東禅寺山城(擬定地)
(撮影日 23/1/23)
☆ 解説 ☆
1577年(天正5年)、織田信長の雑賀攻めに対抗するため、
雑賀孫市が弥勒寺山を決戦の地として
山全体を城郭化する一方で、
周囲に城や砦を築いて一向宗徒に守らせた
東禅寺山城は弥勒寺山城の北側にあるとされ、
東禅寺山 − 愛宕山 − 秋葉山(弥勒寺山城)と
3つの山が連なっていますが、
切り通しを作るために山が分断されているので
最初は山自体が繋がっていたのではないでしょうか?
『紀伊国名所図会』には城のことが記されているが、
学術調査等の確かな証明はされていないという
今回は擬定地として散策しましたヾ(≧▽≦)〃
入り口は東高松側と打越町側両方から登ることが出来ますが、
東高松側は交通量が多いため、打越側から登山
打越側入り口
きちんと掃除が行き届いていました
打越延命夜泣地蔵尊
入り口の右側にあります
弘化二乙巳年(何年でしょうか?(汗))に創建されたそうです
階段を少し登ったところにある広場
左右にあります
左側に見える階段が山頂への道です
この先を左に曲がります
振り返ってみる
階段はすでに落ち葉の波に飲まれかかっています
雑草に埋もれてますね
階段はすでに見えません(↑)
また振り返ってみる
たぶん、雨上がりに行ったらだぶん滑ると思う( ̄▽ ̄;)
山頂
休憩場のようになっています
ゴミ箱に缶ビールの空き缶が捨ててあったので
人の行き来はあると思います
山頂から東高松側へ少し下りてみましたが
これ…一応階段なんです…見えます?
すでに落ち葉によって埋もれていました
難所を抜ければ階段らしくなっていました
ここを抜けると高松側入り口です
基本的には一本道なので迷うことはないと思います
所々に簡易案内板(↓)があります
打越側は赤いライン、高松側は『進入路』と書かれています
小雑賀橋から擬定地を望む
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