レディランサー 帰郷編

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帰郷編 1 

「エディ、どう?」
 母と姉のアリサが、ジュンを連れて居間に戻ってきた時、ぼくは呆然としてしまい、しばらく声が出なかった。
 ジュンが、赤い絹地に白や紫の花模様の、豪華な振り袖を着せられていたからだ。
 黒く短い癖っ毛の髪も、きちんとピンで止められ、華やかに揺れる髪飾りを挿してある。
 金糸の刺繍がある、重量感のある帯も、背中で大きく華やかに結ばれている。
 着物自体には見覚えがあった。何年か前、アリサが何かのパーティで着たものだ。しかし、それがジュンを包む日が来ようとは。
 ジュンは小麦色の肌に薄く化粧されていて、照れたような、困ったような顔である。オレンジがかったピンク色の口紅がよく映えて、見違えるように華やかだ。元々、美人顔ではあるのだけれど、日頃は何しろ、質実剛健だから。
「あたしにはちょっと、豪華すぎると思うんだけど……」
 ジュンは長い袂を持て余す身振りをしているが、豪華すぎるなんてことはない。若い女の子が着飾らないで、誰が着飾るのだ。
「よく似合うわ」
「素敵よ、可愛い」
 二人がかりで着せた母と姉は、いたく満足そうである。
「着物は元々、日本の民族衣装だから」
「あなたにぴったりよ。みんなに見せびらかしていらっしゃい」
 ぼくたちはこれから、友人たちとの同窓会に行こうとしていた。《エオス》が近くの星系まで来たので、一週間の休暇をもらい、ジュンと二人で、ぼくの郷里の惑星にやってきている。
 ぼくは勘当の身なので(勘当と言い張る父は、艦隊勤務ではるか彼方にいるが、ぼくが実家に泊まったりしたら、後できっと怒るだろう)、昨夜は近くのホテルに泊まったが、ジュンはぼくの家に泊まった。そうでないと、母と姉が承知しなかった。 二人とも、ジュンと仲良くなりたいと熱望していたからだ。
 内心ではきっと、
(いつかは、エディと結婚……)
 と期待しているのに違いない。ジュン本人は、ぼくのことを男だなんて思っていないことを、ぼく自身はよくわかっているのだが。
 この時期に同窓会が開かれたのは、たまたまである。しかし、ぼくが出席できると知ると、友人一同から、
『ぜひ、ヤザキ嬢も一緒に』
 という熱い要望が来たのだ。
 要望というか、ほとんど脅迫である。ぼくがジュンを連れて行かなかったら、みんなに首を絞められるに違いない。
 何しろジュンは、市民社会の新たなヒロインだから。
 カイテル製薬の社長だったドナ・カイテルに誘拐された父親を、辺境から無事に奪還してきたことで、ジュンは、
『もしかしたら、父親以上の豪傑かもしれない』
 と言われるようになった。
 その陰にアイリス一族という助力者がいることは、ぼくとジュンだけの秘密である。
 アイリス一族からの情報がなければ、広大な辺境の宇宙で、とてものことドナ・カイテルの居場所を突き止めることはできなかった。アイリスたちは、無事に(というか、過激にというか)、辺境で 勢力を伸ばしているらしい。
「でも、これ、歩きにくいんですけど……」
 ジュンは金色の草履を履いた足元を見て、遠慮がちに言う。
「そう、だから、転ばないように、内股でお上品にね」
「エディ、気をつけてエスコートしてあげるのよ」
 慣れない衣装で困惑しているジュンには悪いのだが、ぼくは単純に感動していた。
 なんて綺麗なんだろう。
 生きた宝石のようだ。
 こんな美少女をエスコートできるなんて、ぼくは果報者だ。
 ああ、生きててよかった。
 たとえジュンが、ぼくを〝便利な番犬かつ荷物持ち〟程度にしか思っていないとしても。
「ほら、なんか感想は」
 アリサに肘でつつかれ、ぼくははっとした。
「あ、綺麗だよ、とっても……」
 だなんて、馬鹿みたいなことしか言えない。ぼくが作家か詩人なら、この感動をもっとうまく言い表せるのに。
「そう?」
 ジュンは甘い色に塗られた唇を尖らせ、恨めしいような顔をしてみせるが、さすがに、母や姉の好意を無にするようなことは言わない。
「それじゃあ、行ってきます……着物、汚さないように気をつけますから」

 ぼくはジュンを車の助手席に乗せ、ほとんど『天国へのドライブ』という気分だった。首都のホテルまで三十分の、快適な走行である。着物の長い袂はジュンの膝の上に揃え、帯揚げなどの付属品を崩さないよう、慎重にシートベルトをかけた上でのこと。
 もちろん、司法局の護衛車は距離を置いて前後に走っているが、それはいつものことなので、風景の一部になっている。同窓会の会場になったホテル周辺も、既にきっちり警備されている。誘拐や狙撃の危険はないだろう、たぶん。
 ああ、男でよかった。
 こんな美しい女の子を連れて、車を運転できるなんて。
 群がってくる男どもを、当然のような顔で追い払う役も務められる。
 ジュンと 出会った時に、ぼくの人生はようやく本番を迎えたのだ。
 しかし、
「これ、後ろに寄りかかれない……」
 情けない声でジュンが言う。相手が悪党なら、得意の蹴りをお見舞いする子だが、堅い帯で締め上げた正装だと、勝手が違うのだろう。
「ごめん。母と姉が無理を言って」
 二人とも、ぼくが女性連れで帰郷したのが、嬉しくてならないようだった。ジュンは別に、ぼくの何というわけではないのだが(そりゃあ、ぼくの側には野心があるが)、今は単なる〝船の仲間〟にすぎない。
 それでも、軍を辞めてさすらっていたぼくが、ジュンと出会ってから〝再生〟した、そのことが二人を安堵させ、歓喜させている。
『ジュンに何か変なこと、言わないでくれよ』
 母と姉には、何度も念押ししなければならなかった。ぜひ息子の恋人に、とか、弟をよろしく、なんて言われた日には、ジュンの方が困ってしまうではないか。
 もちろん、いずれはそうなって欲しいけれど、それにはまだ何年もかけて、ぼくがジュンに認めてもらう必要があるのだから。
「ううん。こんなに歓迎してもらって、それはとっても嬉しいんだけど……」
「今日一日だけ、我慢してくれないかな」
 ぼくは拝むような気持ちで頼んだ。せっかくこれだけ着飾ったのだから、同窓会でみんなに見てもらいたい。
 ぼくは横に張りついて、不埒者がジュンを口説いたりしないよう、睨みを効かせるつもりだ。
 まさに、人生の晴れ舞台というところ。
「まだ時間はあるから、途中で何か軽く食べるかい?」
 会場に着いたら、ジュンは握手攻めや写真攻めになり、飲み食いするゆとりはないかもしれない。有名人の宿命だ。
「食べるぅ?」
 ジュンは恨めしげにつぶやいた。
「これで、ものが入るのかな。そのうち、酸欠でぶっ倒れるかも。昔の人は、本当にこんなもの着て暮らしてたの?」
「うーん、それはたぶん、上流婦人の衣装だろうね」
「映画で見たけど、庶民はもっと涼しそうな格好してたよ。あ、でも、お城のお姫さまとか、位の高い侍女とかは、ズルズル長い裾を曳いてたな。あれよりはまだ、ましなのか」
「そんなに辛い?」
「ほとんどゴーモン」
「ごめんよ。無理に苦しい格好させて。でも、ほんとに綺麗で、夢みたいだな」
 ついうっかり、本音を洩らしてしまった。ジュンに何か気づかれたのではと、横目で様子をうかがってしまう。でも、ジュンは慣れない着物の襟元を気にしているようだ。
「ま、いいけどね。お母さんたちが、せっかく着せてくれたんだから……でも、奴らが見たら、爆笑だろうな」
 というのは、《エオス》の先輩たちのことだ。
 先輩たちは〝鬼軍曹〟の役を引き受けているから、ジュンには厳しく当たる。次々と仕事を言いつけ、ちょっとでも失点があれば、びしばし叱る。
 でも、本当はジュンを妹のように思い、見えない所で気を配り、守ってくれているのだ。ジュンのこんな晴れ姿を見たら、表面上は、
『馬子にも衣装だな』
 とか何とか、からかうかもしれないが、心底では、涙ぐむのではないかと思う。普段のジュンは、男より男らしくあろうとして、着古した作業着のようなものばかり着ているから。
 本当にまったく、女の子が、男らしくなろうなんて思わなくてもいいのに……仕事を頑張るということと、男のように振る舞うというのは、違う次元のことではないか。
 まあ、ジュンの場合は、男ばかりの輸送船に女の子一人で乗り込むという点で、過剰に気を張っているからだけど……

 途中、街道沿いのレストランに入り、軽食を摂った。ジュンも少しは、食べ物が喉を通ったようだ。慣れない着物姿で、着物に汚れをつけないよう注意しながら、袖や裾の扱いに苦労しながら。
 でも、そのおかげで、普段のジュンとはまるで違う身のこなしになっている……時代劇で見る、武家娘のようだ。普段が躍動の美なら、今日は抑制の美というところか。
 それから車に戻り、惑星首都の一角にあるホテルに向かう。
 ホテルの正面ロビーに着き、ぼくがジュンを車から降ろして、エスコートしようとしたら……
 待ち構えていた男どもに、わっと囲まれ、そのままさらわれてしまった。
「ようこそ、ミス・ヤザキ!!」
「お待ちしてました!!」
「貴女をお迎えできて、光栄です!!」
「今日はまた、何てお美しい!!」
「さあ、こちらへどうぞ!!」
 気がついたら、ぼくは後に取り残され、ジュンだけが野郎どもの壁に取り囲まれて遠ざかっていく。ぼくは助けを求めて、左右を見た。すると、ダークスーツを着た司法局の面々が、
「危険物を持っている人間は、いませんから」
 と苦笑で言う。
 そりゃあそうだろうが、これでは、ぼくは〝番犬〟の役を果たせないではないか!! 親父さんに、『ジュンを頼む』と言われているのに!!
 野郎共の壁にぶつかり、かき分けてジュンの元へ行こうとしたが、一致団結したスクラムに軽く跳ね返された。
「こらこら、おまえは日頃、ミス・ヤザキと一緒にいるんだろうが」
「俺たちは、今日しか会えないんだからな」
「あっち行ってろ、酒でも飲め」
 呆然と立ち尽くしていたら、横から腕を取られた。宝石のブレスレットをはめた、女性の腕だ。腕の主はショートカットの美女だが、えーと、誰だっけ。女性は、髪型と化粧で印象が変わるから。
「エディ、あなたはこっちにいらっしゃいよ」
 反対側の腕を、別の女性に取られた。
「そうそう、今日は、お姫さまは他の男性に任せて」
 いつの間にか、ぼくは女性たちに取り巻かれていた。同じ学年だった女性もいれば、年上も年下もいる。集まれる同窓生は、みんな集まっているようだ。甘い香水の香りにむせそうになりながら、質問攻めに遭う。
「ねえねえ、ヤザキ船長って、映画通りの方?」
「再婚なさるおつもりは、絶対にないかしら?」
「副長のオウエン氏って、本命の恋人いる?」
「あなたとエイジさんて、どっちが強いの?」
「もう《エオス》には慣れた? 辺境に出るの、怖くなかった?」
「違法都市って、どんな感じだった?」
 答えて解決するよりも、新たな質問の方が多い。それからは、乾杯になったり、恩師や先輩に挨拶したりして目まぐるしく、まったくジュンの近くへ行く暇がなかった。
 みんなもそれぞれ、近況を報告しあったり、遊びの計画を立てたり、思い出話で笑ったりして、大変な賑わいである。誰かが結婚話でからかわれ、振られた話をして慰められ、新しい酒がどんどん注がれる。
 気がついたら、ジュンを囲んでいた一団がいない。どこへ消えたのだ!?  まったく、油断も隙もない!!

   2

 ふう。
 やっと息がつけた。
 握手やら写真撮影やらが一段落したので、あたしを取り巻く男性たちに、少し休憩したいと頼み、ホテルのテラスに出ることができた。緑の庭園が見渡せ、涼しい風が通って、気持ちいい。
 テラスの椅子に座り(大きく結ばれた帯のせいで、背もたれに寄りかかることはできないが)、飲み物をもらい、ひきつった笑みで、周囲の男性たちの話を聞いていたら……
「やあ、ここか」
 一際かっこいい男性が、風のように現れた。
 というか、あたしを囲んでいた男性たちの壁を、魔法のようにすり抜けて登場した。
 カールした短い黒髪に、切れ長の黒い目、浅黒い肌。
 すらりと背が高く、隙のない身のこなしだ。何かのスポーツで鍛えているに違いない。高価そうな濃紺のスーツを、さりげなく着こなしている。
 おまけに、 気がついた時は、あたしの手を取っている。
「初めまして、ミス・ヤザキ。エディの幼馴染みです。ナイジェル・コーヴィッツといいます」
 幼馴染みというなら、ここにいる全員、そうだと思うけど。みんな、エディと同じ町で育った同窓生でしょ。
「お目にかかれて光栄です」
 と言った時には、身をかがめてあたしの手にキスしていた。周りにいた男性たちも、気圧されたように引いてしまっている。明らかに、
(また、こいつかよ)
 という、うんざり顔。
 でも、誰一人、ナイジェル・コーヴィッツを咎めたり、押し戻したりする者はいない。
 おそらく、このナイジェル氏、少年時代から、女の子の熱い視線を一身に集めていた存在ではないだろうか。
 そして、男連中からは、
(あいつさえいなければ)
 と思われていたのでは。
「ミス・ヤザキ、今日、この後のご予定は? よければ、ぼくに案内役を任せていただけませんか? むろん、司法局の護衛付きで結構ですよ」
 まるで、あたしが喜んで案内を頼むのが当然というような、余裕ある態度。ようやく、周囲からブーイングが上がった。
「よせよ、ナイジェル」
「この人の番犬は、エディに決まってるだろ」
「俺たちだって、そこは遠慮してるんだからな」
「ぼくたちがお話できるのは、この会場だけのことだよ」
 あれあれ、エディはここでも番犬呼ばわりか。しかし、ナイジェルという男、男たちの不興など気にしないらしい。
「ぼくはあなたに、特別、興味深い話をしてあげられると思いますよ。エディが昔、ぼくの妹と付き合っていたこととかね」
 え。
 あれ。
 そうなの?
 エディからはそんな話、聞いたことないけど。
 大学の時も、軍に入ってからも、特別に親しい女性はいなかった、とだけ聞いている。憧れのリナ・クレール艦長は、別格としてね。
 それ以前の思い出話でも、特にそういうことは……それとも、あたしに話すようなことではない、と思ったのかな。
 その時、ナイジェルの肩に男の手がかかり、ぐいと乱暴に横へ押しやった。
「あることないこと言うな!!」
 わ、珍しい。
 エディが怒ってる。
 普段、あたしがどんなにわがままを言っても、にこにこ、穏やかに応じてくれるのに。
「ぼくがいつ、エレインと付き合った!!」
 あ、エレインというのか。ナイジェル氏の妹さん。
 その名前がすぐに出てくること自体、何かあったことをうかがわせるな。この怒りようも、何かあったから……ではないだろうか。
 押しやられたナイジェル氏の方は、悪びれない態度で襟元を直す。
「やあ、エディ。すっかり元気になったようで、よかったな。《トリスタン》の件では、みんな、心配してたんだぜ」
 うわ。
 ナイジェルが、わざとエディの傷口をえぐった。
 《トリスタン》が爆破されて同僚たちが亡くなり、エディが軍を辞めて、半年も放浪していたことは、みんな、気を遣って言わないようにしていたのに。
 やはり、エディの顔が紅潮した。
「ぼくに、何か喧嘩を売りたいのか!?」
 本当に珍しい。エディがこんなに感情的になるなんて。いつもは、短気なあたしをなだめる役に回ることが多いのに。
 よっぽど少年時代、ナイジェルと仲が悪かったのかな。
 もしかして、ライバル関係?
 エディも少年時代は、今より発火しやすかったのかもしれない。それはそうか。子供の頃から老成してたら、不気味だもんね。
 そういえば、あたしがエディを知ったのは《トリスタン》の事件後だから、それ以前はもっと単純だったり、軽率だったりしたのかも。エディにはエディの、人生の歴史があるんだと、ようやく実感した。
「まあまあ、せっかくの同窓会なんだから」
「ほら、ナイジェルも何か飲めよ」
 周囲の男性たちが、協力してエディとナイジェルを引き離した。あたしがぽかんと見送っていたら、今度は女性たちに取り巻かれる。
「あなたも大変ね。ちょっと、こっちいらっしゃいよ」
 いずれも、お洒落で綺麗なお姉さんたちだ。彼女たちはあたしの周りを人垣でガードしてくれ、男性たちから遮ってくれた。
「ごめんなさいね。せっかくの休日、サイン会みたいになっちゃって」
「男ども、すっかり浮かれちゃって。疲れたでしょう」
 いたわってもらえたのが嬉しかったので、精一杯にっこりした。
「いいえ、そんなこと。歓迎してもらって、嬉しいです。あたし、飛び入りなのに」
 他にも、家族や恋人を連れての出席者はいるから、飛び入り自体は構わないと思うけど。護衛を引き連れた飛び入りは、他にはいないだろう。司法局の護衛チームは、さりげなくあちこちに散っている。
 それでも、あたしが多くの市民に知られ、ちやほやされるのはいいことだ。いずれ、アイリス一族の存在が世間に知られるようになったら、
『恐ろしい。絶滅させてしまえ』
 ということになるかもしれない。その時、仲立ちになるためには、知名度が高い方がいいに決まっている。
「ところで、あのナイジェルという人、エディと仲が悪いんですか?」
 お姉さんたちは、あたしの疑問に応じて、色々と話してくれた。
「エディとナイジェルってね。昔から、あんな感じなのよ」
「ライバル関係っていうのかしら? よく衝突してたわね」
 ははあ、やっぱり。
「どっちかというと、ナイジェルの方が一方的に、エディをライバル視してたんじゃない?」
「大抵、二人がトップ争いをしていたものねえ」
「でも、エディはナイジェルを避けていたわよね」
 なるほど、そういうことか。
 エディは見た目、のほほんとしているけれど、実際には飛び抜けて優秀で、何でもできる器用な男。その余裕が態度に表れているから、のんびりして見える。
 それに対して、ナイジェルというのは、いかにもモテます、切れ者ですと自分で言ってるような印象の男だから、お互いに、お互いが目障りだったのかも。
「そのナイジェルさんの妹さんと、エディが付き合ってたんですか?」
「付き合っていた、とは言えないわね。エレインの片思いだったもの」
 へえ。
「せがんでデートしてもらっても、エディの方では、デートとも思っていなかったんじゃない?」
「妹のわがままを聞く、みたいな感じかしら」
「はあ、そうなんですか」
 それもわかるな。エディはきっと、自分が熱烈に好かれていることにも、気がつかなかったのだろう。
 というか、常に周囲の女性にモテているので、それを当たり前の環境と思い、他の男性はそうでないことが、わかっていないのではないだろうか。
 それでもまあ、同窓の男性たちに悪く思われていないところが、人徳というものだろう。
「エレインが告白したのかどうかは、わからないわ。でも、ある時からエディを追いかけるのやめたから、あきらめたんじゃない?」
 うーん、そうか。
 ナイジェルにしてみたら、
(俺の可愛い妹を泣かせやがって、この野郎)
 という気持ちもあるんだろうな。
 エディって本当に、罪作りだ。自分が周りの人間に劣等感を与えることが、わかっていない。自分が苦労なく優秀なものだから、凡人の苦労なんか、見えないのだ。
 まあ、仕方ないけどね。
 あたしは日々、その優秀なエディに甘えて楽をさせてもらっているので、何も言えないのだ。

 帰りの車の中で、あたしは草履を脱ぎ、ぐったりしていた。
 楽しかったけれど、気を張って愛想笑いしていたから(エディの地元で、悪い評判なんか立てられたら大変!!)、人疲れしている。
 でも、あとはもう、エディの家に帰って、この着物を脱がせてもらうだけだから。そうしたら、再びゆったりと呼吸ができる。
 昔の日本女性って、本当にこんなものを着て、日常生活送っていたのか。それとも、もっと楽な着付け法があるのかなあ。
「ごめんよ、疲れさせたね」
 と運転席のエディが言う 。
「ううん。いろんな話が聞けて、よかったよ。楽しかった」
 エディの子供時代のあれこれ。思った通りの少年時代だ。みんなに愛される優等生。
 でも、ただ一つだけ、悲しいことを聞いた。エディのことを好きだったエレインは、大学卒業後、惑星開発局に入り、輸送船に乗っている時、違法組織の襲撃を受けて、同僚共々亡くなっているという。
 それを聞いたので、あたしはナイジェルが気の毒になった。
 可愛い妹が、せめて少女時代、初恋を実らせていればよかったのにと、何度も悔しく思っていたのだろう。エディにからんだり、八つ当たりしたい気持ちがあっても、無理はない。
「ねえ、あのさあ……」
 運転しているエディに、あたしはつい、確かめずにいられない。
「エレインて、どんな女の子だったの?」
 途端に、エディが苦いものを舐めたような顔をする。
「ジュン、何を聞いたのか知らないけど、ぼくはエレインと交際なんか、していなかったからね」
 はいはい。
「でも、同じ町内なんだから、幼馴染みでしょ。一緒に遊んだりとかも、してたでしょ」
「そりゃ、子供の頃は、みんなで混じって遊ぶよ。でも、それだけだから」
 あくまでも、その他大勢と同じと言いたいのか。
「告白されたりしなかった?」
「だから、そんなことは何も、全然、なかったよ」
 ふーん。
 でも、周りで見ていたみんなは、違う意見なんですけど。
 エレインはきっと、エディに告白しようかどうしようか、散々悩んだに違いないのだ。でも、エディが自分を何とも思っていないのは明らかだったので、そのうち、自然にあきらめてしまったのだろう。
「まあ、それじゃ、そうとして……ナイジェルっていうのは、子供の頃からエディと仲悪かったの?」
 エディがますます、苦い顔になる。こんな顔を見るなんて、初めてかもしれない。いつもにこにこ優しくて、あたしがきついことを言っても、困り顔になるだけなのに。
「あいつはとにかく、傲慢が服着て歩いてるような奴だから」
 と断定する。
「頭が良くてスポーツ万能、女の子にはモテモテ。おかげで、あんな厭味な性格に育ったんだ」
「へええ……」
 頭が良くてスポーツ万能、女の子にモテモテというところは、エディとそっくりなんですけど。
 ナイジェルの方は、自分の優秀さを自覚していて、颯爽と振る舞っている。エディの方は『ぼくなんか』と謙虚に思い、控えめに振る舞っている。
 考えようによっては、エディの方が悪質かもしれない。だって、それでは、周囲の人間は、エディを憎むこともできないではないか。
「ジュン、まさか、あいつと何か約束なんか、してないよね」
「約束?」
「つまり、後で個人的に会おうとか、そういう……」
 あ、そうか。
 もし、エレインについて何か聞きたいと思ったら、ナイジェルに通話すればいいわけだ。よし、今夜、メッセージを入れてみよう。
「そんな約束なんか、する暇なかったよ」
 と答えておいた。嘘ではない。通話くらい、黙っていれば、エディにはわからないことだしね。

 自宅でお母さんやお姉さんと夕食を共にした後、エディは近くのホテルに引き上げた。
 自分の家なんだから、自分の部屋で眠ればいいと思うのだけれど、お父さんに勘当された身ということで、変に遠慮しているのだ。
 勘当自体は気にしていない、と言うくせに。
 あたしは以前、こっそりエディのお父さん、ロナルド・フレイザー大佐と会い、勘当を取り消してくれるよう、お願いしたことがある。
 それは叶わなかったけれど、お父さんがエディを愛し、心配していることはよくわかったから、それでよかった。勘当を言い渡したことも、エディを甘やかさないための親心なのだ。
 今回も、エディの自宅を訪問することは、(エディには内緒で)フレイザー大佐に報告してある。どうぞゆっくり泊まって下さい、とのことだったから、あたしは安心して、お母さんやお姉さんの歓迎を受けられたわけ。
 四人で楽しく夕食を済ませた後(あたしは着物から自分の私服に戻ったので、お腹一杯食べられた)、結婚しているお姉さんはダンナさまのいる自分の家に引き上げ、あたしは二階の客室に引き取った。そして、ナイジェルに通話申し込みのメッセージを送った。
 少し待つうちに返答があり、本人が通話画面に出る。
「やあ、今晩は、ミス・ヤザキ。連絡してくれて、ありがとう」
 改めて向き合うと、やはりかっこいい。
 黒い目と黒い眉をした精悍なハンサムだし、ちょっと暗さがあって、そこがまたいい味になっている。なるほど、女の子にモテるわけだ。
 もっとも、少年時代からプレイボーイだったらしくて、今日の同窓会でも、男性たちの評判はよくなかった。みんな、自分が好きな女の子をナイジェルに取られた、という恨みがあるらしい。
 でもまあ、優秀な男が好きなのは、女の本能だから。
 モテることは、彼のせいではない。
 問題があるとすれば、一人の女性と長続きせず、毎月のように相手を替えていた、というあたりだろうか。
 でも、それでもいい、という女性が沢山いたというからねえ。
「あの、今晩は。ご迷惑でなければ、よかったんですけど」
「迷惑だなんて、とんでもない。こんな美しい方に声をかけていただけるなんて、無上の喜びですよ」
 うわ。
 社交辞令とわかっているのに、強い瞳で見つめられて、ちょっとクラっとする。何だろう、危険な魅力っていうのかな?
「あの、実は、今日、同窓会で色々話を聞いて……ちょっと、その、もしよかったら……」
「どうぞ、何でも聞いて下さい」
 あたしは不意に、自分が恥ずかしくなった。下世話な好奇心で、亡くなった妹さんのことを、あれこれ聞き出そうなんて。
 あたしは他人で、何の関係もないのに。ナイジェルにしてみたら、迷惑でしかないだろう。
「あの、つまり、ごめんなさい……亡くなった妹さんと、エディが付き合っていたとか、いないとか聞いたものだから……」
 うわあ。
 これじゃまるで、あたしがエディの過去に、焼き餅焼いてるみたいじゃない?
 そうではなくて、エディのあの敵愾心のことが気にかかるのだと言っても、信用されないだろうなあ。
 ナイジェルは、ふっと苦笑した。
「実際は、何もなかったんですよ。妹のエレインが、一方的に熱を上げていただけで、エディは気づいてもいなかった。エレインが口実をつけて、エディを引っ張り回していたから、遠目には、二人が付き合っていたように見えたかもしれないけど」
 ひええ。 やっぱりそうだったか。エレインさん、気の毒に。
「じゃあその……」
 あれ?
「昼間は確か、二人が付き合っていたとか、言ってませんでした?」
「ええ、言いましたよ」
 ナイジェルは悪びれず、悠然と微笑む。
「そう言えば、貴女の興味を引くだろうと、わかっていましたからね。現にあなたは、こうして連絡してくれた。ぼくの作戦勝ちです」
 あたしはつい、笑ってしまった。これが、プレイボーイの手口か。いっそ、潔い。
「あなたがモテて仕方なかったって聞いたけど、納得しましたよ。学校の女の子の半分はあなたに夢中で、残りの半分の半分くらいは、エディ派だったって」
 みんなが大学に進学してバラバラになる前、首都郊外の田舎町でのことだ。ナイジェルは微笑んだけれど、どちらかというと、悪魔的な微笑みだった。
「しかし、ぼくは誰一人、その子たちに興味なかった。単に、カモフラージュとして、女好きの振りをしていただけです」
 えっ?
 いま、何て?
「ぼくは、女性を愛せない体質でね。ぼくが好きだったのは、いや、今でも好きなのは、エディだけです」

 あたしはしばらく、凍っていた。
 あまりにも唐突で、しかも重かった。
 つまり、ということは……
 この人が、わざわざあたしを選んで、そういう告白をするということは……

「あの、もしかして、何か誤解があるのかも」
 あたしは冷や汗がにじんだ。
 マスコミ各社は、あたしとエディを『カップルとして』報道することが多いのだ。それは誤解だけれど、あたしにもエディにも便利な誤解なので、そのままにしておいた。そうすれば、他の人からの誘いを全て断れる。
 でも、この人は、それを本気にしたのかも。そして、あたしにライバル宣言しているのかも。
「実際には、あたしとエディは何でもないんです。ただの船の仲間というだけで。ほら、エディとエレインさんが付き合っていた、と誤解されたようなもので」
「誤解ではないと思いますよ」
 ナイジェルは、画面の向こうから、黒い瞳であたしを見据えている。これは、敵意?
「エディは貴女を愛している。それは、ずっとエディを見てきたぼくには、はっきりわかります」
 ええっ。
 それ、違うと思うけど。
 職場である《エオス》で、ずっとエディと一緒に過ごしているあたしには、よくわかるんですけど。
 でも、世間の人は、エディにとってリナ・クレール艦長がどんな存在だったか、知らないからなあ。
 クレール艦長がなぜ殺されたのかも、そのことで、エディがずっと自分を責めていることも、説明できない。依然として軍内部に隠れているはずの、改革派の若い軍人たちの安全のために。
「だから、ぼくは、貴女とこうして話したかった。これまで、誰にも話さなかったことを、貴女なら、聞いてくれるのではないかと思ったから」
 ひょっとしてあたし……告解の相手にされているのかな。ナイジェルは〝秘密を守れる誰か〟に話を聞いてもらって、楽になりたいのかも。
「それは……あなたが女性を愛せない、ということですか?」
 でも、現代では、同性を恋愛対象にすることは、とうに市民権を得ていると思う。
 そりゃ、エディみたいに、男性同性愛を嫌悪する男は少なくないけれど。
 自分の本当の姿を隠すより、堂々と真実をさらして、
『嫌うなり何なり、ご自由に』
 と言った方が、ずっと楽ではないの。
「それもある。特にぼくは、エディが始末の悪いマッチョ男だと知っていたから。彼に知られたら、口も利いてもらえなくなると思っていた」
「それは、わかります……」
 エディは温和に見えて、実は、お父さん譲りの堅い信念を持っている。男は女子供を守るために存在している、という信念だ。
 そのためにあたしに親切にしてくれるので、とても有難いけれど、あたしがつい、エディに甘えてしまうからなあ。
 おまけに、そのマッチョ男が、ティエンの事件の時は、美青年好きの男に捕まって、ひどい目に遭った。おかげで余計、男性同性愛を嫌悪するようになっていると思う。
 エディの傷が深いのを知っているので、あたしは一切、その話はしないようにしているけれど。
「自分でも、その状態は苦しかった。誰か素晴らしい女性と付き合えば、その女性に気持ちが向くかもしれないと思って、片端から、本当に手当たり次第、色々な女性を口説いて回った」
 そういうことか。
 ナイジェルは、必死で救いを求めていたのだ。
 でも、そんなことをしても、本当の気持ちは打ち消せないだろうに。
「もちろん、駄目でしたよ。女性と付き合うことは、いくら努力しても、苦痛でしかなかった。おかげでエディには、すっかり軽蔑されてしまうし」
 エディにはナイジェルが、ただの悪質なプレイボーイに見えたのだ。
 でも、女性たちには、ナイジェルの苦しみがわかった。何に苦しんでいるのかはわからなくても、痛々しく見えて、救ってあげたいと思った。他の女性には救えなくても、自分なら……そう思った女性たちが、次々に彼と付き合ったのだろう。
「あのう、差し出がましいけれど、こうなったらもう、エディにぶつかって告白してみたら……」
 あたしが他人の恋愛沙汰に口を出すなんて、向いてないにもほどがあると思うけど、でも、ナイジェルは、何か突破口が欲しくて、あたしに接触してきたのではないかと思えた。提案くらい、してみてもいいだろう。
「そうしたら、ぶん殴られて終わりかな……いや、それ以前に、きっと、信じてもらえない」
「そんなことない……と思いますよ」
 エディだって、一度、痛い目に遭って学んでいるはず。
 人の性向というものは、様々だ。
 むしろ、真実を知れば、ナイジェルのことが理解できるようになり、友達にはなれるかもしれない。
「もう何年もエディとは会っていなかったから、今日は、少なくとも顔だけは見たいと思ったんです。彼の様子は、いつもニュースで見ていたけど……」
 報道される場面では、たぶん、エディはあたしの後ろにいる。世間の人はそれを見て、
(微笑ましいカップルね)
 と誤解してくれる。
 そうすると、あたしにとってもエディにとっても、他の誰かから口説かれることが減るので、好都合だったのだ。
 でも、ナイジェルはずっと、胸が切り裂かれるような思いで、その報道を見ていたのだろう。
「あのね、あなたがこうして打ち明けてくれたので、あたしも打ち明けますけど、あたしとエディは本当に、何でもないんですよ。親友だし、大事な仲間だけど、それだけですから」
 けれど、ナイジェルは苦笑で首を振る。
「貴女は本当に、わかっていないんですね。エディが《トリスタン》の事件から立ち直ったのは、貴女と会えたからですよ。今では彼は、貴女のためにだけ生きている。ぼくが何を告白しようと、彼には、風が吹いていったくらいのものでしょう。気に留めてもらえるはずがないと、わかってる」
 ああ、もう。
「だけど、こうやって何とか、エディのことに関わりたいんでしょ。それとも、あきらめられるの?」
 ナイジェルは後ろの椅子にもたれた。何かちょっと、やさぐれた態度である。
「あきらめたれたら……何度もそう思ったが、今日、エディにじゃけんにされたら、嬉しくてぞくぞくしたな。憎まれる方向でもいいから、ぼくを見てほしい。ぶん殴られてもいい」
 ああ、もう。
 しょうがないなあ。
「それで、あなたは、あたしに何をして欲しいの? エディと会うための機会を作って欲しい?」
 するとナイジェルは、冷笑を浮かべる。
「頼んだら、そうしてくれるんですか」
 うーん、どうしたもんかなあ。
 ナイジェルが気の毒ではあるんだけど、恋愛というのは残酷なものだから、エディにナイジェルを構ってやってくれ、なんて頼めない。
『それだけはお断りだよ』
 と言われるだろう。

 あたしが結局、行動することにしたのは、ナイジェルよりも、エディに報われない片思いをしたままの妹さんのことが気の毒だったからだ。
 兄妹揃って、同じ相手に片思いなんて、辛すぎる。
 せめてナイジェルに、エディと二人で会う時間を作ってあげてもいいではないか。あたしたちは、明日にでも、誰かに暗殺されるかもしれないのだから。
 あたしは客室から、司法局の護衛チームに連絡を取った。彼らの一部は、エディ宅の裏庭に停めた車の中にいる。
「ちょっと、殿方とデートする約束をしたので、そこまで送ってもらえますか。あ、エディには何も言わなくていいですよ」
 司法局のチームは、相手の身元を確かめた上で、あたしを車に乗せ、すぐ近所にあるナイジェルの実家へ送ってくれた。
「どうぞ、ごゆっくり」
「ありがとう」
 屋内には入ってこないけれど、周辺で見張りをしてくれる。あたしが一声上げれば、すぐ踏み込んでこられる態勢だ。
 川を見下ろす丘の上の、広い家である。
 ナイジェル自身は今、仕事で別の惑星に暮らしているのだけれど、今回は、同窓会のために帰郷していたという。
 ただ、ご両親はとうに離婚して、それぞれ別の相手と暮らしているそうで、この家は無人だった。亡くなったエレインの思い出のために、残してあっただけだとか。
「ようこそ。普段、使っていないので、酒くらいしか置いてないんだけど」
 あたしを出迎えたナイジェルは、白い開襟シャツの、くだけた普段着姿になっていた。それでも、かっこいい。エディより五センチくらい、背が高いと思う。
「あたし、お酒は飲まないので」
「では、紅茶でも」
 一階の、川を見下ろす居間に落ち着いた。外は真っ暗なので、庭で鳴く虫の声と、川のせせらぎが聞こえるだけだ。昼間ならきっと、美しい川原が見渡せるだろう。
 ナイジェルは紅茶を淹れてくれて、子供時代のアルバムを見せてくれた。
「ほら、これがエディ。こっちが妹」
 金髪の少年は、確かにエディだ。場所は、この家の近くらしい。背景に川が見えるから。何人かの子供たちが遊んでいて、その中に、白いワンピースを着た、茶色い髪の女の子がいる。
 これがエレインか。
 ナイジェルの妹だけあって、美人だ。しかも、気位の高そうな、おすましタイプ。長い髪は綺麗にカールさせて、肩にこぼしている。
 この子なら、いくらでも男の子を奴隷にできただろうに。エディ以外なら、誰だって。
「それにしても、エディって鈍いなあ。こんな子に好かれているのに、ちっともわからないなんて。神経が何本か、足りないんじゃないの?」
 あたしがつい正直に言ってしまうと、ナイジェルは笑った。
 あ、これだ。
 底に寂しさを隠した、あきらめたような笑い。
 女の子がこういう顔を見たら、きっと、きゅんきゅんしてしまうだろうな。
(わたしがこの人に、本当に幸せな笑いを浮かべさせてあげたい)
 なんて思ってしまうに違いない。
「恵まれた人間は、自分がどれだけ恵まれているか、本当にはわからないんだ。失ってみないとね」
 あたしは、自覚している。自分が恵まれていることについては。
 母は失ったけれど、父がいて、同じ船の仲間がいて、世界一強力な〝叔母さん〟までいる。
 だから、自分ができることは、何でもしたいと思っている。
 まあ、たいしたことができるわけじゃないんだけど。
「ぼくのために、わざわざ来てくれて、ありがとう。貴女は本当に、ノーブレス・オブリージュを心得ている人だ」
 その言葉の意味はわかるけど、ちょっと使い方が違うのでは。
 あたしは別に、高貴な意図で動いているわけではない。親友のエディに関わることだから、もつれた糸を解いておきたいだけ。
「あの、あたしは別に、そんな大層なものではないですから」
「いや、貴女を頼った者を、突き放せない優しさがあるんでしょう。あなたのお父さん譲りなのかな。エディも、貴女の優しさに救われたのだと思う。ぼくが言うのも何だけど、お礼を言いますよ。エディを救ってくれて、ありがとう」
 そんな言い方されると、お尻がむずむずする。
「エディは何ていうか、つまり、自分の使命を見つけたと思ってるんですよ。《トリスタン》の仲間を失ったことを、自分の責任みたいに思い詰めていたから。それが、あたしに会って、ほら、あたしが船のみそっかすだから、自分が守ってやらなきゃって思ってくれたんですよ」
 ナイジェルは低いテーブルの向こうで、穏やかに微笑む。
「彼が幸せなのは、今日、よくわかりましたよ。守るべき姫君がいたら、騎士は幸福だ」
 いや、だからね。
 ナイジェルがすっと腰を浮かせて、テーブルの向こう側から、こちら側にやってきた。そして、あたしの隣に腰を下ろす。
 ちょっと、心臓が高鳴った。エディよりずっと、女慣れしている?
「で、誰かいるんですか」
「は?」
「貴女自身が好きな男ですよ。エディではなくて」
 え、それは。
 いる……ような、いないような。
 子供の頃、友達のリエラのお兄さんに片思いした。空手道場の先輩にも、一時期、憧れた。ジェイクが初めて《エオス》に来た頃も、どきどきした。
 あたしはどうも、ファザコンの気があるのか、年上の男性に憧れる癖がある。
 でも、いつの場合も、子供扱いされて終わっていたから、淡い片思いのままだ。それ以上の何かは、まだないと思う。
 だって、希望がないのに、いつまでも 思い続けるなんて、無理だ。ジェイクの場合は……きっとまだ、あの黒髪の美女のことを忘れていない。あたしとエディを助けてくれて、すぐに立ち去った人。
 あの鮮やかな振る舞いだけで、あたしなんかが逆立ちしても敵わない人だとわかる。
「じゃあまだ、本当のキスもしたことない?」
 ナイジェルが上体をこちらに傾けてきて、彼の手が、あたしの手に重ねられる。
 えーっ。
 ちょっと待って。まさか。
「ここまでの話、全部嘘、とかじゃないでしょうね!?」
 ひょっとして、あたし、まんまとプレイボーイの手口に引っかかっただけ!?
 すると彼は身を引いて、からから笑った。
「なんだ、本当に純情なんだ」
 ちょっと。
「怒るよ!! 真面目な話でないなら、もう帰るから!!」
 あたしが敬語を捨てて叫んだら、ナイジェルは楽しそうに言う。
「その方がいい。ぼくに敬語なんか使わなくていいから」
 それはどうも。
「お嬢さん、きみは本当に、エディのことを何とも思ってないの? あいつには、きみを射止める可能性はないのかな? あの馬鹿、きみにはっきり拒絶されるのが怖くて、友達のふりをしてるんだろ。告白して、玉砕すればいいのにな」
 何の話。
 友達のふりって、本当に友達なんですけど。
「あなたこそ、エディに告白して、玉砕すればいいでしょ!! 女好きのふりをして、無関係の女性を大勢巻き添えにするなんて、悪質だよ!! 男が好きで、何が悪いのさ!! ちゃんと告白して、振られて、すっきりすれば!! そうしたらきっと、次の誰かを好きになれるよ!!」
 その時、あたしの腕の端末に通話が入った。護衛チームのリーダーからだ。
「ミス・ヤザキ、フレイザー氏がそっちへ行きます。あなたの居場所を知って、激怒してますから、気をつけて」
 あらら。
 エディってば、ホテルの部屋で寝る前に、あたしの居場所を確認したな。ほんとに心配性なんだから。
「どうする?」
 ナイジェルを見たら、彼はすっかり笑いを消している。
「ミス・ヤザキ……」
「ジュンでいいですよ、年下なんですから」
「では、ジュン……ちょっと協力してもらえるかな? こんな機会、二度とないと思うから」

   3

 あの野郎、やっぱりだ。
 どんな嘘八百並べたのか知らないが、まんまとジュンをおびき寄せやがって。しかも、こんな夜遅く。
 今日という今日は、もう我慢ならない。
 訴えられても構わない。叩きのめしてやる。
 司法局の護衛たちの間をすり抜けて、ナイジェルの家の玄関に向かった。もしドアを開けないつもりなら、銃で吹き飛ばしてやる。
 ところが、ドアは開いた。奥から声がする。
「入れよ、こっちだ」
 子供時代に何度も遊びに来ているので、間取りはわかっていた。川に面した居間の方へ行くと、ソファの上で……
 ジュンとナイジェルが、絡み合っている。
 ジュンの上にナイジェルがのしかかっていて、奴の脚とジュンの脚がもつれている。
 かっとした。
 全ての良識が吹き飛んだ。
 ジュンが何か叫んだ気がするが、構わずナイジェルの襟首を掴んで引き起こし、拳で顔を殴った。腹を膝で蹴った。その後はもう、どれだけ殴ったのかわからない。
「やめて、やめて!!」
 ジュンにしがみつかれて制止されたが、勢いがついていて、止まらない。
 はっとしたのは、ジュンが床に倒れて、小さな悲鳴を上げたからだ。
 しまった。ぼくが突き飛ばしたらしい。何ということを。
「ごめん!! 怪我はない!? 大丈夫!?」
 慌てて膝をつき、ジュンに手を差し伸べた。自分のその手が血にまみれているのに気がついて、はっとする。もちろん、自分の血ではない。
 振り向いたら、ナイジェルは床に倒れていた。まさか、殴り殺してしまったのじゃないだろうな。
 体格は向こうの方がやや上だが、こちらは空手の有段者だ。奴は剣道の高段者だけど。
「あたしは平気……それより、ナイジェルを見て」
 顔をしかめて起き上がりながら、ジュンが言う。奴の心配などしたくないが、さすがに殺してはまずい。
 幸い、息はあるようで、身動きしている。服が血で染まっているが、ただの鼻血だ。
「謝らないぞ!! 訴えるなら訴えろ!!」
 と奴に怒鳴った。
 どうしてか、昔から、こいつとだけは仲良くなれない。
 遠く離れていれば忘れていられるのだが、いったん近付いてしまうと、神経を逆撫でされるように、苛々する。
 妹のエレインは、いささかわがままではあっても、いい子だったのに。
「しっかりして」
 ジュンがタオルを持ってきて、ナイジェルの顔にあてがっている。
「救急車呼ぼうか。どこか折れたんじゃない?」
「かもな……」
 奴は痛そうに、タオルで鼻を押さえている。いい気味だ。ジュンに手出しをするからだ。
 惑星《タリス》で本物の戦闘を経験して以来、ぼくは、自分の中にある野生に気がついている。普段は押さえているが、何かあれば、それが目を覚まして暴れることを知っている。短い時間だったが、その野生を久しぶりに解放して、すっきりした。
「エディ、あんたね」
 ジュンが厳しい顔で、ぼくを振り向いた。
「いきなり、これはないでしょ。あたしたち、ただ話をしていただけなのに」
 何だって。
「だって、きみ、きみの上に、あいつが……」
 それ以上は、とても口に出せない。
「どう見えたのか知らないけど、もし、あたしが無礼な真似をされたのなら、まず、自分で相手をぶん殴るよ。それは知ってるでしょ。ナイジェルは何も抵抗しなかったのに、一方的に殴るなんて、あんまりじゃないの」
 そんな。
 なぜ、かばうんだ。
 まさかジュンまで、奴の魔術的手口にかかったのでは。
 少年時代、奴がどうして、毎月のようにガールフレンドを取り換えられるのか、不思議でならなかった。
 女の子に対する誠実なんて、かけらも持っていない奴なのに、それでもどうして、新たな餌食になりたがる 女の子が絶えないのか。
 よもや、その謎が今日まで尾を曳いていて、ぼくとジュンを巻き添えにするなんて。
「とにかく、外に司法局の人がいるでしょ。車で病院に送ってもらうから」

   4

 たまには、入院も悪くない。
 どうせ家には食料もないし、同窓会が済んだら、すぐ引き上げるつもりだった。ぼくの生活の場は今、他星にある。設計事務所に勤めて、優雅に暮らしているのだ。
 だが、こうして故郷の町に近い病院に入るのも、たまにはいいだろう。
 かつてのガールフレンドたちも交互に見舞いに来たし、何より、ジュン・ヤザキがいてくれる。
 そして、彼女の番犬も、苦虫を噛み潰した顔で付き添っている。
 ぼくが被害届を出せば、障害事件となるところだが、もちろん、
『勝手に転んだだけです』
 と言い張り、エディには咎が及ばないようにした。鼻や肋骨の骨折など、すぐ治る。エディに殴られたり蹴られたりした痕だと思うと、愛おしいくらいだ。自分のマゾぶりに、自分で笑いがこみ上げる。
 何というていたらく。
 エディに無視されたり、忘れ去られたりするより、怒らせて、殴られる方がましだとは。
「まったく、無茶するんだから。自業自得だよ。エディは、本気で空手の修業をしてるんだからね。首の骨、折られていたかもしれないよ」
 ジュン・ヤザキは文句を言いながらも、ぼくの病床に付き添い、花を活けてくれたり、果物を剥いてくれたりする。ぼくにはどうも、女性の〝母性本能〟をくすぐる部分があるらしい。
 エディは露骨に不機嫌な顔で、すぐ外の通路にいる。病室のドアは、もちろん開放したままだ。司法局の護衛は、この病院を取り巻いている。ジュン・ヤザキはいまや、市民社会のスーパーヒロインだから。
 結局、エディは『自分にふさわしい女性』を、生涯の女神として選んだのだ。
 彼が少年時代、どんな女の子からの誘いにも舞い上がらず、『茫洋とした顔』をしていたのは、彼のプライドが、『そこらの女の子』に夢中になることを、自分に許さなかったからだろう。
 自分で自覚していないが、エディは途轍もなく理想の高い男だ。自分に対しても、自分が付き合う相手に対しても。
 こうしてジュン・ヤザキと知り合ったことで、それが改めて納得できた。これから先、ジュンが彼の期待を裏切ることがあれば別だが、そうでない限り、番犬としてでもいいから、エディはジュンを追い続けるだろう。
 それはもう、それでいい。
 ――あの時、ぼくがジュンに覆いかぶさったのは、エディが玄関に到着してからだ。
 彼を傷つけたかったのだと思う。エディが逆上してくれて、ぼくに飛びかかってきてくれれば、それでよかった。
 エディは認識していないと思うが、彼がぼくに触れたのは、先日の同窓会の時も含めて、ほんの数える程度のこと。
 少年時代に一緒にサッカーや剣道をしていた頃からすると、十年ぶりくらいだったのではないだろうか。
 殴られる時でもなければ、触れてもらえない関係。
 女の子に愛撫されるより、エディに殴られる方が貴重だなんて、われながら、惨めで笑えてくる。
 どうして、こういうことになっているのだろうか。
 それは、自分でもわからない。
 気がついた時には、可愛い女の子たちより、エディの方に目が向いていた。聡明で善良なエディは、ぼくの理想だった。エディのようになれないのなら、せめて彼の親友になりたかった。
 だが、それは叶わなかった。ぼくはなぜだか、彼に嫌われていた。彼に対しては、何の害も与えていなかったと思うのに。
 男仲間から外れないよう、懸命に女好きのふりをした。それが悪かったのだろうか。
 ぼくは内心では、女たちの厭らしさに吐き気がしていた。
 彼女たちは、自分が美しい、可愛い、賢い、有能だと思っている。
 男たちが自分に魅惑され、進んで自分の奴隷になることを、当たり前と思っている。
 そんな傲慢・残酷な種族に、なぜ屈服しなければならないのか。
 子供が産めることが、そんなに偉いのか。
 現代の技術なら、人間など、カプセルで培養できるではないか。
 古代ギリシアの男たちの言い草ではないが、女などに煩わされなければ、男は高貴な一生を送れるだろうに。
 問題は、彼女たちに勝てても、エディに勝てないことだった。
 ぼくがエディに執着する限り、永遠に勝ち目はない。
 地元の町を離れ、別の大学に進み、彼のことは忘れようと思ったし、忘れられたとも思っていた。しかし、《トリスタン》の事件報道で彼の名を見た途端、心臓が苦しくなり、ちっとも忘れられていなかったのだと悟った。
 今度の同窓会で、何かのとっかかりが欲しかった。せめて、エディの視界の中に入りたかった。
 そうしたら、ジュン・ヤザキが同情してくれた。さすがは、エディが惚れ込んだだけのことはある。
「あんたねえ、そんなに好きなら、あたしじゃなく、エディを押し倒してみれば」
 短い黒髪の少女は、病室の椅子で腕を組んで言う。エディは司法局の人間に呼ばれて、この部屋から離れているので、その隙に言うのだ。
「自分で言わないと、そのうちあたしが、ついうっかり、しゃべってしまうかもしれないよ?」
「そうだね」
 自分でも、まだわからない。
 どうしたいのだ。
 このままずっと、嫌われながらつきまとうのか。告白して、振られて、きっぱりあきらめるのか。
 それとも、片思いのまま、きみを一生見ているよと宣言するのか。さぞかし、おぞましく思われることだろう。
「まあ、あなたの人生だから、いいけどね。じゃあ、あたし、そろそろ行くから」
 ジュンが腰を上げた。今日は、エディとドライブに行く約束だそうだ。せっかくの上陸休暇なので、目一杯楽しむ予定だという。
「ぼくの分も楽しんできて」
 ベッドに横たわったまま、苦笑で見送った。どうせぼくも、明日には退院する。元々、たいした怪我ではないのだ。エディは怒りながらも、ぼくに対して手加減していた。ぼくが抵抗しなかったからだ。
「また連絡するから」
 ジュンは身をかがめ、横たわったぼくの額にキスしてくれた。これは、どういう意味だろう。
「ぼくに惚れた?」
 と冗談で尋ねたら、照れ隠しのようにむっつりする。
「あなたがあんまりお馬鹿で、放っておけない気がするだけ」
「それは嬉しいな」
 たぶん、多くの女の子が、そう思ってぼくを構ってくれたのだろう。ぼくは彼女たちを利用した。だが、彼女たちだって、ぼくを利用した。
(わたしはナイジェルと付き合ってるのよ)
 というのが、女の子仲間での、一種のステイタスだったらしいから。
 エレインだって、エディにつきまとっていたのは、当時のあの子の視界の中で、エディが一番グレードの高い男だったからだ。
 ――エディを射止めたら、自慢できる。美しく聡明な自分には、エディが相応しい。
 わが妹ながら、可愛くない娘だった。
 エディに相手にされなくて、当然だ。
 だが、少なくともエレインは、エディをデートに誘うことはできた……女に生まれたおかげで。
 ぼくはエレインも憎かった。エディにまとわりつけるエレインが。だから……してしまった。してはならないことを。あの子が、ぼくを嘲笑ったから。
『お兄ちゃんなんか、エディに告白することもできないくせに』
 かっとしたのだ。図星をさされて。
 だから、その時、自分にできる、一番残酷な暴力を振るった。
 だが、そのことを、エレインは最後まで黙り通した。親にも親友にも、言わなかった。あの子もまた、誇り高かったから。
 詫びようにも、詫びる方法がない。
 あの子はもう、この世にいない。
 ただ、どうしようもなく愚かな自分だけが、生き残っている。
 もし、このことを知ったら、さすがのジュンも、ぼくを軽蔑して、二度と口をきいてくれないだろう……

 ばたばたと足音がして、ジュンが慌ただしく戻ってきた。忘れ物か?
「いま気がついたの!! あたし、あんたに紹介したい相手がいる!!」
 誰のことだろう。
 ぼくの〝病気〟を治療しようというつもりなら、大きなお世話だ。
 誰かに焦がれることは苦しいが、この苦しさがなければ、きっと生きている意味がない。
「女性と付き合う気はないよ」
「そうじゃなくて。あのね、チェリーっていう女の子がいるの。ちょっと訳ありで、あたしとエディが後見役というか……相談役になっているの」
 だから?
「今度、時間をとって、あたしと一緒にチェリーに会ってほしいんだ。まあ、エディは厭がって逃げるかもしれないけど、あたしはあなたを連れていくつもりだから」
「訳ありの……女の子?」
 なぜ、ぼくがその子と会う必要があるのだ。
 しかし、ジュンは一方的に語り続ける。
「そう。あなたにも、チェリーの相談相手になってほしいの。十四歳の女の子でね。ちょっと特殊な育ち方をして、身寄りもいなくて、いま施設に入ってるんだ。あなたなら、きっと力になってやれると思って」
 自分だって、まだ十六か十七の小娘のくせに、そんな子の心配までしているのか。
「チェリーはエディのことを……自分の王子さまと思っているんだよ。エディのことを、とっても頼りにしているの」
 へえ?
「いずれ、どこかの夫婦と養子縁組が成立するかもしれないし、しないかもしれないけど、あたしたちが友達であることは間違いないから」
 それは、つまり、ぼくのライバルということか?
 いや、女の子であるなら、ぼくよりはるかにましな立場だ。エディはジュン一筋だろうが、身寄りのない女の子に親切にするくらいの余裕はあるだろう。
「なぜまたぼくが、そんな……」
「あのね、詳しくは後で説明するけど、エディはチェリーのことを、妹みたいにしか思っていないの。だから、チェリーにとっては、報われない片思いなの。まあ、少なくとも、今のところはね。もし、あたしたちに何かあった時は、チェリーのことを助けてやってほしいんだ。きっと、ものすごくショックを受けると思うから」
 はっとした。
 確かにエディは、《エオス》にいることで、命を危険にさらしている。ジュンの父親のヤザキ船長は、違法組織の〝連合〟に命を狙われる身だから。
 ジュンは、自分たちが死んだ後のことを心配しているのだ。そのチェリーという子のために。
「ぼくなんかに……そんなことを頼んでいいのか?」
 自分を誤魔化すために、さんざん、女の子たちを利用してきた男に。血を分けた妹に、あんな仕打ちをした男に。
 自分で知っている。自分の愚かさを。
 だが、それを誰にも言うつもりはない。
 言っても、過去は変えられない。
「だって、あなたはエディを好きでしょ。それなら、エディを大好きな女の子の気持ちがわかるでしょ」
 つい、苦笑が出る。
「同病相憐れむってことか?」
「憐れむんじゃなくて、助け合うの。あなただって、もしもエディが先に死んでしまったら、誰か思い出を語り合う相手がいた方がいいでしょ」
 ずきんときた。エディが死ぬ。ぼくを嫌ったまま。いや、ぼくのことなど、思い出しもしないまま。
 そんなことには……なってほしくない。
 死ぬ話なんか、してほしくない。
 エレインは、遠い宇宙のどこかで死んでしまった。違法組織のために。ぼくとは二度と、口をきかないままで。
 だが、ジュンが本気で言っていることはわかった。エディの愛する女神が、ぼくに頼み事をしてくれる。心配している女の子の世話焼きを、ぼくに託してくれるのだ。
 それならば……
 この頼みに応えることで、ジュンとつながりが持てる。
 それは、間接的にエディとつながることだ。そういう動機でもいいと、ジュンは思うらしい。
「わかった。その子に引き合わせてくれるんだね」
「うん、都合のついた時に。チェリーには通話して、あなたのことを話しておくよ。エディと同じ町で育った、幼馴染みのお兄さんだって」

 ジュンが立ち去った後、ベッドに横たわったまま、一人で考えた。
 エディを大好きな女の子、か。
 その子はきっと、わかっている。エディが生涯かけて、ジュン・ヤザキだけしか愛さないことを。
 そして、それでもいいと思っているのだろう。エディを好きでいられるだけで、幸せだと。
 ぼくに……できるだろうか。
 その子にとって、信頼できる〝兄貴〟になれるだろうか。
 これまで、誰かに対して、そんな存在になろうなんて、思ったことはない。だが、他ならぬジュンの……エディの女神の頼みならば。
 とにかく、一度は会ってみよう。
 向こうがぼくを信用しなければ、それまでのこと。
 だが、もし、ぼくも本気でエディが好きなのだと、わかってくれさえしたら……
 友達になれるかもしれない。打算のない友達に。そして、エディのどこが好きか、語り合えるかもしれない。
 そう思うと、何か少し楽になった。
 嘘だらけの自分の人生の中で、その子に触れる部分だけは、清らかに保てるかもしれない。
 清いふりだけでも、構わない。
 そして、いつしか、ぐっすり寝入っていた。 

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