあえず、グリフィンというのは、特定の人物らしいな、と思った。そして最高幹部会は、巨大な群体であるアイリスのことさえ、脅威とは思っていないということだ。
 では、あたしが想像もできないような実験体が、もっとたくさん、あちこちで解き放たれているのかも。
 それならば、いずれはそういう実験体の一つが、人類を滅ぼす可能性もある。
 この人たちは、それを防げるつもりでいるのか。
 それとも、自分たちも変貌して生き延びていくから、進化を拒絶する旧人類など、どうなっても構わないのか。
 市民社会は、呑気すぎる。こうして辺境から振り返って見たら、その呑気さに眩暈がするくらいだ。
 メリュジーヌは、ゆったりカクテルを味わっている。
「辺境を支配するとは、そういうことよ。わたしたちは、小さな組織の内情まで調べているわ。油断はしていない。どこでどんな発明や発見があるか、把握しようとしている。有望な人材がいれば、成長を見守ったり、引き抜いたりする。それが、わたしたちの大きな仕事なのよ」
 そういうものなんだ。
 すると……あたしも……色々なことを、考え直す必要がある。
 たとえば……〝連合〟の支配は、当分の間、このまま続く可能性が高いということだ。数百年か、あるいは数千年か。
 連邦軍が違法組織を根絶させるなんて、まるっきり夢物語に過ぎない。
 それならば、〝連合〟の外にいて無駄にあがくよりも、中に入って出世した方がいい、という考え方もありうる。
 それが……一般市民からは、『悪の帝国に取り込まれた』と見えるだけであっても。
 母がたどった困難な道を、あたしは逆に動いているのだ。
「アイリスのことは、いまのところ、様子見をしているわ。貴重な実験の一つとしてね」
 少なくとも、見守る価値はある、と判断されているわけだ。
「あれが、人類の進化の、有益な分岐であるのかもしれない。本当に脅威になると思えば、いつでも滅ぼせる……まだ、もうしばらくの間ならね」
 そこで、くすりと笑う。
「そう思っていて、実は、向こうに裏をかかれているだけ、なのかもしれない。その意味でも、あなたは、向こうとの橋渡し役になりうるわけよ。もしもの時は、交渉役をお願いするわ」
 なるほど、それもあるのか。
 でも、この様子だと、アイリスたちの方が不利な気はするけどな。
「そういう時に、アイリスがまだ、あたしなんかに価値を認めてくれるとは思えないけど」
 と謙虚に言ってみた。ほんと、あたしに何ができるだろう?
「向こうも、わかってはいるわ。もし人類を滅ぼそうとしたら、途方もない抵抗があるということは。だから、まだ慎重に動いている。そういう相手なら、交渉の余地はあるでしょう」
 そういうことなら……しばらくは猶予があるのだろう。その間に、あたしがもっと力をつけられれば。
 メリュジーヌは、静かに微笑んでいた。
「あなたとこういう話ができて、よかったこと。これからも、機会がある都度、色々なことを伝えていきたいわ。たとえば、大組織の内幕とかね。そうすれば、あなたもより良い判断が下せるようになるでしょう」
 この人は、以前のあたしが想像していたような、邪悪な魔女とは違う。
 自分自身の欲望はあるとしても、他人の欲望もまた、客観的に計算できる人物だ。
 つまり、会話が成立する相手。
 冷徹さはもちろんあるけれど、恐ろしいくらい聡明だ。
 こういう人物から見たら……中央の政治家や官僚、軍人たちは、あまりにも頭が固く、心が弱く、まともな交渉相手にならない、というところだろう。
 だから、彼らに対しては、脅迫や洗脳という手段を使うのだ。
 でも、あたしに対しては、こうして辺境まで招いた上で、じかに話をしてくれている。
 それならば、あたしはますます柔軟に、狡猾に、鋭くならなくては。
 このジュン・ヤザキならば、洗脳や脅迫よりも、自発的な協力の方が、はるかに大きな効果が得られる、と思ってもらうために。
「あたしも、よかった……あなたと話ができて。中央では……良識に反する話をするのは、かなり難しいから」
 その良識が、とうに時代遅れだとしても。
 メリュジーヌは、満足そうにグラスを置いた。
「相互理解ができて、よかったこと。わたしたちも、生き残るために、ありとあらゆる努力をしているわ。慢心した時に、どんな報いを受けるか、わからないと思っている」
 そういう認識を持つ者は、手強い。
「あなたにも、おいおい、辺境の様子が見えてくるでしょう。わたしたちは、あなたを、こちら側の大きな戦力に育てたいと思っているの。都市一つくらい、あなたの好きに変革して構わないわ。成功しても失敗しても、あなたなら、そこから何かを学ぶでしょうから」
 うん、わかった。
 かなり……視野が開けたような気がする。
 あたしは満足して、おやすみの挨拶をし、引き上げようとした。もう、深夜もいいところだ。
 そして、戸口に近づいてから、はっとして立ち止まった。くるりと振り向いて、ソファ席の美女を見る。
「あの……ついでに」
 聞くのは今だ。
「いや、ついでに聞くようなことじゃないけど……でも、せっかくの機会だから」
「何なの?」
 本当は真っ先に、確かめるべきだった。でも、忘れていたんだ。自分のことで頭が一杯で。エディなら、絶対に忘れたりしないのに。
「軍のパトロール艦……うちのエディが乗っていた《トリスタン》のこと。覚えてるよね? なぜ、《トリスタン》は爆破されたの!?」
 メリュジーヌは、すぐには答えなかった。その沈黙の間に、あたしは恐怖をこらえている。聞いてはいけないこと、だったのかもしれない。でも、答えを知りたい。
「もう、わかっているでしょう?」
 そう言われた。しごく平静に。
「軍の内部に……改革の動きがあったから?」
 エディから、打ち明け話を聞いていた。若手の将校たちが、密かに手を取り合い、軍を変えようとしていたこと。そして、辺境の違法組織を掃討しようと考えていたこと。
 でも、それは、〝連合〟には許せないことだった。エディはそう思っている。あたしもだ。
「そうよ。あれには、見せしめの効果があったわ。まだ生きて改革を狙っている者たちも、動きを止めている。こちらへ寝返る者も出た。だから当面、軍が危険因子になることはない」
 そうか、やはり。
 リナ・クレール・ローゼンバッハ艦長は、彼らの要だったから、殺されたのだ。
「これでまた何十年か、時間が稼げるでしょう。辺境の自由を守るための時間をね」
 辺境の、自由。
 それを守るのが、最高幹部会の役目ということか。
 メリュジーヌの顔は、笑っていない。
「自由というのは、過酷なものよ。毎日が戦いになる。負けた者は死ぬ。それでも、自由は必要なの。更なる進化のためにね。進化しなかったら、人類がここまで文明を高めたことが、無駄になるわ」
 その考えは、わかる。
 でも、負けて死ぬのが自分だったら、メリュジーヌだって、嬉しいとは思わないはずだ。
「不老不死とか、究極の生命とか、そういうのを目指すのは、別に構わないよ。好きに追及すればいい。でも、平穏に暮らしたい者は、放っておいてくれても、いいんじゃない?」
 けれど、メリュジーヌの顔は再び、冷ややかな笑みを浮かべている。
「市民の大多数は、今も平穏に暮らしているわ。その平穏は、なるべく保っていきたいと思っている。新たな世代を、生み育ててもらうためにね」
 市民社会は、家畜の飼育場。
 辺境の支配者たちの役に立つ、有益な家畜。
「わたしたちが必要としているのは、目的を遂げるための、ごくわずかな犠牲にすぎないわ。何の犠牲も生まずに実験を続けることなど、不可能よ」
「そうだね。あなたたちにとっては、そうなんだろうね」
 でも、ママは。リナ・クレール艦長は。使い捨てにされる、たくさんのバイオロイドたちは。
「あたしはその、わずかな犠牲を、もっと減らすための何かをするよ。それで構わないんでしょ?」
 メリュジーヌはソファにもたれたまま、あたしに白い手を振ってみせた。
「そうよ。あなたは、わたしたちの試みの一つ。何でもすればいいわ。いずれ、あなたの理想が、わたしたちの利益と衝突する時までね」

 朝、予定の時間に目覚めて、軽い運動をしてから、シャワーを浴びた。
 まだ眠気が残っているけれど、仕方ない。
 昨日は本当に、大変な一日だった。
 でも、おかげで、だいぶ視野が広まったと思う。
 〝連合〟というのは、ただの無慈悲な独裁帝国ではない。生き残りを懸けて戦う者たちの、実験場のようなもの。
 人類が、どこまでの高みに到達できるか。
 その権力ピラミッドの頂点に立つ者たちは、自己に厳しい。あたしがこれまで戦ってきたチンピラたちとは、人間の格が違う。
 彼らを好きになれるとは思わないけれど、理解はできる気がする。無限に挑戦し続ける者たちだ。
 こう思うこと自体、他人から見れば、あたしが『洗脳された』ことになるのかもしれないけれど。
 あたし自身は、こうして〝連合〟の内側に入れて、よかったと思う。入らなければわからないことが、色々とある。
 また、ああやって、メリュジーヌと話す機会があるといいな。
 とにかくあたしは、あまりにも準備不足だ。
 もっと大きく、賢くなって、彼女たちに教え導かれる立場から、対等に話ができる立場にならないと。

 下着姿のまま、何を着ようか迷っていたら(寝室の隣に、店のように広いクローゼットがある。その三分の二の空間は、まだ空いていた。これから埋まっていくのだろう)、アンドロイド侍女が花束を抱えてやってきた。
 一抱えもある、見事な深紅の薔薇だ。その赤を、白いかすみ草が引き立てている。
「総督閣下、贈り物です。保安検査はしてありますので、危険物は隠されていません」
「あたしに? 誰から?」
「《ラルサ》という組織の代表者からです」
 花束を受け取り、添えられたカードを見たら、ティエンだった。つい、にやりとしてしまう。なんて素早い反応。
『ニュースを聞いて、驚いた。でも、素晴らしい。近日中に、通話する。きみの崇拝者、ティエン』
 彼は彼なりに、今日まで戦い抜いてきたのだろう。こうなると、いい相談相手になるかも。辺境では、あたしより先輩だもの。
 花を生けるのを侍女に任せ、シャツとスパッツ姿で居間に出ていったら、驚いたことに、昨夜はなかった花や品物が山積みになっている。
 既に、深緑の秘書風スーツを着たカティさんがいて、何やら目録を作っていた。
「おはよう、ジュン。これ、全部あなたへの贈り物よ。この都市に拠点を持っている、各組織から」
「へえ?」
「総督就任、お祝い申し上げます。今後もお引き立てのほどを、という感じのカードが添えてあるわ。ラブレターみたいなのも混じっているわよ。お花、宝石、ドレス、美術品、リゾート惑星のホテルへの招待状……リストを作っておくから、どう対処するか決めてくれる?」
 そうか。辺境では、権力者への賄賂は当然のことなのか。
 中央だったら、あたしが知らない人から贈り物をもらったら、親父に『返しなさい』と言われるところだ。
 でも、ここは辺境だから、どうすればいいんだろう。
「それにしても、カティさん、すっかり秘書スタイルだね」
 きりりとして、いかにも有能そう。
 すると、赤毛の美女は、ちょっと照れたような態度で言う。
「わたしだって、遊んでなんかいられないもの。あなたに必要とされる部下になるわ。でないと、第一秘書の座にいられないでしょ」
 初対面の時と同じ、プロの態度になっている。どうやら、メリッサに対抗意識を持っている様子。
 でも、元気が出たなら、よかったな。
 朝食の時、同席したユージンに尋ねたら、賄賂はもらっておけ、と言う。
「どこの組織にとっても、たいした出費じゃないし、返されたら、逆に不安がるだろう。贈り主を贔屓する必要はないから、好きなものを手元に残しておけばいい。あとは捨てるなり、誰かにやるなり、自由にして構わない」
 ふうん、そういうものか。こうやって少しずつ、辺境での常識を学んでいくわけだ。
「ねえ、ユージンて、ものすごく有能だから、あたしの教育係に選ばれたんだね」
 と言ったら、彼は不味いものでも食べたかのように、スープをすくっていたスプーンを止めた。
「何だ、いきなり」
 あ、照れてる。それを隠すための苦い顔。
「あたしのせいで、自分の組織の方が、部下任せになってしまってるんでしょ。ごめんね。でも、あたしはすごく助かってるから。これからも、どうぞよろしく」
 彼は不気味なものでも見るかのように、サングラスの奥からあたしを眺めた。
「頭でも打ったのか?」
 すると、これまでのあたしは、無駄に反抗的で懐疑的だったわけだ。
「ゆうべ、眠れなくてうろうろしてたら、メリュジーヌの部屋に招いてもらってね。色々話を聞かせてもらって、少し頭が整理された感じ。これから立派な総督になるように努力するから、協力よろしくね」
「……まさか、洗脳されたんじゃないだろうな」
 彼がいかにも嫌そうに言ったので、あたしは笑った。久しぶりの大笑いだった。
「洗脳されたら、洗脳されたとは認識できないよね。あたしは今、自分が洗脳されているとは思っていないから、実は洗脳されたのかも」
 ユージンとカティさんは戸惑う顔をしたが、メリッサが横から嬉しそうに言う。
「その調子ですわ、ジュンさま。それでこそ、最高幹部会がジュンさまを招いた甲斐があるというものです。わたくしも精一杯補佐しますから、何でもおっしゃって下さいね!!」

 午前中は、ドレスやスーツの仕立てに忙殺された。美人のデザイナーとスタイリストが、あれこれと助言してくれる。
 美人に見えるかどうかは、髪の印象が大きい。だから、まめにカットして、きちんと手入れすること。
 服は、色彩が大事。自分の肌や、顔立ちに合う色を選ぶこと。
 あたしの場合は、深みのある色や、黄色を含んだ色が似合うこと。
 赤、紺、紫、焦げ茶、ブルーグリーン、ダークグリーン、クリーム、オレンジ、サーモンピンク、薔薇色、ワイン色。
 そして、それらを引き立てる白。
 若いから、ごてごてした飾りは必要ないが、真珠は万能であること。色石は、服の色に映えるよう使うこと。ゴールドは華麗に、プラチナは涼しげに見えること。
 助言を聞きながら、スーツやドレスの類を、少なくとも、五十着は注文したのではないか。最初は楽しかったけれど、さすがに疲れてくる。
「もう、そんなに要らないよ」
 と抵抗しても、メリッサは承知しない。
「ジュンさまは今、話題の中心ですわ。毎回、新しい服で人前に出ないといけません。百着あっても、すぐに足りなくなります」
「同じ服を二度着たらいけない、とでもいうわけ?」
「その通りですわ。ジュンさまが一度着た服は、売り物になります」
「へっ?」
「中央では、ジュンさまのファンクラブの会員が、増殖していますのよ。競りにかければ、高値で売れます。非合法の品でも、欲しがる者はたくさんいるでしょう。靴もセットで売れば、もっといい値段になります」
 冗談じゃない。
 あたしの着た服を、どこかの変質者が抱いて寝たり、人形に着せて、うっとり眺めたりするなんて。
「それはやめ!! あたしの服は売らないよ!! 何度も着るから、これだけあれば十分!!」
 商魂たくましいメリッサは落胆したようだが、それでも、あたしが必要とする以上の服と靴を作らせた。季節が変わったら、また一揃え作るという。マリー・アントワネットか。
 宝飾品のデザイナーも来ていて、服に合わせたジュエリーをずらりと並べた。ルビー、サファイア、エメラルド、トパーズ、アクアマリン、翡翠、アメシスト、ペリドット。
「宝石に慣れるまでは、真珠とピンク珊瑚がいいでしょう。他の色石は、おいおい使ってみて下さい。慣れないと公式の場で違和感が出ますから、日頃からお使いになるのが一番です。朝、起きたら、まずイヤリングを付けることですね」
 既に、宝石屋が開けそうだ。
 服と小物の組み合わせは、専属スタイリストが考えるから、あたしは悩まなくていいという。
「あらかじめ、セットで並べておくようにします。とにかく、ジュンさまのイメージに合う完璧な身支度でないと、外に出てはいけません。いつ、誰に撮影されてもいいように、きちんとしていなければ」
 とメリッサは言う。
「あたしのイメージって、いったいどんな?」
 これまでは、努めて男の子のような、地味で実用本位の格好をしてきたんですけど。
 するとメリッサは、うっとり夢見るように言う。
「それはもう、華麗なクールビューティですわ。知的で意志的で、なまじの男なんか、足元にも寄れないくらいの威厳があって」
 それ、全然、現実のあたしと違うんですけど。
 もしかしてメリッサって、有能で仕事大好き人間なのに、乙女チックな性格なの?
 クールビューティなんて聞いたら、ジェイクたち、腹を抱えて笑うぞ。今はもちろん、あたしを心配して、やきもきしているだろうけど。
 カティさんが、笑いながら言った。
「そういうイメージで売り出す、ということよね。素敵だわ」
 あたしはなんか、胃が宙返りしそうな感じ。いいんだろうか、こんな企みに乗ってしまって。
 ゆうべはメリュジーヌにうまく乗せられて、
(ようし、やったるか)
 みたいな気分になったのだけれど、気をつけないと。調子に乗ってしまったら、きっと何か失敗する。あたしが最高幹部会の期待を裏切ったら、いつでも捨てられてしまうのだから。

 昼食を済ませると、ユージンがやってきて、あちこちを案内してくれることになった。彼は午前中、自分の組織の仕事を片付けてきたらしい。
「男はいいね。いつも、似たようなスーツ着てればいいんだもん」
 と地味なスーツ姿の彼に言ったら、サングラスのまま、にこりともしないで言う。
「わたしは、もし女に生まれていたら、毎日着飾って、男を悩殺して歩いていたと思うぞ」
 あたしが思わずのけぞると、ユージンは、かすかににやりとする。
「せっかく女に生まれたんだ。毎日、綺麗な格好をすればいいじゃないか。どうせ、いつまで生きられるか、わからないんだから」
 この男も、なかなか底が見通せない。だからこそ、メリュジーヌに見込まれているのだろう。
 まずはセンタービルの中にある、総合司令室に案内された。
 ここでは、無数のカメラやセンサーを通して、都市内の出来事が、全てわかるようになっているそうだ。都市に付属する小惑星工場や、防衛艦隊などの情報も、ここで全て知ることができる。もちろん、各部署に指令を出すこともできる。
 というか、あたしの宿泊する部屋でも、同じことができるらしい。あたしのいる場所が、すなわち総督執務室ということだ。
 管理責任者のギデオンという男が、堅苦しい態度であたしに挨拶する。
「都市の警備・生産・流通・居住者管理などに関する詳細は、ご下命があれば、いつでも説明に上がります。外出時の警護をする部隊も、ここで管理いたします。いずれ総督閣下が、ご自分の警備隊長をお決めになれば、警備関係の指揮権は、そちらにお任せします」
 なんか、大の大人に閣下なんて呼ばれると、馬鹿にされているみたい。
 この男、黒髪に浅黒い肌のハンサムで、慇懃だけど、いかにも、あたしを邪魔者と思っている様子だし。
 そりゃあまあ、いきなり小娘が(形だけでも)自分の上役になったんだから、業腹だよね。
 たぶん、あたしのことを、父親の七光で有名になった娘だと思っている。その七光効果は否定しないけれど、いずれ、あたし独自の中身があるってこと、見せてやるからな。
「これまでは、誰が一番上の命令権を持っていたの? 前の総督?」
「いえ、総督はいませんでした。代表はわたしでしたが、まとめ役にすぎません。都市運営は、各部門の責任者の合議制でしたから。都市全体が《キュクロプス》の管理下にあったので、それで済んでいたのです」
 おおまかな運営方針は上から降りてきて、ギデオンたちはそれに合わせて実務を仕切っていたわけだ。
 では、総督体制の方が異例なのか。
「他の違法都市の管理体制って、どうなっているの?」
「それは、都市によります。大組織の所有する都市の一つなのか、それとも独立都市なのか。独立都市でも、一つだけで孤立している場合もあれば、幾つかの姉妹都市と提携している場合もあります。それぞれ、最適の方法で運営していると思います」
 なるほど。
「じゃあ、全都市の一覧表を出してくれる? どこがどういう状況なのか、ざっとわかるように」
 これまでも、噂程度には聞いていたけど、網羅はしていないから。
「承知いたしました。明日の朝食時には、お手元に届くようにします」
 とギデオンは当然のように言う。部下って便利だなあ。
「いま何か、あたしがあなたに、指示すべきことがある?」
「特にはありません。何か変更なさりたい点があれば別ですが」
 昨日到着したばかりなのに、何をどうしたいかなんて、わかるはずがない。
「じゃあ、後でまた、詳しいことを教えてもらいにくる。とりあえず、街を回ってくるから。留守をよろしく」
 ギデオンは、お辞儀の手本のように頭を下げた。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」

 あたしたちはメリッサの用意してくれた車に乗り、センタービル周辺の繁華街から始まって、あちこちを見物して回った。当面、あたしの護衛には、ユージンとメリッサが責任を持ってくれるそうだ。
「新たな警備隊長は、系列組織から引き抜くか、募集をかけて選抜するかすればいいでしょう。信頼のおける人物が見つかったら、ジュンさまの警護だけでなく、都市警備全体に責任を持ってもらえばいいのです」
 とメリッサは言う。
「新たな隊長って、必要なの? 今の隊長は?」
「今いるのは都市の警備部隊だけで、最低限のものです。隊長も、まあ、それほどの人物ではありません。《キュクロプス》の系列である限り、大きな問題が起きることは想定されていませんでしたから。ですがこれからは、色々と騒動が起きるでしょうから、実力のある隊長が欲しいところですね」
 はあ、そういうものか。
「総督個人の護衛は、また別問題です。たぶん、今の警備部隊の上に、ジュンさまの護衛部隊を置けばよろしいのでは。もちろん、ジュンさまのお考え次第です」
 カティさんも、生真面目に頷きながら記録をつけている。
「わたしは事業関係のことならわかりますが、戦闘方面には素養がありません。ユージンも、いずれ自分の組織に帰る身です」
 とメリッサは言う。
「軍人上がりとか、他組織で警備業務をしていた者とか、経験のあるプロが部隊を統率した方がいいでしょう。今の部隊から誰か昇格させてもよいですが、それにはジュンさまが、彼らのことを掌握する必要があります」
「うーん、わかった。考える」
 宿題その一だな。命令系統。部下の把握。あたしはこの都市機構で何人の人間が働いているか、それもまだ知らないのだ。
 走る車の中から、新たな目で市街を眺めていった。もう、逃げ隠れしながら、こそこそ覗き見ているのとは違う。
 あたしの都市。
 あたしの職場。
 必要なら、隅々までひっくり返して観察できる。
 大組織の持ちビルが並ぶ大通り、もっと格下の組織が持つ商業ビルや拠点ビル、そして裏通りに並ぶ娼館やクラブ、その類の店。豪華な店もあれば、最低限の設備で運営している店もある。
 大型車の隊列で動き、大勢の部下や護衛を引き連れた者もいれば、数体の護衛兵だけでひっそり動く者もいる。用事を果たすらしい兵士が単独で、エアバイクで身軽に動く姿もある。
 昼だというのに(人々の生活時間はまちまちだが)、派手なドレスで歩道に立って、客引きをしている女たちもいる。
 華やかな存在に見えるが、彼女たちは監視されていて、どこにも逃げられないのだ。私有財産もなければ、休日もない。ぼろぼろになるまで働かされて、処分される。
(待っていて。いずれ何とかしてあげる。自由にはできないとしても、待遇を改善するとか、五年以上生かすとか、何か)
 あたしはそのために、この総督という立場を引き受けた。
 できるかどうかわからないけれど、市民社会と辺境とを結ぶ存在になりたい。
 少しでもそうなれたら、母が命がけで脱走してきたこと、命を縮めてあたしを生んだことが、無駄にならなくて済む。
 あたしが車内から何を見ているか、わかったのだろう。カティさんがあたしの手に、そっと手を重ねてきた。あたしは嬉しくて、微笑み返した。
「ありがとう。頼りにしてるから」
 すると緑の目が、嬉しそうに光る。
「わたしこそ、ありがとう」
 欲望のために女を利用する男たちには、期待できない。辺境を変えるためには、女の力が必要だ。味方を増やそう。できるだけ、たくさん。
 繁華街を離れると、あとは広大な緑地だ。針葉樹と広葉樹の混合森。馬が放たれている草地。
 人工的に調整された季節は冬だけれど、凍える寒さというほどでもない。常春では刺激が足りないから、あえて季節を演出しているのだ。
 丘の麓を巡って川が流れ、遊覧用のクルーザーを浮かべた大きな湖が七つある。
 そのうちの一つは塩湖で、ここから流れ出す川はなく、淡水湖とは切り離されている。食用にするため、海の魚が放してあるそうだ。おかげで、新鮮な刺身が食べられるというわけ。
 七つの湖の周囲には、個人の邸宅やホテルやレストランが点在している。繁華街に飽きれば、水辺で気分転換できる。
「泳いでもいいの?」
「可能ですよ。普通はみんな、屋内のプールで泳ぎますけど」
 ああ、《キュテーラ》の湖でも泳いだ。ママがまだ元気だった頃。リエラの一家と一緒に、ピクニック用品を車に積んで。夏のお祭りでは、花火も打ち上げられた。今となっては、大昔のことのよう。
 緑地の所々に有力組織の所有地があって、そこには研究施設があったり、拠点ビルがあったりする。何人が暮らし、どんな活動が行われているのか、《アグライア》の管理組織にもわからないという。
「建物への出入りは監視できますが、内部にまでスパイを入れているわけではありませんので」
 とメリッサ。
 幹線道路には、常に車が流れている。都市の警備システムは、どの車がどこから来てどこへ行くのか、可能な限り追尾して、各組織の動向を把握しようとしている。それでも、突発的な事件は起こる。組織同士の戦闘とか、ビルの破壊とか。
「この都市は、《キュクロプス》の一部ではありますが、ほぼ独立した小組織のようなものです。子会社というべきでしょうか。わたしたちの知らないことが、頭越しに行われていることはあるでしょう。親会社からは子会社の内容が見えますが、逆はありません」
 改めて、わかった。
(あたしたちが違法都市で逃げ回っていた時、全部把握されていたんだ)
 ネピアさんが介入してくれたことも、アイリスが来てくれたことも。
 その上で、あたしは泳がされていた。きっと、練習問題を解かせるようなものだったのだ。いずれ、本番の試練を迎える時のために。

 夕方、およその見学を終えると、あたしは車を繁華街の一角で停めさせた。街の空気を知りたい。
「降りて歩こう。どこかで食事してから、帰ればいい」
 カティさんとメリッサが、あたしに従った。ユージンはあたしの護衛のような顔で、横に立つ。寒いけれど、少しの時間なら、コートはなくても大丈夫。
「で、どんな店に行きたいんだ?」
「なるべく、一般的な店」
「お忍びというやつをやりたいのか? それは、変装でもしないと無理だな」
「じゃ、変装は明日からということにしよう」
 正直、ユージンの存在が心強かった。違法都市を女だけで歩くなんて、やっぱり心細いもの。いくら周囲に《キュクロプス》の紋章を付けたアンドロイド兵がいても、彼らには判断力がない。
 ビルの足元の広い歩道を歩きだすと、周囲を行き交う男たちから注目を浴びるのがわかった。会話も聞こえてくる。
「おい、あれ、ジュン・ヤザキだろ」
「本物かな」
「そうだろうよ。兵に《キュクロプス》のマークが付いてる」
「最高幹部会も、ずいぶん思い切った抜擢をするもんだな」
「可愛い子ちゃんを看板にして、間抜けな市民たちを集めるってわけだ。集まった連中は、洗脳されて下働きさ」
 顔がひきつるのがわかった。しかし、平然としていなければ。どの方向から、誰に撮影されているか、わからない。
 あたしは金色の縁取りが付いた白いジャケットとミニスカートのスーツを着ているから(これにして下さいと、スタイリストのナディーンに押し付けられたのだ)、遠目にも目立つのだろう。行く先々で、注目を集めてしまう。
「ほら、あれがジュン・ヤザキだ」
「最高幹部会も、話題作りがうまいな」
「子供を総督にだなんて、いつまで続くやら」
「どうせ、側近がうまく操ってるのさ」
 カティさんとメリッサの方が、背の高い美女だけど、彼女たちは控えめな秘書スタイルだから、兵の間に紛れてしまう。
 顔が強張ってきたけれど、じかに街を歩いて、空気を吸わなくては。センタービルの中にいてはわからないことが、きっとわかるはず。
 二十分ほど歩いて、《キュクロプス》系列のビルでレストランに入り、食事をした。他の客たちから離れた、奥のVIP席で。何も頼まなくても、最初から、そこへ通されてしまうのだ。
 それでも、店の雰囲気はわかる。あれがジュン・ヤザキ、というささやきはよく聞こえた。
 興味、敵意、それに嫉妬が混じった視線。
 見世物にされる辛さ、身に染みてきた。
 中央でも、親父は要人扱いだったけど、あたしはまだ、おまけだったから気楽だったのだ。これからずっと、こういう視線にさらされることになる。慣れるしかない。
「もしかしたら、各組織の幹部を招いて、お披露目パーティした方がいいんじゃないの」
 自棄交じりの冗談だったのに、メリッサがまともに反応した。
「それ、いいですわね。企画しましょう」
「まさか、本気!?」
「あら、もちろんですわ。まず、招待客リストを作りましょう。最初は二百人くらいでいいかしら。その様子で、次回の招待客を考えることにして。ユージンさま、アドバイスをお願いしますね。カティ、各組織の情報は、あなたにも見てもらいますから、リスト作りを一緒にしましょう」
 仕方ない、らしい。あたしがこの《アグライア》に人を集めるつもりなら、社交の中心になる覚悟がいるのだ。
「そうだわ、ダンス権を売りましょう。一曲いくらで」
 とメリッサが言う。彼女には、何でも商売に見えるらしい。
「ジュンさまと踊りたい男性が、大勢いるはずです。事前に、オークションで落札してもらおうかしら」
 思わず、顔が刺した。
「やめよう、それは」
 いくら何でも、恥ずかしい。絶世の美女というのならともかく、あたしみたいな小娘が、そんな図々しいことを。
「それじゃあ、ダンスの予約リストだけでも作らないと。当日、希望者が多いと、現場が混乱しますから」
 本当かなあ。
 あたしと踊るために来る客なんて、いるんだろうか。
「ジュンさまの予定に、ダンスのレッスンも入れておきますわ。ダンスは空手ほど、お得意ではないそうですから。でも、これからは、社交の時間が増えますよ」
「違法都市で、社交って普通なの?」
「もちろんです。人間関係があってこそ、組織間の取引もうまくいくんですよ。それは、市民社会と変わりません。どこの都市でも、センタービルやホテルなどでパーティを開いていますよ。この《アグライア》では、ジュンさまの開くパーティが最も格が高いことになりますね。最高幹部会のどなたかが開く場合は別として」
 そんなこんなで、センタービルに引き上げてきた時には、眠くて倒れそうだった。おかげで、ベッドに入るとすぐ、寝入ってしまった。
 こうしてあたしは、違法都市に馴染んでいったのである。

 翌日は、買い物からスタートした。ギデオンからの資料を見るのは、後にしよう。
「カティさん、あなたの服を買いに行こう。街歩きも兼ねて、一石二鳥になる」
 あたしの服はしこたま揃ったけれど、カティさんは、ユージンの船に用意されていた最低限の着替えしか持っていないはずだ。精々、ビジネススーツを注文したくらいだろう。
「そんな、いいのよ、わたしの服なんて」
 と遠慮するけれど、
「そうはいかない。アレンが来るんでしょ」
 と言ったら、ぴしっと固まってしまった。いいんだろうか、こんなに初心で。
 実は、ユージンにこっそり確認を取っている。カティさんが、誘拐に手を貸す代わりに望んだ報酬とは、アレンの精子だとわかった。それで、彼の子供を作りたいというのだ。何とも、いじらしい願いではないか。
「アレンとアンヌ・マリーは、明後日、ここへ来るって聞いたよ。あたしが付いてるから、しっかり交渉して。できたら、彼を奪い返せるといいんだけど」
 するとカティさんは、激しく首を振る。
「無理よ、そんなこと。わたしは捨てられたのよ。アンヌ・マリーが絶対、彼を離さないわ」
 どうやら、妹をひどく恐れているらしい。
「きつい妹らしいね」
 カティさんはうつむき、唇を噛む。
「あの子は悪魔だったわ。子供の頃から。同じ顔をしたわたしのことを、憎んでいたのよ」
 憎む!?
「だって、実の姉妹なのに!?」
「姉妹だから、よ」
 そういうもの? きょうだいって、無条件に互いを大事にするものかと……いや、そうとは限らないのか。
「たぶん、わたしを目障りだと思っていたんでしょう。自分が得られるはずのものを、半分盗っていく邪魔者だって。わたしのものなら、何でも取り上げようとしたわ。品物は譲ってきたけれど、まさか、アレンまで取られるなんて」
 兄弟姉妹のいないあたしには、よくわからない。あたしなら、双子の姉妹なんて、どんなに嬉しいかと思うのに。
 とにかく、繁華街のビルに入り、あちこちの店を回って、遠慮するカティさんに服を買わせた。カティさんの白い肌と、赤い髪に映えるドレスをたくさん。
 身長があるから、深いグリーンや、黒いドレスがよく映える。金色や白もいい。垂れる形のイヤリングも、よく似合う。
 同行したメリッサも、喜んで見立ててくれた。中央と辺境では、流行も異なるらしい。中央では派手だと思われるようなドレスでも、辺境ではごく普通らしいのだ。もちろん、仕事中ではなくて、プライベートな時間でのことだけど。
「だめよ、無難を基準にしちゃ。あなたはスタイルいいんだから、もっと肌とボディラインを見せて。これなら、どんな男だって悩殺よ」
 とメリッサは見本のドレスを抱えて、カティさんに言う。
 あたしも、横であおった。他人のことなら、何とでも言える。
「そうそう、せっかくの美女なんだから、着飾らないと」
 それでアレンが陥落するかどうかは、別にして。
 あたしから秘書の給与を出しているので、代金はカティさんの口座から引き落とせるのだけれど、自分では買おうとしないから、あたしが買って現物支給する形にした。
 ちなみに、あたしには、この都市の財産が全て自由に使える。
 《アグライア》という都市自体は《キュクロプス》の財産だけれど、今はあたしの管理下にあるということだから。
 持ちビルや公共用地を売り払おうと、道路の通行料を取り立てようと、あたしの判断で好きに行えるそうだ。
 あたし個人の報酬も、都市の決済用の口座にあるお金から、好きなだけ取っていいそうだ。
 さすがは辺境、なんて大雑把な会計。
 といって別に、自分のために贅沢しようとは思わない。あのセンタービルの部屋と、積まれた贈り物だけで、相当な贅沢だ。
 使える資金は、いいことのために使おう。たとえば、バイオロイドの再教育とか、待遇改善とか。
 もちろんそのためには、まず他組織の代表者たちと話をしなくては。

 その頃、中央星域では、〝円卓会議〟のお偉方が、緊急の会議を開いていたらしい。
 この会議は、連邦最高議会のように、法律で設置が決められたものではない。惑星連邦の法体系は、いまだ、辺境が一大文明圏であることを認めていないのだ。
 人類文明は市民社会だけで完結している、というのが公的認識なのである。
 けれど実際には、市民社会は違法組織に取り囲まれている。それを、単なるはぐれ者の集まりであるかのように、無視することはできない。
 そこで、市民社会の防衛という現実問題に対処するため、各界の実力者たちが随時、非公式な話し合いをするようになった。それがいわゆる〝円卓会議〟である。
 現在の顔触れは、軍と司法局から二人ずつ、最高議会から二人、財界と学界から数人ずつだという。外部には非公開の集まりなので、本当のメンバーはよくわからない。
 とにかく、その重鎮たちが、あたしの事件について話し合ったそうだ。
 といっても、彼らにできることはほとんどない。
 軍も司法局も、辺境ではたいした行動はできないのだ。最高幹部会が決定したことを邪魔する力など、誰にもない。
 彼らがもめたのは、あたしの元へ行きたいという、エディの願いを認めるかどうか、だったらしい。
 それを認めたら、市民社会が〝連合〟に屈したことになる、という意見が半分。
 ジュン・ヤザキを応援することで、辺境が少しでも変わることに期待しようという意見が半分。
 結局、参考人として呼ばれた〝リリス〟が言ったことが、決め手になったそうだ。
『若者が何かしようとしている時に、老人が邪魔するもんじゃない。若者を信じられない社会なんて、滅びるしかないんだよ』
 長身のリリーの台詞だそうだ。
 うーん、かっこいい。
 ますます尊敬。
 じかに会って、サインをもらうか、握手してもらうか、できたらよかったのに。
 こうなってしまっては、もはや敵陣営だから、その機会ははなさそうだ。
 それでも、ずっと憧れだった〝リリス〟が、あたしのことを考え、あたしを援護するために発言してくれたというのは、じんとくる。いつか、これで良かったと思ってもらえるように、頑張ろう。
 とにかく、その結果、《ルシタニア》の軍基地に軟禁されていた親父の元へ、決定が通達された。
『惑星連邦政府は、それが重大な犯罪行為でない限り、市民の自発的な行動を束縛することはない。安全対策上、《エオス》のクルーに対する行動制限は続行するが、《エオス》を辞めた者については、その限りではない』
 つまり、エディが《エオス》の乗員でなくなれば、好きな所へ行って構わない、ということ。
 それでエディは、親父に願い出た。
『ぼくを退職させて下さい。ジュンの元へ行きます。親父さんの分まで、ジュンのことを守りますから』
 親父はそれを認めた。
『行ってくれるのか。ありがとう。ジュンを頼む』
 もちろん、エディが《エオス》を去るというのは形式上のことで、あたしがいつまでも親父の娘であるのと同じく、エディだってどこまでも《エオス》の仲間。
 以上は、メリュジーヌから聞いた話である。
 どうして〝円卓会議〟の中身や、親父たちの会話内容まで知っているのか知らないけれど(それが〝連合〟の情報部門の実力らしい)、後からエディに聞いたことと一致していた。
 そういうわけで、自由になったエディは早速、《アグライア》のあたしに連絡してきたのである。
「ジュン、これから、きみの元へ行くからねっ!! きみの秘書でも護衛でも何でもするから、雇ってくれるだろう?」
 あたしは、雇わない、と言うべきだった。来ても相手にしないから、来ないように、と。
 でも、エディの輝くような笑顔を見た途端、へなへなと心がくじけ、つい、甘えが出てしまったのだ。
「辺境だよ? 違法組織だよ? それでもいいの?」
 と、すがるように尋ねてしまった。エディは当然、満面の笑顔。
「きみと一緒にいられるなら、どこだっていいんだよ」
 ああ、あたし、本当にエディに甘えている。
 これでもし、エディを死なせたりしたら、どれだけ後悔するだろう。
 それがわかっていて、拒絶できない弱さ。
「あ、それから、先輩たちも一緒だから」
 と言われて、仰天した。
「何それ、どういうこと。だって、みんなは親父の側にいてくれなきゃ」
「それはバシムが残っていれば、大丈夫だよ。親父さんはもう、懸賞金リストから外されたし。新しいクルーだって、募集できるし。きみを敵に回してまで、親父さんを狙おうなんて不届き者は、まずいないよ。ジェイクとルークとエイジとぼくと、四人できみを守るから」
 そんな、そんなこと。
 あたし、そこまでは期待していなかった。
 でも、どう言っても、エディはにこにこして言う。
「みんな大人だし、自分の意志で決めたことだから」
 軍が、老朽艦を廃棄するという名目で、そこそこの小艦隊を回してくれたそうだ。それで、《アグライア》まで来ると。

 通話を終えてから、しばらく、涙が止まらなかった。こんなざま、人には見せられない。メリッサたちのいない所で通話を受けて、よかった。
 あたし、恵まれすぎている。
 こんなに過保護だと、ユージンに笑われてしまう。
 でも、嬉しい。
 おかげで、自分がどれほど張り詰めていたか、わかってしまった。みんなが来てくれると思うと、心がゆるんで、全身が溶けてしまいそう。
 ああ、また、
『このガキ、こんなこともわからんのか』
 とか叱られて、大きな手で、頭をぐりぐりやってもらえるんだ。それって、なんて幸せなこと。
 それから気を取り直して、中央の外れまで、迎えの艦隊を派遣する手筈を整えた。この《アグライア》から船を出さなくても、もっと近くにある《キュクロプス》の拠点から船を出してもらえるので、十分間に合う。
(ああ、神さま)
 これならきっと、何かできる。辺境の常識を変える、何かが。

イラスト

 アレンたちが到着する当日は、カティさんが朝からそわそわして、落ち着かなかった。
 何度もティーカップやクリーム入れを倒したり、ドアに顔をぶつけそうになったり、アンドロイド侍女に衝突したり、手帳を取り落としたり。
 あたしやメリッサ、ナディーンが選んだボルドー色のドレスを着て、長い首に真珠のネックレスを巻き、とても綺麗なんだけど、初めてデートに行く女の子みたい。
 午後にアレンとアンヌ・マリーとの面会が設定されているものだから、何をしていても上の空。
 別に、いいけどね。
 秘書の業務は、メリッサが完璧に果たしてくれるから。
 あたしは午前中を各部署の見学に費やし、知識を増やした。午後になると、アレンの船が桟橋に着いたという知らせ。
 こちらからの迎えの車に乗って、二人がセンタービルまで案内されてくる。
 カティさんはがくがく震えてしまい、あたしがどう励ましても、悪い予測しかできないようだった。
「わたし、アンヌ・マリーに殺されるかもしれない」
 とまで言い出す。
「まさか、いくら何でも。それに、こっちの警備兵がいるんだから」
 アレンがいかにアンヌ・マリーに惚れていても、《キュクロプス》を背景にしているあたし相手の喧嘩などできないと、よくわかっているはずだ。
「カティさんは、あたしの後ろにいてもいいよ。あたしがアレンに、細胞をくれって頼むからさ」
 さすがにあたしも、初対面の男性に向かって、精子をくれとは言いにくい。婉曲話法でいこう。
「向こうも、嫌とは言わないよ。だって、いざとなったら、とっ捕まえて絞り取れるもん。そんなことをされるより、自発的に提供した方がいいと思うでしょ」
 すると、横にいたユージンにたしなめられた。
「年頃の娘が、そう露骨な言い方をするものじゃない」
「これ以上、どう婉曲に言えばいいのさ」
「生殖細胞でなくていいんだ。体細胞でも」
「精子の方が早いじゃない。どこかの部屋で放出してもらえば」
「とにかく、大きな声はやめてくれ」
 違法組織のボスのくせに、結局、教師向きの性格なのだ。だから、メリュジーヌに選ばれたのだろう。
「総督閣下、お客様がご到着です」
 地上階の玄関ホールまで出迎えに行っていたメリッサが、二人を連れて、あたしたちのいる階まで戻ってきた。彼らは、このセンタービル内では護衛兵の同行が許されないので、二人きり。周囲を固めているのは、都市の警備部隊の護衛兵だ。
 カティさんは緊張が嵩じて、真っ青になっている。どんな男だろう。ここまで、カティさんの心を捕らえているなんて。
「カティ」
 真っ先に扉から入ってきたのは、濃紺のスーツを着た、中肉中背の黒髪の男性だった。
 どちらかというと、スマートというより、ずんぐりという体型。眠そうな黒い目と丸い鼻をしていて、ハンサムと表現するよりは、味のある顔、と形容するべき。
 姉妹に取り合いされる男としては、冴えない外見だった。でも、きっと中身が詰まっているのだろう。
 彼はカティさんがあたしの横で真っ青になっているのを見ると、すぐあたしに向かって言った。
「きみがジュン・ヤザキ嬢だね。お願いする。どうか、カティを引き渡してほしい」
 あれっ。そう来るのか。
「きみにとっては憎むべき誘拐犯かもしれないが、カティはただ、大きな力に利用されただけだ。きみに対する害意は、これっぽっちもなかったと思う。どうか、見逃してやってほしい」
 へえ。へええ。
 むずむずと嬉しくなった。カティさん、もしかして、愛されてない?
 アレンはそれから、カティさんに手を差し伸べる。
「カティ、迎えに来た。ぼくと一緒に行こう」
 なんだ、いい感じじゃないか。
 まさか、連れていってから危害を加えるつもりではないだろう。そんなことをしたら、あたしが怒る。
「こんなことまでさせて、本当にすまなかった。アンヌ・マリーだって本当は、きみのことを心配してるんだ」
 あたしがすっかりアレンに好意を持ったところで、鋭い声が割って入った。
「甘ったれないでよ。アレンが優しいからって、よくも図々しい条件を出したわね!!」
 おお、これがアンヌ・マリーか。
 カティさんと同じ顔立ち、同じ骨格なのに、印象はまるで違う。赤い髪はウェーブをつけた華やかなボブスタイルにして、襟ぐりの深い暗緑色のミニドレスを着ている。これでもか、と曲線美を見せつけるいでたちだ。
 何より、態度と発声が堂々としている。
 カティさんが清楚な白百合なら、こちらは深紅の薔薇という感じ。常に自分が主役、と思っている態度だ。ある意味、清々しい。
「ジュン・ヤザキ、この馬鹿女があなたに迷惑をかけたようだけど、迷惑を被っているのは、こちらも同じなの。わざわざ呼び出されて、中央の報道番組でも、あれこれ詮索されて。鬱陶しいったらないわ。後はこちらで処分するから、引き渡してちょうだい」
 アンヌ・マリーは堂々として言う。
 へええ、ふうん。
「何か、誤解があるようですけど」
 あたしはにこやかに言った。自分のことでなければ、いくらでも冷静な調停者になれる。
「あたしは、カティさんのことを怒ったりしていませんよ。むしろ、保護者のつもりです。カティさんに悪意がなかったことは、理解していますから」
 アレンは意外そうな顔をした。アンヌ・マリーは、一段と警戒した様子。
「あなた方と会うことにしたのは、あたしからお願いするためです。アレン・ジェンセン、あなたから、生殖細胞をもらいたいんです。カティさんはそれで、あなたの子供を作ります。そして、あたしの元で子供を育てます。あたしの秘書の仕事をしながらね」
 二人とも、驚いたようだった。
「きみの元に残る? そういう話になっていたのか?」
「なんて意気地のない女なの。自分が誘拐した子供にすがって、保護してもらうなんて!!」
 悪かったね、子供で。
 子供なりに精一杯考えて、努力してるんだよ。なるだけ多くの人が、幸せになりますようにと。
 それが、世界平和の基本でしょ。
 まず、身近な問題から処理すること。
 カティさん一人守れないで、他の大勢のバイオロイドを守ろうなんて、無理に決まっているもの。
「で、問題は、あなたが素直に細胞をくれるかどうか、なんだけど。どうですか?」
 けれどアレンは、あたしの言葉など聞こえないようで、カティさんに向いてしまっている。
「本気なのか。辺境で子育てするなんて。無理だ。きみは、こんな場所で暮らせる人じゃない。きみの欲しいものは渡すから、中央へ帰るんだ。連邦政府に保護してもらうのが、一番いい。犯罪に荷担したといっても、情状酌量はしてもらえるはずだ」
 へえ、そういうつもりだったのか。それなら、平穏にすみそう。精子さえもらえれば、こちらはそれで充分だし。
 アレンとは対照的に、アンヌ・マリーは棘だらけだった。
「ちゃっかりしてるじゃないの。ジュン・ヤザキに取り入るなんて。確かにあなたよりは、ずっとしっかりしてるわ。あなたの半分の年齢でもね」
 彼女の刺は、あたしの肌をも、ちくちく刺した。あたしが親父の名声のために引き立てられた、と思っている。あたし自身を評価していたら、こういう態度にはならない。まあ、今の時点で評価してもらうのは、無理だと思うけど。
「そもそも、アレンさんは、カティさんの恋人だったんでしょ。それをあなたが横取りしたと聞いてるけど、どうやって誘惑したのかなあ。後学のために、ぜひ聞いておきたいんだけど」
 あたしが微笑みながら尋ねると、アンヌ・マリーは緑の目であたしを睨んだ。このガキ、口を出すなという無言のビーム。
「あなたも、たいしたやり手じゃない? 《エオス》のクルーが、こちらへ来るんですってね。大の男を何人も従えていられるんだから、さすがだわ」
 この態度、別の意味で評価できる。この人は、あたしが最高幹部会に抜擢されたからといって、あたしに媚びようとは思わないんだ。
「あなたなら、カティさんをどうするつもり?」
「基地に連れて帰って、冷凍保存にするわ。これ以上、わたしたちに迷惑をかけられないように」
 うひゃあ。本気で言っているように聞こえる。可哀想に、カティさんが怯えるわけだ。
「それじゃあ、あなたたちには渡せないな。カティさんは、あたしの元にいてもらうよ。あたしなら、秘書として正当に扱うもの。それに、もう友達になったし」
 二人とも、呆れたような顔をした。あたしは付け加える。
「もちろん、カティさんが中央で子育てしたいと思うのなら、喜んで送るし」
 それは、本人が否定した。
「いいえ、子供を隔離施設で育てたくはないわ。かといって、養育施設に預けたり、養子に出したりするのもいやよ。わたしがここで、自分の手で育てるの」
 カティさんは、中央で『母親が犯罪者』と言われるような育ち方をしたら、子供が傷ついて不幸になると思っている。それよりは、たとえ違法都市でも、自分の手で愛情込めて育てる方が、はるかにいいと。
 そこでようやく、メリッサが割って入った。
「とにかく、お座りになって、お茶をどうぞ。結論を急がず、ゆっくり話し合われたらいかがですか?」

 三時間かけた話し合いの結果は、決裂だった。
 アレンはカティさんを中央に送り返すと言うし、アンヌ・マリーは冷凍説だし、カティさんはあたしの元に残るというし、ユージンは知らん顔して、離れた席にいるだけだし。
「アレンのクローンを作って、二組のカップルに分かれたら」
 というあたしの案も(市民社会では許されないが、辺境なら可能なはずだ)、アレン自身に却下された。
「ぼくの記憶を複製したクローンを作っても、目覚めた瞬間から別の空間を占め、別の人生を歩きだす。そのクローンに何か強制することはできないし、ぼくが彼の人生に、幸福の保証を与えられるわけでもない。むしろ、不幸を増やすだけのことだ」
 まあ、それはそうかも。
 とうとう、あたしは宣言した。
「明日、もう一度話そう。今夜は二人とも、《キュクロプス》の直営ホテルに部屋を取ってあるから、そこで休んで下さい」
 むろん、こちらの監視下から出さないための手配だ。アンヌ・マリーを放置すると、カティさんに害を及ぼす危険がある。
 すると、アレンが言った。
「ミス・ヤザキ、すまないが、ちょっと別室で話せないか」
 アンヌ・マリーは疑う顔をした。
「わたしも行くわ」
 話の流れによっては、自分に不利な取り決めがなされるかもしれない、と心配している。
「いや、きみはここにいてくれ。五分で戻るから」
 いいですよ、何でも。この事態を打開する提案なら。
 少し離れた別室で、あたしとアレンは立ったまま向かい合った。こちらのアンドロイド兵士は付いているが、人間はあたしたちだけだ。
 とはいえ、アレンがあたしに危害を加える可能性は、ほとんどない。隠されているが、あちこちに警備システムのレーザー砲や電磁ネットが配置されている。
「それで?」
「頼みがある。このビル内なら、きみは何でもできるはず。アンヌ・マリーに麻酔をかけて、眠らせてくれ」
 おっと。
 あたしはまじまじ、アレンを見返した。かなり思い詰めた顔だ。
「それから、どうするの?」
「アンヌ・マリーを、冷凍睡眠カプセルに入れる。そして、カティを連れて拠点に帰る。これまでアンヌ・マリーのために使った時間と同じだけ、カティに捧げてもいいはずだ。もし……カティがそれを望んでくれれば、だが」
 あたしはしばらく、立ち尽くした。
 そういう解決法か。
 時間稼ぎだが、アレンは双子を二人とも、同じくらい愛している、ということになる。
「それは、カティさんにとっては、嬉しいことだと思うよ。でも、アンヌ・マリーを、永遠に眠らせておくわけにはいかないでしょ? それはさすがに、卑怯だよ。それに、何年かの冷凍だとしても、彼女が目覚めた時、事態が余計にこじれてしまうでしょ。あなたに裏切られた、と思って手に負えなくなるんじゃない?」
 と一応、忠告した。
「わかっている。だが、アンヌ・マリーを目覚めさせた時点で、永遠の裏切りではない証明になるだろう。少なくとも数年、ぼくに時間をくれないか。カティとじっくり向き合う時間を」
 どうしたものだろう。
 あたしがその企みに協力したら、それは結局、アンヌ・マリーを永眠させる結果になってしまうかも。
 ものすごくきつくて怖い人だけど、アンヌ・マリーがアレンを必要としていることは伝わってくる。
 だから、なりふり構わず、姉から奪ったのだ。
 アレンもそれがわかっているから、アンヌ・マリーを拒絶できなかったのだろう。それから十年以上、共に暮らしてきたからには、深い情が育っているはず。
「あなたが二人ともいっぺんに面倒見る……というのは、無理なんだよね」
「それは、アンヌ・マリーが認めない」
「まあ、そうだろうね……」
「ぼくが怖いのは、アンヌ・マリーが思い詰めたら、何をやらかすか、わからないという点だ」
「それは、わかります」
 アレンはそこで、首をひねった。
「いや、それは、カティも同じだな。彼女がまさか、誘拐犯になって辺境に出てくるとは、思ってもみなかった。そんなことができる性格じゃないはずなのに」
「うーん、表れ方が違うだけで、気質は同じなのかも。思い込んだら命がけ、みたいなところ。別れて十五年もあなたを思い続けていただけで、カティさんも相当なものだよ」
 アレンは苦笑した。
「そうだね。似ているのかもしれない。やはり姉妹だ」
 それから、視線を落として言う。
「ぼくが悪いんだ。最初に、アンヌ・マリーを拒絶しきれなかった。目の前で、手首を切られてしまってね」
 うわあ。
「カティのことは、とうにあきらめたつもりだったのに。こうして彼女に会ったら、もう……再び失うということには、ぼくが耐えられそうにない。カティを離したくないんだ」
 つい、胸が痛んだ。あまりにも、うらやましくて。
 あたしも誰かに、そんな台詞を言ってもらいたい。
 でも、誰が言ってくれるだろう。
 親父だってもう、あたしより、ドナ・カイテルの方に比重を移しているし。
 だって親父は、あたしがエディと恋人同士になったと思い込んで、安心していた気配がある。孫の顔を見られるのは、いつ頃かな、なんて楽しそうに言ったこともある。
 それは、違うのに。
 エディはあたしを、亡くなったリナ・クレール艦長の形代にしているだけ。罪滅ぼしという気持ちがあって、あたしに尽くしてくれるのだ。
 ナイジェルの言うように、それはきっかけに過ぎず、今はあたし自身を愛してくれるのだとしても、あたしはたぶん……エディに恋愛感情を持っていない。
 大好きだけど。もしかしたら、恋愛になりかけた瞬間があったかもしれないけど。
 エディが死んだと思った時……正確には、蘇った姿を見た時に、もっと大きな友愛に変化してしまった気がする。
 だから、エディに対しては、申し訳なさが先に立つのだ。尽くしてもらっても、お返しができない。
 アレンは改めて、あたしに訴えてきた。
「カティを泣かせておけない。ぼくが守りたいんだ。助けてくれないだろうか」
 あたしは迷った。これは本来、彼ら三人の問題だ。
 でも、あたしは既に、首を突っ込んでしまった。どうするのが、一番正しいことなんだろう。
 というか、恋愛に『正しい解決策』なんてあるのか。
 そもそも、恋愛自体が、狂気に近い思い込みだろう。
 進化が作り上げた、強力な欲望。それがあるから、人類は熱心に繁殖活動してきたわけだ。
「わかった。帰るふりで、二人で一階に向かって。手段は、あたしに任せて」
 とりあえず、一番の障害物を静かにさせて、時間を稼ごう。あたしには、他にもするべきことが山ほどあるのだから。

 カティさんは、アレンとアンヌ・マリーが兵に送られて出て行った後も、じっとソファに座っていた。あたしも横に座り、どう慰めたものか迷いながら、言ってみる。
「カティさんがアレンを忘れられなかったの、わかる気がするよ。いい男だね。本当に、あなたのことを心配してる」
 カティさんはようやく、口を開いた。
「ごめんなさい。わたしたちの争いに、あなたを巻き込んで。あなたは本当は、こんなことで煩わされる必要ないのに」
 その通りなんだけど、仕方ない。もう、友達だから。友達を大事にしなかったら、この世で何も成し遂げられないだろう。
「それはまあ、あなたもあたしの誘拐計画に巻き込まれたわけだから、お互いさまだよね?」
 カティさんは、疲れた様子ではあるものの、くすりと笑った。
「あなたって、本当に偉いわ。そんなに若いのに。わたしはだめね。アンヌ・マリーの言う通り、甘ったれの弱虫だわ」
 そう言われると、こちらが恥ずかしい。あたしはジェイクたちに守ってもらうために、彼らを辺境に呼び寄せてしまっている。来ないで、とは言えなかったのだ。
「でも、会えてよかった。アレンの子供が持てるなら、それでわたし、生きていけると思うの」
 それもまた、ちょっと危ういかも。
 カティさんが今度は、子供にべったりしがみつくようになったら、子供が不幸だ。
 でも、人が何かにすがるのは、仕方ないのかな。
 母を失った後のあたしは、親父にしがみついた。親父を守りたいとか思っても、それは表面的な理由で、結局は、親父に甘えたかっただけ。
 あたしも弱い。
 たぶん、自分一人で生きられる人間なんて、きっといない。
 それに、それでいいのではないか。もし、他人を必要としなくなったら、それはもう、人間ではないだろう。
 いったん席を外していたユージンが、戻ってきた。
「ジュン、アンヌ・マリーを途中で眠らせた。麻痺ガスだ。五階の医療室に運んである」
 あたしが頼んだ通り、うまくやってくれた。
「ありがとう」
 血相を変えたのは、カティさんだ。
「何ですって!? どういうこと!?」
 あたしは落ち着いて、という身振りをした。
「アレンに頼まれたんだ。あなたを連れて帰りたいから、アンヌ・マリーには、しばらく眠ってもらうって」
 連れ立って医療室へ行くと、メリッサが報告してくれた。
「一時的に眠らせてあるだけです。冷凍睡眠装置に入れるなら、そのように準備します。三時間以内に決めていただけると、追加の麻酔を入れなくて済むので、助かりますが」
 アレンが医療ベッドの横に立ち、透明なカプセルの中で眠っている赤毛の美女を見下ろしていた。アンヌ・マリーも、眠っていれば静かなものだ。
 あたしに気づくと、アレンは疲れたように微笑む。
「もう引き返せない。目覚めたら、怒り狂うに決まっているからね。それは、数年先まで保留にするよ」
「保留にしたって、解決じゃないけど」
「わかっている。その時までに、結論を出す。たとえば……半年ずつ、交互に一緒に暮らすとか」
 それくらいなら、アンヌ・マリーも仕方なく認めるかも。拒絶したら、アレンを永遠に失ってしまうと思えば。
「さもなければ……双方に、子供を作ればいいのかもしれない。これまで、そんなことを考える余裕はなかったが。アンヌ・マリーはきっと、いい母親になる。子供ができれば、ぼくに割く時間も減るだろうからね」
 カティさんは、がたがた震えていた。部屋の入口で固まったまま。アレンは振り向いて、カティさんの方に歩いていく。
 そして、有無を言わせず、がばっとカティさんを抱きしめた。
 あ、いいな。
 見ているあたしも、つい胸が高鳴り、顔が熱くなってしまう。
 それはメリッサも同じだったようで、うっとりした様子で、両手を握りしめている。もしかして、あたしの二倍か三倍の年齢でも、恋に恋する乙女のままだったりして。
「辛い思いをさせて、すまなかった。苦労させると思うが、一緒に来てくれないか?」
 カティさんはまだ、声も出ない。それでも、ためらいながら、アレンにしがみついた。しばらく経ってから、ようやく尋ねる。
「本当に、いいの?」
「ああ。今度は、きみのために自分を使いたい」
 アレンたちの組織は、アンヌ・マリーを頂点としてまとまっている。そこにカティさんを連れ帰るのでは、やはり、混乱が起きるだろう。
 アンヌ・マリーを慕っていたバイオロイドたちが、反逆とまではいかなくても、不服従の動きを見せるかもしれない。そこを他組織に付け込まれる、という可能性もある。
 でも、アレンはそれを乗り越えるつもりでいる。
 彼に任せてみよう。
 カティさんも、彼にしがみついたまま、嬉しそうにすすり泣いていることだし。

 翌日、アレンはお茶の席で、あたしたちに話してくれた。双子の姉妹との出会いから、現在まで。
「最初はカティと付き合っていて、大学を卒業したら、結婚しようと思っていた。それが、大学生活の途中で、アンヌ・マリーの方から近づいてきたんだ。最初、カティのふりをして、ぼくの前に現れたんだよ。カティと同じ髪型にして、似たような服装で」
 うわあ、それはホラーだ。
「それまで、カティに妹がいることは知っていたけど、別の学部だったから偶然に会うこともなかったし、双子とは知らないままだった。カティも、妹のことには触れたくないようだったし。とにかく、アンヌ・マリーとの最初のデートの途中で、カティじゃないと気がついた。でも、その時は既に……何というか……手遅れで」
 つまり、肉体関係に陥ってしまってから、カティさんじゃないと気づいたわけか。アレンの驚愕と後悔が、まざまざ見えるような気がする。
「ぼくが弱かったんだが、それからやむなく……何度か、カティに内緒で、アンヌ・マリーと会うことになってしまって……さすがに、これはまずいと思って、一か月目くらいで、もう会わないと宣言したんだが……アンヌ・マリーに脅迫されたんだ。ぼくがカティと別れないなら、死ぬと言って」
 ますます怖い。
「まさかと思ったが、目の前で、すぱっと手首を切られた。恐ろしかったよ。二人とも、血まみれになってしまって。ぼくは止血しようとするし、アンヌ・マリーはそれに逆らうし」
 そういうのを、修羅場というのだろうな。
「カティと別れると誓って、ようやく手当てすることができた。幸い、病院には行かずに済んだので、他人に知られることはなかったが」
 あたしは呆れた。アレンのお人よしに。
「そんなの狂言自殺だよ! アンヌ・マリーは、自分で死ぬような性格じゃないでしょう!」
 アレンは苦い顔で頷く。
「それは、ぼくにもわかった。でも、彼女は何度でも、こうやって自分を傷つけるだろうと思った。ぼくがカティと別れるまでね」
 う、そうか。
「そこまで必死になる娘を、とても見捨てられなかった。だから、カティと別れたんだ」
 すごい、アンヌ・マリー。まさしく体当たりで、姉からアレンを奪ったわけだ。
 あたしなら……できない。そこまでは、とても。
 だって、恋愛なんて、人生のごく一部にすぎないもの。人によっては、ものすごく大きな一部なのだろうとは思うけど。
 恋愛は……なくても生きられる。たぶん。他に、夢中になれるものがあれば。
 そういうところ、あたしは冷たいのか。だから、最高幹部会に見込まれたりするわけか。
 そうだな……今は、どんな改革をするかで頭が一杯だ。ジェイクたちが来てくれたら、ああしてこうして、と計画を立て始めている。まずは、本物の総督にならなくては。
「カティは誰にでも好かれる優等生だったから、ぼくが去っても、他の男と幸せになれると思った。だから自分は、アンヌ・マリーを幸せにしようと決心したんだ。他の男では、アンヌ・マリーのわがままを受け止められない。いや、彼女はわがままというより、意志が強くて、自分の考えを持っているだけなんだが。それは市民社会では、身勝手と言われてしまう資質だからね」
 困ったものだ。アレンには包容力がありすぎる。だから、アンヌ・マリーに見込まれてしまったのだろう。
「しかし辺境では、それはプラスに働いた。アンヌ・マリーは優秀な統率者だったよ。ぼくは自分たちの組織を育てることに必死だったので、市民社会を振り返る余裕がなかった。カティがあれからずっと苦しんでいたなんて、ユージンから連絡を受けるまで、知らなかったんだ」
 カティさんは白いドレスを着て、アレンの横にぴったり張りついている。頬は薔薇色に照り輝いて、緑の瞳も濡れたような輝き。
 雨の後に開いた花のようで、瑞々しく、美しい。たった一晩で、見違えるほど艶麗になった。
 この姿を見てしまったら、もう、
「おめでとう。アレンと幸せにね」
 と祝福するしか、ない。
 今回は、カティさんの粘り勝ちだ。ずっとあきらめずに思い続けたことで、こういう結果になったのだ。
 その代り、アンヌ・マリーを目覚めさせた時が怖いけど。
「ありがとう。ごめんなさい、ジュン。せっかく秘書にしてもらったのに、何もしないうちに離れることになって」
「そんなこと、いいから、気にしないで。それより、アンヌ・マリーの代りに組織に入る方が大変だよ」
「それは、何とかやってみるわ」
 まあ、アレンが一緒なら、何とかなるだろう。助けが必要な時は、相談してくれればいい。
 彼らが《アグライア》を去った後で、あたしはメリッサに聞いてみた。
「ねえ、ああいう大恋愛、したことある?」
 メリッサはため息をつく。
「残念ながら、ありませんわ。小恋愛さえ、ありません。そんなことがあったら、中央で平凡な母親になっていたかも」
 やはり、夢見る乙女だ。それでいて、違法組織内で出世できるのだから、不思議なもの。いや、恋愛に気を散らさない方が、仕事向きなのか?
「ユージンは?」
 とサングラス男に話を振ったら、冷淡な態度。
「人に聞くなら、まず自分が打ち明けたらどうだ?」
 ふん。
「あたしだって、そんな経験、ないよ。あったら、こんなところに来ていないよ」
 子供の頃、空手道場の先輩に憧れたり、友達のリエラのお兄さんに憧れたりはしたけれど、それはみんな、淡い片思い。会わなくなったら、自然に忘れてしまった。
 まだ忘れていない片思いもあるけれど……仕方ない。あたしは、戦う人生を選んだのだ。仲間として傍にいてもらうだけで、十分だと思わなくては。
「あら、ジュンさまには、エディ・フレイザーという恋人がいるはずでは?」
 メリッサまで、それを言うか。
「違うよ。エディは船の仲間。付き合ってるふりをしていれば、防壁になるから」
「あら、本当にそれだけなんですか?」
「それだけだよ」
 納得されていない気はしたけれど、どうでもいい。とにかく、この件は落着した。数年後にまたもめるようなら、その時のこと。
 カティさんがうらやましくて、切ない気分もあったけれど、それは忘れよう。あたしはまず、仕事に集中しなければ。

9 ダグラス

「みんな、行ってしまったよ。何だか、すっかり気が抜けてしまって。急に、二十歳くらい老け込んだような気がする」
 わたしは通話画面の相手に向かって、愚痴をこぼした。
「まさか、こんなことになるとはなあ」
 ドナ・カイテルは相変わらず冷ややかで、毅然としている。それが、彼女のいいところだ。
「娘が父親離れするのは、当然でしょ。これまで、べったりしすぎだったのよ。あなたもいい加減、子離れなさい」
 その通りだ。
 しかし、ジュンばかりでなく、ジェイクもルークもエイジもエディも、みんないなくなってしまって。
 親友のバシムだけは残ってくれているが、彼には妻も息子たちもいる。孤独ではない。
「仕事も取り上げられてしまって、することがなくてね」
 と苦笑した。
 安全対策だと言われ、わたしとバシムはまだ、軍基地に軟禁されたままだ。仕事の再開が許されるのは、いつになることか。
「どうせ軟禁されているのだったら、どこかの島にでも行かせてもらったらどう? 他に人のいない離れ小島なら、司法局も警備しやすいでしょう。南の海で釣りでもダイビングでもして、気晴らしすれば。そのうちまた、気力が戻ってくるわよ。娘が巣立ってしまった、空の巣症候群なんだから」
 なるほど、そうか。
「軟禁場所は、ここでなくてもいいんだな」
 と気がついた。さすが、ドナは、わたしと違う視点を持っている。
「一週間ごとに、場所を変えてもらってもいいんじゃなくて?」
「そうだな。交渉してみよう」
 ドナは別の惑星で、重犯罪者用の隔離施設にいるが、快適な個室をもらっているし、そこで好きな勉強をしているようだ。
 わたしを誘拐し、記憶を操作した罪で逮捕されたが(ジュンが彼女を捕え、軍経由で司法局に引き渡したのだ!!)、くじけてはいない。胸にまだ闘志を秘めて、何か計画している。たくましい。
 わたしはドナと話すと、何か励まされる。新鮮な刺激を受ける。
 わたし本来の記憶を封じられていた間、何か月も彼女と暮らしていたのだ。
 その時は、自分たちは夫婦なのだと信じていた。今もまだ、その時の感覚が残っている。
 もしかしたら、彼女と結婚するという人生も有り得たのだ。同じ大学にいたのだから。
「あの子はマリカの娘だから、普通の人生では納まらなくて、当然なんだろうな。バシムにも言われたよ。くよくよ心配せず、応援だけしてやれと」
 そういう内輪の話も、ドナは聞いてくれるし、冷淡な顔ながら、わたしの背中を押してくれる。
「辛気くさいわね。そんな年寄りみたいな言い方、しないでちょうだい。あなたもわたしも、まだ若いのよ」
 そうだ。人生の残り時間は十分ある。わたしもドナも、まだ五十歳前。
「あなたはこれから、若い女の子と付き合うことだってできるんだし」
 それには、苦笑するしかない。
「いやいや、それはやめておくよ。ジュンと重なってしまって、保護者の気分になってしまう。それより、きみの方がいい。きみが出てきたら、温泉にでも行こうか」
「ほら、辛気くさい。わたしは賑やかな場所で遊びたいわ」
「それじゃあ、近くに温泉のある都市でどうだ?」
「いいわ、観光ガイドで探しておいてちょうだい。一流ホテルでないといやよ」
「わかってる。きみは何であっても、最高水準を目指す人だ」
 ドナの顔にからかう笑みが浮いたので、慌てて手を振った。
「いや、わたしが最高の男かどうかは別で……」
「そうね、それはわたしが決めることだわ」
「いや、参ったな。きみに合格点を出してもらうのは難しい」
「あなたも、わたしを採点して構わないのよ」
「とんでもない……きみには勝てない」
「そうやって、女をいい気にさせるのね?」
 こういう他愛ない話をするのが、わたしの救いだった。ジュンは遠い戦場にいる。わたしには、何もしてやれない。だが、それでも心配することは止められない。親というのは、一生、親だ。
 それは、わたしの両親も同じなのだろうが。
 マリカが死んだ時、それまで絶縁していた両親が、はるばる会いにきた。そして、ジュンを引き取りたいと言った。これまで可愛がってやれなかった分、これから償いたいと。
 だが、自分の悲しみで手一杯だったわたしは、それを手ひどく撥ねつけた。ジュンと会うことすら認めず、追い返した。
 いま思うと、間違っていたかもしれない。ジュンを祖父母に預け、穏やかに暮らさせるという道もあっただろう。
 両親と弟妹がマリカとの結婚に反対したのは、わたしの幸福を願ってのことだ。だが、わたしは親の心配を振り捨てた。若かったのだ。
 今ならもしかして、和解できるだろうか。
 ジュンが巣立った空虚のおかげで、ようやく、両親の痛みも想像できるようになった。手紙を書いてみるくらいは、いいかもしれない。うまくいけば、それが面会に通じるかもしれないし。
 ドナならおそらく、何でもやってみろと言うだろう。
 彼女がいずれ刑期を終えて、自由の身になったら、そうしたら……残る人生、一緒に暮らそうと言ったら、彼女は何と答えるだろう?

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